Menu文 芸短 歌万葉集巻1

       巻1/原・万葉集       

 
 
           

 トップページHot SpotMenu最新のアップロード                          女流歌人: 里中 響子    

    INDEX                house5.114.2.jpg (1340 バイト)         wpe50.jpg (22333 バイト)

No.1 〔1〕 原・万葉集とは・・・ 2011.10.16
No.2   【巻1(1)    雄略天皇  籠もよ み籠持ち 掘串もよ・・・ 2011.10.16
No.3   【巻1(2)    舒明天皇  大和には 郡山あれど とりよろふ・・・ 2011.10.16
No.4   【巻1(3)    中皇命    やすみしし わご大君  朝には・・・  2011.10.16
No.5   【巻1(4)    中皇命    たまきはる 宇智の大野に 馬並めて・・・ 2011.10.16
No.6    <初代/神武天皇の・・・来歴・・・ 2011.10.16
No.7 【巻1(13)  中大兄皇子(/天智天皇)  香具山は 畝傍ををしと・・・ 2011.10.16
No.8 【巻1(14)  中大兄皇子(/天智天皇)  香具山と 耳梨山と・・・ 2011.10.16
No.9 【巻1(15)  中大兄皇子(/天智天皇)  わたつみの 豊旗雲に・・・ 2011.10.16
No.10 【巻1(16)  額田王   冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし・・・ 2011.10.29
No.11 【巻1(17)  額田王    三輪の山 あをによし・・・ 2011.10.29
No.12 【巻1(18)  額田王   三輪山を しかも隠すか 雲だにも・・・ 2011.10.29
No.13 【巻1(20)  額田王   あかねさす 紫野行き・・・ 2011.10.29
No.14 【巻1(21)  大海人皇子(/天武天皇)  紫草の にほへる妹を・・・ 2011.10.29

 

    参考文献

                          Wikipedia  ・・・ 万葉集 (・・・インターネット・サイト・・・) その他       

  〔1〕 原・万葉集とは・・・                       h4.log1.825.jpg (1314 バイト)   house5.114.2.jpg (1340 バイト)


  
                    

 

「ええ...」響子が言った。「...万葉集は...

  奈良時代・末期現在の形にまとめられたとされます。でも、それ以前の奈良時代

・初期...“原・万葉集”...とも呼ぶべきものが編纂されていたとする有力な説

があります。

  現在の...【巻1、巻2...がそれで、そのままはめ込まれている、と考えられ

います万葉集この部分というのは、『古事記よりも古く、古代日本を知る貴重な

記録となっているようです。

  ここには...“天孫・降臨/天子・降臨”の...神話が描かれているそうです。そ

れが、どのようなものかは、これから一緒に考察して行きたいと思います」

「うーん...」マチコが、顎に手を当てた。「“国造り神話”かしら...?」

「そうですね...」響子が、うなづいた。「それも、これから考察して行きましょう」

「ええ...」支折が、モニターに目を投げた。「万葉集に収められている作品は...

  5世紀・初頭/〔古墳時代...仁徳朝(にんとくちょう)第16代/仁徳天皇”(にん

とくてんのう/御在位期間は394年〜427年・・・仁徳天皇陵は、大阪府/堺市/堺区/大仙町にあり、日本最大の前

方後円墳。墓域面積としては世界最大・・・)から... 〔飛鳥時代〕を通し...

    奈良時代淳仁朝(じゅんにんちょう)第47代/淳仁天皇”(じゅんにんてんのう/御在位

期間は758年764年。天武天皇の皇子/舎人親王の7男)の、天平宝字3年(759年)/正月まで...

“約350年間の・・・古代の和歌”...4500余首が...収録されています。

  でも...そのほとんどは...“第34代/舒明天皇”(じょめいてんのう/御在位期間は629年〜

641年)以降の作品で...それ以前の作品は、8首だけのようです。

  “舒明天皇”御製歌/【巻1(2)】と...【巻1(52)、(53)】呼応していて...

また...巻頭“雄略天皇”御製歌もあるということで...1つのまとまりがあるよう

です。つまり、この【巻1、巻2が...“原・万葉集”...と判断されるようです」

「はい...」響子が、賢くうなづいた。「ええ...

   “原・万葉集”成立時期ですが...推測では、【巻1、巻2の、高市皇子(たけち

みこ/天武天皇の長男。持統天皇時代の太政大臣死亡まで、と思われるようです。そこで、草壁

皇子(くさかべみこ/・・・天武天皇と持統天皇の間の皇子高市皇子が相次いで亡くなられ、“持

統天皇”後継で、大きく紛糾したわけですね。

  他の意見はどうなのでしょうか...私自身は研究不足なのですが、山上憶良(やま

うえおくら)歌集/『類聚歌林』(るいじゅうかりん/正倉院文書)で、“原・万葉集”に対して、

注釈を付けたものが存在し...“それに該当する”...という意見があるようです。

  もう少し詳しく説明すると...山上憶良は、遣唐使第7次遣唐使船・・・702年/白村江の戦の

後、33年ぶりの遣唐使。憶良は、少録/記録係の身分で参加・・・この時、倭国が国号を “日本” と改めたことを、唐に

伝えている) から帰国した704年以降に、この『類聚歌林』を書いています。

  そして、この中で、“原・万葉集”注釈を入れているわけですね...つまり、“原・

万葉集”は、それ以前に成立している必要があるわけけです...」

「そうですね...」支折が、うなづいた。「ええと...いいかしら...」

「はい...」響子が、耳に手を当てた。

「それでは...」支折が言った。「...マチコさん...

