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21.パノララ 22.かわうそ堀怪談見習い 23.千の扉 24.公園へ行かないか? 火曜日に 25.つかのまのこと 26.待ち遠しい 27.百年と一日 28.大阪(共著:岸政彦) 29.続きと始まり 30.あらゆることは今起こる |
【作家歴】、きょうのできごと、青空感傷ツアー、ショートカット、フルタイムライフ、いつか僕らの途中で、その街の今は、また会う日まで、主題歌、星のしるし、ドリーマーズ |
寝ても覚めても、よそ見津々、ビリジアン、虹色と幸運、わたしがいなかった街で、週末カミング、よう知らんけど日記、星よりひそかに、春の庭、きょうのできごと十年後 |
21. | |
「パノララ」 ★★ |
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2018年01月
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部屋の更新料が支払えず困っていた主人公の田中真紀子28歳は、友人のイチローから勧められて、彼の家に間借りすることになります。 地味で平凡な主人公という設定はこれまでの柴崎作品と変わりありませんが、奇妙な家に奇妙な家族という設定は 400頁超という大部であることと合わせ、柴崎作品としては初めてと言って良いくらい珍しいもの。 題名の「パノララ」とは、主人公がみすずから貰い受けたデジカメで時々写すパノラマ写真をもじったもののようです。 |
「かわうそ堀怪談見習い」 ★★ |
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2020年02月
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あの柴崎さんが“怪談”?と驚きました。 読んでみると、「恋愛小説家」という肩書で紹介されていることを知った主人公、今のような小説を書くのはやめようと決意。何故なら恋愛にあまり興味がないことに気付いたから。では何を書こうかといろいろ考えた末に、怪談を書くことにした、という次第。 ついては東京を離れ、中学時代に住んでいた区の隣、かわうそ堀に引っ越す(なおこの地名、動物の獺ではないとのこと)。 といっても怪奇現象にまるで縁のない主人公(谷崎友希)が頼りにしたのは、中学時代に怪談語りが得意だった同級生で、結婚・離婚し今は実家の不動産業を手伝っている西岡たまみ。 そこから、たまみが語る不可思議な出来事や、たまみの紹介する人物に会って怪談話を聞く、また主人公自身が思い出した怪奇現象を書き連ねていく、というのが本書の構成。 怪談とは言っても、本作に怖さとか薄気味悪さは余り感じられません。それゆえに「怪談見習い」か?と思う処ですが、理由は専ら柴崎さんらしい語り口にある、と言って良いでしょう。 ありふれた日常を描いてきた柴崎さん、怪談さえも柴崎さんの世界に取り込んで語っている、という印象です。 ですから、少々怖いと思う出来事があっても、それはそれで日常出来事のひとコマとして、居心地よく感じられます。 題名に「怪談」とあっても、本作もまた柴崎友香さんの、愛おしい日常生活の世界なのです。 |
「千の扉」 ★★ |
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2020年10月
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千歳、39歳。一ヶ月前に永尾一俊・35歳と結婚したばかり。 折しも都営団地で一人暮らしをしていた一俊の祖父である日野勝男・85歳が体調を崩し、一俊の母親である圭子夫婦の家に一時的に同居することになります。 その間の留守番代わりということで、千歳と一俊が勝男の部屋に住むことになったという次第。 ついては勝男、大事な箱を同じ都営団地内に住む高橋征彦という人に預けたままであり、千歳にその高橋さんを探し出して欲しいと頼みます。 それを半ば口実に、千歳は広大な都営団地の中をあちこちと歩き回ることになります。 ※山手線内、35棟にも及ぶ広大な都営団地という舞台設定。 街中を歩き回る中でいろいろな景色が見えてくる、というのは柴崎作品に多い趣向ですが、本作がこれまでにない広がりを有しているのは、この団地に過去暮らし、あるいは現在も住んでいる人の小ドラマが次々と扉を開けるように繰り広げられる処。 ちょうど思い出すのは、テジュ・コール「オープン・シティ」。同作は主人公が街を歩き回る中で、過去の歴史的事実が眼前に浮かび上がってくるという趣向の作品でしたが、それと似て異なるのは、本作では都営団地に住んでいた人々のドラマが主眼に置かれているという点。 あたかも、街には人と人の住んだ足跡が刻み込まれている、街とはそこに住んだ集積であると語られている気がします。 千歳の視点だけに捉われているストーリィではなく、脈略ないまま突然過去のドラマにストーリィが移っていく、という構成。 最初こそ戸惑うところもありましたが、扉が唐突に開いて過去の時間が開くという展開は、時空を繋ぐトンネルを自在に行き来しているようで、むしろ楽しく感じられます。 柴崎さんの世界、ますます深まっているなぁと感じる次第。 |
