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  2021年11月      

  

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 万能型
 
    
防護力







 脱・戦争ゴッコ

 
脱・経済ゴッコ

 
脱・覇権ゴッコ

 






物理的
 
   
専守防衛


 



    


   〔人間の巣のパラダイム〕

 
未来型/半地下都市・・・自給自足社会の展開


〔人間の巣/未来型都市/千年都市〕極楽浄土インフラ〕

        の・・・世界展開/ポスト民主主義社会の器!  

 

★ 日本の社会インフラの再構築・・・

         激烈化する気候変動/豪雨・豪雪・熱波・寒波・  

         地震・火山災害から・・・国民を完全防御

★ 対核シェルター以上の・・・

           戦争ゴッコへの対応 感染症パンデミックへの対応

          万能型・防御力/地球近傍天体の衝突への対応!

★ 気候変動への長期的対応・・・世界中で可能な・・・

             脱・冷暖房社会! 脱・車社会への対応!

        人口爆発への対応!

        コンパクト・分化・多様性・・・

        スローフード・スローライフ社会への・・・回帰


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 11月 30日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                武家諸法度とは?                (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 123 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 46 )


…という事になります。

江戸時代・初期/元禄(/1688年~1704年)の頃は…

まだ、<上方中心・・・天皇・公家の影響下の・・・日本文化・・・> でしたが…

蕪村一茶活躍した、文化文政(ぶんかぶんせい/1804年~1830年)の頃になると、<日本の

文化は・・・江戸中心・・・> に、移っていたという事になります。

ええと…

先ほども、言ったように…

<江戸は・・・武家仕様の町/・・・消費専門都市・・・> で、その上に、争い事武力

封殺されていたわけです。武家エネルギーは、武芸鍛錬当然のこととして、学問

文化の方へも、し出されて行ったわけですね。

ええ…

芭蕉他界して、8年程後の事ですが…

この元禄年間/元禄14年に、人形浄瑠璃(にんぎょう・じょうるり)歌舞伎演目にもなった…

仮名手本忠臣蔵 の、<赤穂事件(あこう・じけん) が、起こっていますわ。

あの…

<江戸城/松の廊下の・・・刃傷事件(にんじょう・じけん)で、抜刀したコトが、いかに異例

大事件かが、私達にも伝わって来ます。幕府は、それほど、武威暴発禁じていたわ

けですね、」

「そあかあ…」マチコが、を見た。「でも、赤穂浪士仇討ちは、容認しているわよね?」

「ええ…」響子が、強く、うなづいた。「そこは…

武家/征夷大将軍が取り仕切る、<武家諸法度( /江戸時代初期の1615年に、江戸幕府が諸大名の

統制のために制定した基本法。)の・・・統治体制・・・> だった、という事でしょうか、」

「ふーん…」マチコが、腕組し、コクリとうなづいた。

「はい…」支折が言った。「ええ…

を進めましょうか。次は<大和路> ですね…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                               1680年に、芭蕉は深川/芭蕉庵に転居します。  (ネットより画像借用)

     <天和の火事/1683年1月25日>の際、芭蕉庵も焼失。 簡素な作りで、立て直すのも簡単だったのでしょうか

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 122 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 45 )


ちなみに…

芭蕉がいた頃(/・・・元禄7年10月12日に、芭蕉は逝去(せいきょ/死ぬ、の尊敬語)しています。)

元禄6年の、江戸庶民人口は、約35万人ですね。プラス武士50万人で、合計85万

ほど、でしょうか。

現在/東京の人口が…

約1000万人として、その1/10以下ですよね。そして、幕府機関中心として、消費する

だけの、世界的巨大都市だった…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              第8代将軍/徳川吉宗    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 121 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 44 )


1721年/享保6年には ・・・約50万人・・・>

…と推定されています。

これに…

<江戸の、武家人口の・・・約50万人・・・> を、加えると…

享保の頃

<江戸時代・中期/・・・第8代将軍・吉宗の頃・・・> には…

<江戸の総人口は・・・約100万人・・・> に、達しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    


        
<明暦の大火 ・・・明暦3年1月18日~20日
(1657年3月2日~4日) ・・・江戸の大半を焼失した大火災です。 

       江戸・三大大火の筆頭で・・・外堀以内のほぼ全域の、天守を含む江戸城、多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失

      し、死者数については諸説あって、3万~10万人と記録されています。この大火で焼失した江戸城天守は、その後、

       再建されることはありませんでした。

       その後の <天和の大火・・・天和2年12月28日 (1683年1月25日) の際は・・・芭蕉庵も焼失しています。

      芭蕉自身は、六間堀に腰までつかって頭に苫(とま/スゲやカヤなどを粗く編んだムシロ。)をかぶり、時々は苫に水

      をかけて、火を凌(しの)いだそうです。でも、大寒の季節ですよね。                (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 120 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 43 )


必然的に、文化の中心地になりますわ。

ええ…

手元にあるデータによれば…

江戸の・・・町人人口の・・・推移 は…

<関ヶ原の戦い/1600年> から…

34年後の…

1634年/寛永11年には・・・約15万人・・・>

1657年/明暦3年には ・・・約28万人・・・> <明暦の大火> ・・・のあった年です。)

1693年/元禄6年に約 ・・・約35万人・・・>



 11月 29日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『東海道五拾三次 日本橋 朝之景』 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 119 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 42 )


江戸消費する莫大な財政は、それぞれの国元負担していたわけです。

この大浪費によって…

社会が潤い<武装対立構造の・・・幕藩体制下・・・> で、<諸国の・・・軍事的備蓄

を、削いでいたわけですね。大人数での、1年ごと・隔年参勤交代と、江戸滞在

は、大名商人借金をするほどの疲弊でした。

日本近世(/江戸幕府の時代。/・・・ちなみに、日本の中世とは、鎌倉時代から江戸時代の前まで。)

江戸という、100万都市は…

江戸城中核とした、<巨大な消費専門の・・・幕藩政治・軍事パレード都市・・・> だっ

たわけですわ。そこで、莫大な経済が、もっぱら消費され、軍事力封殺されて行けば…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              江戸城                         (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 118 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 41 )


…になっていた様ですね。

でも、江戸は…

300諸侯が、<全国から・・・大掛かりな参勤交代で通う・・・武家仕様の都市> でした。

武家が、過半数はるかに超え<特殊な・・・形態の都市> として、スタートしています。

武士は…

鍛錬(たんれん)訓練はしますが、基本的生産活動は、一切行いません。ブラブラし、様々

な鍛錬研鑽(けんさん/学問などを、深くきわめること)をしています。したがって、各藩が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                    <関ヶ原の戦い・・・1600年10月21日>       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 117 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 40 )


…言った。「ええ…

当時江戸について、少し説明しておきます。

よく、知られている様に…

<1600年10月21日に・・・関ヶ原の戦い> があり、<1603年に・・・江戸幕府/

徳川幕府が・・・開闢(かいびゃく) しています。

この江戸の町は…

やがて、江戸時代・後期には、100万都市とも言われるほどに巨大化し、当時としては

界的にも(まれ)な、巨大都市

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
                  ★ 古池や 蛙飛び込む 水の音  (芭蕉)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 116 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 39 )


連歌の会句会をやっていた様ですね。

それから…

<芭蕉庵> のあった江戸/深川なども、当時相当緑が深かった様です。いわゆる…


★ 古池や 蛙飛び込む 水の音  (芭蕉)


…の名句詠んだ所ですから、」

「うーん…」響子が、モニターを見ながら…



 11月 28日

岡田健吉‏@zu5kokd1   wpe75.jpg (13885 バイト) 
杉山 杉風(すぎやま・さんぷう) 蕉門十哲・幕府御用の魚問屋/鯉屋・・・芭蕉庵は鯉屋の番屋でした。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 115 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 38 )


娯楽だったんだあ…」

「そうですが…」支折が、を傾げた。「それらは…

豊かで、文化的で、高級な娯楽部類に入るでしょう。<宮廷・公家・僧侶が・・・中心と

なっていた文化の・・・庶民化> と、いう事でしょうか。

その間に、<鎌倉幕府以来の・・・武家文化の台頭> も、あるわけですが、<庶民化の

パワーは・・・別次元で開花> して、行った様ですね。

経済的に…

豊かな商人などは、自然を取り入れた贅沢別邸を持っているのが普通で、そこに俳諧仲

や、客人招待し…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
         北村季吟 (きたむら・きぎん/江戸時代前期の歌人、俳人、和学者)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 114 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 37 )


…少しも不思議ではありませんわ。むしろ、当然です」

「そうかあ…」マチコが、大きく揺らした。「当時はさあ…

日頃から寄り集まっては、そんなコトを話していたんだあ。季節新鮮なものや、美味いも

を食べて…俳句を作ったり…人物評価をしたり…世情の噂話をしたり。それが当時の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                         
  松永貞徳        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 113 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 36 )


林羅山(はやし・らざん/江戸時代初期の朱子学派儒学者)(ヤ/自然の。かざりけがない。)加藤磐

(かとう・ばんさい/江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。出生地は摂津国山田。)徒然草抄(1661年)

北村季吟(きたむら・きぎん/江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。)徒然草文段抄(1667年) といっ

た、多くの注釈書も書かれています。

ええと…

松永貞徳北村季吟は…

芭蕉にとっては俳諧先輩格ですから、芭蕉がこれらの木版書物を持っていたとしても…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                          
方丈記 (ほうじょうき)・・・鴨長明 』        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 112 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 35 )


鴨長明(かもの・ちょうめい/・・・平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての歌人・随筆家。禰宜・鴨長継の次男。位

階は従五位下。西行法師や、藤原定家、道元禅師とも、重なる時代です。)方丈記 は、<古典における

・・・日本3大随筆> 評価されていますね。

時代としては…

<平安時代・中期の・・・枕草子> <平安時代・末期~鎌倉時代・前期の・・・方丈

記> <鎌倉時代・末期~室町時代・前期の・・・徒然草> に、なります」

「はい…」支折が、うなづいた。「ええと…

江戸時代になると、徒然草版本(はんぽん/写本に対する言葉で、木版で印刷された本をさす。木活字

や銅活字による刊本とは、別する説もあります。)刊行(かんこう/書籍、文書、図画などを印刷して世に出すこと。)

れています。

それから…

松永貞徳(/江戸時代前期の俳人・歌人・歌学者。)なぐさみ草秦宗巴(はた・そうは/江戸時代前期

の医師。丹波の人。徳川家康の侍医。)つれづれ草寿命院抄 、…


 11月 27日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
  
 随筆/『枕草子』 の作者/清少納言  ( 『御簾(みす)を掲げる清少納言』 /上村松園作 )  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 111 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 34 )


を和ませた。「証空上人は…

歴史的に、それほどの有名人でない様ですね。他の文献には記録が無いようですから。す

ると、つまり芭蕉も、鎌倉時代・末期~室町時代・前期(/・・・南北朝時代)執筆された、兼好

法師徒然草 を、読んでいた、という事ですよね。

<清少納言(/平安時代・中期の女性)枕草子<吉田兼好(/鎌倉時代・末期~南北朝時代

の人)徒然草 、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             吉田兼好                  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 110 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 33 )


