- (2004.8.13)お盆休み3
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八月七日、今日は、石廊崎の灯台を目指す。
夕べ、伊勢えびを頼んだので、サービスとして朝のスープに、伊勢えび!が。
他のお客さんが頼まなくて、余っちゃったのだろうか。ところで、旬は、秋から冬と
聞いていたが、きっと輸入物なんだろうなぁ。
宿を発ったところで、カメラのフィルムを探したのだが、見つからない!
デジカメ全盛の時代、銀塩カメラのフィルムなどもはや化石か。
ある一軒で見つけたが、バスの時間にかろうじて間に合った。
石廊崎灯台行きなのだが、なぜか、降りる場所が、港入り口。不思議だったが、小さな港に一旦下り、そここから
山を登っていくのである。いなかに、産直の名物、金目鯛や鯵の干物をここから送った。
ばあさんは愛想が良く、冷蔵庫にある品は予約済で遅れる旨、教えてくれた。あとから来たおばさんは、お代は
しっかりいただきす、という感じ。自家用にも送って、しばらく楽しめるようにした。
この灯台は、小学生の頃、家族で来たことがある。灯台の隣に、パークランドがあったが、今は、廃業しており、
哀れな姿を晒している。
灯台自体は、うん十年たってもかわらない白亜の殿堂といったたたずまいだった。それよりも周辺の観測所に、
アメダスの機器が働いているのを考えると、なんか楽しい。気象庁のWEBで、ここ1週間ほど、石廊崎の観測状況
をチェックしていた位である。
灯台下の神社の小さなほこらは、伊豆半島最南端にある。足元に砕け散っている海の西は、遠州灘、東は、相模灘。
水平線には、東から、大島、利島、新島、、、、ほぼ真南に三宅島が、天気がよければ見えるというが、利島と新島
の影が見えた位。
港に戻ると、はや正午。他に適当な店も無く、土産物屋で、昼食。サザエ定食、伊勢えびラーメンなどあったが、
カレーとアイスコーヒー。エアコンがばっちり効いていたのは、うれしかった。
旅の最後は、石廊崎→下田の定期船。船は、がらがら。潮風受けるために船上に陣取る。磯の海の色は、エメラルド
グリーンで、澄んでいた。意外に高い所に聳えていた灯台を後にして、一路下田へ。重油の匂いは、風を切って進む
うちに薄れ、船の騒音も大洋に出ると、返って心強く感じるから不思議。海岸の由来、ビーチの紹介、伊豆七島の紹介
と観光地ならではの放送がはいる。昨日の弓ヶ浜を海から眺め、いた辺りを確認したり、どうやって登ったのかわかないが、
岩場に磯釣りする人を多数見た。近くの小さな島は、良い漁場だそうで、漁船が何隻か向っていた。
大浜、今井浜、、、など、下田までの他の浜も、賑わっているようだった。およそ40分で、下田到着。
隣には、黒船(サスケハナ)が停泊していた。これは、下田の港内観光用であるが、乗ってきた船を、
子鯨とすると、親鯨くらいに感じた。なんか矛盾するなぁ。
さすがに土曜日なので、乗り込む客はいくらかいたが、夏は海だから、仕方ないよなぁ。
桟橋で、メロンシェラートを購入して一服。
伊豆下田駅には、国道沿いを歩いて到着。帰りは、ただの踊り子号。半分くらいは、寝ていたので、
あっという間に東京。小雨模様。なんだか去年と似た展開。止む事を願いつつ、軽食を取ってから帰還。
直行便感覚で手軽に行けて、伊豆の味覚はばっちり網羅。ピーカン照りはなく、貸切状態のようにがらがらで
寂れた感じが郷愁をさそってナイスな旅でした。
- (2004.8.13)お盆休み2
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八月六日、六時前には、目醒め、海水浴に向け入念に準備開始。
食事は、部屋出しというので、八時に頼んでおいたのだが、七時半過ぎに、問い合わせあり。
布団上げに続けて食事準備をしてもらい、朝食開始。鯵の焼きもの、のりは、もちろん定番。しっかりいただき
予定より早く、いざ、海へ。
弓ヶ浜は、気持ち良いくらいきれいに湾曲している。湾の右の突端と、左の岩場付近を結んだあたりで、