  日本の、“天皇制”の...“初代・天皇/神武天皇”(じんむてんのう)の...来歴を調

べて下さったそうですね。そのプレゼンをお願いします」

「はい...」マチコが、スクリーン・ボードのリモコンを操作した。「ええ...

  初代・天皇ルーツ(始祖)は...天照大神 (あまてらす・おおみかみ/女性)にあります...

家の神棚に祀(まつ)られている神様ですね。それは...“日本神話”に由来する神様

で...“天皇制”も、それに由来しています...」

「はい...」響子が、うなづいた。

 

*******************************************

<初代/神武天皇の・・・来歴は・・・>           

      
                  


「ええと...」マチコが言った。「まず...

  古事記  (奈良時代の歴史書/3巻・・・第40代/天武天皇の勅命で・・・稗田阿礼/ひえだのあれ

誦習/しょうしゅうした、帝紀や先代旧辞を・・・第43代/元明天皇の勅命で・・・太安万侶/おおのやすまろが文

章に記録・・・和銅5年/712年に献進した書)や...

 日本書紀  (奈良時代に成立した、日本における最初の勅撰正史。六国史/りっこくし・・・古代日本の

律令国家が編纂した6つの一連の正史・・・の第1にあたる。舎人親王/とねりしんのう等の撰で、養老4年/720

年に完成・・・神代から第41代/持統天皇の時代までを扱う・・・)によると...

 

  “初代/神武天皇”(じんむてんのう)は...日向(ひゅうが・・・現在の宮崎県/日向市)を発

ち...大和にいた長髄彦(ながすねひこ)を滅ぼし...橿原(かしはら・・・奈良県/橿原市)

地で即位しています。当時は、天皇ではなく、大王だったわけですね。

  懐風藻 (かいふうそう・・・751年に成立した、日本最古の漢詩集の序文では、持統天皇

以後についてのみ、天皇という表記が用いられているようです。これを根拠として、

皇后の表記とともに...飛鳥浄御原令(あすか・きよみがはらりょう)...において規定

されたとする説が...近年では有力のようです。

  

  あ、ええと...その前に...“日本神話”(/・・・古事記』、日本書紀、地方各国の風土

にみられる記述をもとにしている。高天原たかまがはら/天上の世界・・・の神々を中心とする神話がその

大半を占めによると...

   イザナギ神イザナミ神夫婦神子供に...天照大神 (あまてらす・おおみかみ

/女性)がいます。スサノオ尊 (すさのおのみこと/男性)は、天照大神になります。

  先ほども言いましたが...この天照大神は...よく家の神棚に祀(まつ)られて

いる神様ですよね。イザナギ神イザナミ神ではなく、天照大神スサノオ尊

を祀っていること入ることが多いです...うーん...

 

  ともかく...荒ぶる神/スサノオ...乱暴狼藉に怒った太陽神/天照大

が...天岩戸(あまいわと)天岩屋/天岩屋戸(あまいわやと)にお隠れになっ

て...皆既日食のように、あたりが真っ暗になった話は有名ですよね。

  うーん...この辺りの神話も面白いのですが、これはまた別の機会に話す事

に譲ることにします。今回は、“初代/神武天皇”の方向へ、話を持って行くこと

にします。

 

  さあ...そこで...天照大神には子供がいました。名前は、忍穂耳尊(おしほみ

みこと)と言ったそうです。

  この忍穂耳尊子供が...瓊瓊杵尊(ににぎみこと)で...この神様高天原

(たかまがはら・・・天上の世界)から...“日向に降り立った...とされています。天孫

降臨(てんそんこうりん)ですね。

   日本書紀は...その降り立った場所を...“日向の襲の高千穂の峰...

と記しているそうです。

 襲のとありますが、“襲(しゅう、おそう)とは、どういう意味なのでしょうか?歌

伎などでは、名披露などと言いますよね...うーん...

  ともかく、この場所は、宮崎県鹿児島県の境にある、霧島連峰/高千穂の峰

を指しているのは、間違いそうです。この山頂は、天逆鉾(あまのさかほこ)が突き刺さ

っていることで、有名ですよね。

 

  高天原から降臨(/天上世界に住むとされる神仏が、地上に来臨すること)した瓊瓊杵尊は、

で、木花開耶姫(こはなさくやひめ)結婚し...彦火火出見尊(ひこほほでみみこと)

をもうけます。

  彦火火出見尊の上には、兄/火闌降命(すそりみこと)がいるのですが、この

2人は...仲が良くなかった”...うです。そして、この2人の争いが有名な

海幸彦・山幸彦の伝説...となっているそうです。

  この伝説では、結局...弟/山幸彦...つまり彦火火出見尊が勝ったわけで

すよね...古事記日本書紀では、弟のほう兄に勝ち・・・後を継ぐ、とい

が多いようです...」

「うーん...」支折が、頭をかしげた。「海幸彦・山幸彦の伝説というのは...

