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トップページ/New Page Wave/Hot Spot/Menu/最新のアップロード/ 担当: ボス= 岡田 健吉 |
2021年
7月
(/ネットより画像借用) 白石夏美 折原マチコ 大川慶三郎 北原和也
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![]() 万能型 防護力 脱・戦争ゴッコ 脱・経済ゴッコ 脱・覇権ゴッコ 物理的 専守防衛 ![]() ![]() |
〔人間の巣/未来型都市/千年都市〕/〔極楽浄土インフラ〕 の・・・世界展開/ポスト民主主義社会の器!
★ 日本の社会インフラの再構築・・・ 激烈化する気候変動/豪雨・豪雪・熱波・寒波・ 地震・火山災害から・・・国民を完全防御! ★ 対核シェルター以上の・・・ 戦争ゴッコへの対応! 感染症パンデミックへの対応!万能型・防御力/地球近傍天体の衝突への対応! ★ 気候変動への長期的対応・・・世界中で可能な・・・ 脱・冷暖房社会! 脱・車社会への対応! 人口爆発への対応! コンパクト・分化・多様性・・・ スローフード・スローライフ社会への・・・回帰! |
7月 31日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(600) 【支折の言葉・・・16/28 】
和服を着なくなった様に、下駄(げた)や草履(ぞうり)も、履かなくなって来ましたわ。そもそも、 和服や下駄は、これまでの様に、街の店頭では、見かけなくなりました。高級な、特別な物 になってしまいました。 私は、下駄が好きで… 今でも履きたいと思っているのですが、そもそも、見つけるのが難しくなって来ています。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(599) 【支折の言葉・・・16/27 】
すが、僧侶などは、今でも履(は)いているのでしょうか?」 「下駄そのものが…」響子が言った。「あまり、見かけなくなりましたが、今でも、足駄という のはあるのでしょう。 それを好む人と、作る職人がいれば、そうした高下駄は存在し得るわけです。下駄を作る のは、それほど難しい技術ではありませんわ。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(598) 【支折の言葉・・・16/26 】
「はい…」支折が、コクリとうなづいた。「ええ… 次に、<万菊丸> の句ですね…
<足駄(あしだ)・・・高下駄(たかげた)/・・・
この地は・・・貞享元年(1684)の冬、芭蕉が 『野ざらし紀行』 の旅の途中名古屋に立ち寄り、岡田野水(やすい)・山本荷 兮(かけい)・坪井杜国(とこく/万菊丸)・加藤重五(じゅうご)ら、土地の青年俳人らと、七部集の第一集 『冬の日』 の歌仙 を興行した所。 《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(597) 【支折の言葉・・・16/25 】
ええ、したがって… この、<大和・長谷寺> の句も含めて、<蕉風/・・・松尾芭蕉、およびその門流の俳 風/・・・幽玄・閑寂の境地を主とし、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ・・・> というもの を、改めて、考えてみるべきですわ。 つまり、違和感のあるこの句も、<蕉風の・・・幽玄な、紫色の横糸・・・> を、構成してい るのかも知れません。
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7月 30日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(596) 【支折の言葉・・・16/24 】
<芭蕉の・・・禅的境地/・・・風雅・風狂の境涯/・・・蕉風・・・> から、この句を、改 めて、眺めてみる必要がありそうですね、」 「そうかあ…」支折が、頭の後ろに手を当てた。「禅的な… <悟りの・・・風景・・・> として、この情景を捉えるわけですかあ。さすがは、私の、禅の 師匠/響子さんですわ、」
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(595) 【支折の言葉・・・16/23 】
芭蕉は… この 『笈の小文』 の紀行の前に… すでに…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(594) 【支折の言葉・・・16/22 】
「多少の…」響子が言った。「艶(なまめ)かしさは有りますが… 逆に、ここに、<侘び(わ)・寂(さび)> を、感じられないでしょうか? <侘び・寂/・・・侘しさ、寂しさ・・・> は… “人生の・・・存在・存立そのものの・・・侘しさ、寂しさ・・・” でも有り、その中でも、なお…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(593) 【支折の言葉・・・16/21 】
風> なのでしょうか?」 「うーん…」支折が、うなづいた。「でも… <蕉風の・・・侘(わ)び・寂(さび)> とは…
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7月 29日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(592) 【支折の言葉・・・16/20 】
“恋の願かけ寺に・・・春の夜・・・1人、婦人が籠っている・・・” … というのは… <蕉風(しょうふう/・・・松尾芭蕉、およびその門流の俳風。寂(さび)・撓(しお) り・細み・軽みを重んじて、幽玄・閑 寂の境地を求める。)> としては、異例なのでしょうか。珍しいですよね?」 「うーん…」響子が、頭を傾げた。「そうですね… 『奥の細道』 で、越後路の日本海/市振の宿 で、遊女2人が隣室に泊まり、話し声が聞 こえて来ますが…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(591) 【支折の言葉・・・16/19 】
支折が、深くうなづいた。 「ええ…」支折が言った。「俳句の方に、移りましょうか… まず…
<芭蕉の・・・俳句の世界・・・> には、女性はほとんど…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(590) 【支折の言葉・・・16/18 】
「うーん…」響子が、唇を引き結んだ。「15年後に、忽然(こつぜん)と海面に現れたのですか あ… <鎌倉・長谷寺の・・・観音菩薩像・・・> は… そういえば、海に投入されたためか、傷んでいる様にも見えますよね。この画像だけでは、 確かな事は言えませんが。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(589) 【支折の言葉・・・16/17 】
大和・長谷寺の開基/藤原房前が駆けつけて、観音像は鎌倉へと遷座(せんざ/神体、仏像な どをよそへ移すこと)され、鎌倉の長谷寺・開創の礎(いしずえ)となった…という事です。 この観音像は、鎌倉・長谷寺の本尊として、本堂に祀(まつ)られています。日本最大級の木 彫仏とされている…
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7月 28日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(588) 【支折の言葉・・・16/16 】
そのうち1体は… <大和・長谷寺の・・・本尊・・・> となり、もう1体は衆生済度(しゅじょうさいど/仏や菩ぼ薩さつ などが、この世で迷っている衆生を、迷いの苦しみから救い、悟りの境地へと導くこと。)の誓願(せいがん/ 誓いを立て て神仏に祈願すること。)を込め、開眼供養(かいげんくよう/開眼とは、眼目を開くという意味から・・・仏教では、「悟 りを開くこと」 をいい、さらには、仏像や曼荼羅(まんだら)などが新しく作製されたり、修理されたとき、それに新たに入魂の 儀式や、作法を行うことをいう。)を修した… <行基(ぎょうき/奈良時代の僧(668~749年)。百済(くだら)系の渡来人で、高志(こし)氏の出身。和泉(いずみ)の人。 法相(ほっそう)宗を学び、諸国を巡って布教。民衆とともに道路・堤防・橋や寺院の建設にあたったが、僧尼令違反として禁 止された。後、聖武天皇の帰依を受け、東大寺・国分寺建立に協力。日本最初の大僧正の位を授けられた。)>によっ て、海中へ奉じられた…といいます。 そして15年後… この観音像は相模国(さがみのくに/現在の、神奈川県の大部分)の沖合の海面に…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(587) 【支折の言葉・・・16/15 】
別の資料では… 鎌倉の長谷寺は、鎌倉幕府・創建より450年も前に遡る、聖武天皇・治世の736年に開 創した、鎌倉有数の古寺…だとしています。 寺伝の… 縁起(えんぎ/神社仏閣などの、いわれ)によれば… 721年に、大和国の長谷寺の開山である、徳道上人の本願(ほんがん/仏陀や菩薩が修行中に立 てた衆生救済の誓願)により、2人の仏師(ぶっし/仏像制作に従事する工人のことで・・・造仏師の略称。)が…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(586) 【支折の言葉・・・16/14 】
を、祈請(きせい/神仏に祈って、加護を願うこと)の上で、海に流したと言います。 そして、15年後に… 三浦半島の長井浦に流れ着きいた観音像を、鎌倉に安置して開いたのが、<鎌倉・長谷 寺> である…とされるそうです。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(585) 【支折の言葉・・・16/13 】
ただ… 寺伝によれば… 天平8年(736年)、大和の長谷寺の開基(かいき/寺院を開創すること。また寺院を開創した僧(開山))であ る徳道(とくどう/飛鳥~奈良時代の僧)を、藤原房前(/藤原不比等を父とする、藤原四兄弟の次男で、藤原北家 の祖。官位は正三位・参議。元明上皇の遺詔により内臣(うちつおみ)となる。官位は正三位・参議。贈正一位・太政大臣。) が招請して…<十一面観音像を・・・ 本尊として、開山・・・> した、という事です。 養老5年(721年)に… 徳道は大和国の山中で見つけた楠(くすのき)の大木から…
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7月 27日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(584) 【支折の言葉・・・16/12 】
い、という事でしょうか。 ちなみに… 伝承では、鎌倉の長谷寺の創建は奈良時代とされていますが、中世以前の沿革は明確で なく、創建の正確な時期や経緯についても、解明されていない、…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(583) 【支折の言葉・・・16/11 】
これが、鎌倉の長谷寺です。そして、本尊ですね… <鎌倉・長谷寺は・・・浄土宗系統の、単立寺院・・・> です。 <★本尊は・・・ 十一面観音菩薩像/・・・像高9m18cmで、日本最大級の木造仏像 >…という事です。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(582) 【支折の言葉・・・16/10 】
けふ九重に にほひぬるかな
「まさに…」響子が、顔を和ませた。「その空気ですね。それで、鎌倉の長谷寺の方はどう なのかしら?」 「はい…」支折が、コントローラーで…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(581) 【支折の言葉・・・16/9 】
野はその背後の隠れ里になっていたからですね。<吉野離宮> もあり、何度も歴史的事 件の舞台ともなって来ました。」 「はい…」支折が、髪を耳の後ろにすいた。「<桜の名所> とは、別にですね… ええと… 『小倉百人一首 → 61番/伊勢大輔(いせの・たいふ)』 の…
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7月 26日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(580) 【支折の言葉・・・16/8 】
…『枕草子』 『源氏物語』 『更級日記』 など、多くの古典文学にも登場する、という事で す」 「はい…」響子が言った。「何故… <奈良・長谷寺> は、これほど頻繁に古典に登場するかというと、奈良や近江は、<飛 鳥時代> や <奈良時代> の、古都だからでしょうか?
