第1部:資本の生産過程
第1篇:商品と貨幣
第1章:商品
商品は、自然形態と価値形態という二重形態をもつ限りでのみ、商品として現われ、言い換えれば、商品という形態をとるのである。[62]
使用価値または商品体としての商品は、目に見え、手でつかみ取ることができるが、その商品の価値というものは、いくらその商品体をこねくり回してもつかまえようがない。商品の価値は、商品と商品との社会関係、交換関係のなかでのみ現われうるのだ。この、価値の現象形態である、交換価値という形態に立ち返って、考察をつづけよう。
だれでも、ほかのことはなにも知らなくても、諸商品がそれらの使用価値の種々雑多な自然形態とはきわめていちじるしい対照をなす一つの共通の価値形態、すなわち貨幣形態をもっているということは知っている。しかし、いまここでなしとげなければならないことは、ブルジョア経済学によって決して試みられることもなかったこと、すなわち貨幣形態の発生を立証すること、すなわち、諸商品の価値関係に含まれている価値表現の発展を、そのもっとも簡単なもっともめだたない姿態から目をくらませる貨幣形態にいたるまで追跡することである。それによって、同時に、貨幣のなぞも消えうせる。[62]
x量の商品A=y量の商品B(x量の商品Aはy量の商品Bに値する)
20エレのリンネル=1着の上着(20エレのリンネルは1着の上着に値する)……[A]
[A]はもっとも簡単な価値表現である。これをつぎの等式とくらべてみよう。
20エレのリンネル=20エレのリンネル
この等式は、価値を表現したものではない。ここでは、たんに、一定分量の使用価値であるリンネルは、それ以外のものではない、ということをいっているだけである。リンネルの価値は、他の使用価値(商品体)でしか表現できない。「20エレのリンネル」は、その価値が、「1着の上着」という別の使用価値(商品体)で、相対的に表現されている。すなわち「相対的価値形態」にある。また、「1着の上着」は、「20エレのリンネル」と等しい価値をもつ物、すなわち“等価物”として機能している。すなわち「等価形態」にある。
さて、「1着の上着」は、「20エレのリンネル」の等価形態にあると同時に相対的価値形態にあることはできない。「1着の上着」が相対的価値形態をとるためには、さきの等式[A]は
1着の上着=20エレのリンネル(1着の上着は20エレのリンネルに値する)
としなければならない。すると、今度は、「20エレのリンネル」が、「1着の上着」の“等価物”となり、等価形態をとる。
同じ商品は同じ価値表現においては同時に両方の形態で現われることはできない。この両形態は、むしろ対極的に排除しあうのである。[63]
そこで、ある一つの商品が相対的価値形態にあるか、それと対立する等価形態にあるかは、もっぱら、価値表現におけるその商品のそのつどの位置――すなわち、その商品は、その価値が表現される商品なのか、それでもって価値が表現される商品なのか――にかかっている。[64]
この価値関係の本質を探るためには、まず、これら2つの商品がどのような比率で交換されているかという、その量的な関係のあれこれについてではなく、なぜ、これらの異なった物どうしが、一定の比率で交換されうるのかという観点から、考察されなければならない。等式[A]の基礎は
リンネル=上着
なのである。
これら2つの商品は質的に等しいとされているわけだが、それぞれの役割はちがっている。ここでは、リンネルの価値だけが表される。「等価物」または「交換されうるもの」である上着との関係のなかで。ここでは、上着は、リンネルの価値を、その商品体そのものでもって表現する「価値物」としてのみ、リンネルと同じものである。そして、リンネルは、この関係のなかでのみ、それ自身の価値を表現する術をえるのである。
商品の価値は、人間的労働の凝固体であるが、その商品に、その自然形態とは異なる価値形態が与えられるのは、他の商品にたいするその商品の関連のなかでである。リンネルと上着との関係のなかでは、上着をつくりだした裁縫労働がリンネルをつくりだした織布労働と等しいとされる。もちろん、裁縫労働と織布労働とは具体性のちがう労働だけれども、この関連によって、上着をつくりだした裁縫労働は、リンネルをつくりだした織布労働と等しいとされることによって、両方の労働のなかの、抽象的な人間的労働という共通な性格をもっているのだということをあらわにする。そして、この顕現によって、リンネルをつくりだした織布労働も、それが価値をうみだす抽象的人間的労働という性格をもっていることがしめされるのである。