どんな話だったかしら?」

「ええと...」マチコが、コクリとうなづいた。「それは、調べておきます」

「そうですね...」支折が、うなづいた。「お願いします...

  だいたいのことは分かるのですが、その話を聞いたのは、小学生か中学生の

頃だったかしら...?」

「そ...」マチコが、うなづいた。「ともかく...

  こうした物語性の背景として、“壬申の乱”があったようです。つまり、“弟が正し

くて・・・兄に勝つ”...“大海人皇子が正しくて・・・天智天皇に勝つ”...という

トーリイ/伝説が...歴史書編纂にまで反映されているようですよね...この

時代には、こういう話が多いようですよ」

「はい...」響子が、うなづいた。

 

ええと...」マチコが、モニターに額を寄せた。「それから...

  『海幸彦・山幸彦の伝説』によれば...彦火火出見尊(ひこほほでみみこと)は、

兄との抗争の時に助けてくれた、海神(わだつみ)/綿津見神の娘、豊玉媛(とよたま

ひめ)/豊玉姫神結婚し...鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずみこと)が生まれま

す。

  そして...この鵜葺草葺不合尊は...豊玉媛の妹...おばの玉依姫(たまよ

りひめ)結婚し、4人の子供が生まれます。ここの事情については、『海幸彦・山

幸彦の伝説』で、もう一度、説明することにします。

 

  ともかく...鵜葺草葺不合尊玉依姫の間に、4人の子供が生まれました。

長男/彦五瀬命(ひこいつせみこと)次男/稲飯命(いなひみこと)三男/三毛入

野命(みけいりのみこと)...そして、四男/神日本磐余彦尊”(かむやまといわれひこ

みこと)=“初代・天皇/神武天皇”(じんむてんのう)...が生まれたわけですね。

 

  “神武天皇”は、45歳の時に、兄弟や子供から...“東に良い所がある”、と

聞きます。“そこが中心地だろう・・・そこへ行って都を造るに限る”と進言され...

長男/彦五瀬命と、二男/稲飯命と共に...兄弟3人日向を発ちます...

  でも...直接、大和に入ったのではなく、色々と寄り道をしているようですね。そ

れは、次の機会に説明することにして、これが...“初代・天皇/神武天皇”

来歴です...」


                        
  

*******************************************

 

「はい...」響子が、笑みを作り、うなづいた。「ありがとうございます...

  それでは...私の方で...【巻1】のよく知られている歌について、いくつか紹介

て行こうと思います...」

「はい...」支折が、うなづいた。

「では...

  ええと...【巻1−(1)(2)(3)(4)】については...すでにマチコさんに解説して

いただいているわけですね...それらの歌については、目次でリンクしていますので、

その方の解説をご覧になって下さい...」

  支折が、小さくうなづいた。

「うーん...」響子が2人を見、深呼吸をした。「緊張しますわ...」

「あら...」支折が、つられて笑った。「響子さんでも、ですか?」

  マチコも、白い歯を見せ、ミミちゃんの頭をなでた。

《危機管理センター》とは...別の緊張感があります...」

「うん...」マチコが、うなづいた。

            

 【巻1(13)】
                                        【巻1−(13)(14)(15)】 

中大兄皇子(/後の天智天皇)三山の歌        長歌(13)  反歌/(14)(15)

*************************************************************

                          


香具山
(かぐやま)は 畝傍(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)

      相(あひ)あらそひき 神世(かみよ)より

           かくにあるらし 古昔(いにしへ)

                 然(しか)にあれこそ うつせみも

                       嬬(つま)を あらそふらしき  

  

【反歌・・・巻1(14)】  はんか:長歌の後に読み添える短歌・・・長歌の意を反復、捕捉、要約するもの 


香具山と 耳梨山(みみなしやま)と あひし時

                 立ちて見に来し 印南国原(いなみくにはら)

【反歌・・・巻115)】    


わたつみの 豊旗雲
(とよはたぐも)
に 入日射(さ)

                 今夜(こよひ)の月夜(つくよ) さやけかりけり

 

          ***********************************************

 

【現代語訳/大意・・・巻1(13)】

香具山 畝傍山にしようとして 耳梨山と争ったそうだ...

      神代からそうであったらしい...

            昔からそうだったから いまでも畝傍山にしようと

                   耳梨山と争っているのだそうだ...


【大意・・・反歌・・・巻1(14)】
 

香具山耳梨山が争ったとき...

     それを止めようと阿菩(あぼ)大神が、印南国原(いなみくにはら・・・

               播磨国/印南郡の平野・・・兵庫県/加古川市〜明石市)まで来たそうだ...


【大意・・・反歌・・・巻1(15)】

海の上をたなびく雲に、夕日が射して輝いている...

             今宵の月は、清らかであってほしいものだ...


        
            ************************************************

                                          

「ええ...」響子が、やや緊張した声で言った。「難しい言葉は...

  “嬬(つま)ですが...これは、群馬県/吾妻郡/恋村のですね。ようするに、のこ

とですね。つぎに、“印南国原”(いなみくにはら)は...注釈したように、地名です。播磨国(はり

くに)/印南郡の平野で、現在の兵庫県/加古川市〜明石市あたりだそうです。

  それから、“豊旗雲”(とよはたぐも)というのは...がなびいているように、空にかかる美し

い雲のことです。特に、朝焼け夕焼けの時が、美しいのでしょうか...

