萩さんのパソコン戦記(4)
What’s Hagisan
4,NEC PC−9821Xs/C8Wの時代
1994年 9月 NEC PC−9821Xs/C8Wを購入した。
CPUは,インテル486DX2/66MHZで,内蔵メモリは5.6Mであった。
メモリスロット3つのうち2Mと4Mで,すでに2つふさがっている。
外部記憶装置として,340Mのハードディスクドライブと,3モードフロッピーディスクドライブを内蔵していた。
1.44Mbのフロッピーも使えて便利である。
2倍速のCD−ROMも内蔵しており,これ一台で,何でもできた。
OSはウインドウズ3.1。
ディスプレイは,緑電子のVSA171を購入。
合計36万円であった。
後日,キャノンのプリンタBJC−400Jを,5万円で購入した。
9801EX2につけていたロジテックの340Mハードディスクを増設して使用。
12月 プリンタ購入で,おまけについた富士ソフトの年賀状作成ソフト「筆グルメ」で年賀状を作成する。
宛名は,「桐」の名簿データをCSVファイルで書き出して利用。BJC−400Jが力を発揮。
1995年 1月 EPSONのイメージスキャナGT−6500WIN2を購入した。
この機種は,Cバス接続の独自パラレルインターフェースで接続する。
今では物足りない300dpiだったが,8万円もした。
この半年で,50万円も投資したかと思うと今更ながら,ぞっとする。
本当は,COPYソフトをバンドルしていた,キャノンのIX1045がほしかったが,販売店になく,この機種にした。
後で,EPSONは,COPYソフトのバンドルを始めた。何か,損をした気分だ。
8月 メルコの内部増設メモリ16Mを増設する。
11月 ウインドウズ95発売。アップグレード版をコムロード豊橋店で予約購入。さっそくインストールした。
12月 アイ・オー・データのハードディスクHDS−1G/98を購入する。スカジーインターフェースSC−98IIで接続するが,
ウインドウズ95が動かなくなる。ぞぞーっ。
かろうじて,Safeモードで動く。あれこれやってみると,アイ・オーの最高転送速度に対応していないらしい。
遅いモードで,インストールし直すと何とか動作する。
新しい,機械なのに・・・トホホ。ハードディスクの容量は1.7ギガに。
マイクロソフトOffice95にアップグレード。3万8千円。
1996年 2月 アイ・オー・データの高速シリアルインターフェースRSA−98IISBを購入。この製品は,
スカジーボードSC−98IIに挿入して使用できるもので,Cバスが3つしかない9821Xsでは,貴重な製品である。
マイクロコムのモデムV.34ESIIを購入。1万8千円。転送速度28.8Kb
パソコン通信ニフティーサーブに加入。IDは,QYG00642
だが,電話のコンセントは1階,パソコンは2階と言うことで,毎夜家族が寝静まってから,
20mのモジュラーケーブルをはわせて接続するという劣悪な条件であった。
このときの,通信の相手は,同じ学校のI先生のみであった。
3月 日経BP社発行のWinPC誌の「おれはおこっているんだ」のコーナーに,読者アンケートでおくった
「Office95にアップグレードの代金が高すぎる。」という投書が採用されてしまった。
いろいろな人から,そのことを言われ,冷や汗。
掲載する前に,一言ぐらい連絡を入れてほしかった。もちろん,その後も連絡はない。
7月 インテルのオーバードライブプロセッサJBOXPODP5V83を購入する。
一応,パソコン上でPentiumと表示する。万歳。
9月 朝日新聞上の広告で,東海インターネット教員特別プログラムの募集要項を発見。
何と1校につき2名に,1年間の無料IDをくれるという。何という心の広いプロバイダーであろう。
(後有料化。2004年3月を持って解約予定。)
さっそく,I先生とともに申し込む。メールアドレスは,hagiitar@tcp-ip.or.jpであった。
1997年 1月 NECのターミナルアダプタ,AtermIT55DSUおよびAtermIT55を購入した。2台で7万円。
NTTに工事をしてもらい,ついにISDN回線となる。
1階にAtermIT55DSUをおき,2階のAtermIT55と接続した。
AtermIT55は,アナログポートを3つも持つ優れものであった。(今はもっといい)
これにより,20mのモジュラーケーブルとの戦いは,解消された。
2月 パソコン雑誌,WinPCの懸賞で,ジャストシステムのワープロ一太郎7が当たる。
めでたい。めでたい。まあ,これで「おれはおこっているんだ」騒動を水に流そう。
インターネットで日本エアシステム(JAS)名古屋−長崎往復航空券を購入。
4週前割引で,5割引となる。家族4人で10万円弱。
JASは,クレジットカードで支払いでき,当日空港でクレジットカードを提示すれば,
搭乗券をもらえるというチケットレスシステムをいち早く導入していた。
4月 花田小に転勤。花田小は,当時の情報処理主任H先生を中心にして,パソコンの活用が盛んであった。
この年,学年便りを一太郎でかく。ウインドウズパソコンにおけるワープロのメリットは,カットを取り込めることであろう。
しかし,ファイルが大きいのには,閉口する。
JASから突然の届け物。何とパソコンが当たった。PC−9821Nr13。<BR>
欲しかった,カラーのノートパソコンだ。何でも,チケットレスシステムのプレゼントキャンペーンだったらしい。
びっくり。やっぱりJASはすごい。
