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   【 道元 ・ 芭蕉 ・ 達磨 ・・・ 藤原俊成 】  (1~ 162) 

                            

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2016年

~2017年
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 11月25日

岡田健吉‏@zu5kokd1                                  

《仏教/・・・雑学》・・・(3)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(1)


紅葉美しい季節ですが、道元禅師はこうに詠んでいます。



★ 花紅葉 冬の白雪 見しことも 思へばくやし 色にめでけり      (道元禅師)
    
はな・もみじ


また…藤原定家父/藤原俊成は、道元禅師よりも約1世紀前歌人ですが、こう

に詠んでいます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                                  

《仏教/・・・雑学》・・・(4)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(2)


★ 高砂の 尾上の桜 見しことも 思へば悲し 色にめでける      (藤原俊成)
                   おのえのさくら(/峰の上の桜)


紅葉白雪と…この世の美しい四季の訪れですが、それに執着するのもまた心の迷

です。仏道修行する道元禅師にとって、<思へばくやし>となるわけです。

一方、藤原俊成は…還暦の頃大病して出家し…



 11月26日

岡田健吉‏@zu5kokd1                                  

《仏教/・・・雑学》・・・(5)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(3)


釈阿
(しゃくあ)と名乗りますが、同じ仏道修行者心境に詠んでいます。

おそらく道元禅師は、平安王朝末期大歌人である、藤原俊成この歌に接した事が

あったのかも知れません。

そして…

江戸時代/元禄の頃の俳人/松尾芭蕉は…逆に、その風雅の中に没入し…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                                  

《仏教/・・・雑学》・・・(6)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(4)


四季移ろい行く姿に、<深く・・・恋焦(こいこ)がれ>その旅に果てています。

仏道の立場から見れば、これは<風雅への妄執(もうしゅう/悟りきれず、心の迷いによってあくまで

離さないでいる執念)であり、<限りない執着(しゅうちゃく/ある物・事に強くひかれ、深く思い込んでどうし

ても忘れ切れないこと)であり、<悟りとは対極>にあるものです。

芭蕉は…四季の風雅<深く・・・恋焦がれ>、ある意味で、苦しい風狂(ふうきょう/風雅

に徹し他を顧みないこと)の旅をしていたのです。

辞世(じせい/この世に別れを告げることの句は次のようなものです…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                                  

《仏教/・・・雑学》・・・(7)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(5)


★ 旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る


この句前詞
(まえことば)に…<病中吟(びょうちゅうぎん)とあり、芭蕉辞世ではなく、あく

までも<生前最後の句>と言います。

芭蕉は…元禄 7年9月29日、突如、下痢を発病し、病床に就きます。

10月5日に、大阪蕉門(/大阪における蕉門・・・松尾芭蕉の一門)重鎮の1人/之道亭(しどうてい/

槐本之道(えもと・しどう/大坂道修町の薬種問屋の主人。伏見屋久右衛門。芭蕉の最期を看取った1人。)<亭>/宿

所・・・眺望や休憩のために高台や庭園に設けた小さな建物。)が、手狭なため…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                                  

《仏教/・・・雑学》・・・(8)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(6)


病床南御堂前/花屋仁右衛門宅/離れ座敷に移すことになります。そして、10月

8日深更(しんこう/夜ふけ、深夜)呑舟(どんしゅう/蕉門の1人)に墨を摺らせてこれを作句した、と

いいます。

芭蕉といえば…江戸日本橋や、 江戸深川芭蕉庵などを想起しますが、元々は忍者の

里/三重県伊賀市の生まれです。『奥の細道』終点も…



 11月28日

岡田健吉‏@zu5kokd1                                  

《仏教/・・・雑学》・・・(9)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(7)


出発した江戸ではなく、岐阜県大垣市です。倒れたこの大阪も、江戸よりは故郷

に近いわけです。

芭蕉を深く尊敬していた俳人/与謝蕪村もまた…摂津/大阪の生まれですが、江戸日

本橋あたりに出て来て、やがて西へ流れ、京都に居住します。

芭蕉は…どちらかと言えば<崇高(すうこう/気高く偉大なこと)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                                  

《仏教/・・・雑学》・・・(10)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(8)


蕪村<愛すべき才人>…と言った所でしょうか。

さて…

道元禅師の話にもどりますが、道元は…


★ 花紅葉 冬の白雪 見しことも 思へばくやし 色にめでけり    (道元禅師)



歌いつつも…風雅
(いと)い嫌っていたわけではなく、やはり四季移ろいを深く…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                                  

《仏教/・・・雑学》・・・(11)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(9)


愛していたわけです。次の歌も、そうした深い境地での、不動仏道への傾斜を、

に乗せて歌っています。


★ 春風に 吾が言葉の 散りぬるを 花の歌とや 人のながめん   (道元禅師)
          
ことのは


道元禅師御心は、『正法眼蔵』難解な様に、<はかり知れない深さ>があります。

                                  <・・・・・・・・・・『正法眼蔵』 は、こちらへどうぞ>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                   

                                                                     芭蕉坐像図/白鴎画  (江東区芭蕉記念館所蔵) ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(12)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(10)


一方、芭蕉も…


★ 古池や かわず飛びこむ 水の音   (芭蕉)



…のでも分かるように、<禅の・・・深い悟りの境地>体現し、1句を詠んでいます。

仏頂和尚が、江戸深川芭蕉庵を訪ねた折ので、これにはよく知られたエピソード

あります。

                        <・・・・・・・・・・・詳しくは、こちらへどうぞ >   house5.114.2.jpg (1340 バイト)

この句<水の音>は…『無門関(むもんかん)・第一則/趙州狗子(じょうしゅうくし)』の…

                                          < ・・・・・・・・・・・・『無門関』 は、こちらへどうぞ>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                   

                                                                     芭蕉坐像図/白鴎画  (江東区芭蕉記念館所蔵) ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(13)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(11)


趙州和尚(しょうしゅう・おしょう)返答の、<無!>相当するものです。

この公案/『無門関・第1則』 は、こういうものです…


<ある時、一人の僧が趙州和尚に問うた。

「犬には仏性が有るでしょうか、それとも無いでしょうか」

「無!」と趙州は答えた。>


…と言うものです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                   

                                                                     芭蕉坐像図/白鴎画  (江東区芭蕉記念館所蔵) ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(14)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(12)


この<無!>相当する返答を、芭蕉は鮮やかに俳句で答えています。


★ 古池や 蛙飛びこむ 水の音   (芭蕉)


…と、いうものですね。その、<時空を超えた・・・永遠の水音>は、<芭蕉とともに

・・・今も響き続けて>…います。

さて…

それ程芭蕉ですが…何故深い心境分水嶺から、<風雅への妄執(もうしゅう)

と、<身を沈めて行った>のか。それは、おそらく…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                   

                                                                     芭蕉坐像図/白鴎画  (江東区芭蕉記念館所蔵) ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(15)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(13)


<俳人/芭蕉の・・・文学者としての立ち位置>であり、入宋(にっそう/中国・宋に入っ

た、留学した)沙門(しゃもん/仏教の修行僧、サマナ)/道元とは、違う所なのでしょう。

芭蕉は…

俳人であり、<衆生救済(しゅうじょうきゅうさい)などのテーマはなく、旅を終生の友とし、

に存在する蕉門(しょうもん/芭蕉門下の俳諧の弟子)を巡り、俳諧道を究める人生だったので

しょう。<四季の風雅に殉じるのも・・・覚悟の上>…と。



 12月 2日

岡田健吉‏@zu5kokd1                 
                                     
 道元禅師     /パブリックドメイン=著作権フリー       

《仏教/・・・雑学》・・・(16)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(14)


さて、芭蕉境地は…

風雅への妄執(もうしゅう)/風雅への・・・苦しいほどの恋ですから…その深淵は見

えずとも、ある程度理解可能です。

では…道元禅師の、

<思えばくやし 色にめでけり>という心象風景(しんしょうふうけい/現実の風景ではなく、心の中で

思い描いている風景)は…どう理解すべきでしょうか。全く、逆の立ち位置の主張が…<仏道

への邁進(まいしん/まっしぐらに突き進むこと )と、言います。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          
                                
雪舟の 『慧可断臂図』  /パブリック・ドメイン=著作権フリー       

《仏教/・・・雑学》・・・(17)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(15)


大病を得て出家した…

平安王朝末期大歌人/藤原俊成も、鎌倉時代道元禅師より以前に、に詠んでい

るわけですから…これは間違いのない、<仏道の・・・王道>と言えるものです。

若輩者/私…に言えることは…

理解できることではないから…修行が必要となり…悟りに至る道が示されている…という

事です。

『無門関・第41則/達磨安心』 では…    

禅宗初祖/…菩提達磨(ボダイ・ダルマ)/…壁観(へきかん/壁を見る)バラモン(バラモン教の僧侶)

は…

                                <・・・・・・・・・・ 『無門関』 は、こちらへどうぞ!>

岡田健吉‏@zu5kokd1          
                                
雪舟の 『慧可断臂図』  /パブリック・ドメイン=著作権フリー       

《仏教/・・・雑学》・・・(18)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(16)


<九年面壁(くねん・めんぺき/9年間にわたる面壁座禅)といわれる・・・壁面座禅(へきめん・ざぜん/

壁に向かって座禅すること)をしています。

その初祖/達磨は、<花・紅葉・冬の白雪>を見ていたわけではなく、<尾上の桜>

を見ていたわけでも、ありません。

つまり、9年間も…

藤原俊成道元禅師の言う所の、<色>…を(め)ていたわけではないのです。で

は、何を見ていたのか?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          
                                
雪舟の 『慧可断臂図』  /パブリック・ドメイン=著作権フリー       

《仏教/・・・雑学》・・・(19)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(17)


それは…

一言でいえば、<空(くう)なのでしょう。

しかし…その<空>説明するのは、非常に難しいのです。

<一切皆空(いっさい・かいくう)とも…仏教では言います。

これは…

<一切の存在は・・・すべて固定した実体ではなく・・・空である>…と言います。これ

が、【仏教の根本教理】 なのです。



 12月 4日

岡田健吉‏@zu5kokd1          
                                
舎利子/舎利弗  ネットより画像借用・・・ 宗派(原始仏教)    

《仏教/・・・雑学》・・・(20)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(18)


また、『般若心経 (はんにゃしんぎょう)冒頭の方に…

<色即是空(しき・そく・ぜ・くう)とあり…<色/しき><即/すなわち><是/これ

<空/くう>である…とあります。

さらに、<空即是色>(くう・そく・ぜ・しき)と、逆さにしてくり返しています。

その前文には…<舎利子(しゃ・り・し) 色不異空(くう・ふ・い・くう) 空不異色(くう・ふ・い・しき)

とあるわけですから、何度も何度も

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          
                                
舎利子/舎利弗  ネットより画像借用・・・ 宗派(原始仏教)    

《仏教/・・・雑学》・・・(21)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(19)


くり返しているわけです。全体現代語訳すれば…


<舎利子よ・・・

色は空に異らず、空は色に異らず・・・

色はすなわちこれ空にして、空すなわちこれ色なり・・・>


…となります。

釈尊/お釈迦様/仏陀が…弟子/舎利弗(しゃりほつ/釈迦10大弟子の1人。特に、舎利弗と目連を、

釈迦2大弟子と呼ぶ。)<空>を説いている、くだりです。道元禅師が、<思へばくやし・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                 
                                     
 道元禅師     /パブリックドメイン=著作権フリー       

《仏教/・・・雑学》・・・(22)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(20)


…色(いろ)にめでけり>…と詠んだ<色(しき)とは、こういう事なのです。

これを、さらに具体的に言えば…

<あらゆる迷妄の無くなった・・・空の境地>に至れば…<一切の仮の姿の現象/

(しき)が・・・実相/仏の世界の真実の存在・・・>

…として見えて来る、ということです。

それにしても…

これは、単に言葉として理解しただけです。それで済むなら、修行不要なのです。道元

禅師『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)/画餅(がびょう) に、こんなくだりがあります…


<・・・仏を描くには、金泥
(きんでい)、泥絵具(どろえのぐ)を用いるばかりでなく・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                 
                                     
 道元禅師     /パブリックドメイン=著作権フリー       

《仏教/・・・雑学》・・・(23)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(21)


