縮刷版99年12月下旬号


【12月31日】 実は同い年だったりする尾崎豊の活動を振り返る年末らしー特番を見ていたらすでに時刻は朝の3時。同時代だからって決して熱心なファンだったわけじゃなく、むしろ同時代だからこそ高校を出て大学に入り温い生活を続けやがて社会人となることが見えていたからなんだろー、尾崎豊のいつまでも「学校」「反抗」といったものをキーワードに歌うスタンスに限界を感じ、どうなるものかと冷ややかに見ていた口だから、番組を見て涙を流す懐かしむ悲しむといった感情は湧かなかった。それでもやっぱり同時代故に共通して抱ける気分としての反抗を代弁してくれていたってな評価はあって、そこから抜けずやがて絶対に抜けられなくなって永遠に身をゆだねた尾崎豊を、半ば羨ましく思う気持ちもあるから素直じゃない。たぶん永遠にそんな愛憎入り交じった感情で、自分は尾崎豊かを思い見、聞き続けるんだろー。歌うことはたまにするけど聞きたいかい? あいらーびゅー、うーん声、もう出ねえや。

 そんなこんなで寝て起きたらすでに昼、1900年代最後の日のすでに半分が過ぎてしまっていたわけで、そう考えるとこれからすることはすべてが1900年代最後の行為ってことになりかねず、途端に見がギュッと引き締まる……訳ないや、いちいち気になんかしてたら生活なんかできないもんね、だから静岡へと送るオタク産業廃棄物を郵便局へ持っていった時も、帰りにコンビニで「緑のたぬき」の特別版を買った時も百貨店の食料品売り場で元旦からしばらく喰いつなぐ食料品を買い込んだ時も、これが最後の郵便局であったりコンビニであったり百貨店だなんて思わなかったなあ。もしかするとあと50年くらいたって死ぬって時に思い出すかもしれない、あの時自分が何をしたかってなことを。うーんそう思うとせめて百貨店の食品売り場では、シーチキンじゃなくカニ缶買っておけば良かったかな。

 いやいや残りはまだ数時間あるってところで、妙な具合に仕事が絡みそうな気鋭の哲学研究者にして「うる星やつら」ファンだったりした東浩紀さんやら、漫画家の砂さんやらが集まっている集会場へと潜り込んで異論反論オブジェクション、やがて到来した伊藤剛さんムネカタさんトモミチさん我執院さん他その筋では有名な方々が集う場所で2000年の到来を迎え、あるいは2050年くらいに東浩紀さんがノーベル文学賞でも受賞したら、それとも2012年くらいに砂さんが手塚治虫文化賞でも受賞したら、自分は2000年をそんあすっげー人たちと迎えたんだと弟の息子のそのまた子供をあいてに自慢できるかもってほくそ笑む。孫? 嫁だっていねーよ絶対に。とはいえサル漫な評論家の竹熊健太郎さんをして訪れた冬を目前にした冬を飛び越す春だったりするから分からないんだけど。

 しかし2000年を迎えた瞬間がかくも偉大壮大また怪大な面々と一緒にいたってことで、ここ1年ちょいの東ストーカーとしては最善最良の瞬間だっと深く感嘆、あまりに最高最大だったんで思わず自分の手持ちのタカラ謹製”メチャはやカメラ”の「ポケピィ」で撮影までしてしまいました。スキャナーが使えるよーになったらお見せしたいくらいの写真なんだけど、無理なんで想像して下さい、かのランディ・ジョンソンがリハビリに使ったと言われる「ボディ・ブレード」で健全な魂を宿すための健全な肉体作りに挑む哲学研究者の姿ってのを。まるで手品師スプーン曲げ師みたいな面もちなんで紹介すると某「AERA」の表紙撮影を見に来た朝日社内の若手女性社員が憤ること必定。アカデミー賞でも受賞した暁に公開させて頂こう。

 伊藤剛さんとはそうだな「ロフト・プラスワン」でのコミケを題材にした砂さん東さんあたりを交えて白熱したトーショウの時に会場の後列からストーキングして以来の対面で、過去にさんざんっぱら言及して来た関係で何かつっこまれる可能性もあったかなあ、なんんて過去の記述を頭の中で反芻したけどトリ頭ここにきわまった感じもあって思い出せない。本人からは「コミックGON」での「かがみあきら」特集に関して書いたことへの異論を寄せられたんだけど、うーんなるほどウロ覚えでは(読み返せよ)確か今どきどーしてってな感じのキツい事を書いた記憶は確かにあるが、相変わらずの八方美人ぶりを発揮してしっかりフォローもいれてよくやってくれたと書いていた、よーな気もしないでもないけどさてはてうーむ。そーいったどっちつかずの空中浮遊ぶりはやっぱりマズいのかなあ。

 それでも2000年に入って時を経ずして始まった天下無双の哲学研究者とまだ10代の若者との論争の激しさに実直に物事を見ることの素晴らしさなんかを感じたり。だって「スムージー」って牛乳を素材にしたシャーベットっぽい飲み物について真夜中なのに熱く激論するんだから、って違う? 「スムーチー」? 坂本龍一のアルバムについて? すいませんおじさん勘違いをしておりました。けどエスタブリッシュメントなメディアの引き合いひきもきらず、すでに博士なんで残すは大臣ってな立場にあるにも関わらず、相手が10代でも容赦なく熱くなれ、かつ2000年が始まって早々に「D4プリンセス」のエンディングを見て「ドリルがルンルン」などと踊りながら楽しがれるその振る舞いぶりに「漢」を見た思い。でなきゃ当方みたいな出自も妖しければ中身もその場しのぎの「適当」を旨とした当方が、かかる記念すべき瞬間をともに迎えるはずがない。いやはやなんともいとすさまじき夜が過ぎていきました。

 とかやってるうちに朝が来たんで、ファミレスへと向かうご一行様から離れて1人目白駅から高田馬場を経て西船橋経由で帰宅。帰りがけに「闇色の戦天使」と同じ「ファミ通 えんため大賞」を優秀作で受賞した荒井千明さんの「アンダートラップ」(アスキー、640円)なんかと途中まで読む。武装を許されたガードマンになった男が受けた依頼、それはソフト会社で暗号の開発に携わっていた少女が自分を守ってくれと頼まれたものだった、ってな聞いたこと読んだことのありそーな話だっったけど、いわゆるパッケージとしての「ヤングアダルト」の中でも異色と思えるくらいに字数の多い小説で、1ページに開業が3箇所くらいしかなかったりして、読むのに結構時間がかかる。まあ時間がかかって当たり前なのにも関わらず、兵隊の号令よろしく改行に改行を重ねた小説が横行してるって訳で、そんな意味でも潔さやら熱意は感じる。あとは物語自体の面白さなんだけど、解説の久美沙織さんがメタフィクションってなことも書いていて、このストレートにハードボイドド、だど(by内藤陳)な小説のどこがメタなんだと妙な興味も覚えてる。感想は読み終えてからだけど、すでにして新年の夜明けはもー過ぎた、なんで眠いんでまた後で。


【12月30日】 洗濯とかしたいのに起きたら午前11時なんで面倒になって家を飛び出し青山へ。場所が解らない中を本屋で地図など確かめながら、畑があるアパートの車入って来るな柵の脇をすり抜け裏通りから何とかかんとか「Nadiff」へ。いきなり飾ってあった「DOB」バルーンがここだと告げている「HIROPON SHOW」は狭いながらもたくさんの関係各位な作品が並べられ掲げられて、これがアートと知らない人はもしかするとお絵かき図画工作の発表会かと思うかもしれないくらいの雑多ぶりが「らしさ」を感じさせる。目に飛び込むのが村上隆さん関係の作品であることには間違いないけど、次に入ったのが足を裏からアップにして人間を撮った写真のシリーズで、妖しい風体のグルとしてはおもわず足裏診断などしてあげたくなりました。でも足裏診断ってどーやるんだろ? 生命線とか読むのかな、あと土ふまずの深さ長さウツクしさとか。

 人気なんだねぇタカノ綾さんの作品は結構な数が売れていて、大きい奴は2点とも売れてて1万円のA4だかB4だかのサイズの絵も半分くらいは赤い丸シールが貼ってあって、数えたら9万7000円分くらいが開幕3日で誰かにちゃんと買われてた。アーモンドみたくネコみたく両端のとんがった目をしたむくれ顔のスレンダーな少年少女を描いたタカノ綾っぽい作品から売れていくなあやっぱ、けど「ショイエルという名の星」と題されたフエルトを貼って作った作品の方が個人的には欲しまり度が高く、健忘症極まって忘れてしまったそのすぐ上に飾ってあった、こちらはフエルトでタカノ顔が作ってあった作品ともども、SFから題をとった作品として、「大森望関係お断り」には該当しないまでも普通以下くらいにはSFな人間として、揃えて購入したくなった、金さえあれば。2点で2万4000円、お年玉もらったSFな人は3日から再開される「Nadiff」にGOだ。

 「鳩よ!」のリニューアル第3号と「広告批評」の2000・01号をいっしょに購入、したけどどっちがどっちだか区別に苦労するくらいに雰囲気が被っているのが面白いってゆーか気味悪いってゆーか。こーゆーメジャーにカルチャーの先っぽを行ってる雑誌が、例えば「鳩よ!」が「特集アニメ世代の心のゆくえ」と銘打って、庵野秀明さん萩尾望都さん佐藤嗣麻子さんの対談やら村上隆さん斉藤環さん香山リカさんの対談を掲載したり小谷真理さんの萩尾望都論を掲載すれば、こなた「鳩よ!」でも同じく村上隆さんが登場して絵を描き、巽孝之さんの評論とコラボレーションしたり、東浩紀さんのメディアに関する文章を載せたり、奈良美智さんへのインタビューを載せたりと、こーゆー形容が誤解を招くのは承知の上で、「権威筋」と認められたサブカルでオタクな面々をごっそりと取り込んで来ているのが気にかかる。

