源仲正 みなもとのなかまさ 生没年未詳

清和源氏。仲政とも書く。生年は治暦二年(1066)頃か。没年は保延三年(1137)以後。頼光の曾孫。三河守頼綱の息子。母は小一条院女房、中納言局。頼政・頼行・三河(忠通家女房。千載集ほか作者)・皇后宮美濃(金葉集ほか作者)らの父。
堀河天皇の応徳三年(1086)、蔵人所雑色。嘉保二年(1095)、六位蔵人。白河院の信任を得て、永長元年(1096)、検非違使。皇后宮大進などを経て、永久・元永年間(1113-1120)、下総守に任ぜられ下向。その後下野守を経て、従五位上兵庫頭に至る。
長承年間(1132-1134)から保延二年(1136)頃にかけて、藤原為忠主催の両度の百首和歌(「丹後守為忠朝臣百首」「木工権頭為忠朝臣百首」)に参加。ほかに俊忠顕輔らの主催した歌合にも出詠している。源俊頼とも親交があった(詞花集)。金葉集初出。勅撰入集は計十五首。『蓬屋集』という名の家集があったらしいが、現存しない。『源仲正集』は後世の編。

  4首  4首  4首  4首  2首  1首 計19首

林中桜

桜咲くうしろのかたの里ばやし春はむかひになりにけるかな(夫木抄)

【通釈】桜の咲く、家の裏方の里林。春は花ばかり眺めているから、こっちの方が正面になったのだなあ。

【語釈】◇里ばやし 人家の近くにある林。

【補記】桜の開花によって、家の「むかひ」と「うしろ」、即ち表と裏が逆転するという着眼のおもしろさ。「うしろのかたの里ばやし」などは当時の口語を取り入れたものと思われるが、決して俗調には落ちていない。

毎春花芳といへる心をよめる

春をへてにほひをそふる山ざくら花は老こそさかりなりけれ(千載71)

【通釈】いくつもの春を咲いて来て、さらに艶をます山桜――花は老いてからが盛りなのだなあ。

古砌菫菜

すみれ咲く奈良のみやこの跡とては(いしずゑ)のみぞ形見なりける(為忠初度百首)

【通釈】スミレが咲く奈良の都の跡と言えば、礎石ばかりが昔を偲ぶよすがなのだ。

【補記】『為忠初度百首』は、長承三年(1134)末頃、鳥羽院の近臣であった藤原為忠(?〜1136)が催した百首歌。若かりし藤原俊成や源頼政も参加しており、また近親・友人を集めての内輪の歌会であったためしばしば大胆な表現が見え、和歌史上に異彩を放つ百首歌である。掲出歌も珍しい歌題に挑んでいるが、平城旧京の形見を礎という人工物の遺跡に見ている点、当時としては新鮮な発想であった。

野外糸遊

野辺みれば春の日暮のおほ空に雲雀とともにあそぶ糸遊(いとゆふ)(為忠初度百首)

【通釈】野辺を眺めると、春の夕暮の大空に糸遊がたちのぼり、雲雀と一緒にたわむれている。

【語釈】◇糸遊 陽炎。かげろうを意味する漢語「遊糸」に由る語という。

【本歌】作者不詳「和漢朗詠集」
かすみ晴れみどりの空ものどけくてあるかなきかにあそぶ糸遊

雲間郭公

ほととぎす五月の空やなつかしき雲にむつれて過ぎがてに鳴く(為忠初度百首)

【通釈】ほととぎすは五月の空が懐かしいのか、雲にまといつくようにして、立ち去るのが惜しそうに鳴いている。

【本歌】紀友則「古今」
夜やくらき道やまどへる郭公我が宿をしも過ぎがてになく

更衣

夏来れば(しづ)麻衣(あさぎぬ)ときわくる片田舎こそ心やすけれ(夫木抄)

【通釈】夏になると、粗末な麻の衣を解いて、単(ひとえ)の着物に作り直して過ごす。そんな片田舎の暮らしこそ、気楽で良いのさ。

【語釈】◇ときわくる 「袷(あわせ)を解いて単物(ひとえもの)にする」(岩波古語辞典)。

夏夜暁月

かりそめの夕涼みなるうたた寝にやがて有明の月を見るかな(仲正集)

【通釈】ちょっと夕涼みをしているうちに、転た寝してしまった。そのまま夜明けを迎えてしまって、有明の月を見るとはなあ。

【語釈】◇有明の月 ふつう、陰暦二十日以降の月。月の出は遅く、明け方まで空に残る。

【補記】趣向は決して新しいものではないが、まるで作者の日記でも読むような親密さが感じられる。仲正の歌には自己の生活感に根差そうという志向が見られ、当時としては新しい態度であった。

樹陰納涼といふ事を

河風にうは毛ふかせてゐる鷺の涼しくみゆる柳原かな(玉葉424)