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(579) 【支折の言葉・・・16/7 】
どう違うのかしら? ええと… <奈良・長谷寺/大和國・長谷寺は・・・真言宗/豊山派の・・・総本山の寺院・・・> ですね。 <★ 本尊は・・・ 十一面観音菩薩立像・・・> です。 大和国と伊勢国を結ぶ、初瀬(はせ)街道を見下ろす、初瀬(はせ)山の中腹に本堂が建って いて…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(578) 【支折の言葉・・・16/6 】
が、憐(あわ)れを誘い、可愛かったのでしょうか? ともかく… 菅笠(すげかさ)をかぶり、<万菊丸と・・・2人旅> です。そして、初瀬(はせ)/<奈良・長 谷寺> まで、やって来たわけですね、」 「はい…」響子が、うなづいた。「でも… 長谷寺は、ついこの間、鎌倉にもありましたよね。ややこしいわねえ…」 「そうですね…」支折が、スクリーンボードに…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(577) 【支折の言葉・・・16/5 】
<蕉門の宗匠/芭蕉翁の・・・道行のお供・・・> ができるなら、弟子としては贅沢(ぜい たく)な申し出ですよね。 『奥の細道』 の河合曾良(かわい・そら)や、『更科紀行』 の越智越人(おち・えつじん)の様な、蕉 門/門人と比較すれば、追放処分を受ける様な人は、何某(なにがし)かの社会的な欠点が あります。でも、人間的な面白味が…
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7月 25日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(576) 【支折の言葉・・・16/4 】
まとめ上げたと思います。 ええ… その門人/杜国と、伊良湖崎/・・・保美で約束してあり、その通りに、伊勢で出迎えてくれ たわけですね。旅先案内と、身の回りの世話を、買って出てくれたわけです。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(575) 【支折の言葉・・・16/3 】
うーん… 『笈の小文』 が、芭蕉自身が編集したものではなく、未完と言われる所以ですね。何故、 その様な、中途半端な事になってしまったかというと、おそらく、芭蕉が早世(そうせい)して…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(574) 【支折の言葉・・・16/2 】
<万菊丸> が出迎えたわけですね。 <万菊丸というのは・・・保美に追放されていた・・・杜国(とこく)・・・> です。彼は名古 屋の米商人で、米の空売りに関係して、咎人(とがにん)となっていました。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(573) 【支折の言葉・・・16/1 】
<江戸で評判の・・・蕉風・蕉門の・・・宗匠> として、東海道を上り、故郷に凱旋(がいせ ん)しました。凱旋と言っても、<腰に草鞋(わらじ)を下げ・・・ 一人旅の、文学的凱旋>で あり、当時のスーパースターの旅姿が偲ばれますよね。 ええ、 くり返しますが… 芭蕉には、この紀行で、<旧主/藤堂良忠(/伊賀上野/城代・藤堂良精の3男。俳号/蝉吟)の子/ ・・・良長(俳号/探丸)の・・・下屋敷(別邸)に招かれての・・・句・・・> があります。
…ですね。 旧主/良忠は、芭蕉より2歳年上で、親しく交わっていましたが、25歳で早世し、芭蕉が 武士になり、出世する道が断たれています。旧主/良忠の死は、芭蕉が俳諧の道を志す、 直接の原因ともなっています。 旧主/良忠の遺子(いし/親の死後、残された子)/良長は… 9歳で藤堂新七郎の家督を継いでいて、この年、23歳になっていました。芭蕉はその主家 から、おそらく客人として下屋敷に招待され、<句会> なども、開いていたのでしょうか。 芭蕉にとって、この紀行では、最も華やかな時だったのではないでしょうか。 その故郷で、年末年始を過ごし、句会なども重ねていると、やがて桜の季節が…
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7月 24日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(572) 【 現代語訳・・・16/3 】
顔を見せてください・・・ 一言主神(ひとことぬしの・かみ/『古事記』 『日本書紀』に登場する、託宣の神)さま・・・ この山の桜は、全山満開で・・・ その美しいこと・・・ あなたも、きっと、美しいに違いありません・・・
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(571) 【 現代語訳・・・16/2 】
桜の花が咲き乱れる中・・・ 足駄(あした)をはいた僧が・・・ 静かに歩いて行くのが見える・・・
なんとも、味わい深いことだ・・・
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(570) 【 現代語訳・・・16/1 】
長谷寺(はせでら)といえば・・・ 恋の願掛けをする寺・・・ 春の夜に・・・ 一人こもる、かのご婦人は・・・ 何を祈っているのか・・・ 心惹(ひ)かれる思いがする・・・
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(569) 【 原文・・・16/1 】
< 葛 城 山 (かつらぎやま)>
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7月 23日 スポーツの日 ![]() オリンピック 開会式 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(568) 【 支折の言葉・・・15/114 】
『桃太郎(/日本のおとぎ話の1つ・・・桃の実から生まれた男子/桃太郎が、お爺さんお婆さんから黍団子(きびだんご) をもらって、イヌ、サル、キジを従え、鬼ヶ島まで鬼を退治しに行く物語。』 や… かぐや姫の、『竹取物語(/『源氏物語』に・・・<物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁> とあるように、 日本最古の物語といわれます。9世紀後半~10世紀前半頃に成立したとされ、かな文字によって書かれた、最初期の物 語の1つ)』 などから… 当時の社会性や、価値観、そして夢などが、分かって来ますよね。私は、そういう方面の 研究者ではないのですが、研究すると、非常に面白そうです。 ええ…<辞世の・・・句/歌・・・> の考察は、ここまでとします…」
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(567) 【 支折の言葉・・・15/113 】
の、ギャンブルがあったわけですね。また、輿入れ先が、安定しているか、勝者になるか、 敗者になるかも、大きなギャンブルになります。 例えば… 頼朝の追討を受けた義経は… 正室とは別に、有名な、<愛妾/・・・静御前(しずかごぜん)> がいたわけです。彼女は、女 性・白拍子でした。白拍子(しらびょうし)というのは、当時の歌舞の一種です。彼女の母は、白 拍子/磯禅師ですね。私は、磯禅師は父親かと思っていましたが、母親の方です。 うーん、でも… だからこそ、なのでしょうか。身分・出自というものには、非常にこだわりがあった社会です。 身分が卑(いや)しければ、一生、卯建(うだつ/日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾・・・)が 上がりません(/卯建が上がらない・・・なかなか、世俗的な意味での出世ができない、金銭的に恵まれる状況にならな い、などの意味の表現)。 だから… 入内(じゅだい/皇后・中宮・女御になる人が、儀礼を整えて正式に内裏に入ること。)する場合などは、身分の 高い貴族の養女になったりする様ですね、」
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(566) 【 支折の言葉・・・15/112 】
けでは、そんな事は出来ないわけですよね。 もっとも… このエピソードとは別に、頼朝には多くの妾がいた事は歴史的事実です。現代と違い、妻 の嫉妬で、一族の血脈を絶やしてしまう事などは、論外でした。 面白いのは… いわゆる平民でも、器量(きりょう/女性について言う場合・・・顔だち、容貌)の良い娘だと…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(565) 【 支折の言葉・・・15/111 】
そして政子が… 源氏の頭領/頼朝と駆け落ちした事により、<鎌倉幕府/初代・執権> に、なれたわ けですね。 したがって… 源氏の棟梁/頼朝にとっても、多くの女の家に通うのは、常識・社会的義務の範疇(はんち ゅう)でした。でも、政子は、それに激怒したわけです。
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7月 22日 海 の 日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(564) 【 支折の言葉・・・15/110 】
そうやって、家/一族の安泰をはかるのが、男としての義務でもありました。女性の方も、 そうした有力者の子を産めば、生活の安泰と、一族が出世する、可能性が開けます。ま た、その逆もあるわけで、ギャンブルになります。 政子の父/北条時政も、複数の妻妾があり、政子と腹違いの弟妹を…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(563) 【 支折の言葉・・・15/109 】
