源通具 みなもとのみちとも 承安元〜安貞元(1171-1227) 号:堀川大納言

村上源氏。内大臣土御門通親の二男。母は修理大夫平通盛女。通光・道元の異母兄。藤原俊成女を妻とし、具定と一女をもうけた。子にはほかに内大臣具実(母は法印能円女、按察局)などがいる。
元暦元年(1184)十一月、叙爵。文治元年(1185)十二月、因幡守に任ぜられる。建久八年(1197)六月、伊予守。正治元年(1199)頃、幼帝土御門の乳母按察局を妻に迎え、まもなく俊成女とは別居したらしい。正治二年(1200)三月、左中将・蔵人頭。建仁元年(1201)八月、参議に就任する。同三年十一月、右衛門督・検非違使別当を兼任。元久二年(1205)四月、正三位権中納言。建暦二年(1212)六月、権大納言に昇り、貞応元年(1222)八月、正二位大納言に至る。安貞元年(1227)九月二日、五十七歳で薨ず。
父通親・後鳥羽院主催の歌会・歌合で活躍し、正治二年(1200)の院当座歌合・石清水若宮歌合、建仁元年(1201)の新宮撰歌合・鳥羽殿影供歌合などに出詠。同年、和歌所寄人に補され、さらに新古今集撰者に任ぜられた。以後も千五百番歌合、建仁二年(1202)の仙洞影供歌合、元久元年(1204)の春日社歌合、建永元年(1206)の卿相侍臣歌合、同二年の鴨社歌合などの作者となる。順徳天皇の歌壇でも建保二年(1214)八月の内裏歌合に名を列ねている。
夫木和歌抄によれば家集があったらしいが現存しない。俊成卿女との二人歌合の古筆断簡が「通具俊成卿女歌合」として新編国歌大観にまとめて翻刻されている。新古今集初出(十七首は撰者中最少)。勅撰入集三十七首。新三十六歌仙

  2首  1首  4首  2首  3首 計12首

千五百番歌合に

梅の花たが袖ふれしにほひぞと春やむかしの月に問はばや(新古46)

【通釈】梅の花の香に、ふと懐かしい思い出がよみがえる。いつのことだろう。「これは、誰の袖が触れた時の匂いなのか?」と、昔のままの春の月に、訊ねてみたいものだ。

【語釈】◇春やむかしの… 下記本歌参照。業平の歌によれば、春と月は昔のままだから、春の月なら昔のことをよく知っているだろう、という気持。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
色よりもかこそあはれとおもほゆれたが袖ふれしやどの梅ぞも
  在原業平「古今集」
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして

【主な派生歌】
誰が袖ふれし梅が香ぞ 春に問はばや 物言ふ月に逢ひたやなう(閑吟集)

千五百番歌合に

いその神ふるのの桜たれ植ゑて春は忘れぬかたみなるらむ(新古96)

【通釈】布留野に咲く桜――いったい誰が植えて、春になれば昔を思い出す記念となっているのだろう。

【語釈】◇いその神 「ふる」にかかる枕詞。◇ふるの 布留野。今の奈良県天理市布留。石上神宮がある。「古」を掛ける。◇かたみ 形見。思い出のよすがとなるもの。

題しらず

ゆくすゑをたれしのべとて夕風に契りかおかむ宿のたちばな(新古239)

【通釈】人は橘の香に故人を偲ぶというが、私が死んだ後、誰か私を懐かしく思い出してくれるだろうか。その時には、我が家の橘の花に吹き付けてくれるように、今から夕風に頼んでおこうか。しかし偲んでくれるような人もいない我が身なのだから、むなしいなあ。

【語釈】◇ゆくすゑ 将来。ここでは死んだ後のこと。◇たれしのべとて 誰かが私を偲んでくれと。◇契りかおかむ 予約しておこうか。本居宣長はこの「か」は本来第二句の下に付くべきで、「たれしのべとてか」の意だとする(『美濃の家づと』)。

【補記】千五百番歌合。

千五百番歌合に

あはれ又いかにしのばむ袖のつゆ野原の風に秋は来にけり(新古294)

【通釈】ああ、これからまたどうやって耐えてゆこうか。袖にこぼれる涙の露を。野原を吹く風とともに、露っぽい秋という季節が訪れた。

千五百番歌合に

深草の里の月かげさびしさもすみこしままの野べの秋風(新古374)

【通釈】草深く繁った深草の里、そこを照らす月の光――久々に帰って見れば、月は昔のままで、野辺を吹く秋風の淋しさもまた、私がここにずっと住み、月も常に澄んだ光を投げかけていた、あの頃のままであったよ。

【語釈】◇深草のさと 平安京の南郊。「草深い里」の意が掛かる。◇さびしさも 月は昔のままだが、野辺の秋風のさびしさも…という気持で「も」を用いる。◇すみこしままの ずっとすんでいた頃のままの。澄み・住み、掛詞。

