詩想


2002年7月分

藤海語録(苦笑)

人のポロっと言ったセリフがやけに印象に残って、個人的に人生訓になっていたり、
自分に言い訳をしたりしたはずみで、やけにまとまりのいいフレーズを思いついちゃっ
たりしたことないですか?
この隠しページはそういうエッセーにするには断片的過ぎる言葉達を集めてみました。
もし、あなたが熱狂的藤海信者なら、ここに共感してしまうはず(笑)

まずは基本的なところから
判断そのものに対する影響力は小さいけれど、人生全体に影響を与えている。
そんな、藤海の中での基本ソフトのような言葉。


“売れている物には売れている理由がある。
売れないものには売れない理由がある。”
これの一文目はうちのおかんが口にしたセリフ。
まあ、言っていることは論理的には当たり前なんだけど、いきなり聞くと、ニュアン
ス的には
「売れていないものは、だめだから売れていないんだ!」
とでも言わんばかりに聞こえる(笑)
その露悪的なニュアンスと、責任を市場ではなく作り手に全て還元する精神が好きで
マイテーマになっております。


“作家はサービス業の一つだと思っているし、
サービス業だからこそ、尊いんだ”
これはメッセージ・フロム藤海日之輪(笑)
自分に言い聞かせている、とも言います。決してクリエイターはカリスマなどでは
ないし、自分のメッセージを持っていてそれを表現している奴がエライなんてことは
ないんだぞ、という思いを込めて。


“「……笑うのはそのていどにしていただこうか、司教どの」
「陳腐な策だが、効果があるからこそ常用されるし、常用されるからこそ陳腐にもなる。
そろそろ決心してもらいたいな」”
これは出展元が版権物です。
銀河英雄伝説
四巻p187。

まあ『司教どの』ってのは前後関係がないとわけ分からないかとは思いますが。
その前後関係を無視して読むと、なかなか衝撃的な文章で。
つまり「独自性・希少性を高めたアイデアは『効果』が低くなってしまうし、
『効果的』なアイデアはすべからくどこかで見たことがあるような物になる」
ということを言っているわけです。

だから、「パクリ」だの「真似」だの言われることを恐れていては、真に効果的な
創作はできないのだ、という意味に取れる。
15歳くらいの頃これを見て、天啓だと思ったね(笑)
以来、独自性の高さにこだわることはすっぱり諦めた(笑)

とはいっても、著作権を放棄する気はないので、無断で転載したり直リンしたり
盗作したりしてはいけませんよ?


“雰囲気を壊したくない。
作品を謙遜しない。
自分を貶さない。”
本に付けるあとがきの話です。
こういった「自分ポリシー」というのは、他の人のやっているのを見ての、アンチテーゼ
で思いついて自分に戒めてたりもするんですが……

同人誌のあとがきって、たぶん先に読む人、ほとんどいないと思います。
多分ふつうなら、買って読んで、本文読んだあとで後書きを読むことになると思うん
ですが、その時に本文がちゃんと面白かったら。
きちんと盛り上がって、バシッと終わっていたら。
たぶん、お話し世界の余韻に浸るため、一種の後戯として読むことになると思うんですね。

だから、「もう、ここは後書きだから」って急に、大人の事情や近況報告やらを、書いて
欲しくない場合があるわけで、なら自分だけでも気を付けようかな、と。

二番目のは、買ってくださった方への礼儀として……
「そんなに未熟な本なら、金とって売るなよ!」っていう突込みをされたくないので。


三番目のは、これは意見分かれると思うんですけど。
あんまり、自分を笑い者にしたくないんですよ。突っ込みを入れすぎない、というか、
馬鹿にしすぎないというか。

ただの謙譲ならいいんですけど、それが一種の韜晦として機能してしまって、なんか“
想い”が届いてこなくなるのが寂しいんです。
それとやっぱり、その作品が素敵だったら、その作者様にも“素敵な幻想”を抱きたいので。



……というようなことを考えつつ、「思い上がっている」様には感じられないように。
ってことになると…… 後書きってかなり難しい。
というか自由度がほとんどないような気分にすらなる。
でもまあ、それを乗り越えるのが楽しいと思うんですけどね。