・・・きはまりなき放言(ほうごん)しつと思ひける気色(けしき)にて、馬ひき返して逃げられに

けり。


尊かりけるいさかひなるべし。


…という事ですね。

今回は、【原文】紹介に止めておきましょうか。あまりにも、脇道にそれてしまいますの

で、」

「はい…」響子が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             吉田兼好                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 109 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 32 )


かくのごとくの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入れさする、未曽有(みぞう)の悪行

なり」

と言はれければ、口ひきの男、

「いかに仰せらるるやらん、えこそ聞き知らね」

と言ふに、上人なほいきまきて、

「何といふぞ。非修非学の男」

とあららかに言ひて・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             吉田兼好  『前賢故実』/ 菊池容斎画/明治時代  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 108 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 31 )


・・・聖(ひじり)の馬を堀へおとしてげり。聖いと腹悪しくとがめて、

「こは希有(けう)の狼藉(ろうぜき)かな。四部(しぶ)の弟子はよな、比丘(びく)よりは比丘尼(び

くに)はおとり、比丘尼より優婆塞(うばそく/男性の在家信者)はおとり、優婆塞より優婆夷(うばい

/女性の在家信者)はおとれり。



 11月 26日

岡田健吉‏@zu5kokd1           wpe75.jpg (13885 バイト) 

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 107 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 30 )


徒然草 にあるだけで、伝未詳
(でん・みしょう)人物の様ですね。ともかく、徒然草・・・

106段/【原文】 を、紹介して置きます。


徒然草・・・106段/【原文】


    
    高野山の聖が(馬の)口取り男と言い争いをした話           (ネットより画像借用)


高野証空上人、京へのぼりけるに、細道にて、馬に乗りたる女の行きあひたりけるが

口ひきける男、あしくひきて・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 106 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 29 )


さあ、ともかく…

徒然草・・・106段/証空上人の逸話・・・ を、読んでみましょうか」

「そうですね…」響子が、の後のバレッタ(/髪留め)に、を当てた。

「ええ…」支折が、スクリーンボード画像に目を投げた。「高野(こうやの)証空上人(しょうくうじょ

うにん)というのは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     wpe75.jpg (13885 バイト)
 
              
              阿仏尼            (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 105 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 28 )


兼好法師(けんこう・ほうし/吉田 兼好(よしだ・けんこう)・・・鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・

歌人・随筆家。治部少輔・卜部兼顕の子。本名は卜部 兼好(うらべ・かねよし)。)逸話というのも、面白そう

すね。次の特集は、徒然草 にしましょうか?」

「そうですね…」支折が、をすぼめた。「十六夜日記 (いざよい・にっき/・・・鎌倉中期の日記体の

紀行文。1巻。阿仏尼作。1280年ごろ成立か。夫/藤原為家(ふじわらの・ためいえ/父は、藤原定家)の没後、為家の嫡

子/為氏(ためうじ/二条家の祖)と、実子/為相(ためすけ/冷泉家の祖)との間に、遺産相続争いが起こり、訴訟のため、

阿仏尼は京都から鎌倉に下りました。その道中と前後を記しています。作中に100首以上の和歌を含みます。)に、しよう

とも考えていましたが、これまでの流れから、徒然草 の方が、いいかも知れませんね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
              
              芭蕉         (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 104 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 27 )


…ついに俳聖にはなれなかったわけで…」

「ほほ…」響子が微笑し、をやった。「ええと…

次は、徒然草(つれづれぐさ)証空上人(しょうくう・じょうにん)ですね。これも、面白い逸話(いつわ

/ある人に関する、世間にあまり知られていない話。アネクドート、エピソード、)ですよねえ。

支折さんも…

徒然草 についても、実質的に、馴染みが無いわけですが…


 11月 25日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
  蕪村が負けた力士の悔しさを詠み、蕪村の弟子が勝った力士の悠然とした態度を詠んでいます。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 103 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 26 )


うーん…

どうかしら?

芭蕉生真面目(きまじめ)さや、独特のユーモアもいいのですが…

蕪村の、ナゲヤリ楽天家イイ加減さも、悪くはないですね。生活力の方は、疑問符が付

きますが。


首くくる 縄切れもなし 年の暮れ  (蕪村)

                           <与謝蕪村へジャンプ> wpe75.jpg (13885 バイト)

この句は

京都での、蕪村貧乏暮らしを物語る1句です。京都府/下京区/仏光寺/烏丸西入ル

居宅に、借金取りを追い返すため、張られたものです。

さすがの借金取りも、この名句にはあきれ、苦笑して帰ったというエピソードが伝えられてい

ます。相当生活苦にあったようですが、洒落(しゃれ)がきいていますよね。


★ 貧乏に 追いつかれけり けさの秋  (蕪村)


あ、でも…

蕪村も、芭蕉憧れつつも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
       女を右手に抱えている暁台・・・頭を丸めて法体にしている士朗・・・片手を挙げて踊っている蕪村が描かれている。

       「雪楼」というのは、蕪村行きつけの料亭で、この画から、暁台が色好みであったこと、法体の士朗は医者であった

       こと。そして士朗も、羽織を付けた蕪村自身も、その表情から、やはり色が嫌いではなかったことが分かる。

                                            戯画/『蕪村写於雪楼中』  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 102 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 25 )


…ですかあ。ともかく、不思議才能ですよね。

それが軍事力と結びついた時、国家大陸統合するわけですね。織田信長ナポレオ

の様に。さらに古くは、紀元前の、アレクサンドロス大王/アレキサンダー大王(/在位期間

は、紀元前336~紀元前323年の13年間/・・・マケドニア、ギリシア、エジプトを含むオリエント世界、インドの一部に及ぶ

大帝国を創建した。これにより、ローマ帝国が建設されるまで、約300年にわたるヘレニズム世界が形成された。ギリシア彫

刻と仏教の出会いで、ガンダーラ(/古代インド北西部・・・現在のパキスタンのペシャワルを中心とする地域)に、美しい仏像

が数多く創出された。)の様に。

ええ…

でも、与謝蕪村には…

芭蕉にはない才能もありました。それは、<南画(なんが/・・・中国の南宗画に由来する、日本的解釈の

江戸時代中期以降の画派・画様の用語。文人画とも言う。)・俳画(はいが/俳句を賛した簡略な絵(草画)のこと)

才能です。でも、カリスマ性というものはなかった様ですね。その分、庶民的で、身近な感じ

がします。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
         
引き裂かれた姉弟愛・・・飛鳥時代に生きた姉・大伯皇女と、弟・大津皇子の悲劇  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 101 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 24 )


…して来た実力と…

<近江朝(おうみちょう/近江大津宮(おうみ・おおつのみや) ・・・飛鳥時代に、天智天皇が近江国滋賀郡に営んだ都。)

での・・・太政大臣剥奪(だしょうだいじん・はくだつ)/吉野への都落ち・・・> 、そして、<吉野

出兵 → 壬申の乱(じんしん・のらん)での・・・圧倒的な大勝利・・・> でしょうか。

でも、<カリスマ性そのものは・・・天賦(てんぷ/天から賦与されたもの。生まれつきの資質。)のもの>

と、は思っていますわ…」

「ふーん…」支折が、深くうなづいた。「天賦のもの

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
              
              蘇我氏討伐                     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 100 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 23 )


「そうですね…」響子が、うなづいた。「カリスマ性(/人を惹きつける力、多くの人を魅了する才能や能力の

こと)といえば…

<日本の国造りを始めた・・・第40代/天武天皇(/大海人皇子(おおあまの・みこ) を、思い

出しますわ。

<天武天皇の・・・カリスマ性> は…

<乙巳の変(いっしのへん/・・・飛鳥時代/645年に、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中にて暗殺し、蘇我氏

(/蘇我宗家)を滅ぼした政変 以来、長年<実兄/中大兄皇子の片腕として・・・大化の改

(/蘇我氏打倒に始まる一連の政治改革。 唐の律令制を手本として、公地公民制による中央集権国家建設を目的とした

もの。)を遂行・・・>



 11月 24日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
              
              『奥の細道』                (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 99 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 22 )


うーん…

どうなのでしょうか?

これは、にも言及していますが…

芭蕉は、青少年期以来、身分の高い武士階級人々とも、容易に接し、馴染んで来ました。

<芭蕉翁・・・俳聖/芭蕉> と、尊崇される様な、<芭蕉の・・・カリスマ性> というもの

は、そうした所からも、育まれて来たのでしょうか?

また…

芭蕉には、財政豊かな商人多くの門人があり、武家にもがきき、深く心酔されていまし

た。<芭蕉の・・・生死(しょうじ)を超えた悟りの境涯に・・・共感・・・> していたからですね。

その辺りからも、<芭蕉の・・・カリスマ性> は、生じているのでしょうか?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)
 
              
              芭蕉         (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 98 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 21 )


一方…

<蕪村/・・・与謝蕪村> や、<一茶/・・・小林一茶> は…

<芭蕉のように、漂泊し・・・諸国の門人・知人を訪ねる・・・風流風雅の生涯・・・> に、

強く憧れていました。芭蕉は、50歳早世(そうせい/早く世を去ること)していますが、人並みに長

生きしたとしても、<風流風雅の・・・旅の延長・・・> だった、と思われます。

表面的な…

交遊はともかくとして…

蕪村一茶は、芭蕉とは、<人生の・・・踏み込みの・・・深さ・・・> が、まるで違うという

感じがしますよね。むろん、若輩者は、蕪村一茶を、それほど深く知っているわけで

はありませんが。

あ…正岡子規は、蕪村高く評価している様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
              
            芭蕉の師/仏頂和尚・像    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 97 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 20 )


ユックリとうなづいた。

芭蕉は…」支折が言った。「農家出身ですが…

武家扈従(小姓・・・こしょう/貴人に付き従うこと。また、その人。)として出仕していた、<青少年時代

は・・・武士> でした。

そして、江戸へ出てからは、<俳諧のかたわら・・・水路工事の監督> を、やったりもし

ている様ですね。また、<俳諧宗匠> 身分を捨て、<芭蕉庵> 退いた後は、<仏

頂和尚> 交わって<禅の境涯を・・・深めたり> もしています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
落柿舎>/京都市嵯峨野。芭蕉の高弟・向井去来の営んだ草庵。芭蕉が 『嵯峨日記』 を記した所。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 96 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 19 )


ともかく芭蕉は…

多くの書物も読み、へも通い、座禅なども好んでやっていたのでしょう。若い頃から、相当

修行を積んでいる様に見えます。若くして、<禅的な・・・悟りの境地> に、到達してい

るわけですから。こうした真面目さは、<芭蕉の・・・生来の性格> ですね?」

「そうですね…」響子が、を結び…



 11月 23日

 勤労感謝の日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
              
  『奥の細道』 芭蕉と、蕉門十哲/河合曾良・・・僧形の芭蕉の旅姿   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 95 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 18 )


さあ、を進めましょうか。

芭蕉は…

難儀遭遇すると、<尊敬する・・・平安時代・末期の・・・漂泊の歌人/西行法師> を、

思うわけですね。

芭蕉色々な理由から、僧形(そうきょう)をしていた様ですが、一時は、<僧侶になって

・・・身を立てようとした事> も、あったのではないでしょうか?