水上バイクが行ったり来たりしていた。浜は、まだ、二割ほどの込み具合。ライフガードの監視台の
隣(後ろの道路沿いには、臨時の警察派出所!)に陣取った。
天気は、曇。直射日光がないのが助かる。年々、日焼けへの耐性がなくなり、ひどいことに
なっているので、上半身着衣のまま、海にはいる。
今回は、浮き輪代わりに、小型ボートを持参。しかし、空気がなかなかはいらず、店に行って入れてもらった。
店によっては、その空気代で、一日借りられるほどだった。まぁ、仕方ない。
海水に慣れたところで、浜から少しだけ離れ、ボートに乗船。最初は、おっかなびっくりでうつぶせだったが、
微風で、直射日光もなく、波打ち際だけ波が砕ける音が聞こえるほど、おだやかだったので、あお向けになって
しばらく波のなすがままにした。
昼は、焼そば。海の家でなく、宿泊地の近くの店にわざわざ買いに行った。なぜなら五割増以上だったから。
これは、いい教訓だ。
直射が無いとはいっても、時には、こんにちはと、日が差すときがある。とたんに、顔の皮膚がちりちりと
痛み出す。ビーチパラソルに退避しながら、砂が少々混じったような、ペットボトルのお茶を飲む。
飲みたくなくても飲んで、熱中症対策に励む。
午後になっても海は穏やかで、五割位の込み具合、湘南辺りと違って、騒々しいのは、水上ボート位。
近くにいた女子二人組みに熱心に誘いを掛けていた二人組みは、振られたようで、いつの間にか消えていた。
と思ったら、それほど遠くもないところで、物色中。ここは、休暇村があるところでもあり、ファミリーが
多く、別の所の方がいいんじゃないかなと、老婆心。
3時を過ぎると、人が減り始めた。まぁ、四時位までは粘ろうと、ボートで海に浮かんでいると、ゆっくりだが着実に、
泳いでくる人がいた。きっと、地元の人たちだろう。あんな風に余裕で泳げたらなぁ。
4時になると、ライフガード監視終了の放送があり、撤退することに。
玄関で、砂を落として入館。即、温泉。わずか一日なのに、足と首は、ちりちりと痛む。
お待ちかねの夕食。
鯵、金目鯛、サザエ、カニ、柳川風鍋、他数点、デザート、オプションに、伊勢えび、鮑(焼いてもらった)を
付けて腹いっぱい。
- (2004.8.13)お盆休み1
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恒例の帰省。みんな大変なんだろうな。こちらは少し早めの休暇のおかげで
お盆休暇は、のんびり自宅待機。記憶のあるうちに、旅行記など記す。
八月五日、九時出発。いかにものんびりしたものだ。
東京駅にて、駅弁購入。最近、弁当は、幕の内または、店のお勧め品にしている。
単品ものに飽きたとかでなく、会社の外出時に出される幕の内(これは結構高めのもの)が
美味しいことが大きい。色々な味を楽しむようになってきた。
少々苦くても、青臭くても、そのものの味を楽しむ余裕ができるようになったことも一因。
で、店のお勧め品であった寿司飯の弁当なのだが、、、、期待はずれだった。
さて、11時発スーパーヴュー踊子号で、目指すは、下田。
最後尾の最後尾で、さすがスーパーヴュー?ガラス張りで運転席が丸見え。車掌さんと目を合わせるのが
恥ずかしいのであった。
熱海まであっという間に進んだが、この辺りから、ローカル線並みのスピードに。
伊東から、伊豆急乗り入れで、単線のため、更に進行が遅れる。雲がたなびき山の方では、小雨。
台風11号が関西方面に向かっていたので、曇りから晴れの予報。波は、この辺りでは、不明。
アップダウンを繰り返しながら、次第に海抜を下げ、到着は予定通り13時40分。
天気は曇り、気温はまあまあ。でも、湿度は高め。
初日は、下田市内観光。ペリー来航150周年で、街は大々的にお祭りムード、ってわけでもなく、
観光組合の地図を片手に、さすらうのは、我らだけか。
番号どおりに、古寺を訪ねる。如来様を拝む。おぉ、唐人お吉か。一体あなたは、何をした?
