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2012年12月18日(火)
「原発事故 子ども・被災者支援法」の地域指定などを求める陳情に賛成討論

 12月議会の最終日の17日、本議会に提出されていた陳状17号と19号に賛成の立場から討論を行いました。
 陳情はいずれも、@今年6月に義鈴立法として成立した「原発事故 子ども・被災者支援法」の地域指定において流山市を含めることを国に要請する、A市独自の施策としても子どもと妊婦への健康診断や健康調査を行うことを求める、B健康診断などへの助成を求める、という内容です。
 阿部治正は、昨年来一貫して同様の要求、政策提案を市と国に対して行ってきました。国会において成立した「原発事故 子ども・被災者支援法」は、待ちに待った私たちのための法律です。何としても、地域指定を実現していきたいと思います。

<陳情17号、19号に関する討論>

 陳情17号、19号は関連がありますので、一括して討論を行います。
 陳情17号、19号とも、それぞれ1項目から3項目まで、すべて採択するべきとの立場での討論です。

 17号、19号とも、1項目目は、今年6月に超党派の国会議員の議員立法により成立した「原発事故 子ども・被災者支援法」の基本方針策定において、流山市が地域指定を受けるよう国に要請して欲しいというものです。
 この「原発事故 子ども・被災者支援法」は、画期的な内容を持っています。
 原発事故をもたらしたことに対して国の責任を認める。そういう立場から、それまで支援の対象とはされてこなかった自主避難も含めて避難の権利を認める。被災地にとどまる権利も認める。子どもに対しては生涯にわたって国の責任で健康管理を実施する。医療費の減免などについては被害者側に立証責任を課すなどと言うことは行わない。そうした施策を通して、東京電力の原発事故がもたらした被害者一人ひとりの生活再建や健康管理を実現させること、を謳っています。

 問題は、地域指定です。この法の発議者からは、年間20ミリから1ミリシーベルトまで、あるいは健康に不安を覚える人々が多く住む地域を排除してはならない、という考え方が打ち出されています。
 流山市は、すでに今年1月から施行された「汚染対処特措法」の重点調査地域の指定を受け、除染実施計画を立てて除染活動を行っています。その理由は、人の健康への影響が心配される年間空間放射線量1ミリシーベルトを超える地域であるからです。
 だとするならば、「子ども・被災者支援法」においても、地域指定を受けるのは当然であると思います。「汚染対処特措法」の地域指定を受けながら、「子ども・被災者支援法」では地域指定から外される。これは国の政策としては大きな矛盾ですし、自治体がそれを追認するなどと言うことも、あってはならないことです。

 陳情の2項目目、これは、希望する者に対して、子どもや妊婦の健康診断・健康調査を行って欲しいというものです。陳情17号では、甲状腺エコー検査、心電図検査、尿や母乳の検査、血液検査などの検査メニューも示されています。陳情19号は、放射性ヨウ素による初期被曝や、流山に降り注いだ放射性セシウムによる内部被曝の健康への影響を指摘し、検査方法の研究、そして希望者が適切な検査を受けられるよう求めています。
 内部被曝による健康被害を防ぐための検査や診断は、すでに福島県内では、流山市よりも線量が低い福島県内三分の一の地域も含めて、そうした地域を対象から外すことなく、実施されています。
 また、近隣の松戸市や柏市、茨城の牛久市や竜ヶ崎市では、希望者への内部被曝の検査が行われています。我孫子市や竜ヶ崎市や東海村では市民から要望の強かった甲状腺エコー検査も実施することになりました。いずれも、流山市と線量はほぼ同じ、あるいはそれ以下の地域です。同じく関東ホットスポットの栃木県の那須塩原市でも希望者への内部被曝検査、那須町は甲状腺エコー検査と尿検査・母乳検査を行っています。

 陳情の3項目目、これらの診断や検査を受ける市民に対して、助成をして欲しいという内容です。
 流山市では、健康診断や検査を受けた市民は自費、自腹となっています。数千円から数万円の検査費用を個々の家庭で負担するのは大変です。先にあげた他自治体では、自治体独自で助成事業を行っています。助成への要望は切実であり、流山市でも実施が検討されてしかるべきと考えます。

 これらの施策は、放射能汚染ホットスポットとなったこの流山市においては、次代を担う子どもたちの健康を願うならば、どうしても必要な施策です。この本会議において、2つの陳情の、3つすべての項目の採択を求めて、討論を終わります。


2012年11月26日(月)
子ども・妊婦の健康診断、健康調査を実施しろ
  
32団体、42名が厚労省、復興庁など5省庁と第2弾の交渉


 11月26日、千葉北西部、茨城県南部、埼玉県南東部の、いわゆる放射能汚染ホットスポットとなった地域に住む母親、市民たちが、「原発事故 子ども・被災者支援法」の適用を求めて、復興庁、環境省、厚労省、文科省など中央省庁と交渉を行いました。
 要請文の署名団体は32団体、この日交渉に参加したのはその内の18団体のメンバー42人にのぼりました。
 詳しい交渉内容は後日報告とし、要請文を掲載させて頂きます。

茨城・千葉を「原発事故子ども・被災者支援法」の支援対象地域に!

茨城県・千葉県北西部・埼玉県南東部を「原発事故子ども・被災者支援法」の支援対象地域としこの地域の子どもや妊婦、母親たちを汚染された環境と健康被害への不安から救ってください!

