花園左大臣家小大進 はなぞのさだいじんけのこだいしん 生没年未詳 別称:三宮小大進・内大臣家小大進

式部大輔菅原在良の娘(養女とする説もある)。母は金葉集に歌を残す三宮大進。母と同じく三宮輔仁親王に家女房として仕えた後、その子である花園左大臣源有仁に仕える。一方、石清水別当光清(こうせい 1137没)の妻となり、保安二年(1121)頃、小侍従を生む。大治四年(1129)、千載集以下に歌を載せる石清水別当成清(じょうせい)を生んだ。久寿二年(1155)九月に逝去したとする説がある(下記サイト)。
雲居寺歌合・久安百首などに出詠。「内大臣家小大進」の名で金葉集初出。勅撰入集十四首。歌人としてのみならず「色好み」として聞こえたことが『今鏡』に見える。
 
関連サイト:生母・花園左大臣家小大進(辛酉夜話 歌人伝・太皇太后宮小侍従)

百首の歌めしける時、初冬の心をよめる

わぎもこが上裳(うはも)の裾の水波に今朝こそ冬は立ちはじめけれ(千載394)

【通釈】女官らの着る上裳の裾の水波模様ではないが、水波に、今朝ついに冬は目に立ち始めたのだった。

【語釈】◇わぎもこ 親しい女性に対する呼称。夫から妻を呼ぶ場合が多いが、掲出歌では宮廷の女官を同僚の立場からこう呼んだものか。◇上裳(うはも) 褶(うはみ)とも。裳の一種で、礼服着用の際、下裳の上に重ねた。◇裾 衣の裾に水の裾(川下)の意が掛かり波の縁語。初二句は「水波」を言い起こす序。◇水波(みづなみ) 裳の裾の波模様。大波を織り出したので、河海の荒れる冬の季節感を感じ取ることにもなる。

【補記】「上裳」に秋から冬への更衣を詠みつつ、荒い波に冬の到来を感じ取った歌であろう。「上裳」「すそ」「たち」は衣関係の縁語。また「波」と「たち」も縁語。久安百首。初句を「我が背子が」とする本もある。

【主な派生歌】
夏川の浮き藻の裾の水波にほたるのかげをやどしてしがな(加納諸平)

ふみばかりつかはして言ひ絶えにける人のもとにつかはしける

ふみそめて思ひかへりしくれなゐの筆のすさみをいかで見せけむ(金葉373)

【通釈】手紙を送って恋の道に踏み入ったものの、思い返して途絶えてしまった――その程度の筆のすさびを、どうして私は人に見せてしまったのだろう。

【語釈】◇ふみそめて 「ふみ」は「文」「踏み」の掛詞で、「文通を始めて」「踏み入って」の両義となる。◇くれなゐの筆 朱塗りの軸の筆。古代中国で女官が用いたという。和歌では前例のない語句で、作者の漢文の素養が窺われる。

【補記】手紙をやり取りするだけで絶えてしまった人に贈った歌。詞書からすると関係を切ったのは男の方らしいが、「くれなゐの筆」は女の筆跡を意味するので、歌では女の方が本気でなかったと強がっているのである。

百首歌奉りける時、無常の心をよめる

あす知らぬみむろの岸の根なし草なにあだし世に生ひはじめけむ(千載1131)

【通釈】明日はどうなるとも知れぬ三室の岸の根無し草――私の命も同じこと。どうして儚いこの世に生まれて来たのだろう。

【語釈】◇みむろの岸 龍田川の上流の岸。

【補記】久安百首。『定家八代抄』『歌枕名寄』『題林愚抄』などにも採られた、作者の代表作。

【参考詩歌】高向草春「拾遺集」「和漢朗詠集」
神なびのみむろのきしやくづるらん竜田の河の水のにごれる
  羅維「和漢朗詠集」
身ヲ観ズレバ岸ノ額ニ根ヲ離レタル草


公開日:平成19年12月27日
最終更新日:令和3年7月7日