 

  さて、この長歌は...中大兄皇子(なかおおえおうじ)/後の第38代/天智天皇が、

大和三(やまとさんざん)といわれる、天香久山(あまのかぐやま/香具山)、耳梨山(みみなしやま/

耳成山)畝傍山(うねびやま)の...伝説を詠んだものだそうです。

  この三山の歌/長歌1首・反歌2首は...“第37/斉明天皇”時代において...朝鮮半

百済(くだら)を支援し、新羅(しらぎ)遠征に出発する折...海路で播磨の国を出る時、

地の神への祈願に詠まれたという...“説...があるそうです。

  大和朝廷/国家を挙げての臨戦態勢の下で...天皇動座し...九州/博多/太宰

まで出向くわけです。朝鮮半島での戦いに際し、天皇九州/太宰府まで動座するという

ことは、これ以上ない、戦意高揚になったわけです。

  “斉明天皇”は、“第25代/皇極天皇”でもあるわけで、苦労も多かったわけですが、こん

なこともしていたわけですね。ええと、それに、【巻1(3)】の歌も詠まれているわけですね、」

「ええと...」支折が言った。「少し補足しますと...

  “斉明天皇”6年(660年)百済滅亡し、百済復興をかけて“天智天皇”2年(663年)に、

唐・新羅連合軍対決したのが、“白村江の戦い”です。これは、で戦われました。

  “斉明天皇”朝倉(福岡県/朝倉市・・・大宰府の近く)に入って2カ月ほどで崩御したため...

朝倉日本の都だった期間も、ほんのわずかでした。 後に、中大兄皇子“斉明天皇”を弔

うために発願したのが、太宰府観世音寺です...」

「はい...」響子が、頭を下げた。「ええ...ありがとうございます...

  日本においては...長い歴史を通して、外国との戦争ですが...大和朝廷は、百済

王国支援し、どうしても大陸先進文化を移入したかったようですね。前にも言及されてい

ますが、百済王国とは、現在“国宝”となっている、“百済観音の・・・百済の国”ですね...

 

  この、古代における対・外国戦争開始/主導したのは...実質的には“斉明天皇”では

なく...東宮/皇太子/中大兄皇子(なかおおえおうじ/後の天智天皇)なのでしょう。そして、

実力者中臣鎌足(/藤原鎌足)がいて...有能大海人皇子(おおあまみこ/後の天武天皇)

いたわけです。国家体制としては、大化の改新が推し進められ、日の出の勢いであり、万全

の布陣だったのかも知れません。

  でも...この新羅・唐連合軍を向こうに回した戦いは...前にもしばしばコメントしてい

るようですが...最後に、“白村江の戦い”大敗しています。海を渡った古代大量の戦

は、何日たっても、九州の海岸線に漂着することはなかったと言います。だいぶ後に、ごく

少数の漂着は散見されたようですが、日本から派遣した大軍は、全滅だったようです。

  それ以後...日本は、新羅・唐の連合軍が海を渡り、九州の海岸に押し寄せるのを、非

常に恐れたわけです。その備えが、いわゆる、水城(みずき・・・博多湾から大宰府にかけて構築され

た国防施設)防人(さきもり)の態勢であり...九州一帯沿岸島々は、臨戦態勢を取りま

す。防人は、後に東国兵役となったようですね。その過酷兵役は、防人歌として詠われ、

『万葉集』に収録されているわけです。 

 

  さあ...この長歌・反歌の内容ですが...万葉の時代にも、現在と同様に、古い伝説とい

うものはあったわけですね。中大兄皇子は、古い伝説にちなんで、戦の出陣にさいし、この

歌・反歌を詠んだようです。大和三山は、藤原京を囲むように三角形に位置している山々で

すね。

  あ...でも...この時代には、まだ藤原京は無く、これは飛鳥京/飛鳥宮奈良県/高市郡

/明日香村一帯)で詠んだのでしょうか。それとも...大化の改新が行われていた、難波京/

難波宮(大阪市/中央区)で詠んだのでしょうか。あるいは...最初に言ったように、天皇

し、播磨の国船出する時、土地の神への祈願として詠まれたという事なのでしょうか...

 

  うーん...ともかく、この時代は頻繁に遷都が行われているようです。都を移すには、

大な費用が必要だったと思われるのですが...やはり...やむを得ない、リセットだったの

でしょうか...?

  ええと...古代遷都に関しては、私はあまり、詳しくはありません...別途、調べておき

ます...勉強不足で、申し訳ございません...」

「あ、私の方で調べておきますわ...」支折が、キーボードでメモを打ち込んだ。

「それじゃ、お願いします...」響子が唇をなめ、支折の手元を眺めた。「...ええ...

  この歌は、解釈によっては...香具山耳梨山女性で...男性畝傍山になろう

と、女性が争っている...とも取れるのだそうです...そんな解釈もあるということですね。

  他にも...香具山女性で、新しく現れた男性畝傍山に惚れてしまったので、恋人

梨山と争いになってしまった...という解釈もあるそうです...うーん...