くり返しますが…

芭蕉は、2歳年上主人/良忠23歳の時に失っています。以後、29歳江戸へ出て

諧修行を積むことになりますが、その間動静は、文献には残されていない様です。

漢籍等の、豊富な素養から、京都での修業があったとも推測されています。それは、など

仏教的修行も、含まれていたのではないでしょうか。

でも、俳諧世界でも…

伝統を重んじる公家中心の京都に対し、新風を好む武家・町人文化の江戸への出ようと、

決意したのではないでしょうか。そして、その江戸頭角を現し、<32歳で・・・俳号を、桃

(とうせい) とし、<33歳で・・・俳諧宗匠> と、なっています。        

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
              
           草鞋の緒を結ぶ子規   右/帝国大学在学中の子規  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 94 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 17 )


うーん…草鞋のことは、研究してみると面白そうですね。相当深そうです。

ええと…

<正岡子規> が、草鞋の緒(お/糸やひもなど細長いもの。履物につけて足にかけるひも。鼻緒。)を結んで

いる写真が、あったはずですが…」

支折が、スクリーンボード正岡子規画像を呼び出した。

「あ、これですね…」支折が言った。「ええ、貴重な…

<子規の・・・旅の出立の写真・・・> です。それと、帝国大学(後・東京帝国大学/現・東京大学)

時代の、詰襟姿(つめえり・すがた)写真です。この時代に、<夏目漱石> と出会っています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
              
             靴をはいている坂本竜馬      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 93 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 16 )


良かった、という事だったのかしら。それとも、時代としては、まだほとんどが、江戸時代

草鞋文化のままだった、という事なのでしょうか。ふーん、面白い時代ですよね。

ええと…

<維新の志士・・・坂本龍馬 (さかもとりょうま/幕末の土佐藩士。志士。薩長同盟の成立に協力するなど、倒幕

および明治維新に関与。)は…

日本人で、最も早く靴を履(は)いたと言われています。あの混乱した時代ですから、真偽

ほどは分かりません。でも、竜馬を履いている写真が、確かにあります。最初かどうか

は分かりませんが。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
              
             子規の旅姿                (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 92 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 15 )


…したわけかあ。草鞋/ワラジというのは、ものすごい消耗品なんだあ、」

「そして…」支折が言った。「江戸時代から…

近代/明治になっても…

<正岡子規 (まさおか・しき/俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面にわたり創作活動を行い、日本の近

代文学に多大な影響を及ぼした。明治を代表する文学者の始め1人。) の、箱根への旅姿は、草鞋菅笠

(すげがさ)ですね。

それが、違和感なく、長年続いて来たから、〔明治維新〕文明開化になっても、には

鞋・菅笠が…



 11月 22日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
              
              『東海道五十三次之内 28.袋井・出茶屋ノ図』   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 91 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 14 )


平安時代・初期弘法大師の時代にも、草鞋だったというわけよね、」

「そうですね…」響子が、を結んでうなづいた。

「だから…」マチコが言った。「旅人は…

東海道のように、宿場整備された街道でも、予備草鞋に付けてを…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 <銅錫杖頭附鉄剣 (剣岳発見)/奈良時代後半~平安時代初期・・・重要文化財>  立山博物館  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 90 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 13 )


最も登頂が難しい山と言われます。

剣岳山頂近くに…

奈良時代・後期~平安時代・初期の、錆びた鉄剣銅製の錫杖頭(しゃくじょう・がしら)発見

れています。この <錫杖頭の方は・・・重要文化財(富山県/立山町/立山博物館・所蔵)

されていますわ…」

「ふーん…」マチコが、うなづいた。「つまりさあ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
              
             錫杖を持つ行者  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 89 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 12 )


“弘法大師 が・・・草鞋3000 足を費やしても、登れなかった・・・” と伝えられていますが、

草鞋というのは、相当消耗品でもあった様ですね。

3000足費やしたというのは、色々なコースアタックしたということでしょう。剣岳は、

本の山では…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
              
              北アルプス/剣岳(/標高2999 m)       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 88 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 11 )


草鞋は、何処でも作れますし、即席では30分もあれば作ることができる様です」

「あ、そうなんだあ…」マチコが言った。「稲藁(いなわら)さえあれば、何処でもすぐに作れるの

かあ。それは、便利よねえ、」

北アルプスの…」響子が言った。「剣岳(/標高2999 m)は…


 11月 21日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
              
              草鞋(わらじ)同様、稲藁でつくった雪国の靴。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 87 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 10 )


…毛皮の方が身近ですから。でも、そこから現在の様な靴には、発展しなかった様ですね」

大陸/中国からも…」響子が言った。「というものは、伝来して来たと思いますわ…

でも、ポピュラーで、誰でも作れて手軽だったのは、やはり稲藁で作った草鞋をだったという

事でしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                      
     初代/神武天皇・・・靴・・・草鞋や下駄ではない  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 86 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 9 )


…うなづいた。「<アイヌ> には…

(さけ)の皮で作った履物があった様ですね。資料で見たことがあります。それぞれ、各地

で、様々な工夫はあったのだと思います。別に、履物工夫することは、禁止されていたわ

けではないのですから。

猟師は…

動物の皮で、履物を作っていたのではないかしら?猟師には、稲藁よりも動物の

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                      
    草鞋(わらじ)                 布わらじ  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 85 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 8 )


足袋(たび)というものが、あったはずですよね。草鞋では、馬の鐙(あぶみ/鞍(くら)の両側に下

騎乗時に足を乗せる馬具の一種。 馬具がない時代には、馬に乗るのは騎馬民族のように小さな頃から鍛錬をした者の

特殊技能でした。 そこで、手綱(たづな)や轡(くつわ)など、多くの馬具が考案され、騎乗するための器具が揃って来ました。)

装飾性には、似合わないし、」

「そうよね…」マチコが、腕組みをした。「そもそも、さあ…

日本では、<神武天皇の・・・頃> から、ずっと草鞋を履いていたのかしら?天皇が、普

段、草履(ぞうり)草鞋(わらじ)をはいていたとは思えないわよね。それに、稲作をしていない

山村もあったわけだし、」

「そうですね…」支折が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                   
  裹頭 (かとう/かしらづつみ) をつけた僧兵・・・高下駄・・・   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 84 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 7 )


「うーん…」支折が、を当てた。「弁慶ですか…

そういえば、<比叡山の僧兵> は、高下駄を履いていたかも知れませんね。

でも、普通、庶民草鞋(わらじ)だったはずです。武士も、では当然、草鞋ですよね。あ、で

武将は、戦の時特別履物(はきもの)、…



 11月 20日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
              
牛若丸/義経と弁慶の出会い・・・京都・五条大橋・・・両社とも、下駄   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 83 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 6 )


をする時は、足袋(たび)(は)、その上に草鞋履いて(なわ)シッカリと結んだの

でしょうか?そしては、直接、素足草鞋を付けたのでしょうか?うーん、下駄(げた)は、

には履かないですよね?」

「あ…」マチコが言った。「弁慶はさあ、高下駄(たかげた/歯の高い下駄。歯は差し歯で、磨り減ると差し替

える。)履いていなかったかしら?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                               庶民の旅姿        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 82 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 5 )


…と書いていますが、まさにその生涯とした芭蕉の、に対する想いが記されていま

す。

笈の小文江戸への帰路更科(さらしな)/姨捨山(おばすてやま)(/名勝・・・田毎の月(たご

とのつき)/小さな水田の、ひとつひとつに映る月のこと。)を見て、中山道から江戸へ戻ったのが、更科紀

(さらしな・きこう) ですね。

その翌年/元禄2年/1689年奥の細道出発しています。つまり、この頃の、

芭蕉に関する随筆です。

まず、書き出しに…


<跪/踵?/かかと)はやぶれて西行にひとしく、天龍の渡しをおもひ、・・・>


…とあります。

芭蕉の様に旅慣れていても、草鞋(わらじ)(かかと)ズレたりするわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
『奥の細道・・・那須の黒羽へ/元禄2年4月2・3日・・・』 馬上の芭蕉と、曾良。子供2人の内、右の女児が <かさねちゃん>

   かさねとは 八重撫子の 名成べし (曾良)   人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て馬を返しぬ・・・

                                 塩屋町から矢板を経て黒羽町へ至る。この夜は翠桃宅を訪ねて泊る。

                             与謝蕪村/『奥の細道画巻』 (逸翁美術館所蔵)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 81 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 4 )


<月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。

舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖(すみ

か)すみかとす。古人も多く旅に死せるあり。

(よ)も、いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊(ひょうはく)の思ひやまず・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                          
『奥の細道』 の行程                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 80 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 3 )


・・・そういう文体の作品。> という事です。

ホホ…

言葉正確意味を追求していくと、キリがありませんね。ともかくここは、芭蕉に関す

る、一般的な感想が述べられています。

芭蕉は…

奥の細道 

(芭蕉の代表作/・・・芭蕉が崇拝する西行法師の、500回忌にあたる・・・元禄2年/1689年に・・・

門人/河合曾良を伴って、江戸を発ち、奥州、北陸道を巡った紀行文。全行程/約600里(2400km)、日数/約150日間

で、東北・北陸を巡っています。最後は、美濃路(美濃国の脇街道)の大垣で、<★ 蛤の ふたみにわかれて 行秋ぞ>

句を詠み、結ばれています。

元禄4年/1691年に、門人・芭蕉の縁者?/桃隣を同道して、江戸に帰っています。

芭蕉(1644年~元禄7年10月12日/1694年11月28日没)の 没後・・・元禄15年/1702年に、刊行されています。)

…の冒頭で…



 11月 19日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
    
  随筆/『枕草子』 の作者/清少納言  ( 『御簾を掲げる清少納言』 /上村松園作 )   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 79 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 2 )


うーん…

そういう意味だったのですか。私は、“音符の・・・符” の様に、考えていました。

あ、ともかく…

これは芭蕉の、<旅という・・・テーマ(/主題) に関する、随筆ですね。<随筆> という

のは、<心に浮かんだ事、見聞きした事などを、筆にまかせて書いた文章。・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                      
早春賦の歌碑 (長野県/安曇野市)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 78 )

支折の言葉・・・20/ 1 】・・・( 1 )


「ええ…」支折が言った。「<旅の賦(たびのふ)ですか…

<賦(ふ) というのは…

辞典を引くと、“割り当てて与える。天から与えられたもの。うまれつき。”…という意味でし

た。早春賦(そうしゅんふ) というがありますね。同じ字が当てられています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
       
古の年貢米の運搬 /悪路・細道・遠距離などは、駄馬で運搬したのでしょうか・・・   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 77 )

【 現代語訳・・・20/ 1 】・・・( 6 )


・・・つる草のはいしげったあばら屋に泊まって緒に語らっているうちに、意外と風流な

人だとわかったりする。これなどは、瓦礫のうちに玉を拾い、泥の中に金を得たような

心地がして、紙に句を書きつけ、人にも語ろうと思う。これまた旅の醍醐味(だいごみ)

一つだろう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
   
                         芭蕉          (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 76 )

【 現代語訳・・・20/ 1 】・・・( 5 )