・・・仏の三十二相、一茎の草、永遠の修行、を用いる。

そのようにして、一枚の仏を描くのであるから、一切の仏は、みな画仏(がぶつ)であ

る。一切の画仏は、みな仏である・・・〉


つまり…

<色や空の・・・相・・・>も、長い修行によって、見えて来るわけです。しかし禅宗には、

<頓悟(とんご/修行の階梯(かいてい)を経ず、ただちに悟りを開くこと。)・漸悟(ぜんご/順を追って次第に悟りに

近づくこと)がある様に…



 12月10日

岡田健吉‏@zu5kokd1         
                             
雪舟の 『慧可断臂図』/国宝  /パブリック・ドメイン=著作権フリー       

《仏教/・・・雑学》・・・(24)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(22)

★ 【無門関・第41則/達磨安心】 (1)


さて…

【無門関・第41則/達磨安心】 が取り上げられたので…それについて、簡単に考察

て置きましょう。

室町時代の…禅僧/水墨画家/雪舟(せっしゅう/備中(/岡山県の西部)に生まれ、京都/相国寺で修

行した後、大内氏の庇護のもと周防(すおう/山口県東南半分)に移る。その後、遣明船に同乗して中国(/明)に渡り、李

在より中国の画法を学んだ。)が…

その場面を描いた有名な絵/『慧可断臂図(えかだんぴず)(/国宝)があります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         
                             
雪舟の 『慧可断臂図』/国宝  /パブリック・ドメイン=著作権フリー

慧可断臂図(えかだんぴず)国宝 重要文化財から・・・2004年に国宝に指定。)

       禅宗の初祖・達磨が少林寺において面壁座禅中、慧可という僧が彼に参禅を請うたが許されず、自ら左腕を切り落

       として決意のほどを示したところ、ようやく入門を許されたという有名な禅機の一場面である。リアルにあらわされた

       面貌と一点を凝視する鋭いまなざし、そして動きの少ない構図が、画面全体に息苦しいまでの緊張感を生み出し

       ている。)       

《仏教/・・・雑学》・・・(25)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(23)

★ 【無門関・第41則/達磨安心】 (2)


【無門関・第41則/達磨安心】

<--

菩提達磨は壁に向かって坐禅していた。雪の中に立ちつくしていた二祖は、腕を切

って言った。

「私の心はまだ安らかではありません。師よ、願わくば安心させて下さい。」

達磨は言った。

「心を持って来なさい。安らかにしてあげよう。」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
          
中国/明時代の画家/戴進が描いたもの。雪舟はこの絵か、模写を中国で見た。  /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(26)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(24)

★ 【無門関・第41則/達磨安心】 (3)


二祖が言った。

「心を求めましたが、ついに得る事ができませんでした。」

達磨が言った。

「お前のために、安心し終わった。」

-->


これが…【無門関・第41則】公案(こうあん/禅宗で、悟道のために与えて工夫せる問題。)です。

二祖/慧可(えか/・・・はじめは神光と呼ばれていた)が、長年血のにじむ様な苦行の末、洛陽

郊外嵩山(すうざん)少林寺の、菩提達磨(ぼだいだるま)/壁観バラモンに見(まみ)えた時の

経緯です。



 12月11日

岡田健吉‏@zu5kokd1         
                     
 釈尊が修行をした霊鷲山(りょうじゅせん)/インド・ビハール州   ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(27)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(25)

★ 【無門関・第41則/達磨安心】 (4)


この公案は…平易に見えますが<求道(ぐどう)上・・・最も大切な問題>を含んでいると

言います。

長年決死の求道も虚しく…壁観バラモン参禅を求めて立ち尽くすという、絶望感を味

わった者でなければ、容易には理解できないのかも知れません。

釈尊/釈迦牟尼尊者も…<6年余の・・・空前絶後の苦行>の中で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1             
          
                           達磨が壁面坐禅した少林寺のスポット  /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(28)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(26)

★ 【無門関・第41則/達磨安心】 (5)


…何度、そのまま命が果てることを覚悟した事でしょうか。つまり、そういう迷いの果て

絶望の姿で、慧可/神光は昼も夜も、菩提達磨教示を請うて、立ち続けていました。

一方…<九年面壁>達磨は、それを許さず、意に介しません。冬/十二月九日の夜、

嵩山(すうざん/・・・中国の河南省鄭州市登封にある )大雪が降りました。



 12月12日

岡田健吉‏@zu5kokd1          
          
                           白隠禅師の描いた達磨図の1つ・・・  /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(29)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(27)

★ 【無門関・第41則/達磨安心】 (6)


神光は雪の中で直立したまま動きません。明け方には、は彼のを越えます。さすが

に、達磨も哀れに思い、を掛けました…


「お前は、長いこと雪の中に立っているが、何を求めているのか、」

「師よ、願わくば慈悲(じひ)をもって法の門を開き、われら衆生を救って下さい」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
          
         『達磨図/破窓月』・・・月岡芳年、木版画、1887年(明治20年)   /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(30)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(28)

★ 【無門関・第41則/達磨安心】 (7)


達磨は答えて言った。

「諸仏無上の妙道は、行じ難いところをよく行じ、忍び難いところをよく忍んで、永く

精進して初めて得られる。

小徳小智の身で軽心慢心をもって、真の教えを得たいなどと願うは、おこがましい。

労しても、甲斐(かい)のないことだ。」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
            神光が断った左腕を差し出す・・・背後の洞窟と、嵩山の山並   /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(31)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(29)

★ 【無門関・第41則/達磨安心】 (8)


師の訓戒を聞いて、神光は密かに利刀(りとう/よく切れる刀)を取り出して自ら左臂(ひじ)

斬り落し、これを師の前に置いた。

師は彼の法にかなった素質を認め・・・

「諸仏は最初に道を求める時、法のために身体のことは顧(かえり)みない。今、お前

は私の前で自分の臂を断った。お前の求道の真はよく分かった。」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                           達磨・慧可・・・洞窟の中        /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(32)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(30)

★ 【無門関・第41則/達磨安心】 (9)


師は彼に <慧可(えか)> という名前を与えた。

神光が尋ねた。

「諸仏の法を聞くことができましょうか、」

「諸仏の法は、人に従って得られるものではない」

「私の心はいまだ安らかではありません。師よ、どうか安らぎをお与え下さい」


これは…『伝燈録』(でんとうろく/・・・『景徳傳燈録』の略称。過去七仏から天台徳韶門下に至る禅僧その他僧侶

の伝記を収録している。多くの禅僧の伝記を収録しているため、俗に<1700人の公案>と呼ばれているが、実際に伝の

あるものは965人です。現在も、禅宗を研究する上で代表的な資料。)にあり…



 12月13日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                         
雪舟の 『慧可断臂図』/国宝   /パブリック・ドメイン=著作権フリー

《仏教/・・・雑学》・・・(33)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(31)

★ 【無門関・第41則/達磨安心】 (10)


公案として整えられた記述で、歴史的裏付けのあるものではない様です。しかし、より

鋭く求道の真を伝えています。

さて…

菩提達磨面壁座禅<空>を見ていたわけですが…【無門関・第41則】はこういう

次第で、<空>直接的意味での関係はありません。究極的には、<悟る>というこ

とですが。



 12月16日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
          
                    鹿島/根本寺        /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(34)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(32)


さて…芭蕉に話を戻します。

芭蕉<風雅への妄執(もうしゅう/悟りきれず、心の迷いによってあくまで離さないでいる執念。)/魔心

(ましん/・・・魔: 一般に、人の心を惑わす悪鬼や災いをもたらす魑魅魍魎、人を一事に熱中させるもの/心魔: 仏教で

の内部の障害)とはどう解釈すればいいのか。

<風雅の・・・限りない肯定/共感>は、<限りない・・・現実肯定>であり…それは

禅道とも共通するものです。

芭蕉仏頂和尚(ぶっちょう・おしょう)師事しましたが、鎌倉/円覚寺(/臨済宗円覚寺派の大本

山。鎌倉五山第二位に列せられる。)/大顚和尚(だいてん・おしょう)とも親しかった様です。

仏頂和尚(ぶっちょう・おしょう/

根本寺・第21世住職の仏頂和尚は、鹿島神宮との間で領地争いがあって、その訴訟のため江戸に滞在することが多かっ

たようです。その時は、根本寺の末寺であった江戸深川の臨川庵(/18年後に臨川寺)を使った。芭蕉の有名な句/

<古池や かわず飛び込む 水の音>は、仏頂和尚が深川の芭蕉庵を訪ねた時のもの、とされています。)

大顚和尚(だいてん・おしょう

鎌倉/円覚寺の第163世住職/・・・芭蕉の代表的な門人に、杉山杉風(すぎやま・さんぷう)と並ぶ宝井其角(たからい・

きかく)がいますが、 <其角/きかく>の号を与えたのが大顚和尚です。)


岡田健吉‏@zu5kokd1      
          
                          卯の花  /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(35)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(33)


芭蕉大顚和尚が亡くなった時に、追悼句を詠んでいます。


★ 梅恋ひて 卯(う)の花おがむ 涙かな


     大顚和尚が亡くなった頃に…

          咲いていた梅の花も…

               今はもう散って…

                    卯の花の季節になってしまった…

                 その卯の花を拝み…

                      涙を流していることだ…


岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                   鉄線花(てっせんか)/ クレマチス       /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(36)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(34)


芭蕉は、仏頂和尚とは興味深い俳句のやり取りが知られています。ある時、芭蕉は…


★ 散らすなよ 万里一条の 鉄線花


…という句を、鹿島/根本寺にいた仏頂和尚に献じました。ところが仏頂和尚は、これを

良しとはせず


★ 散らば散れ 万里一条の鉄線花



 12月17日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                   鉄線花(てっせんか)/ クレマチス       /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(37)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(35)


…という1句を示したと言われます。芭蕉はこの1句によって、大いに悟ったという事です。

もっとも、この句芭蕉の句集には無いらしく、後世作り話かも知れません。しかし、

悟りをひらいた逸話としては、非常によく出来た話です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                   鉄線花(てっせんか)/ クレマチス       /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(38)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(36)


<散らすなよ>…のへの<深い愛着/狂おしい妄執>から…

<散れば散れ>…と、万物の流転肯定する<悟リ/空へ至る飛躍/・・・頓悟の示

唆>を…芭蕉豁然(かつぜん/ぱっと打ちひらけるさま。突然迷いや疑いが晴れるさま)と、見事に受け

止める、力量があったということです。山道を登り続け、突然、広々とした海の視界が開

けた時の様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                   藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 )      /
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《仏教/・・・雑学》・・・(39)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(37)


しかし…

前にも言った様に、芭蕉<幾重にも悟りを重ね>ながらも、<風雅への愛着/愛惜

(あいせき/大切にし、手放したり損ねたりするのを惜しむこと)/妄執>捨てなかった様です。

それは、出家者/藤原俊成や、入宋沙門(にっそう・しゃもん)/道元とは、人生の立ち位置

異なるという事です。芭蕉俳諧師であり、芸術家であり、蕉門の総帥/元禄の大スター

なのです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
          立石寺/山寺(やまでら)・・・山形県山形市にある天台宗の寺院  /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(40)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(38)


『奥の細道』 などを見ると…

蕉門/蕉風(しょうふう/芭蕉の誹風・・・蕉門俳人は、自分たちの俳風を<正風>と称した。)江戸の文化

として、奥州にも届いてた様です。

芭蕉曽良『奥の細道』の同行者)はそうした俳句の知己知人の紹介を頼り、各地句会

(もよお)しながら路銀(ろぎん/旅に必要な金銭)を集め、奥州平泉尾花沢立石寺(りっしゃくじ)

象潟(きさかた)直江津(なおえつ)と…当時の日本を、庶民ヒッチハイク/探検して歩いた

わけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                 芭蕉と曽良・・・(『旅立ち』/与謝蕪村の南画)    /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(41)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(39)


江戸時代文化は…

諸大名参勤交代副産物として、緩やかに日本全国伝播(でんぱ/伝わり広がって行くこと)

していた様です。他に、勤番侍(きんばんざむらい/国もとから出て、江戸や大坂の藩邸詰めとなっている侍。)

商人が多かったと思われますが…<文化の伝達者>としての旅人は、

諧師(はいかいし)などです。絵師僧侶などもそうだったのでしょう。そうした文化各地の

情報を得るため…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                         大根       /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(42)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(40)


