縮刷版2001年1月中旬号


【1月31日】 もう何年も帰ってないからはっきりとは覚えてないけど多分あれは旧国道153号線さらに古くは飯田街道と呼ばれた平針から原、植田を抜ける道のバイパスとして作られた東は「名古屋市農業センター」前を過ぎたあたりから分離して西は和菓子の松河屋だか医者の近藤クリニックだかの前まで続く道のグッと原側に寄って新しく建設中あるいはすでに完成した国道確か302号線だかがクロスする場所に建っている奇怪な円形の歩道橋じゃないかと「ヤングキングアワーズ」3月号巻頭「ジオブリーダーズ」で黒猫を待っていた”まや”がしゃがみ込んでいるシーンを見て思ったけれどどうだったっけ。見るとガードレールがあって看板に矢印が両方向に向けて書かれているから南へとはまだ抜けてないのかもしれない。何か最近地元率が高いなあ。

 冒頭の化け猫が内ゲバってる場所はちょっと不明、手前の雰囲気が田圃っぽい所から類推するとあるいは「綾金」とはなっていても名古屋市からちょっとだけ出た日進市あるいは東郷町の県道沿いかもしれない、田圃も結構残っていたし、あんな感じの大きな建物も建っていたような模造記憶も残っているし。うーんどこだろう。神楽総合警備の新オフィス、とは名ばかりの講演は流石に想像不可能、あれほどぐにゃらぐにゃらした変形滑り台がある講演はちょっと記憶にないなあ、「天白図書館」の斜め向かいにある公園の滑り台は確か富士山だったから違うんだろーし、遊んでいるのが「八事第三小学校」の遊び場だとしたらもっと塩釜神社寄りだろーから。名古屋に居て「けった」あったら探して歩くんだけどなー。今度はもうちょっとだけ目立つランドスケープを登場させて下さいな、植田の「名古屋トヨペット」の間抜けなドームとか。

 「トライガン・マキシマム」はザジ・ザ・ビーストの胸が大きくなってる気が。読み切り作品の「オタクが行く!!」はSF研が舞台なのにどーして部員の1人は「ドラエガン」イベント限定トレカを自慢してもう1人はイタリア系アメリカ人の留学生で「メグーミ」を含めた声優ファンで残る1人の主人公も女の子と喫茶店に入って「セーラームーン」に萌えているんだろー、でもってマーキュリーは安藤作監だと強調するんだろー。実はSF研ってまるっきり出入りしたことないから良く知らないんです、SF研ってこんなんなんですかそうなんですね楽しそーだなSF研。「オタギャルもいい女ほど彼氏持ち」ってSF研創始者らしー胡桃沢先輩の言葉はマジに響きます。

 やっと発表したけどもはや材料出尽くしで目新しさのほとんどなかったセガの再建計画は、むしろ大川功会長兼社長が自腹をずんばらりんと切ってセガに850億円ものお金を贈与したって発表の方がインパクトでかくって、質問する人も850億円が現金なのか株なのかって辺りとか、どーして第3者割り当て増資の引き受けじゃなくって贈与なのかって辺りを突っ込んでいたけど、肝心の御大が寒くって外に出られないとかで会見に姿を見せず、心の内まではちょっと分からなかった。それでも意図はともかくとして事実としてお金を贈与する訳で、それだけセガとゆー会社に対して深く強い思いがあったんだろー。その思いを果たして残っている人たちが汲み取り活かしていけるのか。横須賀から出るか出ないかってなゲームに10分の1とか突っ込まれたら大川さん、泣くに亡くなれないからきっと行く末を見るまで頑張って留まり続けるんじゃなかろーか。その執念を再び僕たちの前に見せて暮れる日が訪れることを祈ろう。

 ちょっとだけ驚いたのは「バーチャファイター4」なんてものが作られる予定があってそれが「プレイステーション2」の上で動くとかってアナウンスもあったってことで、セガな人セガガガなファンにはちょっと頭がボーゼンかも。セガのマシンの上で動かない「バーチャ」なんて「バーチャ」じゃないやい、なんてことは言うつもりはないけれど、時代に染まった人から見ればやっぱり隔世の感があるんだろー。ほかだと「サクラ大戦」シリーズとか「スペースチャンネル5」シリーズとかの移植も決まってるよーだけど、「PS2」向けに「サクラ」を今さら出して最初の「セガサターン」向けの本数を果たして越えられるんだろーか。あーゆーゲームを8000万PSユーザー&600万PS2ユーザーのどれだけが欲しているんだろーか、欲している人は「SS」も「DC」も持ってるんじゃないのかなあ。まあ20万本づつ売れても今時のソフト受難な中ではそれなりな数だし、すでにある材料を使うからコストもかからないだろーから利益面では美味しいのかも。せめてアニメくらいは作り直して欲しいものだけど。

 反省する点としてマーケティングの失敗を挙げていたけど、セールスの仕方が悪かったから良いソフトなのに売れなかったのか、先鋭的で画期的でも多数のユーザーが欲しがるてゆーマーケティング的な視点が無視されていたが故に売れなかったのかが判然としないのがちょっと難。見るとソフト事態の路線は変わらないよーなんで、良いソフトとゆー自負は捨てずにこのまま進め、宣伝の仕方なんかを変えてアピールしていくってことになるんだろー。それが吉と出るか否か、とりあえず第一段ソフトの状況を見たい。「ヴァーチャ」かな「サクラ」かな。「ゲームボーイアドバンス」向けには「ソニック」とか「ぷよぷよ」あたりが登場とかで、こっちはゲーム性の面白さでは折り紙つきなんできっとそれなりにアピールしそー。それにしてもコンパイルのゲームだった筈の「ぷよぷよ」って、例の一件以来コンパイルの手を放れてセガの手に落ちていたんだねー。その時の投資がこーゆー局面で生きて来たって言えるんだとしたら、やっぱり人助けはしておくものだってことになるのかも。


【1月30日】 何かこだわってるのは単にこっちの神経がねじ曲がっているだけなのかもしれないんで決して正論と讃えず暴言と誹らず暇人のブツブツと聞いてもらえればこれ幸い。さて森総理の昨日の動静を新聞で見たら山手線で線路に落ちた人を助けようとして亡くなった2人のうち韓国から来ていた人の方には弔問に行ってもやっぱり日本人のカメラマンの人の方には行ってなかったことが分かって、読むと別の事故とは関係ない人の弔問には行ってたらしく同じ勇気のいったいどこに、総理大臣直々の弔問を受けられる方と受けられない方の違いがあるんだろうかと頭を悩ませる。

 通夜にそそくさと駆けつけてしっかりテレビに出ていた田中真紀子代議士も含めて別段地震で大量の人が亡くなったインドに国の超偉い人の行く気配はなく、もちろんサラエボにもパレスチナにも行って抑圧されている人にコワガラナクテモイイとは言わない辺りを見るに付け、なんだい結局のところは身近なところでインパクトの高い行動を取ることで目立ちたかっただけなのかい、ってな下衆の勘ぐりばかりが頭をよぎる。もっとも偉い人に限らずそうした動静を伝えるメディア自体が、まずは韓国の人を先に国籍の違う人を助けて偉かったと讃え、次に日本人の人の方に話を流すってな具合に妙な差をつけているから五十歩百歩なんだけど。

 同じ失われた命でもどこかに”格差”をつけてしまいたくなる雰囲気が、メディア発かあるいはメディアを介して全国民的な共通認識になっている感じがある。類推するにその雰囲気は「国籍」という概念から浮かび上がっていて、「国籍が違う人=無関係な人」という理解がいったんあって、にも関わらず勇気を奮ったということに対して驚き騒ぎ誉め讃えているってな構図が透けて見えて来る。これが例えば立場が逆で、韓国の人とか中国の人では明らかに国籍が違うって見分けがつかないから白人、黒人、インド人の人が線路に落ちて助けようとした日本人が事故に巻き込まれた時、「相手が外国人なのに助けようとした」って論調がマスコミから出るだろうか。多分出ないだろう、だってこれ言うと「普通は外国人なんか助けないんだよね」ってな気分が問わず語りに滲み出て来てしまうから。「同じ人間なんだよ助けるのが当たり前じゃないか」。そう言うにきまっている。

 なのに立場が逆になった今回のケースではそうはなっていない。「国籍が違う」という点を最大のバリューとして、その英雄的な行為ばかりを讃える風潮が満ちあふれている。亡くなった韓国の人を「国籍が違うのに」って褒め称えれば褒め称えるほど「韓国の人がどうして日本人を助けるの? そんなはずはないのに」ってな先入観が日本人にはあるんだってことが浮かび上がって来てるんだよ。韓国の人たちは「あなたたちが日本人を助けるはずがない」と日本のメディアから思われているんだよ。騒ぎ立てられることにどうして違和感を抱かないんだろう。あるいは抱いていても優しさが声高に逆差別的な日本のメディアによる持ちあげっぷりに寛容な態度を示させているんだろうか。だとしたら大変有り難いし、同時に己の無神経さがとても哀しい。

