■FR−011■
太平洋  名古屋←→仙台←→苫小牧航路・洞爺湖遊覧船  室蘭めぐり
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写真 仙台港へ入港直前<いしかり>のスィートルームからの舳先

2000年 正月 大荒海初体験(^^) 北海道初の一泊大満足の船旅 ぶらっと再び太平洋フェリーで

●航海 往路・伊勢湾→太平洋 途次・洞爺湖 復路・太平洋→伊勢湾
@★★★★★ 往路 名古屋→仙台→苫小牧 太平洋フェリー<いしかり>スィートルーム 昼夜便
 総トン数:15,000.00 全長:192m 旅客定員:852名 航海速力:24.0ノット 主機 (最大出力):29,540馬力 車両積載数:トラック176台・乗用車150台
A★★★★☆ 付録 洞爺湖上遊覧船
B★★★★★ 復路 苫小牧→仙台→名古屋 太平洋フェリー<きそ>スィートルーム 昼夜便
 総トン数:14,000.00 全長:192m 旅客定員:842名 航海速力:24.0ノット 主機 (最大出力):28,800馬力 車両積載数:トラック176台・乗用車120台

●旅程 船中二泊+洞爺湖一泊+船中二泊 五泊六日
第一日目 京都→名古屋→名古屋港金城埠頭→
第二日目 →仙台港→
第三日目 →苫小牧港→苫小牧→洞爺湖 洞爺湖湖上遊覧船
第四日目 洞爺湖→室蘭→苫小牧→苫小牧港→
第五日目 →仙台港→
第六日目 →名古屋港金城埠頭→名古屋→京都

 

 昨年正月、太平洋フェリー名古屋・苫小牧航路初制覇を果たしての北海道初上陸は僅かに七時間ほどであった。今回は北の大地で一泊することになった。これは、たまたま思い立つことになった年始の変則ダイヤからの贈り物であった。普段はこの航路は隔日運行なのだが、年始の配船の都合で帰路の苫小牧からの便が二日連続重なることになったからである。
 そして 平成十一年(1999) 十二月三十日 やっぱり年始は北海道へ行こうかなぁ・・・。思い立ったが吉日、太平洋フェリーへ電話を入れたのはもう夕方近くのことであった。多分営業所は仕事納めの最中だったのだと思う。年始の運行スケジュールを訪ねると定期運行の名古屋発苫小牧行きは一月三日の<いしかり>とのこと。帰路<いしかり>は仙台までの折り返し便とのことで翌日にしか名古屋へ戻る便はないとのこと。でも、この日程では往きはよいよい帰りは怖いのクチではと、ちょっと不安を抱きながらも予約状況を訪ねてみると往路は問題なくスィートルーム確保、復路は特等が一室あるだけとのことだった。ま、いいか、と取りあえず予約を入れる。帰路のスィートルームはキャンセル待ちと言うことで呉々も宜しくとお願いしておき電話を切るなり営業部の某氏へメールを入れておいた。見て下さるかなぁ・・・。
 で、とにかく年が明け一月三日新幹線で名古屋へ、駅地下街で味噌煮込みきしめんを食して後、名古屋港今上埠頭へ。乗船書類に必要事項を記入して窓口へ差し出すとにこやかに対応してくれた女性係員がコンピューターを操作してまもなく
 「本日ご出発、お帰りは六日の<きそ>ですね。往復ともスィートで宜しいですね。」
 「えっ帰りのスィートとれてるのですか?」
 「ええ、往復スィートですよ。」
 「ありがとう!(^^)」
 瞬間心の内で万歳! 何と幸先のいい今年の船出と感謝しながら乗船券を無事入手。
 洞爺湖温泉は手作り料理を誇る家族的な雰囲気というホテルを予約。ひとまず首尾は上々と相成った。

 