時によって気分を変え、日々に思いを改める。もし少しでも風情ある人に出会ったら、

たいへんな喜びだ。また日ごろは古めかしく頑固な人だと毛嫌いして付き合いを持た

なかった人でも、片田舎への旅の道連れとなって語り合い、粗末な埴生(はにゅう)の宿

や・・・



 11月 18日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
  『笈の小文』 の旅立ち               (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 75 )

【 現代語訳・・・20/ 1 】・・・( 4 )


腹がへってから食事をすれば、どんな粗末な食事も肉よりも美味しくなる。どこで泊ま

るのも自由。朝いつ出発するかも自由。そんな中にも一日の願いが二つだけある。今

夜いい宿を借りよう。足にぴったりあう草鞋がほしい。こればかりはささやかな願いで

ある。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                       
松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 74 )

【 現代語訳・・・20/ 1 】・・・( 3 )


・・・天地創造のわざを見て、あるいは物に執着しない煩悩を消し去った昔の修行者た

ちの跡をしたい、風情を解する人の心の実をうかがう。また、住居を捨て去って物欲

も無い。手ぶらなので旅の途中物をとられる心配もない。乗り物に乗るよりゆっくり歩

くほうがいい。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                             {徒然草/第106段
・・・高野山の聖が(馬の)口取り男と言い争いをした話   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 73 )

【 現代語訳・・・20/ 1 】・・・( 2 )


・・・向かいを進んでくる馬の口取りがヘタなために、すれちがいざまに堀に馬ごと落

とされた。証空上人は、カッとなってまくし立てたが、冷静を失った自分を恥じて逃げ

帰ったという、徒然草 の話が心にうかぶ。山や野、海や浜の美しい景色に・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
     昭和50年/1975年。西行が渡ったのは、文治2年/1186年・・・★ これより、789年前です。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 72 )

【 現代語訳・・・20/ 1 】・・・( 1 )


かかとは傷ついて西行かというほどで、西行が天龍川で船に乗ろうとした時、満員だ

と鞭(むち)で頭を打たれて下ろされた。その時西行は、これも修行だと少しも怒らなか

った、あの逸話を思い、馬を借りる時は、高野の証空上人が馬に乗っている時・・・



 11月 17日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                                   1680年・・・芭蕉は、深川/芭蕉庵に転居   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 71 )

【原文・・・20/1 】・・・( 4 )


・・・人にもかたらんとおもうぞ、又是(またこれ)旅のひとつなりかし。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
   
                         芭蕉          (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 70 )

【原文・・・20/1 】・・・( 3 )


もしわづかに風雅ある人に出合たる、悦かぎりなし。日比は古めかし、かたくなゝりと

悪み捨たる程の人も、辺土(へんど/片田舎)の道づれにかたりあひ、はにふ(/埴生(はにゅう)

の小屋。粗末な家。)・むぐら(/密生し藪をつくる草。荒地や湿地などに雑草として生える。)のうちにて見出した

るなど、瓦石のうちに玉を拾ひ、泥中に金を得たる心地して、物にも書付、・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
   
                          
伊那・天竜川・高遠          (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 69 )

【原文・・・20/1 】・・・( 2 )


寛歩(緩歩/かんぽ・・・ゆっくりと歩くこと)(が/乗り物。また、馬車などに乗る。)にかへ晩食(ばんしょく/夕食。

空腹になってから遅く食べる食事)肉よりも甘し。とまるべき道にかぎりなく、立べき朝に時なし。

只一日のねがひ二つのみ。こよひ能宿(/よきやど)からん、草鞋のわが足によろしきを

求めんと計(ばかり?)はいさゝのおもひなり。時々気を転じ、日々に情をあらたむ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
   
                       天竜川を渡る西行・・・岸辺に取り残される西行      (ネットより画像借用)

西行は、再び陸奥へむかう旅(/平氏に焼き討ちされた、東大寺再建の砂金の勧進のために、2度目の奥州平泉へ向かう旅。

この時、義経・弁慶の一行は、同時に日本海周りで奥州平泉へ向かっていた。) の途中、遠州の天竜川の渡し場で、船に乗

る。満員の乗客の一人の武士が、「船が狭い」 と言って西行の眉間を鞭で打った。西行は血を流しながらも微笑をたたえて下

船した。悲しむ供の僧に向けて西行は「どんなことがあっても堪え忍ぶのが出家の道」 と言う。                                 

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 68 )

【原文・・・20/1 】・・・( 1 )


<旅の賦(ふ/・・・天から与えられたもの)


「踵」 の誤記/かかと)はやぶれて西行にひとしく、天龍(てんりゅう/・・・天竜川は、長野県から愛知県

と静岡県を経て、太平洋へ注ぐ天竜川水系の本流。一級河川の1つ。)の渡しをおもひ、馬をかる(/馬をかりる?

時はいきまきし聖(/いきまきし聖・・・高野の証空上人が京へ向かう途中、狭い道で、女の乗った馬とすれ違った。し

かし口取りの腕が悪いために、上人の乗った馬は上人ごと堀に落とされてしまった。なんと無礼なと上人はまくし立てるが、や

がて冷静を失っていたと気づき、逃げ帰った。(『徒然草』/106段)の事心にうかぶ。山野海浜の美景に造

化の功(/天地創造のわざ)を見、あるは無依の道者(/物に執着しない、煩悩を脱した修行者)の跡をし

たひ、風情の人の実をうかがふ。猶(なお)、栖(せい/鳥の巣、生物がすむ)をさりて器物のねが

ひなし。空手なれば途中の愁(うれい)もなし。



 11月 16日

岡田健吉‏@zu5kokd1         wpe75.jpg (13885 バイト)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 67 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 33 )


<枝折/…しおり、えだおり という、言葉も出て来ます。これは、<西行法師の・・・枝折の

歌> の所ですね。ええと、次の歌です…


★ 吉野山 こぞの枝折の 道かへて 

                まだ見ぬ方の 花をたづねむ  

                                  ( 西行法師・・・新古今集・春上 )

いずれも、が少し違いますが、まさに私の名前です。ホホ心穏やかではありません

珍しい事です。

さあ、次は、<旅の賦(たびのふ/・・・旅の、詩や歌・・・)ですね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
   
       『東海道五十三次』  芭蕉が旅をした時代より、約100年後の風景になります。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 66 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 32 )


「うーん…」マチコが言った。「それじゃあ…

<蕉風の、理念の中心は・・・さび・しをり・ほそみ・・・>  というわけよね…

<しをり> はさあ、支折さん名前よね?」

「あ、そうですね…」支折が、ニッ、と笑った。「他にも…

ここでは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                              滑稽本(こっけいぼん/東海道中膝栗毛)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 65 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 31 )


…この、化政文化時代木版出版ですね。こうした旅行記浮世絵版画などが、相当部数

出版され、鎖国中日本庶民文化に、革新が起こっていた様です。

ちなみに…

東海道中膝栗毛 の中の、多くの挿絵(さしえ)も、本人/十返舎一九が描いたものという

事です。そういう才能もあったのですね。

広重北斎歌麿のいた、化政文化時代ですから、何でもアリの、爛熟(らんじゅく/果実がく

ずれそうなまでに、熟しきっていること) した背景もあったわけですね。

さあ…

次に移りたいと思いますが、マチコさん、何か一言、あるでしょうか?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    wpe75.jpg (13885 バイト)
 
 
図版: 十返舎一九 (じっぺんしゃ ・いっく) 三代豊国  東京大学/文学部/国文学研究室・蔵  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 64 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 30 )


<芭蕉は・・・江戸時代・前期/・・・元禄(/1688年~1704年まで)文化の俳人・・・> です

が…

<蕪村・ 一茶は・・・江戸時代・中期~後期の/・・・化政(文化文政/1804年~ 1830年)

化の俳人・・・> という事になります。この爛熟期(らんじゅくき)は、26年間に及びます。

十返舎一九(じっぺんしゃ ・いっく/戯作者(げさくしゃ)、絵師)の、東海道中膝栗毛(/…弥次さん喜多さん

による、江戸時代の東海道旅行紀) は…



 11月 15日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                         
  与謝蕪村                (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 63 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 29 )


その一方…

雑俳(ざっぱい… 俳諧から派生した、発句・連句以外の各種雑体の二次的俳諧の総称。

元来、連歌俳諧の付合を学ぶ稽古だった前句付が、元禄の頃からそれ自体を楽しむ点取りの遊びとして、庶民の間に広まり

ました。様々な形式で句の募集が行われたため、天明の頃に、雑体の句 (無季句) の意味で 「雑俳」 の語が定着しました。

名古屋では狂俳富山では舞句などとも呼ばれました。会所という専門業者が、賞品付で興行を企画して、点者に採点を依

頼しました。点者は、貞門派・談林派の宗匠が兼任する場合が多かった様ですが、やがて < 柄井川柳/・・・川柳/滑稽・

諧謔・風刺を、主旨とした江戸文芸> のような、雑俳専門の点者が出現しました。)の…

流行が、顕著に見られる様になった、という事です。

つまり…

<洒落風(しゃれふう/・・・芭蕉の没後、江戸を中心に宝井其角が始めた俳諧の流派。都会趣味で、しゃれ・奇抜・機知

を主とする俳風)・化鳥風(けちょうふう/其角、沾徳らの洒落風と同じく、着想や表現の奇をねらい、それを一層卑俗化し

ました。異体の俳風が、<化鳥> と非難されました。)・蕉風再興・・・といった動きの中・・・> で、<与

謝蕪村> や、<小林一茶> といった、多くの俳諧師が、諸国活躍したわけですね。

そうした…

文人(/詩文・書画など、風雅の道に心をよせている人。)交流や、細々とした版画木版書物流通

もあり、文化非常に緩やかに、全国伝播していった様子です。

江戸時代・初期には…

文化地方への伝播は、“参勤交代”(/江戸幕府が課した大名軍役の1つ。幕府は諸大名の江戸参勤を役

儀・奉公として義務づけ、強力な大名統制を行うとともに、権力の集中強化を図り、幕藩体制の長期存続を可能とした。全国

250以上ある大名家が、2年ごとに江戸に参勤し、1年経ったら自分の領地へ引き上げる交代を行う制度。)中心だっ

たと思われます。

でも、江戸時代/中期~後期化政文化の頃には、五街道完備され、物流人々の交

も、徐々に進んで行った様子です。

一茶なども…

定期的地方の門人を巡回し、連歌の会を催し、最新江戸の流行事件なども伝えて

いた様です。新しい情報を持っていく事、信用できることが、旅を援助する地方の有力者

素封家を、喜ばせたようですね。

あ…

もっと信用されるのは…

実物を持って行くことで、木版出版物や、江戸の浮世絵などは、高く買い上げてくれたよ

うですね。当時は、で運ぶ情報の時代で、地方有力者は、そうした最新情報収集する

ために、宿路銀世話をしていた様です。

ええ…

くり返しますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
  宝井其角(たからい・きかく)     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 62 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 28 )