を打ち壊させ、彼女は、ほうほうの体で逃げ出したという事です。 頼朝の面目は丸潰れです。当然、ただでは済まないわけですが、でも武家の表の戦とは 違う、奥方の騒動なります。 当時は… 貴族が、そうでしたが… 有力武家も、本妻(ほんさい)の他に多くの妾(めかけ/正妻の外に、養い愛する女)を持ち…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(562) 【 支折の言葉・・・15/108 】
(1人目は、大姫・・・ 6歳の時に、頼朝と対立した源義仲 (/木曽義仲) との和睦のため、義仲の嫡男/義高と婚約しますが、義仲の敗北に伴 い義高が処刑されました。これに衝撃を受け、大姫は心を病むようになります。後の縁談も拒み通し、後鳥羽天皇への入内 の話も持ち上がりましたが、実現する事無く、20歳で早世しました。) その、<第2代・鎌倉将軍/・・・嫡男/頼家・・・> を、妊娠中に… 頼朝は、“亀の前”という女性を寵愛(ちょうあい)するようになります。そして、近くに呼び寄せ、 通うようになりました。 これを知った政子は、嫉妬(しっと)にかられ、激怒したと言われます。政子は、“亀の前”が 住んでいた…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(561) 【 支折の言葉・・・15/107 】
違いなく、強い女性です、」 「そうですね…」響子が、モニターに目を投げた。「北条政子には… 非常に嫉妬深いという、有名なエピソードもあります。これを、最後のコメントとしましょう。
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7月 21日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(560) 【 支折の言葉・・・15/106 】
男/公暁(くぎょう、こうきょう)に親の仇として暗殺され…その公暁自身も、直後に討ち取られて いるわけですね。 この大事件を知った時… いかに、強い女性といえども、さすがに心が萎(な)えた、と思います。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(559) 【 支折の言葉・・・15/105 】
北条政子は… 幕府軍の勝利を見とどけ、4年後に他界しています。彼女の、強い女性としての生き様が、 晩年でもなお、衰えていなかった様です」 「うーん…」支折が、大きくうなづいた。「それにしても…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(558) 【 支折の言葉・・・15/104 】
<頼仁親王(よりひと・しんのう)> は備前国(びぜんのくに/岡山県東南部、香川県小豆郡・直島諸島、兵庫県 赤穂市の一部)に…それぞれ配流となりました。 さらに… 在位期間か、わずか3か月足らずの <第85代/仲恭天皇(ちゅうきょう・てんのう/当時4歳)> も、廃されて… 代わりに… <高倉院/第80代・高倉天皇・・・の孫/茂仁王(とよひと・おう)が・・・第86代・後堀河 天皇(ご・ほりかわ・てんのう)> に即位しました。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(557) 【 支折の言葉・・・15/103 】
<第84代/順徳天皇 → 上皇> は… 佐渡へ流刑/・・・新潟県・佐渡市に配流/島流しにされ… <承久の乱> に関与しなかった… <第83/土御門天皇(つちみかど・てんのう) → 上皇> も… 自ら望んで、土佐国に遷(うつ)りました。 <3上皇・・・後鳥羽上皇を含む、3人の上皇> の他に… <後鳥羽院の・・・皇子/雅成親王(まさなり・しんのう/・・・第3代将軍/源実朝が暗殺された直後、鎌倉 幕府から、親王を次期将軍に迎えたいとする要請が出されるが・・・後鳥羽上皇に拒絶されています。)> は…
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7月 20日 |
後鳥羽上皇の姿絵=島前・中ノ島の後鳥羽院資料館 (ネットより画像借用)
和歌で対立した、歌人/藤原定家の方は… 権勢は定家の義兄弟である、西園寺公経に移り、定家の主家である九条家も勢いを盛り返すなど、 定家にとっては、逆に非常に幸運な時代となり、出世して行きます。幕府の、第4代目の傀儡将軍/ 藤原頼経も、九条家から招かれているわけですね。こうした事もあり、後鳥羽院と定家の亀裂は深くな ります。 元々、後鳥羽院と定家は… 『新古今和歌集』 を編纂した仲ですが、隠岐に流されていた後鳥羽院とは、文のやり取りは無かった ようです。後鳥羽院は受け付けなかった様ですし、定家の方は、九条家と鎌倉幕府との関係で、ピリピ リとした空気だった様です。 それで定家は… 『小倉百人一首』 の最後に、配流となった、後鳥羽院と順徳上皇を配し、なんとか定家自身の気持ち
を、間接的に、後鳥羽院に伝えたかった様です。 《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(556) 【 支折の言葉・・・15/102 】
19万と号する(/自ら言い広める)、大軍を率いて上京した義時の嫡男/泰時によって、都が 席巻される事になります。 <承久の乱> が鎮まり… <後鳥羽上皇> は… 隠岐島/隠岐国海士郡の中ノ島/…現在の、島根県・隠岐郡・海士(あま)町に配流され ました。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(555) 【 支折の言葉・・・15/101 】
攻め寄せて来る、西国武士の輩の・・・ 馬のひづめで、踏み荒らされることは・・・
まことに、悔しい事である・・・ 政子の… この言葉に感動した御家人たちは、幕府への忠誠を再確認し、出陣して行きます。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(554) 【 支折の言葉・・・15/100 】
三代将軍の墓所を・・・ 西国の輩の・・・ 馬のひづめに懸けんこと・・・
はなはだ、口惜しき次第なり・・・ (意訳) 私が、長生きしたばかりに・・・
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(553) 【 支折の言葉・・・15/99 】
まさに… 後鳥羽上皇の側も、<鎌倉側が・・・朝敵になる・・・> という事を、十分に計算に入れて いたわけです。 そんな、火急の折… 御家人たちを集めて、<尼将軍・・・北条政子> が、叱咤激励(しったげきれい)した言葉が…
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7月 19日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(552) 【 支折の言葉・・・15/98 】
山田重忠が、後鳥羽院に近侍することは、承諾していたのでしょう。源氏と言っても、血脈 と言うだけで、色々複雑です。 <木曽義仲の・・・粟津の戦い(近江国/粟津にて行われた、源義仲と源頼朝派遣の東国諸将との間の戦い。 <治承・寿永の乱・・・の1つ>。源頼朝は、後白河法皇の命を受けて、弟の範頼・義経以下、傘下の東国諸将に、義仲討 伐を命じました。 <宇治川の戦い>などで、敗れた義仲は、後白河法皇を連行して京都を脱出しようと図りますが、<六条河原の戦い> で再度敗れて、今井兼平らわずかの兵を連れて、根拠地のある北陸への逃走を試みます。でも、結局、討ち死にします。) > の事もありますし… その後の… <義経追討(/頼朝の異母弟/義経は・・・ 木曾義仲を討ち、<一ノ谷の戦い> で平敦盛(あつもり)・忠度(ただのり )らを殺し、1185年には、総帥として <屋島の戦い> から 、<壇ノ浦の戦い> で平氏を滅亡させました。 でも、後白河上皇の信任を得ていたことなどから、頼朝にきらわれて、鎌倉に入ることを許されませんでした。そして、少数の 手勢で、日本海の安宅の関/歌舞伎 『勧進帳・・・安宅の関』・・・ を通り、奥州/平泉まで逃亡する事になります。)> …の事も、あるわけですわ。 さあ… それにしても… <後鳥羽上皇の・・・挙兵!> を知った… 鎌倉方の動揺は、相当に大きかった様です。<朝敵> となることに、<無条件降伏> を…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(551) 【 支折の言葉・・・15/97 】
山田氏の一門は、伝統的に朝廷との繋がりが深く、重忠は鎌倉期以降も、京で後鳥羽上 皇に近侍(きんじ/主君のそば近くに仕えること。また、その人。)し、建保元年(/1213年)には上皇の法 勝寺供養(ほっしょうじ・くよう)に、供奉(ぐぶ/行幸や祭礼などの時に、お供の行列に加わること) する、などし ています、」 「そういう…」支折が言った。「御家人も、いたわけですね、」
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(550) 【 支折の言葉・・・15/96 】
ええと… 協力した有力御家人/山田重忠とは… どういう人物か、いちおう、調べてみました。 彼は、<木曾義仲(/源義仲・・・清和(せいわ)源氏の嫡流/源為義(ためよし)の次子/義賢(よしかた)の次男とし て、1154年(久寿1)東国に生まれた。)・・・の滅亡後・・・> 、源頼朝が鎌倉幕府を創設すると、 尾張国山田荘(/名古屋市北西部、瀬戸市、長久手市の一帯 )の地頭(じとう/平安時代末~鎌倉時代末に、荘 園や国司の土地を支配するために置かれた職。税の取り立てや、治安維持などが主な仕事。)に任じられ、御家人 に列しています。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(549) 【 支折の言葉・・・15/95 】
