第3海堡
☆行きに乗ったのは、「ブルーゼファー」という船だった。サブリナ号の兄弟分みたいな物である。
この、ゼファーという名前、ギリシャ語でゼフュロスという。ビーナスが誕生したときに、横からそよ風を送っている男の神様の名前から取ったそうだ。
☆礼文の船泊キャンプ場の、トイレでの出来事。
そこのトイレ、新しいのだけれど、何故か鍵があまい。
ある朝、私がトイレに入っていると、ぱたぱたと誰かが走ってくる音。
次の瞬間、ぐわちゃっという音と共に勢い良くドアが開いて、5才くらいの女の子がもじもじしながら突進してきた。
…今まさに個室から出ようとしている瞬間だったことが、幸いだった。
おいおい、あとの2つの個室は、空いてるじゃないか…。
☆21日の夕御飯は、フェリー内のレストランで取った。今日は、この夏で1・2を争う忙しさだったらしい。乗客は600人強。
ノブはキジ重、私はハンバーグ定食(これはウマい!)をオーダー。二人とも、船酔いのせいか、だいぶ残してしまった。
ノブが物を残すなんて、かなり珍しいことである。それだけサブリナ号は揺れているということである。
☆東京湾に入ってきた。ここからは、船のラッシュになるので、遅々として進まない。千倉から晴海まで、4時間(!)もかかる。
東京湾の中には「猿島」という無人島と、砲台跡(人工島)が3カ所残されている。
これらの人工島は富津から横須賀にかけて、第1〜3海堡(かいほ)と名付けられている。
元軍事施設ということもあり、結構物々しい雰囲気。
関東大震災で、第3海堡は崩落してしまった。
第2海堡は、崩壊を逃れた部分に現在、海上保安庁の訓練施設が置かれている。許可を取れば、上陸することも可能らしい。
第1海堡は、第2時世界大戦中に対空砲陣地として使用され、戦後進駐軍が武装解除した後は無人島となり、現在は立入禁止区域になっている。
海の要塞は、今もその姿をさらしており、見ていると日本の歴史のごく一部、それも教科書に載っていない部分を垣間見ることが出来る。
…ちなみに、東京湾が海の難所と呼ばれるのは、この海堡どもが崩落してごつごつしているからなのだ。
それらを通り過ぎると、湾岸の派手派手しいネオンが目に飛び込んでくる。海が汚さを増し、フェリーから吐き出される煙も、心なしか十勝で見た時より、どす黒く見えてくる。
あぁ、東京に帰ってきたんだなという安堵感と、穴蔵に入っていくような閉塞感。
今日からまた、あたたかい泥の中で生きて行くんだ、私。
…なんてね(笑)。ちょっと最後にカッコつけてみた。(*^_^*)
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