「公園に行かないか? 火曜日に Wanna go to the park,on Tuesday」 ★★ | |
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2016年、世界各国から作家や詩人たちが集まる、米国アイオワ大学の“インターナショナル・ライティング・プログラム(IWP)”に柴崎さんは参加したそうです。 世界各国の作家たちと、言葉や思いが通じることもあれば通じないこともある、そんな3ヶ月の体験を元にした連作小説集。 これってエッセイ集では?と思う処ですが、そう出版社の紹介文に明記されているのですから、小説なのでしょうね。 でもそんなことは関係なく、実体験として伝わってくるものはあります。 知らない街をカメラを携えて歩き回る。そうしてその街の雰囲気を感じ取ろうとする。本書も、そんな柴崎さんらしさの延長にある作品と思います。 集まった中で一番英語が拙かったということはあるのかもしれませんが、様々な国の人たちの英語は聞き取りづらい、ネイティブな人たちの英語も聞き取るのが難しいというのは、経験して初めて知ることなのでしょうね。 一方、大リーグのワールド・シリーズに興奮しているのは主人公だけだったというのは可笑しい。 プログラムが終わり帰国する時の、ホッとする一方で寂しい気持ち、共感できます。 かつて若い頃、3週間にわたり一人でヨーロッパ各国を旅行した日程を終え帰国の途に着く時の気持ちは、まさに同じようなものでしたから。 柴崎さんの実体験に同行させてもらったような、そんなリアルな感覚を味わえる一冊です。 公園へ行かないか? 火曜日に/ホラー映画教室/It would begreat!/とうもろこし畑の七面鳥/ニューヨーク、ニ〇一六年十一月/小さな町での暮らし・ここと、そこ/1969 1977 1981 1985 そして2016/ニューオーリンズの幽霊たち/わたしを野球に連れてって/生存者たちと死者たちの名前/言葉、音楽、言葉 |
「つかのまのこと」 ★★ | |
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俳優の東出昌大をモデルにした写真家:市川織江の写真と、柴崎友香さんによる文章のコラボによる作品。 舞台は一軒の古い木造建ての民家、物語の主人公は何時からか分からないながらその家に長く住まう幽霊、という設定。 写真における東出さんは、その主人公たる幽霊に他なりません。 昔、私が子供の頃に暮らしたような民家、緑多い庭、その景色にどこかホッと、気持ちを和ませられる気持ちがします。 幽霊である主人公は、その家に住み暮らした人々の姿を見守り、また家の近所ではやはり自分と同じ幽霊と出会う。 自分が幽霊になったら、この家やそこに住む家族がこんな風に見えるのか、中々悪くないじゃない、と感じた次第。 少なくとも、座敷童が見るような景色とは違うんだろうなぁ(座敷童の場合はもっと住む人に関わるような気がします)。 こうした居心地の良を感じる空間こそ、柴崎友香さんの世界なのかもしれません。 読むのを先送りしていましたが、刊行後半年が過ぎて、図書館の順番待ちをしなくてもよくったところで読んだ次第です。 |
「待ち遠しい」 ★★☆ | |
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核家族化、密閉されたような一軒家あるいはマンションといった住居事情から、都会ではもう昔あったようなご近所付き合いは見られなくなったと思います。 本作は、そんな関わり合いが始まった、世代も異なる3人の女性を描いた長編作。 主人公の北川春子は39歳、独身。2階建ての離れで借家住まい。 その大家である老女が死去し、母屋に引っ越してきたのが娘である青木ゆかり・63歳。夫を2年前に亡くし、東京から大阪の実家に一人戻って来た専業主婦。 その裏手の家に暮らしているのが、ゆかりの甥である新婚夫婦。若妻の遠藤沙希は25歳、整骨院勤務。 世代も異なり、境遇も違う3人の女性たちが何故関わり合うようになったかといえば、大家と店子という関係がそこにあること、そして大家であるゆかりが人寂しく、しきりと2人に声を掛けたからでしょう。 