ある寺の史料館で、150年前の下田の様子を知る事が出来た。ハリス、吉田松蔭、
「太平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず」、、「その時、歴史が動いた」を見ているようでもある。
開港に際し、江戸(幕府)からできるだけ遠くの港として選ばれたため、割と短期間で、横須賀にその地位
を奪われてしまったが、歴史的意義は非常に大きく、それを物語るカーターや、現ブッシュ大統領による、記念碑
を見た。港湾も、非常に整備されており、この地方の生計には詳しくないが、どこぞから、特別な配慮がなされて
いるのだろう。そういえば須崎の御用邸も近くにあるわけで、案外、相当重要な場所なのかもしれない。
ペリー上陸場所と、開港の記念公園を廻り、早めの夕飯。
江戸末期のアンティーク品が飾られたステーキレストランで、店の名をつけた御膳を頼む。
鯵のたたき、小さいが味噌あえの鮑、あさりの味噌汁、ほか数品がついて、美味◎。
やはり、旅は、食です。
駅に戻って、バスで約20分、投宿地、弓ヶ浜に向う。
何度も雑誌、WEBで、見ておいた宿を発見。勇んで入室。
うーむ。現実は、受け入れるしかない。
「すぐそこには、海があるんだから」と気分を入れ替え、速攻、温泉へ。
夜の浜の打ち上げ花火が時折見えた。というのも、レースのカーテンしかかかっていなかったから。
不思議な宿だ。
- (2004.7.31)那須の与一像、撤去へ
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那須の与一、弓の名手として源平時代にその名を残す有名人であるが、
なぜか現代のJR高松駅、郵便ポストの上にブロンズ像があったそうだ。
過去形なのは、7回ものいたずらで壊され続けたため、設置者が撤去したという。
しかも110万円もその修復につぎ込んだというから、その郷土愛には敬服いたします。
普段の私なら、器物損壊うんぬん云う前に、そんな心無い人に対して、当然、単純に、軽蔑
の感情を持つものだ。しかし、今回、その像を写真で見ることができ、少し気持ちが
変わった。当地における那須の与一に対する関心は、市民がどう思っているかは、さておき
ポスター、他の像をはじめ、結構なもので、大々的に(観光地的ではあるが)宣伝している。
対して、郵便ポストに載ったその像は、細部は明らかではないが、小さくこじんまりとしている。
赤いポストの上を有効活用!かつ、郷土愛のあるヒットアイディアと設置された方は、思われた
のかもしれません。しかし、見る限り、不似合い。金属の赤い箱を土台に、ブロンズ像を載せるだけ
という発想が、狭い我が家のTVの上の飾り物的である。(最近は、薄いTVでそんなことも
できないけど)名画だって、立派な額縁がなかったら(釣り合いという意味で)興味が半減するで
しょう。
そんなわけで、壊されつづけたのは、実は単なる悪戯でなく、立派なものにして欲しいという
本当の郷土愛の賜物だったのではないかと、勝手に妄想する次第。
- (2004.6.16)ホタル、不発
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帰宅途中下車して、再び、お鷹の道へ行って見た。
時間は、ほぼ同じ20時。ギャラリーは、十組程度いた。皆、ゆっくり
慎重に探索していたが、発見できなかった。ちょっと風が涼しかったので、
予想はしていたが、残念。
- (2004.6.12)ホタル、マナー、思い出
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台風4号が温帯低気圧に変わり、梅雨前線もやや南に下がって雨が小康状態
となり、やや蒸し暑いこの日、2年越しで考えていたホタル観察を決行した。
場所は、お鷹の道。日本名水100選にも選ばれている湧水地の小川である。
ホタルの活動は、桜前線が北上して行った後、2週間過ぎたあたりから7月中旬、
生あたたかい日の日没後という。ただし、ここはゲンジホタルであり、ヘイケ
ホタルよりも活動期間は短く、6月中が時期のようだ。
現着時刻は、20時頃。住宅街を流れる幅、若干1m程度の小川沿いをゆっくり
歩く。ふと反対岸に、ビデオで撮影中の影あり。狙っている先の叢に、LEDのよ
