Menu/ボスの展望台/ボスのTwitter/2021年/6月 |
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〔人間の巣/未来型都市/千年都市〕/〔極楽浄土インフラ〕 の・・・世界展開/ポスト民主主義社会の器!
★ 日本の社会インフラの再構築・・・ 激烈化する気候変動/豪雨・豪雪・熱波・寒波・ 地震・火山災害から・・・国民を完全防御! ★ 対核シェルター以上の・・・ 戦争ゴッコへの対応! 感染症パンデミックへの対応!万能型・防御力/地球近傍天体の衝突への対応! ★ 気候変動への長期的対応・・・世界中で可能な・・・ 脱・冷暖房社会! 脱・車社会への対応! 人口爆発への対応! コンパクト・分化・多様性・・・ スローフード・スローライフ社会への・・・回帰! |
6月 30日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(475) 【 支折の言葉・・・15/20 】
ちなみに、この句は… <芭蕉絶唱(ぜっしょう/非常にすぐれた、詩や歌)の・・・最高の秀句・・・の1つ・・・> と、言われ ている様ですね。 晩秋の夜… 灯りのこぼれる、隣家の住人に想いを馳せる、人間的ぬくもりが横溢(おういつ/水がみなぎりあ ふれること)している…との事です。 この句は… <★ 旅に病み 夢は枯野を かけめぐる> …
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(474) 【 支折の言葉・・・15/19 】
芝柏亭(しはくてい?/蕉門の、芝柏の別邸ということでしょうか?)に場所を移して、同様の俳筵(はいえん/ 筵は・・・むしろ )が巻かれることになっていた、とあります。 しかし、芭蕉は体調悪く、参加できないと考えて、この句を、芝柏亭に書き送った、との事 です。芭蕉が、起きて創作した、最後の作品…という事に、なるそうです。 9月29日~死の10月12日まで…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(473) 【 支折の言葉・・・15/18 】
次の、2つの句ですね… (<芭蕉翁・・・終焉の地の石碑・・・> は、大阪市/中央区/難波別院/南御堂向かいの、御堂筋緑地帯にあります。 この辺りは、かつては街並みでしたが、御堂筋拡張工事に伴い、緑地帯の中に入ってしまった、という事です。)
元禄7年(芭蕉の没年/1694年)9月28日作… 51歳…とありますが… これは、数え年(生まれた年を1歳とし、あと新年を迎えるごとに1歳ずつ加えた年齢。)ですね。この夜、芭蕉 の最後の俳席が、畦止亭(けいしてい/・・・蕉門の、畦止の別邸ということでしょうか? )で開かれた様で す。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(472) 【 支折の言葉・・・15/17 】
<芭蕉の・・・最後の句> の方を、気にしていたと言いましたが、ここでその事に少し触 れておきましょうか。 いずれ、考察することになります。今回は、その予備知識として、簡単に触れて置きたいと 思います。
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6月 29日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(471) 【 支折の言葉・・・15/16 】
こうした疑問は、以前から、当然あったはずですわ。研究者は、どの様に考えているのか、 調べて置きます」 「そうですね…」響子が、うなづいた。「現代では、大したことのない病でも、当時は、命取り だったかも知れません」
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(470) 【 支折の言葉・・・15/15 】
「あ、はい…」支折が、大きくうなづいた。「私としたことが、それは気付きませんでした。 うーん… 芭蕉の最後の句… <辞世の句(じせいく/死を前にして、この世に書き残された詩的な短文。和歌、俳句、漢詩など音韻を重視したもの であることが多い。)/・・・あくまでも、単なる・・・芭蕉の最後の句?> の方を、気にしていま したが、芭蕉の病気の内容の事は…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(469) 【 支折の言葉・・・15/14 】
あ、でも… 芭蕉翁などと呼ばれていて、50歳の若さで、早世しているわけですか…これも、事実です よね…」 「うーん…」響子が、額に指を当てた。「そうですね… そう言えば、芭蕉は何か、持病(じびょう/なかなか治らず、常に、または時々起こる病気。)の様なものを …
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(468) 【 支折の言葉・・・15/13 】
<いとゞすねよはく力なき身の・・・> …と、身体の弱さを、自ら吐露(とろ/心に思っていることを、隠さずうちあけること。)していますよね。そう だったのかしら? うーん、それにしても… 江戸から、一人旅をしているわけですし… この紀行の後にも、未踏(みとう/まだだれも足を踏み入れたことがない)の、『奥の細道』/<奥州へ の・・・風流のヒッチハイク(/無銭旅行) という・・・大冒険・・・> を、敢行(かんこう/押し切って 事を行なうこと)しているわけですよね。