種類の異なる諸商品の等価表現だけが――種類の異なる諸商品に潜んでいる、種類の異なる、諸労働を、それらに共通なものに、人間的労働一般に、実際に還元することによって――価値を形成する労働の独自な性格を表わすのである。[65]
もっとも、リンネルの価値を構成している労働の独自な性格を表現するだけでは十分ではない。流動状態にある人間的労働力、すなわち人間的労働は、価値を形成するけれども、価値ではない。それは、凝固状態において、対象的形態において、価値になる。リンネル価値を人間的労働の凝固体として表現するためには、リンネル価値は、リンネルそのものとは物的に異なっていると同時にリンネルと他の商品とに共通なある「対象性」として表現されなければならない。この課題はすでに解決されている。[65-66]
このリンネルと上着との関係のなかで、上着はその自然形態で価値を表わす物として通用する。ところで、上着という商品体そのものは、明らかに使用価値であって、上着そのものだけでは価値を表現できない。しかしまた、上着には、それをつくりだした裁縫労働という形態で人間の労働力が支出されており、抽象的人間的労働がふくまれているから、明らかに価値をもっている。上着は、リンネルとの価値関係のなかで、抽象的人間的労働をふくんでいるという、ただこの面だけから、価値を体現したものとして通用している。そして、上着がリンネルの価値を体現したものとして通用できるのは、リンネルにたいして価値が上着という商品体の姿で対応しているからなのである。
こうして、上着がリンネルの等価物となる価値関係のなかでは、上着形態が価値形態として通用する。それゆえ、商品リンネルの価値が商品上着の身体で表現され、一商品の価値が他の商品の使用価値で表現されるのである。使用価値としては、リンネルは、上着とは感性的に異なる物であるが、価値としては、リンネルは、「上着に等しいもの」であり、したがって、上着のように見える。このようにして、リンネルは、その自然形態とは異なる価値形態を受け取る。[66]
価値関係の媒介によって、商品Bの自然形態が商品Aの価値形態となる。言い換えれば、商品Bの身体が商品Aの価値鏡となる。商品Aが価値体としての、人間的労働の物質化としての、商品Bに関連することによって、商品Aは、使用価値Bを、それ自身の価値表現の材料にする。商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値で表現されて、相対的価値という形態をもつ。[67]
商品の価値関係において、商品が一定の比率の分量でもって交換されるということについて、考察をすすめよう。
商品は、一定の分量をもつ使用対象として存在する。ある与えられた商品の一定量は、それをつくりだすために必要な一定量の抽象的人間的労働をふくんでいる。だから、一定量の商品体によってしめされる価値は、一定の大きさをもつものとして表わされることになる。上着にたいするリンネルの価値関係においては、上着商品は、価値を表わす物としてリンネルと質的に等しいとされるだけでなく、一定分量のリンネル商品にたいして、おなじ価値の大きさをもつ一定分量の等価物として量的に対応する。
等式[A]は、両方の商品分量がそれぞれ等しい量の労働、言い換えれば、等しい大きさの労働時間によってつくりだされているということを、その前提条件として成立している。ところが、ここでしめされている分量の商品の生産に必要な労働時間は、織布労働や裁縫労働の生産力が増減するたびに、短くなったり長くなったりする。すなわち、それぞれの商品の価値の大きさは、生産力の変動によって変動する。等式[A]によって表わされる価値関係が、生産力の変動による価値の大きさの変動によって、どのような影響をうけるかということが、つぎに考察される。[68-69]