 東京電力福島第一原発事故による放射性雲が、茨城県と千葉県北西部、埼玉県南東部の上空を覆い、福島県のいわき市南部や南相馬市北部等と同程度に汚染されたことは、文部科学省の航空モニタリング調査や土壌調査によっても、明らかにされました。
 原発事故発生後に県や市に何度問い合わせても、「安全です。心配いらない」と言われ、子ども達を学校に通わせ、外で遊ばせ、基準値を超えた水も牛乳も飲ませ、地物の農作物も食べさせてしまいました。子ども達への放射能の影響がわからないからこそ、母親たちの後悔と不安は続いています。
 「放射性物質汚染対処特措法」が成立・施行され、私達の住む茨城県、千葉県北西部、埼玉県南東部でも、数か月遅れて、学校の校庭や公園の測定・放射能低減作業が実施されています。子どものいる世帯の民有地の一部が除染対象となった市もありますが、汚染土の廃棄場所がないために、除染ではなく低減作業をしている公園や遊び場については、セシウムに加え、特定されていない放射能汚染物質が土のなかに存在しています。さらに、通学路など、原発事故後1年8ヵ月すぎてもなお、子ども達の生活圏で測定されていない場所がたくさんあり、子ども達や母親達は、常に不安とストレスを抱えて生活しています。汚染地域となってしまった、茨城県・千葉県北西部・埼玉県南東部で生活している市民、とりわけ子どもを育てている母親たちの声を聴きとってください。
 「原発事故子ども・被災者支援法」は「これまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っている」(第3条)として、国の責任を明記しています。事故直後の被ばく状況の調査や放射性雲の流れ、放射性核種による土壌汚染の調査・検証をすすめてください。
 「放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていないこと」(第1条)を明記しています。健康被害を未然に防止する観点からも、子どもと妊婦の健康サーベランスの継続的実施を喫緊に進め、茨城県・千葉県北西部・埼玉県南東部に対して、支援をしてください。
関係省庁におかれましては、被災した市民の立場に寄り添い、福島県はもちろん茨城県・千葉県北西部・埼玉県南東部の子どもたちを救済する、施策づくりを実現していただきたく、下記要望いたします。

                          記

◆ 「原発事故子ども・被災者支援法」に係る地域指定においては、事故直後の放射性ヨウ素が飛散した地域ならびに、放射能汚染重点調査地域である茨城県・千葉県北西部・埼玉県南東部を支援地域に含めること

1. ICRP(国際放射線防護委員会)の被曝の基準として、一般人の被曝の限度を1mSv/yとして
いることからも、空間線量が1mSv/yを超える地域はもちろんのこと、セシウムだけでなく、放射性核種全ての影響を考慮していただきたい。

2. 茨城県・千葉県北西部・埼玉県南東部は「放射性物質汚染対処特措法」で汚染状況重点調査地域に指定されていますが、「原発事故子ども・被災者支援法」の支援地域と関連づけてください。

3. 「東京電力原子力事故に係る放射性物質による汚染の状況の調査について、東京電力原子力事故により放出された可能性のある放射性物質の性質等を踏まえつつ、当該放射性物質の種類ごとにきめ細かく、かつ、継続的に実施する」(第6条)、「放射線による被ばくの状況を明らかにするため、被ばく放射線量の推計、被ばく放射線量の評価に有効な検査等による被ばく放射線量の評価その他必要な施策を講ずるものとする」(第13条)とありますが、今後、原発事故による放射性核種全て(セシウム・ヨウ素・ストロンチウムなど)の影響を調査、把握してください。

◆  住民への長期的な健康サーベランスを行い、子ども・妊婦への医療モニタリングを継続して実施すること

4. 定期的な健康サーベランスの実施方法として、母子保健法により実施されている乳幼児健診(1ヵ月、3ヵ月、6ヵ月、1歳、1歳半、3歳、就学前)や学校保健安全法により実施されている健康診断(「学校保健統計調査」として17歳まで実施)などに組み込んでください。

5. 第13条では、「被災者の定期的な健康診断、とくに子どもたちが生涯にわたっての健康診断を受けられること」が規定されています。子どもたちの生涯にわたる健診を、既存の定期検診などに組み込んでください。

6. 原発事故直後のヨウ素による初期被ばくの健康被害について、甲状腺に係る血液検査ならびに超音波検査を中長期的に行う体制を整えてください。

7. 診断項目として、原爆被曝者や被曝二世への健康診断の項目を参考にしてください。
一般検査(@視診、問診、聴診、打診および触診による検査 ACRP検査 B血球数計算 C血色素検査D尿検査E血圧測定F医師が必要と認めたものには肝機能検査Gヘモグロビン検査)とがん検査と精密検査
以上 

2012年11月26日

復興庁 御中
環境省 御中
原子力規制庁 御中
厚生労働省 御中
文部科学省 御中

【要望提出団体】(県別・五十音順)
                    放射線対策をすすめる東葛・茨城県南部ネットワーク
                    小美玉市の子供を放射線から守る会
                    子供の未来を守ろう@うしく
                    子供を守る結城市民の会
                    下妻市の子ども達を守る会
                    常総市の子ども達を守る会
                    常総生活協同組合
                    生活クラブ 取手支部
                    つくば・市民ネットワーク
                    とりで生活者ネットワーク
                    古河市の子ども達を守る会
                    放射能汚染からこどもを守ろう@つくば
                    放射能汚染からこどもを守ろう@守谷
                    放射能汚染からこどもを守ろう@竜ヶ崎
                    放射能からいのちを守る茨城ネット
                    放射能NO!ネットワーク取手
                    八千代町の子ども達を守る会
                    我孫子の子どもたちを放射能汚染から守る会
                    鎌ヶ谷市放射能対策 市民の会
                    環境とエネルギー・柏の会
                    郷土教育全国協議会・東葛支部
                    こども東葛ネット
                    自給エネルギーの会
                    白井子どもの放射線問題を考える会
                    ちば放射能対策支援ネットワーク
                    流山・東深井地区のこども達を放射能から守る会
                    流山の子どもたちのために放射能対策をすすめる会
                    野田市さくらの会(放射能から子どもを守るママ達の会)
                    東日本大震災被災者支援千葉西部ネットワーク
                    放射能汚染から子どもたちを守る会・野田
                    松戸市PTA問題研究会
                    茨城県・埼玉県南東部・千葉北西部の市民有志
連絡先 千葉県流山市鰭ヶ崎1479-31
 阿部治正
TEL・FAX 04-7140-7605