【第一日目】

●往路 名古屋→ 太平洋フェリー<いしかり> 今世紀最後2000年、北海道への初航海は初荒海
 ちょっと怪しげな雲行きに微かに懸念を抱きながら名古屋港金城埠頭を定刻に出港。入り組んだ水路を微速で進みながらやがて港を出た<いしかり>は順調に航海を始めていた。
 ちょっと怪しげな雲行きに微かに懸念を抱きながら名古屋港金城埠頭を定刻に出港。入り組んだ水路を微速で進みながらやがて港を出た<いしかり>は順調に航海を始めていた。
 案内嬢に導かれ部屋に入るブリッジの真下の左舷角部屋である。パンフレット写真通りに入るなり正面にサイドビューの展望浴室、ゆったりとしたリビングルームには楕円状にセンターテーブルを囲むように長椅子タイプのソファと椅子が配され夕に十人くらいは集えそうなゆったりとした配置、コーナーにはカウンターバーがあり、ゆったりと化粧台兼用ライティングデスク、ロッカー、それにツインベッド。冷蔵庫にはサービスドリンクの他に有料の飲み物やつまみの類がセットされていた。ここ太平洋フェリーの各船のスィートルームに嬉しいことに湯飲みやコーヒーカップ、各種サイズのグラス類やアイスペールまでもが備えられているのが嬉しい。ポットも電気ポットである。
 しかし、伊勢湾を抜け舳先を東に向けて太平洋へ出て渥美半島沖を航行し始めると波は高まり始めていた。そして、揺れた揺れ続けた・・・。

 

【第二日目】

往路 →仙台→ 太平洋フェリー<いしかり> 仙台入港、苫小牧へ向けて出港
 どうやら天候は悪化しているようで今回は海の女神様の恵みも怪しげな様子である。
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写真 左:<いしかり>のブリッジ内 右:同ブリッジ内、ナビゲーターデスクの天上には神棚があった。

 ブリッジ見学の際には神棚に穏やかな航海を祈ったが・・・。怪しげな雲行きは我々を追ってきたのか、あるいは我々が追っかけているのか定かではないが、どうやら今回は女神様には見放されたようであった。しかし、落胆はしていなかった。思い返せば思い立っての船旅を初めて以来、揺れる船旅は憶えがない。たまに大揺れも大いに興味深いものがあった。
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写真 左:仙台港へ入港直前<いしかり>のスィートルームからの舳先 右:仙台港入港時に迎合した<ぱしふぃっくびぃーなす>

 やがて仙台港に差し掛かると防波堤の中は穏やかであった。前方に岸壁が近づく頃、左舷に向かいの岸壁に接岸していた<ぱしふぃっくびーなす>を見る。正月クルーズから帰港してところなのか、ちょっと小振りな印象だがさすがに客船の姿は優美なモノである。
 仙台港では三時間の停泊。定刻20:00就航して苫小牧へ向かう。

 

【三日目】

●往路 →苫小牧 太平洋フェリー<いしかり> 少々遅れて苫小牧港入港、洞爺湖へ向かう
 苫小牧港からは連絡バスで苫小牧駅へ移動。駅前回転鮨「くるくる」(以前に駅までの連絡バスの運転手さんに教えてもらってお気に入りの店)で腹ごしらえ。苫小牧駅で、そんなに混んではいないだろうと決め込んで自由席特急券を購入。これが失敗のもと、冬の北海道の特急列車はどうやら混雑するのが常らしい。そんなこととはつゆ知らず乗り込むと超満員。洞爺湖温泉駅までは小一時間で行くのだがここは旅の常、グリーン車へ移動して空席発見確保鎮座。もちろん料金はちゃんと車掌さんに差額をお支払いした。そして、おちつきくつろぐほどの暇もなく、ちょろちょろ車窓を眺めるうちに洞爺湖温泉駅へ到着。
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写真 三枚とも:JR苫小牧駅

 初めて降り立つ駅だが駅というモノの造りは何処もそんなに複雑なモノではないから直ぐにバス乗り場は発見できた。洞爺湖温泉と表示された路線バスで洞爺湖温泉へ向かう。暫く市街地を走り間もなく丘陵地帯を上る感じで峠を越えた。峠を下り始めると程なく車窓に洞爺湖の眺めが広がってきた。
 午後三時頃に到着。前もって宿のおよその位置は地図で確認していたので散策を兼ねて徒歩で向かう。バスターミナルは温泉街の端にある。宿はほぼ反対の向こうの端の方にあるのだがせいぜい500m位のはずである。北海道は寒いのだが、車中も建物の室内もどこもかも暖房は行き届いているので降り立って直ぐの外の冷気は不思議に心地いい。足下は凍てついているので慣れない身には少々心許ないがこれもまた旅情のひとつである。正月明けの温泉街は賑わいのあとの静けさに包まれていた。
 ぶらぶら温泉街のメインストリートを行き当たった辺り右手に宿はあった。ひとまず宿へチェックイン。
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写真 二枚とも:洞爺湖温泉街へ向かう路線バスの車中から洞爺湖を見る。
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写真 宿から出て黄昏時の洞爺湖畔散歩の時に撮影 左:湖上遊覧観光船桟橋 右:湖上を行く観光船

