藤原長能 ふじわらのながとう(-ながよし) 天暦三〜没年未詳(949-?)

生年は『長能集』勘物の記載年齢より逆算。父は北家長良流、藤原倫寧(ともやす)、母は源認の娘。兄弟に肥前守理能(まさとう)、姉に道綱母がいる。子には実正がいる。菅原孝標女は姪にあたる。
天延三年(975)三月、一条中納言為光家歌合に出詠。同五年十月、右近将監。永観二年(984)八月、蔵人。花山天皇の側近として寵遇され、寛和元年(985)八月の内裏歌合、同二年六月の内裏歌合に出詠。花山天皇譲位後の永延二年(988)、図書頭。正暦二年(991)、上総介。上総介を解任された後は散位であったが、藤原道長の春日詣・賀茂詣などに陪従した。寛弘二年(1005)正月、従五位上。寛弘六年(1009)正月、伊賀守。以後の消息は不明。
家集『長能集』がある。拾遺集初出。勅撰入集は五十一首(金葉集三奏本を除く)。『袋草紙』などによれば、能因法師の歌の師となって秘伝を授けたといい、歌道師承の初例とされる。能因撰『玄々集』では最多入集歌人。中古三十六歌仙の一人。

花山院の歌会に参席した長能は、「三月尽」の題で次のような歌を詠んだ。
  心憂き年にもあるかな二十日あまり九日といふに春の暮れぬる
「やるせない年だことよ。二十九日というのに、春が終わってしまうとは」。その年の三月は小の月だったので、こう詠んだのである。ところが、同席していた四条大納言公任が言うことには、「春は二十九日しかないわけではあるまいよ」。一月から数えれば、春は合わせて八十九日あるではないか、と揶揄したのである。
当時の歌道の権威の一言に、長能は「ゆゆしきあやまち」を犯したと悄気て、物も言わずに歌会を退出してしまった。
しばらくして、長能がひどく重い病に臥せっていると聞いた公任は、気になって使者を遣わした。使いが持ち帰った長能の手紙には、こうあった。
「お見舞い忝なく存じます。この病は外でもありません。先日貴殿が『春は二十九日しか…』云々と仰ったことに懊悩した挙句、食事も喉を通らなくなり、もはや今日明日とも知れない命です」。
それから間もなく、長能は死んでしまった。公任は大いに歎き、「執心していた人に、うっかり不用意なことを言ってしまったものだ」と、後々まで悔やみ続けたという(『袋草紙』『古本説話集』に拠る)。

  4首  2首  4首  1首  5首  2首 計18首

権中納言義懐家の桜の花惜しむ歌よみ侍りけるに

身にかへてあやなく花を惜しむかな生けらばのちの春もこそあれ(拾遺54)

【通釈】命にかえてまでと、甲斐もなく考えてしまうほど、花を惜しむことよ。生きていれば、あとあとの春もあるというのに。

【語釈】◇義懐 藤原伊尹の子。花山院の重臣。◇あやなく 無考えに。

【補記】古今集の友則詠「命やは何ぞは露のあだ物を逢ふにしかへば惜しからなくに」のように、命に代えてまで逢うことを求めると詠んだ恋歌は多く、「身にかへて」と詠む掲出歌も花を惜しむ心に恋情が纏綿する。「生きていれば次の恋がある」なんて、恋に嵌っている時には考える余裕がないのだ…と。四季の風物を詠んでも自然と(あるいは意図的に)恋の風趣が薫るのは、王朝和歌ではごく普通のことである。

【他出】長能集、俊頼髄脳、後六々撰、古来風躰抄、歌林良材

【主な派生歌】
身にかへて惜しむにとまる花ならばけふや我が世の限りならまし(*源俊頼[詞花])
身にかへてつらきと何に思ふらむ生けらばなびく人もこそあれ(藤原実家)
桜花うき身にかふるためしあらば生きて散るをば惜しまざらまし(*源通親[千載])
身にかへて何歎くらむ大方は今年のみやは春にわかるる(殷富門院大輔[風雅])
身にかへていざさは秋を惜しみ見むさらでも脆き露の命を(*守覚法親王[新古今])
身にかへて花も惜しまじ君が代にみるべき春の限りなければ(参河内侍[新古今])
身にかへて秋やかなしききりぎりす夜な夜な声を惜しまざるらむ(藤原定家)
ながらへて生けらば後の春とだに契らぬ先に花ぞ散りぬる(*弁内侍[新後撰])