地方の有力者は、進んで彼等逗留(とうりゅう/旅先で、ある期間とどまること。)させ、旅の世話

したわけです。

特に…

各地に散在する俳諧門下巡回している俳諧師は、今風の新聞週刊誌の様な知識

階層情報源です。各地に関所などもあり、僧衣が何かと便利だったようです。

元禄時代芭蕉をよりやや下り(/近代に近く)ますが、小林一茶に、こんなの旅のエピ

ソードが有ります…


★ 大根(だいこ)引き 大根で道を 教へけり  (一茶)   <詳しくはこちらへどうぞ・・・ No.17>     


一茶が道を尋ねたら、百姓引き抜いた泥の付いた大根で、指してくれたという…

おそらく、実体験の句でしょう。


 12月23日

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《仏教/・・・雑学》・・・(43)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(41)


さて…道元に話を移します。私の好きな道元の歌に…


★ 峯
(みね)の色 溪(たに)の響きも みなながら わが釈迦牟尼の 声と姿と


…が、あります。

これは、中国/宋の、蘇東坡(そとうば/・・・蘇 軾(そしょく)中国北宋時代の政治家、詩人、書家。東坡居士

と号したので、蘇東坡とも呼ばれる)・居士(こじ/在家の禅の修行者)が、踏襲(とうしゅう/それまでのやり方

を受け継いで、その通りにやること)されています。


    渓声便是広長舌   
(けいせい・すなわち・これ・こうちょうぜつ)

    山色豈非清浄身   (さんしき・あに・しょうじょうしんに・あらざらんや)

    夜来八萬四千偈     (やらい・はちまんしせんの・げ)

    他日如何挙似人     (たじつ・いかんか・ひとに・こじせん)


…というものです。

七言絶句/渓声便是広長舌

中国/北宋時代の詩人/蘇東坡は…

文学者であり役人でもありましたが、皇帝そしった罪で湖北省/黄州へ左遷されました。その罪がと

かれ、しばらく弟のいる州へ行こうと旅立ちます。その時に立ち寄ったのが廬山・恵林寺であり、照

覚常総禅師に参禅します。

そして、そのとき与えられたのが、【無情説法の公案】といわれます。これは、山川草木など情のない

ものの説法の声を聞け、というものでした。

蘇東坡は、しばらく廬山に留まり座禅を組み、この公案に取り組みます。しかし、答えを出せず、常

総禅師のもとを辞し、再び州へ向かいます。しかし【無情説法の公案】は、彼の脳裏を離れず、馬に

揺られながらも、全身全霊で公案に取り組んでいました。

  その様な旅の途中…ある谷川へさしかかった時、轟々と岩をも砕くような流れの轟
音に…東坡は

豁然と心境が開けます。その心境を、詩にしたのが…この<広長舌の七言絶句(しちごんぜっく/漢詩で、

七言の句が4句からなる近体詩)>です。


岡田健吉‏@zu5kokd1              

《仏教/・・・雑学》・・・(44)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(42)


芭蕉が…

<風雅への妄執/風雅への魔心>に身を沈めて行きながらも、<禅的な悟り>

(まと)っている様に…

道元も…

<思えばくやし 色にめでけり>と詠みながらも、多くの<色>愛でる歌を残していま

す。その言い訳ではないのでしょうが、こんな歌があります…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《仏教/・・・雑学》・・・(45)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(43)


★ 春風に わが言葉(ことのは)の 散りぬるを 花の歌とや 人のながめん


道元もまた、<悟りの深淵>を極めながら、<空>から<色>へ身を浮かし、その

浅い所で、衆生(しゅじょう)教示(きょうじ)しているわけです。

我々衆生は、その浅い所住処(すみか)とし、ウロウロしているわけですから。


 12月24日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                   藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 )      /
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《仏教/・・・雑学》・・・(46)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(44)


藤原俊成の方も、のぞきますか…

ええと、くり返しますが…

俊成は…平安時代後期~鎌倉時代初期公家で、歌人です。この時代90歳まで生き

ていますから、まさに歌人妖怪といったところでしょうか。

藤原北家御子左流(ふじわらきたけ・みこひだりりゅう)の…権中納言/藤原俊忠の子で、養子

出ますが、再び実家/御子左家(みこひだりけ)に戻っています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                 霧立ち上る・・・槇(まき/スギやヒノキの総称)の山    ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(47)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(45)


に…『明月記』(めいげつき/藤原定家の日記。治承4年(1180年)から嘉禎元年(1235年)までの、56年間

にわたり克明に記録した日記。国宝。) 『小倉百人一首』編集した…藤原定家がいて…

養子/寂蓮法師は…弟/僧・俊海/…醍醐寺阿闍梨がいます。

『小倉百人一首』寂蓮法師歌/【87番 → 寂蓮法師】は、次のものです…


★ 村雨の 露もまだひぬ 槇
(まき)の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ   (寂蓮)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                   浦の苫屋の秋の夕暮れ・・・  ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(48)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(46)


俊成の、 『小倉百人一首』歌/【83番 → 皇太后宮大夫俊成】 は…


★ 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる      (俊成)



ついでに、定家 『小倉百人一首』ではなく、<秋の夕暮れ>も載せて置き

ます…


★ 見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ     (定家)


 12月26日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                   藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 )   /
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《仏教/・・・雑学》・・・(49)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(47)


藤原北家御子左流(ふじわら・きたけ・みこ・ひだりりゅう)/御子左家(みこ・ひだりけ)は…

あの…栄華を極めた、藤原道長(/長女の中宮彰子は、紫式部和泉式部赤染衛門を女房とし、華

麗な文芸サロンを形成しました。同じ一条天皇の中宮には定子がいて、清少納言が仕えていたが、中宮定子は出産時に

薨去し、清少納言も宮廷を去りました。)系譜を引く家系です。

俊成は…

晩年藤原基俊(ふじわらの・もととし/『小倉百人一首』/【75番→藤原基俊】)入門し…<承久の乱

隠岐配流となった後鳥羽院佐渡配流となった順徳院の時代の、歌人です。

90歳という長命で、子/藤原定家時代とも、重なるわけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
          
               式子内親王(1883年(/明治16年)新撰百人一首より)  /
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《仏教/・・・雑学》・・・(50)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(48)


歌壇では…

六条藤家(ろくじょう・とうけ/・・・藤原北家末茂流庶流。藤原隆経の子/顕季(あきすえ)を家祖とする歌道の家。単に

六条家とも言う。その跡を継いだ清輔(きよすけ/藤原清輔)顕昭(けんしょう/亮阿闍梨/すけのあじゃり)は実践のみな

らず、歌論においても才能を示し、御子左家の歌道の家/藤原俊成・寂蓮らに対抗する。)藤原清輔勢力

圧倒されつつも、しだいに、力を付けて行った様です。

清輔/藤原清輔が没すると…政界実力者/九条兼実(くじょう・かねざね/九条家の祖)に迎え

られ、歌壇重鎮となります。

後白河院下命勅撰和歌集/『千載和歌集』(せんざい・わかしゅう/勅撰和歌集の第7で、『詞

花和歌集』の後、『新古今和歌集』の前 )を…そして、子内親王(しきし・ないしんのう)下命歌論書/

『古来風躰抄』(こらい・ふうていしょう/和歌観、和歌の歴史を述べ、『万葉集』以下の『千載和歌集』にいたる、8

撰集の秀歌を例示しつつ、ところどころ評を加えている。)編集・献上しました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                           藤原俊成             /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(51)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(49)


俊成は…

出家後は、<釈阿(しゃくあ)と号しますが…<釈教(しゃくきょう/)分類(/・・・春・夏・秋

・冬・旅・悲傷・祝・恋・雑・神祇・釈教・・・に分類されるに、次の様なものがあります。


(前詞(まえことば)):  法師品(ほうしぼん/法華経第十品)の漸見湿土泥、決定知近水(ぜん

げん・しつどでい、けつじょう・ちこんすい/・・・漸く湿(うるほ)へる土泥を見ては、決定(けつじょう)して水に近づきたりと知

るがごとし)の心をよみ侍(はべ)りける

(意味は・・・

井戸を掘る時、湿った土や泥を見て水脈が近いことを知るように、法華経を深く学ぶほどに真の仏智に近づくことを知る・・・

といった意味。)


★ 武蔵野の ほりかねの井も あるものを うれしく水の 近づきにける


岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                           藤原俊成             /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(52)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(50)

 

     武蔵野の堀兼の井のように…

         掘るのが困難な井もあるものを…

             私が掘ってゆくと、嬉しいことに…

           水脈が近づいてきたのだった…


<ほりかね>
は…武蔵国
(むさしのくに/現在の東京都、埼玉県、神奈川県の北東部)歌枕です。

“堀兼(ほりかね)に、“土が固くて掘りかねる”の意を掛けています。<水の近づき>

<水>は…仏智のことです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                 待賢門院像 (法金剛院蔵)      /
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《仏教/・・・雑学》・・・(53)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(51)


俊成の、この歌は…

康治年間(1142年~1144年)待賢門院(たいけんもんいん)中納言(/待賢門院・璋子に仕えた女房。藤

原定実の娘)が人々に法華経28品詠むよう勧めた時、それに応じて作ったと言わ

れます。

出家者/釈阿(しゃくあ)として…その心境吐露(とろ/気持・意見などを、隠さずに他人に打ち明け述べ

ること)した…という事になるのでしょうか。


 12月27日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                   藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 )   /
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《仏教/・・・雑学》・・・(54)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(52)


さて…
この1首だけでは、俊成/釈阿心境を知ることは困難です。しかし、仏智深い所まで

到達したことが、<うれしく水の 近づきにける>という事から分かります。

当時人々は…

<神・仏・仏教>は身近な生活の中にあり、出家する前も信仰心知識はあったわけ

です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                天龍寺 /臨済宗天龍寺派大本山の寺院/京都市右京区/ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(55)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(53)


おそらく…

その真剣な眼差しは、現代人の私達よりもはるかに深く人生物事を考えていたと思

われます。死は身近にあり、野性の闘争<一期一会>(いちごいちえ/一生に一度だけの機会。

生涯に一度限りであることから、その一瞬一瞬を自覚を持って大切に生きること。)混在していた人生です。

しかし…

貴族社会/知識階級にも、仏教は奥が深く、経典難解を極めたものだったのでしょう。

現代のように、瞬時に翻訳ソフト解説してくれる時代ではなかったのです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
                建仁寺 /臨済宗建仁寺派大本山の寺院/京都市東山区/ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(56)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(54)


その体験的真理/<悟り>探究に…

俊成自身出家者となり、一身を投じたわけです。還暦(かんれき/60年生きて干支(えと)が生まれ

た年に戻る(=還)数え年で61歳のこと。)の頃大病し、出家した様です。

さすがに…

歌道の家/御子左流の初祖であり…大地水が染み込む様に、仏智吸収していく事

が出来たのでしょう。その喜びが、<うれしく水の 近づきにける>というから読み取

れます。

ちなみに

栄西禅師/明菴栄西(みょうあん・えいさい、ようさい)入宋(にっそう/栄西は2度入宋。彼の地で、インド渡

航を願い出るが許可されず・・・天台山万年寺の虚庵懐敞に師事。虚庵懐敞より臨済宗黄龍派の嗣法の印可を受ける。)

京都建仁寺(/臨済宗建仁寺派大本山の寺院)を建立したのは、1202年であり、俊成が没した

のは1204年ですから禅宗とは、わずかに重なる程度です。

明菴栄西

日本臨済宗開祖ですが日本曹洞宗開祖/永平道元(えいへい・どうげん)/道元禅師

は、入宋前建仁寺修行していて、師/明全を通じて栄西とは孫弟子(/最新の研究では、

直接には、会っていないとされる。)の関係になります。


 1月 23日

岡田健吉‏@zu5kokd1        
                     
 釈尊が修行をした霊鷲山(りょうじゅせん)/インド・ビハール州   ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(57)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(55)


さて…次に達磨の方を少し眺めてみましょう…

菩提達磨(ぼだい・だるま)3年近い航海の末…

インドから中国/広州にたどり着いたのは、(りょう/中国の南北朝時代に江南に存在した王朝)