リンネルの価値は変動するが、上着価値は不変のままである場合……(1)
(1)の検証からわかることは、上着で表現されるリンネルの相対的価値は、上着の価値が不変のままでも、リンネルの価値に正比例して、上下するということだ。
リンネルの価値は不変のままであるが、上着価値が変動する場合……(2)
(2)の検証からわかることは、上着で表現されるリンネルの相対的価値は、リンネルの価値が不変のままでも、上着の価値の上下に反比例して、低下または上昇するということだ。
リンネルおよび上着の生産に必要な労働分量が、同時に同じ方向に、同じ比率で変動する場合……(3)
(3)の場合は、どんな変動においても同じ等式がえられる。これらの商品の実際の価値の上下は、第三の商品とくらべることでわかる。また、すべての商品の価値が、同時に、同じ比率で、上下するとすれば、これらの商品の実際の価値の変動は、同じ労働時間内に、以前よりも多くのまたは少ない商品分量が供給されることからわかる。
リンネルおよび上着の生産にそれぞれ必要な労働分量が、同時に同じ方向に異なる度合で変動するか、あるいは、反対の方向に変動する場合……(4)
(4)のケースは、(1)から(3)の場合の応用でわかる。
こうして、価値の大きさの現実的変動は、価値の大きさの相対的表現または相対的価値の大きさには、明確にも余すところなしにも反映されはしない。一商品の相対的価値は、その商品の価値が不変のままでも変動しうる。一商品の相対的価値は、その商品の価値が変動しても、不変のままでありうる。そして、最後に、一商品の価値の大きさとこの価値の大きさの相対的表現とが同時に変動しても、この変動が一致する必要は少しもない。[69]
等式[A]において、上着(商品B)がになっている等価形態について、考察がすすめられる。リンネル(商品A)は、上着が直接リンネルと交換されうるものだということによって、リンネル自身の価値を表現するのであった。ある商品の等価形態とは、その商品の他の商品との直接的交換可能性の形態なのである。また、交換されうる比率は、リンネルの価値の大きさが与えられているので、上着の価値の大きさによって規定される。ただ、この価値関係のなかでは、上着の価値の大きさがそれとして表現されはしないのであって、上着は一定分量の商品体そのものとしてのみ役割をはたす。だから、ある商品の等価形態には、量的な価値規定は含まれないのである。
等価形態の考察にさいして目につく第一の独自性は、使用価値がその反対物の、価値の、現象形態になるということである。[70]
リンネルの相対的価値形態は、リンネルの価値をその商品体とは別の商品を等しく対応させて、その価値を表現する。だから、必ず、別の商品と等しく対応するという関係をむすぶことが前提となるし、そのことから、この相対的価値形態の社会性ともいうべきものがあきらかなのだが、等価形態とは、まさに、上着という商品体そのものが、価値を表現するということから、まるで、「交換されうるもの」という属性(直接交換可能性という属性)を、もともとその商品がもっているように見えるのである。
もちろん、これまで見てきたように、等価形態という価値形態が通用するのは、ある商品が等価物として、ある商品に関連している価値関係のなかでのことにすぎない。ここで、マルクスは、物の属性を認識する過程についてふれている。物の属性は、その物の他の物との関係から、生まれてくるのではなくて、確認されるだけである。たとえば、「分銅」は、物体としては、天秤で量り合われる他の物とはまったく異なる物だが、天秤で量り合われる関係のなかで「重量をもつ」という属性を表現し、その現象形態として機能する。そして、「分銅」の場合は、量られる他の物との共通な属性は、「重さをもつ」という、その金属体としての物体的自然属性である。このような認識過程によれば、リンネル商品と結ばれる価値関係のなかで、上着商品がになっている等価形態が、上着という商品体の自然属性であるかのようにみえてしまうのである。ところが、上着がリンネルとの価値関係において、その身体そのもので表現し、2つの商品に共通な属性である「価値の大きさ」というのは、社会的に必要な労働量という、まったく社会的なものであって、上着の商品体そのものの自然属性ではない。