  ただ...通説では...香具山耳梨山男性で、女性畝傍山にしようと、争ったこ

とになっているそうです...ホホ...こうなっては、もうどちらでもいい気もしますが...」


                           

 
「くり返しますが...」響子が、顔を上げた。「...この長歌・反歌2首は...

  “斉明天皇”時代に...朝鮮半島/新羅王国遠征する折...播磨(はりま)の国を船出

する時に...土地の神/地神(ぢじん、ぢしん、ぢがみ)への祈願に詠まれた...というがあ

るわけですね。

  このが本当だとすれば...最後の反歌らしくない歌/(15)“豊旗雲”の歌も...将

来展望の祈願として、納得できるもののようです...うーん...そうなのでしょうか...

 

  ええと、それから、(14)ですが...これだけでは、何のことを言っているのか分からない

と思いますが...これはこういうことだそうです...

  『播磨・風土記』によると...香具山耳梨山が争った時、調停のために出雲“阿菩(あ

ぼ)の大神”が立ち上がり...ちょうど印南国原まで来たところで、争いが納まったと聞いて、

帰っ行った...という伝説を詠んだものだそうです。うーん...そんな伝説があったわけ

ですね。

  この歌は...印南国原そうした由緒ある土地である...と誉めることによって、土地

の神による災いをさけ、“どうか無事に通して欲しい”、との願いを込めているのだそうです。

  古代には、土地の神/地神によって守られているといった感情が強く、他の土地へ行くこ

とを、非常に嫌ったのだそうです。そして戦いとは地神地神との戦いでもあり、“風水(ふう

すい)新兵器でもあったとか...そこに、仏教という大陸からの新しい神/新しい文化/

新しい風が入って来たわけです。

  飛鳥時代の...物部(もののべ)蘇我氏・聖徳太子(第33代/推古天皇の摂政)との争い

は、地神と新しい仏教との争いでもあったようです。そして、蘇我氏・聖徳太子が勝ったわけ

ですが、現在の日本の状況を見ても分かるように、地神/神社信仰が、消えたわけではあり

ません。ともかく、古(いにしえ)の、戦に備えての、天皇動座の時のだったようです...」

 

************************************************************

 

<・・・歌碑・・・

             

「ええと...」マチコが言った。「この歌の...歌碑は...

  奈良県/橿原市/白橿町/沼山古墳にあるそうです...沼山古墳は、益田岩船遺跡

前の道を挟んで...斜め前にある、近隣公園内にある...ということです...行ったことが

ないので分かりませんが...そんな様子だそうですよ...」

 

 

 【巻1(13)】
                                               【巻1−(16)】  【巻1(16)】

  額田王(ぬかたおおきみ  冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし・・・ 長歌/(16)

*************************************************************

               

  冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 

                 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂(も)み 

                                              入りても取らず 草深み 取りても見ず 

             秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみじ)をば 取りてそしのふ 

                        青きをば 置きてそ歎(なげ)

                                    そこし恨(うら)めし 秋山われは

  

【現代語訳/大意・・・巻1(16)】


冬が過ぎ春になると 鳴かなかった鳥も来て鳴きます 咲かなかった花も咲きます...

      でも春の山は茂っていて、中に入って花を手に取ることもできません...

           草も深く 手折って見ることも出来ません ...

それに比べ秋の山は 木の葉を見るにつけ 黄葉(もみじ)を手に取りて賞賛し...

      青いまま落ちてしまった葉を また地面に置いては、歎(なげ)いてしまいます... 

           そんな心ときめく秋山こそ 私は好きです...

*************************************************************

                                 

 

「うーん...」響子が、キーボードをそっと前に押した。「そうですか...

  ええ、この歌は...“天智天皇”の、内大臣/藤原朝臣(/中臣鎌足/藤原鎌足)に、勅(みこと

のり: 天皇のお言葉)して...春山の万花の艶(にほひ)と、秋山の千葉の彩(いろどり)とを、競(き

そ)わしめたまひし時に...額田王の、歌を以ちて判(ことわ)れる歌...と言うことです。

  つまり...天皇にたいし...歌人/額田王は、この歌をもって、自分の意見としたと

いうことです。もちろん、これは壮大な美的探究の問題提起であり、明快な1つの解答を求

めるような問いかけではありません。

  天皇は、このようなおおらかな勅令を発し...国中に、文化的な論議を醸し出しているわ

けですね。当代一の女性歌人/“天智天皇”の妃/額田王としては...当然この呼びかけ

に、率先して応(こた)えなければなりません。こうした、国の文化を取り仕切ることも、天皇

雅な仕事だったわけです。

  うーん...クーデターから始まった大化の改新断行し...何かの行き違いで、皇位継

では、身内に対して血の粛清を行い...また一方で、朝鮮/百済王国を助けるために、

大軍を海外派遣した印象の強い“天智天皇”ですが...『万葉集』の中では、別の側面も見

せていますね。

 

  さて、本題の...“春の花/春の山”と、“秋の紅葉/秋の山”は、どちらが好きかを競わ

せる話は...『源氏物語』にも出てきます。でも、『万葉集』の時代から、この話はあったわ

けですね。さあ、私はどうなのでしょうか...?