 溺れている子供を助けようとして亡くなる毎年結構な数出るけれど、過去に総理大臣までが弔問に来たって話は聞いたことがない。命の重さに差はなくて、英雄的な行為が等しく讃えられるものであるのなら今後森総理は、田中真紀子代議士はそういった行動のすべてを讃えるんだろうか。やらないだろう、だって目立たないもん。あるいは同じ韓国籍でも日本に住んで3代目の人だったらどうだっただろうか。これほどまでに大きな扱いにはならなかったような気がする。純粋に素晴らしい行為。讃えられるべき勇気。けれどもそれを取り巻く周囲の、意識するとしないとに関わらず取っている行動なり発している言葉は、勇気を神棚に祭り上げることを通じて自分たちの心の安寧を得ようとしているに過ぎない。何という欺瞞、何という偽善。

 誤解なきように言うなら韓国の人の所に弔問に訪れた無名の1個人に対しては亡くなった方と同等ではにけれどその気持の優しさを讃えたいし、感謝もしたい。問題はどこか他者のカメラ目線を気にしていたり、相対的な基準に照らし合わせて価値を判断しようとしている有名人であったりマスコミの態度であって、確固たる信念もなく雰囲気に乗ってしまおうとする彼らの行動なり言論がもたらす息苦しい空気が、将来においてどんな影響を与えて来るのかを今はひたすらに注視したい。国の為に死ね、とまでは言わないだろうけど会社の為に死ね、とか教師の為に死ね、とか親の為に死ね、とかいった古き悪き時代の滅私奉公的態度への讃美賛辞が蘇らないことを切実に祈る。

 しかしさすがに朝日新聞、亡くなった方へのお見舞いを募っていた次に今度はちゃんとインドの大地震の被災者に対する義捐金の募集も始めていて、そーいった部分での公平性には頭が下がる。無意識の偽善なのかは判断が難しいところだけれど、逡巡も葛藤もなくスンナリと「困った人のために何かしてあげよう」とゆー発想が出てくるのは素晴らしいことだと思う。対して今日になって山手線事故での助けようとして亡くなった人への義捐金募集を、僚紙がすでに初めているにも関わらず後追いのよーに始めた上に、社員も協力した方がいーんじゃないか的発想を振りまく経営者がいるメディアなんかもあったりするから世の中なかなかに広いってゆーか。商売的にはなるほどバリューを判断して集中投下するってのは正しいかもしれず、経営者としては一流だとは認めても、人間としてちょっと受け入れがたい。そこで正義への献身を追随の理由として振りかざすんだとしたら、 亡くなった方の純粋な正義に対してこれほど冒涜的なことはない。日本のメディアの先なお暗し。転機かなあ、やっぱ。

 タカラが二足歩行ロボットを発表するってんで見に行く。会場に到着するとすでに満席状態でテレビカメラもキー局各社が出そろっていてなかなかな賑わいぶり。「AIBO」でも「ASIMO」でも、「ロボット」って表題に付くと1枚も2枚もバリューが上がってしまう横並び一線的メディアの態度は山手線事故の報道に通じる部分もあるけれど、それはそれとして一時期の低迷ぶりからカラオケのヒットでちょっぴり上向き加減にあるタカラのさらなる飛躍を期するとゆー意味で、注目が集まるのは決して悪いことじゃない。問題は期待を抱いて集まった人たちに対して「ASIMO」「SDR−3X」に匹敵するパフォーマンスを見せられるかってことになるんだけど、さすがに自動車3台分に1台分と比べるのは無理なんで、見る側も過大な期待は抱いていなかっただろーから、その意味で登場したロボットの見せてくれたパフォーマンスは、十分だったんじゃなかろーか。

タカラロボット  見せ場だったのはロボットが「ジェンガ」ってゆー積み木崩しゲームを試したところで、積み上がったブロックの1本をロボットがものの見事に抜いて性能のそれなりさを見せてくれた。カメラ的に美味しかった部分かも。あとこれはイメージってことだけど、携帯電話を使ってロボットに指令を送って遠隔地にいる女性のグラスにワインを注いであげた部分とか。陳腐ちゃー陳腐なシチュエーションだけどテレビって「何が出来るのか」ってな具体的なビジョンを求めたがるものなんで、あーいったプレゼンテーションは面白かったんじゃなかろーか。一方で2台のロボットをバトルさせる部分はいまいちパフォーマンスが悪く滑り気味。ガッチャンガッチャン歩く動きはあんまりバトルとかには向いてなさそー。いっそ「火星大王」あるいは「月光機」の側とか付けて鈍重さを強調するよーにすればピッタリだったかも。それじゃあ売れないか。

 けど秋に出るとかゆーこの製品版は実は価格の面とかで相当に”勉強”してしまったものらしく、ベースとなったプロトタイプの方がパフォーマンス的にもスタイル的にも圧倒的に優れていて、どーせ出すんだったらこっちをメインにした方が会社的にも良かったんじゃないか、なんてことを考える。何しろプロトタイプの制作を実際に担当したのはジェノイド・プロトデザインって会社で担当している人の名前は「張仁誠」。ここでエッ、と思った人は相当のSFアート好きで、確か「TRON」の坂村健さんが書いた本「電脳都市」の最初の冬樹社版(家のどこかに埋もれているはず)でシド・ミードさん張りの未来的な都市とかのイラストを描いていたのが帳仁誠さん。日本のSFアートを語る上で欠かすことの出来ない人で「SFマガジン」誌上でも時々名前を見ていた人が目の前に立っていたのには流石に驚いた。

プロト  で、見ると流石に張さんが手がけただけあってプロ版はタカラの製品版と違ってボディーがスマート。伺うと「腰の絞りが特徴で、『アイアンジャイアント』みたいな感じが出てるでしょう」と言っていて、逆三角形の胸部と長い手が付き骨盤から伸びる足があってバランスのとれたプロポーションに仕上がっている。動いていない時はちょっぴり弱々しさを感じたのも事実で、色気のなさが気になったけど動き始めたらこれが速いのなんのって、両足をさくさくと動かして前進するわ後退するわ腰をぐりぐりひねって旋回するはと大騒ぎ。でもって肩に付いているガトリング砲からミサイルをびゅんびゅん飛ばすわ手の平にしかけたバネで握ったボールをぽいぽい投げるわと、ギミック満載でこれなら「ガンダム」とは言わないまでも「ダグラム」「ボトムズ」的ロボット格闘の面白さを味わえそー。そーいえばどこか「ダグラム」に似てるぞ。

 今のところラジコン操作でロボットどうしを戦わせることが主題なんで他律型にしかならないけれど、技術的金額的な面がクリアになれば自律型もやりたいってなことを張さん言っていたから、今後いろいろなロボットを作ってくれるだろー。骨組みだけの色気のなさも例えばFRPか何かで成形してパーツを作って重量バランスも考えながらボディにくっつけていけば、バンダイが前に出していた「ザク」に対抗できる、ってゆーか張さん的にははるかにしのぐ機動性を持った「パトレイバー」とか「エルガイム」を作れそー。製品版とは別にプロトタイプを土台にしたプロ版ってのを出すよーなことを言っていたし、造形に自信があってロボットにも興味のある人は一種の「素体」としてお求めになってみてはいかが。正直製品版はどーでもプロ版はマジで欲しい逸品。手に入れたら「BB弾発射機構」も組み込んで「ネコ耳90式戦車」に挑戦だ。


【1月29日】 黒だった、と思うけど瞬間だったんで録画したビデオをスローにして駒送りにして見たらやっぱり黒だった、とは言え目を凝らしても、デルタゾーンと床の黒い部分との境目が見えてこない所をみると、もしかしたら白だったのをデジタル操作で黒く塗りつぶして、見えなくしてしまっているのかもしれないと、幾度も巻き戻しからスロー再生を繰り返しながら考えたけど、果たして真相はどーなんだろー。何って当然、「鉄甲機ミカヅキ」第4夜で怪獣マニアのストーカー兄ちゃんに捕まった原史奈さんが、床に押し倒されて身もだえるシーンの話です。

 前半は回想シーンとかふんだんにつかってコストを抑えたのか後半はまたしても形が変わった「月光機」の活躍も空しい爆発ぶりとか、空飛ぶ「ミカヅキ」の地面に降りたって立つ粉塵の凄まじさとか、敵怪獣の暴れっぷりとかいよいよ登場なった「真月」の凶悪ぶりとか、物語も後半戦に入って見所も増えて来て、謎謎謎のオンパレードにますますこれからが見逃せなくなって来た。火星大王の時代から比べてだんだんとモダンになって「禁断の惑星」的なレベルまで来た「月光機」、次はいきなりカトキハジメさん風のスタイリッシュなボディとか、永野護さん的スリムなヘビーメタルとかモーターヘッドみたくなってたりして。

 決して広いわけではない業界だけに方や原告でこなた被告のおそらくは双方と面識のある人の多いだろう”例”の裁判の被告人側証人尋問が2月に開催されるって案内が届いて何で届いたんだろうとか思ったけれど”例”の裁判が立ち上がるきっかけになった本を発売直後に取り上げていたりするから世間への事態の認知度向上には何らかの役割を果たしたのかもしれずだとすれば成り行きを見守るのも役目だしそれ以上に日本ではおそらく初めてとなる「テクスチュアルハラスメント」なる用語でもって語られる事件に対していかな持論いかな反論いかな結論が出るのかを見るのは野次馬としてどうして興味を持たずにいられりょうかってことで平日だけどメディアにまつわる事件でもあるしコナミがどこかを買収したりスクウェアが何かから撤退するような事態でも起こらなかったらのぞきます東京地裁。