しかし、沙希は幸せの渦中である筈なのに、何故か春子に対し攻撃的、まるで春子を敵視しているかのようです。 人と人の関りは本当に難しい、相手に我慢したりと面倒なことも多いと思います。それでも人間関係から逃げるより、人と関わった方が良いのでしょうか。 若い世代の方が自由で果敢に行動できるのかと思ったら、実は若い世代の方が、こうあらねばならないという考えに縛られ、窮屈なのでしょうか。 自分の生き方について考えている春子、人生経験の長いゆかりの方が、むしろ沙希より考え方に余裕があり、自由な気がします。 生き方は人それぞれ。でも、人と異なる道を歩もうとすれば勇気と辛抱が必要なようです。 それでも人とは関わるべき。本ストーリィのご近所付き合いは、そんな確信をさせてくれます。 柴崎さん、流石に上手い! |
「百年と一日」 ★★ | |
2024年03月
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「学校、島、家、映画館、喫茶店、地下街の噴水広場、空港・・・さまざまな場所で、人と人はひとコマを共有し、別れ、別々の時間を生きる」「人間と時間の不思議がここにある」「作家生活20周年の新境地物語集」「この星のどこかにあった、誰も知らない33の物語」。 本書をどう語ればいいのかと考えたところ、上記の出版社紹介文をそのまま引用するのが一番適切なのではないかと思い、記載した次第です。 いろいろな人々が登場し、いろいろな出来事がそこに起きる。それは彼らだけの物語であるようでいて、人々の普遍的な人生を語っているようでもあります。 長さからしたら、ショートショートと言って良いのかもしれません。でも、星新一さんや田丸雅智さんらのショートショートとはかなり趣を異にします。 それは各篇ごとひとつのストーリィを語っているというのではなく、33篇全体として人々の営みを描き出している、と感じるためです。 柴崎作品というと日常的な出来事を淡々とした視点から描くというイメージがあるのですが、本作においては視点となる者の存在が感じられません。敢えて言うなら、場所と時間を超越したところにある視点、と言って良いでしょう。 33篇を読了した今、これまで送って来た人生をそのまま生きていけばいいんだ、という勇気を貰ったような気持ちがします。 |
「大 阪」(岸 政彦共著) ★★ | |
2024年04月
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岸政彦さん、柴崎友香さんが交互に大阪について語る、共著エッセイ。 ただし、大阪について感傷的、あるいは美化して語られるところはありません。 岸さんにとっては、生まれ育った名古屋を離れ、大阪の大学に進学して以来住み暮らしていた街。 柴崎さんにとっては、大正区で生まれ育った街(※2005年10月以降は東京で暮らしている)。 お二人が語るのは、自身が暮らしてきた街としての大阪です。 生活に根付いた街であり、良い処もちょっと猥雑な処もありますが、そこで呼吸してきた街。 各頁から“生の大阪”の息づかいが感じられるようです。 その中で、マイノリティ(沖縄、部落民、在日コリアン)が多く住む街、という視点は本書で初めて認識しました。 ある意味で、東京と比較される街ですが、東京はあくまで平均的な街の象徴・集積のような都市であるのに比べ、やはり大阪というのは特徴のある街だなぁと改めて感じます。 はじめに〔岸政彦〕/地元を想像する〔岸政彦〕/港へたどり着いた人たちの街で〔柴崎友香〕/淀川の自由〔岸政彦〕/商店街育ち〔柴崎友香〕/再開発とガールズバー〔岸政彦〕/環状線はオレンジ、バスは緑、それから自転車〔柴崎友香〕/あそこらへん、あれやろ〔岸政彦〕/大阪の友だち〔柴崎友香〕/1995〔岸政彦〕/大阪と大阪、東京とそれ以外〔柴崎友香〕/散歩は終わらない〔岸政彦〕/わたしがいた街で〔柴崎友香〕/おわりに〔柴崎友香〕 ※岸政彦:1967年生、社会学者、立命館大学大学院教授。 |
「続きと始まり」 ★★☆ 谷崎潤一郎賞 |