2012年11月19日(月)
■秋田県小坂町の市民が放射性廃棄物搬入問題で流山市や環境省に申し入れ

 福島原発事故、というより原発の存在そのものが、日本の社会に対して解決困難なたくさんの問題を生じさせてしまいました。
 そのひとつは、放射能被曝(内部被曝)の問題であり、もうひとつは放射能によって汚染された物資の管理の問題です。

 後者については、東葛地域から日々生み出される放射性の焼却灰の他自治体への持ち出しの問題があります。
この問題について、13日、秋田県小坂町の市民の代表が流山市と市川市と環境省を訪れて、申し仕入れを行いました。
 私は、公務のため流山市と市川市の交渉には参加できませんでしたが、その後の環境省との交渉に参加しまた。

 小坂町の処分場は、270万立方メートルという、日本でも最大級の巨大処分場です。
関東ホットスポットの放射性廃棄物を、30年間にわたって搬入し続けることが可能な処分場です。
流山市や松戸市の8000ベクレル/sを超える焼却灰は返却をされたということになっていますが、実は、8000ベクレル以上の大量の廃棄物が既に埋められてしまっています。このことは、処分業者も、小坂町も、小坂町議会も、環境相自身も、認めている事実です。
 小坂町の近くを流れる米代川(流域に大館市、鹿角市など4市が広がる)には、既にセシウムが溶け出しています。

 13日の交渉で、私たちは、8000ベクレル以下のものどんどん受け入れることを決定してしまった小坂町、それを容認している、というよりそのシナリオを書いた張本人である環境省に対して、厳しく異議申し立てを行いました。
同時に、8000ベクレル以上のものを埋め立てたまま、その既成事実を容認してしまい、その調査も、撤去の作業も行わないと決め込んでいる環境省に対して、時にテーブルを叩きながら、厳しい批判を行いました。
 環境省が主張する、8000ベクレル基準を1000歩譲ってやむをえないものとしたとしても(実際には容認はしないのですが)、既に行われてしまっている歴然たる違法行為、8000ベクレル以上のものを持ち込み、埋め立ててしまった現状を認めるわけにはいきません。直ちに埋め立て汚染物質の調査を開始しろ、この状態を放置したままの、さらなる焼却灰の搬入はゆるされない、と環境省を追求しました。

 環境省は、こうした我々の追求に対して、8000ベクレル以上のものが埋められていることは問題だ、庁内で議論をして何らかの対応を取ることを検討したい、と答えざるを得ませんでした。
 小坂町の処分場への、汚染物質搬入に、とりあえず待ったをかけることが出来る可能性が出てきました。
環境省の言葉を、そのまま信じることは出来ませんが、今までの木で鼻を括るような姿勢とは大きく異なった対応と回答を引き出すことは出来たことは確かです。

 小坂町と米代川流域の市民は、放射性物質が自分たちのところに持ち込まれることに反対しているだけではありません。
 福島の子どもと母親を放射能から守るための保養所運営に、運動として取り組んでいます。
 だから福島のお母さんたちも、小坂町に放射性物質を持ち込むなと、声を上げています。

 近く、何らかの動きがあると思います。
 皆さんも、この件、注目をして下さい。
 放射性廃棄物の野放図な拡散、違法な埋め立て、それを容認している環境行政を厳しくただしていきましょう


2012年11月1日(木)

子ども・妊婦の健康調査、健康診断を実施せよ
 千葉・茨城・埼玉の市民とともに復興庁、環境省、原子力規制庁と交渉


 10月30日に、千葉県・茨城県・埼玉県内の市民団体の皆さんと一緒に、「原発事故 子ども・被災者支援法」を真に実効性のあるものとさせるべく、復興庁・環境省・原子力規制庁との交渉を行いました。
 窓口となって頂いたのは、社民党の福島みずほ党首の事務所。福島さんも交え、省庁職員と1時間と少しの間やりとりをし、子どもと妊婦への健康調査、昨年の事故直後の初期被爆の検証、空間線量だけでなく土壌汚染の調査が重要であること等々を訴えました。
 省庁側からは、前向きに考えるとの言葉も聞かれましたが、市民の声をさらに確実に反映させるために、再度、再々度の交渉も計画しています。
 以下に、当日提出した要望書を掲載します。