 漁夫の利という見方も出来るだろーコナミによるマイカルグループ傘下のフィットネスクラブ、ピープル買収は、体力的に弱まっているマイカルから優良資産を買い取る今が最大のチャンスだったとタイミングでもって語れないこともないけれど、すべての分野にエンターテインメントが求められている状況の中では、ゲーム会社にとってフィットネスであってもスポーツであっても「遊び」の要素を加えることで十分に新規ビジネスとなりうる訳で、パッケージやら業務用といった旧来からあるゲームがそろそろ伸び悩みを見せている状況で、新しい事業領域としてフィットネスとかヘルスケアの分野に焦点を当てるってのも半ば必然だったと言えそー。そこに弱ったマイカルが通りかかって思惑が一致、今回の買収になりましたって考える方が流れとしては自然に映る。

 スーパーのような巨大な施設を作って集客して売上を稼ごうとするビジネスモデルはいかにお客さんを集めるかが最大の課題としてあって、例えば映画館を作ったりアミューズメント施設を作ったりフィットネスクラブを作ったりしてお客さんがより多く集まるよーな仕組みを作って本体の売上に結びつける、あるいは本体に集まって来た人をそーした関連施設へと振って相乗効果を狙うってな関係が成立していたけれど、このサイクルも肝心要なスーパーへの集客が景気とか購買行動の変化から崩れてしまった時には崩れてしまう。ネットに例えるなら客の集まらないポータルサイトにはテナントも広告も集まらないって感じ。で要となるポータルの部分が今後当面拡大しないとなった時すなわちスーパーがもてはやされた「商」の時代がここに来て終わりを告げて「楽」をテーマにすべての産業が集中していく時代が到来したってことを、象徴している出来事のよーな気もする。

 もちろんすべてのエンターテインメント関連企業が総合エンターテインメントへと向かうとは限らなくって、任天堂は相変わらずゲームを軸に面白さをどこまで与えていけるのか、ってことを中軸にいろいろ事業を展開しているしソニー・コンピュータエンタテインメントはどちらかと言えば「楽」を伝えるプラットフォームをどう構築するかに腐心して、そのプロセスとして自前でもソフトを供給しているような感じがある。フォーマットを売る会社への志向は多分そーしたビジネスモデルを想定したものだろーし「ドリームキャスト」対応ソフトのPS2向け移植もそれがハードの普及を促すものだったら拒否する理由はない。コナミは新しい事業分野を増やすことで経営のバランスを取ろーとして総合エンターテインメント化を進めている訳で、あくまで1つの生き方ってことになる。

 似たところだと映画を買ってテーマパークもやってヘルスケアとはちょっと違ってシルバービジネスなんかに「楽」の要素を入れようとしているナムコなんかが近いけど、いかんせんグッズなんかのクリエイティブプロダクツの部分が極端に弱くって「パックマン」以外のキャラクターで全世界的とは言わないまでも国民一般がうなずき欲しがるものがない、「ミスター・ドリラー」の「ホリ・ススム」には全国区キャラになって欲しいけど。その他だとエニックスが「ドラゴンクエスト」で1点突破を図りながらコミックにグッズですそ野を広げつつあるけどまだなかなか。スクウェアはしばらく映画にお金を出せる状況じゃないけど一方で「DQ」ほどグッズがメジャーじゃないから、今はどうやって育てていくか仕組みを組み立てなくっちゃいけない。

 かくして1人突出してコナミが大きくなっていくってことになる。権利を取り集め著作権に五月蠅いスタンスはともすれば苦々しく思われがちだけど、こと客観的に見た場合、やっぱりビジネスの巧さは認めなくっちゃいけない。可能か否かは不明として、主にのハードをあきらめたセガには是非とも持てるコンテンツ資産に「プーチ」が人気のセガトイズ、アニメのトムスエンタテインメントあたりを束ねて是非ともコナミ追撃に臨んで戴きたいところだけど、やっぱり「すっげえゲーム」を作ってナンボの会社と内でも外からも思われているからなあ。どこまで気分を変えて行けるか。セットトップボックスへの提供も1件決まったみたいだし、落ち着いたところで今後の展開なんかを是非とも教えていただきたいものです。聞いてがっかりするかもしれないけれど。

 哀しい話だと思うし勇気は讃えたいと思うけど、それだけに山手線に落ちた人を助けようとして飛び込んで亡くなった2人の人の英雄的な行為を、どこか利用しているようにしか見えないんだよなー、森総理とか田中真紀子代議士の葬儀とか通夜への参列は。もちろん本当に心からの発露なんだという可能性は否定しないけれど、だったらどうして亡くなった一方の韓国の方の方にしか現れないのか、って疑問がどうしても起こる。東京から近い、っていう物理的な理由があるならまだしも、等しく悲しんでしかるべき人間の「死」、等しく讃えてしかるべき英雄的な行為であるにも関わらず、何かしらの作用が働いたのか、バリューを判断して格差を結果的に付けたのだったとしたら、やっぱちどこかに打算があったんだろうかと考えざるを得ない。

 森総理の弔問を報じていた右で成る産経新聞が、自己犠牲の精神を発露して無くなった人を悼めるんだったら、どうして国の為に戦って新だ英霊達が眠る靖国神社に首相は堂々と参拝しないのか、ってな主張を掲載していないのも不思議だけど、まあそれはそれとして、100歩譲って今回の総理とか外相とか代議士とかの純粋な追悼の気持の発露だったとしたら以後、分け隔てなく何かのために命を落とした人の所には等しく弔問に訪れるのが筋というものでしょう。殉職した警官であっても、溺れた子供を助けようとして亡くなった人でも、派遣されたPKOの先で亡くなった自衛官でも、周辺有事で派兵されて戦士した兵士でも。でなければ単なる目立ちたがり屋の偽善的な行為だったと思うしかないがさてどうなる。まあそこまで考えてないだろうけどね。


【1月28日】 度重なるリテイクに繊細な心が沈み込んでしまったので(大嘘)ここはひとつ景気でも付けようと思い立って近所のレコード屋で「アース・ウィンド&ファイアー」のCD「グレイテスト・ヒッツ」を買って聞く、「アース・ウィンド&ファイター」じゃないぞ、ちなみに「グウィーン」でもないけどね(分からない人は「イカ天」を見なさい、やってないけど)。ラッパの音と太鼓のリズムに重なるハイトーンなファルセットに渋い声、「セプテンパー」に「ファンタジー」と誰でも知ってる(ハズ)な名曲の華麗なボーカル軽快なサウンドを聞いていると気持ちは遥かエジプトの空ナイルの岸辺ミラーボールの彼方へと連れていかれて知らずウキウキと踊り出す。ついでに体まで揺れ始めて気が付くと積み上げたCDやら本やら洗濯物の山が崩れ落ちて大変なことになっていた。でもハッピー&ラッキー気にしない、どうせ短い人生さ、眠くなったら寝るだけさ。そんなこんなで落ちついてさてメールでもとチェックするとさらにリテイクのお願いが。鬱。

 ってことで「SFマガジン」の塩澤快浩編集長は追いつめられているらしい。ちなみに追いつめているのは私だ、わっはっは。とか笑いながらも鬱な心を鼓舞して七転八倒四分五裂三寒四温一石二鳥しながらとりあえずのところの担当分は夕方までにオールクリアで後は来月半ばに発売とかゆー「SFが読みたい」の新しい号にちゃんと載っているかを確かめるばかり。しかし今自分に追いつめてしまっていて本当に果たして大丈夫なんだろうかと他人事のよーに心配する今日この頃、ってゆーか素人なんで1番大変だっただろー当方がクリアになってもまだ追いつめられることがあるんだろーか、あるいはさらに大物がいるんだろーかと想像なんかしてしまう。編集って綱渡りです毎日が。長生きして下さい。

 片づけいたんで読書、平井和正さんの「幻魔大戦」(カプコンの「鬼武者」ってそーいや敵が幻魔だけど平井さんのお墨付きなのかな)でも「ウルフガイ」でもない単独にして読み切りでもって書き下ろしとゆー珍しい本「時空暴走 気まぐれバス」(集英社、667円)を読む。何でも昔書いた短い話を言霊に頼んで一気呵成に700枚まで伸ばした小説だそーで、読むと「しょっぺー」とか「拐帯犯人」とか耳古かったり耳慣れなかったりする言葉が出てきて平井さんの言霊も随分と辞書が古めかしいなーとか思ったけど、そこは流石に稀代の物語師にして天才・平井和正さん、主人公の少年がフラリと乗ったバスが何故か古めかしい車掌付きのバスで乗っているのは色々な時代から引きずり込まれた人たちで中に女子高生時代の母親がいて何ともアヤシイ関係になってしまうってなイタい話を次々にページをめくらなければ気が済まないエンターテインメントに仕上げてくれている。

