萩さんのパソコン戦記(1)
What’s Hagisan
1,NEC PC−8801の時代(パソコンを始める)
1982年 4月 鷹丘小先輩のI先生の所有するシャープMZ−80Bをみて,
「これからはこれだ」と購入を決意する。
5月 8ビット機PC−8801を漢字ROM付きで購入。
26万円
白黒モニターで記憶装置はテープレコーダーだった。
6月 16ドット漢字プリンタPC−8822を購入。26万円。
成績処理用に雑誌のベーシックのプログラムを打ち込み利用。
7月 ソフトバンクのOh!PCを創刊号から購読。
月2号の発行に
なってから購読をやめる。
8月 当初はワープロソフトがなく,漢字をN88−Basicの
プログラムを打ち込んで,表示させた。
 − 待望のワープロソフト「文筆」が発売された。
しかし,テープ
バージョンのため,プログラムロードでジージーガーガー音を5分近くも聞かされた。文書も1ページを書くのがやっと。
10月 5.25インチのフロッピーディスクドライブ,アイテム社のDisk−80Pを購入。
16万円もしたが,記憶容量は両面倍密(2D)で,320kバイトであった。
1983年  − カラーモニターを購入。ワープロソフトもいつの頃かディスクベースの「文筆Ver.2」になった。
しかし,「文筆」を作った
I企画がつぶれ,サポートを受けられなくなった。
この年,名機初代PC−9801が登場する。
1984年 4月 植田小に転勤。ワープロソフトで,仕事の文書や,学級通信を書く。
職場でも,徐々にワープロ専用機を使う人が増える。
1985年 12月 24ドット熱転写漢字プリンタPC−PR201Tを購入。
同時にデーピーソフトのワープロソフト,スーパー春望を購入。
88のソフトでありながら画像も扱え,多機能で満足できた。 
以後4年間バージョンアップをしながら使用した。デーピーソフトは,デスクトップパブリッシングを意識したP1というソフトも出したが,PC98用のソフトP1EXEの開発に力を入れるからという理由で,88用ソフトのサポートを一方的にうち切ってしまった。
1986年  − 植田小の職員室に東芝のトスワード(校区所有)が入る。
10月 SONYの8ミリビデオカメラを購入。
パソコンよりも,ビデオを活用することが多かった。
1987年  − 植田小の職員室にNECワープロ文豪MINI7Gが入る。
1988年 8月 妻がNECのワープロ文豪MINI5Hを購入。
スーパー春望2とMINI5HをRS232Cリバースケーブルでつなぎ,データの交換に挑戦した。
1989年 6月 4月幸小に転勤。PC−9801EX2を購入し,ほとんど使用しなくなる。
1995年 9月 5年生,工業学習の教材として,解体する。子供たちに,内部を見せる。
1996年 4月 涙をのんで,お別れする。粗大ゴミに出す。
  
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