“サークル「メモリー・メーカー!」は、その商品一覧を常に公表し、
その全てに品切れを出しません!”
……本当か?
これを公約するのはかなり致命的なことになりかねないんで、当面は努力目標と
いうことで……
でも気持ち的には、目の前で「欲しい!」といってくれているお客様がいるのなら、
49冊(あるいは999枚、とか)生まれる在庫については目をつぶる、ということです。

貫けたらかっこいいねえ。
だって、せっかく気に入った作家さんの、バックナンバーがあらかた売り切れてる
のって、やっぱむかつくじゃん。
SOLD OUT! って決して誇ることじゃないよな。
ま、うちは“メーカー”っていう位だしさ。製造業的・小売業的誇りを掲げても
いいんじゃないかねえ。




ヰタ・セクスアリス
ここらでちょっと一休み。
皆さんのなかで、恋愛物語とか性的なものを一番最初に意識したのって、何歳ぐらいで
何をみた時のことですか?
性的興奮とか、トキメキとか、どきどきしたとか、
幼心に、なんか不思議な世界を垣間見た気になった体験というのは。

藤海の場合、

“雪の女王”!

なのですが。
ロシア民話。小学生低学年ごろだったかなあ?
あのお話では、男主人公の子は女王に気に入られて、心を氷づけにされて北の宮殿に
さらわれているわけですけど。

あれがうらやましいなって、思いました(笑)
だって別にさらわれた後毎夜虐待されていたわけでもないし、帰りたがっているのを
むりやり閉じ込められている訳でもないし。やや強引な誘惑ではあったにせよ、
相思相愛の二人が、二人っきりで暮らせているわけじゃないですか!
で、その後に、妹だったか幼なじみの娘だったかが、それを「助け出す」ために
旅立つわけですけど、


『いやいいよ、助けに来んなオマエ』


とか言いたくなりました。当時。というか、(男)主人公を氷の宮殿から引っ張り
出すことの大義名分ってなんなんだろう。

何にしても、当時の私が「俺もさらわれたい、心を凍らせてもらいたい、雪の国へ
行きたい」と思ったことは確かで。
そして、同種の感覚のもう少し年齢が上がった段階での体験は、大長編ドラえもん
「のび太と鉄人兵団」
で、話が始まって40%くらいたった頃、リルルの正体が分かり、
「協力してちょうだい、あなたが気に入ったの。地球人の中であなただけ特別扱いしてあげるわ」

というようなセリフを言われるのですが、ここでもまた「ああ、それもいいなぁ」
とか思っていました(笑)


そんなことをつらつら考えていると、「俺って生まれた時からマゾだったんだろうか」
とか「俺、当時生きることに対して何か不満でもあったんだろうか」とか、いろいろ
不安な疑問が膨らむのですが。


ただ、このHPを含む私の一連の創作活動の原形が、すでにその中にある気がして、
それはそれで微笑ましいとも思うのですけど。


こんな話が読みたいし、書きたい
特に、Bullet の初期の方の作品を書いている時に、内部的スローガンにしていた
ものです。
当然どれもワード・バイ・藤海です


“強い想いがあって、それが叶う。
それが「物語」だ!”
“少年漫画的プロットの、少女漫画的演出による描写。
そんなことを小説でやってみたいんだ”
てなことを考えつつ、書いておりました。
なので、割と藤海の小説は「はっきり主人公がいて、その主人公は何かを求めていて。
そこへ行くのに、障害とか迷いとか葛藤とか、そういう物があって、」
という、ストーリーになりやすいですね。

そして、最後はハッピーエンドで!
まあ、その「ハッピーエンド」の概念は割と他の人とは違っていて、歪んでいたり
濁っていたりするんですが(笑)


“SFから科学を、ホラーから化け物をとりのぞいた
作品が読みたい。”
『何が残るんだ?』
って感じですけど(笑)
藤子・F・不二夫のSF短編集とかすごく好きなんですよ。雰囲気が。
SFとホラーって、良質な短編が生まれやすい土壌みたいなものがある気がするん
ですが、そういう強烈で印象的な心象風景のある話が好きだな、と。

でも、科学公証を真面目にやると、相対性理論と一遺伝子一酵素説のせいで、
スケールの大きな物語って、語り難いところあるし、恐さの対象として具体的な
化け物が出ていたり、痛い系とか虫系とか血系とかは、気分悪くなっちゃうし。