を、即位させます。 そして… <後鳥羽院/・・・後鳥羽上皇・・・> が… <鎌倉幕府・・・時の執権/北条義時追討の・・・院宣・・・> を出し… 山田重忠ら有力御家人を動員させて、畿内(きない/京都に近い国々。山城・大和・河内・和泉・摂津の5 か国。五畿内)・近国(きんごく/律令制で、遠国(おんごく)・中国に対して、京に近い国々。調庸物の納入期限が十月三 十日とされていた。「延喜式‐民部上」 によると・・・伊賀・伊勢・志摩・尾張・三河・丹波・因幡・備前・紀伊・丹後・美作・近江・ 美濃・若狭・但馬・播磨・淡路・・・の、17カ国。)の、兵を召集し…
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7月 18日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(548) 【 支折の言葉・・・15/94 】
などもあり、上皇は次第に、和歌に対する情熱を失って行った様ですね。 そこで… 多才の、スーパーパワーが… 次に興味を引いたのが、倒幕の画策だった様です。まず、おっとりとした、とろい性格の、 <上皇の第1皇子/・・・第83代・土御門天皇(つちみかど・てんのう)> を廃し…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(547) 【 支折の言葉・・・15/92 】
<後鳥羽院と、第84代/順徳天皇(じゅんとく・てんのう/後鳥羽院の第3皇子)の・・・倒幕の挙兵 /・・・承久の乱・・・> に際して… 動揺する鎌倉の… <御家人(ごけにん/・・・鎌倉時代における、将軍直属の武士。将軍に忠誠義務を尽くす代償に、所領安堵・新恩給与 などの保護を受けた。)> たちに対して与えた、訓戒があります。私達も、これを <北条政子の ・・・辞世の句> としましょう。 まず… 経緯の概略を説明すると、… <後鳥羽院/後鳥羽上皇> が、<歌人/藤原定家> らと…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(546) 【 支折の言葉・・・15/91 】
る宣旨に相当する。)> の出た… <承久の乱(じょうきゅうのらん/後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、幕府に鎮圧された事件)> の時、でし ょうか。 <院宣> が、出たからには… 鎌倉方は、<朝敵/・・・天皇及び朝廷に、敵対する勢力>…という事に、なってしまい ます。まさに、一大事です! ええと… <初代将軍・・・頼朝>の急死の後… <第2代将軍・・・嫡男/頼家>、そして、<第3代将軍・・・次男/実朝> と、次々と 倒れ、<傀儡(かいらい/あやつり人形)政権の・・・尼将軍> と…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(545) 【 支折の言葉・・・15/90 】
「はい…」支折が、うなづいた。「さあ、話を戻して… <強い女性/・・・北条政子の・・・辞世の歌・・・> は、どうだったのでしょうか?」 「うーん…」響子が、笑ってうなづいた。「そうでした… 北条政子の、<辞世の句> と言えるのは…
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7月 17日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(544) 【 支折の言葉・・・15/89 】
ええと…話を戻しますが… 頼朝は、その軍勢を鎌倉より西に押し出して… <富士川の戦い> で勝利し…各地の反対勢力を滅ぼして…関東を制圧して行きます。 そして、<東国の主となり・・・鎌倉殿・・・> と呼ばれるように…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(543) 【 支折の言葉・・・15/88 】
「うーん…」支折が言った。「<京都の・・・公家文化圏・・・> に対して、 <東国は・・・新興の・・・武家文化圏・・・> と、言うことになるのかしら?」 「うーん…」響子が、うなづいた。「<防人(さきもり/筑紫・壱岐・対馬など、北九州の防備に当たった兵士。 西暦663年の<朝鮮半島の・・・白村江の戦い> 以後に制度化され、初めは諸国の兵士の中から3年交代で選ばれまし たが、後に東国武士に限られるようになりました。その後、数度の改廃を経て、延喜(901~923)の頃には、有名無実とな りました。)の時代> 以来… 東国は、武士の供給地に…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(542) 【 支折の言葉・・・15/87 】
1つ、気になるのは… <数万の・・・東国武士が・・・湧き上がる・・・> のは、<壬申の乱> における、大海 人皇子/天武天皇の元に糾合された、大軍事力と似ていますよね。あれは、不破/<不 破の関(/美濃国・・・現在は岐阜県)> に、集ったわけですが。 そして… 後の時代には… 徳川家康は、<鎌倉より・・・さらに東の・・・武蔵国/江戸・・・> を基盤とし、東北の仙 台/伊達政宗を…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(541) 【 支折の言葉・・・15/86 】
義父/北条時政、そして次男/義時とともに、安房国/房州に逃れて、再挙する事になり ます。 東国の武士達は… 続々と頼朝の元に参じ、数万騎の大軍に膨れ上がり、<源氏ゆかりの地・・・鎌倉・・・> に入り、居を定めました。鎌倉は、3方を山に囲まれ、1方は海に臨むという、地の利もあっ たわけですね」 「あ…」支折が言った。「鎌倉が、源氏ゆかりの地というのは、何故なのでしょうか?」 「それは…」響子が、モニターを覗いた。「ええと… 頼朝の先祖/源頼義(/河内源氏初代棟梁/源頼信の嫡男で・・・河内源氏2代目棟梁 ) は… <前九年の役(/平安時代後期の陸奥国(東北地方)で起こった戦い。元々は、<奥州十二年合戦>)> にお いて、<京都/岩清水八幡宮> に戦勝祈願をしました。 そして勝利を収めた頼義は、1063年、<岩清水八幡宮を・・・鎌倉に移し・・・お祀り> したという事です。これが今の、元八幡です。 ええと、現在の、<鶴岡八幡宮/鎌倉八幡宮は・・・源頼朝が・・・創建・・・> したもの ですね、」 「はい…」支折が、うなづいた。 「ええ…」響子が言った。「北条政子も、伊豆から見て…
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7月 16日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(540) 【 支折の言葉・・・15/85 】
した。 この戦で… <北条時政の・・・嫡男(ちゃくなん/正妻の生んだ最初の男子)/北条宗時が・・・討死(うちじに)・・・ > しています。政子は、伊豆山/伊豆山権現(/現在の伊豆山神社)に留まり、頼朝の安否を 心配して、不安の日々を送った様です。
小国政 「石橋山の朽木に霊鳩頼朝を助く」 安政二/1896年 (ネットより画像借用) 《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(539) 【 支折の言葉・・・15/84 】
もう少し、詳しく言うと… 頼朝の配流地の伊豆で、目代/山木兼隆を討った頼朝軍は… 相模(さがみ)の三浦氏との連携を求めて、石橋山に兵を進めましたが… <平家方/・・・大庭景親(おおば・かげちか/・・・平安時代末期の相模国の武将。平良文の末裔である鎌倉 景正の流れを汲む大庭氏の一族。<平治の乱後> に平家の忠実な家人になり、治承4年(1180年)に義朝の遺児/源 頼朝が挙兵すると、平家方の武士を率いて <石橋山の戦い> で頼朝を撃破した。しかし、安房国へ逃れた頼朝が再挙し て、多くの東国武士に迎えられて、鎌倉へ入ると抗する術を失う。頼朝が <富士川の戦い> で平氏に大勝した後に降伏 し、処刑された。) らの・・・圧倒的な兵力の前に・・・大敗・・・> し…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(538) 【 支折の言葉・・・15/83 】
<以仁王が・・・敗死(/計画は準備不足のために露見して、追討を受け、以仁王と頼政は、<宇治平等院の戦 い> で敗死、早期に鎮圧された。)> したことにより… 伊豆にいる源頼朝にも、危機が迫り、挙兵せざるを得なくなった様です。 頼朝は… まず、伊豆目代/山木兼隆の邸(やしき)を襲撃して、これを討ち取りますが、続く… <石橋山の戦い/・・・源頼朝挙兵後の・・・最初の源平合戦・・・> …
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(537) 【 支折の言葉・・・15/82 】
ええ… 1180年(治承4年)に… <第80代/高倉天皇(/壇ノ浦で入水した安徳天皇と、隠岐の島に配流になった後鳥羽天皇らの父。母親は、 皇太后の平滋子/…平清盛の妻・平時子の異母妹(/建春門院)。)の・・・兄宮(/兄にあたる宮)/以仁王(も ちひとおう/…後白河天皇の第3皇子)が・・・ 源頼政(/…和歌に長じ、通称は、源三位(げんさんみ)入道。白河法皇・後白河天皇に仕え、<保元・平治の乱> で 功を上げた。後、以仁王(もちひとおう)と平氏追討を企てたが、事前に発覚して、宇治平等院で自殺。)と・・・平家打倒 の挙兵を計画> し、諸国の源氏に挙兵を呼びかけました。 伊豆に配流の頼朝にも… <以仁王の令旨(りょうじ/律令制のもとで…皇太子・三后(/太皇太后・皇太后・皇后)の、命令を伝えるために出 された文書。)> が届けられましたが、慎重な頼朝は、即座には応じなかった様です。
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7月 15日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(536) 【 支折の言葉・・・15/81 】