…なるわけですね、」

「はい…」支折が、うなづいた。「ええと…

<巨星/芭蕉> の…

没後俳壇(はいだん/俳人の世界、社会。)は…

<蕉門十哲(しょうもんじってつ/・・・芭蕉の門人のうち、すぐれた 10人の俳人。)/宝井其角(たからい・きかく/

・・・芭蕉門・最初期の門人で、蕉門十哲の筆頭。15歳頃から芭蕉に俳諧を学び始めた。父/東順は、近江・堅田の農家の出

身で、江戸へ出たのち医をもって膳所藩/本多家に仕えた。)や・・・水間沾徳(みずま・せんとく/其角と交流し、とも

に江戸の俳壇を主導した。門下に大高源吾ら、<赤穂浪士> がいた。)らの都市型俳諧・・・> と…

<各務支考(かがみ・しこう/芭蕉晩年の門人。芭蕉没後に美濃派の一風を樹立して、全国各地の民衆の間に蕉風を

普及させた。)・志太野坡(しだ・やば/越前の人。江戸に出て、越後屋両替店の番頭となる。蕉門十哲の1人。) らの

・・・地方農村型俳諧・・・> に、分化しました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
            
  河合曾良・像・・・芭蕉と、『奥の細道』 に同行・・・  (埼玉県/草加市)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 61 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 27 )


大成したのに対して…

<芭蕉は・・・俗世界を扱いながらも・・・和歌や連歌に匹敵する文芸作品・・・> を、示

そうと試みた、と言われています」

「はい…」響子が、を結んで、うなづいた。「それが…

<芭蕉の・・・風流・風雅への妄執(もうしゅう/迷いの心から、物事に執着すること)/魔心・・・> と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
  松尾芭蕉・像 (埼玉県/草加市)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 60 )

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 26 )


…生まれて来たという事です」

「うん…」マチコが、をひねった。「私達は今…

その、芭蕉の…笈の小文 にいるわけよね、」

「そうです…」支折が言った。「ちなみに…

<和歌や連歌が・・・貴族的・古典的な/・・・雅(みやび/宮廷風で上品なこと)世界の文芸・・・

として…



 11月 14日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                         
  松永貞徳        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 59)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 25 )


庶民文化の担い手となり、<俳諧連歌> 人気を博した様ですね。

<★ 松永貞徳(まつなが・ていとく/・・・江戸時代前期の俳人・歌人・歌学者。母は、儒学者/朱子学の藤原惺窩(せ

いか)の姉。子は、朱子学者の松永尺五。)の・・・貞門派> や…

<★ 西山宗因(にしやま・そういん/・・・江戸時代前期の俳人・連歌師。談林派の祖。)の・・・談林派> や…

<★ 俳諧の新たな表現を模索する・・・天和調(てんなちょう/・・・天和年間(1681~84年)、俳諧革

新の主流をなした芭蕉・素堂・言水らの作風。漢詩文調を積極的にとり入れ、破格調句が多く生硬(せいこう/・・・ぎこちない)

な感じがするが、新しい俳諧の境地を開拓している。)が、流行した後に…

<★ 松尾芭蕉の・・・蕉風(しょうふう/・・・松尾芭蕉の俳風の意・・・

蕉門俳人は、自分たちの俳風を <正風> と称した。これは自己の風を天下の正風と誇示することで、必ずしも蕉風の独占的

用語ではない。

蕉風の理念の中心は・・・<さび・しをり・ほそみ> である、といいます。また、連句については、貞門の物付 (ものづけ) 、談林

の心付 (こころづけ) から飛躍的に進歩し、<匂ひ・響き・うつり> という微妙な風韻、気合いの呼応を重んじました。このよう

に、内面的なものを重視するから、発句における切字 (きれじ) 、連句における去嫌 (さりきらい) などの形式的制約には、比較

的自由寛大、という事です。)・・・> と、呼ばれる作風が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
  俳諧の祖/荒木田守武    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 58)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 24 )


山崎宗鑑と並び…

<俳諧の・・・祖> と評される、荒木田守武(あらきだ・もりたけ/・・・室町時代後期の連歌作者・俳人。伊

勢内宮の神官を世襲する、荒木田七家の一家/薗田氏経の子。 69歳で1禰宜 (ねぎ) 。)が、俳諧独吟百韻(はい

かい・どくぎん・ひゃくいん) の、<俳諧集> (あ)んだ頃から、<俳諧連歌> への関心が、

高まったという事です。

それから…

江戸時代になると…

識字率向上や、学習意欲高まりに伴って…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
                         
  俳諧の祖/山崎宗鑑    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 57)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 23 )


支折が、スクリーンボード画像スクロールした。

「ええと…」支折が、コトリと、コントローラーテーブルに置いた。「まず…

山崎宗鑑(やまざき・そうかん

/・・・室町~戦国時代の連歌師・俳人。山城(/京都府)の山崎にすんだので、その名でよばれています。はじめは、宗祇(そ

うぎ)らと連歌をつくっていましたが、滑稽機知の句風に向かい、俳諧撰集/『犬筑波(いぬ・つくば)集』 を編集する。)が…

<俳諧の・・・祖> と、なることになる、犬筑波集(いぬ・つくば・しゅう)(/俳諧之連歌抄 )

を、編纂(へんさん)しました。

また…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
   
安原貞室(やすはら・ていしつ) 江戸時代前期の俳人。京都の紙商。貞門七俳人の一人。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 56)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 22 )


短句 <・・・ 7・7 ・・・> をつなげて、<一定数を続ける・・・長連歌> へと、変化して

行きました。

その後…

<幽玄(ゆうげん/「幽」は、かすか・ほのか、また、奥深い意。「玄」は、深遠な道理の意。物事の奥にひそんでいる、容

易に知り難い微妙で神秘的な境地をさしていう。)・さび(寂/ある物の本質が、閑寂枯淡な味わいとなって、物の表面にに

じみ出るときの美的興趣をいう。)・ひえ(/?)・を重視する・・・★ 和歌的連歌/= 有心連歌> と、

<連歌本来の・・・機知的滑稽(こっけい)を残す・・・★ 俳諧連歌/= 無心連歌> に、2分

されました」



 11月 13日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
  芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 55)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 21 )


「ふーん…」マチコが、コクリとうなづいた。「ここで、<俳諧> という言葉が、出てくるわけ

かあ、」

<連歌> が…」支折が、を立てた。「流行するにつれて…

<2句だけの・・・短連歌> だったのが、次第に、<長句/・・・5・7・5・・・> と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                              滑稽本(こっけいぼん/東海道中膝栗毛)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 54)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 20 )


・・・2人で、分担して詠む・・・連歌・・・> が、流行しました。奈良時代原型ができてい

る様です」

「うーん…」マチコが、うなづいた。「それが、<連歌> かあ…

短歌を、上句下句に分けて、2人詠んで遊ぶわけよね。それが、連歌の会なんだあ…

芭蕉なんかはさあ、その連歌の会を催して、ヒッチハイク/無銭旅行をしていたわけかしら

?」

「そうですね…」支折が言った。「古代(/日本史では、一般に奈良時代・平安時代をさすが、大和政権時代を含

むこともある。)からある、文学的な遊びですわ…

<初期の・・・連歌> は、<対話的で・・・機知的な笑いを伴うもので・・・俳諧之(の)

歌> と、呼称されました」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                                               
滑稽本(こっけいぼん/東海道中膝栗毛)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 53)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 19 )


…まだ、独立した形ては存在していなくて、流行江戸時代以降になる様ですね。

ともかく…

やがて、<5・7> を、組み合わせる、短歌主流になると…

<・・・ 5・7・5 ・・・/・・・ 7・7 ・・・> の、上句下句対応に、関心が寄せられ、<上

句と下句を・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                                               
滑稽本(こっけいぼん/東海道中膝栗毛)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 52)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 18 )


構成は…


<(5・7)× N + 7 > (/N は任意の数) の公式で、説明できる


…という事です。

この公式で、<N=1が・・・ 5・7・7 文字で・・・片歌(かたうた)<N=2が・・・ 5・7・

5・7・7 文字で・・・短歌> <N≧3が・・・ 長歌> となる、という事です。

<5・7・5 = 長句/・・・ 俳句 ・・・> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                               
滑稽本(こっけいぼん/東海道中膝栗毛)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 51)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 17 )


…さらに、分かりやすく説明して行きます。



まず…

<俳諧(はいかい/・・・発句と連句の総称。

もともとは、漢詩や和歌の用語で、滑稽や機知諧謔(かいぎゃく)を主とすること。早くは、『古今和歌集』/雑体の部に <誹諧

歌> があります。のちに、<俳諧の連歌> の略、になります。) とは…

本来…

<滑稽(こっけい/・・・バカバカしく、おかしい言葉や言い方) 同意の、<戯れ(ざれ/・・・ふざけること。冗談

。)をさす、漢語だった、という事です。

佐藤勝明氏(/日本の国文学者。専門は日本近世文学。)によれば…

和歌の構成…いわゆる <俳句 = 5・7・5> 文字や、<短歌 = 5・7・5・7・7> 文字

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                                インターネット百科事典/『 Wikipedia 』   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 50)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 16 )


承知していましたが、よくは理解していません。長歌連歌というものも、現在馴染み

がないためか、よく分かりませんね。お願いします」

「はい…」支折が、スクリーンボードに、インターネット百科事典/Wikipedia表示

た。

「ええ…

概略を知るには、この Wikipedia で、十分だと思います。

この資料をもとに…



 11月 12日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                                   1680年・・・松尾芭蕉は深川芭蕉庵に転居   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 49)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 15 )


ところで…

俳諧の、<貞門派(ていもんは) <談林派(だんりんは) というのは、しばしばにします

が、そもそも、これらは、どういう事だったでしょうか。もう、すっかり忘れてしまいました。

ええ、そこで…少し、詳しく調べてみました…」

「はい…」響子が、うなづいた。「そうですね…

私も、和歌俳諧大体の流れは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
   
                           吉野山の桜                    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 48)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 14 )


貞門(ていもん/・・・松永貞徳を中心とする流派、俳風)の、7俳人の1人/安原貞室(やすはらていしつ/

江戸初期の俳人。京都で紙商を営む町人。自意識が強く、同門から非難を浴びた。自分の門人であった北村季吟とも、絶交

した。一方、芭蕉などからは高く評価された人物。)の…


★ これはこれはとばかりに花の吉野山


…の様な、気の利いた1句を、とっさの機転で、詠み捨てるコトもできません。

芭蕉は、それを悔しがっています。詠もう詠もうと思うから、詠めないわけですね。もちろん、

宗匠/芭蕉は、それも全て承知しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
   
                                              (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 47)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 13 )


で受けたわけです。誰もが、思わず、帽子で受け止めてしまうわけですが、芭蕉

は、ですか。でも、菅笠(すげがさ)だと、大袈裟ですよね。

ホホ…だと、確かに、酒を酌み交わす感じになりますね。乾杯ーッ ですか。

でも、有名な古事(こじ/昔あったこと)に絡(から)むのでなければ、秀句になるとも思えませんよ

ね。やはり、口を突いて出る秀句は、無かったのですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
   
                                    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 46)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 12 )


文学者として素直紀行文に書き残し、それを人間芭蕉として表現しているわけです。

ええと、次の句は…


★ 扇にて 酒くむかげや ちる桜


…ですか。

これは、まさに、<吉野の桜>詠んでいますよね。山道で思わず、散り行く桜の花ビラ

を…



 11月 11日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
          
杖衝坂で、馬の背の鞍が返り(/ずり落ち…)、芭蕉は落馬してしまいました。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 45)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 11 )