具体的労働がその反対物の、抽象的人間的労働の現象形態になるということが、等価形態の第二の独自性である。[73]
等価物である上着商品は、社会的に必要な労働量という価値の大きさを体現するものとして通用するから、すなわち、それは抽象的人間的労働を体現したものとして通用する。しかもつねに、使用価値であるから、すなわち、裁縫労働という具体的有用的労働の生産物である。したがって、上着をつくりだした裁縫労働という具体的労働が、一般的人間労働を、上着という商品体の姿で表現することになる。
裁縫労働という労働形態も織布労働という労働形態も、どちらも抽象的人間的労働という一般的属性をもっており、この労働量の一定分量が価値の大きさの実体であることを見てきた。ここにはなにもミステリアスなものはないのだが、いったん、商品が他の商品と交換関係をむすび、その商品の価値がある姿で現われる段になると、ある転倒がおきる。等式[A]においては、リンネルをつくりだした織布労働を、その具体的労働のもつ一般的人間労働という属性を体現するものとして、上着をつくりだした裁縫労働というまったく具体性の異なる具体的労働と、対応させることになるのだ。
私的労働がその反対物の形態、直接に社会的な形態にある労働になるということが、等価形態の第三の独自性である。[73]
まったく具体性の異なる労働が、等しく対置されることで、上着をつくりだした裁縫労働という具体的労働が、リンネルをつくりだした織布労働と、区別のない、人間的労働の表現だというその同等性の形態をとる。とりもなおさず、このことは、裁縫労働という私的具体的労働が、人間的労働という社会的に平均され一般化される労働による具体的形態であることをあらわにする。上着商品をつくりだした労働の、人間的労働という一般的属性によってこそ、その具体的労働は、リンネル商品と直接に交換されうる(直接的交換可能性をもった)上着という具体的な商品体の姿をとる。
最後に展開された等価形態の2つの独自性は、価値形態をきわめて多くの思考形態、社会形態および自然形態とともにはじめて分析したあの偉大な探求者にまでわれわれがさかのぼるとき、さらにいっそう理解しやすいものとなる。その人は、アリストテレスである。[73]
マルクスはここで、アリストテレス Aristoteles (384 B.C. - 322 B.C.) の卓見を評価している。なにより、アリストテレスは、商品の貨幣形態とは、ある任意の他の一商品による一商品の価値表現の、発展した姿にすぎないということをすでに指摘していたというのである。彼、アリストテレスはこう言っている
5台の寝台=1軒の家
というのは
5台の寝台=これこれの額の貨幣
というのと区別されないと。そして、さらに、この価値表現の背後にある価値関係は、家が寝台に質的に等しいとされることが前提条件になっており、これらの見た目にも異なる物は、等しいとされる本質的な同等性によってしか、同じ単位で計量されうるものとして関連することができないということを見抜いていたのだという。
ところが、アリストテレスはここまできて、はたと立ち止まる。「しかし、種類を異にする諸物が、同一の単位で計量されうることは、ほんとうは、不可能なことである」から、こうした等式が成立するのは「実際上の必要のための応急手段」なのだと。そして、価値形態のこれ以上の分析をやめてしまったのである。彼にとって、人間的労働という共通の実体を発見することは、歴史的な限界があったのだとマルクスは言う。すべての労働が等しい妥当性をもつものとして表現されているのだ、という観点は、当時、アリストテレスが生きていた奴隷労働を基礎とした社会においては、到底思いも及ばなかったことだったのだと。つまり、この時代、人間とその労働力の不平等が、その社会にとっての基礎であったからなのだと。
価値表現の秘密、すなわち、人間的労働一般であるがゆえの、またその限りでの、すべての労働の同等性および同等な妥当性は、人間の平等の概念がすでに民衆の先入見にまで定着するようになるとき、はじめて、解明することができる。しかし、それは、商品形態が労働生産物の一般的形態であり、したがってまた商品所有者としての人間相互の関係が支配的な社会的関係である社会においてはじめて可能である。アリストテレスの天才は、まさに、彼が諸商品の価値表現のうちに一つの同等性関係を発見している点に、輝いている。ただ彼は、彼が生きていた社会の歴史的制約にさまたげられて、この同等性関係が、いったい「ほんとうは」なんであるかを、見いだすことができなかったのである。[74]
