宮城、山形の旅
「大人の休日」切符で「くり電」へ
2004年12月
JR東日本の企画「大人の休日〜冬〜」を利用して「くりはら田園鉄道」に乗るのを
楽しみに、宮城、山形両県のローカル線を乗り回る一人旅に出掛けた。
12月8日
大宮駅で指定の列車を待つ間に、西口の大宮ソニックシティ内局を訪問、これが初の「さいたま市」内の局となる。大宮09:34発「やまびこ81」のグリーン車に納まる。この企画切符では6千円の追加でグリーン車に4回まで乗れる。今回の旅では、往復の新幹線は、生まれて初のグリーン車利用とした。
雪をかぶる那須連山を遠くに眺めながら、ゆっくりとした旅が始まる。仙台に予定通りの時間に到着、かっての会社の支社に電話し、後輩たちと久しぶりの会合を約束する。東口から宿までの途中、仙台新寺局(若林区)に寄り、宿へのチェックインの前に入口にあるメルパルク仙台局へも立ち寄った。
荷物を預けて、仙台榴ヶ岡局(宮城野区)に寄り、仙石線で終点の青葉通りへ。支社までの間に仙台中央三局、仙台東二番丁局、仙台SS30内局(青葉区)と数百メートルごとに郵便局が並んでいる。SS30ビル最上階のレストランで、市内の展望を楽しみながら支社システム技術部の現役二人と会食、最近の仕事ぶりを聞く。仙台中央局は支社(河北新報本社内)の真ん前だ。駅へ戻り、仙台駅内局へ。
【東北本線利府支線】
仙台14:43発一ノ関行きで岩切へ、15:00発(700系2両編成)に乗り換え、終点の利府へ。利府局(宮城郡)へ寄った後、本線か仙石線の最寄り駅までのバスを調べたが途中止まり、駅前客待ち中のタクシーにも聞いたが、結構の料金が掛かるとのことで、今回は見合わせる。
駅周辺をぶらぶらすると、赤色の電気機関車が6台、空き地に置いてるのを発見した。EF71−1、EF75−1、EF77−1、・・・・と、いずれもトップナンバーではないか。役目を終えた静態保存機だが、「保存」ではなく「放置」の状況。ロープが張ってあるが、管理されている様子は見受けられない。モンゴルのウランバートル機関車展示場を思い出したが、定年後の我が身を眺める感じもする。
青葉通り18:02発でホテルへ戻る。夕食後、旧知の柏原氏を呼び出し、しばし懇談。今日は放送大学の教授会に出席し、千葉から帰ったばかりとのこと。東北大学を辞めたあとも放送大学で哲学科専任教授を続け、俳句の同人会をも主宰するなど、精力的に活躍されている。
12月9日
【仙石線】
宿で朝食を摂り、榴ヶ岡07:53発東塩竃行きで今日の行動開始だ。車掌は女性。途中の福田町手前には宮城野運転区がある。ここは仙石線の204系車輌基地だ。仙台周辺の車輌は交流・直流を問わず、仙セン区と表示されている。仙石線は交流電化地帯の中に孤立する直流路線だが(こちらが先で、後から本線が交流電化された)、北陸の七尾線と違い架線は独立している。
東塩竃でホーム階段へ歩きながら見ると、隣の車輌(モハ205-3114)はダブルパンダだった。駅舎を出て造船所前を散策していると、前方の空に変な形の雲が現れた。航空自衛隊松島基地のブルーインパルスが訓練中らしく、雲の形はあまり整ってはいなかった。
東塩竃08:49発に乗る。ここから単線区間に入る。松島海岸駅近くでは駅名通りに海岸が近づき、鹿妻=矢本間で右側に松島基地が見える。終点では跨線橋を渡って駅の反対側(北側)へ回り、整備された遊歩道を歩くこと片道約20分、石巻局を往復する。
【石巻線】
息を切らせて石巻駅へ戻り、10:20発で女川へ。駅前の宮城県女川局へ寄ってから港の岸壁を散策。女川駅にはホームから駅舎への階段が二つあるが、片方は使っていない。現用中の階段途中には、チリ津波に襲われた時の潮位を示す看板が立っていて、津波の恐ろしさを実感できる。
女川11:23発小牛田行きに乗る。石巻の次の曽波神を過ぎると平らな田園地帯、さすが米どころ宮城を思わせる。田圃ごとに落差がないので、とちらに向かって水が流れるのか分からないほど、平である。
小牛田12:46始発の一ノ関行きで石越へ。宮城県石越局の近く、駅前のラーメン屋で昼食とする。バスの操車場はあるが、細倉方面への適当なダイヤはない。
【くりはら田園鉄道】
JR石越の駅舎から離れて向かい側に「くり電」の駅がある。無人だ。到着した上りの運転手は駅舎に入ってしばしの休憩。記念切符を求めると、帰りの列車に途中から乗務するから、その時に用意しておくとのこと。約2時間の間隔を置い運行される14:12発の単車(KD952)に乗る。閑散時間帯なのか(混む時間帯があるのか?)乗客は5・6名ほど。ワンマン運転の車内には、運転席の脇にクリスマスツリーが飾ってあった。
