藤原公任 ふじわらのきんとう 康保三〜長久二(966-1041) 通称:四条大納言

実頼の孫。三条太政大臣頼忠の嫡男。母は醍醐天皇の皇子代明親王の娘、厳子女王。同母姉妹に円融天皇の皇后遵子、花山天皇の女御となった女性などがいる。具平親王、歌人藤原高遠、書家藤原佐理はいとこ。子には定頼、僧任入、藤原教通の妻になった女性などがいる。
天元三年(980)、清涼殿で元服。円融天皇より加冠され、正五位下に叙せられる。同年、侍従に任ぜられる。永観元年(983)、左近衛権中将となり、尾張権守と伊予権守を兼ね、正四位下に昇叙。寛和二年(986)、詮子を母とする一条天皇が即位して以後は、兼家一門の繁栄に圧倒される。道長が勢力を得てのちは、追従の態度がみえ、いとこの実資を歎かせたほどであった(『小右記』)。
永祚元年(989)、蔵人頭。同年、父頼忠が急逝。正暦元年(990)、備前守。正暦三年(992)、二十七歳にして参議。さらに左兵衛督、皇后宮大夫、右衛門督、検非違使別当、勘解由長官、皇太后宮大夫、按察使などを歴任し、寛弘六年(1009)、権大納言。万寿元年(1024)上表致仕、万寿三年、出家。山城国長谷(ながたに)に隠棲した。
一条朝四納言の一人。漢詩・和歌・管弦の三舟の才を謳われた。歌人としては、天元五年、東宮御所の歌会に出詠したのをはじめ、内裏歌合・屏風歌などに活躍。拾遺集に初出、代々の勅撰集に百首足らず入集している。中古三十六歌仙の一人。他撰の家集に『公任集(四条大納言集)』、歌学書に『新撰髄脳』『和歌九品』がある。『古今集注』『四条大納言歌枕』『歌論議』などの著作も名が知られるが、散逸した。撰集には『拾遺抄』『金玉集』『深窓秘抄』『前十五番歌合』『三十六人撰』『和漢朗詠集』、また有職故実の著書『北山抄』などがある。

  3首  1首  3首  1首  1首  4首 計13首

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北白川の山庄に、花のおもしろくさきて侍りけるを見に、人々まうできたりければ

春きてぞ人もとひける山里は花こそ宿のあるじなりけれ(拾遺1015)

【通釈】春になって客がたくさん訪れた、この山里にある私の宿の主人は、この私ではなくて、桜の花だったのだな。

【補記】「北白川」は今の京都左京区、比叡山に発し鴨川に注ぐ白川流域の地を言う。貴族の別荘が多く、公任もここに山荘を営んだ。桜の名所。

【他出】金玉集、後十五番歌合、公任集、玄々集、相撲立詩歌合、新撰朗詠集、今昔物語、後六々撰、古本説話集、古来風躰抄、定家八代抄、新時代不同歌合

【主な派生歌】
行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵のあるじならまし(*平忠度[平家物語])

前近き桃の、はじめて花咲きたるに

うれしくも桃の初花見つるかなまた来む春もさだめなき世に(公任集)

【通釈】嬉しいことに桃の初花を見たなあ。再び訪れる春に会えるかどうか、運命は定かでないこの世にあって。

【補記】桃は中国でめでたい霊樹とされた。

春のころ、粟田にまかりてよめる

うき世をば峰の霞やへだつらむなほ山里は住みよかりけり(千載1059)

【通釈】辛いことばかり多い現世を、峰の霞が隔ててくれるのだろうか。やはり山里は住みよいところだなあ。

【語釈】◇粟田 京都市東山区。貴族の山荘が多かったが、ここでは藤原道兼の別荘か。◇なほ山里は… 古今集の下記本歌を踏まえて「なほ」と言う。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
山里は物のさびしき事こそあれ世のうきよりは住みよかりけり