の力が強く、伊豆目代の山木兼隆も手を出せなかった、と言う事です。 でも… 歴史的に、山木兼隆の伊豆配流(はいる/島流し)は1179年(/治承3年) の事であり、政子と の婚姻話は物語上の創作とみるのが妥当、とも言われます。いずれにしても、はるかな昔 の事で…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(535) 【 支折の言葉・・・15/80 】
山木兼隆の邸へ輿入(こしいれ/嫁の乗った輿を婿の家へかつぎ入れること。転じて、とつぐこと。嫁入り。)させ られようとしますが、コッソリと屋敷を抜け出しました。そして、山を1つ越えて、頼朝の元 へ走ったという事です。2人は、伊豆山権現(いずさん・ごんげん/伊豆山神社・・・静岡県熱海市伊豆山に ある神社)に匿(かくま)われました。 これは… 政子が、21歳の時という事です。伊豆山は…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(534) 【 支折の言葉・・・15/79 】
<平家一門> への聞こえを恐れて、政子を伊豆目代(もくだい/平安・鎌倉時代の、国守の代理人。 国守の代わりに任国に赴いて、執務する私的な代官。)/山木兼隆と結婚させようとしました。 山木兼隆は、頼朝と同じ流人(るにん/流罪の刑に処せられた人)でしたが、<平家の一族 > で あり、平家政権の成立とともに、伊豆目代となり、伊豆での平家の代官となっていました。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(533) 【 支折の言葉・・・15/78 】
政子は、吉夢(きちむ/えんぎのよい夢)と知って、妹の夢を買ったわけですね。その吉夢の通り に、政子は後に天下を治める頼朝と結ばれた、という話です。 ええと… 駆け落ちについては… 『源平盛衰記(/鎌倉時代・中期~後期の軍記物語。48巻。作者・成立年代ともに未詳。平家物語の異本の1つとみ られる。源氏関係の記事、仏教説話、中国故事などが増補されている。)』 に、次の内容の記載がある様です。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(532) 【 支折の言葉・・・15/77 】
子は、それは、“禍をもたらす夢” なので、自分に売るように勧めました。 当時… “不吉な夢を売ると…禍が転嫁する” という考え方がありました。妹は、政子に夢を売り…
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7月 14日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(531) 【 支折の言葉・・・15/76 】
目を流した。「この婚姻についての逸話が、幾つか書かれている様です。 それを、覗(のぞ)いてみましょうか。 まず… 『曽我物語(そがものがたり/鎌倉時代・初期に起きた、曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物語。作者不詳で多くの 異本がある。)』 によると… 2人の馴(な)れ初めとして、政子の妹/阿波局(あわのつぼね/後に頼朝の弟・阿野全成の妻となるそ) が…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(530) 【 支折の言葉・・・15/75 】
んね。 政子は、まもなく長女/大姫を出産します。時政も、2人の結婚を認めたわけであり、<北 条氏は・・・源氏/源頼朝の・・・重要な後援者・・・> となりました」 「駆け落ちは…」支折が言った。「どうなったのかしら?」
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(529) 【 支折の言葉・・・15/74 】
<暗夜をさ迷い、雨をしのいで、貴方の所にまいりました・・・> …と述べたと記されている、という事です。 様々な事をくぐり抜けて来た、彼女の優しい一 面ですね。 ええ、ともかく… 最終的に、北条時政は…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(528) 【 支折の言葉・・・15/73 】
頼朝と政子の婚姻(こんいん/男女が法律上結婚すること)は、1177年(治承元年)頃と推定されていま す。『吾妻鏡(あずまかがみ/『東鑑』とも書く。鎌倉幕府の前半を扱った歴史書。)』 に、よれば、父/北条時 政は、この婚姻には大反対であったという事です。もちろん、平氏の治世だからですね。 また同書には、後年… <頼朝の実弟/義経の・・・愛妾(あいしょう/気に入りのめかけ)/静御前(しずかごぜん/磯禅師 (い そのぜんじ) の女 (むすめ) で、もと京都の白拍子 (しらびょうし) 。義経が京都堀川第で兄/頼朝の刺客/土佐房昌俊に襲 われた時、機転によって義経を助けた。)・・・> が、頼朝の怒りを…
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7月 13日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(527) 【 支折の言葉・・・15/72 】
伊豆の在庁官人(ざいちょう・かんじん/平安中期から鎌倉時代に・・・現地の国衙(こくが/諸国の政庁)で、実務を 行った介(すけ)以下の役人)であった時政は… <平治の乱(/後白河上皇を幽閉し、通憲を殺害したが、平清盛に敗れ・・・義朝、信頼は殺され、源氏の勢力は衰退 し、平氏政権が出現しました。)> で敗れ、伊豆に流された、<源頼朝の・・・監視役> でした。 しかし… 北条時政が、大番役(おおばんやく/・・・平安時代末から鎌倉時代の、内裏・院の御所や、京都市中の警固役(/ 京都大番役)。御家人の役の1つで、諸国の武士が交代で当たり、守護・惣領の指揮に従った。)のための、在京中 に、政子は、頼朝と恋仲になってしまいました。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(526) 【 支折の言葉・・・15/71 】
「そうです…」響子が、うなづいた。「それでは… <北条政子> について、源頼朝との馴れ初めなどを、もう少し説明して行きましょうか。 <北条政子> は…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(525) 【 支折の言葉・・・15/70 】
頼朝亡き後に… <征夷大将軍となった・・・嫡男/頼家(よりいえ/・・・頼朝の急死により、18歳で家督を相続・・・ 鎌倉幕府の第2代鎌倉殿/征夷大将軍となる。若年の頼家による従来の習慣を無視した独裁的判断が、御家人たちの反発 を招き、疎外された母方の北条氏を中心として、十三人の合議制がしかれ、頼家の独断は抑えられたとされますが、当事者
である北条氏の史書の記録でしか、確認されていません。 頼家は重病に陥ったとされ、頼家の後ろ盾である比企氏と、弟/実朝を担ぐ北条氏との対立が起こつています。その結果、 北条氏一派の攻撃により、比企氏は滅亡します。 頼家は将軍職を剥奪され・・・伊豆国修禅寺に幽閉された後・・・暗殺されました。 頼家追放により、北条氏が鎌倉幕府の実 権を握る事になりました。)>… そして… <次男/実朝(さねとも)も・・・相次いで、暗殺・・・> されます。 実朝は、若くして歌人としても知られ、『小倉百人一首・・・93番/鎌倉右大臣』 としても、 歌が採られています。 実朝は、12才の時に、3代将軍となりますが… 兄/頼家の次男/公暁(くぎょう、こうきょう)により、父の仇として殺されました。その公暁も、実 朝の首を掲げた帰りに、殺されます。 あ、それから… たまたま、次のような文献があるのを、見つけました。 同時代の、<道元禅師/・・・日本曹洞宗の開祖(『正法眼蔵』の著者)> に関することです。 多少、修正しますが…
がせた。実朝の死後、彼女は京都に帰り、東寺の近くに大通寺を建立し、出家した。この ように、<道元禅師> のごく近くでも、朝廷や宗教界の暗躍があった…
そういえば… <道元禅師> は永平寺を出て、鎌倉に下った事がありましたよね。また、永平寺に戻っ ていますが。すみません。勉強不足で、詳しい事は分かりません。高杉・塾長なら、御存 知かもしれませんが。 ええ、ともかく… <3代将軍/実朝>が、暗殺された後は… <傀儡(かいらい/あやつり人形)将軍として・・・京から、幼い、藤原頼経(ふじわらの・よりつね/鎌 倉幕府の第4代征夷大将軍。摂政関白を歴任した九条道家の三男で、摂家から迎えられた摂家将軍。九条頼経とも呼ば れる。)> を招いたわけですが、政子は、その <後見(こうけん/背後から世話、監督すること。)> と なって、幕政の実権を握ります」
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(524) 【 支折の言葉・・・15/69 】
周囲の反対を押し切り、<伊豆の流人だった・・・頼朝> の、妻となります。頼朝が鎌倉 に <武家政権を樹立(/鎌倉幕府の樹立)> すると、<御台所(みだいどころ)> と呼ばれるよう になります。 そして、<頼朝の死後・・・落飾(らくしょく/高貴な人が、髪をそり落として、仏門に入ること)して・・・尼御 台(あまみだい)> と呼ばれるようになりました。
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7月 12日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(523) 【 支折の言葉・・・15/68 】
た後で、<鎌倉幕府/・・・初代執権・・・> となっています。 <執権(しっけん)> とは、鎌倉時代に、将軍の補佐、幕府の庶務の総監に当たった職名で すね。あ、又は、その職の人をも指します。後の、室町時代では、<管領(かんれい)> と呼 ばれています。 さて、その… <北条政子> ですが…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(522) 【 支折の言葉・・・15/67 】