 宿は手作り料理を得手とするそうで、ホテルのような旅館のような温泉街特有の趣。女将さんやフロントの人たちは人の良さそうな感じで笑顔を絶やさないのが好感を持てた。
 案内された部屋は湖側ではなく反対側で山に向かって窓があったが小生にとってはどちらでもかまわなかった。間近に迫る山は有珠山である。ひとまず、お茶を入れちょっとひとやすみの後、湖畔の散歩に出かけることにして部屋を出る。フロントにさしかかると番頭さんが
 「お出かけですか?」
 と気さくに声をかけてくれる。
 「ええ、ちょっと散歩でもしてこようと思っています。」
 「そうですか。よろしければこれをお使い下さい。」
 と街の地図を記したリーフレットなどと一緒に観光船の割引券をくれた。これはありがたい。(^^) 小生としては宿には申し訳ないが宿そのものにはさほど感心はない。ここ洞爺湖での一泊を決めたのも湖上遊覧観光船がここは冬季でも休むことなく運航していることを確認していたからでもあった。活火山と一体となった温泉街に面した湖なのだから、地熱などもあって凍結しないのであろうと勝手に納得していた。
 「ありがとう。船は動いてますよね?」
 「ええ、もちろん動いていますよ。今からならまだ最終の時刻に間に合いますよ。」
 今日はもう無理か、明日乗ってみようと思っていた小生にとってはありがたい情報であった。早速、宿を後にして湖畔の散策路を観光船の桟橋の方へと向かった阿。さっきバスターミナルから宿へ向かったときは心地のいい冷気が今度は冷たい。陽が陰り一気に温度が下がってきたようだ。ほどなく観光船の桟橋へ到着する。さすがに北海道での夕暮れの寒気は肌を突き刺すような厳しさである。最終便の乗船券を買い求める発券窓口に人影はない。桟橋に接岸した船から下船する人影もまばら。
 宿でもらった割引券を差し出し乗船券を買い求める。桟橋に接岸した観光船はお城を模した双胴船で何ともほほえましい。誰も乗りそうにない船に乗り込むとイス席が並んでいた。二百席くらいはあった。乗船するとあとから一組の家族四人が乗船、最終便の乗客は他には居ない。船名は<エスポワール>と記されていた。ゆったりとしすぎた船室、階段を上るとデッキに出るが外気は冷たく痛い。それでもすがすがしい冷気に北国の趣を満喫する。船は背後に温泉街の町並みを遠ざけながら湖上に浮かぶ中島へ向かう。中島の向こうには遠く要諦山の雄姿が黄昏に白く輝いていた。およそ四十分くらいで船は中之島を回遊して桟橋への帰途に。
 温泉街の街並み越しに見える有珠山の雄姿が夕映えに輝いていた。その左手に見える勇壮な岩々は昭和新山なのだろうか。

 