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6月 28日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(467) 【 支折の言葉・・・15/12 】
物うき事のみ多し・・・> …と、記しています。 ふーん… 私達は、芭蕉は江戸日本橋界隈で、水道工事監督を4年間もやっていて、頑丈な体躯を 持ち、腕力・武道は相当なものと見ていました。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(466) 【 支折の言葉・・・15/11 】
南役。)は、腰に帯びている事も、あったのでしょうか?」 「はい…」支折が、うなづいた。「現代なら… 女性だろうと男性だろうと、そんな刃物を持ち歩いていたら、逮捕されますよね。ミニナイフ なら、黙認される様ですが。 ええ、話を戻しましょう… ともかく…芭蕉はそれらの荷物を… <物に包て後に背負たれば、・・・
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(465) 【 支折の言葉・・・15/10 】
野生の原野が支配的で、戦は無いにしても、治安もまだまだ不安定だったわけです。農民 でも、山に入る時には、道具として山刀(やまがたな)や鉈(なた)を持って入るのと同じで、刃物 を一本、身に帯びるのは、ごく自然だったのでしょうか、」 「そうですね…」響子が言った。「女性でも、懐剣(ふところがたな)を…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(464) 【 支折の言葉・・・15/9 】
蕪村(/1716年~1784年)は… 芭蕉(/1644年~1694年)が没して、22年後に生まれた人ですから、芭蕉に関する資料など も、ほぼ完全に残っていた時代ですね。芭蕉を、直接知る人々も、多く存命していた時代 です。特に、芭蕉は50歳で早世(そうせい/早く世を去ること)しているわけですから。
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6月 27日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(463) 【 支折の言葉・・・15/8 】
エイドや薬、ボールペン、それに携帯電話と…軽量なものが、随分と入りますよね。 あ… ここには、記してありませんが… 芭蕉はこの他に、<脇差一本> を、身につけていた様子です。与謝蕪村の 『奥の細道 ・・・市振(いちふり/新潟県糸魚川市)』…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(462) 【 支折の言葉・・・15/7 】
<硯、筆、かみ、薬等、昼笥(ひるげ)なんど・・・> …とありますが、現代風に言えば、筆記用具、多少の薬、昼飯ですね。確かに、必需品だ けという事になりますが、それにしても質素ですね。 現代なら… バックパックにの中に、上着、軽量寝袋、ペットボトル、…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(461) 【 支折の言葉・・・15/6 】
そして… <合羽(かっぱ)やうの物> ですか… これは上着や、マントの様なものですよね。保温や雨具の役目があったと思います。これ も必須のアイテムですね。暑い真夏なら、軽い油紙(あぶらがみ)の様な物でも、十分だったの でしょうか?
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(460) 【 支折の言葉・・・15/5 】
<夜の料にとかみこ(紙衣、紙子)壱つ(1つ)、合羽やうの物、硯(すずり)・筆・かみ・薬等、 昼笥(ひるげ(昼餉・・・昼の弁当。))なんど・・・> …とあり… 寝具として、紙衣/紙子(かみこ)は必須だった様ですね。場合によっては野宿になることも あり、現代で言えば、寒さを凌ぐための…
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6月 26日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(459) 【 支折の言葉・・・15/4 】
相当に、足腰がキツそうに見えたのでしょうか?ここは、宿題にして置きましょうか。 ともかく… 同行の人々とは、芭蕉の同行の門人/越人ではなく、旅僧の同行の人々の様ですよね。 ちょっと、分かりにくい所ですが、それをくり返し読み、想像してみるのも、いいですね。 あ、門人/越人は、芭蕉と中山道を同行し、姥捨(うばすて)、善光寺(ぜんこうじ)と回り、江戸ま で下っているわけですね。 ええと… 『笈の小文』 に戻りますが… ここでは、芭蕉の旅の荷物の事が、詳しく記されています。旅慣れている芭蕉は…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(458) 【 支折の言葉・・・15/3 】
びあんぎゃ)の続きですから、当たり前と言えば、確かに、その通りなのですが。 ええと、 もう一度、考察しますが… 『更科紀行』 では、同行の人々が、それを憐れがって馬を雇い、それぞれの荷物もひとくく りにして、馬に付けて…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(457) 【 支折の言葉・・・15/2 】