 昔だったら単純明快、僕のやってるオタク的な趣味なり行為は正しいんだよ、だってメジャーな雑誌がこんなにいっぱい取りあげてくれたんだから、ってな感じで雑誌への「僕たちの代弁者」の登場を素直に喜べたんだろーけど、登場している面々が何とゆーかオタク層の上澄み? 違うコア? でもないやっぱり「権威筋」ってゆー表現が近いんだろー、ご本人たちの活動とか意志とか目的とかとは無縁なところで、メディアが有り難がったり指標にしたりするために設定する「レベル」なり「ラベル」に適合した人たちばかりが、何度も繰り返し登場させられる状況が、何でもありな状況に1本背骨を通して肉付けをして固めてしまっているような気がして身構えてしまう。博報堂の「広告」も同種であとは河出書房新社の「文藝」なんかも混ぜたいけれど、こーいった傾向の雑誌であんまり唐沢俊一さんの名前を見た記憶がないんだよね、気付いてないだけかもしれないけれど。

 SF評論でも巽さん小谷さんの名前を目にする機会が圧倒的に多いし、やっぱり固まってるってな印象が先に立つ。じゃあ「SFマガジン」に村上隆さんなり東浩紀さんなりが登場するかってゆーと、なんか雰囲気そぐわなさそーだしそれより以前に読む人たちが「いったい誰?」的反応でもって身構えてしまうよーな気がする。はたして「SFマガジン」連載中の唐沢俊一さんの連載ってどこまで「SFファン」に届いているのか、ってな疑問も実は抱いてたりするんですが。鶴田謙二さんを表紙に起用して連載陣にもズラリと新鋭をそろえてSFを根底に起きながらもジャンルのクロスオーバーを画策しよーとしている雰囲気のある「SFマガジン」と、オタクとかつてならパージされただろーアイティムを採り入れて来ている「鳩よ!」やら「文藝」ってな雑誌との、目指す目標は似ていてもスレ違い交差しないあたりに、何でもかんでもゴッチャに楽しみたい(ジャンル分けしたりそのための言葉を考えるのが面倒なだけってこともありますが)自分として、苛立ちをおそらく感じるんだろー。それぞれに確固たる信念を持ってる両陣営から見れば単に天の邪鬼な蝙蝠野郎の身勝手な粋がりに過ぎないんだけどね。

 記事では「鳩よ!」で香山リカさんと対談している宮台真司さんが何ともサラリと「エイズ試薬で陽性が出たとき、一挙に毎日が輝きましたよ」と言っているのが凄いってゆーか何とゆーか。事実か否かは別にして、そーゆー以前なら一種の「死刑宣告」でありかつ差別の対象となりえただろー言葉を、雑誌の場で言い流してしまえる雰囲気が、第1号患者の発見からおよそ20年近くが経ってよーやく醸成されて来たのかな。あと庵野さんが「残酷な神が支配する」がいつまで続くのかを気にしている態度に、およそ1000万の「残酷」ファンと同じ心理の持ち主なんだよ同類なんだよってことが解ってちょっと嬉しい。僕はねえ、最近の3巻くらい買ってないんですよ、ラストが出たらまとめて読もうって思って、でないとほら、イラついちゃうでしょ。あと「スター・レッド」にも影響受けてて主人公が好きってところも。しかし庵野×萩尾×佐藤対談で「彼氏彼女の事情」への言及が何だか不思議、経歴でも触れられてないんだよね、どーして?

 買ったよ神野オキナが満を持して現した”デビュー作”「ダークネス・ウォーエンジェル 闇色の戦天使」(アスキー、640円)を。イラストが「どきどきポヤッチオ」で雰囲気のある絵を店まくってた近藤敏信さんで描かれた女性陣が皆一様に「巨乳」なのもホント趣味に合ってます、たぶん作者の。とりわけ口絵の見開きで両手で頭上に剣を構えた弓真鏡歌ちゃんの、両脚のふんばりぶりとか体にフィットしたコンバットスーツの胸ぶぶんのポッチとか、眼鏡っ娘だし。詳しくは読んでからにしたいけど、銃器へのこだわりとかアクションの巧みさとかは、どこかの誰かと案外に共通しているのかも、って作者自身があとがきで「再デビュー」って言ってるんだからどこかで読んだ記憶があって当然なのかもしれないけれど、ともかくも新しい舞台に登場し、強力なイラストも得た沖縄出身と前に「えんため大賞」の発表会の時に見たプロフィルに書いてあった神野オキナ氏の、活躍を期してここに紹介しよー、キスしたくなる頭を持っていることも合わせて。後はファミ通文庫の流通だけだ、ちゃんとやってやれアスキー。


【12月29日】 (承前)適当な店で朝5時まで。最初に入ろうとした「北の家族」はガラガラな癖に「料理はコースのみ」「2時間だけ」の制約をつけて来たのが妙ってーか嫌な感じで、まあ深夜の1時くらいから朝までウダウダとカプセルホテル替わりにネバられるのは面倒だからってのも解らないでもないけれど、料理あたりに制約をつけるのは始めっから入るなと言わんばかりの態度としか思えない、が、或いは別にすでに午前の2時頃にたくさんの、このお店にとって大事なだいじな夜のお仕事打ち上げ組が歌舞伎町らしくこぞって来る手はずになっていたのかもしれず、だとしたら「ローカル・ルール」を踏み破ろうとした当方一行にも非はあったってことで、シワシワの祖母の手も握ってない当方一行が、撃退されるのもやむなしだってことになるだろー、嗚呼大歓楽街歌舞伎町。

 落ちついた店では「メートル上がった」ままのタカノ綾さんが前後から左右へと振幅をかえてグラリグラリを「舟を漕ぐ」、なんか古いたとえ方っで使うと自分がとたんにおっさん(事実おっさんだが)になった気になるなー。けど手にコップを持ったまま左右に揺れると、予想どおりにコップも右へ左へとグラリグラリとなって最後もこれまた予想どおりにドガシャン、ジャバーの水浸し、否ワイン浸しになってこれまた愉快ゆかい。後でご本人の記述を読み返したら、ちょうど去年の今時分に手洗い場で血塗れになって倒れてピーポピーポと運ばれたそーで、気付かず黙って手洗い場に行かせてちゃんと戻って来ていただけでもやはり、僥倖と見るべきだったのだろー。さても無事に帰れたか否か。繰り返しになるけど春から京都のマリオな会社の従業員らしいので、冬樹さん喜多さんほか京都のSFな人々やらミステリーな方々さらにはお世話になってるゼルダな会社の広報の面々におかれましては、「目の中に入れても痛く」ながってくださいませ。

 帰宅して午前7時に眠って起きたら午後の6時でやんの、これで貴重な冬休みの1日がどーんとツブれたって訳で、不摂生恐るべしってな自覚を激しく抱く。酒飲みの人生、これなら早いわ。とりあえず「無限のリヴァイアス」を見て前回途中でビデオテープが切れて見られなかった15分間に何が起こったのかを埋め合わせしつつ、テロリスト集団を規定され惑い行く場を失った船内が、助けを得られず不足するだろー水や食糧を長く保たせるために、乗船している人たちをポイント制で管理されている様を、この状況での最適なんだと認めざるを得ないのがなんか腹立たしい。これが現実の重みって奴? 脳天気にアニメだって喜んで見ている子供たちには良い勉強になったでしょう「大人の世界って大変なんだぞ」ってなことを解らせる意味で。

 ついでに言うなら自分を好きな男性からポイントを分けてもらう貢がれ女性や、特権階級がフリーポイントで贅沢三昧で、その回りにポイントをもとめ群がる人たちが出るって構造もまんま「大人の世界」でなかなかに手厳しい。色香ばかりがクローズアップされて不公平だとフェミるなら、次回は美貌と肉体によって女性連のポイントを独り占めするホストくんでも出せば良い。が、お話しの方はそーいった状況説明的なエピソードを折り込みつつも、もっともっと巨大で強靭でかつ醜い政治とゆー「大人の世界」を垣間見せるであろー方向へと進んで行きそーで、そんな波間に小さな「大人の世界」を気付いて頑張る少年少女たちが、どう呑み込まれあるいは乗り切って行くのかに興味を持ちつつ来年以降の展開を見たい。ゲドルトの海がどーとかってのは、いーや。

 「ダンスインザウインド 翔竜伝説」(岩佐まもる、角川書店、560円)の続編「シーキングザブラッド 翔竜伝説」(角川書店、590円)を読了、何とか仲間入りできた美少女竜騎手でお姫さまなウリュメルを巡って繰り広げられる陰謀劇、次々と降り懸かる難題にも負けず頑張る若手社長のストールの頑張りと、物語の構造も走る筆遣いも衰えどころかますます冴えて面白くなってる1冊。決して皇室のゴチャゴチャ話なんかにせず、飛翔する姿を瞼に浮かべる楽しみが持ち味のシリーズならではの、竜による競争できっちり占める辺りも嬉しい。1巻では頑張る少年だったストールがすっかり聡明な若者に成長していて、重なる難題を解決していく手際の鮮やかさは見事だけど、物語の本筋がウリュメルをめぐるゴタゴタに移ってしまってた関係で、なんか影が薄くなっているのが気に掛かる。まあ逆にウリュメルやらメリクルやらマダムLやらレイカやらの美少女美女熟女軍団が大活躍なんで楽しいことこの上ないんですが。