  ホホ...それは後で述べることにして...額田王は、最初は春の山を賞賛しつつ、最後

に、秋の山を選ぶところが、見事に詠まれています。

  この額田王の見解は、時を超え、時代を超えて、万葉近江王朝(/天智天皇は、琵琶湖の畔

の近江に都を置いた)から、現代に響いて来ていますね。さあ...“あなたは・・・どう思うお思い

になるでしょうか?”...と問いかけています。額田王の唇から洩れる、微笑吐息が、聞こ

えるようです。

  前にもコメントしていますが...この額田王は...大海人皇子(おおあまみこ/後の天武天

皇)(きさき= 第1位の皇后/鸕野讚良/うのさらら/持統天皇に対して・・・第2位になります)で...

十市皇女(とおちひめみこ)を生んでいます。そして、その後に...“天智天皇”として、

江朝廷後宮入っています。

  額田王は、『万葉集』を代表する歌人の1人ですが、“天智天皇”絶大な権威弟/皇

太子から取り上げ、自分のにしたようですね。あ、もちろん、皇后は、別にいたわけです。

ホホ...でも、これは、どうなのでしょうか。あまり、行儀のよい行いとは思われませんね。そ

れにしても、そんなことをさせるほど、額田王魅力的だったのでしょうか...?

  うーん...ともかく、“天智天皇”は、そうしたカリスマ性をもっていたわけですが...最後

大海人皇子吉野脱出を敢行した後は...“虎に翼をつけて野に放てり”...という

状況に陥り...絶望の淵で...大海人皇子を恐れつつ...臨終を迎えたようです。

 

  ええと...最後になりましたが...さあ私は...“春山の万花の艶(にほひ)と、“秋山の

千葉の彩(いろどり)では...どちらが好きかということですね。

  うーん...その背景となる...“春の空”若く華やいでいますが...“秋の空”には深い

落ち着きがあります...私もそういう年齢になったのでしょうか。そういう意味で、私も額田王

と同じように...紅葉の秋山が好きです...」

 

<・・・歌碑・・・

                                          

「さあ...」支折が、両手をテーブルの上ですべらせた。「この歌碑ですが...色々な

所にあると思うのですが、ここでは...

  静岡県/三島市/市立公園/楽寿園・・・万葉の森・・・を紹介しましょう。JR東海道本線

/三島駅南出口から、すぐだそうです。

  入園料が300円ということですが...その分、よく整備され...広さも 約71.800u

自然豊かな公園とのことです。

 

 

 【巻1(13)】
                                          【巻1−(17)(18)】  【巻1(17)】

   額田王   三輪の山 あをによし・・・    長歌/(17) 反歌/(18)

*************************************************************

                              


味酒
(うまさけ) 三輪の山 あをによし 

          奈良の山の 山際(やまま)に い隠(かく)るまで 

                   道の隈(くま) い積(つ)もるまでに つばらにも 

                見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 

                        情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや


【反歌・・・巻118)】  

                                                                    

三輪山(みわやま)を しかも隠すか 

                雲だにも 心あらなむ 隠さふべしや 

 

          ***********************************************

 

【現代語訳/大意・・・巻1(17)】

  味酒三輪の山を...

      青土(/顔料の青土)の産する美しい奈良の山々の間に 隠れてしまうまで...

           何度でも 道の曲がり角ごとに しみじみと...

                振り返って見てゆこうと思っているこの山を...

                    心なくも よ どうか隠さないでいおくれ...

 

【大意・・・反歌・・・巻1(18)】

三輪山 どうしてこのように お隠しになるのですか... 

        せめてだけでも 心があってほしいものです... 

                どうぞ 隠さないでおいてください...

 

*************************************************************

                               


「この歌は...」響子が言った。「...額田王の...

  近江国(おふみくに)に下りし時に作れる歌...井戸王(ゐわふきみ)のすなはち和(こ

た)へたる歌...ということですが...井戸王とは、少し調べてみたのですが、よく分かりま

せんでした。申し訳ございません。いずれにしても、額田王のことのようですね。

  ともかく...この歌は、“天智天皇”が都を近江に移す時に...住み慣れた奈良の都/

大和地方を離れ...いままで自分たちを護ってくれていた、三輪山のご加護からも離れてい

くという...その寂しさ不安を、額田王が詠んだものと言われています。

 

  すでに何度も登場していますが...大和盆地の東に、ひっそりと鎮座する三輪山がありま

す。その神秘的な風貌三輪山は、大名主(おほなのぬし)と呼ばれる白蛇が棲む山として、

『古事記』にも記されています。ご神体はなく、山全体が神仏として崇(あが)められています。

  現在でも...近江大和は、それほど近い距離ではありませんが...はるかな万葉の時

に遡ると、異国へ行くような感覚だったのでしょうか。地神のもとを離れ、他へ移り住む時

人々の不安が、どれほどのものであったでしょうか。現在の私たちには、ちょっと想像がで

きませんね。

  額田王は...その全員の不安な気持ちを代表し...2首の歌(/長歌・反歌)を詠んでいる

わけです。そして、三輪山に対して...土地を離れても、これからも見守っていて欲しい...