方を、先に考察してしまっています。 その… 『更科紀行』 の中で、芭蕉は、“腰が曲がる程の・・・浮世の荷物を持った旅僧・・・” と出 会っています。まさに、芭蕉とは逆で、“浮世の荷物の多い・・・旅僧の姿” ですよね。 ちなみに… その下りは… <六十斗(むそじばかり)の道心の僧(/求道の僧)、おもしろげもおかしげもあらず、たゞむつ ゝとしたるが、腰たはむまで物おひ、息はせはしく、足はきざむやうにあゆみ来れる を、ともなひける人のあはれがりて、をのゝ肩にかけたるもの共かの僧のおひね物(お ひねもの/旅の僧が背負う荷物)とひとつにからみて馬に付て、我をその上にのす。> …とあります。 我とは、芭蕉のことなのでしょうか?僧のことなのでしょうか?我とは芭蕉のことだと思う のですが。芭蕉も、しばしば、馬に乗りますよね。それにしても、ヘンな感じです。 うーん… ともかく、『笈の小文』 の、この辺りの表現は…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(456) 【 支折の言葉・・・15/1 】
芭蕉は… <旅の具多きは・・・道さはりなりと・・・物皆払捨たれども・・・> と、記しています。 私は、何故か… というより、芭蕉の作品に無知だったために… この 『笈の小文』 の帰路である、『更科紀行』 の方を…
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6月 25日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(455) 【 現代語訳・・・15/2 】
疲れた夕暮れ時・・・ 宿を借りようと探していると・・・ 藤の花が目に入った・・・ ダランと下がった藤の花は・・・ 今の、私のように、疲れた感じだ・・・
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(454) 【 現代語訳・・・15/1 】
(かみこ)ひと重ね、合羽の類、硯(すずり)・筆・紙・薬など、昼の弁当など包みに包んで後に背 負ったところ、たいへんすねが弱く力無い身であるから、後ろに引っ張られる感じで、道が ちっとも…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(453) 【 原文・・・15/2 】
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(452) 【 原文・・・15/1 】 <・・・道中・・・>
用にあてる物・・・夜具、寝具)にとかみこ(紙衣・・・紙でつくった衣。それを布団の代用にした。)壱つ(1つ)、合羽 (かっぱ)やうの物、硯(すずり)・筆・かみ・薬等、昼笥(ひるげ(昼餉・・・昼の弁当。))なんど物に 包て後に背負たれば、いとゞすねよはく力なき身の、後ざまにひかふるやうにて道猶 (なお)すゝまず。たゞ物うき事のみ多し。
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6月 24日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(451) 【 支折の言葉・・・14/44 】
は、もうしばらく、時が流れるわけですね、」 「うーん…」響子が、肩を傾げた。「東海道の駿府は、それほどに、大繁栄していたわけで すかあ、」 「短期間ですが…」支折が言った。「その様ですね… そして、『笈の小文』 に登場して来る、名古屋や、伊賀上野も、徳川家の地本として、大い に沸いていたわけです。それは、芭蕉の放浪時代や、江戸での生活にも、少なからず反映 していたと思われます。 まだまだ、社会には血生臭さが漂っていましたが…」
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(450) 【 支折の言葉・・・14/43 】
の中心地として、黄金期を迎えた様です。 ええと… それから… 1637年に、<島原の乱/島原・天草一揆(/16歳のキリシタン・・・天草四郎時貞が、最高指導者とさ れる)> があり、前に話したように、これには <剣豪/宮本武蔵> も参加しています。 そして… 1644年には、<伊賀上野で・・・松尾芭蕉が生誕> しています。でも、芭蕉が活躍す る…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(449) 【 支折の言葉・・・14/42 】
安倍川(あべがわ/一級水系安倍川の本流。清流として有名。)の治水事業に取りかかり… 現在の、静岡市の市街地の原型が造られている様ですね。 それから… 豊臣秀吉が亡くなり… <1600年/・・・10月21日に・・・関ヶ原の戦い・・・> があり… <1603年に・・・江戸幕府が開闢(かいびゃく)・・・> して、駿府城で、<家康の・・・大御 所政治・・・> が始まります。 家康は…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(448) 【 支折の言葉・・・14/41 】