武帝の時代/普通元年(520年)9月21日と伝えられます。

当時中国では…仏教とは人々の吉凶禍福(きっきょうかふく)を占い、金の光り輝く仏像

することによって…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
          
         『達磨図/破窓月』・・・月岡芳年、木版画、1887年(明治20年)   /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(58)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(56)


救いを約束する宗教でした。

中国/シナ入国した外国人は、善人悪人を問わず武帝に一報が届きます。仏教

国是(こくぜ/一国の政治の基本的な方針)とする武帝は、達磨に招待し、<有名な武帝と

達磨の問答>が行われます。

「わしは・・・多くの寺を建て、経文を書写し、多くの僧侶僧尼を育てた。このわしに、

どの様な・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1             
          
                 梁武帝/             ・・・ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(59)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(57)


・・・多幸が訪れるのか、一言教えてくぬか」

「その様なものは、功徳(くどく)にはなりませんぞ」

「無功徳だと!どうしてか?」

「その様なことは、それが出来る人なら、やって当たり前のことです。やらなければ

人間のクズです」

「では、真の功徳とは何を指すのじゃ?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
          
                  梁武帝/             ・・・ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(60)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(58)


「心と智慧が1つになって、何の心配もないこと・・・」

「お前は、悟りを開いた僧と聞いているが、それはウソか!」

「そんな事は、わたしは知らない」


達磨武帝に対し<真の仏法>を説くのは絶望的だと悟ったと思われます。一方、

は、この会見生涯悔(く)いたと言います。



 1月 24日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
          
                  仏像彫刻/             ・・・ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(61)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(59)


仏教インド大陸を席巻し…さらに、北方/ガンダーラ地方ではアレクサンダー大王(/

アレクサンドロス大王・・・アレクサンドロス3世のこと)東征によるギリシア彫刻の影響を受け、仏像

彫刻が誕生します。

中国/唐時代訳経僧(やっきょうそう/経典の翻訳に従事する僧で、鳩摩羅什(くまらじゅう)や玄奘三蔵など

が代表格・・・三蔵法師という)/玄奘三蔵(げんじょう・さんぞう/インドへの旅を地誌/『大唐西域記』として著し、こ

れが後に伝奇小説/『西遊記』の基ともなった。)チベットを越え、インドナーランダ大学(/インドビ

ハール州、ナーランダ中部にある・・・427年に建てられた世界最古の大学の1つ。北部インド仏教の最重要拠点。)に学

んだ頃には、仏教はそのピークを過ぎようとしていた…と言われます。


ガンダーラ・・・・

現在のアフガニスタン東部からパキスタン北西部にかけて存在した古代王国。カーブル川北岸に位置し、その東端はインダ

ス川を越えてカシミール渓谷の境界部まで達していた。

ガンダーラ王国は紀元前6世紀~11世紀間存続し、1世紀~5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎

えた。

ガンダーラ美術は、ギリシャ、シリア、ペルシャ、インドの様々な美術様式を取り入れた仏教美術として有名。) 

                                                                                                        <・・・・・詳しくは、こちらへどうぞ>  

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
          
                 玄奘三蔵/ 東京国立博物館蔵  鎌倉時代   重文   /パブリック・ドメイン

《仏教/・・・雑学》・・・(62)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(60)


達磨が…

海路シナ/中国に入ったのは…(りょう)武帝の時代/520年であり…

玄奘三蔵が…

出国から16年の修行の旅を終えて…657部経典都/長安に持ち帰ったのは…

唐王朝/第2代皇帝/太宗の時代645年です。

つまり…

中国禅宗が開花して125年後であり、まさにその黎明期(れいめいき/新しい時代・文化などが

起ころうとする時期)でした。

そこに、天竺(てんじく/インドをさす中国での古称)から大量の仏典が持ち込まれたわけです。これ

らの仏典は、はるか日本にまで伝わるわけです。

いずれにしても…

インドでは、再びヒンズー教台頭しつつあり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
          
                 玄奘三蔵/ 東京国立博物館蔵  鎌倉時代   重文   /パブリック・ドメイン

《仏教/・・・雑学》・・・(63)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(61)


一方…

大乗仏教は、北方ガンダーラ・チベット・中国へを経て日本へ。小乗仏教/上座部仏

は、南方スリランカを経て、東南アジアに広がって行きます。

この、大きな仏教の流れの中で…インドでは仏教衰微(すいび/衰えて勢いが弱ること)の風

吹き始めていたわけです。

菩提達磨伝説では…その真実性はともかく…達磨南天竺国(みなみ・てんじくこく)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
          
         『達磨図/破窓月』・・・月岡芳年、木版画、1887年(明治20年)   /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(64)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(62)


香至王(こうしおう)第3王子として生まれ、般若多羅(はんにゃたら)の法を得て、<仏教の

第28祖/菩提達磨>になった…という事です。

達磨は…師/般若多羅いまわ(今際/臨終の)の言葉に従います。


「わしが没したら・・・67年後に、東方のシナ
(/中国)という所に行け。決して、文化の

低い南方に止まらず・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          
          
                           白隠禅師の描いた達磨図の1つ・・・  /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(65)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(63)


・・・北方へ行くのだぞ。そこに、お前が来るのを、待つ者がおるであろう・・・」


さて…達磨は…

(りょう)の武帝との対談絶望し…師の言葉に従い北を目指し、密かに梁の国を去りま

す。(あし)を分けて揚子江(ようすこう)を渡り、(ぎ)/北魏(ほくぎ/後魏)の国に入り、都/洛

(らくよう)に到着します。そこで、嵩山(すうざん)少林寺に留まり、終日、壁面端坐(へきめん・た

んざ)しました。



 1月 25日

岡田健吉‏@zu5kokd1          
          
                           白隠禅師の描いた達磨図の1つ・・・  /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(66)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(64)


これが…

<壁観バラモン>と呼ばれるわけですね。達磨はその後<九年面壁>し、160余歳

長寿を全うしたと伝えられます。

これから逆算すると…

<真の仏法>を伝えるために、達磨南天竺を発った時は、すでに150歳を越えてい

たのでしょうか。そして、この奇跡がなければ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          
          
                           白隠禅師の描いた達磨図の1つ・・・  /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(67)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(65)


中国の大地で、<中国独自の仏教/・・・禅宗>芽吹き唐王朝大輪の花を咲

かせる事もなかったのです。また、榮西禅師(/日本臨済宗の開祖)がそれを日本に伝える事

も、道元禅師(/日本曹洞宗の開祖)がそれを求め、入宋(にっそう)する事もなかったわけです。

<仏教・第28祖/菩提達磨>が…中国の大地<真の仏法/・・・禅宗の種>

運んだ功績は、はかり知れません。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          
          
                           白隠禅師の描いた達磨図の1つ・・・  /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(68)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(66)


<禅宗>は…

中国の大地で、そのがまかれ、芽吹き開花したために…異文化/インド臭さ/イン

ド大陸の体臭がありません。

自力本願的坐禅修行は…

原始仏教(/釈尊の存命時代を含めて、初期の150年~200年の期間。)上座部仏教(/インド南部のセイ

ロン島/スリランカから、東南アジアに広がった仏教。かっては、小乗仏教と呼ばれていた。)に近いわけですが、

禅宗大乗仏教範疇に入ります。

ともかく…

<禅宗によって・・・仏教が真に中国文化に溶け込み・・・そして中国文化圏でもあっ

た日本にも・・・スムーズに溶け込んだ・・・>…わけです。



 1月 26日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
          
                       法隆寺・夢殿・・・  /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(69)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(67)


さて…

<奈良仏教>は…

聖徳太子法隆寺渡来僧/鑑真唐招提寺聖武天皇東大寺が…代表格でしょう

か。

<平安仏教>は…

同じ遣唐使船に乗った学僧空海最澄…後の弘法大師/高野山金剛峯寺/真言密教

と、後の伝教大師/比叡山延暦寺/天台宗が…代表格でしょうか。規模も大きく、仏典

などの内容も進化しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

 
安城御影(あんじょうの・ごえい(みえい)・・・鎌倉時代の法眼朝円の筆とされる絹本著色親鸞聖人像。親鸞83歳の姿

《仏教/・・・雑学》・・・(70)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(68)


<鎌倉仏教>は…

禅宗の移入の時代であり…栄西臨済宗道元曹洞宗が展開し…また、蘭渓道隆

(/らんけい・どうりゅう/鎌倉時代中期の南宋から渡来した禅僧・大覚派の祖。無明慧性の法嗣、建長寺の開山。)

どの渡来僧も、かなり来朝しています。

中国騒乱がった事と、船の発達もあり、入宋も容易になります。騒乱元/ジンギス・

カンの、人類史上最大規模モンゴル帝国の建設で、その矛先元寇(げんこう)となって

鎌倉幕府を襲います。

一方、<禅宗や念仏(法然・親鸞(しんらん)の浄土宗・浄土真宗/・・・南無阿弥陀仏ととなえる)により…

まさに、日本文化の中に…<日本土着の仏教が育ち・・・民衆の中に根を下ろした>

…様子です。



 2月 5日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

     
                               道元禅師開祖の永平寺/大広間の天井絵・・・230枚の花鳥色彩画      /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(71)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(69)


道元禅師に戻り…

『正法眼蔵/現成公案』1節を見てみましょうか。


< もともと仏道は、有るという立場にも、無いという立場にも捉(とら)われないもので

あるから、生死(しょうじ)を解脱(げだつ/俗世の束縛・迷い・苦しみから離脱し、悟りを開くこと)した所に

生死があり、迷悟(めいご/迷いと悟り)を解脱した所に迷悟があり、解脱の有る無しを問

題としない所に解脱がある。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                    道元禅師開祖の永平寺/大広間の天井絵・・・230枚の花鳥色彩画      /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(72)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(70)


しかしなお、その事が分かっていていながら、解脱を愛し求めれば解脱は遠ざか

り、迷いを離れようとすれば、迷いは広がるばかりである。 >


道元禅師が示す、成道
(じょうどう/悟りを開くこと)の姿が、ここに如実に記されています。

中国/宋/天童山・景徳寺(/現在の浙江省寧波地区)/天童如浄の元で<悟り>を開いた

道元は、帰朝して『正法眼蔵』を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                    道元禅師開祖の永平寺/大広間の天井絵・・・230枚の花鳥色彩画      /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(73)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(71)


執筆し始めるわけですが…

これは…若く楽しく希望に満ち心踊る作業…だったと思われます。

中国/宋から帰朝して…京都/建仁寺(けんにんじ/臨済宗建仁寺派大本山の寺院。開山は栄西で、道

元はここで栄西の弟子/明全に師事・・・明全と共に南宋に渡り、曹洞宗禅師/天童如浄より<印可>を受けます。)

入りますが、やがて建仁寺を出て…京都/深草草案(/・・・興聖寺)を結んだ頃からでしょ

うか。

その頃…

まず…日本曹洞宗・第2祖/懐奘(えじょう)を、弟子になる事を許します。2歳年上孤雲

懐奘(こうん・えじょう)ですが、帰朝後建仁寺に滞在していた折に論破した経緯があります。

その時から師事(しじ/師として仕えること)する事を懇願(こんがん)されていましたが、建仁寺

身を寄せている身分であり、断っていたものです。



 2月 6日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
                                             永平寺/坐禅             /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(74)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(72)


< 自己の立場から、あれこれと思案して、ものごとの真実を明らかにしようとする

のが迷いである。ものごとの真実が自然に明らかになるのが、悟りである。>


うーむ…

<真実が自然に明らかになるのが・・・悟り>と言われても…<迷いの真っ只中>

にあっては、まさにそれが体現できないわけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
                                             永平寺                /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(75)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(73)


ですから…それ故に、修行せよと言うのです。さらに、こう続きます…


<迷いを迷いと知るのが悟った人であり、悟りに執するのが悟っていない人である。

悟りの上に悟る人があり、迷いの上に迷う人もいる。悟った人が本当に悟った人で

あるならば、自分が悟っている事すら、自覚しない。 >

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                 永平寺                             /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(76)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(74)


若い渡来僧/入宋沙門(にっそうしゃもん)/道元が…

ここまで、書けるということは…

<覚醒の翼>はそのはるか先まで、見渡していたという事でしょう。釈尊は無論、若い

道元も、その深淵を照らす光ははかり知れません。

しかし…

さいわい道元禅師は、『正法眼蔵』(/(仮名記述/道元著)・・・75巻+12巻+拾遺4巻(現在の研究結果

による)の中に、膨大な言葉を残してくれています。



 2月 7日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
     
                                           永平寺の全景          /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(77)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(75)