 サボり癖があって気が弱い癖に相手が弱いと見るととことん嵩にかかってくる運転手を相手に少年が徹底して殴り蹴る暴力的なシーンがあったりするあたり、往年のバイオレンスな作家としての筆致が滲んでるなーとか思ったけれど、妙なところで人道的とか癒しとかに流れない徹底したリアリズムが逆に読んで新鮮でかつ心地よく、時空転移したバスが砂漠に放り出されても妙に冷静な登場人物たちの態度なんかも含めてズンと気持ちにフィットする。善と悪、対立する人間世界とは違った世界の存在によって代理戦争をさせられる人々を描いている点で「幻魔大戦」なんかにも通じる部分があるし、かといって声高に正義を振りかざさないシニカルな視点もあって辟易とさせられることはない。

 通過儀礼を経た少年の成長(近親相姦ぢゃないよ)の物語でもあって、いろいろと読み所は多そう。エンディングの分からなさもまあ平井的、半ば専属な感じのする表紙の泉谷あゆみさんをどう思うかは人によってそれぞれだけど、あたしゃ嫌いじゃないで別に良いです。しかしなあ、往年の平井ファン以外の誰が果たして読むんだろう。徳間デュアルとかで出てたらまだしも最近急激にカムアウトし始めたSFな若い衆が手にも取ってくれるんだろーけど、集英社からじゃーあんまり目立たないからなー。角川春樹事務所の「アダルトウルフガイ」シリーズとかって一体どーいった層が読んでいるんだろう、ってな興味もあるし、今果たして平井和正は旬なのか、ってのをちょっと考えてみよー、時間があったら。

 「へなへな日記」より抜粋。「人生っでのは不思議でもなんでもなくって「アサヒネット」の個人ホームページで日記の連載を始めたんだけどそれを読んだ編集者に連載をさせてもらってもそれを読みましたって人に会ったことって滅多になくって、どこかに転載されるなんてこもなくって未だ「ネットコラムニスト」なんて肩書きすら突かないままホームページの片隅でうろうろしている。世の中ってへなへなだなあ」。ってのは勿論ただの冴えない改竄で、田口ランディさん「ぐるぐる日記」(筑摩書房、1600円)の8ページ、「まぐまぐ」に書いた記事から発展してネットのコラムに読者がついて次第に「ネットラムニスト」へと駆け上がった田口さんへの、やっかみの交じったオマージュでもある。

 自分はメジャーじゃなく有名じゃないよ、ってスタンスがあちらこちらに出てくるのは当然ながら純粋な気持ちの吐露なんだろーけど、「ぐるぐる日記」でも半ばにさしかかる頃にはすでにいっぱしの認知度を持っていた人に言われてしまうと客観的には韜晦なんだろーかと思ってしまう。招かれる出版パーティーの数とか飲みに行く編集者の人業界の人受けるインタビューの数のどれをとっても儲けとかともかくなかなかな活躍ぶり。ひるがえって当方はと言えば相変わらずの無名も無名、謎も謎、道を歩こうと東京タワーに上ろうと勝手気ままな一人旅を続けているってゆーか続けざるを得ない辺りが、まあ才能の限界なんだろー。スピリチュアルな物への興味もないし為になる話もしたことがない、日々是適当なまるで藤原先生的生活だけど、それでも良いって方はまあ、5年経っても変化しなけりゃ成長も皆無な「へなへな日記」、じゃない当ページにアクセスあれ。でないと家燃えるかも(byあれ以外のなにか)。


【1月27日】 大雪。なので多分無理だろーとは思っていたけど荒れ地だろーと海の上だろーとジェットの力で浮游してスイスイと進むのが未来のエアカー、なんで積もったとはいってもせいぜいが10センチくらいの雪なんてものともせず、ブワッと浮かんで雪を溶かしけちらし進んでく姿を見せてくれるのが筋じゃないかと、そんな期待も込めて雪が積もり足下の滑る中を木場にある「東京都現代美術館」での展覧会「ギフト・オブ・ホープ」で本日予定されていた、八谷和彦さんによる「エアボード」公開実験に行ったら残念、やっぱり雪で実験中止になっていた、まあ分かっていたけど。

 雪だって大水だって浮かんで見せるのが「エアボード」乗りの心意気ってもの、なのに出てこないのは雪に臆したのかい、やっぱりエアカーなんて土台無理、所詮は空想科学小説の中にだけ登場する夢の産物なんだってことなのかい、なんて具合に煽るには、雪だろうと大水だろうと現場に行かなきゃいけないって訳で行ってみただけのことで、むしろ中止になって雪の降りしきる中を見物しなくてホッとしたってのも正直な気持ち。前にソニービルの前で見た時も寒風吹きすさぶ中で数日体調をおかしくしただけに、雪の積もった中庭に立たされた日には1週間は寝込みそーだったから。だったら始めから行くなって? まあそれは話のネタってことで。

 しかし中止と分かってて行った当方はともかくとして、あの大雪の中を何人かちゃんとお客さんが来ていたのが驚きで、決して混雑はしてないけれど(いつ行っても東現美が混んでたことなんてないけれど)、子供連れとかカップルとか、場内のどこにも誰もいないって状況はないくらいはお客さんがいた。もしかしたら公開実験を期待して来ていたのか、それとも東北生まれでこれくらいの雪なんて可愛いものってな感じでゲシゲシ雪を踏みしめて来ていたのか、単純に近所なんで遊びに来ていたのかは分からないけど、どんな天候であってもお客さんが来る程度には「現代美術」も面白がられているんだと言えないこともなく、開館当初はリキテンシュタインの漫画がどーとか言われて叩かれた美術館も、それなりに存在感を高めて来ているのかも。公開実験は次は2月、雪降らないことを願おー。

 戻って空想科学小説を読書、2030年にはやっぱりエアカーは飛んでいるらしー。雪の中では飛べない「エアボード」が果たして今後30年、どんなテクノロジー的発展を遂げて実用化されるのかは説明がなかったけれど、ロバート・J・ソウヤーの「フラッシュフォワード」(訳・内田昌之、早川SF文庫、840円)を読む限りではごくごく日常的な乗り物としてエアカーは使われていて、お陰で道路は別に舗装されていなくても良くなって荒れ放題、雑草だって生えまくってる状態になっているらしー。大雪でもちゃんと飛んでいるのかは描写がなかったけれど、「エアボード」みたく地面のほとんどすれすれを滑空するより以上の高度を実現しているからには、きっと大丈夫なんだろー。やったね八谷さんあと30年頑張ろう。

 何かとてつもない実験をやったら2分間だけ全人類の意識が2009年から2030年に飛んでしまってそこでいろいろなものを見てまた2009年に戻って来て大騒動、ってな話は意識が飛んでいた間に事故とかいっぱい起こってたくさんの人が死んで大変だってこともあるけれど、世界的な大災害を経験した割には、個人レベルでの葛藤は起こってそれぞれにドラマが演じられても、人類レベルではやっぱり未来を見たいってな欲得が先行してしまう辺りが何とも滑稽。まあクライシスノベルじゃないんで大災害の描写を延々と書くのは本意じゃなくって、むしろ意識がどーして飛んだんだってな理論合戦と、未来を見てしまった人が果たしてどう動くのかってなドラマを描きたかったんだろーから、これはこれで良いってことで。なるほど2030年にはビル・ゲイツは破産して、ジョージ・ルーカスは「スター・ウォーズ」の9部作をまだ完成させていないんだ。どちらもありえる話。

 21年後に自分を殺す犯人を見つけようとあがく科学者の話に、愛し合っていて結婚も間近なのに21年後には別れて暮らしている男女の果たして愛ってなんだろう的ドラマがつるんで進んでいって、間に事件を引き起こした理由って何だとか、果たして未来は確定しているのかそれとも量子論的に無限に別れているのかってな議論もあって、結果は読んでいただくとして迫り来る21年後のあの日に向かってグイグイと進めていく物語力はなかなか。でもって訪れた2030年に見る遥か先の光景はなかなかに壮大で、めくるめくビジョンに光瀬的だったり「ミライザーバン」的な宇宙観、未来観、時間観が見える、ホントかよってのは別んして。とにかく読み始めたら気になってラストまで一気呵成が必然、深夜とかに読み始めたら徹夜は覚悟だ。


【1月26日】 「モデルグラフィックス」の3月号を購入。をを「ワンダーフェスティバル」復活かあ。前の「リセット宣言」の時は”独占”だった海洋堂の担当者に対するあさのまさひこさんのインタビューが、今度は「広告」になって各誌に出ているあたりは”独占企画”で売上アップを狙う雑誌の覇道からちょっとズレるけど、一方で誌面から醸し出される雰囲気と記事がリンクして特定層には親近感を持ってもらえても、他誌を読んでいる不特定多数層(部数から言えばそーならざるを得ないからなあ)からは反発を買いかねないから、広告としてイーブンに接するのも仕方がないのかも。けどまあインタビューの内容はモロあさのさんテイストなんで、気に入らないって人はやっぱり気に入らないって怒るんだろー。またひと騒動ありそー。

 それにしても「ガレージキット」と「レジンキャストキット」が違っているんだとゆー海洋堂の人の言葉は、「ワンフェスリセット宣言」と出した時に理由の1つとして挙げられた「ヌルい」って表現にも増して解釈が難しくって曲解とか誤解をまたしてもたくさん生みだしそー。前に杉並のファミレスだったかでおよそ3時間にわたって「ガレージキットスピリッツ」の意味を教えてもらったんで何となくニュアンスは伝わって来るけど、精神論の行き着いてしまう「ガレージキット」と「レジンキャストキット」の間の差異はなかなかに線引きが難しくって、「どこまで頑張ればスピリッツあるって認めてくれるの」ってな感じで点数制度、偏差値制度に馴れてしまった頭には疑問と戸惑いが浮かんでしまう。

