ジパング

 まず、金山へ向かう。
 私の初めのイメージ、というか、多くの人のイメージは「佐渡金山=江戸時代に犯罪者が流されて働かされていた」と、いうものではないだろうか。

 実はこれはあまり正しくない。

 確かにそういう人達も居たには居たが、金山の歴史何百年かにおいて、そういう人達はほんの一握りに過ぎない。
 むしろ地元は「そんな人達が流れてきたら、無法地帯と化すからやめてくれ!」という嘆願書を出したほどなのだ。

 では、どういう人が金を掘っていたか、というと、意外にも一攫千金を狙って自ら佐渡に渡ってきた人達なのである。
 あとは、無宿者と呼ばれる、まぁいわゆるホームレスみたいな人達。「職を持たないのはダメなことです」と、幕府に諭されて佐渡で金を掘る羽目になったのだ。

 …と、いうわけで、江戸時代は主にそんな人達が掘っていた。

 江戸幕府がつぶれた後は、明治政府がその後を引き続きほじくり返して、それがやがて明治政府御用達の財閥であった三菱が引き継いで、実に平成元年まで(株)三菱マテリアルが採掘していたわけである。


 今日、その採掘跡(金山を観光客向きにテーマパークにしたようなものとは、少し離れたところにある)に久しぶりに行ってみた。

 最後の方はずいぶん大がかりに採掘していたらしく、鉄骨で足場を組んでまでほじくり返していた。

 その鉄骨、以前見たときよりもずいぶん風化して、赤茶色になってしまっている。…しかし、お分かりいただけるであろうか。写真上部に三菱マーク。ほんとに掘っていたのだ。

 良質の鉱脈を掘り尽くした、ということも去ることながら、日本人の賃金に見合うだけの金が採れなくなってしまった(と、いうより、日本人の賃金が上がったのだ)ので、撤退したらしい。

 …と、今ではあまり金は採れないらしい。


 最近では、鹿児島の菱刈鉱山に新しく金脈を見つけて、(株)住友金属鉱山がそっちで金を採掘している。…こちらは、今の日本人の賃金を視野に入れてもお釣りが来るくらいの豊富な含有量であるということで(その含有量はぶっちぎりの世界第1位)、「黄金の島 ジパング」伝説は未だ健在なのである。


 小佐渡スカイラインを経て、真野に入る。
 真野で一番有名な「真野鶴」を作っている酒蔵、尾畑酒造へ。

 私は長年裏口が表玄関だと信じていたのだけれど、どうやらそれは間違いだったらしいと知った。

 近年、観光名所となってしまったこの酒蔵。本業は大丈夫なのだろうか?あまりにもひっきりなしにお客さんが来ている。
 今日はすごかった。夏は佐渡の観光シーズン真っ盛りなので、観光バスが駐車場に止まりきらないくらい並び、中はまるでバーゲン時のデパートのような混雑ぶり。

 まぁ、一応観光名所なので、写真だけ撮って撤退。


 ちなみに、佐渡には他に、両津市に「天領盃」、赤泊村に「北雪」という酒蔵がある。
 うまい酒が呑みたければ、わたしはこれらの酒蔵を回ることをお奨めする…。


 そろそろ、お腹が減った。
 小木に行き、よくガイドブックにも載っている「七右衛門」というおそば屋さんに行く。

 ここには、メニューがない。
 入ると女将さんに「何個ですか?」と、聞かれる。
 そばって「〜枚」って数えるんじゃなかったっけ?…なんて思っている内にノブが「2個」。私もあわてて「1個!」。

 出てきたのは、茶碗に盛られたそばと、別容器に入った冷たいそばつゆ。
 そばは、手打ち。…でも、太さがバラバラで、長さも一様に短く、二流か?
 そばつゆはむちゃくちゃ美味しい。ちょっと薄目の味付けで、東京のそばつゆのような甘味は全くない。ダシが利いていて、シンプルな美味さがあった。


 さて。
 「こんなに川に水量がなけりゃ釣れないよ…」と、こぼしていたのにも関わらず、結局釣り糸をたれている某N氏。

 2時間釣りをして、山女を6匹(内1匹は当歳魚の為、リリース)。
 炭焼きにして食べました。…実に美味しかった!


 撤収して、畑野町の温泉「松泉閣」へ。

 今日、初めて「ロマンの湯」に入った。いつも来るときは、「エデンの湯」ばっかりだったのだ。

 この松泉閣、男湯と女湯が日替わりになるのだが、どういう訳だかいつも「エデンの湯」で、普通の湯船とミストサウナ・サウナだけしかなくってつまらない思いをしていたのだ。

 「ロマンの湯」の方は、普通の湯船、寝湯(ジェットバス)、五右衛門風呂のような1人用の風呂・サウナがついていて、これで500円なら、かなりコストパフォーマンスがいいと思った。

 アメニティーはボディソープだけだけどね…。

←back  next→ 

また来た  2ジパング  3寿司屋のラーメン  EXIT!