廉義公家歌合に

卯の花のちらぬかぎりは山里の木の下闇もあらじとぞ思ふ(玉葉302)

【通釈】卯の花が散らないうちは、その白い花が月光に反映するせいで、この山里には木の下闇もないだろうと思うよ。

【補記】藤原頼忠家での歌合。

【先蹤歌】壬生忠岑「古今集」
春きぬと人はいへども鶯のなかぬかぎりはあらじとぞ思ふ

寂昭がもろこしにまかりわたるとて、七月七日舟にのり侍りけるに、いひつかはしける

天の川のちの今日だにはるけきをいつともしらぬ船出かなしな(拾遺1093)

【通釈】天の川を隔てた牽牛織女の出逢いは、来年の七夕の今日でさえ遥か遠いことなのに、唐土へ舟出するあなたとの再会はいつとも知れないことを思えば哀しいことです。

【語釈】◇寂昭 俗名大江定基。長保五年(1003)、渡宋。◇のちの今日 来年の七月七日。◇いつともしらぬ 再びいつ逢えるとも分からない。

雨中九月尽といふことをよめる

いづかたに秋のゆくらん我が宿にこよひばかりの雨やどりせよ(金葉三奏本258)

【通釈】どこへ秋は去ってゆくのだろう。私の家で、今夜だけでも雨宿りして行ってくれよ。

【補記】歌題は「雨のうちに迎える晩秋九月末日」ということで、秋を惜しむ歌。詞花集にも見え、下句は「こよひばかりはあまやどりせで」。

嵐の山のもとをまかりけるに、紅葉のいたくちり侍りければ

朝まだき嵐の山のさむければ紅葉の錦きぬ人ぞなき(拾遺210)

【通釈】早朝、嵐の吹く嵐山が寒々としているので、木々は色様々の紅葉を盛んに散らせ、その美しい錦衣(きんい)を着ない人とてない。

【語釈】◇嵐の山 渡月橋の西の山。紅葉の名所。◇紅葉の錦 衣に付いた色様々の紅葉を錦織物に喩える。

【補記】家集によれば、嵐山中腹の法輪寺に参詣した後の作。歌本文にも異同がある。
  法輪寺にまうで給ふ時嵐山にて
朝ぼらけ嵐の山のさむければちる紅葉ばをきぬ人ぞなき

【他出】公任集、拾遺抄、新時代不同歌合、六華集

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
なほざりに秋の山べをこえくればおらぬ錦をきぬ人ぞなき

題しらず

霜おかぬ袖だにさゆる冬の夜に鴨のうは毛を思ひこそやれ(拾遺230)

【通釈】霜は置かない袖さえ冷える冬の夜には、鴨の上毛をどれほど寒いかと思いやるのだ。

【語釈】◇鴨のうは毛 鴨の表面の羽毛。霜が置くとされた。

【他出】拾遺抄、公任集、新撰朗詠集、後六々撰、定家八代抄、新時代不同歌合

左大将朝光五節舞姫奉りけるかしづきを見て、遣はしける

天つ空とよのあかりに見し人のなほ面影のしひて恋しき(新古今1004)

【通釈】内裏の豊明の宴で見た人の面影が、今もひどく恋しくてなりません。

【語釈】◇五節舞姫 新嘗祭で舞われた少女楽の舞姫。公卿・国司の娘より美しい少女を四、五名選んで舞姫に召した。◇かしづき 五節舞姫の世話役の女房。◇とよのあかり 豊明。大嘗会または新嘗会の後の宮中宴。

【補記】藤原朝光が差し出した舞姫を見て、恋しさに贈った歌。

【参考歌】遍昭「古今集」
天つ風雲の通ひ路ふきとぢよ乙女の姿しばしとどめむ

嵯峨大覚寺にまかりて、これかれ歌よみ侍りけるによみ侍る

滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ(千載1035)