【12月28日】 「ヤングキングアワーズ」買う、「エクセルサーガ」はまたしても奥深いエクセルの深層心理に迫ったよーな内容だったけど、思わせぶりなセリフがそれほどなく本筋へと繋がるヒントはあまり得られなかった。ハッちゃんの食事ってそれ食べるだけでも健常な人間は命をかけなくっちゃいけないんですか、よくぞこれまでエッちゃん一緒に暮らしてましたね、けど卵焼きに一体何入れたんだ? 続いて「ジオブリーダーズ」も読む、過去のどのエピソードにも増して入江の凶暴にして強力な表情をしていたのがとにかくも最大の収穫でしょう。いったいどこの誰の差し金で動いているんだろーってな謎が明らかになりかつ想像も膨らむ。先月号ではあんなにサービスしてくれた柊が今回はヘルメット投げる位しか活躍がなく残念、姫萩のタンクトップ下のノーブラなバストの量感の良さは相変わらずだけど、やっぱ白も欲しかったなあ、白だかピンクかはモノクロなんで知らんけど。

 表紙とタイトルに惹かれて八重咲馨さんて人の「帝都進化論」(ワニブックス、780円)を買う。得体が知れないけれど強い霊的な能力を持った美少女が、甦る幽霊妖怪の類と戦う話ってのは趣味丸出しで言えば「吸血鬼美夕」あたりの女鬼太郎の系列に属する作品ってことになるけれど、ちょい前に読んだ秋田書店から刊行された森雅子さんの「ダークバタフライ」(514円)にも似て主役の女鬼太郎、ここでは奥津城桜って主人公の態度が見かけは辛辣ながらも根っこの部分では優しさを持っていて、単純な妖怪退治物とは違って張りつめてはいてもどこかに良きを付けるテイストを醸し出している。出自に相当な謎がありそうだけど明らかに果たして今後なっていくのかならないのか。とりあえずは単行本に巻数がないのが残念だけど、後書きを読むと本人は書きたがっているみたいなので、皆さん読んで気にいったなら応援、差し上げて下さいな。

 「ダンスインザウインド 翔竜伝説」(岩佐まもる、角川書店、560円)に待望の(待ってた人はいるかーっ?)続編「シーキングザブラッド 翔竜伝説」(角川書店、590円)が登場、どうにか牧場に馴染んだお姫さま騎手と若くして竜を育てる牧場のトップになってしまった少年との、その後あたりが気になっているけど内容がまだ未読なためどーなってるのかよく解らない。早く読も。あとは「モデルグラフィックシ」なんかも買って記事を確かめたり良さげな新製品がないかをチェックしたり。「カードキャプターさくら」から友達の利桂ちゃんのフィギュアが登場していて、「はにゃーん」な感じに「はにゃーん」となる。かしげた小首が前から見ても後ろから見ても可愛いです。巻頭の「ヘッドライントピックス」では大塚英志さんの「サイコ」をアニメ化する話があって前にちょっと取材した浅井真紀さんが美少女のエロっぽさ炸裂な「千鶴子」のフィギュアを製作するってな情報も。胸の盛り上がり形なんぞ堂に入ったもので、固い素材ながらもヤワラカサが見えて、ついつい頬ズリ腕ズリをしたくなりました。どっかでどうかして売るのかな、どこでもどうにかして買いたいな。

 夕方から新宿・陶玄坊で忘年会、森山和道さんとか松谷創一郎さんとか柿崎俊道さんとか「SPA!」で仕事してる書評・ゲーム評系な人に、新入社員としていじめられ道をトボトボと歩いていたモデル(?)な人に、学研のアニメ雑誌な人とか「ダ・ヴィンチ」の編集の人とか「アニメ紅白」で「ガンドレス」よりはかかったとゆー舞台を作った費用をも超える埋蔵金を持っている、と指摘されたアニメ会社な人とかいろいろ、なので新宿の居酒屋で繰り広げられるアニメ話ゲーム話が飛び交う。あと本日より青山「Nadiff」で始まった展覧会にも出品している「HIROPON」のタカノ綾さんとか。

 2時間ほどで河岸を変えて飲み始めて、よーやく「メートルが上がって来た」(意味はお父さんお爺さんに聞いて下さい)タカノ綾さんがトび始めてありゃこりゃ面白い動きを見せ始めたのを観察する。といっても騒ぐ暴れるってのは一切なしに、前後にグラグラと揺れる程度なんだけど、グガリと下がった頭が飲み追えて目の前に置いていたワイングラスにガツンとぶつかる様はなかなかに愉快ゆかい。スターリングとギブスンとホーガンを読み卒論もスターリングあたりで書き、それでいて伝奇な半村良さんも好きなタカノ綾さんから「『妖星伝』を読みなさい」とたしなめられて昔の「石の血脈」あたりの作品で卒業した身を深く深く反省する。春から京都のピカチュウな会社にデザイナーとして行くそーなんで、京都系なSFの人とかミステリーな方々には是非ぜひ、慈しみ愛で奉って頂けると面白いですよろしく。宴会はそのまま歌舞伎町へと流れて(以下、次号)


【12月27日】 「有馬記念」は鼻差で勝敗が決まったそーで、つまりは顔が長い馬面な馬が勝ったってことで、それはすなわちより馬らしー馬だっったからこそ勝利出来だんだってゆー、まさしく「競馬」が近所の中山競馬場で繰り広げられたんだってことを知る。負けた馬はすなわち馬面に遠かったってことで、だからこそより馬な馬に競馬で負けただけなんだと理解し反省するのが筋だろー。ペンチで引っ張ってでも万力で潰してでも、スペシャルウィークはもっともっと「馬」にならなくっちゃいけなかったのです。雪辱を期すならまずは斉藤洋介に弟子入りして、たとえ馬みたいでも馬とは違うってことで自分に自信を取り戻し、そこからより自らの馬度を高めて行く訓練なりに励んで戴きたい。

 締め切りが来ていた仕事を朝の6時に起きて片づける、ってそんな間際まで仕事放っておいた自分が1番悪人なんすけど。ともかくも仕上げてメールして仕事場へ行くも午後からの仕事に気もそぞろで時間が過ぎるのだけが待ち遠しくって仕方がない。時計を見てはあと2時間、再び見上げてはあと1時間と気もそぞろ、よーやく到来した時間に行って来ますの挨拶もせず、グループの会社が設立45周年を記念して1年間に渡って繰り広げて来た様々な行事のラストを飾る、1900年代最後って意味でも最大にして最高のイベントへと向かう。場所は九段、日本武道館。かつて「ザ・ビートルズ」も「ザ・ドリフターズ」も立った舞台を使ってのイベントだけに、何であってもどうであってもこれに勝る取材先ってのはないだろー、そーだよな、ないよな、「20世紀アニメ紅白歌合戦」を超える取材価値を持つイベントは。

 東西線の駅を降りて見回すと、昨日のお台場からまんま場所を移して来たよーな人たちがゾロゾロを坂を昇って門をくぐって大きな玉ねぎの下へと向かう。見かけたことのある人たちがいて挨拶、アニメの忙しい人とかカラオケの番長とかいろいろ。真っ当に入場する人たちを横目に関係者ゲートからプレスで入ってアリーナ席の1階最後列に陣取って、開幕までの数10分間をどんな人たちが来ているのか観察したけど、やっぱり女性の圧倒的な少なさが気になった。「コミケ」だと女性も同じ数なり男性以上に来ているよーな気がするけれど、こーゆーイベントはやっぱり男子が中心になるんだなー、「サクラ」「セラムン」のミュージカルはどーなんだろ? 「リカちゃん」のミュージカルはどっちかな? 行って確かめよ、足の綺麗な桂亜沙美ちゃん見てみたいし。

 開幕した「アニメ紅白歌合戦」、けど登場して来る声優さんのメンバーのどーして紅で白なのかって疑問は言ったらいけないんでしょーか、確実に男性と判明したのは白組キャプテンで我らが兄貴の水木一郎さんと、女性1人に対して男性2人なのに紅組に入ってて謎な「ドリームズ・カム・トゥルー」より少ない女性5人に対して男性1人だから当然紅組に組み入れられてしまった「帝国華激団」の大神少尉だけ。あとは紅組キャプテンの我らがミッチー、堀江美都子さんも金月真美さんも野田順子さんも岩男潤子さんも飯塚真弓さんも松本梨香さんも米倉千尋さんも明らかに女性なのに紅組白組に別れてる。緒方恵美さんは白組、ってのはうーん、納得して良いのかいかんのか、ってこーゆー事を言って良いのか拙いのか。

 集まっている客層がまんべんなくそれぞれの声優さんたちのファンにバラけているからなのか、冒頭の「ときめきメモリアル」「ときメモ2」の主役2人が珍しくも揃って登場した冒頭では、とくに金月さんの歌に振り付けもジャンプも叫びもピッタリに合わせた男子が大量に発生したけれど、ほかの人たちでは振りは適当で声援も別に揃っていた訳じゃなく、最後の「激・帝」も前に「サクラプロジェクト2000」の発表会に集まった完全純粋な「サクラ大戦ファン」のよーにピタリと揃った踊りは見せてくれなかった。客見に行くならやっぱオンリーイベントだな。それでもやっぱり我らが兄貴、水木一郎さんが唄うと総立ちになって振りも簡単だからなのか揃って歌声も飛び出す賑わいだったし、後半になるに従って立ち率高まって来たから誰のファンって訳じゃなく、アニソンなら何だって応援するぜってな立派な(濃い)ファンが集まっているんだろー、最前列っぽい場所に陣取り何度か場内のビジョンにも抜かれていたSFとミステリとアニソンのすさまじい髭の人とか一行とか。

 芸歴で30年を超えたミッチー堀江美都子さんはつまりは年齢もそれなりなんだけど、歌声の張りにムチムチ露なフトモモとかは昔聞いたミッチーの雰囲気そのままで、アイドルとアニメ声優は歳を取らないどころか歳って概念が存在しないってことを生身の姿からも確認する。言霊の力は凄い。あと歌の巧さは集まったどの声優さんたちをおいても水木さんすらも超えるかもしれないくらいにピカイチで、抜く場所張る場所叫ぶ場所を心地よいタイミングできっちり決めるその喉に、とにかく圧倒されっぱなしだった。兄貴も叫びは流石、ただしテレビなんかに頻繁に出てやり過ぎてる感もあるからなのか、感動の度合いがちょっと落ちているのが気になった。それでも「バビル2世」やら「グレトマジンガー」やらを流して「マジンガーZ」で占めた名曲懐かし曲の総浚(ざら)えは、一切の皮肉もシラケも粉砕してリアルタイマーな世代の涙腺を緩めて止まない、兄貴はやっぱり兄貴、だったゼーット!