 「原発事故 子ども・被災者支援法」に係る地域指定と支援内容についての要望

 被災地の復興、被災者支援に取り組んでいる復興庁、環境省のご努力に、敬意を表します。
 昨年3月に発生した福島第一原子力発電所の爆発事故により、福島県内や東北地方だけでなく、私たちが住む茨城県南部、埼玉県南東部、千葉北西部(東葛地域)も放射性物質によって広範囲に汚染をされてしまいました。
 私たち市民は、原子力発電所の爆発事故直後から、線量計を持って地域の空間線量、食品の放射線量を計り、そのデータをもとに自治体や国に対して、正確できめ細かな放射線測定、除染、子どもと妊婦の健康調査などを求めて活動をしてきました。
 自治体も国も当初は私たちの要求に戸惑い、はねつけるばかりでしたが、やがて数ヶ月遅れてその一部を実施し始め、放射性物質汚染対処特措法が成立・施行されて以降は子どもが長く時間を過ごす地点を中心に測定や除染も実施するようになり、今は民地や住宅地の一部も除染対象となりました。
 しかし、私たちが住む地域では、行政としてはまだまったく手つかずの分野が残されたままです。それは、原発事故発生直後の被曝状況の調査、それを推定する手がかりとしても重要な土壌汚染の調査や放射能雲(プルーム)の流れの検証、それらとともに行われるべき子どもと妊婦の健康調査や健康診断などです。
 市民は、行政が取りこぼしたこうした分野で、昨年から続けている測定や除染の活動とともに、今年に入ってからは広範なエリアでの土壌汚染調査、初期被曝の検証、被曝医療の経験のある医師を探して子どもの健康診断を受けさせるなどの活動を、多大な労力と負担とを引き受けながら押し進めてきました。
 私たちは、こうした市民自身の行動の重要性を認識しており、今後も継続していくつもりですが、しかし市民の自主的な取り組みには限界もあります。よりきめ細かな、広範な、継続的な調査や医療活動などを実施するためには、自治体や国など行政による支援や協力が欠かせません。
 そうした中で、被災地の市民の声を受けて、議員立法として今年6月に「原発事故 子ども・被災者支援法」が成立しました。この法では、6つの基本理念が書き込まれ、3つの基本方針が謳われています。
 6つの基本理念はいずれも大切なものですが、茨城県南部・埼玉県南東部・千葉北西部に住む私たちにとって特に重要なものは、災害の状況に対する正確な情報提供、放射線による健康への不安が解消されるための最大限の努力、子ども・妊婦に対する特段の配慮、支援の必要性が継続する間の確実な支援の継続などです。
 また基本方針に盛り込まれるとされる、支援対象地域の指定、支援施策の具体的計画や事業内容も、私たちが大きな関心を寄せざるを得ないものです。
 もとより、私たちの最大の関心事が、子どもと若者たちの健康、彼らを放射能の恐ろしい影響から守ることにあることは、言うまでもありません。
 そうした立場から、私たちは、「原発事故 子ども・被災者支援法」の基本方針の策定に当たり、以下のことを盛り込み、明記されるよう、強く要望します。

1.同法に係る地域指定においては、事故後の初年度において空間線量が年間1ミリシーベルトを超える地域を指定範囲に含めること。

2.子どもの 健康への不安があるとの訴えがある場合は、その不安の解消のために、原則としてすべて求められる救済施策への支援を行うこと。これは当該地域から県外への避難、転居された住民にも適用すること。

3.住民への長期的な健康サーベイランスを行い、子どもと妊婦への医療モニタリングを継続して実施すること。

4.初期被曝の実態を明らかにし、今後の被曝を予測するために、放射性プルームの拡散状況や土壌汚染の調査などを実施すること。

5.健康調査や健康診断、土壌調査などを継続的に実施するために、専門家をこの地域に派遣し、また専門家や専門機関の養成を行うこと。

6.住民・市民の意見を同法の効果的な執行に反映させるために、住民・市民との意見交換の場を今後も広く、継続して設ける事。

2012年10月30日
復興庁    様
環境省    様
原子力規制庁 様

環境とエネルギー・柏の会
我孫子の子どもたちを放射能汚染から守る会
郷土教育全国協議会・東葛支部
常総生活協同組合
放射能汚染から子どもを守ろう@龍ヶ崎 有志
放射能汚染から子どもを守ろう@常総 有志
放射能NO!取手ネットワーク 有志
茨城県南部・埼玉県南東部・千葉北西部の市民有志

連絡先 千葉県流山市鰭ヶ崎1479-31
 阿部治正
TEL・FAX 04-7140-7605


2012年10月29日(月)
石原新党で馬脚を露した第三極
 右翼や新自由主義も今や選挙目当ての飾り羽根、単なる選挙互助会に


 石原東京都知事が辞任を表明した。新党を結成し、来る衆院選に立候補すると気勢を上げている。橋下徹の日本維新の会や渡辺喜美のみんな党と第三極≠ニして連携を追求するとも言う。

 さっそく、かねてから石原に新党結成を訴えていた平沼赳夫らのたちあがれ日本は、解党と石原新党への合流を表明した。第三極≠フカナメと目される日本維新の会は、政策を重視して協議をしていくと語っている。維新の会とヨリを戻しかけたところだったみんなの党は、戸惑いと迷惑顔を隠さない。みんなが石原新党を許容すれば、それこそ選挙優先の野合というしかないだろう。

 日本維新の会とみんなの党は、市場競争を至上視する新自由主義という点で共通項を持っている。だからこそ主導権争いも起きるが、双方が人気に陰りが出始めると再び連携を模索し始めた。

 これに対し石原新党は、新自由主義と言うよりも伝統的保守政治、右翼政治の志向が強い。しかし日本維新の会とは、反共・反社会主義という点で親しいものがある。特に教育分野での反動政策や自治体労働運動敵視では、ほとんど違いは無い。

