旅日記 2001年房総の旅


 久しぶりの夫婦での気まま旅と思って出掛けましたが、JR、第3セクター、私鉄とローカル線を乗り継いで房総半島を2回も横断し、随所で旅行貯金をするするという気ぜわしい旅になってしまいました。お陰で同行した妻は、特に3日目の帰路で乗り継ぎの連続に疲れ果ててしまい、ご機嫌斜めの様子。楽しかるべき旅もやや失敗の評価あり。
 歳を考えなさい!!と。

3月14日(水)
 町田の自宅から小田急線で新宿へ。西口緑の窓口で切符購入。東京=木更津間の特急自由席券を一緒に買ったのに、乗車券は 新宿=木更津(経由:中央東、総武、外房、浜野)となっていました。さざなみ7号の車内検札で車掌さんが首を傾げていましたが。
 木更津では約1時間の待ち合わせ。東口から木更津大和町郵便局、踏切を渡ってアクアライン木更津郵便局で旅行貯金、初めての千葉県の郵便局です。清酒醸造元の前を歩いて西口へ、そごうデパートもウィークデーの昼間のせいか、なんとなく淋しい感じです。
 久留里線では木更津発12時43分発、キハ30−100キハ38−1001の2両編成でした。この線の車輌は「千キツ」区所属。側面には狸と花の回りに「KIMITSU KISANAZU SODEGAURA」と入ったロゴが書いてあります。通過する市の名前でしょうか。房総半島も高速道路が発達したのか、途中でアクアライン連絡道と館山自動車道の二つの高架道と交差します。この列車は久留里駅止まりで、次の列車まで、ここでも約1時間の待ち時間があり、その間に久留里郵便局へ。道路の脇には清水を汲み上げている給水口があり、持参したポリタンクに清水を注いでいる人も見掛けました。

                              【写真:久留里駅でタブレット交換】
 久留里発14時21分発の上総亀山行き列車で終点まで乗る。線路がそこで終わっている鄙びた終着駅です。JR久留里線は全長32.5キロメートル、木更津・横田・久留里・上総亀山の4駅に駅員がいてその他は無人駅。中間の2駅で交換するタブレット閉塞方式です。
 亀山の駅前に鴨川日東バスの小さなバスが止まっていた。運転席の窓脇には「貸切」とあるが、方向幕には黄和田行きとの表示。トンネルを越えた先の「郵便局前」まで乗る。亀山郵便局で預金した後、ダムの湖岸道路を40分ほど宿まで歩く。
 宿は「亀山温泉ホテル」、表示によると含沃素臭素重曹食塩温泉という欲張った泉質の温泉です。紅茶のような色でした。

3月15日(木)
 宿の車でバス停まで送ってもらう。千葉駅=鴨川駅間を結ぶ鴨川日東バスの高速路線バス「カピーノ号」の笹停留所です。時刻表では10時59分、実際には11時5分通過のバスに乗る。乗客はわれわれの他に5名のご婦人だけ。土日休日を除くとJR鴨川駅の先、鴨川シーワールドまで運行している。駅で降りる場合はアナウンスに従ってブザーを押さないと駅まで入らずに、手前の国道交差点を曲がってしまうのでと運転手が注意をしてくれる。
 バスを終点で下車、一つ手前の停留所(高速バスは通過)まで戻り「かんぽの宿・鴨川」にチェックインする。身軽になって海岸を散策、駅まで戻りながら鴨川郵便局へ。
 鴨川駅は外房線、内房線ともに終着駅。両線にまたがって走る列車はない。ともに千葉行きとなるからホームを間違えないように。内房線で一駅、太海駅で下車して太海郵便局へ寄る。「名勝・仁右衛門島」への渡し船乗り場まで散策したが渡るのは次回に。帰途の途中にある市営フラワーセンターで花を観賞、国道へ出た所のバス停からかんぽの宿まで帰りました。
 宿は長期滞在者用の6階、窓からは松原越しにシーワールドが一望、シャチが飛び跳ねたりオットセイに餌を与えたりする様子が見えるという、隠れた特典付きの部屋でした。夕方には羽田空港への着陸姿勢に入っている飛行機が連なって飛んでくる様子がよく見えました。約3分ごとの着陸です。

3月16日(金)
 宿の前から、鴨川駅へは戻らずに興津行きのバスに乗る。このバスは安房天津駅まで寄り道しますが、次の局前で下車、天津郵便局へ。浜辺を散策しながら駅まで歩いて戻る。駅舎の半分はコミュニティーセンターとして地元で活用しているようでした。
 安房天津発9時44分の外房線特急わかしお10号に乗る。この列車は安房鴨川=勝浦間は普通列車として運行されています。勝浦には10時6分着、特急券が惜しいので、勝浦始発10時21分発普通千葉行きに乗り換えました。大原着は10時40分、踏切を渡り少し歩いて大原郵便局へ。町の中を散策、造り酒屋などをカメラに。郵便局を訪ねながら初めての町を散策するのも楽しみの一つ。

【写真:大多喜駅にて】

 大原発11:35分の第3セクターいすみ鉄道なのはな号」に。名前のように黄色を基調とした塗装の気動車です。ワンマン運行です。しばらくは田圃の中を走りますが、線路の回りは菜の花で一杯、ちょうど満開の時期でした。途中の大多喜駅に本社があり、車両基地もここ。対向車のホームには高校生が一杯、入ってきたのが1両だったので一人が増結しないの・・と駅長に聞いていましたが、1両のままの運行でした。
 終点の上総中野駅にはいすみ鉄道のホームと小湊鉄道のホームが1本づつあり、線路もそれぞれに単線のみで行き止まり。両線を連絡する線路もありますが、使っている形跡は無いようです。それぞれの他端がJRに接続しているし、この線路を使う必要は無いのかも。駅舎は淋しいですが、隣接する円筒形の白い立派な建物は公衆便所でした。養老渓谷の栗又までのバスも出ていましたが、乗客は2人だけでした。少し歩いて西畑郵便局を訪問、ちょうど昼時だったので局員に教えてもらった駅前の蕎麦やで昼食、食べ物屋はこの1軒だけとのことです。
 JTB携帯時刻表には小湊鉄道の時刻はないので、ここから先は出たとこ勝負。約2時間の待ち時間があり、時間の過ごし方に苦慮しました。しかし、両線の車輌が同時に入線するというチャンスに私は大喜び。いすみ線の方はさっきと違う車体一面に絵を書き込んだもの、それでも「なのはな」との愛称は入っています。
 小湊鉄道の上総中野発14時25分発五井行きは2両編成で車掌も乗っています。乗客もいすみ線からの乗り継ぎ客もいましたので20人ほど。写真を撮っていた青年は鉄道ファンなのか下りに乗ってきた人でした。
 五井発15時42分の普通千葉行き、千葉で横須賀線乗り入れの(E217系)快速電車、錦糸町で総武緩行線の新型車(209系)で新宿へ、小田急の急行に座って町田へ帰着という、安くて一番早い乗り継ぎ方式で帰心矢の如しでした。

 あー疲れた!!

2001年3月記

Back to : 和の部屋 Topページ
           鉄爺(鉄道旅行)の部屋
           郵爺(旅行貯金)の部屋
         旅の記録と旅日記