二十歳までのわたし!

 

 熊本市内の黒髪町で生まれ育った私は、子供の頃から動物が大好きでした。

 

 自宅は、日本専売公社(現在、日本たばこ産業株式会社(JT))の社宅でした。子供の頃に飼育した生き物は、犬、ウサギ、ハムスター、ハツカネズミ、ニワトリ、ギンバト、ブンチョウ、ジュウシマツ、クサガメ、イシガメ、ミドリガメ、クワガタ、カブトムシ、ザリガニ、カエルなどなど。父が作ってくれた大きな鶏小屋に鳥たちやカメを飼育していました。

 

 私が両生爬虫類、特にカメが好きになったのは、この書籍「かめ、ルイス・ダーリング、ロイスダーリング著/山崎勉訳、19681001日発行、福音館書店=福音館の科学シリーズ29」からです。46年前の本ですが、今も大事に保管しています。プロフィールの観光でガラパゴス諸島に行ったのは、この「かめ」と言う本の51頁にある、ビーグル号航海記の記述の中に出てくる、チャールズ・ダーウィンが鞍型のガラパゴスゾウガメに馬乗りになっている絵を見てた時からです。2006年のガラパゴス旅行は、38年前の夢を実現したときでした。夢は、必ず叶えられます。

 

 さて、小学校の3〜4年頃のことです。夏、4時頃に父に起こされ、連れられて立田山に虫取りに行きました!つまり昆虫採集です。立田山には、森林総合研究所の九州支所があります。この実験林は立田山の南西側にあり、森林ミュージアム「立田山憩いの森」の一部として市民に親しまれていますが、毎朝、父が作った虫かごに一杯になるほどカブトムシやクワガタムシが捕れました。クヌギやコナラの木をキックすると頭上から沢山のカブトムシやクワガタムシが降ってきます。当時は、昆虫用の飼育ゼリーが無かった時代でしたから、虫たちはそれほど長生きはしませんでした。

 

 もう一つ、動物が好きになったきっかけは、テレビの影響です。「野生の王国」と言うテレビ番組がありました。

 『野生の王国』は、19631212日から1990921日まで毎日放送と東北新社の制作で全国放送された、動物をテーマにしたドキュメンタリー番組です。現在で言えば、ナショナル・ジオグラフィックに相当するのかも知れません。

 

 世界各地の動物の生態系について映像とナレーション、専門家の解説を交えて紹介されました。当初はアメリカの動物学者、マーリン・パーキンスの製作・出演によるアメリカの人気動物番組、"Wild Kingdom"の日本語版として放送が始まり、初期は元番組のフィルムを使用し、ドキュメンタリー部分の前後に登場するパーキンスによる司会の吹き替えも八木治郎が行う形を取っていましたが、次第に独自製作に移行されました。米国製作や国産の映像にくわえてBBCなど欧州局製作の映像も盛んに紹介するようになりました。ディスカバリーチャンネルが取材した映像が放送されたこともあります。中期にはナレーターの八木と上野動物園の名園長であった古賀忠道(監修者)ら動物の専門家との対談によって動物を解説し、この様式は八木の急逝後も踏襲されました。(ウィキペディアより)

 

 野生動物を守りたいと思った一番のきっかけは、映画「野生のエルザ(1966)」です。この映画を観てアフリカのゲーム・ワーデンになりたいと思いました。

 

 「野生のエルザ」のストーリーは『ジョーイ(ジョイ・アダムソン:ヴァージニア・マッケナ)は、ケニヤの北高原の監視官ジョージの妻で、ある日3匹のメスライオンの子を拾い、育てることにした。その中でいちばん小さいエルザをとくに可愛がった。地方行政官の忠告のように、大きくなったときの野生の恐ろしさを思わないでもなかったが、ジョージが病気のときは枕元で一晩中見張りをすることもあった。ある夜、象の大群が集まったとき、エルザは一目散に逃げ出し、作物をひどく荒らした。行政官もこれが最後だといった。大きくなりすぎ、野生もあらわれてきた。ジョーイは考えた末、エルザを自由にしてやることに決めた。だが雄ライオンの傍に置いてみると、慌てて車の方に飛んで帰って来た。他の動物を殺すことを教えようとすると、カモシカと遊ぶような始末。一週間野に放してみたが、結局餓死寸前のところを発見された。こうなると、動物園に送らざるを得ない。だが……繁殖期に入ったある日、エルザを遠くへ運んだ。雄を争いメスライオンと激しい取っ組み合いをやりエルザが勝った。本当の野生にかえったのだ。ジョーイは嬉しいと同時に、もうエルザには会えないのでは、と淋しかった。一年間が経って、二人はエルザを残したところへ来てみたが、一週間過ぎてもエルザは現れなかった。帰ろうとしたとき、遥か彼方からエルザがやってきた。3匹の子孫を従えて。子供まで連れてくるとは。エルザはジョーイの側に人間が抱擁するような形で足を置くと、懐しそうに体をこすりつけたり、手をなめたりしていた。エルザの子供たちもまわりに集まった。近くでライオンの吼える声が聞えた。エルザの旦那だろう。短いめぐり合いだが、エルザもこれからは本来の野生に戻るだろう。』(ウィキペディアより)

 この映画の最後のアダムソンのナレーション「野生の子は、野生のまま生きるのが一番いい!」は、最高のフレーズです。

 

 中学校の頃に、「野生のエルザ」を観て、アフリカ・ケニアの日本大使館へ手紙を出しました。ゲーム・ワーデンになるにはどうしたら良いかと。返信は、一向に届かず、2年後の忘れた頃に返事が届きました。ケニアの乞食でさえも英語を堪能に話すから英語は不可欠であること、そして手紙には、神戸俊平さん(写真)と小原秀雄さんが紹介されていました。小原さんに手紙を出しましたが、結局返事は来ませんでした。

 

 私は、勉強が嫌いで全く勉強をしなかったので、中学の頃に家庭教師を付けられ、先生からの熊本県の最低レベルの高校か動物が好きだから農業高校はどうかと勧められました。結果的には、両方合格し、熊本県立菊地農業高校畜産科に行きました。農業高校は、自営者養成校で、男子は1年間寮生活、女子は半年の寮生活が必要でした。私は、結局、3年間寮生活をしました。農業の自営者養成校でしたからサラリーマンの子は、私だけで同級生に良くいじめられましたが、卒業する頃は、友人も多くなりました。

 

 卒業する頃、父から大学程度は、出ておく必要があるとのことで、高下駄を履かしてもらい推薦入学で、日大農獣医学部(現在:日本大学生物資源科学部)の拓殖学科に進学し、東京暮らしが始まりました。

 ここから先は、プロフィールにあるとおりです。

 

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