との祈りの言葉を捧げたわけですね。

 

  反歌 長歌の後に読み添える短歌・・・長歌の意を反復、捕捉、要約するものの方は...意味につい

ては、長歌をなぞったものです。説明の必要はありませんね...

 

<・・・歌碑・・・

                                       

「この長歌歌碑はよう...」ポン助が、言った。「奈良県/桜井市/大神神社の北で...

狭井神社の脇を抜けて...山辺の道が通っているそうだぞ。その狭井神社から、少し北の

山辺の道沿いに、この歌碑があるそうだよな...

  それから、反歌の方はよう...大神神社大鳥居の道を挟んで...西に、三輪山運動

公園があり...その駐車場脇に、この反歌歌碑があるそうだぞ...オレは、行ったこと

がないので、分からないけどよう、その辺りにあるようだよな...」

 

 


                                              【巻1−(20)】  【巻1(20)】

 

   額田王 あかねさす 紫野行き 標野行き・・・    短歌/相聞歌(そうもんか)

*************************************************************


                                


あかねさす 紫野
(むらさきの)行き 

               標野(しめの)行き 

                        野守(のもり)は見ずや 君が袖振る

 

【現代語訳/大意・・・巻1(20)】

美しい茜色に染まる 紫草(むらさきぐさ)を行き その御料地を歩いてるとき...

           野守(/野の番人)は 見ていないでしょうか...

                       あなたが そんなにを振るのを...

 

*************************************************************


「ええ...」響子が、両手を開いた。「この歌は...

  天皇の、蒲生野(かまふの/かもふの/・・・がもうの遊猟したまひし時に...額田王(ぬかだ

おきみ)の作れる歌...ということです。

  非常に有名な歌ですね...学校で、国語の授業などでも習う1首です。でも、この歌に詠

まれた、本当の意味というのは、かなり複雑です。まず、難しい言葉から説明しましょう...



 
“あかねさす”というのは...茜色ですね...そして、“茜さす”枕詞で...茜色

鮮やかに照り映えることの意から...“日”“昼”“紫”“君”などに、かかります。ここでは

“紫”にかかるとすれば、美しい茜色の空と、限定することもないのでしょうか。それとも、やは

り、茜色の空にもかかっているのでしょうか...

  “紫野(むらさきの)というのは...紫草(むらさきぐさ)ということですね。紫草は、草丈が

60センチほどの、可憐な白い花をつける多年草です。赤紫色が、往古(おうこ: 大昔)

り、布を紫色に染めるのに用いられています。古代においては、というのは高貴な色です。

したがって、この、紫草の野ということでしょうか...

  次に、“標野(しめの)ですが...これは、皇室貴人が占有していた禁野(きんや)です。昔

禁野というのは、特殊な御料地だったのかも知れません。現在では、誰かの私有地という

のは、珍しいことではありませんね。その“標野には、野守もいて、一定の管理もしていたの

でしょうか。それとも野守というのは、御料地の管理というよりは、警護の要員だったのでしょ

うか。

  皆でこうした...“御料地の野へ出かけて遊ぶ”...ということは、古代においても、よほ

ど楽しい行事だったのでしょう。現代にはない、荒々しい野趣もあり、男性狩りをし、女性

木の実薬草を摘んだのでしょうか。宮廷の人々もまた、このように大自然を愛で、自然とと

もに暮らしていたわけですね。

  そして、そうした折にも...野守が配置されていて...危険には、それなりに目を配ってい

た様子です。ホホ...危機管理の担当ですので...つい、こんな方面に、気をまわしてしま

います。でも、野趣があると同時に...狩りの場でもあり...非常に危険な場所...

もあったわけですね。

 

  さあ、そこで...歌の中で、額田王は...君/大海人皇子“袖を振る”のを...嬉しさ

とともに...“野守”が見ているのをはばかり...軽く咎(とが)めているのでしょうか...?

  2人の関係何度もコメントしていますが...額田王は、皇太子/大海人皇子元・妃

であり...すでに十市皇女(とおちひめみこ)という子もなした関係です。この皇女は、後に“天

智天皇”譲位す、“第39代/弘文天皇(こうぶんてんのう)”/大友皇子(きさき)/妃(きさき)

になるわけです。

  こうした関係でありながら...額田王“天智天皇”の、近江朝の後宮(こうきゅう: 王や皇帝

などの后・妃が住まう場所に入るわけです。そして後宮ではとして、歌人として、後には十市皇

後見として、相応の地位にあったものと思われます。でも歌の様子からも、額田王は進

んで後宮に入ったわけではなく、絶対権力者強い意向で入ったようですね。

  前にも言いましたが...額田王は、よほどの貴婦人であり、才女だったのでしょう...