 ナマで聞いた大森玲子さんの歌に震えていた人も多かったよーだけど、ナマで唄う時は目に入るビジュアル面の情報が、耳だけの情報を時に超えて脳に刺さって来るためか、なるほどになるほどな歌声だったけど、それほど兵器じみた恐怖感は覚えずむしろ頑張ってるなーってな印象を抱いた、ってのはホメ過ぎか? 岩男潤子さんは歌い上げる声の伸びの良さに元アイドルな片鱗が見えたけど、唄い終わって感極まって泣き出して、目の回りのシャドーを溶かしてしまったのには慣れてる人はそーでもなかったそーだけど、初物な身にはちょっとした新鮮な経験だった。そーなんですかガンちゃんて? 米倉さんは「カウントダウンTV」でクリップが何週間か瞬間流れた(つまりランクインしてた)「WILL」を披露してたけど、集まっている声優さんたちのはるか高みに君臨し、かつ技能面でも最高位を保持し続けるミッチーにはまだまだ勝てないなー。インパクトでも音波兵器の方が凄かったし、でも実力のある人だってのは解りました。

 何故にゲームのテーマソングが「アニメ紅白」で唄われるのかってな根本的な突っ込みは大人の事情を斟酌してせずに止め、ラストの「激・帝」に合わせて審査員席で拍手しながら横ノリな感じで体とぶんぶんと動かしていた大月キングレコード・プロデューサーの行動にも、あーゆー人なのかアニメやっぱり好きなんだなーってな感想を抱くに止める。元「SFアドベンチャー」でとり・みきさん「愛のさかあがり」にも出演してたっけかなな徳間書店の関さんが、「せがれいじり」と並んで”バカゲー”なる一方の雄として知れ渡っている「とんでもクライシス」を作った人で、今はサンソフトから発売予定の、「ストリート・ゴルファー」なる渋谷だって新宿だってマンハッタンだって無関係にボールを叩いてグリーンを目指すバカ・ゴルフゲーのプロデューサーを務めているってな現実にもちょっと吃驚。人間って流転変転が付き物なんだなー、とりさんの漫画では出版社間を売られてしまった関さんが、今は立派にチラシに「関ワールド」なんて書いてしまういっぱしのゲームプロデューサー、だもん。

 そんな話を聞きつつご飯を食べてから帰宅、途中で講談社ホワイトハート文庫で「期待賞」を獲得した彩穂ひかるさんの「法廷士グラウベン」(講談社、630円)を読む、法廷物ってのは世界国内に目を向ければいくらもある題材だけど、これをハンザ同盟が生きている忠誠のドイツに舞台を移し、「魔女狩り」が日常茶飯事に行われ、迷信と情動と贈賄と怨恨によっていかようにも変化する秩序に支配されていた中世ヨーロッパであるにも関わらず、弁護士と検察官と裁判官が事件を巡っての丁々発止な法廷劇を繰り広げるってな感じの、現代にだって当てはめられそーな内容のミステリー作品に仕上がっているのを、読み終えてから知って驚いた。別にだったら中世にしなくてってな意見もあっただろーけど、息子を殺された市長が自ら殺した相手を裁く裁判の判事になってしまう常識的には難しいシチュエーションが、中世だったら何となく成立しそーってな雰囲気があるからなー。

 とは言え裁判自体は証拠を上げ証人を尋問して自らを有利とアピールし逆に不利だと訴える展開は、極めてロジカルに進んでいて強引な詭弁とかもなく納得できる。タイトルが「法廷士グラウベン」って言うくらいだから最後にはグラウベンたちが勝つだろーと予想は出来たけど、正々堂々と振る舞った挙げ句の勝ちっぷりは予想を超えて潔ぎよさを感じる。ラストのグラウベンにとってライバルとなる検事が浮かべた事件の真相への想像が、事実だとしても妄想だとしてもありえない話じゃないだけにかえって読者を(どっちなんだろう、やっぱりあの人が)ってな混乱へと陥れるのが仕掛けとして面白い。結論、恋する女は怖いコワイ。次があるなら時代性を加味しつつも基本スタイルは法治国家の法廷物ってなハイブリッド・ロウヤー・サスペンスをもっともっと読ませてちょーだい。


【12月26日】 シンクロニシティーって信じるかって言われれば信じるしかないんだろーね、最近も日本ファンタジーノベル大賞の「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」(宇月原晴明、新潮社、1600円)を読む直前に、作品の中で暗いドイツ人おっさんの秘書として登場していた、ナチスドイツで建築物をいっぱい作って最後は軍需相まで務めたアルベルト・シュペーアを取りあげたドキュメンタリーを見たばっかりだったけど、今日も読んでいたポール・オースターの新作「リヴァイアサン」(柴田元幸訳、新潮社、2400円)の中に、先だって原美術館で展覧会を見たばかりのソフィ・カルをモデルにしたってな女性が登場しているのを発見したのには驚いた。まあ何とゆー偶然でしょー。

 展覧会でもその作風の執念深さに驚いたけど、エキセントリックってゆーかパラノっぽい集中力で何年もかけてアート作品を仕立て上げる(匿名でダサい服の野郎にこぎれいな服を贈り続けて変わっていく様を観察する、とか)ってなソフィ・カルをモデルにした女性アーティストが醸し出す雰囲気は、一部にオースターの虚構が入ってはいても、日本に滞在していた間の記録をとっていたか或いは再構築した原美術館に展示中の作品に重なるところがたくさんある。ウォッチ中の荒木経惟の写真集にも彼女に捧げた作品があったみたいだし、こうも周囲に出没されると或いは自分自身が彼女の観察対象にされてしまっているよーな錯覚に、いささか自意識過剰ながらも陥って来る。出没系ライターの上を行く出没系アーティスト。負けないぞー。

 出没系の名誉挽回をコミケ3日目の会場をウロウロしながらも知り合いの1人もいない不思議さよ、ってーか知ってるっぽい人がいても目を合わせず下を向き足早に歩き去る卓を1列離れた場所から眺めて帰るブキミ行動を取っているから胡乱がられるのがオチだわな。u−ki総統が手下なのか知り合いなのかを引き連れ大学SF研あたりを歩いていた姿を発見、でもすれ違っても向こうは知らないってことはよっぽど印象薄いんだろーなー、2回とも出た(プレを入れれば3回だ)「DASACON」なのに。まんまNHK狂育に行ったらすでに品切れで買えず、後で柳下毅一郎さんが持っていたのを見せてもらったらしっかり「留年届け」が入っていたのには吹きました。目指せオークラ省、名前がまだあるうちに、って省庁再編で大蔵省ってどーなったんだったっけ? 金融担当離れて長いんで気にも止めなかったよこれだからブンヤってのは了見が狭いって言われるんだよな、専門バカとか。

 ブンヤが狭いのは了見ってーか視野ってーか思考の幅って意見も。26日付「朝日新聞」朝刊下の「天声人語」は久々でもないけどコラムニストとしての芸の無さまる出しの一文で、最近ときどき見かける文章にはまあ納得の行く面白さ(それでも深代淳郎あたりの時代と比べると云々)があっただけに、やっぱり日本の新聞にコラムはもはや不要ってーか無理なんじゃないかってな気分が再燃する。取りあげているのは「イッキ飲み」で死者が出たって話で、冒頭にまず「『イッキ飲み』は最悪、最低、卑劣のきわみだ」なんて断言し、以後裁判になった話、新入部員がイッキ飲みで潰れ死に至る経過、両親が原因を調べて訴訟を起こすまでを事実関係をのみ記していて、まるで新聞記事を読まされているよーな気になる。

 10000歩譲って最後の締めを両親が起こした裁判の訴状に書かれた忠告の言葉にしているのは、残響音を慣らして読者に警鐘を与えるテクニックとして理解はしよー。だがそれなら記事でこれまで出ていたことで十分で、昨日今日の話じゃなくもう何10年も伝統の如く似たよーな事件が発生している構造そのものを糾弾して欲しかった。医師の卵たちが引き起こした事件ってゆー意味での珍しさ意外性もあっただろーけど、医学部性だからいけない、ほかの学部の学生だったら仕方がないってな区別する意識がそこにうっすらと読みとれはしないか? あんまりしないか。ともかくも似た事件が繰り返し起こってしまう状況の背後に、実直さ目上の物に従う従順さ使い減りせず根を上げない頑丈さを持つ人間を養い育て送り出すとゆー側面から「体育会系」を尊ぶ風潮があって、ちょっとくらいの「しごき」を許容している(許容されていると自惚れる)なじゃないかってな想像をめぐらして欲しかった。

 とは言え新聞社時代が最近の会社にはない前近代的に体育会系の構造をしてるんだから何をかいわんや。新入社員はキシャならぬトロッコと呼ばれていかなスキルを持っていても警察回りから始め、朝の5時から夜は午前2時まで(大袈裟なんかじゃないよ)休日もなく働かされ、本社に上がったところで政治部に行けば20代も半ばの良い大人が金魚の何とかみたいに総理大臣の後ろをゾロゾロとつながって歩き、何を言ったか「だけ」を聞きとり論評なんか付けず加えずキャップなりにメモを上げるだけの生活を、たぶん1年くらいはするんだろー。

