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01.04.13

携帯電話ぎらいの週刊誌

 大学生に簡単なアンケートを取ったところ、携帯電話を持っている人は9割を超えていました。こうなると、携帯電話を使ったことのない僕は――以前、タクシーの中で借りて使おうとしたが、ついにやり方が分からなかった――少数派の悲哀を味わわざるをえません。
 僕のようなさびしい立場の者の共感を呼び起こす文章が、最近、「週刊文春」にたてつづけに載りました。
 ひとつは、中野翠さんの文章(2001.04.12 p.188)
 彼女は、携帯電話が出始めたころ、これであたり構わず声高に「ビジネス」の話をするひとが増えるんだろうなあ、と「おびえた」そうです。これは1995年ごろの僕の感想と似ています。
 当時、JRの駅構内なんかにはられていたポスターに、携帯電話を耳に当ててにこにこお辞儀をしているサラリーマンの絵をあしらったものがありました。そこに「一人芝居。」というキャッチコピー。携帯電話使用の際のマナーを呼びかけるものでした。
「たしかにそうだ、あれは一人芝居に似て不気味だ、ああいう物は金輪際買うまい」
 と、僕は妙に力こぶを入れたものでした。これは、僕がサラリーマンでないため抱くことのできた無責任な感想でもありました。会社勤めの人にとっては、そうばかりも言っていられないでしょうから。ところが、今では、勤め人でもなさそうな人々が、そこらじゅうで一人芝居をしているという不気味なことになりました。
 中野翠さんは、「興味も何もない他人の〔略〕プライバシーを知らされてしまうこの苦痛」がいやだと書いていますが、もっと詳細には、土屋賢二氏が別の号で次のように分析しています(2001.03.29 p.129)

 他人の携帯電話が迷惑だと感じるのは、電車の中で化粧をしたり男女がいちゃついたりするのが腹立たしいのと同じ心理であるように思われる。化粧するのもいちゃつくのも電話するのも、本来、私的な行為であり、他人に見られると恥ずかしいような行為である。自分の目の前で平然とそういう行為をされると、自分が「配慮すべき他人」として扱われていないような気になるのではなかろうか。

 さすがは哲学者、この説明はすっと頭に入りました。
 いつぞや、コンビニエンスストアで買い物をしていると、大きな声で怒鳴っているお兄さんがいました。見ると、携帯電話を耳に当てています。彼は、宙を見つめたまま大声で呼ばわりながら、店内の通路を右往左往したり、雑誌コーナーにうずくまったりしています。あれは何でしょうね。おそらく、電波が届きにくく、相手の声を明瞭にするために最適な位置を探していたのだろうと思います。
 しかし、コンビニエンスストアでそういうことはしないでいただきたい。大声のお兄さんが至近距離を、こちらには目もくれずのっしのっしと歩いて行くのを見ていると、もしかして自分は透明人間になってしまったのじゃないか、とか、もしかして、実はここはストアではなくて彼の部屋なのではないかと、自分の存在に不安を感ずるのです。
 店内や車内で空間を共有している他者は、ふつうは互いに話もしませんが、これはべつに無視し合っているのではなく、互いの存在は認め合っているのです。電車の乗客同士は、もし事故が起こったら一蓮托生のはずの仲間でもあります。われわれは、電車の中で円周率を諳誦したりする気にはなりにくいものですが、それは、うるさくて迷惑になるからではなく(騒音としては大したことがないはず)、周りの存在を無視することになってしまうからです。
 店内・車内で携帯電話で話すことも、他人の前で円周率を諳誦する程度には異様で不気味なふるまいだと僕には思われますが、そう感じない人も多いのでしょうか。
 そうなのだ、そういう異星人がいるのだ、と喝破するのは、林真理子さんです(2000.02.03)
 林さんの文章は、携帯電話ではないが、車内で人目を気にしない人が進出している例を挙げたものです。それは何かというと――

若い女性が、小さな手鏡片手に鼻毛を切っていたのである。このあいだ鼻の下のうぶ毛を抜いている女の人を見たが、もうそんな段階ではない。鼻毛、鼻毛である。それもガングロネエちゃんといった顔の女性ではない。そこそこ可愛い普通の女性なのだ。
 今の若い人には、他者というものが存在しない、と誰かがいっていたけれども本当にそうだと思う。

 シチュエーションがとっぴすぎて、初め、僕には林さんの怒りがよく分からなかったのですが、よくよく文章を味わってみると、やはりこれは、近くで携帯電話を使われたときと同じ質の不快感を生ずるように思われます。
 スーパーマーケットのレジで客が無言であるという話は、以前にも触れました。そういう無言の不気味さと、うるさく携帯電話を使っている人の不気味さは、音のボリュームとしては正反対でありながら、他者不在という一点で共通しているようです。
 ともあれ、「週刊文春」の読者には、携帯電話の嫌いな人が多いのだろう、と僕は想像しています。機会があれば、他の媒体の同趣の記事も集めたいと思います。

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