響子が、インターネットで検索した。 「うーん…」響子が、モニターに目を流しながら言った。「まず… <北条政子の・・・略歴> を、述べて置きましょうか。 ええと… <北条政子は・・・伊豆の豪族/北条時政・・・の長女・・・> です。 その <北条時政は・・・源頼朝(鎌倉幕府/初代将軍)・源頼家(鎌倉幕府/第2代将軍)・
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(521) 【 支折の言葉・・・15/66 】
上皇(/<壇ノ浦の戦い> で入水した、安徳天皇の異母弟に当たる。藤原定家らと、 『新古今和歌集』 を編纂します が、執権/北条義時追討の院宣を出し、<承久の乱> を引き起こし・・・結果、隠岐の島に配流となります。)の時代> ですから、その空気感は分かります」 「あ、それじゃあ…」支折が言った。「響子さんに、<北条政子> で、お願いしますわ」 「はい…」響子が、ユックリとうなづいた。「でも… 彼女に、有名な <辞世の歌> は…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(520) 【 支折の言葉・・・15/65 】
逆に、強い女はどうでしょうか? 歴史上、強い女といえば… <室町幕府8代将軍/・・・足利義政・・・の正室/日野富子(/実子義尚(よしひさ)の将軍就任 を企て、義政の弟/義視(よしみ)と対立し、<応仁の乱> の端緒をつくった女性です。京都諸口の関所の設置、そのほか 幕政に深く関与しました。戦乱で苦しむ庶民をよそに、<巨万の富を築いた・・・悪女、守銭奴・・・> とも評されました。 夫の義政が、東山山荘の造営のため費用捻出に苦心していた時、一銭の援助もしていない事から、<天下の悪妻> とも 呼ばれました。その一方で、火災で朝廷の御所が焼け、修復するため膨大な費用が必要になった時は、自身の蓄財から賄 ったりしています。)> や… その前の、鎌倉時代になりますが… <源頼朝と・・・駆け落ちし・・・後に/尼将軍と呼ばれる・・・北条政子・・・> が、頭に 浮かびますが…」 「そうですね…」響子が、口をすぼめて、うなづいた。「頼朝と、駆け落ちした…
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7月 11日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(519) 【 支折の言葉・・・15/64 】
とは別の所で、<関ヶ原の戦いという・・・歴史の歯車・・・> が、大きく動いて行くわけ です。彼女も、その大きな歯車に呑み込まれて行きました。 さて… 次の <女性の・・・辞世の句> は、誰にしようか迷ったのですが… うーん… <信長の妹/・・・お市の方> も、悪くはないですね。でも、<細川ガラシャと同様に ・・・女性の立場/・・・女性の性(さが)> が、重なります。
イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。 (ネットより画像借用) 《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(518) 【 支折の言葉・・・15/63 】
「潔(いさぎよ)い…」支折が言った。「戦国武将の娘/戦国武将の妻の、立場は分かります。 その中で、潔く死んでいった、という事ですね。 それにしても… 彼女のキリシタンとして生きる、情熱というものは、凄いものがあった様ですね。研究者で はないので、浅い不確かな知識しかありませんが、彼女は夫/忠興からは、<自刃(じじん /刀剣を用いて自分の生命を絶つこと。)>してくれ、と言われているわけですね。 四方八方からの、その圧力は凄まじかったと思います。<生きる道は・・・無い・・・> と 示唆されると、逆に彼女の <生への・・・執着> に、火が付いたのでしょうか。それが、 キリシタンへの模索だったのでしょうか。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(517) 【 支折の言葉・・・15/62 】
「うーん…」響子が、うなづいた。「彼女も… 父/明智光秀の、<本能寺の変> が無かったら、普通の戦国武将の妻として、落ち着 いた生涯を送ったのでしょう。それにしても、私としては…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(516) 【 支折の言葉・・・15/61 】
その、直前に詠んだ… <辞世の歌> と伝えられるのが…有名な…
花も花なれ 人も人なれ
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7月 10日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(515) 【 支折の言葉・・・15/60 】
します。 そして… <1600年10月21日/・・・天下分け目の、関ヶ原の戦い・・・> の直前に、西軍の 総大将/石田三成に、<細川忠興の妻・・・として、人質・・・> として、捕らわれそうに なります。 逃げられない… と悟った、<細川ガラシャ(/1563年~1600年)> は…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(514) 【 支折の言葉・・・15/59 】
時は戦国時代であり… 豊臣秀吉の、<キリスト教の排斥> が始まった頃に、重なっています。そして、<天下 の謀反人(むほんしん)/光秀の娘であり・・・戦国武将/細川忠興の妻・・・> という事が 重り、状況が非常に輻輳(ふくそう)しています。 そうした中… <天下人(てんかびと)/豊臣秀吉> が…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(513) 【 支折の言葉・・・15/58 】
<自力本願/・・・上座部仏教・原始仏教に近い・・・禅修行・・・> よりは… <救いを求める対象 ・・・唯一の神が存在する宗教/キリスト教・・・> が、彼女の感 性には、合っていたのでしょうか。これは、各個人が持っている、感性ですよね。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(512) 【 支折の言葉・・・15/57 】
ただおき/戦国時代から、江戸時代前期にかけての武将、大名。丹後国宮津城主を経て、豊前国小倉藩初代藩主。肥後 細川家初代。足利氏の支流・細川氏の出身。正室は明智光秀の娘・玉子(通称細川ガラシャ)。)の妻> ですね。 そして… もう1つ、特筆すべき事は、<彼女は・・・キリシタン> だった事です。彼女は、最初は義 父と共に、<禅/禅宗> を学んだ様ですが、それでは救われず…
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7月 9日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(511) 【 支折の言葉・・・15/56 】
20カ国語に翻訳され、世界中に発信されているとは、さすがの紫式部も、想像を絶してい るでしょう。 さあ… 次の、<女性の・・・辞世句・・・> は… <★ 細川ガラシャ/明智玉の・・・辞世の歌> です。 ええ… 細川ガラシャは… ご存知の様に、<本能寺の変> で…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(510) 【 支折の言葉・・・15/55 】
あ、」 「はい…」支折が言った。「『源氏物語』 が… 千年後の世でも、読まれているとは、露ほども知らず…という事ですね。でも、ひょっとして、 この私達の雑談が、千年後にも、読まれているなんて、事があるのでしょうか?」 「ほほ…」響子が、笑いながら、うなづいた。「まさか、ですが…そういう事ですね、」
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(509) 【 支折の言葉・・・15/54 】
跡は消えせぬ 形見なれども
書いたものを・・・ いったい誰が・・・ 生きながらえて・・・ 読んでくれるだろう・・・ 書いたものは・・・ 消えることがない・・・ 形見ではあるけれど・・・
の右近。奥は浮舟。匂宮に強引に言い寄られて傷心の浮舟をなぐさめようと、異母姉の中の君は物語絵を持ち出す。右近が 物語の詞書(ことばがき)を朗読し、浮舟はそれを聞きながら冊子の物語絵に見入る。この図は、当時の物語鑑賞や絵画鑑 賞のあり方を、具体的に伝える貴重な資料。 《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(508) 【 支折の言葉・・・15/53 】
現在、『源氏物語』 は、20カ国語を超える翻訳(ほんやく)を通じて、世界各国で読まれてい る、という事です」 「はい…」支折が、丁寧(ていねい)に頭を下げた。「響子さん、有難うございます… さて、その… 平安時代・中期の、女性作家/女流作家/大作家… <★ 紫式部の・・・辞世の歌・・・> は…
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7月 8日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(507) 【 支折の言葉・・・15/52 】
『源氏物語』 は… 文献初出(1001年/長保3年) から、およそ150年後の、平安時代・末期に、『源氏物語絵巻』 として絵画化されています。 それらの、現存する絵巻物のうち、徳川美術館(/愛知県・名古屋市東区徳川町の徳川園に隣接する、私 立美術館。)と、五島美術館(/東京都・世田谷区上野毛にある美術館。)所蔵のものは、<国宝> となっ ています。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(506) 【 支折の言葉・・・15/51 】