<杖衝坂(つえつき・ざか)で・・・落馬した可笑しさを・・・吐露(とろ/心に思っていることを、包み隠さない

で、全部述べ表わすこと。)・・・> しているのも、芭蕉自分自身を見つめる、共通 <生死(しょ

うじ)を超えた・・・悟りの境地/・・・悟りの眼差し・・・> なのでしょうか。

芭蕉は、そんな名前場所で、落馬したいまいましさや、吉野秀句の作れなかった間抜

けさをも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
   
                         芭蕉          (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 44)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 10 )


圧倒され、<蕉風俳諧(しょうふう・はいかい/貞門俳諧、談林俳諧と続く史的な流れの中で、言い捨ての俳諧か

ら、天地有情の事情を不易流行の詩美へと転換し、それを追求した。)の・・・新境地 が、ひねり出せなかっ

のでしょうか。芭蕉ほどの人物でも、そうなのですね。

でも、ホホ…

勢い込んで、吉野に乗り込み…

何日も歩き回って、秀句ができず、挙句に横の翌檜を詠むとは、<人間/芭蕉に・・・限り

ない共感> を、覚えますわ。まさに、<芭蕉の・・・人間的な素直さ> ですよね。

故郷/伊賀の、手前/四日市で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                                                           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 43)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 9 )


ホホ…

 <俳諧の新境地・・・蕉門> を、江戸宣言し…

その <創始者/俳諧宗匠> として、晩年家康居城した駿府城下を通り…名古屋

歓待され…故郷/伊賀凱旋したのですよね。徳川時代開闢(かいびゃく)の、表通りです。

そして…

その勢いで、<桜の季節の、吉野に参上し・・・西行にも負けない・・・立派な秀句>

作ろうと思うと…まさに、こんなコトになるわけですね。ホホ…よく分かります!

芭蕉は…

<西行> <宗祇(そうぎ/室町時代の連歌師・・・西行・芭蕉と並び称される、漂泊の詩人)憧れて、

諸国漂泊し、また、歴史的古事秀作数々知っているからこそ、さすがの芭蕉も、

歌枕の地/・・・吉野の桜・山河・・・> に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
  翌檜(アスナロ) ヒノキ科の常緑高木。名まえは、俗に、「明日は檜(ヒノキ)になろう」 の意味。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 42)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 8 )


感じさせる句ですね。ではなく、翌檜(あすなろ)の木を、気づかっているわけです」

支折が、うなづいた。

「これも…」支折が言った。「を、詠めず

翌檜を詠んでいるので、芭蕉は、<吉野の桜> 詠むのを回避し、あるいは、逃げ

ている様子にも見えますわ。


 11月 10日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                                          (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 41)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 7 )


「うーん…」響子が、をすぼめ、うなづいた。「モラルハザードが…

ATP/アデノシン三リン酸/共通エネルギー通貨ですか。ともかく、いずれ、歴史(さ

ば)いて行くことになるでしょう。

さあ…

笈の小文 に戻りましょうか…

次に、詠んでいる句が…


★ 日は花に 暮てさびしや あすならふ


…ですね。

これは、芭蕉優しい眼差しを…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                              (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 40)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 6 )


破壊してしまいました。安倍政権は、一体、何を考えていたのでしょうか。日本伝統社

を、平気で壊すようなコトを、数々してい来ましたわ。

そして、今後も…

<一連の・・・下らないスキャンダル> を引きずりながら…

自民党・最大派閥/安倍派会長就任し、キングメイカーになっています。スネに傷を持

ち、膨大な実力を残したのは、確かに、かつて金権政治と言われた、闇将軍/田中角栄

彷彿(ほうふつ/ありありと想像すること)させます。

安倍さんは、安倍派を率いて、<令和の・・・闇将軍> に、なるつもりなのでしょうか?

<令和の・・・闇将軍ですかあ…」支折が、感動したように言った。「素敵ネーミ

ングだけど、コンセプト(/概念。創造された作品や商品の全体につらぬかれた、骨格となる発想や観点。)は何か

しら?」

「うーん…」マチコが、頭を傾げた。「ヤッパリさあ、モラルハザードじゃないかしら…

角栄さんが、金権政治を引きずっていた様に、安倍さんは、モラルハザードをいっぱい引き

ずっているしさあ。

安倍さんの、ATP/アデノシン三リン酸(/生体内でエネルギーの通貨としての役割を果たす物質。)は、

ラルハザードよね。

ともかく…

官僚の様に、モラルハザード批判対象にならないのが、スゴイわよね。体内

して無害にし、自民党内での共通エネルギー通貨として使っているのは、スゴイ事よね。

安倍さんにしか、デキないし…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
   
                                               (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 39)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 5 )


「そうですね…」響子が、小さくうなづいた。「安倍政権で、始まった事ですが…

そんなオーバーツーリズム状況を、承知の上で、さらに、もっとと、インバウンド(/外から中

にハイリ込む   一般的に、外国人の訪日旅行の意味)(あお)って来たわけですね。

これは、一応…

<コロナ禍> 頓挫しましたが、日本伝統文化破壊し、日本の情緒も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
   
           京都オーバーツーリズム・・・紅葉シーズン/嵐山の渡月橋の混雑ぶり    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 38)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 4 )


本当に、アレコレやと、吉野山川を、歩き回った様ですね。

歴史上人々が、数多く訪れたといっても、現代の京都鎌倉の様な、オーバーツーリズ

ではなかったはずですわ。

あ、余計なことだけど…

あのオーバーツーリズムというのは、情緒カケラもなく、異常と言うよりもデタラメですよ

ね。それで、お金儲(もう)をする経済も、デタラメ経済だと…は、思っています」



 11月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
   
                                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 37)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 3 )


そして、最初詠んだ句が…


★ 桜がり きどくや日々に 五里六里


…という、敗北宣言です。まさに吉野故事に、圧倒されたという事でしょうか?

当時はまだ、現代の様に人々の手垢(てあか)スレ切った感じは無く、桜も清楚(せいそ/飾り

けがなく、清らかなこと)だったと思います。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                         
  吉野の桜                        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 36)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 2 )


…手につかない事は、よく分かりますよね。

当時は、まだ…

<俳聖/芭蕉> というよりも、俳諧新星俳諧スーパースター/芭蕉というのが、

(ふさわ)しいかも知れません。

ともかく、その芭蕉が、意気揚々と、<桜の季節の・・・吉野・・・> に、乗り込んだわけで

す。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                                            芭蕉    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 35)

【 支折の言葉・・・19/ 1・2 】・・・( 1 )


「さあ…」支折が言った。「いよいよ、<芭蕉の・・・吉野入り> です…

芭蕉自身本文に書いている様に、いい句を作ってやろうと、張り切って乗り込んだ様子で

すね。

でも…

私達も、しばしば体験しているように、気持ちだけが上ずって、空回りし、かえって何も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
           
西行(さいぎょう/平安後期の歌人・・・西行法師 (菊池容斎画/江戸時代)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 34)

現代語訳・・・19/2 】・・・( 3 )


最初は、吉野でいい句を詠んでやるぞといきり立っていたが、それだけに一句も詠め

ないのは興ざめなことだ。

 

( 参考・・・西行法師の枝折の歌・・・ )

★ 吉野山 こぞの枝折の 道かへて 

            まだ見ぬ方の 花をたづねむ     (新古今集・春上)


 11月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
   
安原貞室(やすはら・ていしつ) 江戸時代前期の俳人。京都の紙商。貞門七俳人の一人。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 33)

現代語訳・・・19/2 】・・・( 2 )


・・・

「 去年の枝折(えだおり、しおり/山道などで、木の枝などを折って道しるべとすること。また、そのもの。紙・布・革など

で作り、書物の間に挟んで目印とするもの。)の道かへて 」 と詠んだように、あちらこちらに心引か

れて歩きまわり、かの安原貞室(やすはら・ていしつ/・・・江戸時代前期の俳人。京都の紙商。)が 「★ こ

れはこれはとばかりに花の吉野山 」 と即興で詠み捨てた句を思い出すにつけても、

私には言う言葉もなくて、いたずらに口を閉じて一句もできないのが口惜しい・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
            
『小倉百人一首・・・91番/後京極摂政前太政大臣』 <ジャンプ!>   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 32)

現代語訳・・・19/2 】・・・( 1 )


花の盛りの吉野に三日滞在して、曙、黄昏の景色に向かい、有明の月の哀れなあり

さまなど、心に迫り胸に満ちてある時は摂政公(せっしょうこう/・・・後京極摂政)が 「誰が昔桜

の種を植えて吉野を桜の名所にしたのだろうか」 と詠じた、その桜の景色に心奪わ

れ、西行が・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
 芭蕉           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 31)

原文・・・19/2 】・・・(


・・・われいはん言葉もなくていたづらに口をとぢたるいと口をし。おもひ立たる風流い

かめしく侍(はべ)れども、爰(ここ)に至りて無興の事なり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                         
  吉野の桜                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 30)

原文・・・19/2 】・・・(


よしのゝ花に三日とゞまりて、曙(あけぼの)、黄昏(たそがれ)のけしきにむかひ、有明の月

の哀(あわれ)なるさまなど、心にせまり胸にみちて、あるは摂政公(せっしょうこう)のながめ

にうばゝれ、西行の枝折(えだおり)にまよひ、かの貞室(ていしつ)が 「是(これ)はゝ 」 と打な

ぐりたるに・・・


 11月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
苔清水」 は、奈良県/吉野山の奥の千本にある   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 29)

現代語訳・・・19/3 】・・・( 3 )


<・・・ 苔清水(こけしみず) ・・・>


★ 春雨の こした(木下)につたふ 清水哉(かな)


      春雨が・・・

           木の下につたい落ちる・・・

                清水だなあ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   wpe86.jpg (6318 バイト)
 
                          
芭蕉庵              (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 28)

現代語訳・・・19/2 】・・・(


                       ひっそり生える・・・

                            あすなろの木が寂しげだ・・・


★ 扇にて 酒くむかげや ちる桜


      ヒラヒラ散る・・・

           桜の花ビラが惜しまれて・・・

                思わず、扇をさし出した・・・

             能・狂言で・・・

                  酒を汲むしぐさだ・・・

                       山道で、全く、酔狂なことだ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
 芭蕉           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 27)

現代語訳・・・19/1 】・・・(


<・・・ 桜 ・・・>


★ 桜がり(桜狩り) きどく(奇特)や日々に 五里六里


      毎日毎日・・・

           吉野の桜を見るため・・・

                五里六里と歩き回る・・・

             俳人の我ながら・・・

                  奇特なことだ・・・


★ 日は花に 暮てさびしや あすならふ(翌檜(あすなろ)/ ヒノキ科の常緑高木)


      花見に歩き回った・・・

           今日一日が暮れていく・・・

                桜のわきに・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                         
 吉野の桜                        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 26)

原文・・・19/1 】・・・(


< 吉野 、 高野 ・ 和歌 >


 桜


★ 桜がりきどくや日々に五里六里


★ 日は花に暮てさびしやあすならふ


★ 扇にて酒くむかげやちる桜


苔清水


★ 春雨のこしたにつたふ清水哉


 11月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 25)

