詩想


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2004年9月分

アンビバレンス


「努力しなきゃ手に入らないようなものなら、いらないんだよ」
と思うことがある。
「苦労そのものが楽しい。てざわりが、手ごたえがないような人生なんて、生きていても
しょうがないじゃないか」
と考えていることもある。

どちらも、自分だ。
真逆に向いた結論が、日替わりに意識の世界に浮かび上がってくる。
まったく。自分の無意識は、生きながら何を感じているのか。

例えば。
生きてて色んな欲望が生じてくる。誘惑を感じる。願望が積み上がっていく。

もっと、面白い本が読みたいとか、あの映画行きたいとか、もっと便利な場所に住みたいとか。
新製品試してみたいとか、あの服欲しいとか、みんなに注目されたいとか。
車欲しいとか、もっと高性能のやつがいいとか、一度でいいからモテモテってやつに
なってみたいとか。

いくらでも生まれてくる。
こうした欲望は、一つには、情報に煽られて、踊らされているのだろう。
あるいは一度味わった快適さはなかなか忘れられないから、というのもあるのだろうけど…


で、それとは別に、大人になるにつれて分かってくることってのがある。
それは、それら願いの多くは努力すれば叶うってことだ。
思春期くらいのころの自分ではとても信じられなかったことだけど、これは事実だった。

努力量は裏切らない。
もっとも、頂点を取ってやるぜ、とか、対人相対の中で、結果成績の限界を極めることは、
それは、人それぞれ「できる・できない」があるだろうが。

また、それは祈りの強さではなく、実行した訓練力積の量に比例しているので、実は
ドライな事実でもある。

それでも今ある自分を10%増しの自分にビルドアップすることは可能で、
そして、その10%が意外に効いてくるのが……
大人世界の対社会サバイバルであったりするわけで。
そういう意味では、やはり努力すれば願いは叶うのだと言える。


しかし努力というのは、熱意と時間と、そしていくらかはお金を消耗するのだ。
だから……、
だから、全ての物を望むのは無理がある。
そのくせ、
私達を取り巻くメディアは、もっと欲しがれ、と言う。
ちょっと汗を支払うだけで、素晴らしい夢が手に入るかのように
私達に、言う。
だから時には毒づいてやりたくもなるのだろう。

「──」と。


ねがいは減らさなけりゃならない。
ねらいは絞らなけりゃならない。
その代わり、狙った目標は絶対に外さない。
そのためなら、多少何かが犠牲になっても、
全くかまいはしない。
……と。
そこまで思える程の願いは意外に少なくて。
私の場合、筆頭は、小説を書くことに関わることばかりだった(もちろん、今の生活費を
稼いでいる お仕事もとても大事だが)。

もっとすごいお話を書きたい。
もっと感動させたい。
もっと褒められたい。
感想がほしい。有名になりたい。
もっとうまくなりたい。
プロとして食っていけるほどの腕前になりたい。
もっと心に残る作品を書ける、そんな男でありたい。


こうして思いついた目標は。
意外に、地道に自分に力を付けていけば、あとはたぶんいつのまにか、後からついてきてくれる
物なのだ。
だから今は。貪欲なまでに、ひたすら力を求める。
挑戦して、気を吐いて、血を吐いてクリアして、
闘って強くなって、さらに一つ上の目標に挑戦して、一つ一つ
ハードルを、階段を上げていく。

私は頭はいい。
どうすればうまくいくかは分かっているはず。
努力の方向が、その方向そのものが間違っている、ということは、たぶんない。
今はまだよく見えないものも、山のすぐ近くに行けば、間違いなく見えるように
なるはず。

だから今は、少しでも歩いて、計画を立ててまた歩いみて、
そして足の感触と筋肉の感覚を確かめる。
その時 狙いどおりの手応えを自分に感じたなら、ニヤリと笑って
また顔を上げよう。

そして、もう一つのフレーズをつぶやくのだ。

<2004.09.23>




聞かれると詰まってしまう質問


久々にやや暗いネタを思いついたので、<lyric>に更新を入れてみよう。
(……って、おいおい。半年ぶりかよ)