【通釈】川風に羽毛を吹かせている鷺が涼しげに見える、柳の生えた河原であるよ。

水辺萩

白波は夜半に立ちきて(みぎは)なる萩のしづえの花やぬすまむ(仲正集)

【通釈】夜の間に波が立って、水辺に生えている萩の下枝の花を盗んでゆくのではないか。心配だ。

【語釈】◇花やぬすまむ 波が萩の枝にかかり、花を運び去ってゆくことを「花を盗む」と言い表した。

鹿

さを鹿は命を妻にかへんとや猟夫(さつを)が笛になくなくもよる(仲正集)

【通釈】牡鹿は、自分の命を妻と引き換えにしようというのか、鳴きながら猟師の鹿笛に近寄ってゆく。

【語釈】◇命を妻に… 自分の命を犧牲にして妻を救う、ともとれるが、そうでなく、鹿笛を雌鹿と思い込み、その結果として命を落とす、ということだろう。

小鷹狩

雲雀とるこのり手に据ゑ駒なべて秋の刈田にいでぬ日ぞなき(為忠後度百首)

【通釈】コノリを手に据え、馬を並べて、秋の収穫期の田へ稲を荒す鳥たちを捕えに毎日出掛けてゆくのだ。

【語釈】◇雲雀とる 「このり」にかかる枕詞的修飾句。特に雲雀を狩するわけではあるまい。◇このり ハシタカの雄。

水岸菊

時ならぬ雪のつつみと見ゆるまで池をめぐりて咲ける白菊(為忠初度百首)

【通釈】季節外れの雪が積もって堤をなしたかと見えるほど、池を廻って咲いた白菊の花。

時雨

梢よりひと時雨して過ぎぬなりしづえの紅葉ぬれもはてぬに(夫木抄)

【通釈】通り雨に遭って、木の下に雨宿りした。梢にさっと一しぐれあって、雨は通り過ぎてしまったよ。下枝の紅葉さえすっかり濡れないうちに。

【語釈】◇梢より この「より」は動作の経由地をあらわす助詞。時雨(晩秋から初冬にかけての通り雨)が梢をさっと通り過ぎていったさまを言う。

水上雪といふ事をよめる

もろともにはかなき物は水のおもにきゆればきゆる泡のうへの雪(風雅860)

【通釈】命運を共にする果敢ないもの――水の上に浮かぶ泡と、その上に降りかかる雪。泡が消えるが早いか、雪も消えてしまうのだ。

うなゐ子が流れに浮くる笹舟のとまりは冬のこほりなりけり(夫木抄)

【通釈】うない髪の子が、川の流れに浮かべた笹舟――その行き着く泊りは、冬の川面に張った氷だった。

【語釈】◇うなゐ子 うなじのあたりで束ねて垂らした髪形をした子供。十二、三歳くらいまで。◇とまり 舟が碇をおろす所。碇泊地。

夜雪

夜もすがら伏屋(ふせや)がうへにつむ雪をいくたび掻きつ(こし)の里人(仲正集)

【通釈】一晩かけて伏屋の屋根に積もった雪を、翌朝、何度掻き下ろしたことだろう、越の国に住む人たちは。

【語釈】◇伏屋 地に伏しているように見える、屋根の低い家。

契久恋

思ふとは摘み知らせてきひひな草わらは遊びの手たはぶれより(為忠初度百首)

【通釈】あの子が好きだと、雛草(ひいなぐさ)を摘んで贈って知らせたっけ。子供の遊びのいたずらでさ。

【語釈】◇契久恋 契(ちぎ)り久しき恋。約束を交わしたのに、その後長く成就されない恋。この歌では「契り」を幼年時代の遊びとした。◇ひひな草 ハコベ(ひよこ草)。子供の遊びに使われた。

【補記】「ひひな草」「手たはぶれ」、いずれも以前の和歌には見られなかった語彙。歌題を広く自由に取材した誹諧的な歌風は金葉集頃の歌人に多く見られる傾向であるが、仲正ほど奔放に詠んだ人は他に見当たらない。

寄躑躅恋

浅からぬ思ひを人にそめしより涙の色は濃躑躅(こつつじ)の花(仲正集)

【通釈】浅くない心で人に恋しはじめてから、私の涙の色は、濃い紅の躑躅の花の色。

【補記】血涙を濃躑躅の色に喩えてみせた。それだけといえばそれだけの歌。「浅からぬ」「そめ」「色」「濃躑躅」は縁語となる。

山寺

住まばやな峯のしきみの花を折り谷の水くむ山の小寺に(仲正集)

【通釈】住みたいものだ。峯に生えている樒の花を手折ったり、谷の水を汲んだりして仏に供える、そんな小さな山寺に。

【語釈】◇しきみ 樒。モクレン科の常緑低木。芳香があり、仏前に供えたり、葉から抹香や線香を作ったりする。春、黄白色の花が咲く。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日