 では、石原新党とみんなの党との関係はどうか。イデオロギー右翼、政治主義右翼の石原新党と、経済主義的新自由主義とも言えるみんなの党とは、距離が近いとは言えない。

 石原新党は、第三極≠ニして両党と連携していくと言うが、ことはそれほど簡単ではないのだ。

 石原新党の登場は、むしろ昨今の第三極<uームの本質的ないかがわしさを自己暴露していく契機となるだろう。日本維新の会やみんなの党の新自由主義は、小泉構造改革の二番煎じであり、石原新党の反動政治は安倍晋三の右翼政治の二番煎じだ。小泉構造改革は、格差と貧困を極度に拡大し、社会的な危機さえ生んで、退場せざるを得なかった。自民党安倍政権は、格差と貧困の拡大に倦(う)みはじめた国民を、「美しい日本」の標語で再統合しようとしたが、国民から鼻で笑われて失脚せざるを得なかった。要するに、維新の会も、みんなの党も、そして石原新党も、日本の政治の中では二度も三度も実地に試されて、破産を余儀なくされたスネに傷を持つ政治勢力なのだ。彼ら第三極≠ェ、一過性のブームとそれに乗っかった選挙互助会以上にはなり得ず、日を追うにつれて色あせていくのは避けられない。

 元はと言えば、維新もみんなも石原新党も、落ち目の自民党から分かれ出たその片割れに過ぎない。自民主導の政権が誕生すれば、彼らは易々と、あるいは渋々と、手をつないで反民衆の政治に突き進んで行くに違いない。

 来る総選挙では、自民党を勝利させてはいけない。同時に、維新やみんなや石原新党への幻想を、打ち砕いていく必要がある。そして、本当の第三極、勤労者、民衆の立場に立った新しい政治勢力をより前進させる契機としていかなければならない。

012年10月9日(火 )
■保守系会派が提案した「我が国の領土と主権を守る意見書」に反対討論を行いました
 歴史的根拠は曖昧、国際社会の承認も無し、国際法にもない「固有の領土」概念、「無主地先占の法理」自体が領土紛争の出口をふさいでいる


 「我が国の領土と主権を守る意見書」に、反対の立場から討論をします。

■尖閣、竹島、北方四島を日本の「固有の領土」だと主張することについて

 意見書案は、おそらく尖閣諸島、竹島、北方四島を念頭に置いて、「我が国固有の領土」だと主張しているのだと思います。
 しかし、これらの島々や岩礁群が、日本の領土であることは必ずしも自明ではありません。同じく、それらが中国、韓国、ロシアの領土だと言うことも自明ではありません。意見書が提起している領土・国境線問題を考えるときには、このことを率直に確認することが重要だと思います。
 もちろん、「事柄は自明だ」と主張する者は三国いずれの国の中にもたくさんいるでしょうが、それはもっぱら国内向けの、単なる政治的な言葉以上のものではありません。
 ある土地がある国の領土だと明確に言えるためには、最低でも次の条件が必要です。ひとつには歴史的に明白な証拠であり、ふたつには周辺国や国際社会の納得と承認です。
 しかし尖閣、竹島、北方四島についての、それぞれの国が主張する領有権については、歴史的にも曖昧な証拠に寄りかかっており、当然ながら当該国以外の諸国・国際社会からは承認を得られていないのが現実です。

 第一に、歴史的な根拠について考えてみます。
 例えば、尖閣の領有の歴史的根拠については、日本も、中国も、台湾もそれぞれの持論を展開しています。しかしいずれも一方的な言い分、曖昧な史料の寄せ集めにとどまっており、政治キャンペーンの域を出ておらず、歴史的根拠それ自体の力によって人を納得させるだけのものは提示できていません。それぞれの主張と史料を好意的に読み込ん見ても、せいぜい、この点については少しだけ、こちらの国の主張に分があるといえる程度で、領有権という決定的な権利を根拠づけるほどに強固な論拠は見いだせません。
 事情は、竹島、北方四島も同じです。特に北方四島については、日本もロシアも、元からそこに住んでいたネイティブの人々の存在を無視した議論をしているという点でも、問題です。
当事国はいずれも、「我が国の固有の領土」という言葉を使いますが、この言葉に逃げ込んでいること自体が、歴史的な根拠のあやふやさを逆に浮き彫りにしています。「固有の領土」という概念は国際法の中には存在しないばかりか、その言葉自体が矛盾した、意味をなさない言葉です。「固有の」とは「天然に存在すること」「元からあるもの」の意味ですが、領土とは、国家と同じく歴史的に形成されるものであり、「天然」「元から」ということはそもそもありえません。領土というものを、「固有の」という言葉で形容すること自体が、もうその議論の限界を明らかにしてしまっています。
 
 第二に、周辺国や国際社会の承認という点でも、三国の主張の頼りなさは明白です。尖閣、竹島、北方四島、いずれをとっても、国境線、領土としては、国際的には係争中のものと見なされています。
 尖閣は、米国でさえが、一方で日本の施政権が及んでいる以上安保条約5条の適用範囲と言いつつ、他方では日本の領土とは決して認めず、日中の間で係争中のものという立場をとり続けています。周知の通り、「施政権が及ぶ地域」と「領土」とは、似て非なる概念です。沖縄は戦後長らく米国の「施政権下」にありましたが、米国は沖縄を米国の「領土」とは言いませんでした。尖閣の帰属については、米国だけでなく、他の諸国も同様に係争中という立場をとっています。
 竹島は、米国でさえが地名委員会で竹島ではなく独島と表現し、韓国に帰属すると明白に述べています。もちろん、だからといって、我々が竹島=独島が韓国のものと見なさなければならないわけでありません。独島が韓国の領土だということについても、確たる根拠や広い国際的承認もありません。
 北方四島は、サンフランシスコ平和条約で日本が放棄した千島列島に含まれることは明白です。言うまでも無く、サンフランシスコ平和条約は、戦後国際秩序の大前提です。もちろん日本はサンフランシスコ平和条約を相対化し、それに異議申し立てをすることは出来ます。しかし「固有の領土」などと言いはることは、国際法を尊重する立場に立つならば、できるはずがありません。