上総よりのぼりて侍りけるころ、源頼光が家にて、人々酒たうべけるついでに

あづまぢの野路(のぢ)の雪間をわけてきてあはれ都の花を見るかな(拾遺1049)

【通釈】まだ雪の積もる東国の野道を、融けた所を選りながら苦労してやって来て、ああ懐かしい。都の桜に出会えたではないか。

【語釈】◇源頼光 武人にして歌人。摂津守正四位下。ただし長能集では「のりまさ」とあり、岩波新古典大系本は源則理かとする。◇雪ま 積もった雪が消えている部分。

【他出】拾遺抄、長能集、五代集歌枕、歌枕名寄、井蛙抄

【主な派生歌】
ふりかくす雪うちはらひ仙人(やまびと)の名もかぐはしき花を見るかな(*千種有功)

春の暮によめる

行きて見む深山(みやま)がくれの遅桜あかず暮れぬる春のかたみに(風雅297)

【通釈】行ってみよう、山奥にひっそり咲いている遅桜を見に。堪能しないうちに終わってしまった今年の春の、思い出作りに。

【語釈】◇深山がくれの 山深く隠れている。深山(みやま)は端山(はやま)あるいは外山(とやま)の対語で、人里から見えない山々を言う。◇春のかたみに 形見は思い出のよすがとなるもの。

寛和二年内裏の歌合によめる

一重だにあかぬにほひをいとどしく八重かさなれる山吹の花(詞花45)

八重山吹の写真
八重山吹

【通釈】一重でさえ見飽きないほど美しく映えるのに、それどころでなく、八重も重なって咲いている山吹の花よ。

【語釈】◇山吹 晩春に黄色の花を咲かせる。一重と八重があり、一重の方が先に咲く。色は八重の方が濃く、古来和歌では八重山吹の方が愛でられた。

【補記】寛和二年(986)の六月十日、花山天皇が内裏で催した歌合に出詠された歌で、題「款冬」、左勝。金葉集初度本・三奏本、『長能集』などは第二句を「あかぬこころを」とする。

【他出】長能集、金葉集(初度本・三奏本)、袋草紙、八雲御抄

夏くれば山ほととぎす鳴きやせむと思ふ心ぞ目はさましける(長能集)

【通釈】夏になったから、山のほととぎすが鳴くだろうか。そう思う心が、こんなに朝早く私の目を覚ましたのだ。

題しらず

さばへなす荒ぶる神もおしなべて今日はなごしの(はらへ)なりけり(拾遺134)

【通釈】夏の蝿のように騒がしい荒々しい神々も、ことごとく穏やかになることを願って、今日はどこも夏越(なご)しの祓をする日なのだなあ。

【語釈】◇さばへなす 「荒ぶる神」にかかる枕詞的修飾句。「さばへ」は陰暦五月、田植えの頃の蝿。◇おしなべて 上句に掛かって「神々も全部」の意となり、下句に掛かって「今日はどこでも」の意となる。◇なごしの祓 陰暦六月晦日に朝廷・民間で行なわれた大祓。麻の葉を細かく切ったものを撫で、穢れを祓うなどしたらしい。「なごし」に「和(なご)し」を掛け、神々の心を慰撫する意を掛けている。

【他出】拾遺抄、後十五番歌合、長能集、俊頼髄脳、奥義抄、和歌童蒙抄、宝物集、和歌色葉、八雲御抄、色葉和難集

【主な派生歌】
さばへなすあらぶる神にみそぎして民しづかにと祈るけふかな(*後嵯峨院)