この章のはじめでは、普通の流儀にしたがって、商品は使用価値および交換価値であると言ったが、これは、厳密に言えば、誤りであった。商品は、使用価値または使用対象、および「価値」である。商品は、その価値がその自然形態とは異なる一つの独自な現象形態、交換価値という現象形態をとるやいなや、あるがままのこのような二重物として自己を表わすが、商品は、孤立的に考察されたのではこの形態を決してとらず、つねにただ、第二の、種類を異にする商品との価値関係または交換関係のなかでのみ、この形態をとるのである。[74-75]
商品Bにたいする価値関係に含まれている商品Aの価値表現を立ち入って考察してみると、この価値表現の内部では、商品Aの自然形態はただ使用価値の姿態としてのみ意義をもち、商品Bの自然形態はただ価値形態または価値姿態としてのみ意義をもつ、ということがわかった。したがって、商品のうちに包み込まれている使用価値と価値との内的対立は、一つの外的対立によって、すなわち2つの商品の関係によって表わされ、この関係のなかでは、それの価値が表現されるべき一方の商品は、直接にはただ使用価値としてのみ意義をもち、これにたいして、それで価値が表現される他方の商品は直接にはただ交換価値としてのみ意義をもつ。したがって、一商品の簡単な価値形態は、その商品に含まれている使用価値と価値との対立の簡単な現象形態なのである。[75-76]
労働による生産物というものは、太古の昔から使用対象であり、使用価値であったが、この労働生産物が商品となるためには、使用価値を生み出す人間労働の抽象的一般的属性が対象化されうる、ある一定の社会の発展段階が前提とならなければならなかった。労働生産物が「商品」という形態をとる歴史的発展過程は、交換関係あるいは価値関係の発展、すなわち価値形態の歴史的発展過程と一致するものである。
だから、これまで見てきた「簡単な、個別的な、偶然的な価値形態」は、この歴史的発展過程の萌芽状態なのである。この価値形態においては、上着商品の等価形態は、リンネル商品の価値をリンネル商品の使用価値から区別するだけであり、リンネル商品が他のすべての商品と、質的な同等性をもっているとか、量的に一定の比率で関係しあっているとかということは表わさない。あくまで、上着は、リンネルとの関係のなかでのみ、等価形態をとる。
しかし、このことがまさに、必然的に、リンネル商品が上着商品以外の他のあれこれの商品との交換関係あるいは価値関係にはいってゆく可能性を示唆しているのである。リンネル商品と価値関係にはいる商品が、鉄であってもよいわけだし、小麦であってもよいわけである。そして、リンネル商品と鉄商品、リンネル商品と小麦商品との価値関係のなかで、さまざまな、「簡単な、個別的な、偶然的な価値形態」が生じ、この価値表現のケースは、リンネル商品とは異なる商品の数だけ存在する。すなわち、
商品Aの個別的価値表現は、商品Aのさまざまな簡単な価値表現の絶えず延長可能な列に転化する。[76]
z量の商品A=u量の商品B または=v量の商品C または=w量の商品D または=x量の商品E または=等々
20エレのリンネル=1着の上着 または=10ポンドの茶 または=40ポンドのコーヒー または=1クォーターの小麦 または=2オンスの金 または=1/2トンの鉄 または=等々……[B]
ここでは、いまやリンネル商品の価値はリンネル商品以外のすべての商品で表現され、そのことによって、この価値をつくりだす労働の一般的妥当性を表わす。この労働の一般的抽象的人間的労働としての性格が、はっきりと現われてくる。この価値形態のなかでは、リンネルは、もはや商品世界のなかの一要素として社会的関係のなかにある。そして、同時に、リンネル商品の価値を表現するうえで、それを体現する商品体の、あるいは使用価値のちがいは、まったく問題にならないということがしめされる。