太后(こうたいごう/・・・先代の天皇・皇帝の、皇后であった者、およびその称号)・皇后(こうごう/天皇や皇帝の正妃 (正妻)、およびその人物に与えられる称号。)・・・を独占するという形・・・> になりました。 これは、<一家三后(いっか・さんごう)> と、呼ばれました。その栄華の極まりを、道長自身が こう詠んでいます…
欠けたることも なしと思へば
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(505) 【 支折の言葉・・・15/50 】
<第66代/一条天皇の皇后に・・・彰子(しょうし、あきこ)> … <第67代/三条天皇の皇后に・・・姸子(けんし、きよこ)> …
<第68代/後一条天皇の皇后に・・・威子(いし、たけこ)>
を入れ…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(504) 【 支折の言葉・・・15/49 】
式部の・・・娘/小式部内侍(こしきぶの・ないし)> など、次世代も育っています。 彼女達も… 道長の側に付いていたと言うよりも、そうした時代に、巡り合わせたという事ですね。それ にしても、<第66代/一条天皇> をも…
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7月 7日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(503) 【 支折の言葉・・・15/48 】
となり、<2人の中宮が・・・並び立つ問題・・・> にも、ケリが付いた様です。 でも… 以後、“女流文学は・・・益々・・・花盛り・・・” となり… <中宮彰子> には… <紫式部>の他に、<歌人/和泉式部(いずみ・しきぶ)> や、『栄花物語』 の <作者/ 赤染衛門(あかぞめ・えもん)>、<歌人/伊勢大輔(いせの・たいふ)> など…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(502) 【 支折の言葉・・・15/47 】
出家したわけで、その負い目は、 大きかったのでしょうか? <藤原道長の側/・・・中宮彰子の側にいる・・・紫式部> と、<中宮定子の・・・側> で、『枕草子』 を書いていた、<清少納言> の対立は、こうした構図の中にあった様です ね。 やがて… <中宮定子> が、出産に絡んで亡くなった…のだったかしら?
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(501) 【 支折の言葉・・・15/46 】
の落飾(らくしょく/身分の高い人が、髪を剃りおとして仏門にはいること)にも、つながっている様です。これ らは、一族の中での、壮絶な権力闘争という事になります。 それで… <中宮定子は・・・誰にも語らずに・・・出家(/世俗の生活を捨て、僧となって仏道を修行すること)> し た様ですね。でも、<第66代/一条天皇> は、本当に、心底から、彼女を愛していて…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(500) 【 支折の言葉・・・15/45 】
『枕草子(まくらのそうし/・・・ 平安中期の代表的随筆集。作者は清少納言。10世紀末〜11世紀初めころの成立。中宮定子に仕えた、宮廷生活を回想 した部分や、自分の感想を述べた部分など、軽妙な機知と鋭利な観察の筆を走らせています。平安時代の美的感性の一 つの典型をうちだした、とされています。『源氏物語』 と並び、平安女流文学の双璧と、されています。)』 や… 『栄花物語(えいが・ものがたり/・・・ 作者不詳の歴史物語。六国史の後継たるべく、宇多天皇の治世から起筆し、摂関権力の弱体化した堀河朝の寛治6年2月 (1092年)まで、15代/約200年間の時代を扱っています。 藤原道長の死までを記述した30巻と、その続編としての10巻に分かれています。正編30巻を <赤染衛門(あかぞめ・え もん)>、続編10巻を <出羽弁(でわの・べん/平安時代中期の女流歌人)> のほか、<周防内侍(すおうの・ないし) > など、複数の女性と見る説があります。 正編は、後一条天皇の万寿(1024年~1028年)の頃、続編は11世紀末から12世紀初頭にかけて、宮廷女性の手によ って完成されたことに、間違いないという事です。)・・・』、 それに… 『紫式部日記(/藤原道長の要請で・・・宮中に上がった紫式部が、1008年秋~1010年正月まで、宮中の様子を 中心に書いた、日記と手紙からなります。)・・・』 …あたりにも、記載があるのでしょうか。 <藤原道長が・・・絶対権力者として・・・登場・・・> して来ることと、重なっている様で すね。 <中宮定子の・・・父親(/関白・内大臣正二位・藤原道隆)> が亡くなり、<長徳の変(/長徳元年 (995年)4月10日の藤原道隆の死後、弟の <藤原道長> が内覧の宣旨を得た後に起きた政変。道隆の一族、中関白 家が排斥される結果となった。)> によって、彼女の兄弟達が…
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7月 6日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(499) 【 支折の言葉・・・15/44 】
には 『枕草子(まくらのそうし)』 を執筆している、<清少納言(せいしょうなごん)> が仕えていまし た。 ところが… <権力者/藤原道長> が、のし上がってきて… <自分の長女/彰子(しょうし、あきこ)> を、強引に <中宮(/奈良時代には、ひろく宮門内/禁中、 内裏をさし、平安時代には、皇后の別称となります。)> に押し込んだ様ですね。 私は専門家ではないので、詳しい事は分かりませんが、一時、中宮/皇后が2人いた様 子です。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(498) 【 支折の言葉・・・15/43 】
これは… 写本(しゃほん/手書きによって本を写すこと)・版本(はんぽん/写本に対する言葉で、木版で印刷された本をさす)に より、多少の違いはあるものの、およそ… <100万文字・22万文節であり・・・400字詰め原稿用紙で、約2400枚に及ぶ> …という、膨大な長編小説です。 当時は… <第66代/一条天皇(いちじょう・てんのう)の時代> で…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(497) 【 支折の言葉・・・15/42 】
ています。 つまり… <1・・・桐壺/きりつぼ>、<2・・・帚木/ははきぎ>、<3・・・空蝉/うつせみ>、 <4・・・夕顔/ゆうがお>、<5・・・若紫/わかむらさき>、<6・・・末摘花/すえつ むはな> と巻が続き…最後に、<54・・・夢浮橋/ゆめのうきはし>、…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(496) 【 支折の言葉・・・15/41 】
紫式部を呼び寄せました。家庭教師と言うよりも、箔を付ける(はくをつける/重みをつける。貫祿をつ ける。)ためですよね。 それを機に… 宮中に上がった紫式部は… 宮仕えをしながら、<藤原道長/・・・平安中期の政治家で、藤原氏全盛期の最頂点 に立った人物 (/・・・娘を次々と后に立て、天皇の外戚となって内覧・摂政・太政大臣を歴任、権勢を振るい、栄華を きわめた。晩年に出家し、法成寺を造営。関白になった事実はないが、御堂関白(みどうかんぱく) と称された。)> の、 支援の下で、物語を書き続けました。 生活・身分が安定し… 貴重な紙も不自由なく使え、好きなだけ物語を書ける環境になりました。そして、<54帖 (じょう/・・・折本を数えるのに用いる単位)> からなる…
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7月 5日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(495) 【 支折の言葉・・・15/40 】
当時は… 紙が、非常に貴重だったために、紙の提供者があれば、その都度、物語を書いて、仲間 内で批評し合うなどして、楽しんでいました。 その物語の評判から、<当時の・・・権力者/藤原道長> が…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(494) 【 支折の言葉・・・15/39 】
文献的資料としても、第一級のものと思います。すでに、<原本> は、失われているわけ ですが、歴史的に多くの写本があります。専門家ではないので、その辺りの詳しい事は分 かりませんが。 ええ… <下級貴族出身の・・・紫式部・・・> は… 20代後半で、藤原宣孝(ふじわらの・のぶたか/藤原北家高藤流、権中納言・藤原為輔の子。紫式部の夫。官位 は正五位下・右衛門権佐。)と結婚し、一女をもうけました。 しかし、結婚後3年ほどで、夫と死別(/疫病)しています。彼女は、その現実を忘れるため に…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(493) 【 支折の言葉・・・15/38 】
『源氏物語』 とは… 平安時代・中期に成立した、日本の至宝(しほう/この上もなく尊い宝。きわめて大切なもの。)とも言え る、古代の長編小説です。諸説ありますが、“世界最古の・・・長編小説” とも、言われてい ます。<作者/紫式部> にとっては、生涯で、唯一の作品です。 その… “主人公/光源氏(ひかる・げんじ/“光り輝くように美しい源氏” を意味する通称・・・/一世の源氏。源(みなもと)の 姓を天皇から賜わり、臣下となった皇子。 親王の子で源氏になるのを、二世の源氏というのに対する。 嵯峨天皇の皇子/ 源信(みなもとの・まこと)をその最初とする。)” を通して… 古代の、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた 作品です。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(492) 【 支折の言葉・・・15/37 】