 同じ年に卒業してテレビに入った同級生が、1年目から官邸とか警視庁とか裁判所とかで頑張りリポートだってガンガンやってたりするのを横目で見つつ、それが新聞社の伝統なんだからってな体育会顔負けの上意下達システムが、新聞社には100年の歴史を経てがっちりできちゃっているから始末に追えない。これで死人は出ないからイッキ飲みと一緒にするのは迷惑だろーけど、滅私奉公を強いるって意味では人格の「死」だし、そんなシステムに嫌気がさしで若くして辞める記者が続出している現状は職業としての「死」だって言って言えなくもない。って仕事もしないで遊んでばかりいて、地方にも出ず官邸なんか入り込めない3流業界紙の人間が言ってもやっかみにしか聞こえないだろーからこの辺でやめとこ。また突っ込んじゃったよ築地への道はますます遠のいたなあ(近づけるつもりだったの?)。

 コミケでは結局あんまり買わず村田蓮爾さんの夏コミに出ていたポスター2枚セットの再発をあんまり並ばず買ったくらい。青木光恵さんのブースも2度ほど前を通ったけれど小形さんの姿を見かけなかったんで辞去してお茶して麦酒飲んで帰宅する。柳下さんが持っていたーCD−ROM版「成宮観音写真集」に仰天、どこで売ってたんだろー? 何が写ってるんだろー? 帰途は山本直樹さんの「ビリーバーズ1」(小学館、900円)なんぞを読む。どっかの島でメールによる指示なんかを受けながら昼間はどんな夢を見たのかを隠さず語り合う男2人に女1人の集団の不気味な暮らしぶりを描いた漫画だけど、よくある山本さんのすべてが虚構に満ちたメタっぽい作品とは違って、途中にリアルな世界からやって来る集団が、彼らと彼女を宗教めいた、あるいはセミナーの構成員めいた表現で規定していた言葉を発する場面があって、一応は現実世界での出来事なんだってことは見えて来る。

 虚構だったら特定異常なシチュエーションで滅私していた人間たちが欲望に破れて混乱し仲間割れして滅びていく様を描いた実験漫画なんだと理解も出来るけど、リアルな世界との接点が見えた時点で実験っぽさは薄れ、集団の分裂と崩壊を描くってなありがちなテーマが浮かんで来る。そこは流石に山本直樹、エロティックなシチュエーションとエロティックな女性を描かせては右に出る者のない漫画家だけあって、読んで官能と戦慄を引き起こしてくれるけど、繰り出されるテーマへの驚きがまだそれほどと感じられない。2巻以降でちゃんと凄みのある話が展開されるかもしれないから、そーいった点での判断は現時点では保留。あと個人的には崩壊していく宗教めいた集団のエピソードではなく、いかに教祖が堕落していて周囲からバッシングされていても、信じ続けるのみならず、新しく信じる人たちが出てくる不思議さの裏に、どんな心理状態があるんだろーかってな辺りに迫ってもらえたら、このブキミな現実世界を理解する一助となって嬉しいかも。しかしやっぱり山本直樹の描く女性はヤワラかそーだなー。


【12月25日】 をを出ているぞ「モデル・グラフィクス」のガンダム特集にぶりゃぶりゃと書いた「アナハイム・エレクトロニクス」に関する記事が。内容の正確性とか同じ文書なのにあるっぽい前後の矛盾とかにはたくさんの突っ込み所があってガンダマー藤津氏からチェキ入りそー、あと5000万人は確実にいる心底根っからてってーてきにガンダムな人たちから、でも一晩で頑張ったんで許して下さい次があったら気を付けます。とりあえず雑誌ちゃんと出てるのに感動、ほんの10日前に出した原稿がちゃんと掲載されてるんだもの、締め切りってゴム紐のよーに伸びるんですね、でもって限界超えるとプッツリと切れてそれっきり、なんだ。切っても切ってもつなぎ合わせる凄腕の助教授に学びたい。

 こっちも快調に発売中な「SFマガジン」は鶴田謙二さんが表紙になって売れ行きが伸びたのかは謎。「モーニング」のマグナム増刊みたくナイスなバディのねえちゃないけど、レトロな未来っぽさが出ていて好きな絵です、ねえちゃんが来ているヘリンボーン・ツイードのコートの感じは良く出てます鰯みたくテカテカ光ってる観が好きです。中身では「SFマガジン読者賞」を獲得した野尻抱介さんの「大宇宙の簒奪者」だったらスペースオペラっぽいけど違ってハードにキめた「太陽の簒奪者」、その続編が掲載されてて早速読んで、あの第1話でストップ出来ずに行き過ぎちゃってザマアミロだった宇宙を渡る船団の、底力大発揮なエピソードが披露されていて驚く。奴らいったい何しに来たんや? ってな疑問が提示され、次への期待がむくむくと膨らんで来る。いつ載 るのかな。

 その野尻さんも入ってる「宇宙作家クラブ」の活動を紹介する連載も第2回目に入って快調に啓蒙普及の輪を広げているみたい。会員も有名無名を問わずどんどんどんどんどんどんどんと増えてたり増やしてたりしてるみたいで善哉。自分はほら、ゲドルトの海でもエーテル宇宙でも鼻マスクでの宇宙遊泳も無重量セックス(これは大丈夫か)もニューロンバチバチ(これは無関係)も全然オッケーな非宇宙的人間なんで、宇宙作家クラブの活動と重なることはないから入会とか脱会とかとは無関係だけど、有名人が山と参加してあっちに行ったりこっちでパーティー開いたりしてる、その盛り上がりぶりはちょっと羨ましい。

 んで、かわりに地下大好きな名古屋人らしく「地底作家クラブ」でも勝手に作って、日本の地底関連事業に対する理解を図り、早期のジェットモグラ開発を促し、地底人との交流を目指し、一般大衆に地底探検の有用性を啓蒙普及していくことにでもしよー。呼びかけ人には誰が良いかな、「二分割幽霊奇譚」でモグラSFを書いた新井素子さんか、火星の空洞都市が舞台になった「あな魂」の神林長平さんか「梅田地下オデッセイ」の堀晃さんにお願いしよー、でもって本部はサカエチカかユニモールかエスカに置いて、テーマソングは「モグラのチカちゃん」にするんだぁ。

 さてコミケ。金曜日は出陣せず土曜日も12時くらいの到着とあって、前みたく朝イチで駆け付けるよーな意欲が完璧に落ちて来てる、やっぱ歳だしぃ。前だとこの時間でも入れば通路は身動きのとれないくらいの大混雑だったけど、冬で3日間開催ってこともあるのかそれともバブルみたいなブームが一段落して適正規模へと戻りつつあるのか、普通に歩けるし西館屋上のコスプレコーナーも仕切られた撮影コーナー外の通路部分も平気ですちゃすちゃと歩ける。それを寂しいと見たり衰退と見るメディアのきっとどこかに出そーだけど、それでも1日で10万人は楽に超える来場者があるみたいだから、ブームの移り変わりによって規模の若干の変動はあっても今くらいの規模でしばらくは続いて行くことになるんだろー。全裸で踊ったりジッポのオイルを含んで火を吹くロボット・サーカスで見たよーなパンキッシュだったりヤンキーだったりな輩が入り込んで暴れるよーなこともなく、粛々と営まれているイベントってのはやっぱ凄い。権威と他者への無言の圧力っぽいのもあるけどね。

 企業ブースはリーフの行列が相変わらずの数時間待ちで人気あんまり衰えずの感。けど赤井孝美さんが出してる「ナインライブス」のブースはご本人が売り子やっててお仕事イラスト集売って手サインだってしちゃってるのに行列あんまり出来てないのはなんか妙。買う方にとってはありがたいんですが。本会の方にも出してるんだったっけ?売ってた「1999赤井孝美オシゴトブック」の「星界の紋章」エンディング用に描かれたらしーアーヴの面々の立ち姿でいちばん右にいる女性の大きな胸に目ぇ釘付けになりました。

 ラフィールだって別にそれほど小さくはないけどやっぱりほら、まだ若いから。あと「電撃アニメーションマガジン」で川澄綾子さんのコラム向けに描いているイラストが大きくなって掲載されてるのがコラム読んでた時から気になってた身として嬉しい、「ピポザル」に取り囲まれて油断している綾子嬢とか、かーいーです。目の前にあったのに目をちょい離した隙に売り切れてしまってた、スポールさんの描かれた缶バッジを買い逃したのが返す返すも残念ナリよ。

 「ナリ」は禁止だとロジャーは言った、のは「SFマガジン」連載中の「SFまで1000光年」2月号所収のドロシーちゃんイラストからだけど、「イエス・ドクター・カオス」と言うのは分かったけど「ふええええー」とか「わかりゃずやめー!」と言うロボットってのがおじさん間抜けなんで思い出せなくって悩みもだえる。「ドクター・カオス」もほらそこまで出てるのにぃぃぃぃー、状態で1時間はど呻吟した挙げ句に何とか思い出せたんだけど、他の2つは聞けばきっとなんだと思えるはずなのに、記憶のどこか深い場所にバラバラになって埋められていて出てこない、ああ悩ましーっ。リアル版美少女怪盗プリティーミホとどっこいどっこいに悩ましーっ。