■一番大事なことは、関係諸国民の利益。そのためには、問題の理性的取り扱いが求められている

 国境線問題、領土問題に関わるときに一番大切なことは、問題を理性的に取り扱うことです。感情に走らないこと、同じことですが、一方的で曖昧な根拠を振りかざして大きな声をはり上げることは慎むことが重要です。
 第二に、紛争の激化を誘うような措置をとらないこと。例えば、これまでに事実上の了解事項、あるいは明示的な合意事項があったのだとすれば、それを一方的に破るような行動に出ないことです。2010年の秋に起きた、当時の前原外務大臣の指示による中国漁船員逮捕。今年8月に起きた韓国大統領の竹島上陸。9月に行われた日本政府による尖閣国有化は、そうした了解事項や合意を侵すことによって、無用な紛争激化を招いてしまった典型例です。
 第三に、前の一と二に関わることですが、この問題を、自己の政治的なポジションを引き上げるために政治利用しないこと。残念ながら、日本の国内にも、日本のイ・ミョンバクさんと呼ばなければならないような政治家がたくさんいます。そうしたナショナリズムの政治利用の動きが出てきた場合には、これを市民の力で牽制・抑制することが重要だと思います。
 第四に、双方の国民にとってより大きな利益の追求、より大切な課題の設定によって、国境線問題を相対化するべく努めること。領有権の決着を留保した上での、関係諸国による共同利用、共同開発、相互交流や平和交流の拠点化を試みること等々が、顧みられるべきと考えます。

■近代の所有論の根底と、国際法の無主地先占の法理の限界=植民地主義について

 以上の討論は、国際法を前提にしての、その枠内での議論でした。しかし、日本、中国、韓国、ロシアが、国際法を本当に尊重しているか、それぞれが自国の利害に引きつけて都合良く解釈しようとしているだけではないか、と言わざるを得ない現状です。
 しかし、国際法については、もう少し違った角度からの検討も必要です。
 各国が、自己の主張の合理化のために引き合いに出している国際法の「無主地先占の法理」、持ち主のいない土地は先に自分のものだと宣言し、なにがしかの実効支配を及ぼした国のものになる、という理屈については、これを無批判に扱うことは出来ません。
 それは、西欧諸国が先んじて近代の国民国家の形成の時代に入り、さらに列強諸国が形成され、それら列強国がそれ以外の地域の人々を掃討し、囲い込み、植民地化していく過程で、それを合理化するために考案された法理だということは、周知の事実です。尖閣、竹島、北方四島をめぐる争いの膠着、その出口が容易に見いだされないという事態の中には、この「無主地先占の法理」自体の限界が示されています。

 この問題を考えるときには、近代の所有論・占有論が、植民地主義の歪みを受ける前の本来の姿を思い起こすことが有意義です。この問題はしかし、この討論の主題ではないので、簡単に指摘するにとどめます。
 私が指摘をしたいのは、所有という概念が明確に登場したのは近代に入ってからですが、この近代がまだ若々しく、健全な生命力を持っていた時代には、地球の表面=大地などの所有についての権利は、次のように考えられていたという事実です。
 第一に、大地などは人類全体の共同占有の対象である。
 第二に、個人的所有は、労働による対象物への働きかけによって可能となる。
 第三にその所有は、社会全体によって承認されなければならない。
 第四に、その社会が健全に維持されるためには、個人の所有には社会の側からの制約、例えば他者の生存や幸福を脅かさない、また一定期間適正に使用されなければ所有は解消される等々の、制約が課せられなければならない。
 所有に対するこうした考えは、皆さんが高校や大学で学んだかもしれない、ロック、カント、ヘーゲルなどの思想家によっても論じられ、深められて、近代社会の思想的・法的基盤となりました。

 もちろん、以上述べた近代の所有論も、ある意味では近代主義の限界を免れていないとも言えます。今、近代社会の行き詰まりが意識される中で、所有論の世界でもコモンズ、これは近代以前の共同占有のことで、これは今日でも世界の様々な地域で生きており、人々の暮らしの土台となっています。あるいはアソシエーション的所有、これは前近代の共同占有ではなく、近代を前提にした、近代が誕生させた自立した諸個人の自由意思に基づく共同所有、例えば協同組合などの事業を思い浮かべて頂ければ良いと思いますが、そういう所有のあり方などが、注目をされています。
 それらの言論風景の中に置いてみたとき、現在口角沫を飛ばして論じられている尖閣や竹島などをめぐる領有権論争は、いかにも色あせて見えます。こうした論争は、人々に希望を与え、人々の心を前向きに鼓舞し、幸福に導くものとはなり得ないと考えます。

■市民・国民自身の手による社会・国家・国際関係づくりを

 最後にもうひとつ指摘させて頂きます。メディアを賑わしている政治家や専門家と称する人々が尖閣や竹島などについて語っていることには、実は大した根拠はありません。また、 彼らの主張は、支配エリートによる国家と国民の統治、という立場から発言で、市民・国民自身がこの社会と、この国と、この国の国際関係をどう作っていくかという観点からの主張ではありません。この点では、原発問題と完全な相似形です。
 彼らの言説を過信することなく、市民と自治体議会はこの問題についても自分で研究し、自分の頭で考え、自分たちのイニシアチブで問題の積極的な解決に向けて発言していくべきだということを付け加えて、討論を終えます。

<誠和会の意見書>
我が国の領土と主権を守る意見書

前文省略
1.我が国領土への不法上陸について関係国に対し、断固たる抗議を行うとともに再発防止を強く求めること。
2.尖閣諸島をはじめとする我が国の領土・領海を守るための法制度の整備、警備体制・方針の根本的な見直し、関係機関の連携、装備・人員の拡充を急ぐこと。
3.歴史的・国際的にも明らかな我が国固有の領土であり、そもそも領土問題は存在しないという明白な事実を国際社会に示すこと。
以上、地方自治法第99条の規定に基づき、意見書を提出する。
平成24年10月9日


