源家長 みなもとのいえなが 生年未詳〜文暦元(?-1234)

醍醐源氏。大膳大夫時長の息子。後鳥羽院下野を妻とする。子には家清・藻壁門院但馬ほかがいる。
生年は嘉応二年(1170)説、承安三年(1173)説などがある。早く父に死に別れ、承仁法親王(後白河院皇子)に仕える。建久七年(1196)、非蔵人の身分で後鳥羽院に出仕。蔵人・右馬助・兵庫頭・備前守などを経て、建保六年(1218)一月、但馬守。承久三年(1221)の変後、官を辞す。安貞元年(1227)一月、従四位上に至る。文暦元年(1234)、死去。六十余歳か。
後鳥羽院の和歌活動の実務的側面を支え、建仁元年(1201)八月には和歌所開闔となって新古今和歌集の編纂実務の中心的役割を果した。歌人としても活躍し、正治二年(1200)の「院後度百首」、建仁元年(1201)の「千五百番歌合」、元久元年(1204)の「元久詩歌合」、承久二年(1220)以前の「道助法親王五十首」などに出詠した。承久の変後は、妻の実家である近江国日吉に住むことが多く、ここでたびたび歌会を催した。また寛喜二年(1230)頃の「洞院摂政百首」、同四年の「日吉社撰歌合」などに参加。定家家隆との親交は、晩年まで続いたようである。後鳥羽院に仕えた日々を回想し、院の威徳への賞讃を綴った日記『源家長日記』がある。新古今集初出。勅撰入集三十六首。新三十六歌仙

春歌の中に

春雨に野沢の水はまさらねど萌え出づる草ぞふかくなりゆく(新後拾遺61)

【通釈】しとしとと降る春雨に、野沢の水が増水したようには見えないけれども、萌え出た草は、日に日に色が深くなってゆく。

【語釈】◇ふかく 「水」または「水まさる」と縁のある語。

道助法親王家五十首歌 旅春雨

宿もがな佐野のわたりのさのみやは濡れてもゆかむ春雨の頃(新拾遺811)

【通釈】泊めてくれる宿がほしい。佐野の渡りで、こんなにまで濡れて行かなければならないのか、春雨の頃。

【語釈】◇佐野のわたり 万葉集の歌(下記本歌)に由来する歌枕。現在の和歌山県新宮市。但し中世には大和国の歌枕と考えられたようである(『八雲御抄』など)。

【本歌】長意吉麻呂「万葉集」巻三
苦しくも降り来る雨か神(みわ)の崎狭野の渡りに家もあらなくに

前関白家歌合に、名所月

いづこにもふりさけ今やみかさ山もろこしかけて出づる月かげ(新勅撰1277)

【通釈】どこでも今頃は仰いで眺めているだろう、三笠山からのぼり、唐土にまでわたって空を照らす月の光を。

【語釈】◇みかさ山 三笠山。大和国の歌枕。奈良市春日大社の背後の山。「見」を掛けている。

【補記】貞永元年(1232)、光明峯寺摂政歌合。主催者は九条道家

【本歌】安倍仲麿「古今集」
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも

題しらず

秋の月しのに宿かる影たけて小笹が原に露ふけにけり(新古425)

【通釈】秋の月は、びっしりと生える篠に宿を借りて、光をとどめている。やがて夜も更け月も高くなり、小笹原に置いた露は、いっそう深くなったのだった。

【語釈】◇しのに びっしりと。「篠」(細い竹)と掛詞。◇宿かる 月の光が篠に置いた露に映っていることを言う。◇かげたけて 月影が高くなって。◇露ふけにけり 露がいっそう厚く置くようになった。「ふけ」には夜が更ける意を響かせる。

建保二年秋十首歌たてまつりけるに

かぞふれば四十あまりの秋の霜身のふりゆかむ果てをしらばや(続拾遺617)

【通釈】この秋で、数えれば我が齢も四十を余る。頭に霜が降るのも無理はないが、これから先どう老いてゆくものか。その果てを知りたいものだ。

【語釈】◇四十(よそぢ) 建保二年(1214)は作者四十二歳。◇秋の霜 秋は年の意にもなる。霜には白髪まじりの頭を暗示。◇ふりゆかむ 「ふり」は「古り」(年老いる意)、「降り」(霜の縁語)、「(身の)振り」(我が身がどこへ割り振られるか)の掛詞。

【参考歌】能因法師「能因集」
けふごとに天つ星あひをかぞふればよそぢあまりの秋ぞへにける

前関白、内大臣に侍りける時、家に百首歌よみ侍りける暮秋歌

もみぢ葉の散りかひくもる夕時雨いづれか道と秋のゆくらむ(新勅撰1099)

【通釈】時雨が降り、紅葉した葉が散り乱る夕暮れ時――ほかに何も見えはしない。どこを道と辿って秋は去ってゆくのだろう。

【語釈】◇前関白 九条道家。建暦二年(1212)、内大臣。

【補記】建保三年(1215)九月十三日、光明峯寺摂政家百首。

旅の歌とてよめる

今日はまた知らぬ野原に行き暮れぬいづれの山か月は出づらむ(新古956)

【通釈】今日は人里に辿り着けるかと期待したのだが、またも知らない野原で日が暮れてしまった。このあたりでは、いったいどの山から月が昇るのだろうか。

【補記】元久元年(1204)十一月、北野宮歌合。

和歌所の開闔に成りて、はじめてまゐりし日、そうし侍りし

藻塩草(もしほぐさ)かくともつきじ君が代の数によみおく和歌の浦波(新古741)

【通釈】詠草はいくら集めても尽きることはないでしょう。君が代は千年も万年も続く、その数に匹敵して、ひっきりなしに詠まれる和歌――和歌の浦に打ち寄せる波のように限りなく。

【語釈】◇和歌所の開闔(かいこう) 後鳥羽院が建仁元年(1201)に復興させた和歌所の事務官。◇藻塩草 塩を採るために焼く海藻。ここでは、勅撰集撰進のため集められた和歌の詠草のこと。◇かくともつきじ 藻塩草を掻き集めても尽きないように、詠草はいくら書いても尽きないだろう。◇和歌の浦波 和歌の浦は紀伊国の歌枕。玉津島神社がある。同社の祀る玉津島姫は衣通姫と同一視され、和歌の神として尊崇されるようになった。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年09月03日