心身を一体として、ものごとを見聞きするならば、見るもの聞くものを直接に知

る事ができるが、その有様は鏡に影が映るようでも、水に月が映るようでもない。

主観と客観は一体であるから、その一方だけを知ろうとするならば、あとの一方は

消えてしまう。>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
                                             永平寺の回廊          /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(78)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(76)


うーむ…

心身を一体として、ものごとを見聞きするならば・・・とありますが…

意識して、その様にするという事ではないでしょう。その事を知りつつ、坐禅修行で身に

つくものと思います。

<主観/主体と・・・客観/客体・・・は一体>であり…その間に<境界>はなく…

<巨大な1つの全体・・・唯心世界>…なのです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
     
                                           永平寺唐門               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(79)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(77)


<仏道を学ぶということは、自己を学ぶことである。自己を学ぶということは、自己

を忘れることである。自己を忘れるということは、すべての物事が自然に明らかに

なることである。 >


これも…

含蓄(がんちく/深い意味がひそんでいる、表現の味)のある言葉ですが、日常的な知識では理解

できません。禅の修行が必要なのだと思います。



 2月 8日

岡田健吉‏@zu5kokd1             
     
                                    道元 「月見の像」/・・・宝慶寺蔵、福井県大野市宝慶寺町  /パブリック・ドメイン

《仏教/・・・雑学》・・・(80)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(78)


< 人が初めて真理を求める時、それを自己の外に求めるから、はるかにそこから

離れてしまっている。真実がもともと自己の内にあることが、正しく理解されれば、

すぐさま “本当の人” になる。>


<人間の本質>目覚める事が、<本分人
(/『正法眼蔵』の原文)/“本当の人”>にな

る事であり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1           
     
                                            道元禅師/・・・静岡 瑞龍寺               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(81)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(79)


…それは<自己の内>にある、と言います。


<薪(まき、たきぎ)は燃えて灰となり、それが再び薪に戻ることはない。

しかし、それをいちがいに、薪は初めにあるものであり、灰がそれに続くものであ

ると考えてはならない。薪は薪になりきっていて、初めから終わりまで薪である。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         
     
                                           永平寺2世/孤雲懐奘      /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(82)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(80)


見かけ上の前後はあるが、それは、つながりのない前後であって、薪はどこまでも

薪である。灰もまた灰になりきっていて、初めから終わりまで灰である。>


この一節は…

私が、初めて『正法眼蔵』 に接した若い頃から…難解で、理解できないものでした。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
                                           永平寺/鐘楼堂               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(83)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(81)


やがて…

【量子力学】コペンハーゲン解釈に出会った時、<波束の収束>(はそくのしゅうそく)

概念と似ている…と気付きました。

<薪の一瞬一瞬> <灰の一瞬一瞬>は…それぞれ<重ね合わせ>になっている

というアナロジー(/類推、類比)で…その<一瞬一瞬が・・・重ねあわせで・・・世界を究め

つくしていると>、と解釈しました。


★ コペンハーゲン解釈・・・量子力学の解釈の1つ。

量子力学の状態は、いくつかの異なる状態の<重ね合わせ>で表現される。このことを、どちらの状態であるとも言及で

きないと解釈し、観測すると観測値に対応する状態に変化する<波束の収縮>が起こると解釈する。)

(★コペンハーゲン解釈という名称は・・・デンマークの首都コペンハーゲンにあるボーア研究所から発信されたことに由来

する。)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
     
                                     永平寺/法堂(はっとう/僧侶が仏教を講義する建物の事   /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(84)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(82)


<相互主体的な・・・人間原理ストーリーの風景/・・・この世の風景>…というもの

の、解釈の一端を垣間見た思いでした。<人間的な・・・過去・現在・未来にわたる

・・・“今の広がり”・・・>考察の…側面になるでしょうか。

現代物理学は…

その深い所で、東洋的思想とよく一致すると聞きますが、鎌倉時代初期道元禅師

思想に、量子力学<重ね合わせの概念>があるとは…まさに驚きでした。



 2月 9日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《仏教/・・・雑学》・・・(85)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(83)


< ちょうど、薪が灰となった後に、再び薪となることがないように、人が死んでか

ら、再び生に戻ることはない。このように、生といえば生になりきっていて、生が死

に移り変わると言わないのが、仏道において定められた教えである。>


ふーむ…

<重ね合わせ>存在して…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《仏教/・・・雑学》・・・(86)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(84)


<波束の収束>析出/結晶化するという、アナロジー(/類推、類比)ではそうなるの

でしょうか。


< 従ってそれを、“生死を超えた生” というのである。死といえば死になりきってい

て、死が生に移り変わると言わないのが、仏道において定められた教えである。従

ってそれを・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《仏教/・・・雑学》・・・(87)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(85)


・・・“生死を超えた死” というのである。>


つまり…

<無数の・・・一瞬一瞬の生>が、それぞれ<一切世界を・・・究めつくし><重

ね合わせ>になっている…と解釈できます。

しかし…

<相互主体性世界を・・・結晶化>させている…<この世の風景/・・・人間原理スト

ーリー>は…さらに途方もなく複雑です。

あるいは…

ある意識/宇宙意識が…<ホモサピエンスの・・・種の共同意識体の超座標>に、

<壮大な落書き・・・人類文明社会の興亡>を、描き出しているのかも知れません。



 2月 10日

岡田健吉‏@zu5kokd1 

《仏教/・・・雑学》・・・(88)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(86)


< 生といえば一瞬一瞬において生になりきっており、死といえば一瞬一瞬におい

て死になりきっている。それは例えば冬と春のようなものである。人は、冬そのもの

が春に変わるとは思わず、春そのものが夏になるとは言わない。>


ここは…

言葉だけで理解するのではなく…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

《仏教/・・・雑学》・・・(89)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(87)


禅的修行によって体現(たいげん/理念など形のない精神的な事柄を、具体的な姿に表すこと)する必要

があります。


< 人が悟りを得るのは、ちょうど水に月が宿るようなものである。月は濡れず、水

は破れない。広く大きな光ではあるが、寸尺の水にも宿る。月全体が草の露にも宿

り、一滴の水にも宿る。>


<悟り>
が…

人間/人格に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《仏教/・・・雑学》・・・(90)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(88)


…どのように宿るかを、道元禅師体験的に説明しています。


< 悟りが人を破らないのは、月が水に穴を開けないようなものである。人が悟りを

妨げないのは、一滴の露が天の月を妨げないようなものである。一滴の水の深さ

は、天の月の高さを宿している。>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《仏教/・・・雑学》・・・(91)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(89)


ここは説明必要がないと思います。

うーむ…

21世紀私達が接しても…新鮮な言葉の数々を、鎌倉時代初期道元禅師創作

ていたのですから、驚くばかりです。

同様に…

紀元前5世紀土埃(つちぼこり)インドの大地を、裸足で歩んでいた…釈尊真理探

深さと、その直観力に…2500年後私達が、遠く及ばないわけです。釈尊<覚

醒の・・・深淵>は、はかり知れません。



 2月 16日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                             「奥の細道行脚之図」、芭蕉(左)と曾良 (森川許六作) /パブリック・ドメイン

《仏教/・・・雑学》・・・(92)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(90)


さて、芭蕉に話を移します。

芭蕉は…

旅の難儀(なんぎ)も全て<風雅>とし…<大いなる・・・現実肯定・・・の世界観>…の

中で生きた人の様です。

その<風雅>に、恋い焦がれ<風雅の妄執(もうしゅう)/風雅の魔(/人の心を迷わし、悪に

引き入れる悪霊)心>取り憑(つ)かれていたとも言われます。<無我無心で・・・飄々(ひょう

ひょう)と生きる禅僧>とは、また別の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                             松尾芭蕉像 (葛飾北斎 画)   /パブリック・ドメイン=著作権フリー

《仏教/・・・雑学》・・・(93)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(91)


文学的・芸術的/求道者の、険しい道だった様です。

《当/ホームページ》の…文芸/俳句担当/星野支折言葉をかりれば…

<そうした深い芸術的・深淵を・・・恋い焦がれて歩み進んだ・・・“芭蕉独特の風雅

の結晶世界”・・・が、芭蕉と共に確かに存在していた・・・>…ということですね。

                                             <・・・・・詳しくはこちらへどうぞ>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                           芭蕉が泊まった 別院紫苑寺の跡 通称 “南谷”   photo by Kagioka Ryumon
                                                          (ネットより画像借用)

《仏教/・・・雑学》・・・(94)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(92)


芭蕉は、『奥の細道』で…

山形県出羽三山(でわさんざん/・・・山形県の村山地方・庄内地方に広がる月山・羽黒山・湯殿山の総称。修

験道を中心とした山岳信仰の場として現在も多くの修験者、参拝者を集めている。)を訪れています。

『奥の細道』記述では…

<6月3日、羽黒山に登る>…とあり、さらに、<羽黒山の別当代(べっとうだい/別当とは

一山の法務を統括する長のことです。そして、代とありますが、これは代わりの意味で、50代別当・天宥が流罪になり、

東叡山(とうえいざん/東京都台東区上野にある寛永寺の山号。 京都の叡山/比叡山に対していう )から代理が置かれ

ていたもの。)/会覚(えかく)・阿闍梨(あじゃり/模範となる高僧の敬称ですが、密教で伝法潅頂(でんぽうかん

じょう/菩薩が仏位に上る時、法王の職を受ける証として、諸仏が智水を頭に注ぐ儀式)を受けた僧のことです。また、天

台宗と真言宗では、伝法潅頂の職位を受けた僧を、このように呼ぶようです。)にお目にかかる>…とあり、

南谷別院宿泊していますが、芭蕉名声が知れ渡っていて、(ねんご)にもてなし

て下さった、という事です。


 2月 17日

岡田健吉‏@zu5kokd1          
          南谷にある芭蕉の句碑 ・・・羽黒山第75代別当・覚諄が文化15年(1818年)に建立  /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(95)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(93)


この南谷での芭蕉の句


★ 有難
(ありがた)や 雪をかほらす 南谷    (芭蕉/羽黒山)


句意は…


     ああ、ありがたい事だ…

           ここ羽黒山/南谷では…

                 残雪の香りをのせて…

                       心地よい風が吹き寄せてくる…

                    旅で疲労したこの身には…

               この上なく有難く…

          清らかな空気であり、風である事だ…


岡田健吉‏@zu5kokd1          
                              羽黒山 五重塔           /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(96)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(94)


芭蕉曽良(そら/河合曽良/・・・『奥の細道』に同行した弟子で、蕉門十哲の1人)は、この霊山森林

中で、しばしの静養の時を過ごした様です。残雪谷あいから吹き寄せてくる薫風(くんぷ

う/若葉の香りを漂わせて吹く、初夏の風。)に、長旅の疲れも癒(いや)されたのでしょう。


<5日、羽黒権現
(はぐろごんげん/出羽国羽黒山の山岳信仰と修験道に基づく、神仏習合の神)に参詣(さん

けい)する・・・>

<8日、月山(がっさん)に登る・・・>と…『奥の細道』にあります。旧暦/6月8日ですか

ら、まさに、江戸時代夏山登山です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                                            /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(97)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(95)


万事

会覚・阿闍梨(えかく・あじゃり)お世話をして下さったのでしょうか。木綿注連(ゆうしめ)を首に

掛け、宝冠ほうかんで頭を包み、身支度準備万端に整えての、月山登山です。

月山に登る者は、登山前潔斎(けっさい/神事・仏事の前に、飲食その他の行為をつつしみ、水浴などして

心身を清めること)の時から下山するまで、修験袈裟(しゅげんけさ)として木綿注連(ゆうしめ)を首に

掛けるのが習わしの様です。宝冠は、防寒対策にもなる頭巾ですね。



 2月 18日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                               現在の月山              /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(98)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(96)


芭蕉曽良は…

強力(ごうりき/登山者の荷物を背負って案内する人)という山ガイド先導され…

の立ちこめる冷え冷えした山の中を、氷雪を踏みながら8里ばかり登った…とあ

ります。1里は4km程ですから、約32kmですね。

さらに…

息も絶え絶えに…冷え切った体で、月山頂上に上り詰めています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         
                             篠竹の束・・・芭蕉は、これを枕に寝ましました      /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(99)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(97)


