干支になれなかった猫 特集
01. 猫と鼠(福島県)
02. 招き猫(その1)(大阪府)
03. 招き猫(その2)(東京都)
04. 招き猫(その3)(千葉県・福岡県)
05. 猫(岩手県)

06. 猫の貯金箱(愛知県・栃木県)
01.猫と鼠(福島県)



むかし、むかし、まだ猫と鼠が仲良しだった頃の話()。あるとき、天の神さまが世界中の動物たちに「動物の中から12匹えらんで、1年間ずつ、人間の世界を守らせることにした。先に着いたものから、順に決めていく。入りたいものは、1月12日に私のところに集まれ。」というお触れを出した。猫という動物は忘れっぽかったとみえ、その日が何日か忘れてしまったので鼠に尋ねたところ、鼠は自分こそ一番になろうと思っているものだから、「あれは1月13日」と一日遅い日を教えてやった。さて、鼠の家は牛小屋の天井にあったのだが、帰ってみると牛が「おれは足がのろいので、今夜のうちに発たんと間に合わない」と、もう出発の用意をしている。これを聞いた鼠はそっと牛の荷物の中に忍び込んだ。写真は三春張子で新作(高さ10cm)。(H19.10.20)

02. 招き猫(その1)(大阪府)



牛は夜通し歩き続け、やっと神様の御殿に着くと、まだ誰も来ていない。「やれうれしや、これで一番になれた」と思ったとたん、荷物の中から鼠が飛び出して「第一番は鼠でござる」と名乗りを上げた。牛もさぞ腹を立てただろうが、それよりももっと腹を立てたのは猫である。13日に息せききって神様のところへ駆けつけると動物は一匹もいない。「しめた。おれ様が第一番」と門の中へ駆け込もうとすると、門番に「順番をお決めになる日は昨日。寝ぼけていないで、よく顔を洗いなさい」と言われた。猫はそれ以来、鼠さえみると飛び掛って捕まえようとし、また、つばを付けていつも顔を洗うようになったと。写真は住吉神社の初辰猫(中央の高さ6cm)。右手を上げた招き猫は福や金運を招き、左手を上げているのは特に水商売で客を招くといわれるが群馬県の玩具03、確かな根拠もない。(H19.11.10)

03. 招き猫(その2)(東京都)



縁起物の招き猫は、猫のする仕草を模したものである。この“手招き”は猫の食後の洗顔行動であり、まるで「よく顔を洗いなさい」という門番の言いつけを守っているかのようだ。猫の毛づくろいは、じかに背中や尻尾まで口を持っていって毛を舐めるのに対し、洗顔行動では、口の周辺をこすっていた手がやがて頬をこすり、さらに耳の後ろにいたる。このときに前足は上膊部で曲げられて掌が正面を向き、まさに招き猫のポーズとなる。写真左より谷中で売られる江戸張子、世田谷豪徳寺の招き猫、浅草今戸神社の招き猫。豪徳寺には招き猫誕生の由来ともされる伝説がある。江戸時代はじめ、彦根藩主・井伊直孝が豪徳寺の前を通りかかったところ、寺の猫がしきりに手招きをする。それに誘われるように寺に入った直後に雷が落ち、直孝は難を逃れることが出来た。以来、豪徳寺は井伊家の菩提寺として寄進を受けることになり、寺ではこの猫を招福猫児(まねきねこ)として祀ったという。一方、今戸神社はイザナギ、イザナミが御祭神であることから縁結びの神として信仰を集め、ぶちと白が寄り添う夫婦招き猫を授与している(高さ6cm)。(H19.11.10)

04. 招き猫(その3)(千葉県・福岡県)



中国ではどうだろうか。民話によると、天の神様が地上に棲む動物の中から十二匹を選ぶように命令を出すところまでは日本と同じ。選考役の四天王は、朝を告げる鶏、門を守る犬、月を拝む兎、耕作に携わる牛と馬、山の守りとして猿と虎、水を治める龍と蛇、人間の食料となる猪と羊、そして経を読むことができる猫の十二種をまずリストアップし、その順番は元旦に南天門の天帝殿に到着した順にすることにした。つまり、猫も最初は十二支に選ばれていたのだ。この後の経過は日本と同じ。真っ先に駆けつけたのは牛だったが、その背中に乗っていた鼠が先に飛び降り、呼ばれてもいないのに第一位をさらってしまった。残りの順番を決めるのにもスッタモンダあって愉快なのだが、結局、猫は選に漏れることになる。割を食った猫が鼠を恨むのも当然だろう。左は佐原張子(千葉県)、右は赤坂土人形(福岡県、高さ10cm)。(H19.11.13)

05. 猫(岩手県)




犬と猫はどちらも大昔から人間の友であった。1万年前のバルト海沿岸の中石器時代遺跡からは立派な箱に入れて葬られた犬が見つかっているし、紀元前16世紀ごろのエジプトでは、猫が鼠を捕る動物として既に家畜化されており、猫が死ぬと家人は喪に服し、死体をミイラにして神殿に葬ったほどである()。しかし、同じく身近な動物なのに犬は干支に選ばれ、猫は選から漏れるのはなぜだろうか。それは、家畜化されたとはいえ、猫が野生の習性を残して孤独な動物だからかもしれない。人は鼠を捕る猫の習性を利用し、猫は人から餌を得るという利害関係が両者を結びつけているのに対し、犬はいつも人のそばを離れず、主人に無償の愛情を示してくれる。動物と人との心の交渉あるいは距離感が、干支にまつわる物語にも反映したように思う。写真左が花巻人形(高さ14cm)、右が附馬牛人形の猫。(H19.11.13)

06.猫の貯金箱(愛知県・栃木県)




古い招き猫があまり残っていないのは、それが貯金箱を兼ねていたからである。当時、貯めた小銭を取り出すには、貯金箱を壊さなければならなかった。さて、現在どこでも目にする常滑焼の招き猫(小判を抱えた2頭身)のスタイルが完成したのは昭和20年代後半というから、そう古い話ではない。この招き猫が千客万来を願うマスコットになり全国に広まった時期は、まさに大量生産、大量消費に代表される戦後の経済復興期に重なる。抱える小判も百万両から今では千万両に値上がりしていて、世相を表している。写真の貯金箱はいずれも常滑(愛知県)で焼かれているものだが、眠り猫の貯金箱は日光みやげとして売られる(高さ8cm)。現代の子供たちにとって猫の貯金箱といえば、さしずめドラエモンだろうか。(H19.12.13)

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