第四日目】

復路 苫小牧→ 太平洋フェリー<きそ> 室蘭のフェリーターミナルと地球岬、そして再び苫小牧港から
 昨日は予想外に湖上遊覧船最終便に乗船できたので最早洞爺湖には申し訳ないが長居は無用であった。さりとて洞爺湖から苫小牧へ向かうには直行するには少々時間が余り気味。そこで洞爺湖から苫小牧まではのんびり行こうと、まずは路線バスで昭和新山を巡り海岸線を走り室蘭湾を周回して室蘭市街地へ向かう経路を選択。ゆっくりの朝食を済ませて直ぐに宿をチェックアウト。路線バスに乗って室蘭へ向かう。
 洞爺湖畔沿いの湖岸道路を湖を左手に、右手に有珠山を見送りながらバスはやがて右折して峠を越える。その辺りでは昭和新山が車窓の間近に迫る。迫力ある景観に見とれるうちに伊達紋別の市街地にさしかかり左折して内浦湾海岸沿いの国道を南下する。一時間あまりあって峠を越えると前方に室蘭湾が姿を現す。バスはこの室蘭湾を巡り東室蘭から室蘭へと向かう。およそ二時間のバスの旅の後、室蘭市街地に到着する。旧室蘭駅舎を活用した観光案内所近くのバス停で下車し、案内所で地図を入手、同所の休憩所らしきソファでひとやすみの後、市街地を散策。
 特に市街地では代わり映えもないので繁華街を出たところに止まっていたタクシーに乗ることにした。そのタクシーでフェリーターミナルをとにかく見学と・・・。ここ室蘭港は以前は鉄道駅とも間近で賑わっていたようなのだが最近では鉄道は駅を移転してしまいちょっと寂しげに広々としていた。寒風吹きすさむ中、停泊中の船舶もなかったのでタクシーで港域内を一周して外見見学とした次第です。
 で、鯨が見られると言う地球岬へ行くことにしました。運転手さんの話では
 「途中の道が凍っているといけないかも知れません。」
 とのことであったが、まだまだ時間がありましたから引き返すこと承知の上で地球岬へ向かってもらうことに。幸い曲がりくねった坂道に凍結はなく地球岬に到着。ピューッと音を立てながら吹き抜ける寒風にふるえながらも誰もいない岬の展望台へ昇りました。鯨は何処にいるのやら・・・。余りの寒さに震えながらすぐさま車に戻ると運転手さんが
 「少し行ったところに私の好きなポイントがあるのですが宜しければお行きになりませんか?」
 と遠慮しながら誘ってくれる。メーターが上がるのを気にしてくれていたらしいが、もちろん素直に頷きお勧めポイントへ向かった。
 眺望は確かに素晴らしかった。しかし凍てつく、正に痛いとでも言うべきみぞれ混じりの強い風が頬を攻撃してくる。ドアを開けタクシーからは降車したのも束の間、直ぐに引き返しJR室蘭駅に駅に向かった。
 新しく移転された駅舎で周囲はまだがらんとしていて独居のていであった。とにかく待合室へ入り暖をとりながら暖かい缶コーヒーブレイク。やがて列車の発車時刻が近づきホームへ向かう。ここはいわゆる突き当たりのターミナル駅である。改札口から繋がるホームに列車は鼻先をこちらに向けて停車していた。東室蘭までの支線なので確か列車は二両編成の普通列車。東室蘭駅で乗換えて苫小牧まで三十分足らず。苫小牧駅からはタクシーで苫小牧港へ。午後四時過ぎには辿り着いてしまっていた。
 苫小牧港ターミナルビルの待合室から真ん前に見える岸壁には<きそ>は既に接岸している。だが乗船時刻までにはまだ二時間近くを余している。売店を覗いたりしているうちに<きそ>の後方の岸壁に真新しいフェリーが入港してきた。川崎近海汽船の八戸・苫小牧航路<シルバークィーン>だった。雪が降りしきり空模様はかなり怪しげである。
 一巡して手持ちぶさたな身をベンチに横たわりまどろむうちに、ようやく乗船案内のアナウンス、午後六時、出港一時間前であった。初めて乗船する機会に恵まれた<きそ>に乗り込む。

●<きそ>スィートルーム
 初めて乗船することになる船の場合はいつものことなのだが、ことのほか心躍る思いが巡る。太平洋フェリーの三隻のうちでは最も古い船舶ではあるが、それはまたそれなりに興味をひかれていた。タラップを上り乗船。迎えてくれるクルーのみなさんの笑顔は太平洋フェリーのあの微笑みに変わりはない。
 案内所で乗船券(太平洋フェリーでは搭乗券と記されているが)を乗船口で手渡すと、係の人が案内所へ連れてくれてキーを受け取り、部屋まで荷物を持ってくれ案内してくれるのも<きやかみ>や<いしかり>と同じである。確かに比べるとロビー辺りの趣はやや古めかしいがそれはそれで情緒があっていいのではなかろうか。
 部屋に入ると右手に浴室(トイレ共)、正面に寝室、左手にリビングルームが阿配されていた。初乗船船舶<きそ>に興味深々で早速テーブルに置かれていた案内書などに目を通す。デッキプランを見るとこの船の何よりもの特長のひとつはデッキを回遊できるプロムナードがあることであるようだ。この船室は左舷角部屋のスィートルーム。窓の外を覗くとその通路が巡っている。横にも前方にも。
 ゆったり広々とした雰囲気の<きたかみ><いしかり>の部屋とはちょっと趣が異なりリビングルームとベッドルームが独立していて、いわゆるスィートの名に相応しい本来の間取りとなっていた。ベッドルームは定員四人用で二段ベッドが通路を挟んで左右にある。普段は二人用として使用して居るらしく上段は壁際に納められていた。前方にフロントビューの船窓があり、そちら進行方向が枕元にしていた。入口左右にはデスクがあり片方にはテレビが置かれている。テレビはリビングの方にも大型のモノが置かれていたから太平洋フェリーのスィートルームではどの部屋にも多分テレビは二台置かれているのであろう。
 しかし、空模様は益々怪しい。降りしきる雪が視界を遮り時折見下ろす海面すらが見えなくなる。船内アナウンスからは三十分前、十五分前のドラの音が響くのだが、降りしきる雪は益々激しさを増しているようであった。やがて定刻19:00出港しない・・・。数十分遅れたのであろうか、タグボートに曳かれながら<きそ>は吹雪の中を岸壁から離れた。苫小牧港は外海に面した海岸線にあるから港を出ると直ぐに太平洋へ出てしまう。かくして、揺れた、大きく揺れ始めた、揺れる・・・、揺れる。
 揺れる最中、揺れは益々ひどくなるようであったがつまみ食いを重ねていたので空腹感は覚えない。さりとて眠るには早すぎるので持参していたビデオ「タイタニック」をリビングのテレビ(VTR付き)で鑑賞する。何とも臨場感溢れる趣がある。(^^)
 あまりにも揺れがひどいのでVTRを見ながらこの夜の夕食は部屋での持ち合わせの残飯ディナーとなった。(^^)