等式[A]においてしめされた価値形態では、商品交換の量的な比率は偶然的なものであったのが、等式[B]でしめされる価値形態では、商品交換の量的比率を規定するものが見えてくる。リンネルと交換関係にはいり、リンネルの価値を表わすさまざまな商品は、それがいかに私的に個別に生産され、具体性の異なる商品であっても、それらが表わす価値が同じ大きさであるということは、個々の商品所有者の偶然的な関係は、まったく問題にはならないということだ。交換によって商品の価値の大きさが規制されるのではなく、商品の価値の大きさがそれらの交換比率を規制するのである。
等式[B]では、上着、茶、コーヒー、小麦、金、鉄などなどの商品は、リンネルの価値表現において、どれも等価物として通用する。これらの商品体そのものが、それぞれ等価形態である。リンネル商品以外のさまざまな商品をつくりだす特定の具体的有用的労働は、その商品の数だけ、特殊な等価形態として、すなわち、人間的労働の特殊な現象形態として通用する。
第一に、商品の相対的価値表現は未完成である。[78]
つまり、新たな商品が登場するたびに、新たな価値関係が結ばれ、新たな価値表現が生まれるから、その例示の列が完結しないのである。
第二に、この連鎖は、ばらばらな、さまざまな種類の価値表現の雑多な寄木細工をなしている。[78]
最後に――当然そうならざるをえないのだが――どの商品の相対的価値もこの展開された形態で表現されるとすれば、どの商品の相対的価値形態も、他のどの商品の相対的価値形態とも異なる価値表現の無限の一系列である。[78]
結局、すべての商品が、それぞれに、その商品以外の商品との価値関係のなかで相対的価値形態をとり、それ以外の商品が等価形態をとることになるから、それぞれの商品ごとに、その商品以外の数だけの無限の例示の列があらわれ、それが商品の数だけ無限に展開されるというわけである。
相対的価値表現の未完成な状態は、それと対応する等価形態にも反映する。等式[B]では、リンネルの等価形態である、上着、茶、コーヒー、小麦、金、鉄などなどは、おのおのが無数の他の特殊な等価形態とならぶ一つの特殊な等価形態として、リンネルと価値関係をむすんでいる。だから、それぞれの等価形態は、互いに別個の、排除しあった、制限された等価形態である。そして、これらの特殊な等価物となっている商品をつくりだした、それぞれの特殊な具体的有用的労働も、それぞれが、互いに別種類の、排除しあった、制限された労働形態である。もちろん、これらの特殊な具体的労働の形態の全体には、抽象的一般的人間的労働をふくんではいる。しかし、この価値形態のケースでは、結局、その一般的人間的労働は、統一的に姿を表わすことはない。
ところで、この等式[B]で展開された相対的価値形態は、等式[A]のおのおのの総計から形成されているということがわかる。たとえば、
20エレのリンネル=1着の上着
20エレのリンネル=10ポンドの茶
などの総計として。ここで、リンネル商品所有者の立場から、上着商品所有者や茶商品所有者の立場に立ってみよう。すなわち、これらの等式は
1着の上着=20エレのリンネル
10ポンドの茶=20エレのリンネル
を含んでいることがわかる。等式[B]で展開されているさまざまな商品との価値関係のなかに、すでに含まれていた、この逆の関連を実現すれば、新たな価値形態が現われる。
1着の上着 = ┐ 20エレのリンネル 10ポンドの茶 = │ 40ポンドのコーヒー = │ 1クォーターの小麦 = │ 2オンスの金 = │ 1/2トンの鉄 = │ x量の商品A = │ 等々の商品 = ┘
商品は、それぞれの価値を、いまや(1)簡単に表わしている、なぜなら、ただ1つの商品で表わしているからであり、かつ(2)統一的に表わしている、なぜなら、同じ商品で表わしているからである。諸商品の価値形態は、簡単かつ共同的であり、それゆえ一般的である。[79]
ここでマルクスは、交換関係の歴史的発展と重ねて、AやBでみてきた価値形態をふりかえって総括している。