権威で横車を押してでも...自らの後宮に入れたかったのでしょう。そこで、東宮/皇

太子/大海人皇子も、未練たっぷりで、こんな風に...“袖を振っている”...わけですね。

  実は、この...“袖を振る”...という行為は、古代呪式(じゅしき: のろい、呪詛)の意味も

あったようです。つまり、言霊と同じように恋しい人の魂を、自分のほうへ引き寄せるように、

“袖を振る”...というわけです。これは現代のような、軽く手を振るという意味ではなく、もう

少し深い、呪的(じゅてき)な意味があるようだということです。

 

  この後の、【巻1(21)】で...大海人皇子相聞歌返しの歌があります。こうした“壮

大な背景をもつ・・・相聞歌”は...万葉ロマン愛好者を広める、“1つの・・・きっかけとな

った歌”と言われています...」

 



                                               【巻1−(21)】  【巻1(21)】

  大海人皇子/ 紫草の にほへる妹を・・・        短歌/相聞歌(そうもんか)

*************************************************************

                                  


紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を 

                憎(にく)くあらば 

                        人妻ゆゑに われ恋ひめやも 

 

 【現代語訳/大意・・・巻1(21)】

紫草(むらさきぐさ)のように香れる君が もし憎いなら...

              いまは兄の妻となってしまった君を...

                            どうして恋い慕うことがあろうか...

 

*************************************************************

 

「この歌は...」響子が言った。「前の【巻1(20)】に対する、相聞歌返答です...

  相聞歌というのは、前にも紹介していますが...“相聞は、“消息を通じて・・・問い交わす

こと”で...主として、“男女の恋を詠みあう歌といわれています。

  額田王の...“あかねさす・・・”...の歌に答えて、大海人皇子が詠んだ歌です。これら

2首はセットになっているので、一緒に紹介されています。うーん...そうですか...相聞

というのは、このような形で、まとめられているわけですね...

 

  ところで...歌の意味をそのままに解するなら...いまはもう、兄の妻になってしまった、

“かつての妻/妃”(/額田王は、大海人皇子の最初の妃だったと思われます・・・?・・・)に、君をいまで

も慕っているのです”、と求愛する...“非常に・・・危険な恋歌”...です。でも、どうも、この

2首というのは、宴席の...“戯れの応答歌”...のようでも、あるようです。

  うーん...大海人皇子は、確かにを取り上げられて...非常に面白くない気持ちもあ

ると思います。しかし、そこは宮廷でのことです。また、東宮にも女官は大勢いますし、皇太子

としての正妻/鸕野讚良(うのさらら・・・天智天皇の皇女/後の持統天皇)も居るわけですね。

  一方...額田王才女であり...歌人として...十市皇女後見として...キリリと振

る舞っていたはずです。宴席で、戯れ歌ぐらいは読んだのかも知れません。それに、その時

は、3人ともかなり高齢になっていたようです。したがって、昔のことを(ざ)れて、それぐらい

は、平気だったのかも知れません。

 

  でも、やがて...“壬申の乱”...へ発展していくわけです。そうした笑いの陰で、恨み

深く残って行ったのかも知れませんね。近江朝後宮には...その濃い血脈からいっても、

“乱に左右されない・・・独立した勢力”が存在したようです。少なくとも、血を分けた女たちは、

皆そうだったわけですね。

  でも、所詮...女中心の勢力であり、乱を封印するほどの力はなかったわけです。男たち

は、一体、何をやっているのか、と憂えていたのでしょうか。そして、民/下々の民衆もまた、

身内の争い事である...“壬申の乱”...には、ほとほと(う)んでいた(/嫌になっていた)

かも知れませんね...

 

  “原・万葉集”の編纂は...“持統天皇”柿本人麻呂あたりが、力を尽くしたと思われる

わけですが...その“持統天皇/鸕野讚良も...さすがにとは言え、“天智天皇”の身

内に対する粛清(しゅくせい)や...東宮/皇太子妃/額田王を取り上げる暴挙に対して

は、大きな反発をもっていたのでしょうか...

  それは、“天武天皇/大海人皇子”と、共通の認識だったと思われます...この辺りのこ

とは...吉野への脱出の風景や...その後の“大津皇子の変”など...これから少しづつ

触れていき...古代への考察を深めて行きたいと思います...」

「そうですね...」支折が、うなづいた。「ええと、くり返しますが...

  “壬申の乱”...では、敵の総大将である大友皇子/太政大臣24歳であり...鸕野讚

良/“持統天皇”...の、まさにになるわけです。そして、大友皇子は、“天武天皇”

というわけですね。近江朝の後宮に...どちらにも寄らない勢力があったというのは、よく

分かりますわ、」

“天智天皇”御代では...」響子が言った。「この相聞歌は...編纂されなかったかも知

れませんね?」

「うーん...」支折が、頭をかしげた。「どうでしょうか...

  “天智天皇”も...“天武天皇”も...そして、“持統天皇”も...もう少し考察を深めなけ

れば、何とも言えませんね...」

「そうですね...」響子が、コクリとうなづいた。

 

<・・・歌碑・・・

                                                       

「ええと...」マチコが、モニターをのぞいた。「この相聞歌の...歌碑は...

  奈良県/香芝市/総合体育館/駐車場前にあるそうですよ...船岡山のふもとには、

100種類万葉植物を植えた・・・万葉植物園・・・...当時の遊猟を偲ばせる・・・

大な万葉レリーフ・・・などを整備した...万葉の森船岡山...があるそうです...」

 

 

 

 

  

 ベルーナ グルメショッピング/My Wine Club         プレミア焼酎『胡蝶の夢』『森伊蔵』プレゼントキャンペーン|酒蔵(さけぐら).com   酒蔵(さけぐら).com    Caves.I 125*125