すると…

折から、日も暮れて….<既に出ていた月が鮮明になった・・・>とあります。俳人

2人、さすがに月への関心は深く、観察鋭いですね。

それから…

<頂上付近の小屋で、笹を敷き、まとめた篠竹(しのだけ/)を枕にして、横になって夜

が明けるのを待った・・・>…とあります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                     湯殿山           /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(100)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(98)


翌朝は…

朝日が出、雲が消えていたので、さらに、湯殿山(ゆどのさん)の方へ向って下った様です。

前日は…

立ち込める天候でしたが、翌日朝日が出ても消え、好天だった様です。

旧暦/6月9日ですから、新暦/7月25日…まさに梅雨明けだったのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1          
                             湯殿山/月光坂の長い鉄梯子           /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(101)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(99)


それにしても…

現在登山装備ならともかく…霧の中氷雪登山です。そして山頂の小屋食事をと

り、一夜を過ごすとういのは、強力/山案内が無しでは不可能だと思います。

旅慣れた芭蕉でも…

月山標高1984m残雪のある高山です。この強力/山案内も、羽黒山別当手配

してくれたのでしょうか。どのみち芭蕉曽良は、支援者を当てにしての冒険旅です。


 2月 19日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                             月山/鍛冶小屋付近・・・     /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(102)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(100)


『奥の細道』では…

<谷の傍に鍛冶小屋があった・・・>と記されています。さらに、<この地方の刀鍛冶

(かたなかじ)/月山という人が、霊験のある水をこの地に選び、身を清めて剣を打ち、

ついに“月山”と銘(めい)を刻んで世に賞せられた様だ・・・>…とあります。芭蕉

で静養中に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                 /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(103)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(101)


…この話を聞いたのでしょうか。

それから、岩に腰掛けてしばし休んでいると…

<三尺ばかりなる桜のつぼみ、半ばひらけるあり・・・>と、あります。

芭蕉は…

<降り積もった雪の下に埋れて、春を忘れぬおそ桜の花の、心わりなし・・・>と、

感嘆しています。まあ、非常に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                               /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(104)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(102)


健気(けなげ)だと(ほ)めているわけです。そして…

<炎天の梅花が、ここに香るが如しであり・・・行尊・僧正の歌の情も思い出される

が、むしろこの花の方がまさりて覚ゆ・・・>と、記しています。

芭蕉は…可憐(けが)の無いに目を細め、へのお世辞を込め、記している様

です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                      大峰山/奥駆道・・・吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する修行の道 /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(105)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(103)


その、行尊花の歌とは…

『小倉百人一首』【66番→大僧正行尊】であり、詞書(ことばがき)は…

<大峰にておもひかけず桜の花の咲きたりけるをみてよめる 僧正行尊>


★ もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし



…というものです。大峰山は、奈良県/大和吉野主峰で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                             奈良県/大峰山・・・女人禁制門             /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(106)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(104)


羽黒山と同様に修験道聖地です。羽黒山現在女人禁制解いていますが、

大峰山現在女人禁制です。

行尊は…

その大峰山厳しい修行中に、ふと山中にひとり可憐に咲く山桜目が止まります。

を振り払った行尊清浄な心と、穢れのない花共鳴したのでしょう。


★ 出羽三山での女人禁制

月山、湯殿山は明治10年に解禁され、羽黒山は一部を除いて女人禁制ではなかった様です。一部というのは荒沢寺な

どの奥の院で、それも仏像の移動などにより解禁された様です。羽黒山が女人禁制でなかったのは、山の神が玉依姫命

(たまよりひめ)という女性の神とされており、女性の参詣が盛んだったためと思われています。ただ、女性の山伏修行は

禁じられていたようで、昭和25年に初めて許されたようです。)



 2月 20日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                           「奥の細道行脚之図」、芭蕉(左)と曾良 (森川許六作) /パブリック・ドメイン

《仏教/・・・雑学》・・・(107)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(105)


行尊芭蕉も…

山桜を、同等の人格として、語りかけています。ふーむ…優しいですね。

それにしても、芭蕉は…

数え年/51歳生涯ですが、芭蕉翁(おう/おきな・・・男の老人を慕って言う言葉)などと呼ばれて

いました。それ程にかなり若い内から、その風格があり…<徹底した悟りを究め・・・

深く風雅の中に没入>していた人の様です。それゆえ、仏教界にもが知れ渡り、

江戸/元禄スーパースターだったわけです。

                                             <・・・・・《松尾芭蕉・撰集》はこちらへどうぞ>


岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                与謝蕪村(呉春作)  /
パブリック・ドメイン

《仏教/・・・雑学》・・・(108)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(106)


与謝蕪村小林一茶も…

芭蕉翁深く慕いその生き様深く憧れていました。むろん、当時も、俳句を詠む

は、みな芭蕉憧れていたわけで、蕪村一茶の様に自由人/俳人になれたのも、

また人々の憧れでした。

 


                     与謝蕪村 《夜色楼台図》 (国宝)   /パブリック・ドメイン

蕪村(俳人、画家)は…

江戸中期の人(1716~1784年/享保元年~天明3年)で、芭蕉(1644~11694年/寛永21年~元禄7

年)他界して22年後に…

現在の、大阪市都島区毛馬町で生まれました。それから、20歳頃江戸へ出て、日本

橋石町界隈(かいわい/あたり)活躍し、晩年西へ向かい京都で暮すわけですが、元々

が、芭蕉と同様に関西の人(芭蕉は・・・三重県伊賀の人)でした。

母親が、京都/丹後の人だったからでしょうか、丹後でも暮らしていますね。母親は、

馬村名主の家に奉公に上がっていた時、主人の子を身ごもり、生まれたのが蕪村だっ

た様です。毛馬村には名主一家/一族があるわけであり、自由人蕪村母の出身

の地/丹後アイデンティティを感じていたのでしょうか。

                                             <・・・・・《与謝蕪村・撰集》はこちらへどうぞ>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1             
                          小林一茶の肖像(村松春甫画)一茶記念館(長野県信濃町) /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(109)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(107)


一茶の方は…

江戸中期から末期にかけての人(1763~1828年/宝暦13年~文政10年)です。継母(ままはは、

けいぼ/父の後妻)と折り合いが悪く、14歳の時長野県北部/信濃町柏原から奉公のた

めに江戸へ出、奉公先俳句を覚えた様です。

蕪村生涯とは21年間重なり〔明治維新〕1868年ですから、一茶他界40年

の事です。


(信濃町/柏原・・・

この地から北側の渓谷の向こうに、越後富士といわれる妙高山があります。渓谷を流れる谷川が関川で、信濃/長野県

と越後/新潟県の県境になっています。ボス/(岡田)は、この渓谷の向こう側/妙高山の麓で、少年時代をおくりました。

それで、一茶の1字を拝借し、俳号を <一風> としています。)

                                             <・・・・・《小林一茶・撰集》はこちらへどうぞ>


 2月 21日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              湯殿山/滝行              /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(110)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(108)


さて、出羽三山に戻ります…

湯殿山細かな事については、修験者決まり事として他言することは禁じられていま

す。芭蕉<筆を止めて記さない事にする>…と、を止めています。

芭蕉一行/芭蕉・曽良・強力下山し…

羽黒山/南谷宿坊に帰った後…会覚・阿闍梨(えかく・あじゃり)の求めに応じて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              羽黒山/芭蕉像            /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(111)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(109)


三山順礼句々を、短冊にかきとめています。


★ 涼しさや ほの三か月の 羽黒山  (芭蕉)


★ 雲の峯 幾つ崩て 月の山  (芭蕉)

★ 語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな  (芭蕉)

★ 湯殿山 銭踏む道の 泪かな  (曽良)


岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              湯殿山              /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(112)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(110)


曽良の、句意はこうです。


      湯殿山聖域では…

              落ちた物を拾うことが禁じられ…

                      参道はお賽銭(さいせん)を散り敷いた様だ…

                  そこを踏み行くのはかたじけなく…

             泪が滲んでくる事だ…

 

 『奥の細道』原文を掲載しておきます。

                      

               

『奥の細道』/出羽三山

  元禄2年(1689年) 6月3日~6月10日(新暦/太陽暦

         7月19~7月26日)

  出羽三山(山形県鶴岡市/磐梯朝日国立公園の一角

          月山、羽黒山、湯殿山の総称) 

 

《 六月三日、羽黒山に登る。

  図司左吉と云者を尋て、別当代会覚阿闍利に謁す。

南谷の別院に舎して憐愍の情こまやかにあるじせらる。

四日、本坊にをゐて誹諧興行。

 

有難や雪をかほらす南谷  


 五日、権現に詣。当山開闢能除大師はいづれの代

人と云事をしらず。延喜式に「羽州里山の神社」と有。書

写、「黒」の字を「里山」となせるにや。

「羽州黒山」を中略して「羽黒山」と云にや。「出羽」とい

へるは、「鳥の毛羽を此国の貢に献る」と風土記に侍と

やらん。月山・湯殿を合て三山とす。

  当寺武江東叡に属して天台止観の月明らかに、円頓

融通の法の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修験行

法を励し、霊山霊地の験効、人貴且恐る。繁栄長にし

て、めで度御山と謂つべし.....》

《  八日、月山にのぼる。木綿しめ身に引かけ、宝冠に

頭を包、強力と云ものに道びかれて、雲霧山気の中に

氷雪を踏てのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入か

とあやしまれ、息絶身こゞえて頂上に至れば、日没て月

顕る。笹を鋪、篠を枕として、臥て明るを待。日出て雲消

れば湯殿に下る。

  谷の傍に鍛治小屋と云有。此国の鍛治、霊水を撰て

爰に潔斎して劔を打、終月山と銘を切て世に賞せらる。

彼龍泉に剣を淬とかや。干将・莫耶のむかしをしたふ。

道に堪能の執あさからぬ事しられたり。

  岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜

のつぼみ半ばひらけるあり。ふり積雪の下に埋て、春を

忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花爰にかほ

るがごとし。行尊僧正の哥の哀も爰に思ひ出て、猶まさ

りて覚ゆ。

  惣而此山中の微細、行者の法式として他言する事を

禁ず。仍て筆をとゞめて記さず。坊に帰れば、阿闍利の

需に依て、三山順礼の句々短冊に書。

 

   涼しさやほの三か月の羽黒山   (芭蕉)

   雲の峯幾つ崩て月の山       (芭蕉)

   語られぬ湯殿にぬらす袂かな   (芭蕉)

   湯殿山銭ふむ道の泪かな     (曽良)

          

                                   <詳しくはこちらへどうぞ・・・・・松雄芭蕉・撰集>

                     



 3月 15日

岡田健吉‏@zu5kokd1                                 

《仏教/・・・雑学》・・・(113)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(111)


さて…今度は藤原俊成仏道の方を、覗(のぞ)いてみましょうか。

前は…俊成<釈教>(しゃっきょう/釈教歌・・・仏教に関する題材を詠んだ句や歌。)分類されてい

を取り上げました。ええと…次の歌でした。もう一度、掲載しておきます…


************



★ 武蔵野の ほりかねの井も あるものを うれしく水の 近づきにける


     武蔵野の堀兼の井のように…

         掘るのが困難な井もあるものを…

             私が掘ってゆくと、嬉しいことに…

           水脈が近づいてきたのだった…


<ほりかね>
は…武蔵国
(むさしのくに/現在の東京都、埼玉県、神奈川県の北東部)“歌枕”です。

“堀兼(ほりかね)に、“土が固くて掘りかねる”の意を掛けています。<水の近づき>

<水>は…仏智のことです。


                                               ************


ここれは…俊成出家し、本格修行に入った頃の、感動喜びが詠まれています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
          
                   藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 )      /
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《仏教/・・・雑学》・・・(114)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(112)


『藤原俊成 千人万首』(/インターネットのページ)に…もう2首<釈教>があります。次

のものです。


【詞書(ことばがき)
 
勧発品(くわんぼつほん)の心をよみ侍
(はべ)りける


★ 更
(さら)にまた  花ぞ降りしく 鷲(わし)の山 法(のり)のむしろの 暮れ方の空


      普賢菩薩
(ふげんぼさつ)が…

           東方からやって来る時…

                通った諸国では…


岡田健吉‏@zu5kokd1       
          
                   藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 )      /
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《仏教/・・・雑学》・・・(115)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(113)