 ミステリー関連のブースを散策、誰も知り合いがいないのは単純に知り合いが少ないだけのことで不思議でも何でもなく、あと面が割れてないってこともあるから、こーゆー場所によく似合う、コミュニケーションがちょっぴり苦手な人っぽく、誰からも訝られずに不躾にサンプルを手にとり見ては戻して無言で立ち去る術を披露できる、ってーかそれが地なんだよあたしの。前回の夏込みで3メートルの距離から遠巻きにして不審がられた河内実加さんのブースでは、さすがにまずいんで今回は机の前まで言ってありがたくも積み上げられいていた「まんまあびわんこ」を購入する。あびこさん家って猫の散歩するのかぁ。

 ついでに横の「わるものおーもりTシャツ」なんぞを触っていたら、下にこんなんありますとめくられて出てきた「あびこくんTシャツ」を見て、背筋に電撃が走り脳天焼けただれてついつい財布からお札を取り出し「まんまあびわんこ」ともども買ってしまう。そうですあれ買った髭面でサングラスな全身黒尽くめ野郎が私です。データは2Dだと思うけど、3DCGっぽい立体感のある色で仕上がっていてまんまゲームの中を歩いていられそー。紫のTシャツ水色のパンツに緑にスニーカーで底が黄色の何ともカラフルで軽薄なファッションなのに、腕組みをして富士山形の口をしたポーズ表情が強い意志を表してますイラストの「あびこくん」。今晩は着てお風呂に入ってそのまま寝ますきっと良い夢を見られるでしょうご本人は悪夢にきっとうなされるでしょう。


【12月24日】 あれだけ言うんだからちゃんとしてるんだろーと覚悟を決めて「Dの食卓2」を始めて見る。「ドリームキャスト」を稼働させるのって夏の「シーマン」以来かな、合間に結構良いソフトが出てたけど中身はともかく話題性で「D2」超えてるのってあんまりなかったから仕方がないか、「スペースチャンネル5」はもっとマイナーな人気だったら即買ってただろーけど、イチオシでメジャー化しつつあるとなんだかね、天の邪鬼的に嬉しくないんですわ。いっそ「かってに桃天使」の「DC」版とかで遊んでた方がマイナー極めてて良いのかも、でもメジャーでも「花組対戦コラムス」はやってみたい気が、妙に「ファミ通」の評価も良さげだったし。をを「シェンムー」殿堂入りかよー、「D2」でどのくらいだったっけ?

 まずは噂のオープニングムービーとやらを見ようかと思ってメニューから「オープニング」をセレクトしてボタンを押して最初の衝撃が走る。画面に飛び出した言葉が何と「ディスク4を入れろ」。過去に決して多くない数のゲームで遊んだけれど、顔とも言えるけれど本編を遊ぶ時には邪魔っ気なオープニングムービーを、ばっさりを切り別のディスクに入れて無駄にディスク容量を使わないよーにした辺りの潔さに、僕とっても感動しちゃいました。見なくっても済んでしまうオープニングが果たしてオープニングを言えるかってな細かい事はこの際脇に置いてその英断ぶりに惜しみない拍手を贈ります、ペチペチ。

 さらに次なる衝撃は、噂のオープニングが1年半ほど前に開かれたイベントで見たものと、見かけだけど寸分違わないよーでつまりは当時に完璧なまでのオープニングを制作していたにも関わらず、かくも長期間発売しなかってことはそれだけ本編の作り込みに比重を掛けて頑張っていたってことの現れなんだと理解して、なおいっそうの本編への期待度が高まる。飛行機の中なのに天上やら窓へと向かってサブマシンガンを乱射するハイジャック兄ちゃんたちの描写もそのままだったから、それで果たして飛行機に穴あいちゃわないのかって当時にムービーを見て誰もが思った疑問に、少々の弾では飛行機に穴なんか空かないんだってことを製品版のムービーでまんま使うことによって証明してくれたんだとゆーこと、なんだろー。べんきょーになったなあ。

 さて本編。この氷点下にすら下がらない東京(千葉だけど)のクリスマスイブを独り寒さに震えながら過ごしている身にとって、カナダの雪山の寒さたるや想像の及ばないくらいに厳しいものだと思っていたけど、カナダの雪って綿みたいに暖かいんだろーな、ストッキングを履いたとは言えほとんど防寒具も身にまとわずにサブマシンガンやらライフル銃やらを身に付けて、上り坂をザクザクと駆け上がっても大丈夫、なんだから。主人公はそれでも全身を服に包まれているから良いとして、山小屋にいた相方の姉ちゃんはドアの外に出た時でも、胸元が開いて臍だって見える短いタンクトップをダウンの下に来ただけだったから、やっぱり雪山はホットホット(by藤井隆)なんだとしか思えない。いやいやそんなハズはないだろーから、きっと皆さんすでに雪の中からバシャっと顔を出す怪物並に寒さへの耐性が出来てるんです或いはすでに怪物化してるとか。怪物は全身潜って移動も出来る雪の上をさして沈まずに駆け回れるローラって体重何グラム?

 とかって本筋とはまったく無関係の話で盛り上がっていてはいけない、やっぱり本編も誉めなくっちゃと思ったけれど、まだレベルで3まで上がって結構なんどもやられまくってるんで、説明するには知識も経験も不十分なんで後日に回すことにしよー。後はこれってハードの責任なのかそれともソフトの作りに問題があるのか、冒頭のムービー画面とか小屋の中に入った時のムービー風画面とかの時、ドリキャスがGD−ROMを読み込む音がジャキッ、ジャキッと2回してそれが数秒の間隔で繰り返されて結構五月蝿く集中と感傷の妨げになる。WARPのページの掲示板でも同じ指摘があったから、埃やら胞子やらにまみれて自分ん家のDCだけ具合悪くなってたんじゃないってことを知って安心する。だとしたらプログラム上の問題なのかな? 追って情勢を観察して行こー。「シェンムー」と比べてみるのも解りやすいかも。

 銀座の巷房ってギャラリーで明日25日まで開催中の「今道子展」を見る。光り物の魚や肉やらを好んで使って帽子とか服とか植木鉢とか人形とかを作って写真に収めた作品で知られる作品で、そのグロテスクさと美しさの同時に存在する不思議な空間には、食べ物であったり目玉といったものへの禁忌が崩れ、モチーフとして使った場合にどー見えるのかってな純然たる”美”への興味が存分に満ちている、んだと思うけど本当の所で作者がどー考えているのかは不明。ギャラリーの入り口横にいた川久保玲さんみたいな(っても解らないか、黒尽くめで頭オカッパっぽい小太りなおばさん)女性を指して、ギャラリーの人が「今さんです」と言ったので、折角のご本人のお出ましに、どーゆー経緯でこーゆーモチーフを選んだんですかって聞けばよかったけど、作者に直接聞くのもつまらないんで勝手な想像に任せて楽しむことにする。

 作者の意図を超えて楽しめるってのが正解じゃないけど間違いでもないアートの楽しみ方だで、つまりは見た物勝ちなんだってアートのことを思っているから、たとえば「私は魚が大嫌いなんでこーやって処刑してるんです」と言ったとしても(言わないか)、こっちはそーとは思わずやっぱり綺麗だから使ったんだな、って思っていたい。研究するならまだしも、ひとりの観察者としては、対象を理解することではなく自分じ納得させることの方が大切なんじゃなかろーか、だいたいだ誰もが作者の深層心理を完璧にトレースした上で作品を楽しめる訳じゃないんだから。って勉強嫌いを棚上げしてるだけなんだけど。それは不味いとギャラリーで売られていた、97年に今は潰れて存在しない光琳社出版から刊行された1万2000円もしやがった写真集が、何と著者本人のサイン入りで売られていたんで1つ所望する。作者を前にして良いところ見えたかっただね、って自分の深層心理は完璧にトレース出来てしまうのが哀しい。アーティストに比べれた単純だからな、利己的で見えっぱりで。


【12月23日】 メソメソと朝の7時なんて時間に起きて秋葉原へ。予告どおりに「メッセサンオー本店」で繰り広げられるとゆー、飯野賢治さんによる「D2」手渡し販売イベントへと向かう。去年の5月とかってもはや大昔にしか思えない時期に開かれた発表会から幾星霜、あの時にはタダでおまけにおみやげも出るとあって「東京国際フォーラム」の1番大きな会場を3回も使って各5000人、計15000人もの来場者を集めて期待の大きさを見せていたけど、今となっては果たしてどれくらいの人が集まって来るのか、未だに飯野賢治って名前を信じて付いて来ているのかを確かめる意味もあって駆けつける、つまりは単なる野次馬ですな。

 午前9時の開店に1時間ほど早い午前8時に到着すると、本店の前に人だかりが出来ていてまずまずの賑わい。どうせすぐ行列も途切れるだろうと追って行ったら、角を曲がってさらに曲がってメッセの裏口あたりまで列が伸びていて、その人数およそ7、80人くらいと見られる人間が、寒さの中を震えながら店が開くのを待っていた。これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれだろーけれど、隣のヤマギワソフト館(そふと・やかた)で「ポケットモンスター金・銀」を買おうとする人よりも、ラオックスのザ・コン裏にある「ソフマップ」で「悠久幻想曲3」を買うために並んでいる人よりも、人数だけなら多分勝ってたんじゃなろーか、飯野さん人気バリバリ(死語)だよ。

 そうこうしているうちに楽器を持った人やらご本尊やらが続々参集、やがて行列がギュッと詰まって本店入り口あたりまで圧縮されて待つこと10数分、店頭に登場した飯野さんがいつもの口調でありゃこりゃと話を始め、バックの音楽が暗いから話もはずまないなーとか言ったり、良いところ悪いところたくさんあるけど(自分で言わないでよ)、ポジティブに楽しんでくださいと殊勝なコメントを出したりと、とにかく”サービス、サービスゥ”(これも死語かも)に努めていたのが印象的だった。