 「だったら具体例を見せてよ」って言われてそれならって「ほかのマスターグレードと並べられるように1/100ガザCをフルスクラッチビルドし、それを複製しれ量産した」のは「ガレージキット」じゃなく、「”パーフェクトグレード越え”という究極のガチンコ勝負をバンダイに挑むためい、いまあえて1/60でRX−78をゼロから造形する」ってことがまさに「スピリッツ」だと例を挙げてしまって、なるほど何かを乗り越えようとする”意志”そのものが「スピリッツ」なのかもなー、とか浮かんでは来るけれど、今度は例示が1つの”基準”を生みだしてしまって、”意志”ではなく越えているかいないかという”事実”のみが争われる状況を生みだしかねないのが、今度の「広告」から漂っている海洋堂の甘さってゆーか親切さ、なんだろー。

 まあ、スパンと割り切れるんだったら「広告」の冒頭にも出ていたよーに引継希望の会社にちゃっちゃと権利を譲り渡して管理しっかりなシステムの元で運営してもらっていただろーから、これはこれで”らしさ”の現れなのかも。分からないけどもしかしたら引継希望を示した1社なのかもしれないメディアワークス傘下のトイズワークスが持ち前の交渉力とか駆使してスタートさせる総通エージェンシー仕切りのガレージキットイベント「キャラクターズカルチャーコンベンション」なんてのが立ち上がるみたいだし、従来からの「JAF・CON」なんかも含めてどこがどう違うのかをカンサツして”スピリッツ”って何なのかを探してみよー。どっか”スピリッツ”をガレキにして出さないかな(どんなやねん)。

 四角い会社に取材。セガがゲームソフトの会社になるけどどうよ、とか聞いたら良いソフトがいっぱいある会社って答えがあって、「プレイステーション2」のインストール数を増やしてくれるから今は大歓迎って言っていたのは半ば意外で半ば必然。プラットフォームの数が増えて始めて商売になるってのは、それこそセガの「ドリームキャスト」に対応したソフトが一面で証明して見せている訳だし(だったらPS向けだったら売れたのか否かはやっぱり不明)。一方では同業になったとは言ってもミリオンダブルミリオンは必至のソフトを持ってる会社なんでそー簡単には牙城を崩されないだろーてな自信もあるのかな、セガには今んところこーした”最終兵器”があんまり見あたらないんだよなー。

 まあ鋭利な刃物はなくっても、数十万本をコンスタントに売る確かな内容のソフトを一杯集めれば巨大な鈍器になって、殴られればやっぱりひとたまりもありません、とも言っていたからやっぱり気にはしているのかも。問題は束ねれば鈍器でも束ねる肝心の紐だか釘だか接着剤だかが切れかかっていたり剥がれかかっている点で、振り上げて振り下ろそうとした瞬間に鈍器の部分が離散して柄だけになってしまったら、これはやっぱり勝負にならない。果たして何が束ねる力になるのかは、今さらな人間的情愛よりも明確なビジョンそして結果い対するインセンティブだと思うけど、果たして上がそこまで決断できるかどーか、でもって下も意識を変えられるかどーか。きっと勝負の時になるんだろー向こう1年とか半年とか1週間とかを、これまたしっかりカンサツしていこー。

 「ドリームキャストダイレクト」でちょっとお買物、って言ったら当然アレな「サクラ大戦3」なんだけど、オルゴールとビジュアルメモリのどっちが良いかなって考えてしまう辺りがまだまだ自分は真正のサクラ大戦ファンじゃないんだってことの証明か、ファンなら両方買うからなあ、即決で。今となってはギャグ以上に痛さも浮き出る謎ゲーム「セガガガ」も合わせて注文、セレクトに「次世代ハードの開発中止」ってのはあるんだろーか。他のページをながめていたら銀色に輝くメタリック塗装の「ドリームキャスト」も売っていて、シルバーメタリックこそが「スカイライン」の真の色だと任じている身として欲しくなる、ほらスタイリッシュな雰囲気でマニア受けする割には絶対に「マーク2」にかなわない「スカイライン」と似てるじゃない「ドリームキャスト」って。いっそ日産と組んでボディに赤く「GT−R」なんてエンブレムが輝く「GT−R仕様」なんて出してくれたら喜んで買うぞ、歴代「スカG」のトミカとか、歴代「スカG」が登場する「首都高トライアル」特別バージョンも付けてくれたらなお買いだ。「tanomi.com」に頼み込んでみよーかな。


【1月25日】 何かえーちゃん脚短い、って思ったのは電話をかけに行くとゆー田波ちゃんにメールのチェックなんかを命令する縁側のシーン。「ジオブリーダーズ2 File−XX ”乱戦突破”」の第3巻は戦闘シーンの多さで今シリーズ中でも屈指の面白さがあるし、謎めいた存在の登場とか本筋に大きく絡んで来そーな設定もあって見所も満載。あんなのがこれからどんどんと出てくるんだとしたら、神楽もハウンドも当の化け猫たちでさえ大変な目に合うことになりそーで、「ヤングキングアワーズ」の連載へと引き継がれていくエピソードは相当ハードな展開を余儀なくされそー。しかし本当になんだろー、あれ。

 深水陽子はタイツ越しながらもいっぱい見せてくれてご馳走さま。とは言え最後は川をヒラヒラと流れていってまるでギャグのマンガのヤラレ役と化している、まあギャグのマンガのヤラレ役なんだけど。マンガチックって点では深水と化け猫に挟み撃ちに合ってる神楽の面々が最初は深水の銃撃から逃れるために縁側から外に飛び出して、今度は化け猫の攻撃を避けるために縁側から家の中へと戻るシーンも脚は棒みたい体は紙みたい顔は落書きみたいで面白い。そんなシーンでまやはしっかり4つんばいになって動いているのが猫っぽい、まあ猫だけど。ジャケットの逃げる田波ちゃんちょっとデブっちいけど太ったのかな、全巻買うともらえる「まや弁」の本編にも登場する本物をきっと食べ過ぎたんだ、中身ピチピチとしてて(チュウチュウと言ってて)美味しそーだったし。

 富士見ファンタジア長編小説大賞の準入選から「武官弁護士エル・ウィン」(鏡貴也、富士見書房、580円)は武術と魔法の力が凄い弁護士が活躍する話、かと思ったら一人称の主役は滅亡した王室のお姫さま。貧乏になって強盗に入ったところを(すごいねえ)武官弁護士に咎められ助けられて秘書にされ、弁護士が担当する事件をつぶさに見ていくんだけど苦労した割にはジコチューで妙に惚れっぽくベタベタとし始めるのがちょっと鼻につくし、だったらそんな爆裂キャラの暴走ぶりを見せるのかと思ったら物語にはあんまり絡まず、空回りしている印象が最後までつきまとう。弁護士の法廷戦術も例えば「法廷士グラウベン」みたいな一応は真っ当な法廷物って雰囲気でもなく、言い合いした挙げ句に最後は魔法と武術のバトルになってしまって肩すかしを喰らう。

 むしろバトルな部分を楽しむのが筋なのかもしれないけれど、武官弁護士は圧倒的に強すぎて危機感がなく、ライバルの弁護士は強い割には動機が揺れ動いていて後先もあんまり考えてなさそーでなんか妙。妖怪も死神も弁護するって設定のなかなかなアイディアぶりはそれでも面白く、そーいった部分での例えばあらゆる生命体であってもその口にあった食事を出すさすらいの宇宙料理人的な職人芸を弁護の仕事で振るって見せてくれたら、バラエティと奥行きにあふれた話になったかもしれない。続きがあるのかは知らないけれど、エンディングはハッピーだったんでそのうち何かあるかも。地力のありそーな物語力に設定の妙を加えて面白い話を作ってくれれば有り難い。

 ハードから撤退するってことが明らかになった程度で投資対象としての評価を最下位から最上位に引き上げたアナリストもいたらしーけど、ホントーにセガってゲームソフトの開発力に定評があるんだろーかってのが目下の悩みどころで、これが確かじゃないとたとえソフト会社になったからって売れないソフトを山のよーに作り出しては失敗する、どこかのソフト会社と同じ憂き目を見る可能性も考えなくっちゃいけない。某「ファミ通」がまとめてた去年のゲームソフトの売上トップ100に入ったセガのソフトは実は2本。そのうちの一本が山のよーな開発費と宣伝費をかけて送り出した「シェンムー」で、それでも30万本がやっとって数字しか上げてないし、もう1本は確かレースゲームだったっけ、合わせて40万本ちょいでソフトメーカー全体だと12位でベスト10にも入っていない。

