男の自宅介護

穏やかに介護するために:計画を立てることからすべては始まる

妻が脳出血になり、突然の介護生活が始まりました。それまでの生活は一変し、仕事に加えて妻が担ってくれていた家事全般から冠婚葬祭まで、私が背負うことになりました。加えて妻の食事介助から介護用品の調達、申請など、やらねばならないことがたくさん出てきました。何から手を付けたらいいのか…。

妻が脳出血で入院、やることは仕事の他に家事も介護も加わる

妻50歳、私53歳の結婚25年になる年のことです。

大阪に桜が咲き始めた、3月27日の未明2時半。
一緒に寝ていた妻が頭痛を訴え、救急車搬送されました。
同日、開頭手術で血腫を除去しましたが、意識不明の状態が続きました。

ちょうど1か月後には意識が戻りましたが、大きな後遺症が残り寝たきりとなってしまいました。
(後に、身体障害者1級、要介護5と認定されました)。

妻は専業主婦でした。
私は企業戦士。
子供2人は大学生。
犬が1匹。

車にバイク、夫婦でテニスと家庭菜園を楽しむ日々でしたが、
それが一変してしまったのです。

日常生活の掃除、洗濯、炊事、買物の家事全般から冠婚葬祭まで、妻が担ってくれていた役割はすべて私一人で背負うことになりました。

「下着の場所もわからない」
「料理もほとんどしたことない」
そこに妻の介護も加わります。

毎日定時退社して療養型病院にいる妻の夕食を介助します。
その他にも紙おむつや車いすなど介護用品、服薬管理、入院費、身体障害者手帳、生命保険、障害者年金、医療費助成、などなど。
やること、考えることがいっぱいです。

「このままどうなるんだろう?」
「お金は続くのか?」
「会社はどうする?」
そんな思いでした。

脳出血から4年後を退職日に決める

「解決策の見つからない無理難題」「複数の問題の同時進行」…。
こうしたことは、会社生活では頻繁に起こるものです。

ですから私は、会社勤めの30年の経験から自分に言い聞かせました。
「課題解決には定石がある」
「今まで修羅場をくぐり抜けてきたじゃないか」
「会社と同じやり方をしよう」、と。

まず、脳出血から4年後の3月31日を退職日に決め、それを家族に宣言しました。
57歳の早期退職です。
その4年の間に収入を確保する目的もありますが、この頃になれば子供の2人が就職し、手が離れるという理由もありました。

そして
「家計簿をつけて生活費を把握し、将来設計をする」
「在宅介護の情報収集をする」
ということに時間をかけることにしました。

当初数か月間は、60歳の定年まで…とも思いました。
しかし妻に病院暮らしをさせたくはなかったので、定年より3年早く退職することにしたのです。

ふるさと金沢での在宅介護計画

退職後は、生まれ故郷の金沢に帰って在宅介護することに決めました。
それにはまず、綿密な計画を立てることが必要です。

家財の整理、引越し、転院、介護認定、介護リフォーム…。
これらすべてについての日程を組み、何日までに何をするべきか、会社の計画と同じようにtodoリストにすべて書き出しました。

さらに生涯設計を作って、3つにまとめました。
・長期計画・・・寿命90才として、残り30年のライフプラン
・中期計画・・・退職日から、在宅介護までの計画
・1年計画・・・やること、やりたいこと、やらないといけないことをリストアップ

そして妻のベッドサイドには、退職日までの日数表示板を用意しました。



お菓子の蓋の鉄板に、100円ショップで買ってきたマグネットシートを使って手作りしたものです。

こうして妻とともに、“金沢で在宅介護”へのカウントダウンがはじまりました。
細かな課題をひとつひとつ解決していくことで、不安がなくなったのです。

在宅介護6年、穏やかに介護生活を楽しんでいます

金沢での在宅介護がスタートしても「長期計画」「中期計画」「1年計画」「家計簿」は毎年更新しています。
計画更新を毎年重ねていくと精度が向上し、将来の出来事を予測や予知できるようになります。

生涯設計は、会社生活を送っていた頃には考えもしなかったことです。
でもこの介護をきっかけに、ちゃんと立てることができました。
この設計は、やっておいてよかったと思います。
やりたいことがリストアップでき、穏やかに介護生活を楽しむことができるようになりました。



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