9月13日(知床斜里→清里町) 
 全駅間歩き1日目(16.4km)

距離 着時 発時
斜里港 11:45
知床斜里 0.8km 12:50 13:10
中斜里 4.8km 14:06 14:30
南斜里 2.7km 15:02 15:25
清里町 5.6km 16:37 16:55
宿屋 2.5km 17:20
 長距離全駅間歩き、4年ぶりの北海道シリーズです。
 今回は4年前のゴール・知床斜里から釧路を目指します。
 斜里はオホーツク海沿いの町、
 釧路は太平洋沿い都市ですので、
 道東を北から南へ縦断することになります。

 今回は、飛行機で女満別空港に入り、
 そのままバスと列車を乗り継ぎ、知床斜里を目指しました。
 飛行機に搭載できないキャンプ用品や熊よけスプレーは、
 あらかじめ最初の宿屋に送っておいたので安心です。

 …にしても、いくら続行で知床直通の路線バスが出てるからって、
 女満別空港からの網走行きバスに3人しか乗ってなかったのには驚愕。
 ついでに、網走から乗った緑行き列車もずいぶん空いていました。
 釧網本線の利用客の多くが川湯・釧路方面に乗り通すせいだと思いますが、
 斜里までのんびり行きたい人はこの列車を選ぶといいかもしれません。
 どうせ、斜里駅前からの知床行き路線バスは、こちらに接続しているわけだし。


 前日、道央では記録的な豪雨に見舞われ、土砂崩れや空港閉鎖も相次いだそうです。
 道東は雲が低くたれこんではいるものの、大雨の予報ではありません。
 この天気であれば、全駅間歩きは問題なくできそうです。


 1日目はオホーツク海の港・斜里港から南へ下り、清里町の中心部・清里町駅を目指します。
 斜里岳を見ながら平野を歩くはずなのですが…天気がねぇ。


 
 11時半前、今回のスタート駅・知床斜里駅に着きました。
 30分ほど前にも列車が走っているためか、観光客の姿はまばらでした。

 スタート駅に着けば、「いよいよ歩くぞ!」とテンションが高くなるところですが、
 せっかくオホーツク海側から太平洋側へ縦断する旅なら、オホーツク海を見ておくべきでしょう。
 ザックをコインロッカーに預け、上着を着て斜里港へ向かいます。
 半袖でも平気かと思ったけど、やっぱ北海道は寒いなぁ。

 
 15分ほど歩いて、斜里港に着きました。
 この港の先にはオホーツク海が広がっています。
 人通りはほとんどありませんが、何隻もの漁船が停泊していました。

 ここから釧網本線の各駅に立ち寄りながら、釧路を目指します。
 今度海を見るのは5日後、ゴールの地・釧路の太平洋です。

 歩き始めてさっそくですが、道の駅(近くのレストラン)で昼食をとることにしました。
 腹が減っては全駅間歩きはできません!

 この台詞、翌日以降の自分にも言ってやりたいところですが(汗)。

 注文したのは鮭親子漬丼(1,100円…だったかなぁ)です。
 どんぶりの上にサケのルイベといくらが乗っかっています。
 ファミレスっぽい造りなのに、結構しっかりした料理がでてくるのでちょっとびっくり。
 斜里の名物料理を一通り食べることができる「知床ブランド御膳」なんていう贅沢な料理もあるそうで。

 昼食をおいしくいただいたら、いよいよ駅間歩きに出発です。
 
 知床斜里駅まで戻り、ザックの荷物を入れ替え、歩く体制を整えます。
 準備体操を終えて13時10分、知床斜里駅を出発しました。
 北の大地を舞台にした全駅間歩きが、いよいよ本格的に始まります。

 駅の西にある踏切を越え、一路南を目指します。

 まずは斜里市街を南へ下ります。
 空には相変わらず分厚い雲がかかっています。
 ザックを背負っていない時は、上着を着ていないとやってられない寒さですが、
 逆に上着を着たままザックを背負うと、たちまち体中が暑くなります。

 斜里市街の外れで国道334号と合流し、さらに南へ進みます。
 切れ目無く続いていた民家はまばらになり、北海道らしい農地が広がる光景へと変わります。
 民家がまばらになっても歩道は続いていたのですが、
 中斜里駅の手前で国道とわかれると、その歩道もなくなってしまいました。

 
 道路脇には農地が広がり、その先には斜里岳がそびえ立っています。
 晴れていたら絶景だったと思うんですが…う〜ん、もったいない!