 プラットフォームが「プレイステーション」だったらもっと売れたはず、ってのがセガのソフト会社化を歓迎して収益改善を予想する人たちの根拠だけど、なんだかんだ言ったって600万台のインストール数があるプラットフォームの上で30万本って数字を果たしてどう評価していいものか。ほかのソフトにしても10万本すら行ってないって訳で、単純にプラットフォーム数の問題に帰結して良いのかどーか判然としない。逆に言うなら本当に面白いソフトなら、ハードを引っ張ってでも販売本数を伸ばすことだってある訳で、そーした”現象”を起こし得なかったって状況から、ソフトの可能性ばかりを囃し立てるんじゃなく1歩下がってもう1度、いや2度でも3度でも「セガのソフトはせかいいちぃぃぃ?」と問い直してみる冷静さがちょっと必要のよーな気がする。

 あとソフトの人気が一極集中化しているって状況もあって、世界に8000万台のインストール数を持つ「プレイステーション」の上でさえミリオンに達するソフトの数が確か10本いかなかったんじゃなかったっけ、「ファイナルファンタジー」と「ドラゴンクエスト」って10年だかの歴史と伝統を積み上げて来たソフトばかりが売れまくって、新しい試み新しい名前のソフトがなかなか伸びないって状況が、最近いっそう顕著になって来ている。そんなところにセガのファンには伝統も格式も人気もあってもPSのユーザーには初顔でしかないソフトがどこまで売れるんだろーか。

 プロモーションを展開してテレビや雑誌での宣伝とかをきっちりやってもなかなかソフトが売れない状況を一朝一夕で打開するのは容易じゃなく、お金がないのか癖なのか、決して宣伝が上手とは言えない、どちらかと言えばチグハグな所がある会社がどこまで存在をアピールしていけるのか、加えてハード撤退の費用をどう捻出していくのかってな辺りも踏まえて、将来を考えるのが今は妥当だと思う。まあそこは本気になったセガが何とかして来るだろーから、好意的とは言わないまでも暖かい視線で成り行きを見守っていきたい。「スペースチャンネル5」に「クレイジータクシー」に「ジェットセットラジオ」くらいはミリオン、行って欲しいし。


【1月24日】 考えて見れば昭和30年代に石原裕次郎吉永小百合を擁して邦画界に旋風を巻き起こした日活ですら倒産の憂き目にあった訳で、ヒット作のあるなしに左右されるエンターテインメント業界の栄枯盛衰は別に今日昨日始まったものではなく、同じ業界でも「ポン」なアタリの例が間近にあるから不思議でも何でもないんだけど、勃興期からゲームコンソールのマーケットを任天堂と並んでってゆーか追走する形で守り立ててきた会社があれやこれやなってるって状況には、やっぱりなかなかに重たいものがある。

 世代で言うなら僕よりはもうちょっと下になる70年代生まれの、「SG−1000」からスタートして見たことないけど「マーク3」とか次から次へと新型機を出しては、「ファミコン」が築き上げた京都の牙城に敗れ去って行った構図を目の当たりにしつつ、それでも諦めず労りつつ支持し続けていた人たちにとっては、安易に撤退とか敗北とか書くメディアの人間たちとは違った感慨が、胸に去来するんだろー。名古屋テレビがロボットアニメの放映をうちった時のよーな(違います)。

 わしわしと相次いだ「セガ、ゲーム機市場から撤退」の記事を読むと書いてる人がこれまでの流れをどう見ているかが結構分かって面白い。例えば朝日新聞夕刊の「人気ソフトに恵まれなかった。これまで約六百万台しか出荷できず、約八千万台を出荷しているプレステに大きく水をあけられていた」って文章は、「水をあけられて」って表現が32ビットの「プレイステーション」と次世代機(こーゆー言葉も今となっては懐かしいねえ)の「ドリームキャスト」を同列に並べて比較している点で不思議。だってDCは32ビットの「セガサターン」がPSに大きく水をあけられてしまったんで開発して投入したマシンで、引き離されたんじゃなく追いつこうとして頑張っていたマシン。比べるなら同じ(性能は段違いだけど)次世代機の「プレイステーション2」の追い上げを喰らって先がない、ってあたりを踏まえるべきだと思うんだけど。それと600万台って数字は1年でPS2に追いつかれはしたものの次世代機ではトップクラスにある訳で、「しか」って言い方もやっぱりどこか落ち着かない。

 ゲーム業界におけるセガのポジションに対しての情状酌量的な見解があんまり見られないのもドライってゆーか資本主義っぽくちょっと残念。SSとかの話について触れたところはあんまりなく、況や「ファミコン」「スーファミ」に対して果敢に挑んだらしー「メガドライブ」「メガCD」あたりの凄まじくも哀しい歴史とかにはどこも全然触れてない。せいぜいが「湯川専務」(謎な「シェンムー・ザ・ムービー」の試写会に来てたよーな)で大騒ぎしたDC発売前後の大騒動からで、一般的な世間ってのがいかにテレビの派手な報道があって始めてゲームの存在を認知するのかってことが伺える。

 まあそれだけ秋元康さんがうまく立ち回ったってことなんだろーし、後で言ってたらしい「あの時に100万台揃ってれば全部売ってみせた」って言葉も、あながちホラじゃないよーな気もする。100万台は大げさとしても50万台あれば売り切れだっただろーし、「セガラリー」とかも時間どーりに出ていたら、でもって「ソウルキャリバー」にしても「スペースチャンネル5」にしてもDC発売前後並に広告を集中投下できるお金があったら……と考え出すとやっぱり切りがない。セガがどこで踏み間違えたのか、それがどんな影響を与えていったのかを研究してみるのもマーケティングのケーススタディとして有意義かもしれない。

 まあいくらDCはDC的に頑張ったんだって行っても、現実にはあっとゆー間に「PS2」に追いつかれ置き去りにされつつある訳だし、おそらくは任天堂の「ゲームキューブ」にだって抜き去られそーな予感もあるからこのあたりが限界を見定めるのが筋なのかもしれない。加えて1000億とか2000億とかブチ込んで開発しているSCEIに金融資産5000億とも1兆とも言う任天堂、世界の大金持ちビル・ゲイツ率いるマイクロソフトが相手では、頑張っても同じだけのコストをかけた次世代機を作るのは山高く谷深し、なんでここいらで1つ居住まいを正してみるのが良かったのかもしれない。ハードはともかくソフトはじゃかじゃか出てくるみたいだし、面白いものがあったら拾わせて遊ばせてもらおー。とりあえず目先は「ドラえもん」のソフトに大注目、しずかちゃん入浴しているかな。

 あんまり買ったことがないけど短歌の歌集って作るのにやっぱり著者が結構な負担をするものなんだろーか。ってのは「小松左京全集」とか「源氏物語」なんかのオンデマンド出版を手がけている富士ゼロックスが、若手歌人の作品をオンデマンド出版するサービス「歌葉(うたのは)」ってのを25日から始めるってリリースが流れて来て、読むと歌人の人が歌集と出す時は、有名な人に解説を依頼する費用とか作品を吟味して選ぶ負担とかってのが出版社だけじゃなく歌人の人にもかかってきて、なかなか本が出せないらしー。部数も少ないだろーし売る本屋も少ないから買う人も少なくなって刷る部数が少なくなって高くなるから本屋は置かず買う人が少ない、って循環があるのかな。そんな状況を打開すべく萩原裕幸さん、加藤治郎さん、穂村弘さんの歌人3人で作るグループ「SS−PROJECT」ってところが、短歌を審査して合格した作品をサイト上でオンデマンド出版したり、自費出版を希望する作者の歌集を制作するサービスをスタートさせることになったとか。

 提供する出版サービスのうち「歌葉」てコースでは、出版を希望する作品を歌人らが審査を行い、通過した作品から著者が希望する作品を編纂して歌集にして刊行。レイアウトや著名作家の解説への仲介は専門の担当者がやって、完成した歌集は「特選短歌」コーナーで販売して販売価格の20%を著作権料として著者に支払うことになっている。とりあえず加藤さんの「イージー・パイ」(1700円)とか玲はる名さんって人の「たった今覚えたものを」(1400円)なんかが5冊、揃っているみたい。支払いはクレジットカードによるオンライン決済、郵便・銀行振り込みを利用できるアドレスはあと「セルフパブリッシングコース」ってのもあって、こっとは自費出版を支援するコースで、作品を送ってサイト上にあるレイアウト見本や表紙を選択すると歌集が出来てしまうって寸法、ただしサイトでの販売は行わないから売るのは自分もちってことになる。50冊からの制作で料金は15万円から。1冊3000円はでもまあちょっとするのかなあ。

 今までの仕組みから行くと良いことなのかもしれないけれど、短歌って売れないから小さく売っていこうってなスタンスだと思われかねない雰囲気もあって、表に出まくって短歌の面白さをアピールしてファンを増やして全体を盛り上げる、枡野浩一さんのよーな活動の仕方と果たしてどっちがより短歌界的に嬉しいことなんだろーかと考えてしまう。「先週出てた「週刊文春」の書評なんかだと「カンタン短歌の作り方」のよーなアプローチをどうもマーケティングにのっとったあざといものって揶揄している所があって、前に出て戦うのもあれでなかなか大変みたい。ともかくいろいろなやり方があって悪い訳じゃなく、どれが正解ってことじゃなくそれぞれがそれなりに世の中を楽しくしていってくれれば嬉しい。どんな歌集が並んでそこから大ベストセラーが出るのかそれとも出ないのか、「歌葉」の活動を茫洋としながらも眺めていこう。