何年か前から出てきた言葉に、「スローフード」とか「スローライフ」という言葉があった
と思った。今日は言葉の話。

おおざっぱにその示すところを読み取ると、「ファストフード」に対抗する概念を
提案したもののようだった。
つまり『スピードに追い立てられていては、本当の滋味はあじわえない。ゆっくり、
じっくり時間をかけて、本当においしいもの、本当に体にいいことを追求しよう』という、
提言だったのだと思う。

ある意味では「ジャンクフード」とも呼ばれるものに対して、『上質志向・玄人志向・
大人志向』といったニュアンスまで込みで、使われていたのだったと思うけれど、
同時に、『もう競争社会にはついていけませーん』という感じの、
やる気ナッシングで無気力な、「頑張りたくない宣言」としての意味も持っていた
と思う。これは私の主観だけれども。

で、すこし前から「スローキャリア」という言葉が出てきた。
キャリアとは職業とか経歴とかそんな意味。
だんだんと、厳密な「スロー」の語義からははずれている気がするが、言いたいことは
伝わってくる。
つまり『僕ら、もう「一生懸命」仕事するの嫌です』ということだ。
悪く言うならば、ね。

もう少し語義に忠実に狭い意味でとらえるのなら、『昇進のスピードに囚われる
ことなく、生活の一部としての仕事をしみじみと自分らしく楽しんでいきたい』
と、いうことになると思う。
そんな考え方まで出てきた、ということです。
というか、みんなこの言葉を知らないだけで、現代 日本人のほとんどが、もう
こっちの価値観に染まってしまっている気はするけど……


さて、そこでだ。
「スローラブ」とか「スロー・フレンドシップ」
なんて言葉は、できないものですかね?

あってくれたら便利なのに……(嘆)
飲みの席とか、色々説明しにくい質問をされてしまうことが多いのですよ〜。
こんな人間ですから、会話していても会話のつぎほが見つからないのでしょう。(「なら
自分から話題を振れよ!」という突っ込みもありそうですが、)
「誰かと付き合ったりしないんですか?」とか「休みの日何してるんですか?」とか。

聞かれても、うーん、自分でも何してるのか思い浮かばない。

いや、別に知られて困ることがあるわけではないので、ありのまま話せばいいだけの
ことなのですが、この気分を分かってもらえるように説明しようとすると結構むずかしい。
他の人より、たぶん私は、「寂しい」とか「退屈だ」とかっていう気分がすごく弱くて、
なおかつ人と話している時に、「ときめき」とか「自分のことを知って貰いたい!」という
気持ちも同じく弱いのだろう。

ぼんやりしているだけで、十分幸せなのだ。つか、あらゆる感情が弱めにできていて、
全てがスケジュール通りに、つつがなく進んでいるような感覚が、とても好きなのだ。
「恋」とか、そういう凶悪的に強い気持ちに、自分の意識が揺さぶられるのが、
きっと、すごく、こわい。

自分に余裕を残しておいて、自分と状況とを、冷静に観察しつつ、理性の範囲で
全てに対処できるペースで生きていたいわけです。
剣が峰の上ぎりぎりで、ひらりと運動神経で身を翻すような、スリルというかそういう物は、
まあなるべく避けて通りたいと思っている。

生きていく上で避けられない戦いなら、戦う。迷いなく。
でも、生活のスタイルとしては、未来予想図の選択としては、可能な限りそういうもの
を引き寄せない人生コースを望んで生きているんだよ、ということをだな……
説明するのは……
難しそうだなぁ、と思って気が重くなるわけだ。


こういう感覚は、簡素に説明するのがすごくむずかしい。
おそらくは質問した人の実感や常識の、完全に予測の外の感覚であろうから。いい加減な
説明だと。
たぶん、伝わらない。
それに最近は「ひきこもり」なんていうマイナスイメージの単語まで生まれてきているわけで。

この感覚を、マイナスイメージで捉えられないように、「ああ、それは素敵な生き方ですね♪」
と感じて貰えるように説明するには、
本当にどうしたらいいんだろう。


男は一般に戦友をもとめる。女は一般に親友をもとめる。
男は飲みに行く仲間を欲しがる。女は食べ歩く友達を欲しがる。
しかして私は……

茶飲み友達が欲しい(笑)
「茶」って、カフェでじゃなくて、縁側な、飲むのは(笑)
恋愛に関して言えば、どうにかして、「恋」を回避して、「愛」の時間にだけ、辿り
つけないか、と願ってしまう。