 

第五日目】

→仙台→ 太平洋フェリー<きそ> 大揺れ・・・
 大揺れに揺れて降りしきる雪の中を航行してきた<きそ>は、定刻09:00より遅れること約一時間、仙台港に無事入港した。昨夜よりは少々天候は回復してきて居たようだが、まだまだ怪しげな空模様。
 仙台港は珍しい造りの人造の港である。かなりの大工事であっただろうと察するが地面を掘削して作り上げられた運河のような港なのだ。入港する時にはその運河のような狭い水路を航行して前進のままでスムーズに接岸する。出港するときは非常におもしろい。その狭い水路でタグボートに曳かれて旋回して舳先の向きを変え太平洋へと向かうのだが、この時は丁度昼食時と重なる。レストランで食事をしながらその様子を見入っている間にはどういう訳か軽やかなウインナーワルツが流れている。
 この日は仙台港を出港してから暫くして僚船と行き交うときのブリッジ見学は荒天のために行われなかった。

 

第六日目】

→名古屋 太平洋フェリー<きそ> やや遅れて名古屋港へ
 昨夜は、その前夜苫小牧からの航海に比べれば揺れはかなり収まっていた。それでもそれなりの揺れにすっかり夢見心地となって熟すして目覚めると<きそ>は伊良湖岬沖を航行していた。ほどなく右へ旋回して伊勢湾へ入る。波もすっかり収まるはずである。もう大揺れは楽しめない。(^^)
 この航路での伊勢湾での定石行動としての朝シャン、コーヒーブレイク、バイキングの朝食、再び部屋での最終コーヒーブレイク。そして名古屋港湾に入った<きそ>は左へ旋回、金城埠頭へ向かう水路を静かに微速で航行し、やがて沿岸道路の大橋の下を潜り抜けて大きく右に旋回して着岸した。
 大揺れの船旅は終わった。それでも、やはり楽しい船旅であった。やはりと言うより船旅でこその大揺れを満喫しての大満足の船旅であったと言うべきであろう。(^^) しかし揺れた・・・、揺れた・・・。大揺れの大航海だった。

 

■後日追記 2001年 秋 10月中旬
 北海道は寒かった。そして、とにかく揺れた・・・。そんな思いが甦ります。この船旅の後、有珠山は噴火を起こし洞爺湖温泉街は災害に見舞われた。しかも、あの日は小生の誕生日だった。街のみなさんは長期間の避難生活を余儀なくされていたようであったが、人ごとは思えず為す術もないままにひとり心痛めていたばかりでした。でも、その後、避難生活から解放されて再び温泉街は活気を呈しているとのこと、ほっと一息、胸をなでおろしました。

 

@B太平洋フェリー  A洞爺湖汽船

 

1998 H10
■FR−001■ ■FR−002■
1999 H11
■FR−003■  ■FR−004■  ■FR−005■  ■FR−006■  ■FR−007■  ■FR−008■  ■FR−009■  ■FR−010■  ■BANGAI-1999■
2000 H12
■FR−011■  next02.gif (38489 バイト)■FR−012■  ■FR−013■  ■FR−014■

思い立っての船旅 前世紀・1998-2000