        天から蓮華(れんげ)の花が雨のように降ったという…

             再びまた、蓮華の花が降りしくのだ…

                  釈迦が説法する…

                        霊鷲山(りょうじゅせん)の暮れかかる空から…


藤原俊成は、すぐれた歌人ですから…

<理/理論>からではなく、<研ぎ澄まされた感性>から、仏道の奥義(おうぎ、おくぎ/

最も奥深い大切な事柄)に迫ったのでしょうか…ふーむ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
          
                   藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 )      /
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《仏教/・・・雑学》・・・(116)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(114)


【詞書】の…

<勧発品>(くわんぼつほん)というのは…『法華経の最終章/第二十八品』です。

それから、歌の方の…

<花ぞ降りしく>とは…普賢菩薩東方からやって来る時に、通った諸国では、から

蓮華の花が、雨のように降ったという…言い伝えです。

<鷲の山>は…霊鷲山(りょうじゅせん)の事ですね。マガダ国都/王舎城の近くにある

仏教聖地1つです。

<法のむしろ(筵/むしろ・・・ワラやイグサなどの草で編んだ簡素な敷物。菰(こも)とも呼ばれる。)は、釈尊

説法の場というほどの意味です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
          
                   藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 )      /
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《仏教/・・・雑学》・・・(117)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(115)


改めて…

歌人の…<研ぎ澄まされた感性>から、仏道の奥義迫るというのは…

例えば、行尊(ぎょうそん/【66番→大僧正行尊】/★ もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし )

の様に…<吉野の山奥での・・・回峰修行>をするのとは、まるで異なるアプローチ

す。

が、しかし…

逆に行尊も…若い頃、厳しい死を賭すほどの、<吉野の山々の・・・回峰修行>最中

に、<ふと・・・可憐な山桜に・・・心を引き寄せられた・・・>、わけですね。



 3月 16日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                           大峰山/奥駆道・・・吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する修行の道 /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(118)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(116)


行尊が…

<可憐な山桜>心引かれたのは…<感性の世界>であり…これは不覚ではなかっ

た…という事でしょう。回峰修行の中での<花との出会>は、<仏縁>であり、<覚醒

だったのかも知れません。

それが、どの様な<覚醒>であったかは、むろん、行尊のみの知る所ですが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                      奈良県/大峰山・・・女人禁制門             /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(119)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(117)


…ともかく、名歌として永遠の命を得ています。<スジの良い・・・豊かな感性の・・・僧

侶の人格>が…芭蕉の時代にも、現代の人々にも、快く親しまれ存在感を示していま

す。

しかし…話を、大きく戻しますが…

道元禅師は…<★ 花紅葉 冬の白雪 見しことも 思へばしやし 色にめでけり>

詠み…藤原俊成も、道元禅師よりも少し前の歌人ですが…

<★ 高砂の 尾上の桜 見しことも 思えば悲し 色にめでける>と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                               /ネットより画像借用  

《仏教/・・・雑学》・・・(120)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(118)


仏道の本来/道理とは反対の心境と…悔やみ悲しんで、見せているわけです。

そして、行尊もまた…

厳しい回峰修行から…一瞬<心が離反し・・・浮き上がった所の感性で・・・桜の花

に心を寄せ・・・>て…<仏道の奥義>を、物語っているのでしょうか。

行尊のそれは…<奥義>とは言えないかも知れませんが…私は、<意外に深い・・・

仏縁>…と思っています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1wpe59.jpg (7991 バイト)              

《仏教/・・・雑学》・・・(121)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(119)


では…そもそも…

<覚醒/悟り>とは…<この世の・・・どの様な座標>にあるのでしょうか。『無門関』

(むもんかん/中国・宋時代に・・・無門慧開によって編集された禅の公案集。)冒頭には、次のような無門

禅師偈頌(げじゅ)/偈(げ/禅宗で、悟りの境地などの宗教的内容を表現する漢詩)があります。

つまり仏道<覚醒/悟り>場所を…指し示しています


       大道無門
(たいどう・むもん)

       千差路(せんさ・みち)あり

       この関を透得(とうとく)せば

       乾坤(けんこん)に独歩(どっぽ)せん


       【現代語訳】


       大道は無門である…

       そこには幾千もの道がある…


岡田健吉‏@zu5kokd1wpe59.jpg (7991 バイト)         

《仏教/・・・雑学》・・・(122)    【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(120)


        この関を通り得るならば…

        宇宙を闊歩(かっぽ)する者となろう…


…とあります。

無論…これは…

<物理的/数学的な・・・座標系>にはなく、<広大無辺な・・・心の領域>にありま

す。仏道の説く<空/・・・色即是空>とは…<人の・・・無意識世界//ホモサピエ

ンスの種の共同意識体の・・・無意識世界>と…深く関係する様です。


 3月 17日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
          
                   藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 )      /
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《仏教/・・・雑学》・・・(123)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(121)


藤原俊成の、3つ目<釈教>は…

【詞書】

<美福門院(びふくもんいん)に、極楽六時讃(ごくらく・ろくじ・さん)の絵にかかるべき歌奉(たて

まつ)るべきよし侍(はべ)りけるに、よみ侍りける、時に大衆法を聞きて弥(いよいよ)歓喜

瞻仰(かんき・せんがう)せむ>


★ 今ぞこれ 入日を見ても 思ひこし 弥陀(みだ)の御国(みくに)の 夕暮れの空


岡田健吉‏@zu5kokd1     

《仏教/・・・雑学》・・・(124)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(122)


    今…

         目の当たりにしているのが…

               まさに、それなのだ…

           入り日を眺めては…

                 思い憧れてきた…

                      阿弥陀如来の御国…

                            極楽浄土の…

                                  夕暮れの空よ…


<釈教>というのは…

今回、初めて接してみたのですが…まさに、仏教教えそのものを指す様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
                     
釈尊が修行をした霊鷲山(りょうじゅせん)/インド・ビハール州   ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(125)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(123)


つまり…

<★ 高砂の 尾上の桜 見しことも 思えば悲し 色にめでける>は…

<釈教>には分類されていないのです。まあ、歌の世界ですから、厳格な決まりは

無いと思うのですが、この次は、俊成他の歌も見てみましょう。



 4月 12日

岡田健吉‏@zu5kokd1   wpeA5.jpg (38029 バイト)  
                     
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《仏教/・・・雑学》・・・(126)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(124)


ええ、さて…次は道元禅師に移って…

ここでは…『正法眼蔵/画餅』を、少し覗いて見ましょうか。

<画餅(がびょう/画に描いた餅)・・・は飢えを満たさない>という、有名な一節にまつ

わる法話(ほうわ/仏法を説き聞かせる話)です。

<諸仏(/覚者)が真理を体験するとき、万物が真理を体験する。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 wpeA5.jpg (38029 バイト) 
     
                                            道元禅師/・・・静岡 瑞龍寺               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(127)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(125)


たしかに覚者と万物は、表面的に見れば同一のものではない。しかし、真理を体験

するとき、各の体験が、互いに妨げあうことなく実現するのである。それを、諸仏と

万物が同一であるか異なっているかという、分別によって学んではならない。

そのため・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  wpeA5.jpg (38029 バイト)    
     
                                    道元 「月見の像」/・・・宝慶寺蔵、福井県大野市宝慶寺町  /パブリック・ドメイン

《仏教/・・・雑学》・・・(128)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(126)


「一つのことに通じれば、すべてのことに通じる」

・・・というのである。

一つのことを体験するということは、一つのことが本来具えている姿を奪うことでは

ない。一つのことを他のことと対立させることでも、対立をなくしてしまうことでもない。

強いて対立をなくそうと・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
     
                                           永平寺唐門               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(129)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(127)


・・・することは、こだわることである。

体験することが、体験することにこだわらないとき、一つの体験は、すべての体験に

通ずる。このように一つのことを体験するということは、そのものになりきることであ

る。そのものになりきるとは、すべてのものになりきることである。>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
                                             永平寺の回廊          /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(130)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(128)


ふーむ…

一言一句…非常に、含蓄(がんちく/表面に直接現れない意味・内容)のある言葉です。

まあ…『正法眼蔵』ですから当然です。(/岡田)も、言葉では理解していたつもりですが、

改めて(や)せた言葉自然な肉付きを感じます。が、この体験も、さらに深い肉付き

骨格があるのでしょう。に、どこまで極められるかは、分かりませんが。



 4月 13日

岡田健吉‏@zu5kokd1   wpeA5.jpg (38029 バイト)  
                     
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《仏教/・・・雑学》・・・(131)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(129)


<覚者が言っている。

「画餅飢に充たず(/画にかいた餅(もち)は飢(う)えを充たさない)

この言葉を学ぶ修行者たちは、諸方からやって来る求道者や仏弟子をはじめとし

て、その名や地位や姿も様々であるが、みな、間に合わせの解答に満足している。

従ってこの言葉を・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   wpeA5.jpg (38029 バイト)  
                     
       ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(132)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(130)


・・・伝えられて、ある者は、


「経典やその解説書を学ぶことが、まことの智慧を得ることではないから、それを画

にかいた餅というのである」


と言い、ある者は、



「小乗、大乗の教学が、悟りの道ではないことを言おうとして、このように言うのであ

る」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
     
                                           永平寺の全景          /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(133)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(131)


と言う。

およそ、彼らの言うように、経典による教えが仮のものであって、真実を知るのに役

立たないということを言おうとして、それを「画餅」と呼ぶと考えるのは、大きな誤り

である。そのような者達は、仏道を正しく伝えず、覚者の言葉に、暗い者達である。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                 永平寺                             /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(134)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(132)


この一言を、明らかにしないならば、諸仏達の言葉を理解しているとは言えない。


「画餅飢に充たず
(/画にかいた餅(もち)は飢(う)えを充たさない)


と言うのは、例えば、

「諸々の悪をなさない」 「諸々の善を行う」 「何ものかが、ここに眼前している」 

「常に、そのものを究め尽くしている」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
                                             永平寺                /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(135)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(133)


と言うような、解脱の境地を現しているのである。しばらく、このように学ぶべきであ

る。

「画餅(がびょう)」という言葉を、今までに見聞した者は少なく、ましてこれを知り及んで

いる者は全くいない。そのような者達が、どうして真のことを知っていようか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
                                             永平寺/坐禅             /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(136)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(134)


今までに、一人二人の愚か者達に当たってみたところ、彼らはそれを疑おうともせ

ず、自ら学ぼうともせず、人の話に耳をそばだてようともせず、そのような事には全

く無関心な様子であった。 >

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   wpeA5.jpg (38029 バイト)  
                     
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《仏教/・・・雑学》・・・(137)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(135)


うーむ…<画餅>とは…

<諸悪をなさない・・・諸々の善を行う・・・何ものかが、ここに眼前している・・・常に、

そのものを究め尽くしている>

…と言うような、<解脱の境地>…と、解するのだと言います。





 4月 14日


岡田健吉‏@zu5kokd1   wpeA5.jpg (38029 バイト)

  
                     
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《仏教/・・・雑学》・・・(138)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(136)


<画餅には生滅の相があるばかりでなく、不滅の相があることを知るべきである。

餅米を用いて作られる餅そのものは、必ずしも生滅するとも言えず、不滅であると

も言えないが、今はそれを画餅即(すなわ)ち解脱の境地として悟る時である。それが

来たり去ったりするものであると・・・考えてはならない。>



 4月 15日

岡田健吉‏@zu5kokd1 wpeA5.jpg (38029 バイト) 
     
                                            道元禅師/・・・静岡 瑞龍寺               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(139)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(137)


うーむ、これは言い換えれば…

<解脱>とは…個々の体験であるばかりでなく…<人間の普遍的本質>を貫く、不滅

の体験だと…言っています。

そもそも…

<人間・・・一人称/私とは>…一体、何でしょうか? そして、<人間・・・二人称/あ

なた、三人称/彼>…の、真の構造的意味とは、一体、何なのか?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 wpeA5.jpg (38029 バイト) 
     
                                            道元禅師/・・・静岡 瑞龍寺               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(140)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(138)


<人間/・・・私>とは…

ホモサピエンスの…<種の共同意識体・・・の中で成立>している…<無数の個々

の意識の・・・重ね合わせから析出して来る・・・ホログラムの様なもの>…なので

しょうか?

