01.04.17
代名詞のなぞ
「これ」「そこ」「あちら」などのことばをまとめて「代名詞」と言います。世間で「国会中継はつまらない番組の代名詞」というふうに使われているのはおかしい、という話は以前にもしました。それはともかく、この代名詞は、文法的にも奇妙な位置にあるようです。
中学校の教科書を開いてみると、「代名詞」をひとつの品詞として認めているものと認めていないものとがあります。たとえば、三省堂「現代の国語」では、「体言」の中に「名詞」と肩を並べて「代名詞」があるのですが、教育出版「中学国語」、東京書籍「新編 新しい国語」では、名詞の下位区分として認められているにすぎません。
日本の教科書が国定ではなく検定によったものである以上、違いがあるのはもっともなことです。しかし、あえて不一致の原因を求めるならば、そのひとつは、おそらく、学校文法の理論的支柱となった橋本進吉の書き方があいまいだったせいでしょう。
橋本としては、名詞・代名詞は文を構成するはたらきの上でほとんど違いがないと考えていました。でも、西洋文法には名詞・代名詞の区別があり、それまでの国語教育でも西洋文法のまねをして名詞・代名詞を分けていました。橋本はその既成事実に気兼ねして、自分の本でも両者を分けておいたのです。これが今日まで尾を引いているようです。
僕は、名詞・代名詞を分けても分けなくてもどちらでもよいと思っていますが(無責任ですみません)、もし分けるならば、とことんまで分けなければいけないでしょう。
とことん、というのは、こういうことです。
まず、名詞と代名詞の違いはどこかを考えてみます。単語というものは、ふつうは「意味」という中身のつまった缶詰めのようなものです。缶の部分が「形態」にあたります。名詞の場合、「さば」「まぐろ」「みつ豆」「アスパラガス」など、それぞれの語に固定した意味があります。一方、代名詞の「これ」「それ」などは、場合によって《さば》の意味を持つこともあれば、《みつ豆》の意味を持つこともあります。いわば、中身の詰まっていない空き缶のようなもので、必要によって、中にさばの煮付けを入れたり、みつ豆を入れたりするのです。
固定した意味があるかどうかという違いは、文を作る際にも影響します。
「卵が目玉焼きになりました。」
というのは普通の文ですが、代名詞を使って
「それがこれになりました。」
と言っても、意味的に完結した文にはなりません。前後の文脈で補うか、実際の事物を指さしながら話すかしなければ、相手に意味を伝えられません。つまり、この点では、名詞・代名詞に文法上の性質の違いがあるといえます。
この違いを重大視するかどうかが、名詞・代名詞を品詞として分けるかどうかの立場の差となるでしょう。そして、ひとたび名詞から代名詞を分離することに決めたならば、ほかにも分けなければならないものが出てきます。それは、副詞(「いきなり」「まじまじと」など)に含まれている「こう」「そう」「ああ」「どう」などや、連体詞(「大きな」「ひょんな」など)に含まれている「この」「その」「あの」「どの」などです。
「彼はいきなりなぐった」と言う代わりに「彼はこうなぐった」と言ったり、「まじまじと見ないでください」と言う代わりに「そう見ないでください」と言ったりできますから、「こう」「そう」「ああ」「どう」などは、代名詞に似て中身のない缶詰めのようなものです。また、「大きな犬にかまれた」の代わりに「この犬にかまれた」、「ひょんな時に彼に会った」の代わりに「その時に彼に会った」と言えますから、「この」「その」「あの」「どの」なども、やはり空き缶のようなものです。
名詞と代名詞とを分けておきながら、これらを分けないのはおかしい。そこで、とことんまでやれ、ということになるのです。
とことんまでやった人はいます。時枝誠記は、いわゆる代名詞を「名詞的代名詞」、「この」「その」などを「連体詞的代名詞」、「こう」「そう」などを「副詞的代名詞」と名づけています。つまりどれも代名詞の一種というわけです。すべて代名詞に含めてしまうのは、これはまた乱暴ではないか、という気もしますが、時枝の考えでは、名詞も副詞も連体詞も「体言」という仲間であるため、このような処理も可能になるのです。
松下大三郎は、別の方法でとことんまでやった人です。彼は、代名詞を品詞として独立はさせませんでした。代わりに、各品詞の下に「本・代・未定・形式」の区分を設けました。
すなわち、名詞は「本名詞・代名詞(「これ」など)・未定名詞(「どれ」など)・形式名詞」に区分されます。動詞は「本動詞・代動詞(「こう」「こんな」など)・未定動詞(「どう」「どんな」など)・形式動詞」に区分されます。そして、副体詞(連体詞)は「本副体詞・代副体詞(「この」など)・未定副体詞(「どの」など)・形式副体詞」などに区分されます(下図参照)。
松下大三郎の品詞下位区分 | | 本 | 代 | 未定 | 形式 | 名詞 | こころ | これ | どれ | もの | 動詞 | 行く | こう | どう | (旅行)す | 副体詞(連体詞) | あくる | この | どの | ある(人) |
僕が最も違和感がないのは、この松下の説です。それぞれの品詞性と、「空き缶的性質」との両方をすくい上げた分類で、すっきりしています。
ただ、用語が学校文法の品詞分類と異なるところが大きいので、僕ならば、「これ・それ・ここ・そこ」などを「代名詞」、「こう・そう」などを「代副詞」、「この・その」などを「代連体詞」と呼びたいところです。これらを総称して「代詞」というのはいかがでしょう――というのは、悪ふざけでしょうか。
「代詞」ではなく、一般的には「指示詞」ということばが使われています。それを使うのがよいでしょう。
追記 高杉親知さんから西洋文法での考え方についてお知らせいただきました。代名詞(pronoun)のほかに代動詞(pro-verb)、代形容詞(pro-adjective)、代副詞(pro-adverb)があり、総称はpro-formというとのこと。
『言語学大辞典 術語編』(三省堂)を見てみると、pro-formは代用形と訳されているようです。このうち、たとえば代動詞は「do(する)」で、松下のいう形式動詞にあたります。
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