花山院御時、七夕の歌つかうまつりけるに

袖ひちて我が手にむすぶ水のおもに(あま)つ星合の空を見るかな(新古316)

【通釈】袖を濡らしながら両手で水を掬おうとしたら、その水に、牽牛織女ふたつの星の出逢う空が映っているではないか。

【補記】立春のめでたさを詠んだ名高い本歌を、初秋の歌に置き換えた。「(両手を)むすぶ」と「(星が)逢ふ」というイメージの響き合いも見どころ。

【本歌】紀貫之「古今集」
袖ひぢて結びし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ

題しらず

ひぐらしのなく夕暮ぞ憂かりけるいつも尽きせぬ思ひなれども(新古369)

【通釈】蜩が鳴いている夕暮は憂鬱だ。いつだってこの思いは消え果てることがないのだけれども。

【語釈】◇尽きせぬ思ひ 思っても思っても、消え去らない思い。

【補記】新古今集では秋歌に分類されている歌であるが、夕暮の憂鬱は、恋情にもとづくものとして詠まれることが多い。『長能集』では恋人の女との贈答歌群にあり、詞書は「八月ばかりの夕ぐれに」。夕暮に女に贈った歌かと思われる。

【他出】長能集、続詞花集、時代不同歌合

石山にまうで侍りて、月をみてよめる

都にも人や待つらむ石山の峰にのこれる秋の夜の月(新古1514)

【通釈】都でも、人が月の出を待っているだろうか。石山の峰に残って(今にも山の西に沈もうとしている)、秋の夜の月よ。

【語釈】◇石山 滋賀県大津市。観音信仰で名高い石山寺がある。その名から月光に映える白い山が想像される。◇人や待つ 都人が月の出を待つ。

【補記】「石山は都の東なれば、ここに入る月は都に出らんの心にてかくよめり」(抄)。現代人の常識からすると不合理に感じられるが、後拾遺集254「身をつめば入るも惜しまじ秋の月山のあなたの人も待つらん」(永源)のように、山の向こうに月が沈めば、山の向こうにいる人には月が見えるようになると古人は考えたようである。

寛和元年八月十日内裏歌合によめる

わぎもこがかけて待つらむ玉づさをかきつらねたる初雁の声(後拾遺274)

【通釈】妻が一心に待っているだろう手紙――まるでその思いを書き連ねた手紙の字のように列なって、恋しさに鳴きながら飛んでゆく初雁よ。

【補記】寛和元年(985)八月十日、花山天皇が内裏で催した歌合。題は「雁」、右負。当詠は作者名表記なく、『長能集』に見えないかわりに『公任集』に見えるので、後拾遺集の作者名は公任の誤りか。

【他出】公任集、宝物集

鷹狩をよめる

あられふる交野(かたの)御野(みの)の狩ころもぬれぬ宿かす人しなければ(詞花152)

【通釈】霰が降る交野の御領地で、狩する人の狩衣は濡れてしまったよ。雨宿りする所を貸してくれる人がいないので。

【語釈】◇交野 大阪府枚方市あたり。皇室の御領で、古来狩猟地として名高い。◇ぬれぬ 上からの続きとしてはこのヌは完了の助動詞になる(「衣が濡れてしまった」意)が、下の句へは、打消の助動詞として「濡れない宿をかす人が…」と続く。当時は珍しい技法として評価されたようである。

【他出】長能集、玄々集、俊頼髄脳、金葉集三奏本(重出)、袋草紙、古本説話集、六百番陳状、古来風躰抄、定家十体(面白様)、定家八代抄、八代集秀逸、時代不同歌合、歌枕名寄、六華集

【主な派生歌】
あられふる音ぞさびしき御狩する交野の御野の楢の葉がしは(源通光[新後撰])

稲荷にまうでて、懸想しはじめて侍りける女の、こと人にあひて侍りければ

我といへば稲荷の神もつらきかな人のためとは祈らざりしを(拾遺1267)

