五味川純平 ごみかわ・じゅんぺい(1916—1995)


 

本名=栗田 茂(くりた・しげる)
大正5年3月15日—平成7年3月8日 
享年78歳 
静岡県駿東郡小山町大御神888–2 冨士霊園3区1号121番


 
小説家。旧満州生。東京外国語学校(現・東京外国語大学)卒。自らの従軍体験を基にして昭和31年から『人間の條件』(全六巻)を刊行。好評を得て、のちに映画化される。その後も『戦争と人間』『御前会議』『ノモンハン』『ガダルカナル』などの戦争文学を発表した。『自由との契約』『孤独の賭け』などがある。







 もう直ぐだ。俺は苦しみばかりと並んで歩いて来たが、それももう終る。今夜、俺は君を見るだろう。君の声を聞く。手に触れる。思い出す。そう、失われたもののすべてを、今夜取り戻すだろう。
 もう直ぐだからね。もう五分だけ、休ませてくれ。それから行く。必ず今夜のうちに帰り着くからね。
 梶は宵闇に音もなく舞い降りる雪のまにまに遥かな灯を眺めやって、幸福そうに幾度もほほえんだ。とうとう、さようならを云わずに済んだのだ。見果てぬ夢だったものが、そこにある。安らかに、瞬いて、待っている。あとは、体を休めて、元気そうに帰って行くだけである。美千子よ、君と俺の生活は、今夜からほんとうにはじまるだろう。
 梶は、そこが柔かいしとねであるかのように、背を伸ばして切株の間に寝た。美千子が戸を開けて、狂喜するに違いないその瞬間の顔と、奥でパチパチとはぜているであろう暖かい火の他は、何も考えなかった。
                                                         
(人間の条件)の終章



 

 旧満州で軍需工場に従事、昭和18年に召集されてソ連国境を転戦し、終戦間際にソ連軍の攻撃を受けた所属部隊はほぼ全滅、自身は九死に一生を得た。それらの体験を元に描いた『人間の條件』は1300万部という戦後空前のベストセラーとなった。
 破壊され、失われたものは心の闇の奥底に沈んでいっても『戦争と人間』、『ノモンハン』など、反戦文学一筋を貫いた五味川純平だった。〈反戦思想を持っていながら、殺し合い、生きて帰ってきた〉という敗北の戦争体験を一身にひきうけて、昭和53年、喉頭がんのため声帯を失いながらもなお、平成7年3月8日午後2時、脳梗塞で力つきるまで、まさに孤高の人というにふさわしい作家人生をおくった。



 

 〈雪は降りしきった。遠い灯までさえぎるものもない暗い曠野を、静かに、忍び足で、時間が去って行った。雪は無心に舞い続け、降り積もり、やがて、人の寝た形の、低い小さな丘を作った〉。
 『人間の條件』の最終章を読み終えて、16歳の私は初めて「死」を意識した。抗いようのない理不尽な「運命」を思った。山里の深い秋の陽はとうに落ちていた——。
 富士を背に、滑走路のように広くて長い霊園の大路を歩きながら、数十年前の懐かしくも遠く若い日を思った。赤いベゴニアが咲いている。黒っぽい火山土の上には「栗田家」墓があった。香立てに「五味川」、裏面に「栗田茂(五味川純平)」の彫り込みがある。陽は高く、雲雀も鳴いて、〈小さな雪の丘〉は刹那に消えた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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