支折の言葉・・・18/9 】・・・(


ちなみに、この 野ざらし紀行 の後…


古池や 蛙飛び込む 水の音   


…の、名句が作られています。

いわゆる…

<芭蕉が・・・芭蕉として、覚醒(かくせい)した・・・> と、評価される、芭蕉代表句です。

この、<芭蕉・覚醒後・・・> 出発した…

故郷/伊賀上野への凱旋(がいせん/「凱」 は戦いに勝った時奏する音楽、転じてかちどき。「旋」 は帰ること。従っ

て・・・勝利を祝う歌をうたって帰ること。戦いに勝って帰ること。)紀行が、笈の小文 の、旅の風景にな

ります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 24)

支折の言葉・・・18/8 】・・・(


・・・新しい俳諧の境地・・・> を求めて、野ざらし紀行出発します。

その、<野ざらし・・・野に屍(しかばね)を晒(さ)す覚悟の旅・・・> 終了して、江戸に帰る

と、芭蕉は、<紀行する・・・俳諧師> として、多くの紀行作品を残し始めます。


<芭蕉の・・・紀行作品>   


野ざらし紀行
・・・

貞享(じょうきょう)元年(1684年)8月、門人/千里(ちり)を伴い約半年間の旅。

深川を出て、東海道を伊勢に直行、伊賀上野・大和・吉野・山城・近江・美濃と足をのばし、

桑名・熱田・名古屋・伊賀上野・奈良・京都・大津・尾張・甲斐を経て、江戸/深川へ帰るル

ートをたどっています。

芭蕉の紀行文の出発点として位置づけられている作品で、冒頭の「路粮をつゝまず」という

一文から、芭蕉のこの旅にかける悲壮感と気負いが感じられ、文芸探索の為に旅立つ芭

蕉の、強い意志を読み取ることができる、という事です。

また、この旅の目的には、前年他界した伊賀上野の母の追善のための里帰りという、表向

きの意味もあった様です。

 

鹿島紀行 ・・・

貞享4年(1687年)8月14日、仲秋名月(ちゅうしゅうの・めいげつ/十五夜の月。陰暦8月15日の夜に見える月

で、一年で最も美しいとされ、月見をします。)の夜の1日前、門人の曾良・宗波を伴い、常陸の鹿島へ

月見に出かけた時の紀行。3人で鹿島神宮に参詣(さんけい/神社や寺にお参りすること)

 

笈の小文  ・・・

貞享4年(1687、芭蕉が44歳の時、10月に江戸を出立し、鳴海・保美を経て郷里の伊

賀上野で越年。 2月には伊勢参宮、3月には坪井杜国との2人旅で吉野の花見をし、高野

山、和歌浦(わかのうら)を経て、4月8日奈良に到着。さらに大坂から須磨(すま)、明石(あかし)

で漂泊した紀行文。

成立年時は、元禄3年(1690年)晩秋から翌年夏ごろまでの間と推定されてます。宝永6年

(1709年)に河合乙州(かわい・おとくに)が、『笈の小文』 の書名で出版して世に知られました。冒

頭の風雅論のほか、紀行文論、旅行論などに芭蕉の芸術観をうかがうことのできる重要な

作品という事です。

『笈の小文』 は、内容的にもまとまった作品とはいいがたい点があり、未定稿説や、旅中

の草稿類の、河合乙州編集説、などもある様です。

 

更科紀行 ・・・

貞亨5年(16888月11日、芭蕉は門人/越人を伴い、美濃の地から江戸への帰途の旅

に出発しました。更科で、姥捨て山の秋の月を見る、というのが目的だった、という事です。

この旅は、『笈の小文』 の旅の江戸への帰路ですが、安全で気楽な旅だった 『笈の小文』

の旅に対して、『更科紀行』 の木曽街道の旅は、街道そのものに危険が多く、追い剥ぎや

山賊などの、不安感もあった様です。

一方、芭蕉は、この旅で多くの秀句を詠んでいます。結果的に、極めて収穫の多い旅となっ

て、俳諧の心境を深め、『奥の細道』 へと続いて行くわけです。

 

奥の細道 ・・・

元禄2年(1689年)芭蕉46歳の時、門人/河合曽良を伴って江戸をたち、奥羽・北陸の各地

を巡遊し、後に大垣に入り、さらに伊勢参宮へと出発するまでの、約150日間にわたる大

遠征の旅となります。芭蕉の代表的な俳諧紀行文です。

 

嵯峨日記 ・・・

元禄4年(1691年)4月18日~5月4日まで、芭蕉が嵯峨の向井去来の別荘/落柿舎(らくし

しゃ)に滞在した時の日記で、宝暦3年(1753)に刊行されました。

京都の門人/去来らがしきりに来遊を進めたところ、嵯峨にてしばらく休息することになっ

た芭蕉は、野沢凡兆・川井乙州・河合曾良など、蕉門諸家の訪問をうけ、楽しくリラックスし

た時間を過ごした様です。

芭蕉は、そこでの生活や門人との交渉や追憶を、日記風に日付けを書いて、その日その

日の随感を、無造作に書きつづっています。



岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 23)

支折の言葉・・・18/7 】・・・(


飛び込んで行く事は、叶(かな)わなかったわけですね。それが、凡人なのですから。芭蕉

場合は、それが狂気に近く、苦しい恋をしているようだった、とも言われています。

例えば…

枯れ野に・・・日が沈んで行くのを見て…

その雄大寂寥感(せきりょうかん/ものさびしいこと)感動し、私達 “いいなあ” と思います。とこ

ろが、芭蕉場合は、“いいなあ” と思うだけでなく、“狂おしいほどに・・・いいなあ”と思い、

“このまま・・・死んでしまいたいほど・・・いいなあ” と、思う様ですね。

つまりそれが…

<風雅への妄執(もうしゅう/迷いの心から物事に執着すること)・・・風雅への魔心・・・> とか、言わ

れるものです。普通の人は、その魔境を恐れて、本能的身を引くわけですが、芭蕉

学的求道者として、あえて、その魔境へ飛び込み、没入して行った所が異常なのです。こ

うした文学者は、世界的にも稀有(希有/けう・・・めったにないこと)なのでしょう。

ともかく、芭蕉は…

<深川/芭蕉庵> 転居すると、<仏頂和尚(/茨城県・鹿島の根本寺第21世住職。 芭蕉参禅の師

と伝えられている。仏頂は、芭蕉と江戸深川に在住していた時深く関わった人物として知られています。さらに芭蕉が、奥の

細道紀行の途中、仏頂の山居跡を訪ねて那須黒羽雲厳寺に赴き、本文中に 「雲厳寺」(うんがんじ)の項を遺している。)

から、を学ぶなどして、それまでの俳諧宗匠生活とは決別した様です。

1684年(/貞享元年)

芭蕉は、41歳の時に…

<生涯の野望/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 22)

支折の言葉・・・18/6 】・・・(


…として住み、俳諧求道(ぐどう/1つの道の極致を求め、修行すること)の生活没入した様ですね。

蕉門俳人や…

江戸時代/中期・後期の、<与謝蕪村> <小林一茶>、それから現代に至るまで、

多くの俳人・文人(ぶんじん/詩文・書画など、風雅の道に心をよせている人)が、芭蕉強く憧れて、

(ひょうはく/一定の住居や生業がなく、諸方をさまよい歩くこと。さすらうこと。)しました。

でも、結局

<芭蕉の様な・・・深い求道の精神/・・・死と表裏の境地・・・> に…



 11月  5日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
      
    杉山 杉風(すぎやま・さんぷう・・・蕉門十哲、幕府御用の魚問屋/鯉屋・・・)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 21)

支折の言葉・・・18/5 】・・・(


地位を築き上げました。資料によると、水路工事監督などもしながら、身についていた

武士品格も持ち、人望もあった様ですね。

でも、芭蕉37歳の時に…

その俳諧宗匠地位を捨て、深川(/東京都江東区)に、<門人の・・・杉山杉風(すぎやま・さんぷ

う/江戸日本橋本小田原町に住んで、幕府に魚類を納める納屋を営む。<屋号を・・・鯉屋> といった。俳諧は、父仙風と共

に松尾芭蕉門。東下後の芭蕉に親しみ、延宝期には江戸蕉門の中心人物となる。) から譲り受けた番屋(/番人

・番士の詰所。猟師などが寝泊まりする山小屋。北海道では、ニシン漁師の宿泊する小屋。)改築して、<芭蕉庵

(ばしょうあん/・・・江戸深川六間堀の、門人・杉山杉風の屋敷にあった草庵)


深川・木場は江戸のウォーターフロント! 絵をよく見ると、張り巡らされた水路に沢山の材木が浮かんでいるのがわかります。

独特の雰囲気です。                                      (ネットより画像借用) 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 20)

支折の言葉・・・18/4 】・・・(


でも、良忠がいなくては、もう出世は望めませんでした。一方、奉公人を務めながらも、

に関しては知られた存在になって行きました。それで芭蕉は、俳諧師を目指すようになっ

た様です。

やがて、江戸に出て…

江戸/日本橋界隈で、俳諧師宗匠(はいかいし・そうしょう/俳諧の師匠)としての…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                伊賀/上野城・・・戦国武将/藤堂高虎は、弟の藤堂高清を城代とした。    ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 19)

支折の言葉・・・18/3 】・・・(


扈従(こしょう/貴人に付き従うこと。また、その人。)として出仕(しゅっし/民間から出て、官に仕えること。仕官。)

しています。芭蕉は、俳諧を好む2歳年上良忠影響を受け、彼自身俳諧熱中して

行ったものと思われます。

しかし1666年

芭蕉22歳の時に、主/良忠は若くして亡くなります。その時、芭蕉奉公先良忠から

藤堂藩(/伊勢国、津(現:三重県津市)を本拠地とした津藩の別称。藩主・藤堂氏の名にちなむ。戦国時代に、藤堂高虎

が出て発展し、江戸時代は津藩を領する外様大名になった。)変えた様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
            (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 18)

支折の言葉・・・18/2 】・・・(


ええと…

まず、しばらく間が空いたので…

おさらいを兼ね、芭蕉略歴を述べて置きましょうか。

<俳聖/松尾芭蕉> 家系は…

<平氏(へいし/平安初期に皇族賜姓(しせい/天皇が皇族、貴族、武士などの功績に対して姓を賜うこと。古代からあ

ったと思われ、平安時代には盛んに行われた。)によって生まれた姓。桓武(かんむ)・仁明(にんみょう)・文徳(もんとく)・光孝

(こうこう)の4流がある。桓武天皇の皇子葛原(かずらはら)親王の子/高見王の子孫(/桓武平氏)が最も栄え、<清和源

氏> とともに、武家の棟梁(とうりょう)となった。)末裔(まつえい/末の血統)の様ですね。

でも…

伊賀農民でしたから、裕福と言うわけではありません。芭蕉も幼くして、<伊賀国上野

の武士/藤堂良忠(/伊賀国上野の城代付の侍大将、藤堂新七郎良清の三男) に…


 11月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              奈良県/吉野郡川上村               (ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 17 )