 サービスはそれだけじゃ当然なく、まずゲーム本体にオルゴールにポスターにクッション代わりの英字新聞が詰まった大きな箱の表面に、1つづつ飯野さん本人がメッセージとかイラストを描いたのをセットで販売することが1点、それを手渡ししながら握手もしながら販売するから驚いた。前はえっと15万円だったっけ? とにかく特別な仕様のあれは「リアルサウンド」だったかな、それとも「エネミーゼロ」だったかを巡業宅配した人だけに、口では大きなことを言うけれどサービス精神っちゅー作った物や言った事に持ちすぎるくらいに責任を持とーとする意識がやっぱり強いんだろー、自意識の強さって意味でもあるけれど。

 加えてさらに25日の深夜に東京ベイNKホールで開催される、1人8000円もするイベントの招待券をペアでくれちゃうとゆー大盤振る舞い。ソフトが6800円だかなのにオルゴールとかポスター、はそんなにしないだろーけど16000円分もするチケットをつけて配って果たして採算が合うのか合うわきゃないよな。挨拶ん時に「D2作ってない自分が信じられない、これからどうすればいいんだろう」ってな冗談なんだろーけど気弱な事も言っていたから、よほど嬉しかったかそれとも1段落してほっとしたか、次はないものと覚悟を決めての出血大サービスだったんだろー。しかし実際の所、気になるのやはっぱり次は果たしてあるのか? ってことでとりあえずは感性した「D2」をプレイして中身を確かめ未来の有無を確認せねば。とりあえずはおめでとう、さようならにはならないで。

 山ほどの時間が夕方まであるんでとりあえず普段は出向けない美術館なんぞを攻めることにする。で品川まで行って「原美術館」で「ソフィ・カル展 局部性激痛」って展覧会を見る。フランスのアーティストなのか写真家なのかちょっと分からないけど、前に川村美術館で見た展覧会に盲人にどんな景色が好きかとか聞いたイメージを写真にして本人といっしょに並べた作品を見た記憶を会場の案内で思い出し、そーゆーパフォーマティブな作品を得意とする人らしーと判明、だからなるほど「局部性激痛」も、日本に来た3カ月を経てインドのニュー・デリーで待ち合わせる予定にしていた、フランスに居た時につき合っていた20歳も年上の彼から、事故とか言われて実は爪に肉が食い込んだだけ、それも事実かどーかは判然としない理由で結局のところはすっぽされてしまったとゆー哀しくも滑稽な思い出を、日本滞在中の写真とかチラシとかを並べてチクチクと思い出して行くとゆー、何ともイタい展覧会になっている。執念深いとも言うなー。

 当人にとっては身をえぐるよーな記憶でも、それが果たして見ている人にどこまで共感してもらえるのかってな疑問も浮かんだけれど、何も共鳴してもらおうって意味で作品を作ってる訳でもないんだろーし、内面を見つめて外へと解放することで癒しも得られるんだろーから本人にとっては構わないのかも。浅草で買ったとかゆーお神籤が「凶」でしわ1つない綺麗なまんまで張られている辺りに、これは当時獲得したものを並べた作品なのか思い出をもとに再構成した作品ってことが伺える、まさかラッキーにも凶が出るなんてないだろーからね。でも出た当時の凶のお神籤を未だに取っていたんだとしたら、よほど振られた思い出が強かったってことになるんだろー。違うと思うけどこれがもしも全くの虚構の体験を作り上げてしまったものだったとしたら、別の感動もあっただろーなー。彼の来なかったニュー・デリーのホテルの部屋を再現した展示とかもあって、会場をうまく使った構成も光る展覧会でした。

 まんま歩いて「O美術館」で開かれていた「立石大河亞展」の最終日に滑り込み入場し、前に佐倉で見た「昭和素敵大敵」とか漫画とか絵巻物を見つつ、この人は絵画って表現形式の1枚に1発で表現するストイックな想像力よりも、思いこみ思いつきの全てを叩き込んで構成する動的であり多面的な想像力が得意で好きでやりたかったのかなーと思えて来た。陶磁器の作品なんかを見ると、ゴッホやらキリコやらゲルニカやらを取り込み再構成して立体に仕上げて、けれどもやっぱりゴッホやキリコやゲルニカらしさを失わせない表現力が解って、そんな才能をこのマルチメディアな時代に発揮しまくってくれたらと、早すぎる死を今更ながら残念に思う。

 タイガー立石時代の漫画があんまり好きじゃないのは、漫画がもともとリニアに時間や空間の変化を展開を描くメディアで、時間や空間を1枚に捻り込む絵画にリニアな動きを与えて目新しさを与えた漫画風の絵画作品とは、見る際の心構えなり基準が違うってことがあるからなんだろー。とはいえ当時はナンセンスさが新しかったのかもしれず、評価は漫画との比較なんでちょっと厳し過ぎるかも。当時はどーだったんだろー。赤塚不二夫さんが「新・日曜美術館」で言っていた程の画期的な才能だったんだろーか。

 それでも時間が山とあったんで山手線を逆回りして代々木まで行き歩いて原宿を経由して渋谷の「煙草を塩の博物館」で時間つぶし、今は亡いけど昔家まで夜回りに行ったことのある三洋証券元会長の土屋陽三郎さんが集めた煙草の灰皿やカギ煙草入れやらが寄贈されてて、当時を思い出しつつ証券なんて生臭い場所に生きて死んだ人に似合わず風流だったんだなーってな感慨を覚える。これも逮捕だかされちゃったけど、バンジョーの世界的なコレクターだった津村順天堂の社長(ボリス・ヴァレイホだかの絵のコレクターでもあった)といー、かつてのオーナー系の企業のトップっての経営はともかく風雅はあったね。最近のネットバブリーな起業家さんたちは優雅な趣味とかお持ち? スポールさんみたいな蹂躙とかじゃない優雅な趣味を。

 行列第2試合は代々木で開催されたロボットのサーカスとか。タダとは行っても飯野賢治さんのイベントみたくお土産もなければテーマも現代アートなんで、いくら3000人の先着順とは言ってもそれほど来ないだろーと高をくくっていたら大間違いのコンチキ号(ちょっと違う)、1時間前にしてすでに1000人もの行列が代々木の体育館に沿って並んでいて、現代アートに興味のある人間がこれほどまでに日本にいたのかってな驚きに目を回す。普通の日にICCとか行ったって客なんて数人しかおらず、同じタダでもギャラリーの個展に1日100人も来場するなって事がよほどの人気アーティストでもなければありえないから、あるいは別の基準でもって今回のイベントをとらえて集まって来ていたのかもしれないなー、テクノとかアニメとかサイエンスとかトイとか。

 この人は何だったんだろー森山和道さんも来ているはずなのに会場では接触出来ず、プレスで入るよりは並んで見るのがイベント参加の味わいっことで1時間ばかりを寒空の中で待っていよいよ入場、したけど鉄柵の回りにベタベタと立ち見客を並べるだけの場内整理で最前列に陣取れたごくごく限られた人をのぞいては、よほど慎重が高いかジャージャーみたく目玉が顔から伸びてるかしないと、人垣を越えて場内で何が行われているのかを全くもって見られない。後で聞いたらプレスで入っても条件は一緒で、名だたる現代アーティストの人も来ていたそーだけど特等席もな雛壇もない中を、ふくらはぎ突っ張らせて背伸びして、それでも見えない何かを懸命に耳と体で感じとっていたらしー。別に特権を認めろって訳じゃないけど、後々の費用ぶったくりのための宣伝なり日本のアーティストにインスパイアを与えて将来の豊饒へと結び付けたいってな気があったなら、もっとやりようがあったんじゃないのかなー、ねえICCさん。

 それでも隙間から垣間見た場内は、ロボットってゆーよりはガラクタの巨大ラジコンを操作してぶつけあって火やら爆竹やらをドンドンボウボウやっていたらしく、ときどき上がる炎に巨大な音響、火花がちょっぴり心をワクワクさせてくれる。人間はやっぱり火を見ると興奮するんだねー。ザコキャラどーしのバトルからセミファイナル、ファイナルとだんだん巨大になっていく的に向かってバンバンドンドンとやっていたらしーイベントで得られたのは、美的な感動よりはでかい物が動くって意味での感嘆だったかな。動く芸術だったらティンゲリーの作品の方がドンドンガチャガチャ賑やかでかつ暖かい室内で見られるから十分なんで、今度は是非とも外見を例えばモビルスーツっぽかったりスター・ウオーズっぽくして、美的な感動も与えて戴きたいものです。しっかしやぱり3000人、どこから来た何やってる人たちなんだろー(自分は棚上げ)。


【12月22日】 買ったのが嬉しくってヒューレット・パッカードのプリンター「955C」を使って裏仕事用の名刺を刷る。2400×1200dpiのパワーは流石で見た目も鮮やかに刷り上がってフツーに使ってる印刷された名刺とパッと見だけなら遜色のないのが出来上がったけど、市販の10分割カード用紙なんでちぎり取ると縁にボツボツが残ってやっぱりみっともない。まあ家引きこもりがちでメールで依頼される仕事を担当している人の顔も見ないでこなしているSOHOライターなんで、名刺もあんまり使わないからいーかってことで。いっそメール版の名刺でも作るか。名刺と言えばAOLが前に配った「ユーガッタメール名刺」なるものを今度は市販するとかで、バーチャルな出会いと交流が売りのネットワーク・コミュニティに集う人たちでも、やっぱりリアルな出会いの場を欲して、実際に会って名刺を交換し合たいってな願望が、未だに根強く残ってるんだってことを知る。不思議だけど納得出来るなー。