うな光が見えた。ホタルらしい。それが、ごくたまに一瞬ながら蝋燭をともした
ように、明るく光ったりした。さらに進むと、小川の傍らの木の葉あたりに、
光が見えた。そこには、2,3組のファミリーと、電動椅子のお年寄りがいた。
さらに近づくと、一匹が、その木の下で舞っており、小学生の女の子が手を伸ばすと、
その手のひらにひらりと乗った。その上でも、光は消えることなく、はっきりと
光りつづけた。子供は、もちろんであるが、大人もついついざわめき出したので、
付近の住人から、苦情を受けてしまっていた。
いたるところに、「お静かに願います」の看板が掲げられているのである。
昭和40年代に遊歩道が整備され、付近の住民も気を配っている場でもある。
おそらく30年以上、この時期、同じ目に遭われているのでしょう。
お察し申し上げます。まあ、夜には看板が見にくいということがありますが、
これはマナーの問題です。
つまり、ホタル観察をするには、
1.ホタルのために。
2.付近の環境を守ってこられた方々のために。
3.他の見学者のために。
静かにしなければならないし、暗くしなければならない。
ファミリーで来られる方は(小さなお子さんを連れてこられる方は、特に)
良くいい聞かせるべきでしょう。
今回は、5,6匹しか見なかったので、私自身は問題なかったが、次回のために、
たとえ乱舞するような場面があっても、堪えるよう心積もりだけはしておこうと思う。
思い出。
高校の国語の授業で質問に答えられず、「ホタル見たことないので、わかり
ません。」と弁解したことがある。先生の反応は覚えていないが、少なからず、
同意する同級生はいた。
実家の目の前は、空き地程度の田んぼ。その向こうは、その4倍位の野原が
あったから、夏の蛙の大合唱、蜻蛉、ガムシ、バッタ類には、なじみがあった。
少し離れた街中の川には、ハヤ、ザリガニがいた。
でも、ホタルは、おっとり刀で調べたところ、清流にしか住めないらしい。
そうでないと、えさとなる虫が住めない。しかも、発光と舞いは、日没後、2〜3時間。
近くで見られる環境にはなかった。いわゆる「いなか」でないと見られないということだ。
国語に限らず、理科でもそんな虫類の話は、たくさん出てきたはずだが、覚えてない。
映画のワンシーンとかTV教育番組とかで擬似体験してきたが名作名文も実感が湧きよう
がない。勢い、覚えるだけ。(=忘れるだけ。)感性磨くにも基礎がない。
でも、最近はこういった事に興味が持てるだけ鋭くなったのかなと。
(巷では、暇とも「勘違い」されるが)
- (2004.5.29)男子バレーボール、アテネ絶たれる。
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その前の女子バレーを見ていたので、流れで第2戦まで、TVで見た。
元気な第一戦は、調整するのに良い相手と思われ、のびのびやっていたようだ。
五輪を占う中国戦、フルセットかつ、ジュースで敗れた。非常に惜しい、しかし、いい感触だと
思っていた。第三戦、第四戦もフルセットで敗れたと聴いて思ったことは、精神的にもきつい
なぁといったこと。
振り返れば、期待されていたマルコス君は、常に力みが見られたし、大砲、山本君は、研究されていた。
流れがよくなったところで、多発したサーブミスも、以前から課題だったという。
僅差でも負け続けたのは、アイドル張りのホームの大声援の中、擬似的にハングリー精神というかモチベーション
を上げるのが、至難の業だったのだろう。
大リーグでは、ひいきのチームの選手でも「ゴロキング」と呼んだり、調子が悪いとブーイングが起こる。
それに打ち勝つ強い精神力、裏打ちされた自信が無いとやっていけない。守ってくれるのは、信頼して起用
してくれている監督位。日本人は、東洋の魔女(古!)以来のバレーボール好きなんだなぁ。女性ファンが多く
男子に優しい。溜息だけで終わってる。ファンが育てるという土壌が違うというか、無い。
加えて、技術、戦術はあっても、戦略が足りなかったということか。
第5戦目、カナダ戦は、完敗。
結果、1勝4敗。監督辞任決意。
- (2004.5.29)国民年金
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議論差し戻し!!
