萩さんのパソコン戦記(2) | ||
What’s Hagisan | ||
2,NEC PC−9801EX2の時代(MS−DOSを勉強する) | ||
1989年 | 4月 | 幸小に転勤。同僚のT先生から,NECの98シリーズの購入を勧められる。 幸小の職員室には,PC−9801RAが導入されており,T先生が, 管理工学のワープロソフト「松」で文書作成を,データベースソフト「桐」で 児童名簿の管理と成績処理をしていた。 |
6月 | 3.5インチフロッピードライブを備えた16ビット機PC−9801EX2と, 40Mバイトのハードディスクドライブを購入。約30万円。 このとき,PC−8801とのデータ互換のため,PC−98DOも候補としたが, 将来性を考えて,CPUが80286のEX2を選択した。 また,文豪MINI5とフロッピーが共用できることも理由の一つだった。 同時にデービーソフトのワープロソフトP1EXE」を導入。 モニターは,88で使っていたカラーモニター640×400を転用。以後,88を使うことはなくなった。 |
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メニューソフトのEOシステムを使いながら,MS−DOSを勉強する。 T先生の作った「桐」を使った成績処理プログラムで成績処理を行う。 表定義もできるようになる。「桐」と「松」2本のソフトも購入する。2本で10万円もした。 |
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1990年 | 6月 | 市社会科研究部の指導案を「P1EXE」で書く。 このソフトは,線画機能や多彩な文字フォントを持っている点で優れていて, 魅力的だった。以後,P1Aruga等へバージョンアップしていったが, ウインドウズ版のP1パプリッシャーは使い勝手が悪くがっかりした。 |
1991年 | Windows3.1を購入。マイクロソフトのWordやExcelも以後随時購入する。 | |
1992年 | 学校には,全市一斉に富士通のFMRが1台導入(中学校は2台)された。 ソフトは,市独自の教育情報システムと一太郎Ver4 .3およびロータス123であった。 ウインドウズは,3.0であった。 |
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教員組合の広報誌を担当。この年に購入した9801NS/Tと本機のワープロ「松」で原稿を作成した。 | ||
1993年 | 教員組合の名簿づくりで,データベース「桐」を活用した。 | |
1994年 | 2月 | ロジテックのハードディスクSHD−B340を購入。<BR> 前後して,メルコの3M内蔵RAMとウインドウズアクセラレータを購入した。 メルコは,この環境でウインドウズが走ると宣伝していたが,ウインドウズ3.1をインストールすることに失敗した。 |
1994年 | 9月 | ウインドウズパソコンがほしくなり,NEC PC9821Xs/c8wを購入した。 9801EX2を,同僚のT先生に買っていただいた。感謝。 |
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