1795年



 1795年は政治情勢が大きく変わった年だった。それまでフランスを四方から締めつけていた対仏大同盟の箍が、ここであっさりと外れた。君主制を採用する列強の中で、まずプロイセンがフランスと単独講和。戦場から脱落した。イギリス軍が海上に追い出されたこともあり、フランス国境のうち北側はこれで安全になった。

 次に対仏大同盟の名簿から姿を消したのはスペインだった。国王の寵臣で王妃の愛人だったゴドイがフランスとの講和を成立させ、彼は「平和公」と呼ばれるようになった。スペインはやがてフランスと同盟を結び、むしろ対イギリス戦争にその兵力を振り向けるようになる。これでフランス国境の南側も安全になった。

 残ったのはフランスの北西に位置して海岸部を脅かすイギリスと、東にあって戦争を続けるハプスブルク帝国だけだった。いくつかの和平条約によって部隊に余裕の生まれたフランス軍は、やがて残る敵国相手に積極的に攻め込むようになっていく。もはや祖国は危機にない。だが、戦争は続いていた。


・1795年/戦線

[オランダ戦線] [ライン戦線] [イタリア戦線] [ピレネー戦線] [西部フランス] [植民地戦争]


・1795年/年表

2月3日バタヴィア共和国成立
2月9日フランスとトスカナ大公が講和
4月1日ジャコバン派によるジュルミナルの蜂起
4月5日バーゼル条約、フランスとプロイセンが講和
5月16日フランスとバタヴィアのハーグ条約、姉妹共和国に
5月20日ジャコバン派によるプレリアルの蜂起
7月22日バーゼル条約、フランスとスペインが講和
10月1日ベルギーの併合議決
10月5日王党派によるヴァンデミエールの蜂起
10月31日総裁政府成立



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