さて…

あえて、こんな言い方/ややこしい存在哲学の藪に、山刀(やまがたな)で切り込んだのか

といえば…道元禅師がそこに踏み込んで、その辺りの事を言及しているからです。

<この世/・・・この迫真世界>もまた…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 wpeA5.jpg (38029 バイト) 
     
                                            道元禅師/・・・静岡 瑞龍寺               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(141)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(139)


<生命体/・・・意識の無限個の重ね合わせにより・・・析出する唯心的世界>

の、側面を持つからです。

現代物理学は…つい最近

<巨大ブラックホール連星合体の・・・重力波/GW150914>を、捕捉しました。

重力波ブラックホールを、同時科学的確認し…<新たな天文学の窓/重力波

天文学>は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 wpeA5.jpg (38029 バイト) 
     
                                            道元禅師/・・・静岡 瑞龍寺               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(142)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(140)


…この物理的宇宙実態を解き明かしつつある、と言います。しかし、そこには、決定的

に欠けているもの、があります。

それは…

物理的宇宙を、まさに今解き明かしつつある、<観測者の座標・・・のインプット/入

力>です。現状は、<一人称のパラダイム/・・・私という人格>は…その外側

(たたず)んでいるという事です。では、<私/観測者は・・・宇宙の中の何なのか?>

という事になります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 wpeA5.jpg (38029 バイト) 
     
                                            道元禅師/・・・静岡 瑞龍寺               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(143)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(141)


しかし…

<私/・・・一人称的な窓/・・・命と意識による、この世の走査体>…は、この世の

では、ありえないわけです。

では…

<物の領域><心の領域>統合する<人間/・・・私という人格>とは…<神

の側面>を持つ…という事なのでしょうか?

道元禅師は…そうした答えを、<画餅/・・・解脱の境地/ ・・・空(くう)・・・>



 4月 16日

岡田健吉‏@zu5kokd1 wpeA5.jpg (38029 バイト) 
     
                                            道元禅師/・・・静岡 瑞龍寺               /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(144)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(142)


…とし指し示しています。無門禅師も言っています。もう一度、<偈>(げ/仏の功徳(くどく)

ほめたたえる詩。四句から成る・・・頌(じゅ)。偈頌(げじゅ)。)掲載して置きましょうか。<悟り>に至る

しています。


     大道無門

     千差路(みち)あり

     此(こ)の関を透得(とうとく)せば

     乾坤(けんこん)に独歩せん


                 大道は無門である

                 そこには幾千もの道がある

                 この関を通り得るならば

                 宇宙を闊歩(かっぽ)する者となろ


…つまり、仏法の立場からの、<究尽
(ぐじん/究め尽くすこと)であり・・・悟りの浄土>です。


<餅を描く絵具は、山水を描く絵具に等しい。

いわゆる山水を描くには、青絵具を用いる。・・・

 

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《仏教/・・・雑学》・・・(145)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(143)


・・・餅を描くには、餅米を用いる。それは、ともに解脱の境地を現している。その用

むきは等しく、働きは等しい。

したがって、今ここに「画餅」と名づける解脱の有様は、一切のごま餅、菜餅、乳餅、

焼餅、きび餅などが、悉(ことごと)く画によって実現することである。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
     
                                           永平寺の全景          /ネットより画像借用

《仏教/・・・雑学》・・・(146)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(144)


そのような立場からすれば、画も、餅も、一切の存在も、なんら異なるものではない

ことを、知るべきである。

したがって、現実の餅はみな画餅である。この外に画餅を求めるならば、未だに画

餅にあわず、画餅のことを悟らないのである。

画餅は、ある時には実現し…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   wpeA5.jpg (38029 バイト)  

《仏教/・・・雑学》・・・(147)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(145)


・・・ある時には実現しない。

しかし、そうではありながら、それは古今の姿を超えている。生滅の相を超えている。

そのような所に、画餅の国土が現れ、成立するのである。>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpeA5.jpg (38029 バイト)  

《仏教/・・・雑学》・・・(148)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(146)


うーむ…

<一枚の画餅>が…餅一般を現しているように…

<我の解脱>が…<山水の解脱><世界の解脱>を、実現していると言います。

まあ、同じ意味ですが…

<山水の解脱>のことは…『正法眼蔵/…山水経』の章に…詳しく書かれています。



 4月 17日

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《仏教/・・・雑学》・・・(149)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(147)


<「画餅飢えに充たず/(画餅は飢えを充たさない)」という「飢え」は、世間一般にい

う飢えの事ではない。

腹の中に一物もない解脱の境地を言うのである。そのような境地は、画餅の解脱の

境地と対立するものではない。したがって画餅を食べても、飢えはやまない。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   wpeA5.jpg (38029 バイト)  

《仏教/・・・雑学》・・・(150)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(148)


飢えに対立する餅はなく、餅に対立する飢えはないのであるから、飢えを止める道

理がないのである。

飢えは飢えで、一切世界を究め尽くしており、餅は餅で、一切世界を究め尽くしてい

るのである。>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpeA5.jpg (38029 バイト)  

《仏教/・・・雑学》・・・(151)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(149)


ここでは…

<画餅飢えに充たず>という言葉を…

<解脱の境地においては・・・対立はない…という様に解釈するのだと言います。

<対立>…とは、あらゆる意味での対立であり、比較であり、優劣です。

<長い苦行の末>…その高峰/峰頂に立ち、見渡して見れは、<解脱/悟り>とは、

その様なものだという事です。

しかし、まあ…

<その一言/言葉の概念>ですむなら…<長い修行の時>も、必要ないく、<修行

の喜び>もなく、<崇高なる頂>拝することも、無くなります。



 5月 13日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
               藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 ) /
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《仏教/・・・雑学》・・・(152)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(150)


さて…

【道元・芭蕉・達磨…藤原俊成】シリーズを、終了しようと思います。

最後に、俊成<釈教>(しゃっきょう/和歌・連歌・俳諧で、仏教に関係のある題材を詠んだ歌や句)では

ない、普通の季節の歌も考察すると約束していましたので、それらを幾つか拾って見て

みましょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
               藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 ) /
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《仏教/・・・雑学》・・・(153)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(151)


<詞書(ことばがき) 入道前関白太政大臣右大臣に侍(はべ)りける時、百首歌よま

             せ侍りけるに、立春の心を  皇太后宮大夫俊成


★ 今日といへば 唐土(もろこし)までも 行く春を 都にのみと 思ひけるかな 

                                                    (新古今集 巻1/春歌上 0005)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
               藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 ) /
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《仏教/・・・雑学》・・・(154)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(152)


    今日は…

        立春であるというので…

            唐土(もろこし/・・・唐時代の中国)まで行き渡る…

                春であるのに…

              都にばかりと…

          思っていたことよ…

まず…

<詞書>にある…<入道前関白太政大臣>とは、九条兼実(くじょう・かねざね)です。

承二年(1178年)五月兼実詠進(えいしん/詩歌を作って、宮中や神社などに差し出すこと)した百首

(ひゃくしゅうた/数を定めて詠う和歌(定数歌)ということです。


★ 九条兼実
(くじょう・かねざね)

鎌倉前期の公卿。摂政・関白。従一位。藤原忠通の三男。

京都九条殿に住み、九条家を創設。月輪殿・法性寺殿と言われる。源頼朝の信任を得て摂政・関白となり、後白河法皇

歿後の朝勢を掌握、頼朝の征夷大将軍宣下を実現させた。)


 

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               藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 ) /
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《仏教/・・・雑学》・・・(155)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(153)


“立春の日、東海から訪れる春は…

西海の彼方、遥かな唐土まで行き渡る…

季節の運行を、空間的に大きく捉えて詠み…

丈高い立春歌…”


…と評されています
(/藤原俊成 千人万首)

ふーむ…これが俊成ですか。<詞書>に…皇太后宮大夫俊成とありますから、

(かんれき/・・・干支(えと/十干十二支)が一巡し、誕生年の干支に還ること。人の年齢について言う場合が多く、数

え年61歳(誕生年に60を加えた年)を指す。)の前後大病(わずら)い、出家して…



 5月 14日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
               藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 ) /
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《仏教/・・・雑学》・・・(156)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(154)


<釋阿(しゃくあ)名乗以前ですね。次に、夏の歌を見てみましょう。


<詞書> 崇徳院(すとくいん/崇徳上皇・・・第75代・崇徳天皇)に百首の歌奉りける時よめる


★ 五月雨は 焼
(た)く藻(も)のけぶり うちしめり しほたれまさる 須磨の浦人 

                                               (千載集/183)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
               藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 ) /
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《仏教/・・・雑学》・・・(157)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(155)

 
     謫居(たっきょ/流罪になってその地に住むこと)の身の…

          須磨(すま)の浦人は…

                日頃から涙がちなのに…

             五月雨の頃は…

                   焼いて塩を取る藻も…

                          湿めりがちで…

                       いちだんと…

                             濡れぼそていることだ…


<五月雨(さみだれ)梅雨長雨です。<焼(た)く藻(も)のけぶり>とは…製塩のた

めに藻を焼く、そのです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
               藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 ) /
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《仏教/・・・雑学》・・・(158)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(156)

 
<しほたれ>とは…雫が垂れるほどぐっしょり濡れる、という意味です。

<須磨の浦人(うらびと)<須磨(すま/神戸市須磨区は…摂津国歌枕。また、ここ

は…流謫地(るたくち/罪により、遠地に流される場所)でもあり、浦人というのはを得て遠地に流

された貴人を連想させます。そして<須磨の浦人>は…『源氏物語/須磨巻』を…



 5月 15日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
          
               藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 ) /
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《仏教/・・・雑学》・・・(159)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(157)


暗示していて、余情も深い…という事です。

春・夏と来たので…次は、俊成秋の歌を見てみましょう。


<詞書> 百首歌奉りける時、秋歌とてよめる



★ 夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉
(うづら)鳴くなり 深草の里   

                                                              (千載集259)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
          
               藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 ) /
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《仏教/・・・雑学》・・・(160)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(158)


     夕暮れになると…

          野辺を吹き渡って来る秋風が…

              身にしみて感じられ…

            心細げに鳴く鶉の声が…

                聞こえてくる…

                    この深草の里では…


この歌 『伊勢物語/百二十三段』典拠とし、詠んでいると言います。それは、捨て

去られた女が、鶉の身化身して寂しげに鳴く

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
          
               藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 ) /
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《仏教/・・・雑学》・・・(161)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(159)


晩秋夕暮れ深草の情景です。

<深草の里>は…地名深草/京都深草草深い里の意を掛けています。

<鶉鳴くなり>は…『伊勢物語/百二十三段』の、に捨てられ、鶉に化身してで鳴

いていよう…と詠んだ、暗示していると言います。これは有名で、俊成自信作

の様です。



 5月 16日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
               藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 ) /
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《仏教/・・・雑学》・・・(162)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(160)


俊成冬の歌は…

須磨の関の千鳥を詠んだものと思いましたが、季節感がはっきりする、雪の朝

にしました。


<詞書>
雪のあした、後徳大寺左大臣
ご・とくだいじの・さだいじん/右大臣・徳大寺公能の長男

       の許に遣はしける


★ 今日はもし 君もや訪
(と)ふと 眺むれど まだ跡もなき 庭の雪かな

                                          (新古今集/664)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
               藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 ) /
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《仏教/・・・雑学》・・・(163)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(161)


     今日はもしや…

         あなたが訪ねて来るかと…

             眺めるけれど…

                 まだ足跡もない…

                     庭の雪であるよ…


『長秋詠藻』
(ちょうしゅうえいそう/藤原俊成の家集(個人歌集)、3巻 )には…

<詞書/・・・極月(ごくげつ/12月のこと)の十日あまり雪のいとたかうふりたる朝に、左

大将実、新大納言ときこえし時おくりし>…とあります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
          
               藤原俊成 ( 菊池容斎・画、明治時代 ) /
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《仏教/・・・雑学》・・・(164)   【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】/(162)


この歌に対する、後徳大寺実定(とくだいじ・さねさだ)<返歌>は…


★ いまぞきく 心は跡も なかりけり 雪かき分けて おもひやれども



…という事です。なかなか、機知/ウィット、ユーモアがあります。



ええ…

これで、《仏教/雑学》/【道元・芭蕉・達磨・・・藤原俊成】シリーズを、終了します。