藤原俊忠 ふじわらのとしただ 延久五?〜保安四(1073?-1123) 通称:二条帥

父は大納言忠家、母は権大納言藤原経輔女(公卿補任)。基忠の弟。俊成の父。生年は延久三年・五年両説ある。
応徳三年(1086)十一月二十日、侍従。寛治二年(1088)正月五日、従五位上。以後、左少将・右中将・蔵人頭などを経て、嘉祥元年(1106)十二月二十七日、参議に就任。永久二年(1114)正月五日、従三位。保安三年(1122)十二月十七日、権中納言。同二十一日、大宰権帥を兼ねる。同四年七月九日、薨。公卿補任によれば五十一歳。
主に堀河院歌壇で活躍。寛治五年(1091)の白河上皇大井川御幸に際し献歌。内裏歌会や堀河院艶書合などに出詠した。長治元年(1104)には自邸で歌会を催し、藤原基俊源俊頼祐子内親王家紀伊藤原仲実ら当時の有力歌人の多くが参加している。家集『俊忠集』がある。金葉集(二度本)に三首入集したのをはじめ、代々の勅撰集に二十九首入集。後鳥羽院撰「時代不同歌合」に歌仙として撰入。

堀河院御時内裏歌、題、祝

祝ひつつしめゆふ竹の色見れば御代のけしきは空にしるしも(俊忠集)

【通釈】祈りながら竹に標縄を張る――その竹の常緑の色を見れば、我が君の御代のありさまは空にまではっきり表れている。

【語釈】◇竹の色 竹の葉の色。竹は常緑で、生育力が強いので、めでたい植物とされた。◇御代 竹の節(よ)の意が響く。

家の歌合に花橘をよめる

五月闇花橘のありかをば風のつてにぞ空に知りける(金葉148)

【通釈】五月闇の中、橘の花のありかを、風が空に花の香を伝えてくれたお蔭で、それとなく知ることができた。

【語釈】◇五月闇 五月雨(梅雨)が降る夜の闇。◇花橘 実に対して橘の花を言う。◇風のつてにぞ 風を伝達者として。風が橘の花の香を運んで来たことをいう。◇空に知りける 風が花の香を空に漂わせるため、橘のありかをどのあたりと知ることができた。「空に」には「当て推量で」といった意味が掛かる。

【補記】長治元年(1104)五月二十六日、俊忠が自邸で催した十三番の歌合、四番「盧橘」左勝。判者源俊頼の判詞は「風のつてにぞなどつづきたる程いとをかしく、にほひ多かるここちして、まぢかくて身にしむよりも、咲きまさりたるにやとぞ見たまふる」。

【他出】俊忠集、古来風躰抄、題林愚抄

顕隆卿家歌合に、女郎花をよめる

夕露の玉かづらしてをみなへし野原の風に折れや伏すらむ(金葉231)

【通釈】夕露の髪飾りをして、女郎花は野原の風に靡き、露の重みのために折れ伏しているのだろうか。

【語釈】◇夕露の玉かづらして 夕露を花びらに乗せているのを、女郎花が玉鬘(髪飾り)をしている様に喩える。

【補記】藤原顕隆(1072〜1129)の家で催された歌合の歌。『俊忠集』の詞書は「八条の家にて歌合に、草花露」。

【他出】俊忠集、古来風躰抄

同じ艶書とてよみ侍りける

三島江のかりそめにさへ真菰草ゆふ手にあまる恋もするかな(新勅撰895)

【通釈】三島江の真菰草を刈り取り、結い束ねると手に余るように、一時限りだけのつもりが、自分の手に負えなくなってしまった恋をするものよ。

【語釈】◇三島江 かつて河内平野を満たしていた湖のなごり。摂津国の歌枕。真薦・蘆などの名所。現在の大阪府高槻市の淀川沿岸にあたる。◇かりそめ 「刈り」と掛詞。◇真菰草(まこもぐさ) イネ科の多年草。沼沢に群落をなす。葉は莚に使われた。「刈り」と縁語の関係にある。

【補記】詞書の「同じ艶書」とは康和四年(1102)の堀河院艶書合を指す。

【他出】俊忠集、歌枕名寄

中将に侍りける時、歌合し侍りけるに、恋の歌とてよめる

我が恋は海人の苅藻(かるも)に乱れつつかわく時なき波の下草(千載793)

【通釈】私の恋は、さながら海人の刈る海藻のように乱れながら、乾く時のない波の下の草であるよ。

【補記】長治元年(1104)五月二十六日、俊忠が自ら催した当座歌合に出詠した歌。

【他出】左近権中将俊忠朝臣家歌合、俊忠集、袋草紙、続詞花集、定家八代抄

【本歌】よみ人しらず「古今集」
いく世しもあらじわが身をなぞもかくあまのかるもに思ひみだるる
【参考歌】和泉式部「和泉式部集」
わが袖は水の下なる石なれや人にしられでかわくまもなし

あまた年経て後の春、花御覧ずる女房の御車よりとて、二条の家にさし置かせて侍りし

ゆきて見しそのかみ山の桜花ふりにし春ぞ恋しかりける(俊忠集)

【通釈】かつて行って眺めた神山の桜の花――その花が雪の降るように散ってしまった春――遠い昔になってしまったあの春が恋しいのだった。

【語釈】◇あまた年経て 堀河院崩御の後。◇二条の家 俊忠の自邸。◇そのかみ山 「そのかみ」(昔の意)と「神山」(上賀茂社の山)の掛詞。◇ふりにし春 堀河院存命中の春。「ふり」は「降り」(花が雪のように散る)と「古り」(昔になる意)の掛詞。

法輪寺に詣で侍るとて、嵯峨野に大納言忠家が墓の侍りけるほどにまかりてよみ侍りける

さらでだに露けき嵯峨の野辺に来て昔の跡にしをれぬるかな(新古785)

【通釈】ただでさえ露っぽい嵯峨の野辺に来て、今は亡き父の墓を見、涙で萎れてしまった。

【補記】父の忠家の墓に詣でての詠。


公開日:平成12年06月20日
最終更新日:平成21年07月21日