<★ 紫式部・・・『源氏物語』 の作者の・・・辞世の歌・・・> ええと… この辺りは… 私より、響子さんの方が、詳しいかと思います。思いつくままに、『源氏物語』 の周辺の事 を、説明してもらえますか、」 「はい…」響子が、うなづいた。「その辺りの事なら、承知していますわ…
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7月 4日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(491) 【 支折の言葉・・・15/36 】
(しん・しょく・こきんわかしゅう/・・・室町時代の勅撰和歌集。二十一代集の最後にあたる。1439年(永享11年)成立)ま での、<534年間で・・・21の勅撰和歌集・・・が編纂・・・> されています。 最初の勅撰和歌集/『古今和歌集/古今集』 は… 平安時代・前期の勅選和歌集であり、<六歌仙> も、その時代の歌人という事ですね。 『古今集』 の撰者は… <紀友則(きの・とものり)、紀貫之(きの・つらゆき)、凡河内躬恒(おおしこうちの・みつね)、壬生忠岑 (みぶの・ただみね)・・・の4人> です。 この4人も全員… 『小倉百人一首』 に、歌を採られています。『小倉百人一首』 の選者/<藤原定家/ ・・・鎌倉時代・初期の歌人・・・> は、抜かりなく、歴史的な歌を網羅し、百首を選んでい ますよね、」 「そうですね…」響子が、コクリとうなづいた。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(490) 【 支折の言葉・・・15/35 】
<僧正遍昭(そうじょう・へんしょう)、在原業平(ありわらの・なりひら)、文屋康秀(ぶんやの・やすひで)、 喜撰法師(きせん・ほうし)、小野小町(おのの・こまち)、大友黒主(おおともの・くろぬし)・・・の六人> を指します。全員、『小倉百人一首』 に、歌を採られています。 ただ、<六歌仙> という名称そのものは、後代になって付けられたもの、という事です。 <勅撰和歌集(ちょくせん・わかしゅう)> は… 天皇や上皇の命により編纂(へんさん)された歌集…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(489) 【 支折の言葉・・・15/34 】
つひには野辺の 霞(かすみ)と思へば (意訳) あはれだなあ・・・ 私の亡きがらは・・・ 荼毘(だび)に付せられて・・・ 浅緑色の、煙となって立ち昇り・・・ 最後には、野辺に立って・・・ なびく、霞になってしまうと思うと・・・
ちなみに… 小野小町も…在原業平と同様に <六歌仙・・・の1人> です。そして <六歌仙> とは、 『古今和歌集/古今集』 の序文に記された…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(488) 【 支折の言葉・・・15/33 】
<★ 小野小町/六歌仙の1人の・・・辞世の句>
わが身世にふる ながめせしまに
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7月 3日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(487) 【 支折の言葉・・・15/32 】
<★ 在原業平(ありわらの・なりひら/第51代・平城天皇の孫。古代のスーパースターで、伊勢物語の主人公とされ
る)/六歌仙(ろっかせん/古今和歌集の序に掲げられている六人)の・・・辞世の歌> 昨日今日とは 思はざりしを
誰もが通る死出の道と… 聞いていたけれど… それが、昨日今日という… すぐに起きる事とは…
思わなかった…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(486) 【 支折の言葉・・・15/31 】
これが最後と思って眠ったが… 嬉しい事に、また目覚める事が出来た… 現世で見る夢は…
夜明けの、暁の空のようなだなあ…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(485)
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支折の言葉・・・15/30
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<★ 徳川家康の・・・辞世の歌/2首・・・> 連れて行けぬを 別れぞと思う
自分は、先にこの世を去るが… お前達も、後々死ぬ事になる… だが私は、お前達と共に… 亡くなろうとは思わない… ここが、別れと思ってくれ…
がある様です。)
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(484) 【 支折の言葉・・・15/29 】
<★ 豊臣秀吉の・・・辞世の歌>
浪速(なにわ)のことは 夢のまた夢 露のように落ち… 露のように… 消えたわが身よ… 大阪での日々は… 夢のまた夢ようなものだ…
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7月 2日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(483) 【 支折の言葉・・・15/28 】
下天(げてん)のうちをくらぶれば・・・ 夢幻のごとくなり・・・ 一度生を受け・・・ 滅せぬもののあるべきか・・・ 天上世界の、時間の流れに比べたら・・・ はかない夢や、幻のようなものであり・・・ 命あるものは、すべて滅びてしまうものだ・・・
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(482) 【 支折の言葉・・・15/27 】
ちなみに… 信長は、自害する前に… <人間五十年・・・> で始まる、辛若舞(こうわかまい/語りを伴う曲舞の一種。室町時代に流行。)/ 『敦盛(あつもり/・・・平清盛の甥で平経盛の子、若き笛の名手でもあった。源氏方の武将/熊谷直実により、打首。享 年16歳・・・)』 を舞ったとされます。一応、これが、信長の辞世句としましょう。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(481) 【 支折の言葉・・・15/26 】
短歌を歌と呼びましょうか、」 「はい…」響子が、うなづいた。 <
「まず…」支折が、指を立てた。「明智光秀の謀反(むほん)により… 突然、…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(480) 【 支折の言葉・・・15/25 】
り返った創作・・・> という事ですか。この句には、その思いが無いと…」 「その様ですね…」支折が、うなづいた。「でも、私は… 俳聖/芭蕉ほどの人ですから、それは意識していたと思います。でも、芭蕉は、<辞世句 > とは、言っていないのも、確かなようですね。俳聖ともなれば、一言一句が、歴史になる 様です」 「例の…」響子が、手を立てた。「“杖突坂で・・・落馬(/★ 歩行(かち)ならば 杖つき坂を 落馬哉・・・ 季語ナシ・・・師走十日餘、名ごやを出て、旧里に入んとす。)” したのも、ただでは起き上がらずに、文学的 史跡になった様に、」 「ほほ…」支折が、大きくうなづいた。「まさに、そうですね… ええ、脱線ついでに… 有名な <辞世の句/歌> を、幾つか…
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7月 1日 |
<芭蕉翁・・・終焉の地の石碑・・・> (大阪市中央区/難波別院/南御堂向かいの・・・御堂筋緑地帯にあります。 この辺りは、かつては街並みでしたが、御堂筋拡張工事に伴い、緑地帯の中に入ってしまった、という事です。) (ネットより画像借用) 《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(479) 【 支折の言葉・・・15/24 】
<病中吟(びょうちゅう・ぎん)> とある通り… これは、<芭蕉の・・・辞世の句> ではなく、あくまでも、<生前・・・最後の句> に過ぎ ない、という事です…」 「はい…」響子が、コクリとうなづいた。「<辞世の句> のいうのは、<死を前にして・・・ この世に書き残された・・・
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(478) 【 支折の言葉・・・15/23 】
風雅の上に死ん身の道を切に思ふ也、と悔まれし。 8日の夜の吟(ぎん)なり > …とある、との事です。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(477) 【 支折の言葉・・・15/22 】
10月8日深更(しんこう/夜ふけ、深夜)… 呑舟(どんしゅう)に、墨を摺(す)らせて、これを作句した、という事です。 蕉門一の高弟で… 蕉門十哲/宝井其角(たからい・きかく/)の、句集/『枯尾花(かれおばな)』 に… <ただ壁をへだてて命運を祈る声の・・・
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(476) 【 支折の言葉・・・15/21 】
次にその、<最後の作品> ですね…
元禄7年(芭蕉の没年/1694年)9月29日夜から… 下痢を発病し、病床に就(つ)いた様です。 10月5日に… 之道亭(しどうてい/之道の別邸?)が手狭だったために…
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