 釧網本線の踏切をもう一度渡ると、中斜里の集落に入ります。
 道路脇には住宅が建ち並びますが、斜里市街と比べると静かな雰囲気です。

 最初の途中駅、中斜里駅に着きました。
 無人駅ですが駅舎は残っており、無人駅名物・駅ノートも置かれていました。
 かつては、近くの製糖工場への専用線が接続し、貨物列車の発着駅にもなっていました。
 しかしながら、貨物列車の運行はなくなり、現在は1面1線の片面ホームのみが残っています。

 駅舎に背を向けると、中斜里のメーンストリートが一直線に続いています。
 小さなまちですが、駅を中心に町が広がっていることを実感します。

 ザック背負ってるんなら上着はいりません。
 上着をしまい、ここからは半袖1枚で歩くことにします。

 
 中斜里駅前の一角に、こんな凄まじい風景がありました。

 北海道に行けば、こんな風景に時々出会うものですが、
 比較的しっかりした集落の中で見かけることはあまりないような気がします。
 建物の主がいなくなってから、相当の年月が経っているんでしょうね。

 道道1000号線に合流して、西へ向かいます。
 キリがいい数字なんで道道の標識があったら撮っておきたいなぁ
 …と思っているときほど、道道の標識に出会えないのが悲しい現実。

 釧網本線の踏切を越えて、さらに西へ進みます。
 前方の線路には早くも南斜里駅の接近標が、後ろを振り向けば中斜里の製糖工場が見えます。
 踏切越えて最初の角を左に曲がれば南斜里駅です。

 南斜里駅に着きました。
 ホーム以外の駅設備はなく、待合室もありません。
 看板のたぐいも駅名標があるっきりで、発車時刻表すらありません。
 駅名標に貼り付けられた時刻表が発車時刻表の代わりなんでしょうが、
 それだけ利用する人も少ないということなんでしょう。

 駅の背後には畑が広がり、以前立ち寄った生野駅とどことなく似た雰囲気がします。
 晴れていれば、大平原の駅という雰囲気を思う存分味わえたことでしょう。


 そう、晴れていれば。

 
 釧路行きの普通列車がやって来ました。
 キハ54の単行列車でしたが、車内には結構乗客がいるようでした。
 ぱっと見たところ、その多くは観光客っぽい感じでした。
 列車は南斜里駅に停車しましたが、乗降はなく、すぐに駅を後にしていきました。

 もしかすると、なんでこんなところに停車したのか分からなかった乗客もいたかもしれません。


 今回の全駅間歩きでは、列車はタイミング良く来た時だけ撮影しています。
 時刻表はある程度頭に入れて歩きましたが、撮影場所などは全然考えていないため、
 撮影できた枚数は少ないですし、数少ない写真もあまりうまく撮れませんでした(大汗)。

 
 次の清里町駅への最短ルートは、いったん道道まで戻り、線路に沿って歩くルートですが、
 今回は車通りが少なそうな、斜里川対岸の道を歩いてみることにしました。

 川を渡って最初の角を右に曲がると、片側一車線のきれいな舗装道路に入りました。
 民家が乏しいところでも、道がしっかり整備されてるところはさすが北海道!

 と思っていたんですが…。

 例によってというか何というか、途中から未舗装道路になってしまいました。

 一気に2階級降格です(苦笑)。

 この道を歩いている数十分の間、1台の車とも出会いませんでしたし、
 肝心の民家も5分歩いて1軒出会うかどうかという感じでは、未舗装でも仕方が無いのかなと思ったり。

 確かに、未舗装の方がローカルな雰囲気が出るんですが、
 砂利道って長く歩いていると、足に当たるようになるんですよね。
 足が痛くなってくるので、靴擦れが起きているんじゃないかと気になってしまいます。

 未舗装道路を黙々と歩いているうちに清里町に入りました。
 あれ?結局どこが町境だったんだろ?