【通釈】滝の音は途絶えてから長い年月が経つけれども、その名は今に流れ伝わって、なお名声を保っているのだ。

名古曽の滝跡 京都市右京区大覚寺傍

【語釈】◇嵯峨大覚寺 貞観十八年(876)、嵯峨天皇の皇女正子内親王が父帝の離宮嵯峨院を大覚寺として開山したと言う。◇滝の音 滝の流れ落ちる音響。この「滝」は嵯峨上皇の離宮嵯峨院の池の傍にあった滝。当時は流れが絶えていたのである。◇名こそ流れて 滝の名は代々伝わって。「ながれ」は滝の縁語。◇聞こえけれ 「こそ」との係り結びにより「けり」が已然形となっている。「聞こえ」は音の縁語。

【補記】上句で二つのタの頭韻、第三句以下で四つのナの頭韻を踏む。なおこの歌は拾遺集449に重出。但し同集では初句が「滝の糸は」。公任の家集では詞書が「大殿のまだ所々におはせし時、人々具して紅葉見にありき給ひしに嵯峨の滝殿にて」。長保元年(999)秋、藤原道長の嵯峨遊覧に付き添っての詠。

【他出】拾遺集、公任集、百人一首

【主な派生歌】
影たえて山もや主は偲ぶらん昔せきれし水の流れに(藤原定家)
み吉野の山よりおちし滝の糸のたえて久しくこほるころかな(吉田兼好)
今宵なほ名こそ流れて滝の糸のたえぬ光も月にそひけり(三条西実隆)

中宮の御うぶ屋の五日の日

秋の月影のどけくも見ゆるかなこや長きよの契りなるらむ(公任集)

【通釈】秋の月の光はのどかに見えることだ。これがお生まれになった皇子の永続する御代を約束するものだろうか。

【語釈】◇中宮の御うぶ屋 一条天皇と中宮彰子の第一皇子敦成出産の五日目の夜。◇長きよ 「よ」には「代(在世)」「世(長寿)」「夜(産養の夜)」の意が掛かる。

【補記】玉葉集には詞書「後一条院生れさせ給ひて七夜に」。第二句「影のどかにも」第五句「ためしなるらん」。

九月ばかりに四条太皇太后宮にまゐりあひて、前大納言公任につかはしける    法成寺入道前摂政太政大臣

君のみや昔を恋ふるそれながら我が見る月もおなじ心を

【通釈】あなただけが昔を恋うているのでしょうか。私が昔を慕って見る月も、そのままあなたと同じ心ですのに。

【補記】藤原頼忠女、ィ子(公任の姉)の御所に参集した際、藤原道長が公任に贈った歌。これより先、公任は父頼忠を失っていた。

返し

今はただ君が御かげをたのむかな雲隠れにし月を恋ひつつ(続拾遺1302)

【通釈】今はもうあなたの御蔭を頼むばかりです。雲に隠れてしまった月を恋い慕いながら。

【語釈】◇君が御(み)かげ 道長(当時左大臣)の庇護をいう。◇月 公任の亡父頼忠を指す。

【補記】公任の家集では初句「今よりは」。

維摩経十喩、此の身は水の泡のごとしといへる心をよみ侍りける

ここに消えかしこに結ぶ水の泡のうき世にめぐる身にこそありけれ(千載1202)

【通釈】ここに消えたかと思えばあそこに出来る水の泡のように、現世に輪廻転生する我が身なのだ。

【語釈】◇此の身は水の泡のごとし 『維摩経』方便品「此身如泡不得久立」。◇うき世にめぐる 輪廻転生を言う。

【補記】千載集巻十九、釈教の部の巻頭歌。「消え」「結ぶ」「泡」「浮き」「めぐる」、いずれも水に関わる縁語。なお第三句「水の泡の」までは「うき(浮き)」を導く序詞であると共に、「憂き世(つらい現世)」の儚さの比喩となっている。

【主な派生歌】
ここにきえかしこにもゆる夏虫のひかりはかなき夕やみの空(契沖)


公開日:平成12年07月16日
最終更新日:平成16年07月24日