■平成24年度流山市一般会計補正予算に反対討論を行いました
 周辺住民・議会・自治体が反対している汚染灰の手賀沼終末処理場への持ち
込みは許されない


   本補正予算案が、子育て支援策、高齢者支援施策、災害対策、除染対策、商工業の振興等々に関して、必要な施策を講じるためのものであることは理解します。

 しかしながら、放射能汚染対策という現在の流山市にとって重要なテーマ、市自身が当面する最重要の課題と言っている施策において、適切でない施策が盛りこまれています。それは、放射能によって汚染された溶融飛灰などの保管場所確保のためとして、手賀沼終末処理場への市のクリーンセンターの飛灰などの持ち込みが前提にされてしまっていることです。

 我孫子市や印西市の市民は、次のように訴えています。
 手賀沼処理場の周辺には、流山市のクリーンセンターほど近くではないにせよ、周辺に学校や住宅地があります。こうした場所に、原発の低レベル放射性廃棄物の数百倍もの濃度の、危険な大量の汚染灰を持ち込むことは、単なる迷惑施設問題を超えた重大な問題だということを知って欲しい。
 終末処理場は、我孫子市の洪水ハザードマップによれば、利根川の氾濫により5m以上の浸水が想定される場所です。超大型台風が来て、水に溶けやすいセシウムが、地下水や、すぐ隣の手賀川、さらに利根川に流れ込めば被害ははかりしれない。
 また手賀沼終末処理場の焼却炉は、放射性物質に対応すべく造られたものではない。フィルターのセシウム除去率はどのくらいか? いったいどれほどのセシウムが大気中に拡散されているのか? 二次汚染の心配はないのか? それらのデータは一切公表されていない。
 
 我孫子市や印西市の市民のこうした不安に対して、県も、流山市も、誠実に向き合おうとしてきませんでした。両市の市民が納得しうる説明も行っておりません。こうした状況のままで、放射能に汚染された流山市の溶融飛灰などを手賀沼の処理場に持ち込むことは、流山の一市民としても、議会としても容認するわけにはいかないと思います。
 
 この問題については、県の提案に「渡りに船」と乗っかって、印西と安孫子の市民や自治体に「これを飲め」とせまるのではなく、同じ東葛の市民、放射能汚染の被害者自治体として、知恵を出し合って別の方策を考えるべきではないかと思います。
 
 この問題については、私は、国が「2014年度末をめどに最終処分場を確保する」と言っているわけですから、それまではれぞれの自治体、市民の負担として何とかしのいでいく、やりくりをしていく、ということも考えてよいと思います。
 
 それ以外にも、賛成できない部分がありますが、詳論は避け、溶融飛灰搬入の問題点を指摘して、補正予算案に反対をします。


2012年7月17日(火 )

■小沢新党、維新の会・みんなの党は二度目の茶番
 求められているのは労働者・市民自身による第三極の形成


 「国民の生活が第一」「コンクリートから人へ」「官僚依存政治打破」を掲げて政権を取った民主党は、今ではマニュフェストのほとんどすべてを投げ捨て、第二自民党=自民党野田派と化した。

 民主党を批判する自民党や公明党も、変身≠オた民主党と同じく消費税増税、社会保障や福祉の抑制、TPP推進、沖縄の基地強化に意欲満々なのだから、その民主党批判は迫力を欠き、空疎なパフォーマンスに堕さざるを得ない。民主党は財界とアメリカの意向に忠実な官僚組織にその身をゆだねることで党の生き残りを図り、自民党は本来の保守≠演出することで後退を免れようと必死だ。両者とも、領土要求の扇動や天皇主義回帰など困ったときのナショナリズム≠ノさえ訴え始めている。

 民主と自民のていたらくに乗じて、意気軒昂に見えるのは橋下維新の会やみんなの党、そして小沢新党だ。彼らは、自民と民主に代わる新たな第三極勢力として、急進的な改革勢力であるかにさえ装いながら、有権者の歓心を買おうと躍起だ。

 しかし、冷静に見れば、彼らの掲げるスローガンには、何の目新らしさもない。「維新」や「みんな」の公務員バッシング、社会保障や福祉への扇動的攻撃、民間的手法の礼賛、成長戦略の呼号は、小泉純一郎の新自由主義政治の二番煎じだ。小泉の新自由主義は格差と貧困を耐えがたいまでに深刻化させ、経済成長も実現できないまま、破綻した。小泉構造改革をさらに極端化した点に新味があるだけの「維新」や「みんな」の政治が、さらなる貧困拡大と社会崩壊と経済瓦解を結果する以外にないことは、試してみるまでもなく明らかだ。

 小沢新党が主張する「国民の生活が第一」「官僚依存打破」などへの原点回帰≠焉A結局は頓挫した2年前の民主党の政策の焼き直しに過ぎず、鳩山から菅を経て野田に至る財界と米国と官僚への屈服の道を再びたどるしかない。

 求められているのは、こうした体制支持勢力による様々な政治潮流、自民党が体現する伝統的保守政治、「みんな」や「維新」が極端化させようとしている市場と民間礼賛の政治、保守二大政党制を実現するための権力奪取・政権交代のみが関心事で政策は新自由主義でもケインズ主義でも社民主義でも何でもありの小沢新党などと真っ向から対峙する、働く人々・市民の立場に立った真の第三極の政治勢力だ。

