フィリス・ベントリー著作のページ


Phyllis Bentley  1894-1977 英国の女流小説家。作品の殆どは生地ヨークシャーを背景としている。ブロンテ姉妹の研究家としても有名。

 


 

●「ブロンテ姉妹とその世界」●   
 
原題:“THE BRONTES AND THEIR WORLD”     訳:木内信敬




1969年発表

1976年
パルコ出版局刊

1996年4月
新潮文庫

(621円+税)

 

2005/09/03

 

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ジェーン・エアシャーロット・ブロンテ(1816−1855)嵐が丘エミリー・ブロンテ(1818−1848)「アグネス・グレイ」アン・ブロンテ(1820−1849)というブロンテ3姉妹の生涯を豊富な図版(建物、風景、肖像画、肉筆原稿)とともにまとめた一冊。
文学刑事サーズデイ・ネクスト1−ジェイン・エアを探せ!を読んで以来「ジェーン・エア」を再び読んでみたいと思うようになり、その前にまず作者の生まれ育った環境を知っておきたいと手に取った本です。

本書を読みながら自然と、英国でブロンテと並んで人気のある作家ジェイン・オースティンと比較していました。
同じ牧師を父親に持つ兄弟姉妹の多い一家でありながら、ブロンテ一家の境遇がいかにオースティン一家と比べて貧しく厳しいものだったが、ひしひしと伝わってきます。
シャーロットは長女と思っていたのですが、実は3女。姉2人は入学した寄宿学校の環境が酷く、12歳、10歳で死去しています。シャーロットとエミリーも同じ寄宿学校に入っていて危なかったところですが、その後もブロンテ姉妹にとって寄宿学校というのは常に苦難を味わわされる存在だったようです。教育というよりも母親が早世した一家にあって、生活を過すための手段だったという意味合いが強かったためのようです。
オースティン一家はとくに富裕という訳でも在りませんが、富裕な親戚の恩恵を受けているのに対し、ブロンテ一家にはそうした親戚がなかった所為も大きい。
そうした環境の中で、シャーロットを姿を追っていると、とても強烈な気性を秘めていた女性だったことが感じられます。それはそのまま代表作の主人公ジェーン・エアに投影されているようです。
姉妹のうちシャーロットのみが結婚していますが、それも38歳という晩婚で、妊娠中の翌年に死去してしまうのですから、ブロンテ姉妹はよほど幸福と縁が薄かったと思うほかありません。

シャーロットとも交友のあった女性作家ギャスケル「シャーロット・ブロンテ伝」を書いたのは、シャーロット死後に彼女に対する様々な虚言が繰り返されたことから彼女の父親が伝記執筆を依頼したためだそうです。
評価された作品が1作品だけだというのに今なお人気を誇っているというのですから、このブロンテ姉妹は格別な存在と言うべきなのでしょう。

 


   

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