 清里町に入っても畑が続きます。
 清里町の作物は、小麦・テンサイ(砂糖大根)・馬鈴薯あたりが有名です。
 写真の畑で育てられてるのは、どちらもテンサイっぽい感じですが。

 そういや、この日泊まった宿屋では送料以外無料でジャガイモを届けますってサービスをやっていました。
 5kgとか7kgとか結構な量なんですが、それだけたくさんとれるってことなんでしょう。
 ただ、道外へ配達ってなると、その送料が結構馬鹿にならないようで(苦笑)。

 市街地が近づき、民家や公園もちらほら見えてきました。
 曲がる道を間違えて、市街地を迂回してしまったのは内緒ということで。
 気がつくのが遅かったら、直線道路を延々南へ向かってしまうところでした。

 北海道で内地の地名が出てくると、
 内地から集団で移転してきたことがきっかけということがままあります。
 そういった地名は、新十津川や北広島など、市町村単位でも見かけることがあります。

 では、ここはどうなんでしょう?
 清里といえば、山梨県北部の高原が思い浮かびますよね??
 ところが、山梨の「清里」自体が開拓色の強い地域で、
 1930年代後半まで、一部地域を除いて定住者のいない森林地帯だったそうです。

 結論を言うと、ここの清里は山梨県のそれとは全く関係ないそうです。
 清里町は、1943年に上斜里村として斜里町・小清水町から分村しました。
 その後、町制を施行する際、分村元の両町の町名から1字ずつとる形で「清里町」が生まれたそうです。
 ちなみに、中心市街にある清里町駅も当初は「上斜里」を名乗っていましたが、
 町名改称と時をほぼ同じくして、駅名も現駅名に改められました。



 ってのはさておいて、ここの駅名は「清里」駅なんですけど。
 まったくこれじゃ、山梨県の駅ですよ。

 まぁ実際、地元の人はわざわざ駅名に「町」をつけて呼んだりはしないんでしょうけどね。

 清里町駅に着きました。
 無人化されていますが、立派な駅舎はそのまま残っています。
 跨線橋はかなり年季の入った造りで、木造の窓枠は少しの風が吹くだけでガタガタと騒ぎ立てます。
 階段周りなどちょっと危ない部分もあるためか、足場が組み立てられ、改修工事が行われてるようです。

 ホーム側の出入口上部にはホーロー製の看板が掲げられています。
 この看板を見ると、なんとなく歴史を感じますよね。

 
 いよいよ今日の宿屋へ向かいます。
 清里町駅からも送迎してくれるのですが、せっかく全駅間歩きしてるんなら歩いて行きたいものです。
 
 歩いてきた道を1kmほど戻り、市街の東に見える台地へと向かいます。
 台地の上にある宿へ向かうために登った坂が、今回初めてのまともな上り坂でした。
 明日の峠越えにそなえたウォーミングアップと思って登れば、なんてこたぁない。
 でも、一気に汗が噴き出てしまいましたが。

 駅から2kmほどって聞いてたんだけど、やっぱり距離あるなぁ。

 今日の宿「清里イーハトーブユースホステル」に到着しました。
 3連休の初日なので宿泊者も多いのかと思ったんですが、着いたときは誰もいませんでした。

 夕食は、中心市街の居酒屋まで送迎してくれました。
 宿屋としては夕食が出ないのですが、この居酒屋ではYHの宿泊客にだけ特別料理をだしてくれます。
 ここの居酒屋で、同宿の方と意気投合(?)。
 行きは一人だったのですが、帰りは一緒に帰ってきました。

 宿屋に戻ってからは、広間で同宿の方やペアレントさんと旅行の話で盛り上がりました。
 感想ノートだけじゃなくて、普段言えないあんなことこんなことが書ける「極悪ノート」なんてのもあってびっくり。
 夜中になっても続々と宿泊客が到着するのもちょっと驚き。
 気がつくと時刻はもうすぐ11時。楽しい時間はあっという間に過ぎるものです。
 受け取ったキャンプ用品をザックに詰め込んで、明日に備えました。


 明日は川湯温泉までの大移動。
 天気が悪くなければいいのですが。


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