團 伊玖磨 だん・いくま(1924—2001)                  


 

本名=團 伊玖磨(だん・いくま)
大正13年4月7日—平成13年5月17日 
享年77歳(鳳響院殿常楽伊玖磨大居士)
東京都文京区大塚5丁目40−1 護国寺(真言宗)




作曲家・随筆家。東京府生。東京音楽学校(現・東京藝術大学)卒。日本を代表するクラシック音楽の作曲家の一人。昭和27年初演のオペラ『夕鶴』で毎日音楽賞特別賞、山田耕筰賞などを受賞。28年黛俊郎、芥川也寸志と「三人の会」を結成。文才にも優れ、随筆に『パイプのけむり』など多くの著書がある。




 



 野辺を急ぐ旅人は、えてして畦に咲く小さな花の美しさに気付かない。春の土の中からそっと顔を出している土筆にも、一瞬頭上を掠めて飛んだ鳥がこの春の初燕であった事にも気付かない。急いでいるひとにとっては、そんな事は気付く必要も無いたかが些細な事なのである。趣味の人は、ゆっくり歩けばよいと言うかもしれない。然し、野辺を急ぐ旅人には急がねばならぬ理由があって急いでいるのである。そこを、たかがをたかがと思わぬようにする事の意義が出て来る。僕達は皆急いでいる。二十世紀も終わりに近い忙しい時代に生きているから急いでいると言うのではない。僕は、生きとし生ける人は、無論自分をも含めて、皆、死への野辺の道を急いでいる旅人だと思っている。生きているという事自体が、刻一刻、一日一日、死への急ぎ旅なのだ。人は皆急いでいる。だから、旅人が急いでいるというだけの理由で畦の小さな花に気付かず、土筆や燕に気付かないというのは変である。この旅人は外界の総ての物に気付かず、鈍感に小径を移動しているだけなのであろう。こんな人間は、物理的にゆっくり歩いてみたところで、畦の花にも燕にも気付かないと思う。たかがは、だから、どんな些細と思われる事にも、急ぎながらも気付き、急ぎながらも考えを致す事なのだと僕は思う。
                                           
(さて*パイプのけむり)

  


 

 平成12年4月6日、妻和子が急性心筋梗塞で急死した。
 翌年、日中文化交流協会の代表団団長として中国を訪れていた團伊玖磨は、13年5月17日午前1時40分(日本時間午前2時40分)、救急車で運ばれた蘇州市第二人民病院にて心不全のため死去した。
 遺体は翌18日、上海から、ブルーなる初夏の相模湾を望み、真白に輝いた神奈川県横須賀市秋谷の自宅に帰ってきた。
 家中の何処から何処までも明るいことが設計の条件だったというその家の大窓の前に安置された棺の中で、自らの作曲になる『花の街』を聞きながら弔問客の顔や湾越しに見える富士の山、漁を終えて漁港に戻ってくる帰帆の船を思い描いたことであろう。



 

 昭和39年に『アサヒグラフ』に連載を始めた随筆『パイプのけむり』は、平成12年に同誌が休刊するまで書き継がれたが、翌年に團伊玖磨自身も燃え尽きたのであった。
 互いに敬愛し、作詞作曲のコンビを重ねた詩人堀口大学の最後の詩集『虹消えず』。そこに収まった「タヒチ島から」という詩の中に書かれた〈音探し地上をさまよう巡礼者〉としての旅を終えた團伊玖磨だった。
 血盟団事件によって暗殺された祖父・團琢磨も眠るこの寺の墓地に休息の場所を得たにしても、戒名が授けられ「鳳響院殿常楽伊玖磨大居士」となった魂の旅路は今もあてどなく続いて、宇宙の果てまでも探し歩いてあるのだろうか。小惑星17509番に「Ikumadan」の名称が与えられ、輝く星のひとつとなっても。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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