【1月23日】 明治維新が間近とすればその直前に起こった「ええじゃないか」騒動で天から振った謎の御札ってことになるのかな、時事通信が「セガ、PS2にソフト供給」なんて話を流してて、大事が始まる前の喧騒の中で起こる怪奇現象の1つなんだからと、去年から相次ぐ騒動に半ば呆れつつも、何かにつけて右へ左へと大騒ぎする横しか見てないマスコミの常で、いちおうは何かやっておけってことで何かやらされる。だいたいが去年の秋に大川御大が登場して喋ったマルチプラットフォーム展開にハードからの撤退ってなニュアンスの焼き直しにしかならないんだけど、何かをきっかけに騒いで漁夫の利を得ようって人がメディアにも株式市場にもうなっているから、書いて買って買われたんで書くってなウロボロスのよーな大騒ぎがしばらく続くことになるんだろー、ああウザい。

 「パワーブック」だったら分かるんだけど村上春樹さん、世界的に活躍する数 少ない日本人作家ってことできっと資金も潤沢にあるんだろーにも関わらず、シドニー五輪をルポした本「Sydney!」(文藝春秋、1619円)を読 んでいたら使っているのは日本から持っていった「iBook」で、それをエッチラオッチラ担いであちらのスタジアムこちらの競技場へと行ったってんだから恐れ入る。値段はともかく重量でも電池をフルに入れた時の持ちでも「パ ワーブック」の方が上なはず、でもって村上さんなら「パワーブック」が最新のG4であっても瓦割りが出来る位に買えそうなのに、開会式に入るためにとってもらったチケットの値段が10万円と聞いてそのお金があったら「iMac」(「CUBE」じゃないよ)を買うって言ってる辺りから察するに、見栄えとか値段とかじゃんく必要な機能がありさえすれば良いんだってな合理性を、持ち物すべてに求めているんだってことが伺える。

 「MAC」派ってところのコダワリも使い慣れから来る合理性の賜で、実際「iBook」にしても「パワーブック」にしてもウィンドウズのマシンより重たいってことを十分に認識しつつも、やれやれとか言いながら「MAC」のマシンを使い続けているところに馴れを重視する姿勢がのぞく。シドニーのホテルで部屋に置いていたマシンを盗まれた時も本文によればわざわざ同じ「iBook」を探して購入して日本語環境(何とゆー日本語、って村上さん書いてて同意)を作って続きの文章を書いたとか。よほど好きなんですねー「iBook」が。こんな村上さんのために、ジョブスもようやく重い腰を上げたのかチタン外層の「G4」ノートをようやく作ったけど、電池の問題とか値段の問題とかに対する村上さんの合理性を超えて果たして手に取らせるに至るか否か。見向きもしないのが村上さんらしいけど、スペックだけなら魅力的だからなー。来月開かれる「マックワールド」でベッタリと張り付いて新型機を見ている村上さんとかが居たらちょっと面白いかも、まあいないけど。

 それにしても「sydney!」は珍しくスポーツのそれも超ビッグイベントを見て書いたルポルタージュであるいも関わらず、とことん村上さんの本になっていて、巨大で無駄が多くどこか偽善っぽい雰囲気の漂っていた開会式に対していつもの「やれやれ」ってな醒めた視線を送る一方で、野球にしてもトライアスロンにしてもマラソンにしても、自信がマラソンをたしなむスポーツマンだって自負や知識もあるからなのか、真摯にマジメにスポーツについて書こうとしていて、そんな冷た暑さってゆーか熱冷たいってゆーか不思議なんだけど実に村上さんらしいニュアンスが全編に漂っていて、さすがに一家言を成した人ならではの仕事だと感心する。生きたいなあと言っただけでワールドカップのチケットが回ってきた馳星周さんと良い、”俺シドニー”的な記事を書いて文句が来ない村上さんといい、対象が何であれ自分を炸裂させられる仕事が回って来るまでにはあと何百年かかることだろー。やっぱり無理にでもどうでも作家になって無茶で通よーになるしかないんだろーなー。原稿用紙でも買って来るか。

  マジかよとか思う一方で待っていたよと踊り出したくなってしまった辺りに「天地無用!」のシリーズでしばらくご無沙汰していたマニアなアニメの世界へと呼び戻された性が刺激されたんだろー、満を持しての果たして登場になるのか未だに不安がよぎりながらも「天地無用! 魎皇鬼」第3期の制作が本決まりになった話を読んで生きる勇気が沸いてくる。冷たい煉獄がどうにかなってしまうくらいにアニメ業界の直面しているヤバさもますます度が過ぎて来ているけれど、あれやこれやあったAICはネットな会社の傘下に入ってとりあえずは生き残りを果たしたみたいだし、ジンワリと根強く根深いファンを持つ作品だけに他の得体の知れない作品なんかよりちょっとは売れ行きも期待できる。問題は声優さんの練度とともに齢度も上がってることだけど、達者な人が多いからムゴいことにはならないだろー。とにかくちゃんと最後まで行ってくださいな、21世紀中には是非とも。


【1月22日】 通信社からの送稿を読んでたら何か「bk1」やってるブックワンと丸善が提携の会見を開くなんて話が流れてて電話して場所とか聞いて東京會舘へゴー。始まった会見によるt丸善が「bk1」なんかでイチオシ系とかになってる本に帯とかポップとか付けて店頭でプロモーションしたり、逆に丸善のイベント情報を「bk1」のメールマガジンに流したり丸善が138年とかな伝統を誇る洋書を「bk1」のルートから買えるよーにしたりってな相互乗り入れ的提携で、加えて資本も丸善がブックワンの発行済み株式の4%を取得したとかあって、老舗で鳴る丸善をしてやっぱり無視できないくらいにオンライン書店ってののポジションが確固たるものになりつつあるってことを実感する。

 一方で無店舗販売が旨な「bk1」が丸善とゆーリアルな書店のパワーを使わなくちゃならなくなったって意味で既存のインフラなり商権の持つ意味ってのが改めて確認されたとも言え、流行り言葉で言うなら「クリック&モルタル」だっけ、バーチャルとリアルが相互補完し合って始めて今時なIT時代の流通革命を勝ち抜けるんだってな主張の正当性がにわかにクローズアップされてくる。まあすでにそれなりな顧客を獲得してファンも多いらしい「bk1」がそれほどまでに洋書を売りたいものなのかってな辺りが個人的には謎だけど、一方で「アマゾン・コム」が洋書の品揃えを売りにしつつ和書への展開も図ろーとしている現実に、洋書を持たない「bk1」としても何らかのアクションを起こす必要があって、とりあえずはネットへの供給を依頼していたものが、「クリック&モルタル」流行りの中で「洋書の丸善」との提携へと走らせたのかもしれない。

 かく言う丸善だってネット上では結構な額を売ってるあなどれない「ネット書店」だった訳だけど、どちらかと言えば専門書の方に特化していて「bk1」的な隙間を堀り起こすよーなコンシューマ向け書籍は苦手とするところだったみたいで、かたや専門書で法人営業の丸善、こなた一般書で個人販売の「bk1」とゆーバッティングしないビジネス関係が、一見敵対する「ネット書店」vs「リアル書店」を相互補完が目的の提携へと走らせたんだろー。もっともいくら丸善が店頭でPOPとか立てて「bk1」のレビュアーたちが推薦した本を売ってくれると言っても、僕が推すのはもっぱら普通の書店ですら見かけないよーなヤングアダルトでもマイナーな所だったりするし、丸善の専門書のお客さんが「bk1」に来て買ってくれるとも思えないから直接的な恩恵はなさそー。でも本当は日本橋の格式高いお店で売って欲しいな「猫の地球儀」とか「双色の瞳」とか。

 CSKとセガの合同新年会とかあったらしーけど行けず、聞くと大川功会兼社長は代読による挨拶だったそーで新年の大事な場面で出て来れないってあたりが気にかかる。あながち遠くない時間の大本営発表それともポツダム宣言受諾いっそ玉音放送なんてこともあるのかも、「セガは斃れたままだったのです」とか。夕方のパーティーとかはあるいはちゃんと出ていたかもしれないからハッキリしたことは分からないけど。で、そんな楽しそーな現場に行かずに何をしていたかとゆーと「電撃アニメーションマガジン」で仕事していた関係で読んで頂いた「電撃アニマガ」&「電撃コミックガオ」&「月刊コミック電撃大王」3誌の合同新年会。出版社のパーティーなんてマスコミの取材だからって呼ばれたこともないんで端くれながらも寄稿者として読んで頂けたのはライター冥利に尽きる。感謝感激。10年後くらいまでには親会社の方にも呼んで頂けるよーな身分になりたいななれねーよ。

