今日の出費:1997.12/25
(1ルピー=約3.6円で計算)
昼食:焼きソバ+チャイ 40
シャワー:Hotel Sunset View 20
自転車 20 時計修理 170
参拝料 15 オート力車 5
夕食 40 ホテル 150
合計 460 円換算 1650円







 
1997.12/25(木)曇りのち晴れ
*〜サトナ〜カジュラホー〜ジャンスィ
backnexthome

 とてつもなくハードな1日だった。とはいえ、いつものようにその、、大したことはやっていないのだが‥‥。

 まず昨晩のサトナ行き列車に乗り込むところに戻るが、例によって列車到着が遅れ、極寒のプラットフォームで待たされること2時間。アーグラーでの乗車のときは、ツアー会社が用意してくれたホーム案内人がいたからよかったが、今回は一人なのでまるで要領を得ず、駅構内を不安な面持ちでただただふらつきまわるしかないのであった。
 最も困ったのが、列車やホームに全然英語の表記がないこと。駅員はどいつもこいつも言うことが違うので、どこのホームから出発するのかすらわかりゃしない。手当たり次第、いろんな人に「Which platform is this ticket's train?」とハチャメチャ英語で聞きまくり、どうにか同じ目的地へと向かうボンベイ在住のインド人家族旅行者と知り合えたからよかったものの、彼らと出会えなかったらと思うと本当にぞっとする。おそらくインドのインテリ階級に属するだろう彼らとは、列車を待つ間、いわゆる比較文化論的な話などで盛り上がったのだが、日本人である僕が2等寝台に乗るということを知ったときの彼らの驚いた表情ほど印象的なものはなかった。もちろん1等寝台に乗る彼らとは車両が違うので、列車に乗り込む時には「Good night and Good bye!! 」と言う。
 僕が乗り込んだ2等寝台車両は、電気が壊れていて車内は真っ暗。ベッドも窮屈だし、寝袋に入っても滅茶苦茶寒く、とにかく最悪の乗り心地だった。ましてや前回の失敗があるので、寝過ごしが不安で碌に眠れやしない。到着3時間前(朝5時)頃には、もう寝袋をたたみ、いつ着くとも知れぬ下車の時間を待ちかまえていたのであった。

 サトナには朝8:30到着。まわりの乗客に「サトナか?サトナか?」と何度も確かめ、それでも不安を抱えて列車を降りる。幸運にもそこで日本人観光客らしき女性二人組を見つけたので、なりふり構わず近づいてここがサトナの駅だということを確認、ようやくほっとすることができた。
 彼女たちは、日本の旅行会社で日本語ガイド付ツアーを手配してインドに来ているOLさんとのこと。サトナからカジュラホーまでは用意された車での移動ということで、僕もその車に便乗させてもらえることになった。どうも同乗の日本語ガイドのインド人がセクハラ紛いのことをしてくるようで、僕にいてもらった方が助かるということでもあるらしかった。車中では、そのガイドの苦労話や、三国志が好きで中国に行ったというちょっと変わったK氏の話などで、大いに盛り上がる。ここ数日、貧乏旅行の小汚い連中に囲まれてきたものだから、車の後部座席で彼女らの発散する甘い香りに包まれると、恍惚とまではいかないまでも、そこはかとない心地よさを覚えずにはいられなかった。彼女たちと出会えたのは、カジュラホー行きのバス停探しから始めずに済んだということ以上に、ラッキーだったといえよう。
 カジュラホーに着いてからも彼女らと観光したいところであったが、翌日の昼12時ジャンスィ発の列車を控えているために、それに間に合う交通手段を確かめに、一人カジュラホーのバス停へと向かった。

 結果からいえば、翌昼の列車に乗るためには、今日の夕方、最終便となるジャンスィ行バスに乗らなければならないことがわかり、カジュラホー観光は出発までの3時間半という短い時間を、大慌てでまわらなければならなくなった。
 とはいえ、荷物などのこともあるので、まずはバス停近くのホテルへ行き、荷物を預け、食事をし、3日ぶりくらいのシャワーを浴びる。食事中、ホテルの暇そうな従業員たちが話しかけてきて、僕の持ち物に興味を示し出し、時計をしていないことを不審がるので、ポケットからバンドのちぎれた時計(デリーで破損)を出すと、大いに笑い、その後、急に真剣な顔をして「腕時計というのは腕につけるものだ! 100ルピーでなおしてやる」と言う。最初迷ったが、確かに不便ではあったので、相手の時計と引き換えに観光している間に修理してもらうことにする。
 そのホテルはレンタルサイクルもやっていたので自転車を借りて、ついでに見所のある寺院も教えてもらって、大急ぎで寺院をまわる。お目当てのエロ彫刻群は思っていたほどたくさんあるわけではなく、それほど刺激的というわけでもなかったが、寺の中で祈祷師みたいな人から白毫を受けて花輪を首にかけてもらったりしたことの方が面白かった。
 西の寺院群を見終わりかけて門から出ようとしたとき、ジャグダンベ寺院付近に先程の彼女らがいるのを発見。東京でこのお礼はすると言って、しかし、僕は時間が差し迫っていたので、一方的に自分の名刺を渡して別れた。
 時計を受け取りにホテルに戻ると、修理を頼んだ男が自慢げになおった時計を僕に見せつける。確かに黒のシックなバンドで悪くはない(実は本皮製の値打ちものだった)。ただし、インド人の男性はみな時計を右腕につけるらしく、バンドの向きがさかさまだった(笑)

 夕方4時発のバスに乗ってジャンスィへ。同乗したイタリア人旅行者から日本旅行の相談などを受けたりしながら、夜10時過ぎに駅到着。駅のリタイアリングルームが満室だったので、仕方なく駅から2kmほど離れた町中のホテルまで力車に連れていってもらった。サービス悪くて、飯も不味い。そのくせ料金だけは結構する。最悪!(涙)


topbacknexthome