【補記】二句切れ。「月影のさびしさといふにはあらず、三の句は下へつけて心得べし」(宣長『美濃の家づと』)。下記本歌の主人公が、年を経て深草に帰って来た、という設定であろう。

【本歌】在原業平「古今集」、「伊勢物語」一二三段
年をへてすみこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ
【参考歌】藤原俊成「久安百首」「千載集」
夕されば野べの秋風身にしみてうづら鳴くなりふか草のさと

題しらず

秋の夜は宿かる月も露ながら袖に吹きこす荻のうは風(新古424)

【通釈】秋の夜は、露に宿った月の光を、その露もろとも散らしながら、風が私の袖を吹き越してゆく――荻をそよがせる風が。

【語釈】◇やどかる月 露に宿を借りる月。露に反映した月の光。◇露ながら 露といっしょに。この「露」は、荻の葉に置いた露とも考えられるし、袖に落ちた涙とも考えられる。◇荻(をぎ) イネ科ススキ属の多年草。秋に出す穂は銀白色で、稲よりも大きく、ふさふさとしている。

【補記】「通具俊成卿女歌合」。

秋雨

人は来ずはらはぬ庭の桐の葉に音なふ雨のおとのさびしさ(建保二年内裏歌合)

【通釈】待ち人は来ず、掃除もしない庭の桐の落葉に、雨が訪れて降り注ぐばかり。その音の寂しさよ。

【語釈】◇音なふ 音を立てる・訪問する、の両義。

【補記】建保二年(1214)八月十六日、順徳天皇の内裏歌合。

春日社歌合に、落葉といふことをよみてたてまつりし

木の葉ちる時雨やまがふ我が袖にもろき涙の色と見るまで(新古560)

【通釈】木の葉が時雨に打たれて散る――その紅く染まった雨が私の袖にかかり、まじりあって見分けがつかなくなるのか。もろくも袖の上に落ちる涙の色かと見るまでに。

【語釈】◇時雨やまがふ 紅葉した木の葉とともに降る時雨が、袖の紅涙と見分け難く交じり合うのだろうか。◇もろき涙 落葉の寂しい趣に抵抗できず、もろくもこぼれる涙。この涙は紅涙。

【補記】元久元年(1204)十一月十日、後鳥羽院の和歌所での歌合。のち春日社に奉納された。

春日歌合に、暁月といふ事を

霜こほる袖にもかげは残りけり露よりなれし有明の月(新古594)

【通釈】冬になり、霜が凍りついた袖にも、光は映りつづけているなあ。秋、露が置いていた頃から馴染みだった有明の月の――。

【補記】「霜」といい「露」というのは、後朝(きぬぎぬ)の別れに落とす涙である。秋の間は、それが露として袖に置き、有明の月を宿していた。そのことにすっかり馴染んでいたが、冬になって涙が霜となっても、相変わらず月の光はそこに宿っている……。季節の移ろいに、別れの悲哀の不変を対比させている。

百首歌の中に、恋のこころを

我が恋は逢ふをかぎりのたのみだに行方もしらぬ空のうき雲(新古1135)

【通釈】私の恋は、「逢ふをかぎり(ただ逢うことさえできればいい)」という望みさえあてにならず、どこへ行くとも知れぬ、空の浮雲のようだ。

【本歌】凡河内躬恒「古今集」
我が恋はゆくへもしらずはてもなし逢ふをかぎりと思ふばかりぞ

千五百番歌合に

今来むと契りしことは夢ながら見しよに似たる有明の月(新古1276)

【通釈】「今すぐ行く」と約束したことは、実現しないまま夢で終わってしまったけれども、私は有明の月が出るまで待ち続けた。あの人に逢った夜に見たのと、よく似ている有明の月が…。私の気持は少しもあの時に似ていないけれど、せめてその月に心を慰めるばかり。

【補記】女の立場で詠んだ歌。

【本歌】素性法師「古今集」
今こむと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな

題しらず

とへかしな尾花がもとの思ひ草しをるる野べの露はいかにと(新古1340)

【通釈】たずねて下さいな。穂の出たススキの下で、思い草がしょんぼり項垂れている、野辺――その露はどんなに夥しいかと。

思い草(ナンバンギセル)
思ひ草(ナンバンギセル)

【語釈】◇尾花 ススキの花穂、または穂の出たススキ。◇思ひぐさ 項垂れて、物思いに耽っているように見える草。万葉集の「思ひ草」はナンバンギセルのことかとされているが、中世にはリンドウとする説などがあった。

【補記】千五百番歌合。

【本歌】作者不明「万葉集」巻十
道の辺の尾花がもとの思ひ草今更になど物か思はむ
【参考歌】俊成卿女「俊成卿女集」
暮れはつる尾花がもとの思ひ草はかなの野べの露のよすがや


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:令和4年08月09日