支折の言葉・・・18/1 】・・・( 1 )


「ええ…」支折が言った。「芭蕉は…

吉野川上流にある西河の滝で休み、この句を詠んでいます。

この西河は…

虹河虹川ともいう様ですね。奈良県/吉野郡川上村にある様ですが、残念ながら、

行ったことはありません。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                             兵庫県/神戸市・・・布引の滝    ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 16)

【現代語訳・・・18/2 】・・・( 2 )


布留の滝(桃尾の滝(もものおの・たき)は奈良県/天理市滝本町にある滝)は布留の宮(/石神神宮)より二

十五丁(/1間(畳の縦の長さ)は約1.82m 、1丁=60間で、約109.2m。109.2×25=2730m)山の奥で

ある。 大和

津国(/摂津国の古名。摂津国は、大阪府北西部と、兵庫県南東部の旧国名。) 布引の滝は幾田(いくた/神戸

市中央部の地名。生田神社の所在地。)の川上にあり。

箕面
(みのお)の滝は 勝尾寺(/俗に 「かちおじ」 ともいう。)へ越る道にあり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                                   (ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 15 )

【現代語訳・・・18/1 】・・・( 1 )


<虹河/虹川/吉野大滝>


★ ほろゝと 山吹ちるか 滝の音   (蜻蛉/トンボ)【虫篇+鳥】が滝


      西河の滝が・・・

          岩間に激して・・・

              轟々と鳴りわたり・・・

            岸辺をいろどる・・・

                黄金色の山吹の花が・・・

                    風も持たず・・・

                         ほろほろと散っているなあ・・・



岡田健吉‏@zu5kokd1    
                            奈良県/川上村 「蜻蛉(トンボ)の滝」    (ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 14 )

原文・・・18/1 】・・・( 1 )


< 西 河  >


★ ほろゝと山吹ちるか滝の音


(蜻蛉/トンボ)【虫篇+鳥】が滝

布留の滝は布留の宮より二十五丁山の奥也 大和

津国 布引の滝 幾田の川上に有。

箕面の滝 勝尾寺へ越る道に有。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    index292.jpg (1590 バイト)  
                                           (ネットより画像借用)                                                         

《HP/『人間原理空間』の方で・・・アップロード》 11月3日


《笈の小文・・・芭蕉/2》

           <ジャンプ!>   


 11月  3日

  分化の日

岡田健吉‏@zu5kokd1    index292.jpg (1590 バイト)   
                                           (ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 13 )

【プロローグ 】・・・( 13 )


・・・世界の大局・・・> が、争点化しないことが、そもそも大問題ですわ。これでは、選挙

投票率が下がって当然です、」

「そうですね…」響子も、真顔でうなづいた。「も、言いたいコトは、山ほどあります…

でも、今回はひかえましょう…」

「あ、はい…」支折が、微笑した。「さあ…

笈の小文(おいの・こぶみ)考察に、入りましょうか…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
遂にイギリスのエコノミスト誌も、安倍首相の報道規制を批判! タイトル/『日本 のメディアは悪について話さない』 
                                                               (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 12 )

【プロローグ 】・・・( 12 )


・・・第4の権力/マスメディアから・・・流れ下っている・・・国家組織全体の、壮大なモ

ラルハザード・・・>

…についても、総選挙争点とならなかったわねえ。政治家は、自分の足元ばっかりだし、

政治評論家は、下らない政局の話ばっかりだし、さあ…」

「そうですね…」支折が、小さくうなづいた。「<政権選択・選挙・・・総選挙> で…

<国家の大局・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                                   (/ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 11 )

【プロローグ 】・・・( 11)


・・・寄生虫化の問題・・・>

…は、今後も、継続して行くというコトよね。

<国家表面の・・・モヤモヤした開放系システム/・・・日本のモラルハザードのショウ

・ウインドウ・・・>

…も、継続というコトだし。

そして…

同根モラルハザード大元

★ 日本国家の・・・上流域・・・

<国家三権・・・司法・立法・行政・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 10 )

【プロローグ 】・・・( 10 )


・・・毎年、複数個所で大災害が発生することは明白で・・・国民にとって苦難の道・・・

となりますわ。次に被災するのは、どの地域になるのでしょうか?

私達は…

<岸田・新内閣の・・・動向> を、シッカリと、見守って行きたいと思います」

「うーん…」マチコが、を当てた。「そして…

私自身もさあ、何度も、くり返すけど…

<公共放送/NHKの・・・本来使命を放棄している状況・・・

国民の一方的な負担・・・パラサイト(英語:parasite/共生の一種である寄生を意味する )化/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
    リアルタイム/2019年7月3日・・・九州南部 特別警報・避難指示を待たず、早めに避難を  (/ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 9 )

【プロローグ 】・・・( 9 )


政治家・政党は…

<2021/衆議院選挙> でも…

<国家の直下の大事・・・土砂災害で崩壊し始めた・・・日本列島の社会インフラの旧

式化・・・社会インフラのバージョンアップ・・・>

…については、全く、争点ともしませんでした。

でも…

<社会インフラの旧式化は・・・このまま放置すれば・・・


 11月  2日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
   台風19号で、水に漬かった新幹線車両基地 (2019年10月13日 午前8時6分/長野市赤沼) (ネットより画像借用)                                                         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 8 )

【プロローグ 】・・・( 8 )


ハイパーリンク・ゲートを通ったばかりです。<2021/衆議院選挙> 結果様子

も、ここ、《軽井沢・基地》 で、見るつもりで来ました。

出来るなら…笈の小文 は、最初から参加したいと思って…」

「はい…」支折が、ニッコリと、うなづいた。「マチコさんは、も、選挙モードというわけです

ね。それは、分かります。

うーん…

確かに、今後日本はどうなってしまうのか、非常に心配ですね。日本政治家に、一体

この国<日本の・・・舵取り・・・> を、任せて置けるのでしょうか?

そもそも…

<地球温暖化で・・・益々激烈化する、日本の気象災害対策が・・・//・・・ 総選挙=

政権選択選挙の・・・争点にも、ならなかった ・・・> というのは、どうしたコトでしょう

か?こんな事では、 <日本の・・・舵取り・・・> は、任せて置けませんわ!

軽井沢の、すぐ近くの…

善光寺平/長野盆地長野市でも…

1昨年/2019年に、台風19号で、豪雨土砂災害がありました。千曲川決壊して、新幹

7本も水没しました。これが、<国土交通省> のいう様な、<レジリエンス/・・・し

なやかな復元が・・・可能なレベルの災害・・・> と、言えるのでしょうか?

こうした大災害は…

毎年毎年全国何処でも、起こりうる、という事ですわ。

<政治、行政当局が・・・常に・・・見通しが非常に甘いというのは、国民にとって、

大きな悲劇ですわ。<東日本大震災の・・・復興事業> でも、レジリエンスではなく、

硬直性が、顕著でした。

私達は、あの大復興事業では…

〔人間の巣/未来型都市/千年都市〕 を、展開するようにと、強く提唱していた、経緯

あります。あの時に、東北地方被災地域に、これが導入されていたら、現在 <世界の

・・・地球温暖化対策・・・> も、相当に、違った風景になっていたと思われます。


長野・千曲川、堤防決壊70m 新幹線車両も水没。水深5mに達する可能性も…

                                          2019年10月13日 7:14   (ネットより画像借用)                                                         

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 7 )

【プロローグ 】・・・( 7 )


充実した時間を過ごしました、」

「はい…」支折も、微笑した。「も、少し御一緒にいたわけですが、よい修行になりました。

有難りがとうございます!

ええと、マチコさんも、一言、お願いします、」

「はい…」マチコが、コクリとうなづいた。「は、今朝、つい先ほど《軽井沢・基地》 の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 6 )

【プロローグ 】・・・( 6 )


響子さんマチコさんポンちゃん…よろしくお願いします」

「はい…」響子が微笑し、を結んで、楽しさ(あふ)れる様にうなづいた。「軽井沢

し、スッカリ元気を取り戻しました。

<コロナ禍> でしたが…

座禅をするには、全く支障がなく、はむしろ、落ち着いた

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 5 )

【プロローグ 】・・・( 5 )


今回笈の小文(おいの・こぶみ) は…

長野県/《軽井沢・基地》 からの発信になります。

そこで、笈の小文/第2部として、新ページを立ち上げました。

<コロナ禍> という事で、脱線をくり返し、だいぶ長くなりましたので、よい機会でした。

ええ…


 11月  1日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 4 )

【プロローグ 】・・・( 4 )


そして、前で両手を結び、丁寧一礼した。


お久しぶりです…」支折が言った。「星野支折です…

あわただしい、<・・・コロナ禍の日々・・・> で…

、そしては、何処かへ消えてしまった様ですね。でも、イガは、確かに今、ここに、

在るのを、眼前(がんぜん/明らかなこと。確かなこと。また、そのさま。)させています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 3 )

【プロローグ 】・・・( 3 )


スクリーンボードの横の花台に載せた。

それを鑑賞していると、折原マチコが入って来て来た。その後から、タブレット片手に持

って、里中響子も入って来た。

全員作業テーブルに着いた。支折があらためて、インターネット正面カメラを見上げた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 2 )

【プロローグ 】・・・( 2 )


チラリと見上げた。ランプ緑色になっていて、カメラはすでに作動していた。

ポン助が、栗のイガを活けた花瓶を運んできた。を残した数個大きなイガは、がこ

ぼれ落ちそうだった。少し前に、里中響子が活けていたものだ。

ポン助が、その花瓶を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 1 )

【プロローグ 】・・・( 1 )


星野支折が…

《軽井沢・基地》/2階の、開け放った窓辺に立っていた。

から入るが、冷え冷えとしている。ここからは浅間山(/長野県/軽井沢町及び御代田町と、群馬

県/吾妻郡嬬恋村との境にある、安山岩質の活発な活火山。標高2568 m 。山体は円錐形。カルデラが形成されている。)

は見えなかった。

眼下に芝生、向こうに雑木林白樺、遠くに、少し黄色く色づき始めたカラ松林が見えた。

彼女は、を回し、インターネット正面カメラを…



   

 

                                         小倉百人一首 → 57番/紫式部  後撰集 -


  
めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに   

                            雲がくれにし 夜半(よは)の月影

 

                   

                                                                       右は/…土佐光起筆 『源氏物語画帖』 より 「若紫」。飼っていた雀の子を逃  

                                                                    が してしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。           (ネットより画像借用)

   久しぶりに逢えたのに…

               貴方だと分かるかどうかの、わずかな間に…

                    あわただしく帰ってしまわれた…

                         まるで、雲間に隠れてしまう、夜半の月のように…

 

            紫式部は、平安時代中期の女性作家、歌人。『源氏物語』の作者。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の1人

            屈指の学者、詩人の藤原為時の娘。藤原宣孝に嫁ぎ、1娘/大弐三位(だいにの・さんみ/女房三十六歌仙の1人)

            産みました。夫の死後、召し出されて、一条天皇の中宮/彰子(/父親は、栄華を極めた藤原道長)に仕えている間

            に、『源氏物語』 書きました。

            同じ、一条天皇の中宮/定子に仕えた清少納言(/随筆/『枕草子』 を執筆 )は、定子の死後、宿下がりをしています。


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