Aでしめされた価値等式は、労働生産物が偶然、ときおり行なわれる交換によって商品に転化されるそもそもの始まりにおける姿を表わしている。ここでは、たとえば、1着の上着=20エレのリンネルとか、10ポンドの茶=1/2トンの鉄などのような交換関係が個別に偶然的にむすばれるから、リンネルに等しいもの、鉄に等しいものという、上着や茶のこの価値表現は、リンネルと鉄がちがうように、異なっている。
Bでしめされた価値等式では、リンネルの価値は、リンネル商品以外のあらゆる商品体の姿で、リンネル商品に対応し、Aでしめされた価値形態よりも完全に、一商品の価値を、その商品体(使用価値)から区別する。ただ、ここでは、これら価値を表現する商品体(等価物)は、すべて異なるものである。この価値形態が歴史上現われるのは、たとえば、家畜が、慣習的に他のさまざまな商品と交換されうるような段階である。
いま、私たちの前にあらわれた、この価値形態では、あらゆる商品が、ある一つの商品種、リンネルを等価物とすることによって、すべての商品の価値が、それらの使用価値から完全に区別されて、統一的に表現されている。
どの商品の価値も、いまや、その商品自身の使用価値から区別されているだけでなく、およそ使用価値というものから区別されており、まさにそのことによって、その商品とすべての商品とに共通なものとして、表現されている。だから、この形態がはじめて現実的に諸商品を互いに価値として関連させ、言い換えれば、諸商品を互いに交換価値として現象させるのである。[80]
前の2つの価値関係のなかでは、個々の商品の価値は、個別に、商品ごとに表現される。個々の商品が、それぞれの価値を体現する形態を他の商品に与え、等価物としての役割を負わせることは、それぞれの商品ごとに行なわれる。いま、私たちの前にあらわれた、この一般的価値形態においては、ある一商品以外のすべての商品が、それらの価値を、その一商品で表現している。ここでは、統一的等価物としてのその一商品が、他のすべての商品の価値をその商品体でもって表現するから、いまや、どの新しい商品種類も、この一般的統一的等価物によってその価値を表現することを余儀なくされるのである。
この一般的価値形態の成立が可能になるのは、商品が、ある一商品をその共通の、一般的統一的な等価物とならしめるまでの、数限りない商品交換、交換関係の発展が前提となる。この発展過程では、すべての商品の社会的関連が不可欠である。
諸商品の価値対象性は――それがこれらの物の単に「社会的な定在」であるがゆえに――諸商品の全面的な社会的関連によってのみ表現されうること、それゆえ、諸商品の価値形態は社会的に適用する形態でなければならないこと、が現われてくる。[81]
一般的統一的等価物によって表現されるすべての商品が、いまや、質的に等しいものとして現われてくる。と同時に、すべての商品が、同じリンネルという商品体にそれらの価値の大きさを反映させるので、それぞれの価値の大きさも、リンネルという共通の材料をもとにして量的に比較しあうことができる。あるいは、日本の江戸時代において“米”がさまざまな商品と交換されうる基本的生産物として現れる段階である。あるいは、ポル・ポト政権崩壊後のカンボジアのような(第1部第1章第1節の例)。
リンネル商品体は、いまや、いっさいの人間的労働の現象形態となる。リンネルをつくりだす織布労働という具体的労働が、同時に、一般的社会的に、他のすべての労働と同質であるということをしめす形態となる。こうして、商品価値として表われる労働全般が、その具体的形態や有用的属性とが取り除かれた労働として、消極的に表わされるだけでなく、むしろ、どのような労働も、人間的労働という共通の属性に、あるいは、人間的労働力の支出に還元される。
労働生産物を区別のない人間的労働の単なる凝固体として表わす一般的価値形態は、それ自身の構造によって、それが商品世界の社会的表現であることを示している。こうして、一般的価値形態は、商品世界の内部では労働の一般的人間的性格が労働の独自な社会的性格をなしているということを明らかにしている。[81]
相対的価値形態の発展の程度には等価形態の発展の程度が対応する。しかし――しかもこれは十分注意すべきことであるが――等価形態の発展は相対的価値形態の発展の表現であり結果であるにすぎない。[81]