そうじゃなくて、不思議な世界に対する憧れみたいなものを満たして欲しいなと。
「ファンタジー」とか「ジュブナイル」とか言い習わすのかもしれないけど、それも
ちょっと違う気がするし。


“行ってしまいたいし、往ってしまいたいし、逝ってしまいたい。”
今のままの自分じゃ嫌で、でも望む自分にはなれそうもないか、望む自分をこの世界が
受け入れる隙間を持っていなくて、でも、そんな世界となんとか「折り合い」を付ける
気になんてなれなくて、「いつかもしかして」を我慢して努力して待つ気もない。

そうなったら、この世界をぶち壊してしまうか、自分の方がこの世とは別の世界に行く
しかない。
そういう抜き身な感覚を癒すような、そんな物語があったら幸せだなと。


一応、#4 でやってみるオリジナル小説なんかはこの後半の2つをフィーチャーして書いて
みようかな、と思ってるんですけどね。



孫子の兵法
割とごくナチュラルに思考パターンの基本プログラムになってますね。
最初に読んだのが思春期前だったから、思春期の間はずっと知っていたわけだし。
で、まああれはそのままだとピンと来にくいので、藤海流で意訳してみます。
藤海新書(笑)


  1. “勝っても得にならない戦いはそもそもしない!”
  2. “勝てない戦いはしない!”
  3. “可能な限り、相手に100%の力を出させない状態を作って戦う。”
  4. “欲しいと思ったら、虎視眈々。”
ざっくりとエッセンスを抽出したなら、こんな感じになると思います。
何が自分にとって重要なのかを考えて、どうすればより楽にそれを達成できるか考える。

自分の時間とエネルギーの最も効率のいいぶち当て方を考えよう、ということだと
考えられます。


“メジャージャンルのマイナーカップリングだから。”
これの出展元は、コミケのカタログのマンレポに載っていた一言なんだよ〜
しかし、資料が散逸してしまっていて、いつのコミケのカタログで誰さんの言った
言葉なのかが分からない状態なのですが。
コミケのスペース取りの抽選で受かるための秘訣。

あれのスペースって、たぶん「せーの」で抽選してるんじゃなくて、ジャンルごとに
(数に応じて)『枠』を決めていると思うんですけど。

「とらハには今回は 110sp」
「Fanta には今回は 60sp」

という感じでね。で、その枠の中で選別が行われると思うのです。
枠ごとの競争率の高低ってのはとりあえずおいといて。

なのでまず、「割と大きな枠の中にもぐりこむ」ことを考えると。
自分以外に誰も二次創作をやっていないような、知名度の低いソフトを持って来て
しまうと、『このサークルを受からせて、買いにくる人がどれだけいるんだろう』
てな観点から言って、当然落ちやすくなる。
少なくとも「その他ジャンル(一票系)」というなげやりなジャンル分け中で、競争率
は高いのに主張の説明は届かない中での『完全』抽選になってしまう。
これは効率が悪いと。

かといって、「メジャージャンルのメジャーキャラ」で本を作ってしまうと、掃いて
捨てるほど似たようなサークルがある中での抽選になってしまう。
「ああなるほど、こんなキャラの本もありだね」
「このジャンルの本で、こういうコンセプトは初めてだね」
ということいなれば。
110sp の中の一箇所くらい。シード扱いで開けてくれるかもしれない。

ということなんですが。
分かりますでしょうか。
ってことは、自分の趣味(ウリ)の中のどの部分を押し出していくか、
どうやって自分に注目してもらうか、自分をどう見せていくかのプロデュース、コー
ディネートのセンスが必要になる、と。

自分がどう見えるか、その枠組みの中での自分という物がどういうポジションに
なるかという視点ですよね。宣伝戦略はここから始まっている。アイドルグループの
中での各人の役割分担(お笑い担当、とか)や、サッカーとかバスケとかの試合での
ポジション争い……どう走ってオープンになって、パスをもらうか
そういう作戦を立てましょうよ、てわけです。



これ、考え方というか、感覚は、コミケのスペース取りだけにじゃなくて、結構
応用範囲広いと思うんですけどね。