でも… 家康は翌年… <関白/・・・豊臣秀吉・・・> の命によって… 関東に移封(いほう/国替え)され、豊臣系の家臣/中村一氏(なかむら・かずうじ)が、駿府城の城 主となっています。 そして… 天正期(てんしょうき/天正は・・・安土桃山時代の、1573年~1592年までで、正親町(おおぎまち)天皇、後陽成(ごよ うぜい)天皇の代の元号)の、駿府城を、拡張/・・・三ノ丸を修築して…
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6月 23日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(447) 【 支折の言葉・・・14/40 】
今述べた様に… 武田信玄と、徳川家康の軍勢によって、駿河国はくり返し侵攻を受け、戦国大名としての 今川家は、滅亡しているわけです。 それから… 駿河国を、領国の1つとした家康は… 1585年から… 自らの居城として、駿府城の築城を始め、1589年に完成させています。現在の…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(446) 【 支折の言葉・・・14/39 】
ええ… くり返しになると、思いますが… 今川氏真(いまがわ・うじざね)は、戦国時代 ~ 江戸時代・初期にかけての武将で、戦国大名、 文化人です。また、今川氏/12代当主であり、父/今川義元が <桶狭間の戦い> で、 信長に討たれた後を継いでいます。敗れた後も、文化人として、江戸時代・初期まで、名を 残している様ですね。
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(445) 【 支折の言葉・・・14/38 】
戦国時代の争乱の中で… 1568年に… 甲斐国(かいのくに/現在の山梨県)/武田信玄(たけだ・しんげん/甲斐源氏の嫡流にあたる、甲斐武田家の第 19代当主。)に攻められて、掛川に落ちて行き、駿府の町は焼き払われています。 <桶狭間の戦い> の後… 信長に討ち取られた今川義元の後を継いだ、今川氏真(いまがわ・うじざね)の代に、代替わり していますね。主君を討ち取られ、それが天下に知れ渡り、駿河国が弱体化していたとい う事ですね。 さらに… 1582年/・・・14年後に… 徳川家康が、駿府に構えて居る武田勢を攻め、駿府の町は再び戦火に遭って…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(444) 【 支折の言葉・・・14/37 】
していたわけです。 多感な青少年時代を過ごした駿府は、家康にとっては、<第2の故郷> だったのでしょう か。ここで、多くの人々と出会い、家康の人格が、形成されて行ったわけですね。 人質と言っても… 隣の三河/安祥松平家の跡継ぎであり、重要な客人で、今川家の人々とも、対等の付き 合いがあったと思われます。隣国ですから、松平家との往来も、頻繁にあったと思われま す。それでも、人質を取って置くというのが、戦国の習いだったのでしょうか。 ええと… この駿府の地について、ついでに、少し調べてみました。
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6月 22日 |
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(443) 【 支折の言葉・・・14/36 】
幕府の本拠は江戸城にありながら、実権は、駿府城の家康が握っていたわけですね。そ のために、駿府の街は相当に賑わった様です。そして、<五街道/・・・東海道・中山道 ・日光街道・奥州街道・甲州街道> の1つ、東海道は最大に賑わった様です。 駿府という土地は… 元々は、今川義元(いまがわ・よしもと)の居城のあった所です。今川義元は、有名な <桶狭間 (おけはざま)の戦い>で、織田信長の奇襲にあい、敗れた人物ですね。 その当時… 家康はこの地で、戦国・有力大名/今川氏に…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(442) 【 支折の言葉・・・14/35 】
利し… 1603年に… 家康は、征夷大将軍に任ぜられ、 <武蔵国/江戸に・・・徳川幕府を開闢(かいびゃく/天地 の開け始め。世界や国などの始まり。)> しています。 その2年後の… 1605年(慶長10年)… 家康は、将軍職を2代/秀忠に譲り… その翌年… <駿府城(すんぷじょう/静岡県静岡市)を・・・大御所政治(おおごしょせいじ/前将軍が、隠退後も在職中と同 様の実権をもち、政治をとり続けること。一般に、大御所政治を行ったとされるのは・・・初代将軍/徳川家康と、11代将軍/ 家斉の2人です。)の・・・拠点の地・・・> と定めて…
《 笈の小文/・・・ 芭蕉 》・・・(441) 【 支折の言葉・・・14/34 】
芭蕉のいた時代の、鳴海宿の様子…名古屋の賑わい…それから、芭蕉の故郷/伊賀上 野の繁栄の事…などです。 まず… 第一に… <徳川家康(/1543年~1616年/安祥松平家・・・第9代/当主・・・)> が天下人となり、この辺りは まさに、<家康の・・・生まれ育った、地元地域であり・・・かつ、戦略地域・・・> でも、 あったわけですよね。 1600年/・・・10月21日に… <地元での・・・天下分け目の大戦(おおいくさ)/・・・
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