 JCOの臨界事故で大量の放射線を被曝した現場の作業員が死亡、遺族の方への情動的なお悔やみの気持ちはあっても、実際問題言われているよーな量を被曝してここまで生きていられたってことは、生かされていたとしか想像できない部分があって、さらに突っ込めばこーゆー機会を最大限に使って被曝者への治療と効果を徹底的に調べてでもいたのかなってな勘ぐりも浮かぶ。これを後の核戦争への適用と直に考えて良いのかどーか、そもそも核爆弾と燃料工場とでは放射線の種類も量も違うから比べられないのかもしれないけれど、ヒロシマナガサキに終戦後わんさと米軍がやって来て調べまくった過去を思い出せば、データとしての貴重さは何であれあるんだろーってな空想も出来る。さてどこにどんなデータが出回るか。もう1つ、不備なマニュアルに支持された現場の口を差し挟む余地もない作業員だったとは言え、臨界事故を起こした当事者ってことだけは間違いのない事実なのに、その死を単純な事故の被害者、殉職者とでも捉えるよーな報道は、お涙が商売になるメディアとしては仕方がないこと、なのかなー謎。

 2000年も間近になって来ると喜ぶ人もいる一方で残念がるのは「01−01−00」ってロゴを商売にいろんなグッズを作っていた人で、カウントダウンはその瞬間が来るまでが楽しいんであって過ぎてしまった瞬間に出し追えたポケットモンスター(スラング版、とはいえ僕のはポケットハローキティ、つまり可愛いってこと)みたく気分が萎えてしまうから、商品だって途端に売れなくなってしまう、ってーか既に売れなくなっているのかもしれず、珍しく何を思ったから某工業新聞が仕掛けたチャリティ付きの「01−01−00」グッズの残りかけの社販があったんで長谷川健太も着ていたとかゆージャケットを1枚所望する。

 いちおーは「ミチコ・ロンドン」のデザインらしーから悪くはないんだけど、胸に輝く「01−01−00」のロゴが年を越えても恥ずかしくなく着ていられるか否か、とりあえず2000年中は「旬」と強引に言い切れば大丈夫、ってことにしておこー、でないと気が滅入る。今自分に例の「ワールドカップフランス大会」の鳥さんグッズを持っていられるか、着ていられるかってな気分よりはいーけどね。とりあえずは明日の9時からあるとかチラシが出ていた秋葉原の「メッセーサノー」での飯野賢治御大による「D2」販売会とかに着て行くつもり、なんで飯野さんこっちを見つけても殴らないでね、って伝わるはずもないけれど。でもローラ、ストッキング履いてたからなー、どーなんだろーなー。

 広末涼子の登場で涼子の代名詞を取られ、また篠原ともえの活躍によって名字もそっちがメジャーになってしまった、んじゃないかって今思った篠原涼子さんの姿をイメージではホント久々にドラマで見る。NHK名古屋制作の「恋の手裏剣」って奇妙なタイトルのドラマは、市役所の公務員になったのに何故か伊賀上野と聞けば誰もが思い出す忍者屋敷の案内嬢、じゃない案内くのいちにさせられてしまった篠原涼子演じる女性が、最初は嫌だったのに惚れた彼氏から誉められた途端に仕事に張り合いを持って頑張るってなストーリー、だけど富山の黒部で働く彼から結婚を持ちかけられて、けれどもくのいちになって飛びはねどんでん返しに消える仕事を好きになってた彼女は、愛らしくも悩み苦しみ悶えるのであった。結論から言えばシノリョーやっぱり可愛いわ。

 なるほど松本仁志曰く「ホワイトタイガー」みたいな大きな鼻は健在だけど、民放ほどベタでもない割にはNHKっぽい高尚さもないコメディとロマンスがほどよく混じった展開の中で、深刻にならずかといって浮きもせず、仕事に悩み恋に悩んでる女の子を演じて見せてくれてる。忍者の姿もなかなかだったし、どんでん返しに突っ込む度胸も「ごっつ」で汚れまくっただけのことはある。メジャー感は薄れ歌も最近は目立たなくなっていたけど、しっかり頑張ってちゃっかり居所を固めてる感のあるシノリョーが、さてはて映画のヒロスエ、バラエティーのシノハラを上回るだけのスポットを再び浴びる日が来るか。CMで男のパンツの宣伝してた時のなめまかしさも好きだったけど、ドラマでの健在ぶりも見せられたんで、ちょっと期待しても良さそー。しかし鼻大きいなー。


【12月21日】 物は言い様、とはなるほど至言だと思ったのは例えば更迭をあらかじめ既定路線だったと強弁し、左遷は勉強してもらうためで更迭の後釜に据えることで成果を役立ててもらうと言い抜ける、それが大勢の人にたぶんバレているにも関わらず、言ってしまう辺りにやっぱり病根の深さが見える。雲の上のお城に住んでいるお殿様ならいざ知らす、現実世界に暮らし差配する立場の人間がこうでは、ただでさえ皮相的になっている人間が動くはずもない。空虚を助長し怠惰を扇動した挙げ句、なおいっそうの戦線離脱を引き起こす可能性があると予言しておこー。何のことかは内緒、ってーか言ってもどこも関心持ってもらえない事なんでもー良いって感じ。個人としては天然記念物なり人間国宝なり世界遺産でも見るつもりになって、最前線でその死に際を観察・報告しよー。流れ弾に当たって戦死って可能性もあるけどね。

 年末らしく新刊本のラッシュで本屋を回るのが楽しいタノシイ。ちょろっと持ち上げて見た「ハリー・ポッターと賢者の石」は何と15刷りも行っててまさに「ソフィーの選択」状態ですね。あの時も実は初版を気になってとっとと買っていたんだけど、こっちは出版社も小さく宣伝も少ないにも関わらずの口コミ的人気(あるいは書店店頭を集中的に狙ったプロモーションがあったのかも、取次あたりの)を見せているから、ケースとしては異例のうちに入るのかな。とにかく書店店頭でのショバの抑え方がすごいです。

 本はまず翻訳書のコーナーで餡飯じゃないアン・ライスの「幻のヴァイオリン」(浅羽莢子訳、扶桑社、1714円)を購入、ハードカバーでの刊行元が扶桑社とは珍しいけどエッチ版眠り姫のシリーズを文庫で刊行しているのがここん家だからそれほどはずしてないのかも。夫の死語に現れた謎のヴァイオリニストに過去のいやだったことを思い出させられた主人公が、ヴァイオリンを奪い取ったがそこにはさらに一層の苦悩を抱えたヴァイオリニストの過去があった、ってな感じの物語を読めばきっとこの生きにくい世に生きなければならない辛さを癒してくれる言葉を得られるんだろーけれど、またとっかかっただけなんで本当かどーかは不明。読むのちょい気分的に辛そーだけど、表紙絵も装丁も良いし大きさも重さも手頃なんで終末にかけて持ち歩きつつ読もう。

 ファンタジーではテリー・ブルックスの「妖魔をよぶ街」(井辻朱美訳、早川書房、上下各660円)も刊行、街に生きる魔力を受け継いだ少女が遭遇するデーモンたち、ってな現代の街が舞台のファンタジーは内容覚えてないけどチャールズ・デ・リントの「月のしずくと、ジャッキーと」(チャールズ・デ・リント、森下弓子訳、東京創元社、650円)たりに雰囲気が似ているのかな? 似てなくっても現在のガチガチになって居心地の悪い世界に、天国だろーと地獄だろーとほころびを開けてそこから遺業の物どもを登場させるって展開は、目先に変化を付けてくれるから読んでいてたぶん楽しめるだろー。所詮は夢なファンタジーだけどしばしの夢に浸って今を渡って行ける力を得られれば。

 こっちはもっと別のパワーが得られそう。恐怖って名前のパワーに押し包まれそーな予感がしている倉阪鬼一郎さんの「白い館の惨劇」(幻冬舎、1600)が刊行されていたんで買う。新しい「色館シリーズ」ってものの幕開けを飾る作品らしーけど読んでないから恐怖なり快楽の度合いは不明。見た目で言えば4枚の額が配置された表紙の白地に金っぽい字でタイトルが浮かぶ装丁は実に格好良い。帯の赤が邪魔に思えるくらいのゴージャスさで、白い服に金モールいっぱいの麗人が着そーな衣装を思い出す。もちろん描かれているのは血みどろに魔術的な惨劇だろーから、読む方も気分を鍛えてかからないと巻き込まれて酩酊感の中におぼれ昏倒し凍死してしまうかもしれない。んで読むのは仕事が一段落して落ち着いてからにしよー。年末のミレニアムで停電した部屋で蝋燭灯して読むってのが最高のシチュエーションか。

 年末の大晦日が確か恒例だったと思ったけどまだ1回ものぞいていない「映画秘 宝プレゼンツ」なBOX東中野での「クリスマス・オールナイト’99」が今年はクリスマスに開かれることになっていて、せっかくの夜を秘宝な映画で過ごす人なんているのかなと思ったら、劇場での前売りはすべて売り切れでチケットぴあの分も完売間近だそーでちょっと吃驚。都会にはアベックで不思議な映画を見る人たちとか、逆に1人で奇妙な映画に浸る人とかいろんな品がいっぱいいるって事がいるんだなー。今回は上映作品にも吃驚で、「東京ファンタスティック映画祭」で上映されて観客を愕然とさせた日本はおろか世界でも希なビルドアップ・エンターテインメントが繰り出す実写パワードスーツ格闘映画「D」に加えて1本を上映とか。ガース柳下さんのトークもあってSF映画なんだろー「D」に対して何を言ってくれるのかも楽しみだけど、チケットもたぶんそろそろなくなってる頃だろーし、やっぱりくらいはしっとりしたいんで(1人で汗の染みた毛布にくるまって眠ること)、後で誰かのページでどんな反応があったか探ろう。やっぱ2話のトリが最高だったよね、とか。岡部暢哉さんとか覗くのかな。


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