逃げるなよ。小泉君。
内政で困った事態が起こると、海外で事件を起こすのはアメリカだけの専売特許じゃない。
北朝鮮と国交正常化交渉して、拉致被害者を連れて帰ったことは、誰もが認める偉業だ。
それは、歴代首相が「全く」手を出さなかったことだから。
しかし、今回、自分の都合で予定を大幅に前倒しして5人の子供だけしか成果のなかったのは、
年金3兄弟から始まった事件で、自身に及ぶや非難をかわすため、安易かつこしゃくな手段だった。
納められるのに、納めない人たちを弁護するわけじゃないのは、もちろんだ。
徴収体制、広報体制、票欲しさに数十年にも渡って楽観見通しを基準に問題を先送り、
または、据え置きしてきた管轄官庁、与党も同罪。
- (2004.5.28)天皇制やめたら?
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雅子さんの病気療養で、皇太子発言をきっかけに、参議院憲法会議で、天皇制議論が活発化。
メンバーは知らないが、参考人が学識経験者で、その意見を聞いて議員さんが話し合うのだろう。
雅子さんを心配して、天皇後継者は、「女帝(愛子さん)」でもOKにしたらどうか、ということが
大勢のようだ。
憲法にある天皇は、象徴。政治に口出しできない。
それ以前は、主権は国民に無い時代、口出ししたから、戦争責任を負わねばならなかった。
(結局、負わずに亡くなったけれども)
現天皇は、どういう気持ちで引き受けたか知らないが、政治から去った。(と、思う)
さて、現皇太子は、どういう気持ちでいらっしゃるのか。天皇制に疑問を感じないのか?
人間として生きたいならば、(もちろん雅子さんを心配することを含めてだが)、自ら
天皇制廃止を宣言してはいかがか。身近は、存続を望む人ばかりであって、政治的に天皇制議論
する面々は、廃止意見が無いという非民主的な状況がある以上、本当に人間として自立する
ためには、そうするしかない。たとえそうしても、まわりに、そうさせたくない勢力があるかも
しれないが(皇室内部も含めて)、いつまでも民主主義にそぐわない象徴などという制度は、
いただけない。そして、どこかに就職されてはいかがでしょう。働かなくとも困る事は無い
と思うが、実社会を知る、人間になるには一番かと。
宮内庁は、皇室の就職先を見つけてあげたら清算し、真の民主主義社会になる。
- (2004.5.28)イラク邦人襲撃事件
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混迷を深めるイラクで、犯行声明さえない邦人殺害事件が起きた。
海外経験豊富な取材人だったそうで、ご冥福を祈るばかりである。
襲撃は、邦人ばかりでなく、手当たり次第となっている感さえある。
敵、味方さえ区別できないで、外国人であればすべて敵にしてしまう
集団がいるのか、はたまた巧妙なイラク統治権限委譲反対派の謀略なのか。
刑務所内でのアメリカの酷いイラク囚人虐待の反動なのか。
すべては、戦争中の出来事であって、何があってもおかしくない。
それにしても奇妙なものだ。自衛隊は、オランダ軍に守られた上で、かつ囲まれて活動しており、
民間人(報道、ボランティア)は丸腰で、為政者達の巡りめぐった因果によって襲撃される。
一方、君主の圧制は無くしたものの、大義だった証拠も無く、一方的停戦宣言
後の戦死者は、軍人のみならず報道をはじめとする民間人もその数を増し、スペインを始め
とする同盟国が撤退を宣言された状況のアメリカ。ようやく夢が醒めたのか、良識を取り戻したのか、
大統領の人気が低迷している。