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2020年から22年、コロナ禍で暮らす3人の日常生活を、ひと月おきに交互に描く長篇。 ・石原優子は30代後半。夫の郷里である滋賀県に暮らすパート勤めの主婦。7歳の娘と3歳の息子あり。 ・小坂圭太郎は30代前半。東京で、料理人として居酒屋勤め。共稼ぎの妻・貴美子と4歳の娘の三人家族。 ・柳本れいは40代で独身、フリーランスのカメラマン。 ストーリィはいつもの柴崎作品同様、何か特別な出来事が起こる訳ではなく、毎日、同じことの繰り返しのような日々が描かれます。 ふと気づくと、そこに何ともいえない閉塞感が漂うのです。コロナ禍での外出抑制、人の集まりの制約という当時の状況も関係ないとは言えませんが、それだけではない閉塞感。 それは、変わる処のない日常生活の繰り返し、という部分にあるのではないか、と思わされます。 それは、彼らが小説の主人公だからということではなく、現実の私たち皆が、一様に抱えているものではないか。 上記の3人の共通点は、問題のある親を抱えていること、そして、かつてポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩集「終わりと始まり」と出会ったことがあること。 その詩集の一文、戦争が終わる度に誰かが後片付けをしなければならない、「物事がひとりでにかたづいてくれるわけではないのだから」という言葉が象徴的です。 自ら動こうとしなければ、ただ待っているだけでは、何も変わらないのですから。 なお、上記3人以上に存在感があるのは、圭太郎の5歳上の妻である貴美子。彼女こそ常に動こうとしている女性像なのかもしれません。興味を引き付けられます。 特に大きなドラマはないながら、たっぷりとした読み応えを感じる、柴崎さんらしい作品。そんな柴崎作品を久しぶりに読めたことが嬉しい。 なお、最終章が中々面白い。お楽しみに。 1.2020年3月 石原優子/2.2020年5月 小坂圭太郎/3.2020年7月 柳本れい/4.2020年9月 石原優子/5.2020年11月 小坂圭太郎/6.2021年2月 柳本れい/7.2021年4月 石原優子/8.2021年6月 小坂圭太郎/9.2021年8月 柳本れい/10.2022年1月 石原優子/11.2022年1月 小坂圭太郎/12.2022年2月 柳本れい/13.いつかの二月とまたいつかの二月 |
「あらゆることは今起こる」 ★★ | |
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柴崎さんが自らのADHDについて語った一冊。 ADHD(注意欠如・多動性)とは発達障害の一種で、注意や集中力が続かない、落ち着きがない、衝動的等の特徴が持続的に認められる状態です。 そう聞くと、柴崎さんがADHDとはまるで信じられませんが、子どもの頃は周囲とうまくやれず、ご自身はずっとそうした疑いを抱いていたそうです。 正式な検査を受けてADHDと診断され、コンサータという薬の服用をしたところ、36年ぶりにすっきりと目が覚めたように感じた、とのこと。 なお、柴崎さんにおいては、片づけられない、時間を守ることが苦手というのが、ご自身で感じる特徴と。 ファンの立場からすると、柴崎さんの描く世界には独特の魅力がありますし、小説家という職業もその才能から当然の結果だと思っていました。 しかし柴崎さん曰く、きちんとスケジュールに沿って物事を処理すること、人とコミュニケーションを取ることが苦手とあって、小説家しか選択肢はなかったというのは、意外な感あり。 また、柴崎さんが見る“日常”は、一般の人が見る日常と異なるらしい。 ADHDとはと、柴崎さんが自らのことをつぶさに語っていて、ファンとして柴崎さんに一歩近づけた気がします。 なお、各篇の末尾に付された「余談」、気さくに書かれている部分なので、ちょっと楽しい。 プロローグ−並行社会 T.私は困っている 1.なにもしないでぼーっとしている人/2.グレーゾーンと地図/3.喘息−見た目ではわからない/4.助けを求める/5.眠い/6.「眠い」の続き/7.地球に困っていること/8.ADHDと薬/9.ワーキングメモリ、箱またはかばん/10.線が二本は難易度が高い/11.励ましの歌を歌ってください/12.さあやろうと思ってはいけない/13.助けてもらえないこと、助けようとする人がいること U.他人の体はわからない 1.強迫症と「ドグラ・マグラ」/2.時間/3.靴の話/4.靴に続いて椅子問題/5.パクチーとアスパラガス/6.多様性とかダイバーシティみたいな/7.「普通」の文化 V.伝えることは難しい 1.そうは見えない/2.「迷子」ってどういう状況?/3.視力と不機嫌と客観性/4.ASDキャラとADHDキャラ/5.片づけられない女たち?/6.わからないこととわかること/7.毒にも薬にもなる/8.体の内側と外の連絡が悪い/9.奪われ、すり替えられてしまう言葉/10.気にするか、気にしないか W.世界は豊かで濃密だ 1.複数の時間、並行世界、現在の混沌/2.自分を超えられること/3.旅行できない/4.マルチタスクむしろなりがち/5.私と友達/6.向いている仕事/7.休みたい エピローグ−日常/おわりに |
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