

和装小物の銀座・三河屋 |
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★ 銀座・三河屋ものがたり
銀座八丁目の中央通り。現在の資生堂パーラーがある場所に、かつての銀座・三河屋はありました。
三河屋の創業は、江戸の元禄時代までさかのぼります。酒を商うことに始まり、以来、時代の要請に応じて、油→糸と扱う商品を変え、慶応3年(1867年)には銀座八丁目の一等地に糸商として店を構えるに至ります。
一般には大政奉還の年として知られる1867年。この年に銀座に進出を果たした三河屋の歴史は、そのまま文明開化の象徴として栄えてゆく、銀座の歴史ともぴったり重なっています。
糸商として大きな成功を収めた銀座・三河屋は、次第に組み紐を使った和装小物などの製造・問屋も兼ねるようになります。太平洋戦争後は和装製品全般および婦人服地まで商いの範囲を広げ、昭和36年、現在の資生堂パーラーのある場所に、資生堂と共同で本社ビルを建築。併せて、和装品のみならず、婦人服全般、宝飾・アクセサリーの取り扱いを始め、全国的な営業展開を図るまでになりました。
時代が下ると、店の敷地をお隣の資生堂パーラーに譲って、その一本裏手の金春通りに店舗を移し、帯〆をはじめとする和装小物の小売りへと事業を絞ります。銀座生え抜きの老舗として「銀座百店会」にも参加、和装小物の銀座・三河屋の名は、世間に広く知られるところとなります。
そして、迎えた江戸開府400年の今年。常に時代の趨勢に合わせ、柔軟に商う対象を変えてきた三河屋開業以来の商人魂、そのアンテナが、次なるコンセプトを捉えます。それが、「江戸の食」。このコンセプトを最も効果的・合理的にユーザーに提供する方法として、三河屋が選択したのが、店舗、ネット・雑誌・カタログによる通販、イベントまでの複合多面的販売というスタイルだったのです。
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