Aでしめされた形態においては、相対的価値形態と等価形態との対立は、固定化されていない。同じ等式が、まえから読まれるかあとから読まれるかにしたがって、たとえばリンネルと上着という2つの商品が、あるときは相対的価値形態に、またあるときは等価形態になりうる。
Bでしめされた形態では、商品種類一つずつがその相対的価値を全面的に展開する。その商品種類以外のすべての商品がその商品種類の等価形態となり、その限りで、その商品種類が相対的価値形態を獲得している。ここでは、等式の両辺を置き換えることは、等式の性格そのものを、価値形態の全体的展開という姿から、一般的価値形態に転化させることになる。
Cでしめされた一般的価値形態においては、すべての商品に一般的社会的な相対的価値形態を与える。それは、とりもなおさず、一般的等価物となった商品以外のすべての商品は等価形態とはなれないからである。だから、一般的等価物となった商品が、相対的価値形態となって、その価値を表現しようとすれば、むしろ、Cの形態はさかさになって、Bでしめされた形態のように表現されなければならず、その価値は、ほかのすべての商品体の無限の列によって表現される。
一般的等価形態も、やはり一つの対立的商品形態なのであり、一般的に展開された相対的価値形態と不可分の形態である。だから、すべての商品が同時に等価形態となり、直接的交換可能性を帯びることは決してできない。しかし、このことは、一見しては容易にはわからない。物の属性を認識する過程について、マルクスがのべたある例を、さきにあげたけれども、それと同じ理由で、一般的等価形態のもつ一般的直接交換可能性という属性が、その商品そのものにそなわっているかのように見え、そのことが、こんどは、その直接的交換可能性の一般的性格ゆえに、すべての商品に、同時に、直接的交換可能性を押しつけることができるかのような幻想も、まま生まれてくるのである。しかし、これは、あくまで幻想である。
一般的等価形態は、それでもなお、さまざまな価値がとりうる一つの姿であって、どの商品もこの価値形態をとることができる。ただ、ある商品が、この価値形態をとるのは、その商品が、その商品以外のすべての商品にとっての等価物となるかぎりのことではある。この価値形態をとる商品が、一つの独自な商品種類に最終的に限定された瞬間、はじめて、あらゆる商品が、相対的価値形態として、一般的社会的に通用するようになる。そして、この一つの独自な商品種類は、貨幣商品となり、貨幣として機能する。その商品種類が、その商品社会のなかでもつ一般的等価物としての役割は、その社会の独占的地位をしめる。この特権的地位を、実際の歴史の上でかちとったのは、金であった。
20エレのリンネル = ┐ 2オンスの金 1着の上着 = │ 10ポンドの茶 = │ 40ポンドのコーヒー = │ 1クォーターの小麦 = │ 1/2トンの鉄 = │ x量の商品A = │ 等々の商品 = ┘
Dでしめされる価値形態は、Cの形態とくらべて、AからBへ、BからCへの移行にともなっておこった本質的な変化はない。ちがうのは、一般的等価形態をとる商品が、いまや社会的慣習によって、金という商品となり、一般的直接交換可能性という属性が金独自のその物体的形態に癒着しているということだけである。しかし、このことが可能なのは、あくまで金が商品社会の一員であったからにほかならない。労働生産物の交換関係の発展、価値関係の歴史的発展のなかで、金は商品世界のなかで、一般的等価物としての地位の独占をはたしたのであり、その瞬間から、貨幣となった。
貨幣として機能しはじめた金商品とむすばれる商品の相対的価値表現は、価格形態となる。一定量の価値の大きさは、その一般的等価物の一定分量で表わされるから、いまやその表現は、金のその社会における分量表現の慣習的呼称となり、マルクスの国では、「ポンド・スターリング」と呼ばれる。
ここは訂正しなければならない。「ポンド・スターリング pound sterling 」という貨幣の呼称は、イギリスの呼称である。「マルクスの国」という言い方はたいへん不正確だった。マルクスはドイツ生まれ(当時はまだ連邦制であったが)であり、この『資本論』が書かれていたころに在住(亡命)していたのがイギリスだった。