月のしずくと、ジャッキーと

 「どちらがより現実なのかね。あなたの世界と、妖精郷と」−あとがきの冒頭、訳者の森下弓子さんは、「ジャッキー、巨人を退治する」(チャールズ・デ・リント、東京創元社、550円)の中で、術師からジャッキーに発せられたこの問いかけを、同じように読者へと発している。30歳を超えて分別のついた大人の僕は、寂しいけれど、今、住んでいるこの世界だけが、現実なのだと知ってしまっている。

 もう少し未来を見通す目をもった少年だったら、あるいは今と違った現実に、胸を躍らせる日々を送っていたかもしれない。逆に絶望に打ちひしがれた、暗い日々を過ごしていたかもしれない。それでも、現実には違いない。現実と重なりあわせの妖精郷は、ファンタジーの世界の中だけににしか、存在しない。

 ならば何故、永遠に会間見ることのない世界が描かれた、ファンタジーを僕は読むのか。いい歳をして空想の世界に没入し、ひとときの夢に心を馳せるのか。答えはまだないし、見つけたいとも思わない。「なにわのこともゆめのまたゆめ」だということを、やっぱり知ってしまっているからなのだろう。

 長い前振りもそこそこに、「月のしずくと、ジャッキーと」(チャールズ・デ・リント、東京創元社、650円)は、前作「ジャッキー、巨人を退治する」で、妖精郷を守る術師(見習い?)になったジャッキーと、その友人のケイトが再び登場して、妖精郷を脅かす新な敵と対峙する物語。その名はヴェルディ川崎!じゃなくって、黒い犬を操る異境の術師。ハンサムなのを良いことに、巧みにジャッキーに取り入って、妖精郷の要ともいえる「塔」への侵入を果たしますが・・・。

 とまあ、ストーリーは巧みだし、キャラクターの造形も素晴らしく、どんどんとページを繰らしてしまう腕は前作と同じ。新キャラで、ジャッキー側にも族側にも属さない一族の登場は、敵と見方という2元論では語れない、広大で複雑な妖精郷の様子を、ほんの少しだけかいま見せてくれます。敵にやられて、仲間に助けられて、新たな仲間を得て、月の守護を受けて、敵を倒すという、まあなんともありがちな、怒られるかもしれないけれど、セーラームーン(「月の光は愛のメッセージ」)も吃驚の展開ですが、音楽が妖精達の心を高揚させ、幸運をもたらす場面に至ると、これはもう、マクロス7ではないか(「俺の歌を聴け!」)とも思ってしまった次第。

 成長していく少女が次に出会う敵は何だろうと、想像するだに楽しくなるシリーズですが、前作の三村美衣さんの解説を読む限りでは、次回作はまだ書かれていない様子。ザンスといい、これといい、ファンタジーははまると泥沼ですから、いらいらが募って胃腸に大変です。

積ん読パラダイスへ戻る