 稼ぎ頭のマンガ誌からマンガ家さんが大勢来ていたみたいで名札を見れば知っている名前がちらりほらり、「うぐぅ」な「Kanon」の森嶋プチさんとか「イグナクロス零号駅」のCHOCOさんとか。こっちは名前を知っていても向こうにはカケラも知られていない無名人の哀しいながらも特権で、時に壁際を伝う忍者の如く、時に背中に浮かぶ背後霊のごとく呑んでるふり食べてるふりをしながら横目でチラチラと見て遠耳で話を聞いて時間を潰す。同じ「電撃アニメーションマガジン」に書いている人だと「でじこ」な真田アサミさんとかシナリオライターの黒田洋介さん、ほかに黒田さんと同じ「スタジオオルフェ」に所属していて最近だと「R.O.D」(集英社、495円)が超人気な倉田英明さんとか来ていたけれど、これまた無名の楽しさで遠目にナマな姿を見ては「有名人がいっぱーいっ!」と羨望の脳波を向けて楽しむ。

 始まったビンゴ大会は多数のつめかけた有名人に遠慮した訳じゃないけれど一向に並ばず商品ゲットは空振りに。著名な人ではかの「あずまんが大王」(メディアワークス、680円)が絶賛大ヒット中で今や「電撃」の旗頭とも言えるあずまきよひこさんが、何と素晴らしい商品をゲットしていたのが強く印象に残る。当たったのは何を隠そう「携帯式ウオシュレット」。それが一体どんな形をしているものなのか、はたまたどーいったシチュエーションで使うものなのかは実物を遠目で見ただけなんでさっぱり分からなかったけど、例えば慌てて飛び込んだ駅のトイレに紙が無かった場合なんか、サッと取り出してお尻にシュッと吹きかけてクリアに出来るから鞄に1つ持っていれば安心かも。だったらティッシュを持ってろ? 駅前とかで配ってるだろ? けどほら座って仕事する人ってとかく罹病しやすいじゃないですか、紙よりやっぱりウォシュレットってことで、クリエーターの人に当たって案外と正しかった商品だったと言えそー。ところで携帯型温風機ってのは付いてるんでしょーか。

 流れた2次会で「ガサラキ」とか「スプリガン」とかの音楽で超有名な人とかボルト・クランクやエディ・マーフィーの声とかで有名な人とかが酒に音楽に煙草の話で盛り上がっているのを聞かせて頂く。別の島ではカトキハジメさんとか黒田さんとか佐野浩敏さんとかが世代なのかガンダムの話とかヤマトの話とかメカデザインの話とかで盛り上がっていて、この違いは若さなのか情熱なのか指向なのか何なのかと狭間で頭をめぐらせる。僕も歳を取りました。自己紹介で挨拶をしても誰? って感じだったんでまだまだ無名さは全世界的に浸透しているらしーんで、これからも忍び込んでは有名人の観察に血道をかけて取り組もー。あなたの後ろに立っているのがタニグチリウイチかもしれない。


【1月21日】 まあ「映画」ってゆーよりは作ってる「2」への興味を惹き付けるプロモーションの一貫だったんだろー「シェンムー・ザ・ムービー」を中抜けして近所の東映へと回って見た「アヴァロン」は、別に主人公のアッシュがゲーム「アヴァロン」の中でご近所の人をとっかえひっかえして秘密を聞き出したり押入をあけて宝箱を取り出したりする場面もなく、歩くシーンだってセンターに固定された後ろ姿か或いは真正面の顔だけを見せてくれるなんてこともなくごくごく普通に歩いてて、ゲーム内をモデルにした映画、って設定へのコダワリ具合じゃ「シェンムー・ザ・ムービー」に負けてるじゃん、なんてことを思う。冗談です。

 バーチャルリアリティ、って言われれば最近読み返したばっかりに柾悟郎さんの「ヴィーナス・シティ」みたく性別だって身分だって偽れる夢の世界を想像したいり要望したいし作る側だって意識したくなるのが普通だけど、何故か「アヴァロン」そーいったネットの匿名性みたいなシチュエーションがほとんどなく(キャラが超美人になってるなんてことなかったし)、「BOOM TOWN」みたく空を飛んだり道具を使ってデータを直に消去してしまうなんて描写もない。ゼラちゃん横に飛んでないしゲームの世界を裏から怖そうとする「ウィザード」もいない。ゲームをやってる部屋でのアッシュの下着姿も最ニタリと笑う天使の微笑み(?)も、大好きだけど別にネットだから見られるってもんでもないし(現実にだって見られないんだよ僕には)。

 やろうと思えばそれこそアーサー王の時代を再現して剣とかボウガンで戦う世界を作ってた方がより「アヴァロン」っぽかった所を、例え何でもありなバーチャルリアリティの世界であってもそんなファンタジーには脇目も降らず、現実の法則に準拠した世界でもって現実には不可能になってしまった兵士どうしの近接戦闘よーするに鉄砲チャンバラの世界を作って見せた辺りが、或いは押井さんの願望充足映画だって言われる所以なのかもしれない。犬との生活とか犬への愛とか出まくりだったし。ネットに行って鉄砲撃ちまくって金稼いで料理作って犬に食べさせて酒呑んで本を読む、ってな生活、別に押井さんじゃなくっても憧れるけど。

 爆発した戦車の炎が固まってよく見ると薄くスライス状態になっていたり、撃たれた人間が平面になって散り散りになったりするシーンに、バーチャルリアリティの中での出来事だと認識させる演出が施されていたけれど、「BOOM TOWN」とか「マトリックス」とか「コレクターユイ」とか(何ちゅー例だ)見てきた目には強烈なビジュアルショックすなわちバーチャルリアリティを目に見える方にしてくれたってな感激はあまりなく、「こういう表現も面白いねえ」といった感じくらいしか浮かばない。仮想現実と現実が入り交じって分からなくなりどっちがどっちだと悩むシチュエーションにしても「トータル・リコール」とか「イグジステンズ」を見た後だとちょっとどーしても驚きが減殺されてしまう。

 だったら面白くないかと聞かれると「滅法面白い」と言ってしまう口が果たして押井信者故のものなのか、それとも四の五の理屈を付けた挙げ句に悩む人を続出させてしまうよーな話にせずストレートに仮想現実と現実の大差なさをぶつけて来た”娯楽性”によるものなのかは、意識はしなかったけけど見て来た歴ならそれこそー「一発寛太くん」の頃からの押井歴な人間にはちょっと判断に仕様がなく、一切の情報を排して作品に接した人がどう思うのか、聞いてみたい気がしてならない。路面電車のシーンにしても食事のシーンにしても犬にしても何にしても、とにかく沢山出てくる”押井的”な絵を作家性と見るか冗長なダレ場と見るかの判断は、自分の荷にはちょっと余る。

 小説版の「アヴァロン 灰色の貴婦人」(メディアファクトリー、1200円)も読んだけど、最後に勝つのがいつも置いてきぼりにされた側、でもってその愛憎を昇華し得た人ってのが引っかかる。それってつまり上に進める人ってのは、スペシャルな強さを持っている以上に裏切られた経験に傷ついていなければならないってことだから、強いことが正義みたいなゲームの世界の掟にちょっとそぐわないよーな気がする。そこがまあ、現実世界を模倣したゲーム世界ってことで人間がやる戦いなんだから人間性が強さの源泉になっていて何がおかしいってことなのかも。もっとも最後に心の障害を乗り越えさせることで残っていた愛憎とゆー人間らしさをはぎ取り究極の戦士を作るゲームと見ることも可能だから難しい。押井さん的にはどっちなんだろー。「キネ旬ムック」とかに出てそーな押井マニアな方々、解説お願いしまーす。

 富士見ファンタジア文庫の新刊なんかと適当に。「覇壊の宴」(日昌晶、富士見書房、580円)の続編は「ボリュームたっぷりで密度もあってスピード感も失わず、世界観に瞠目させられキャラクターに萌えられ政治経済軍事社会の残酷さにも触れられる小説を描き続けるべきだろう」なんて言ってしまった当方のニーズにピタリとハマった内容で、たっぷりのボリュームの中で繰り広げられる政治経済軍事社会の絡んだ複雑怪奇な展開を読ませてくれる。たいして活躍もしない螢太とかお騒がせすらしない深澄とか口絵に本文イラストではリキ入ってるのに本編ではザコキャラな扱いで哀しいココルとか、増えすぎた人間を存分に絡ませるほどにはドラマの芯が軟弱なよーな気もするし、展開のシリアスさに押されて鈴木&京子ってキャラの頓狂さが走ってないよーな気もするけれど、まあともかく続編が出たってことで目出たいめでたい。次もあるなら京子の猪突猛進ぶりとかもうちょっと見せて下さいな。

 さらに「激突カンフーファイター」(清水良英、富士見書房、580円)も読了、絶句。これは凄い、いや凄い、マジに凄くて不真面目にも凄いとしか言い様のない小説で、スタートしてまだ20日しか経ってない段階であるにも関わらず、21世紀の超怪作にノミネートしたくなる。だって主役が3歳の女児のワンピースを着た筋肉モリモリの70過ぎたナイスミドル「カンフーファイター」ってんだから。でもってページに最低1つ多いと全部が「すごいよ、マサルさん」もかくやと思わせるナンセンスギャグなんだから。これを準入選にした「富士見ファンタジア長編小説大賞」の選考の人も凄いけど、案外と「日本ファンタジーノベル大賞」でもその徹底したナンセンスぶりが受けて賞とか取れてしまったかも。それは無理? とにかく圧巻の1冊、読んで悔いなし、人は選ぶけど。夏コミで「カンフーファイター」のコスプレwith3歳児用ワンピース誰かやらないかなー。


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