【通釈】私に対しては、稲荷の神様もつれないではないか。想いを遂げてくれと、他人のために祈ったのではなかったのに。

【語釈】◇稲荷 山城国の伏見稲荷。◇こと人にあひて 私ではない別人と結ばれて。

【補記】「此歌いみじくをかしきすがたなり。たゞそのふしとなけれど、歌はかくよむべきなるべし。」(俊成『古来風躰抄』)

【他出】拾遺抄、五代集歌枕、古来風躰抄、歌枕名寄

【参考歌】藤原為頼「為頼集」
わがためは稲荷の神もなかりけり人のうへとは祈らざりしを

題しらず

いとふとは知らぬにあらず知りながら心にもあらぬ心なりけり(後拾遺713)

【通釈】あなたが私を避けていることは、知らないわけではないのです。知っていながら、自分でもどうしようもない自分の心なのですよ。

【補記】長能集には詞書「うちわたりの人に」。宮仕えの女房に贈った歌。同集、第四句「思ふにあらぬ」とする本もある。

女のもとに、なづなの花につけてつかはしける

雪をうすみ垣根につめる(から)なづななづさはまくのほしき君かな(拾遺1021)

【通釈】積もっていた雪が薄くなったので、垣根に摘んだ薺の花――その名のように、なずさわりたい――親しく馴染みたい貴女ですよ。

ナズナ
なづな アブラナ科の越年草。

【語釈】◇雪をうすみ 「雪が薄いので」の意とともに、ナズナの花を薄雪に譬え、女の清らかな美しさを讃美する心を籠めているのだろう。◇唐なづな ナズナの異称。古く大陸から渡来した植物なのでこう呼ぶ。春に白い花が咲く。若苗は食用になる。◇なづさはまく 馴れ親しもうこと。「なづさふ」は本来「水に浸る」意で、水にひたるように馴れまつわること。「まく」は動詞・助動詞などの連体形に「あく」を付け加えて名詞化するいわゆるク語法で、この場合助動詞「む」に「あく」が付いた「む-あく」からの転。

【補記】薺の花に付けて、女に贈った歌。「唐なづな」までが同音から「なづさはまくの」を導く序。拾遺集では雑春の部に載せる。

【他出】拾遺抄、長能集、後六々撰

題しらず

若草の(いも)が着なれの夏衣かさねもあへず明くる東雲(しののめ)(続詞花)

【通釈】若い妻が着馴らした夏の衣――重ねるほどもなく夜が明け、しののめを迎えてしまった。

【語釈】◇若草の 妻にかかる枕詞。ここでは「妹」に転用した。◇かさねもあへず すっかり重ねきることもできずに。「かさね」は衣を重ね着することから身体を重ねて寝ることを導く。

【補記】勅撰集には採られなかったが、『玄々集』『秋風集』などの秀歌選に採られた歌。

題しらず

やはらかにぬる夜もなくて別れぬる夜々の手枕いつか忘れむ(千載783)

【通釈】一緒にゆったりと寝る夜もなしに、あの人と別れてしまった――いつも慌ただしく別れてしまうだけだった夜々、交わした手枕はいつまでも忘れはしない。

いかなる折にかありけむ

憂きことは我が身一つの憂きなれば処かへてもかひなかりけり(長能集)

【通釈】生きていく上でいろいろ辛いことはあるけれど、それは自分の身ひとつの辛さなのだから、居場所を変えたところで、どうにもならないのだ。

【参考歌】凡河内躬恒「古今集」
山里もおなじうき世のなかなれば所かへても住み憂かりけり

花山院かくれさせ給うてのころ、よみ侍りける

老いらくの命のあまり長くして君にふたたび別れぬるかな(千載554)

【通釈】老残の命があまりに長すぎて、陛下と再びお別れすることになってしまいました。

【語釈】◇花山院かくれさせ… 花山院の崩御は寛弘五年(1008)二月八日。◇ふたたび別れぬるかな 一度目は寛和二年(986)花山天皇の退位・出家の時を言うのであろう。

【他出】長能集、定家八代抄


最終更新日:令和5年01月13日