フリーマンの随想

その11. 日本の銀行について考える(その2)

*銀行の首脳部の心にその良心を問う*

(10.20.1998)および(4.26.1998)

後半は当初 ( その1 ) に載せていたものを移したものです

いまだに権力の座に居坐る過去の戦犯たち(10.20.1998)

最近またまた理解に苦しむ報道が、ある都市銀行に関してあったので、 その頭取に書状で質問と抗議を行ったところ、 専務取締役の方から丁寧な書状が届き、書面では意が尽くせないから私の家まで来て口頭で説明したいという。 時節柄超ご多忙の方にそんな事をして頂いたのでは痛み入る。 私は時間は売るほど有りますからと、 こちらが東京のオフィスまで出かけて行き、お目にかかって質問と抗議を繰り返してきた。

まさか私をあら手の総会屋と誤認したのではないと思うが、この銀行などは私が ( その1 ) およびこの後の話に記した二つの銀行に比べたら、 よほど 「 常識のある応対 」 というものを心得ている銀行だと思い、その点は高く評価したい。

典型的なエリート銀行員である紳士的な彼との当日の対話も決して不愉快なものではなかったが 「 やはり、銀行の内部の人というのはそういう物の考え方しかできないものか・・・ 」 という、やりきれない思いが胸にひっかかったまま、家路につかざるを得なかった。

まあ、彼が仮に私の意見に対し内心は賛成であったとしても、立場上 「 その通りです 」 と言える筈がないから、本当の所はわからないのではあるけれども・・・。

今日はそのあたりを、以下に簡単に述べてみたい。主な私の論点は、日本の大銀行といわれるところまでもが、 今、グループ内の裕福なメーカーその他から金を融通してもらって増資を行ったり ( 銀行というのはメーカーに金を融通するのが役目なのに、これでは逆だ ) それでも自己資本が不足するので、公的資金にすがったりしているが、その自己責任としては 「 海外の支店をいくつ閉める 」 とか 「 行員をいつまでに何千人削減する 」 というような話ばかりで、 このような事態を招いた戦争犯罪人すなわちバブル時代のトップたちの責任については、 あまり言及しようとしないが、なぜ弱い者いじめばかりするのか? という点にある。
( この銀行だけではない。たとえば野村證券が新しい営業方針が原因でごく最近数千億円の損失を出したが、 このケースでも責任役員の降格や全役員の報酬一部カットくらいしか経営者は責任を取らないのに、 従業員は国内だけでも2千人削減と発表している。)

「 あなたのような現在の経営陣は、 むしろ彼らに自分の会社をこんなにされてしまった被害者なのではありませんか? 」
「 あなた方は、当時彼らの命ずるままにに夢中で働いただけでしょう? 」
「 それなのに、バブル時代のトップたちの放漫な経営の尻拭いをあなた方は今やらされ、 世間からも厳しく指弾されています 」
「 一方、彼ら戦犯たちは今もなお相談役や顧問という肩書きを手放さず、 中には驚くべき事に他社の監査役や社外取締役などをやったりしている者も居て、 種々の厚遇を受け続けています 」
「 最近彼らの一部が相談役の肩書きや銀行からの報酬を辞退したとの話も聞くが ( その程度のことで済む話と思っているのか? ) 一方では依然として経営や人事に口出しをしているとも報じられています 」
「 彼らは責任を感じていると思いますか? 彼らが居坐る理由は何ですか? 」
「 彼らが率先、明確に責任を取ってこそ、困難な行員削減も実行可能かと思うのですが 」( 以下略 )
もっとも、最初の3つの指摘を素直に肯定するようでは、経営者として失格であろう。

私は彼に何も約束しなかったが、彼が私に何と答えたかをここで書く事は 「 信義 」 というより 「 仁義 」 に反すると思うので、できない。彼が私の言う事に仮に賛成だとしても、 賢明なエリートの彼には立場上それは絶対に言えないし、 また、仮に戦犯たちを追放しようと考えても、その力が今の首脳部たちにはないことも、 私だってよく理解できる( 米国の制度なら社外取締役たちが即刻彼らの責任を問い追放するのだが )。 彼は私の質問にはおおむね具体的には答えず、ひたすら自らの努力を説明し私に理解を求めた。