途中から7人の幼稚園児が乗り込んできた。保母さんはホームでお見送り。その先の駅ではお母さんがお出迎え。その間の子どもたちは馴れたもので、楽しそうに遊んでいる。カメラを構える私に興味があるようで、笑顔で応える。さながら幼稚園バスの体である。
終点の細倉マリンパーク駅も無人。駅裏には栗原電鉄時代に鉱石列車を牽引していた電機と貨車が保存してある。三菱電機昭和25年製のED202号機とワフ21だ。秋法(アキノリと読む)局へ寄った後、マリンパーク目指して坂道を歩き出してみたが、遠いので途中で諦めて駅へ戻る。
行き止まりの現ホームから百メートルほど上り方向に古い駅舎が見えが、人が住んでいるのか、繋いである犬が吠えている。その間はかっての操車場か、蒸気時代のコンクリート製貯水タンクや、保守用車輌の車庫などが崩れかかって残っている。トロリーの線材なども放置されている。
次の上りが着くと、運転手が駅舎やホームの照明スイッチを入れて回る。帰りは16:17発KD951号車、客は私一人だけ。車窓から眺めると、所々にトロリー線や昔懐かしい碍子式の電信線も残っているし、沢辺駅の入場信号機は腕木式だったりで楽しくなる。沢辺と若柳でタブレットを交換していた。
本社がある若柳駅で、行きの運転手に交代し、頼んでおいた記念切符を入手できた。終点の石越で調べたが、JRとレールがつながっていない。貨物輸送の時代は接続していたが、今は取り外してあると。車輌の搬入、搬出はトラック便なのか。運転手の話だと、廃止の噂もあるが、数年は運行をつづけるとのこと。是非そう願いたい。
石越17:07発は小牛田で4両を増結、仙台へ戻る。増結している間に、反対側のホームには「快速南三陸」が後から到着して先に出発していった。仙台駅西口から青葉通りを約20分あるいて今夜の宿、ワシントンホテルに着く。老体には欲張った行程で、若干の疲れを感じた。夕食後に閉店間際の売店で可愛い雀のお手玉を発見、何故雀が? 伊達家の家紋は雀だとか。
12月10日
ホテルの近く、土井晩翠の旧居前で百円バスを待つが来ないので、駅まで歩く。仙台08:33発小牛田行きで、3日続きで同じ線路を走る。東仙台〜岩切間は電車基地や機関車基地が続く。松島駅の手前では昨日乗った仙石線が東北本線線路の山側に現れたりする。
【陸羽東線】
小牛田局で風景印ハガキを出し、衣類などを「ゆうパック」で発送、すこし身軽になる。小牛田10:02発古川行きの終点で途中下車。東北新幹線との接続駅だが、陸羽東線としての貨物取扱駅でもあり、構内にはコンテナが積み上げられていた。古野作造の生誕地だという案内板がある。駅前にできた新しい町の一角に「ササニシキのふる里」古川駅前局がある。陸羽東線を走る車輌はキハ110系で、窓下の帯と縁取りが赤・黄・緑の組み合わせでカラフルに彩れている。昼間は2〜3両編成で運行されている。
古川10:55発で鳴子温泉へ。「こけしといで湯の里」鳴子局では、こけしの形をした板製のはがきに120円切手を貼り、風景印を押してもらって自宅宛に出す。今度の旅の記念になる。自動発券機で入湯料150円の切符を求め、公衆温泉で烏の行水を浴び、駅へと急ぐ。
鳴子温泉13:00始発の下りへ乗る。有名な鳴子峡はトンネルの合間にちょった姿を見せるだけ。次の中山平温泉駅にはC56が静態保存されている。境田駅は名前の通りで、分水嶺の標識が立っている。太平洋と日本海側に分かれて流れるのだ。新庄駅前局で初の山形県を得、旅行貯金で訪ねた都府県は28番目となる。
【山形新幹線】
新庄14:19発の「つばさ190」は山形まで普通車として運行される。山形駅前局で「赤花」のイラスト付き局名印をもらい、「中心100円循環バス」で山形中央局へ。局の付近は古い町並みが続く。局前バス停から一緒に乗った人の話では、一番の繁華街だったが今では閉店したデパートもあり、いずこも同じ都市中心部の空洞化が進んでいるようだ。
干し柿などのお土産と駅弁「九十九鶏弁当」を買い込んで、17:30始発「つばさ124」のグリーン車の客となる。出張帰りか、この時間になると結構の利用者がある。暗いので窓の外の景色は見られない。福島で「やまびこ124」に併結され、大宮19:58着。新宿湘南ラインで新宿へ、今回の旅も無事に終わる。
(2005年1月記)