フリーマンの随想

その51. 株主総会の時期にあたって


* 取締役、監査役に選んではならない2種の人たち *

(JUNE 9, 2003)


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 私のような者でも、少々だが、幾つかの日本の代表的な企業の株式を持っている。  6月になると、それらの企業から一斉に、決算報告書と株主総会の開催通知が送られてくる。  その多くに取締役や監査役の改選の議案があり、返信用ハガキで、株主である私に賛否を訊ねている。

 私はいつも二つの基準で賛否を記入して送り返している。 一つは、10年以上前に大銀行の役員であり 、その後退任して、取引のあるこれらの会社の監査役などになっている ( なろうとしている ) 人たちかどうかである。  もう一つの基準は候補者が70歳以上であるかどうかである。  この二つの基準のいずれかに該当する場合は、私は躊躇なく 「 否 」 をつけて送り返す。 私ごとき零細な株主が何を言っても、 採決に対しそよ風ほどの影響も与えないことは分かり切っているが、これは株主の権利どころか、大切な義務だと思ってそうしている。

 今、多くの銀行の経営者たちがその無能さと失敗を問われ、経営責任を追求されている。  常識的に考えれば確かにそうだ。  しかし、私は、以前にも書いたように、現在の銀行経営者たちは、一面では気の毒な被害者だと考えている。  10年から20年前、まだ彼らが働き盛りの中堅幹部だった頃、銀行の経営の中枢にいた、現在60代後半、あるいはそれ以上の年齢の 大銀行幹部たちこそが、無能であり、失政を問われるべき 「 A級戦犯 」 なのだと考える。 現在の、天文学的な、 あとからあとから出てくるあの不良債権を作って、わが日本の経済を失速させてしまった責任者は、まさに彼らなのである。

 一方、現在の銀行経営者たちは、バブルの頃は 「 A級戦犯 」 たちの指示に従って夢中で不良債権づくりに励み、今、その尻拭いに追われている人たちである。  自業自得とも言えるが、一面では被害者とも言えるというのは、そういう意味である。 つまり、彼らはB、C級戦犯である。  ところが彼らの上司だった 「 A級戦犯 」 たちは、 淋しくなりかけた銀行の財布の中から莫大な退職慰労金まで受け取り、 その後も社会から糾弾もされずに名誉顧問だの特別顧問だのという待遇をもらい続けて今も安穏に優雅に暮らしている。  中には、上記のように多くの一流企業の名ばかりの監査役などを務めている人たちもいる。  こんな連中を許してよいわけがないではないか

 実名は言わないが、某大銀行のトップを長年勤め、退任後も実権を振るい続けた人がいる。 バブルのはじけた後、 巨額の不良債権と注入された公的資金とを前に彼がこう言ったそうだ。 「 俺が社長を続けていたら、こんなことにはならなかった 」 と。  これは、その銀行の役員だったある人が、5年ほど前、私にそっと耳打ちした話だから本当の話だ。 冗談じゃない。  バブルの始まる前からはじけ終るまで、彼は実権を握り続けていた男である。  いくらでも、後輩たちに 「 もっと慎重にやれ 」 と忠告ができる立場だったのだ。

 この種の無責任な人間やその亜流が、今もなお、日本中の大企業の経営陣の一隅に居座っていることを許すとは、 日本社会の寛容さも度を越しているとしか言いようがない。  そこで結論その1である。  彼らに何らかの地位を与えようという議案には、断固×をつけるべきだと、私は提言する。

 次に70歳以上かどうかである。私自身が70を超えたから分かるのだが、 もうこの年代は経営の第一線を退くのが倫理的な要請である。  体力だけでなく、すべての能力が衰えてきているからでもあるが、理由はそれではない。  「 私はまだ衰えていない 」 と強弁する連中も多いからだ。  彼らにはこう言おう。 個人企業の創業者ならともかく、サラリーマン重役は、若い気鋭の後継者を育てては、 次々に彼らにバトンタッチして企業の活力を維持して行くことが大切な社会的責任である と。

これを怠ると、社内には次第に倦怠感と無力感が蔓延し、気づかないうちに優良会社が衰退の道をたどることは、 何度となく歴史が教えている。 どんなに高い能力と高潔な人格を備えている人でも、 最高権力の座に10年いたら飽きられる。 そして20年それを続けたら人望と信頼を失なう。 その背景には、以下に述べるような、 日本独特の経営体制の実態があると、私は考えている。

 すでにご承知の方も多いだろうが、私は、恥ずかしいことに、取締役に選ばれ、慌てて本を買って読んで勉強するまで、 「 取締役 」 とは、従業員を取締まるから取締役というのだと思っていた。 ところが、その本には、そうではなくて、 社長以下の役員たちを取締まる役目だから取締役というのだと書いてあった。 かえってわけが分からなくなったのを今も覚えている。

 その後、米国に駐在して仕事をし、米国の会社の実情を見聞して、はじめて本当の意味が分かった。  米国では、企業の外から選ばれた ( 社外 ) 取締役が、経営を実際に執行している社長以下の執行役員 ( operating officer ) たちの仕事振りを、株主に代わって監督し取締まっているのである。