私はここで、最後にもう一度だけ、彼を含む現在の日本の銀行の幹部たちに言って置きたい。 あの戦犯たちは、とにかく、昔、功労、業績があったからこそ、 かつて、あの地位まで登り詰めたのであろう。しかしこれだけの経営破綻( 正確には寸前? ) の直接的責任者である。( 中には、バブル期にはもう相談役になっていた者も居るようだが、 当時経営に大きな影響力を持っていたとすれば、等しく責任がある。 「 自分が社長で居続けたら、 あんな放漫な貸し付けはさせなかった 」 と、ある高名な相談役が言ったという話を、 最近、ある信頼できる人から聞かされたが、これほど厚顔無恥な発言はない )。

一業のトップ経営者と言われる人に幾つもの大きな功績が有るのはあたりまえである。 だからこそ人並みはずれた厚遇を受けるのだ。しかし、過去にたとえ幾つ大きな功績が有ろうとも、 屋台骨を揺るがすような重大な失政を一つしたらその厚遇をいっさい辞退して野に下るのが 「 将たる者 」 の心得であろう。 世間で銀行業界の長老と言われているこれらの人々に、 今、いわゆる 「 モラルハザード 」 が蔓延していることこそが現在の日本の問題なのである。 戦前には、いや戦後にだって、いさぎよく、責任感にあふれ、 名誉を重んじる清廉高潔なリーダーたちは多少は居た。 今は民間企業にも、官公庁にも、政治家にも、心の腐った人たちばかりが目に付く。

頭取も主任調査役も世間を誤魔化そうとする銀行(4.26.1998)

2月下旬に全国銀行協会連合会の会長である東京三菱銀行の岸暁頭取が、毎日新聞とのインタビューで、 銀行員の給与水準は高すぎるとの批判に対して 「 銀行では50歳過ぎで辞める人が多く、 生涯賃金は製造業と大差ないとの統計もあり・・・ 」 と答えたと同紙に報じられた。
だが、多くの銀行員が50歳過ぎで辞めるのは、融資先その他の企業、機関に職を見つけてもらい、 移籍されてその後も ( 65歳くらいまで ) 働くために辞めるのである。 辞めさせられて自分で新しい職を見つけるのならともかく、見つけてもらい、 移籍されて働くのだから 「 生涯賃金 」 とはそこまでを含めるべきなのは当然である。 それなのに、まるで 「 銀行員の多くが50歳過ぎで辞めさせられその後無職になり収入が途絶える 」 としか受け取れないこの発言は世間をごまかそうとする卑怯な言い逃れであると私は思った。

そこで、全銀協にその真意を質したら 「 会見は東京三菱銀行の方でとりしきっているから、 そちらに言ってくれ 」 との事 ( 全銀協の会長としての記者会見だった筈なのに、変な団体だ。 まあ、いいや )。 そしてこの銀行のCS推進室お客様サービスグループという部門を探し当て、 質問状を送って説明を求めた所、一人の主任調査役が電話を掛けてきて 「 あの50歳過ぎ・・・というのは、銀行の定年が55歳だということを言っているのです 」 と答えた。 よくまあこんな見え透いた嘘がつけるものだと怒り心頭に発した私が、 再度この部門の責任者に抗議文を送ったら、返事の電話が来て、10分ほどの議論の末、 ようやく頭取の発言についての私の反論を肯定した。 しかし、彼が 「 なぜそんな事を追求するのか 」 というような態度で返事をしたり、果ては 「 私だってリストラされかかっているんだ 」 などと言い出す始末で、私はもうほとほと呆れ果てた。

どうして銀行の人たちは上から下までこういう 「 その場しのぎの言い逃れ 」 ばかりするのだろう。 私は給与水準というものは業界ごとに違っても構わないと思う。 横並びに揃う方がむしろおかしい。 今銀行の高い給与水準が批判されているのは、総会屋に多額の献金をしたり、大蔵省の役人を接待漬けにしたり、 バブル時代に放漫な貸し付けをして巨額の不良債権を作ったりした業界が責任者の処罰もろくにせず、 高い給与水準を維持しているからであって、 もし銀行が清廉な業界であるなら「 私たちは高い給与に値する立派な仕事をしております 」 と堂々と言えば世間はそれを認めると私は思う。

[ 付 ] その後3月15日付の 「 サンデー毎日 」 26ページに私の反論と全く同じ趣旨の記事が掲載された。 「 日本の銀行について考える( その3 )」を書きましたので、 続けてお読み下されば幸いです。

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