5月 メルコの内部増設メモリEXB−16を増設。このメモリは,ボード上に増設用スロットを1つ備えているという逸品。
さっそく,前回増設の16Mをこのボードにさして,使用。合計38Mとなる。
この月より,豊橋市小中学校長会の会報誌の表紙の写真担当となる。
8月 ノートパソコンを使って,教室でインターネットに接続し,子供たちにアクセスさせたいと考え,
NTTパーソナルのPHSバルディオ32Kデータ通信のモニターに応募する。
義理の兄より,故障していた富士通のFMV−DESKPOWER SEをいただく。
購入して1年しかたっていないが,ついに動かなくなってしまったのだ。
いろいろ調べていく内に増設したメモリ32Mに原因があるらしいことがわかった。
そのメモリを抜いて,ウインドウズ95を再インストールしたところ何とか動くようになった。
9月 NTTパーソナルよりPHSパルディオ312−Sと32Kデータカード,そしてホームアンテナが届く。
基本料金2700円とデータ通信5時間で1900円というプランで契約。
ただし,東海インターネットのPIAFS対応アクセスポイントへなかなかうまく接続できず,
ほとんど何もせず,基本料金の4600円が消えていった。
10月 ホームページ作成を考える。「萩」さんと呼ばれることが多いので,「萩さんのホームページ」とする。
圧縮してだましだましつかっていたAドライブがついに,満杯で動かなくなった。
ウインドウズ95を再インストールした。その結果,アウトルックエクスプレスの設定がこわれ,
98Xsからの東海インターネットへのダイヤルアップ接続ができなくなった。
そこで,義兄からいただいたFMVで仕事やダイヤルアップ接続をすることとした。
RS−232Cの切り替え機を買って,FMVをインターネットに接続した。
11月 アルクの英語通信教育,ヒヤリングマラソン入門コースを受講。毎日1時間,6か月間ヒヤリングを続けた。
CD教材のため,FMVのCDプレーヤーで繰り返し聞いた。パソコンは,マウスで操作できるので,CDの操作も楽だ。
12月 キャノンのプリンタBJC−465Jを購入した。A3縦の用紙が使え,しかも場所をとらないのが魅力であった。
また,BJC−400Jのインクカートリッジと共通で使えるのもよかった。
1998年 1月 環境の授業の調べ学習のため,教室で9821Nr13とPHSを使ってインターネットに接続した。
ニフティーサーブ経由のため,途中で接続が切れてしまうのと,STN液晶で画面が見づらいのが難点であった。
2月 FMVをつかって,ホームページを作成する。15日に,東海インターネットのサーバーに「萩さんのホームページ」を登録した。
当初は,「豊橋・くらしのなかの史跡」と「勤務校・豊橋市立花田小学校の紹介」の2ページによる構成だった。
ホームページ作成ソフトは,IBMのホームページビルダー3.0。このソフトは,3.0になって大変使いやすくなった。
特にファイル転送が簡単でよい。
4月 FMVを妻の勤務校に貸し出す。
Xsのダイヤルアップ接続の設定を回復させる。PC−9821Xsでインターネットに接続する。
8月 ホームページに「萩の花リンク」を開設し,アクセス数がのびた。
これ以降は,「萩さんのホームページ/履歴98」へ
9月 SONYのデジタルビデオカメラDCR−TRV900を購入。
miniDVテープへの録画の他,静止画も撮れると言うことであった。
しかし,標準装備では,静止画の記録は外付けの専用フロッピードライブをメモリースロットに装着しなければならず,
使い勝手は決してよくなかった。実際には,DVテープに録画した映像を再生しながらキャプチャーし,
フロッピードライブをつなげて,フロッピーディスクに記録した。
その後,メモリースティックとメモリースティックアダプターを購入し,DCR−TRV900に装着した。
これにより,静止画の記録がとても楽になる。
しかし,ホームページを作成するデスクトップパソコン(PC−9821Xs,FMV-DESKPOWER SE)には,
PCカードスロットがなく,直接画像を取り込むことができなかった。PCカードスロットがあるPC-9821Nrに一度保存し,
再度フロッピーディスクに保存し,デスクトップパソコンに転送していた。
1999年 12月 メモリースティックドライブを搭載した,SONYのパソコンPCV-L320/BPを購入。
2000年
以降
イメージスキャナを接続しているPC−9821Xsは,写真のスキャン専用機として2003年まで活用する。
ただ,画像をPCV-L320/BPに転送するのにフロッピーディスクを介さなければならず,面倒であった。
CバスのLANカードを安いときに買っておけば,よかったなと後悔した。
FMV-DESKPOWER SEは,CPUを交換のうえ,メモリとハードディスクを増設して長男が使用することとなる。
2003年 8月 粗大ゴミとして,豊橋市資源化センターに搬入する。
同時に,ディスプレイ(緑電子のVSA171)と,イメージスキャナ(EPSON/GT−6500WIN2)も出す。
PC−9821Xs/C8Wは名機であったが,CD-ROM内蔵のため,逆に後の内蔵ハードディスク増設の妨げになった。
内蔵ハードディスクが340メガでは,Windows95でもまともには動かなかった。
早い時期に,内蔵1ギガに交換しておけば良かったが,投入できる予算にも限りがあった。
     
 パソコン戦記   4  履歴ページ