「あ、この人いいな♪」から、
どうにかして
「うん。しみじみとね。これまでも、これからも、
一緒にいてくれるのがあなたでよかった、と思っていたところ」ぐらいまで
二人の時間をワープさせられない物か(笑)


……贅沢かなぁ。




ああ、そう言えば、あと一つ聞かれて詰まる質問があった。

『どんな小説を書いてるんですか?』


まあ、これは完全に私の問題なのではあるが…(笑)
なんなのだろう?
「SF」? 「ハートフル」? 「恋愛物」?
どれもちょっとずつは合ってるんですけど…… 何かが大きく違う……
「青春群像」とか「学園物」とかは、#5に関して言えばなり近いけど、私は必ずしも
いつもああいう物を書くわけではないし。

「ビルドゥングス・ロマン」や「ハッピーエンド」ならイメージに近いか。
でも、これじゃジャンルじゃないよなぁ。
絶対に説明された相手の頭の上に、『?』マークが飛び交っちまうだろうなあ。
困ったものです。

藤海ノベルは藤海ノベルでしかない、とか、開き直れるくらいに有名な作家に、
早くなりたいものです。

<2004.09.11>



ことは


『私』


怒らないで。何でもするから。
どう答えれば正解? どうしたら私をほめてくれるの?

やめてよ。
悩みなんか なさそな明るい顔で、ずかずか私の心を荒らさないで。乱さないで。
合わせているだけで、本当は私は楽しくないんだってば。
はあ。
もう疲れたな。一人にしといてよ。ダメ?


こうしゃべって欲しいんでしょ?
これしゃべったら喜ぶよね?
こう答えたら盛り上がるよね?

──ほら やっぱり。
分かってる。
分かってるよ。


私はこんなに周りのことを分かってるのに。
感じ続けてるのに。
なんで私の本音の部分が、うわべの受け答えとは違っているのを。
本当はイヤなんだってことを、気付いてくれる人はいないの?
いたわってくれる人はいないの?

私のウソは。
本当の自分を守るため、逃げる道を残すためだけの物じゃなくて。
周りとうまくやっていくためのもの。
だから、全員に気付いてなんて言わない。
全員に私の本音を見抜け、なんて言わない。それじゃぶちこわし。


一人でいいの。
たった一人に、「えらいね」「がんばってるね」って言ってもらえれば
それで救われるのに。


────。
ああ、まただ。
一言、また一言。確実に、こうして私の本音が乖離していく。
楽しさの何もない、義務感だけの毎日の、重苦しさが増していく。



「〜〜〜〜っ!!」
罵詈雑言を、ぶちまけられたら気持ちいいだろうな。
いやいや、
こんな奴らのために、怒るエネルギーを使ってやるのももったいない。
それに、どうせしゃべったって分かってくれないし。
想像力が足りないのだ。
いたわりが足りないのだ。
こんな奴らには、一片の同情もなく、絶縁を突きつければいいのだ。


……ちがう。
ちがうちがう。
私は周りとうまくやっていくの。
私は誰かに必要としてもらいたいの。私のことを「いる子だよ」って
言ってもらって、私の居場所を作って貰いたいの。

その時はじめて、私は『本当の自分』に
生まれ変われる気がする……


きっと、そうなのだ。



【解説】
ちょっとカラオケに行って、ストレスを発散してきたいなー、とか
思いながらノートに文字を書き連ねていたら、なんかこんなのが
できていた。 アフォ(苦笑)
まあこの気持ち、自分との ∩ (and) 領域が0%か、と言ったら、そんなことは
ないけど、私が100%こういう人間か? と言ったら、そんなことはないから。
ひとまず安心してよいよ。



『私』

またやってしまった。
軽い自己嫌悪と反発心と向上心。

いつも他人の機嫌を伺ってずるずるひっぱって、
自分が傷ついて、他人も傷付けるんだ。私は。
自分の弱さで
誰かを傷付けるのはいただけない。

ほんのちょっと、
本当に強い自分になりたいと思う瞬間──。

<2004.01.16>