 彼ら取締役はその会社の社員ではなく、普段は別の職場で別の仕事をしており、その会社には時々集まるだけである。  一流企業の場合は各界の一流の人物を選ぶし、地元の中堅企業の場合は、地元の各界から名士たちが選ばれる。  社内から選ばれる取締役もいるが、数は少ない。

 一方、常勤の社長以下の執行役員は、経営のスペシャリストではあるが取締役ではなく、取締まられる人たちなのである。  取締役を兼任している役員もいるが、少数であり、原則として両者は別人である。

 ところが日本では社員が出世すると取締役になり、同時に経営の執行役員にもなる。 その最終の終着地点が社長である。  したがって社長は実質的にCEO 「 最高経営責任者 」 とCOO 「 最高執行責任者 」 とを兼務している 注1 だけでなく、 同時に取締役中の最上位者でもあり、通常取締役会の議長 ( Chairman of the Board ) をも兼ねている。

 なんのことはない。 取締まる者と取締まられる者とが同一人なのである。  例えてみれば、受験生が試験場の監督や採点者を兼ねているようなものである。 その気になれば何でもできる。  実質的には他人により取締まられないのだから、ダスキンの社長のような悪事だってできる。 ところが、米国式では、 社内から選ばれた執行役員は 「 受験生 」 であるに過ぎないから、ひたすら真面目に勉強し、良い成績を上げることに邁進する ( これはシステムがそうだということで、米国では執行役員は悪いことをしない人たちだなどと言っているのではない )。  もちろん、成績がよければ、彼らは莫大な給与を貰う。

 一方、「 試験場の監督兼採点者 」 である取締役は、上述のように殆どは社外から来た人たちである。  これらの取締役たちは 「 受験生 」 がよく勉強し良い成績を挙げたか、カンニングをしなかったかなどと厳正に評定して、 学校側 ( つまり株主 ) に報告するのが仕事である。 もちろん、意に適わなければ、直ちに社長ほかの執行役員をクビにする権限もある。  実際、ある日 社外取締役たちが集まって相談し、社長をクビにし、 よそから替わりの社長を連れてくるなどということが珍しくない。 ここが日本とは根本的に違う。

 日本の取締役は、受験生であり出題者であり、試験場監督であり採点者でもある。 万能の神である。 すべての権力を手にしている。  世間一般の常識から見れば 「 企業倫理にもとる 」 ような言動をしても許されると考える 「 驕り 」 が、そこから生まれる。  ばれたり訴えられたリしない限り、あるいは業績をひどく悪化させたりしない限り、 彼らは思いのままに何でもでき、何でも許されてしまう。 特に、社長を辞めさせる権限は通常の大企業では実質的には誰にもない ( 昔、三越の岡田社長が社内・社外取締役たちの結束によりクビにされた事件は、例外中の例外である )。  だから、一旦社長になれば、その先の実力会長の時期も含めて、 何歳になっても居たいだけその会社のトップに居座ることができるのである。

 日本の会社にも、監査役という制度があり、建前上は米国における取締役のような仕事をすることになっているが、 日本ではその監査役を選び、また辞めさせる権利も、何と実質的には社長が持っているのである。 だから、 自分に都合のわるい人を監査役に選任したりしない。 結局、意欲は有っても十分に監査機能を果たせない監査役も多いようである。

 日本でも、この数年、執行役員と取締役とを分けてみたり、社外取締役を少数置いて見たりしているが、 米国式を形だけ真似てお茶を濁しているに過ぎず、すべての実権は相変わらず代表取締役社長 ( または会長 ) 一人に集中しており、米国式のような真剣さ、緊迫感は生まれにくい仕組みになっている。

そこで結論その2である。 厳しい真の社外取締役が居ない以上、株主が、 社長以下の取締役兼執行役員を取締る責任と権利を行使するしかないのである。  その手始めに、70歳以上の人間を役員に選任しようという議案には 断固×をつけるべきだ と、 私は考える。 経営の垢を定期的に落し、清新な若手経営者に実権を順調にバトンタッチして行くために、 皆様もこれに同調してくださるよう、ここで提案する。

 注1:JMR生活総合研究所 マーケティングサイト (www.jmrlsi.co.jp/menu/yougo/my08/my0815.html) より:   CEO( Chief Exective Officer ) とは 「 最高経営責任者 」 で、経営方針や企業戦略の決定を行う人、 普通は会長あるいは社長を指します。  COO( Chief Operating Officer ) は 「 最高執行責任者 」 で、CEOの決定したことを実践していくための責任者のことを指します。   米国企業で定着している役員の職務分担で、CEOが企業グループ全体の戦略決定や対外折衝を担い、経営の最終責任を負うのに対し、 COOは決められた戦略に従って運営面の実務を行います。 米国では会長がCEOを、社長がCOOを兼務する場合が多いが、 取締役と執行役員を区別するため、COOが取締役でないケースもあります。   日本企業では社長が実質的にCEOとCOOを兼務しており、会長は商法上の代表権を持たない場合もあります。 近年は、 日産自動車などがCEO、COOを導入、ソニーも会長兼CEO、社長兼COOという呼び方で採用しています。 また、両社ともに、 CFO( Chief Financial Officer )「 最高財務責任者 」 というポストを設定、ともに副社長がその役割を担っています。

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