小倉百人一首/女房 19人

*右大将道綱母は宮仕えの記録がないが、便宜上ここに加えた。


小野小町
009 花の色はうつりにけりないたつらに わか身よにふるなかめせしまに

伊勢
019 なには潟みちかきあしのふしのまも あはてこのよを過してよとや

右近
038 わすらるゝ身をは思はす誓ひてし 人のいのちのおしくも有かな

右大将道綱母
053 なけきつゝ独ぬるよの明るまは いかに久しきものとかはしる

儀同三司母
054 わすれしの行すゑまては難けれは けふをかきりのいのちとも哉

和泉式部
056 あらさらん此よの外のおもひ出に いま一度のあふ事も哉

紫式部
057 めくりあひてみしやそれとも分ぬまに 雲かくれにしよはの月哉

大弐三位
058 有馬山猪名のさゝ原風ふけは いてそよ人をわすれやはする

赤染衛門
059 やすらはてねなましものをさよ更て 片ふくまての月を見しかな

小式部内侍
060 大江山生野ゝみちの遠けれは またふみも見すあまのはしたて

伊勢大輔
061 いにしへの奈良のみやこの八重桜 けふこゝのへに匂ひぬるかな

清少納言
062 よをこめて鳥のそらねははかるとも 世にあふさかの関はゆるさし

相模
065 うらみ侘ほさぬ袖たにある物を 恋に朽なむ名こそおしけれ

周防内侍
067 春の夜の夢はかりなる手枕に 甲斐なくたゝん名こそおしけれ

祐子内親王家紀伊
072 音にきくたかしのはまの化波は かけしやそてのぬれもこそすれ

待賢門院堀河
080 長からん心もしらすくろ髮の みたれて今朝はものをこそ思へ

皇嘉門院別当
088 難波江のあしのかりねの一夜ゆへ 身をつくしてやこひ渡るへき

殷富門院大輔
090 見せはやなをしまのあまの袖たにも ぬれにそぬれし色はかはらす

二条院讃岐
092 わか袖はしほひに見えぬおきの石の 人こそしらねかはくまもなし


[メモ]中古の名高い女流歌人はなるべく漏らさないようにとの配慮が窺われる。ことに56番和泉式部から62番清少納言までは一条朝頃の女房歌人が七人並び、壮観を呈する。が、紫式部にせよ小式部内侍にせよ、歌人としての実力から言えば、撰に漏れた中務徽子女王馬内侍などに劣っていると言うべきであろう。また院政期以降の女性歌人では、小侍従宜秋門院丹後俊成卿女宮内卿といった新古今の代表的女流歌人の不在が注意される。


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