(そういえば、腰巾着のようなUKも、幹部は、お寒い状況)
マウンテンバイクでコケタのは、偶然では無く、同情を惹く為のこっけいな演技と考える。
半世紀以上前から、大本営発表は虚偽に彩られ、今だ改善されない。
くれぐれも騙されないようにしていかなくては。
- (2004.4.10)イラク人質事件
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ご家族には、お気の毒様である。心労は、察するに余りある。
無事解放されることを願っています。
イラク関連マスコミに直接アピールしたことは、賢明な判断だ。
国に頼っても無駄なこと。
現時点、米軍とイラク内での衝突は、拡大傾向であり、
戦争といってもよいくらいだ。
起こるべくして起こった。
米軍は、イラク戦争後に命を落とした兵士の数が、戦争中
より多くなっている。(同様に、イラク人も兵士で有る無しに
関係なく亡くなっているということだ)
イラク攻撃の大義が崩壊していても、撤退するでもなく駐留を続ける。
人命よりも、武力行使が利益に適うということ。
また、軍人と民間人。どちらの人命が尊いのか。自国民の命さえも平気で
危険に晒しておいて守れない国だ。そんな国に、日本人の救出支援を頼む政府。
支援約束する国。(妙に自信ありげだったりする。)茶番劇といわずして何だ。
たとえ、「救出に成功しました」と云われても、信用できない。
一方、危険地域であることは、承知の上の行動であったと思うし、
自身が行くならば、覚悟を決めて行ったであろう。
ただし、内容は、テロ組織には何の意味も無いだろう。
ところで、自衛隊が、「撤退」してイラクにとって何の得になるんだ。
もちろん、撤退には賛成だが、イラクにとってありがたいと思
われるのに。過剰な期待を掛けられても対応できない話が多数ある
位なのに。魔法の杖でも持っていると思われている反動か。
人質を取れば何でも思いが適う、と思っている集団がいるらしい。
昔は、そんな事もあったが、今の日本では、無理だ。
よほどの短絡思考なのか、どこかで糸を引くチープなシナリオの内なのか。
- (2004.4.10)最年少出場
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天才卓球少女、愛ちゃんがアテネ出場を決めた。
史上最年少出場という。
これまでTVで何度か紹介があったものだが、初めてHP
で戦績を見てみた。驚嘆するしかなかった。15歳。
成長途上と考えれば、世界一も夢で無い。恐るべし。
- (2004.3.16)抗議?単なる腹いせは迷惑。
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国民栄誉賞のあのQちゃんが、アテネに行けなくなった。とても残念。
ところで、選考した陸運に抗議が殺到しているという。中には、
脅しながらや、3時間も粘る方もいるそうな。
選考委員の発表で、不審に思えるところはまったくなかった。
むしろ、女子のマラソン選手層の厚さを喜ぶべきだろう。
スポンサーは、がっくりだろう。その利害関係者とは、
思いたくはない。単なる腹いせ、うさ晴らしの類と思う。
こんな時勢だから、心がすさんでいる者が増えているのだろう。
当事者のQちゃんは、正面から運命を受け入れている。
また、選抜された3選手の努力は報われたのだ。
横から棒を突っ込むのは、はた迷惑なことこの上ない。
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