 その依って立つところは、働く人々自身の自主的な協同と連帯に基づく社会を目指す立場だ。現在の生産力は、極めて高度な生産性を実現し、それぞれの構成要素が不可分な形で社会的に有機的に結びつくことで成り立っており、担い手である働く人々も同様に、意識するとしないとにかかわらず互いに宿命的な協働関係の中に置かれている。この協働関係の中に置かれた働くものたち自身が、全社会の生産と分配と消費を、意識的・自覚的な協議に基づき組織していく社会。そのようにして、生産・消費と自然環境との調和、過剰生産や過少消費がもたらす恐慌や失業からの解放、市場争奪や紛争や戦争の克服を目指すことが求められている。

 そうした社会へと接近させる方向で、日々深刻の度を増しつつある社会矛盾、労働や社会保障や福祉や外交や国際関係等々の問題解決を目指す政策綱領を持った新たな政治勢力を、働くものの共同作業を通して生み出していかなければならない。

2012年6月7日(木 )
■第24回 反核平和の火リレー 参加と協力のお願い

 1945年、8月6日にヒロシマ、9日にナガサキに投下された原爆は、一瞬にして30数万人の尊い命を奪いました。この体験を教訓として、私たちは、二度と核による惨禍を繰り返してはならないと誓いました。しかし戦後においても私たちは、ビキニ環礁での第5福竜丸乗員の被曝・死亡という悲劇に見舞われました。

 そればかりか、昨年の3月11日の東日本大震災は、史上最悪の原発事故を発生させました。福島原発がまき散らした放射性物質セシウム137は広島型原爆の168.5倍、国土の12分の1が放射線管理区域並みの汚染地帯となりました。周辺数十キロ内は生き物が住むには適さない地域と化し、農業も牧畜も漁場も不可能となり、多くの人々が住み慣れた家や故郷を追われました。

 私たちの住む流山も例外ではなく、福島原発から200キロメートルも離れていたにもかかわらず、放射能汚染ホットスポットとなりました。東葛地域ではキノコやタケノコや魚が基準値を超える放射能の値を示し、学校や幼稚園・保育園ばかりでなく道路や民地も徹底的な除染をしなくてはならない汚染地帯と化してしまったのです。

 ところが政府は、チェルノブイリを超えるやもと言われる深刻な事故を発生させながら、しかもその収束の見通しさえ立っていない中で、原発の再稼働を強行しようとしています。怪しげな「安全神話」が息を吹き返しつつあります。背後では、原子力マフィアと呼ばれる政・官・財と御用メディアと御用学者たちがうごめいています。このままでは、自由な言論、科学に基づく議論、常に犠牲をしわ寄せされる弱者の声は、再び権力とカネで押さえつけられてしまいます。

 こうした事態を見れば、いま私たち市民に何が求められているかは明らかです。ヒロシマ・ナガサキの被爆者に対する完全な補償をはじめ、福島原発事故の収束に向けて全精力を注ぐこと、そして事故の被害者に対して十全な補償を行うこと、被災地域の復興に向けて責任ある行動をとること、さらには三度同じことを繰り返さないために、真剣な脱原発と反核の方向へと国と自治体の政策を大きく方向転換させることです。

 フクシマの問題は、オキナワにも通じます。原発立地地域は、過疎や貧困を背景に厄介者の原発を押しつけられてきましたが、沖縄に置かれた米軍基地も同じです。また、フクシマの解決を棚上げしたまま、庶民や中小・自営業者などに犠牲を強いる消費税増税やTPPに血道を上げる政権の姿も許すわけにはいきません。

 私たちは、こうした課題に取り組むため、今年も反核平和の火リレーを挙行いたします。「ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、フクシマを繰り返すな!」「国と自治体は脱原発・反核の方向に大きく政策の舵を切れ!」が合い言葉です。
 どうか、この趣旨をご理解頂きまして、広告の掲載をお願いいたします。

2012年6月吉日
連絡先 反核平和の火リレー流山地区実行委員会
流山市平和台2-4-3 広葉ビル201
TEL・FAX 04-7159-3781

2012年5月26日(土 )
エネルギーの生産・流通・消費を市民の手で
 国や大企業などの巨大システムに代わる自治・自給のシステムを


 福島原発事故がもたらした惨状を知れば、「脱原発」が絶対的な要請であることは明らかだ。利権維持に固執する原子力ムラはともかく、原発マネーへの依存を強いられた周辺自治体の住民でさえ、心の奥ではそう感じているはずだ。

 問題は、節電、省エネの一層の推進に加えて、どのような技術、システム、主体が、原子力に代わる電力を生産し、流通させるかという点にある。多くの市民の関心もそこにある。

 自然エネルギー、再生可能エネルギーだからと言って、原発と同様の巨大システム、内部編成が上意下達式、たこつぼ主義、無責任が横行する大企業や国家がしゃしゃり出る仕組みにしてはならない。原発が生み出した災厄は、事故による命と暮らしの危機だけではなく、国家や企業などの巨大システムとカネの力による政治・経済・学問・文化・メディア等の支配、民主主義の圧殺と社会全体への腐敗と無責任の蔓延でもあったはずだ。

 原発に代わるエネルギー源として、風力、太陽光、地熱、水力、波力等々が名乗りを上げ、それぞれの可能性を競い合っている。しかし私たち市民は、それぞれの方法が持つ発電量のポテンシャルだけでなく、どれが市民の声を受け止めやすいシステムか、労働者・市民自身の手によって統制や運営が容易な発電方法なのか、に注意を向ける必要がある。

 太陽光発電は急速な技術開発が進む蓄電池と組み合わせれば個々の家庭でも電力の自給が可能だ。スマートグリッドで繋がれば、節電効果とともに供給安定性は格段に増す。風力、地熱、水力、波力などは、個々人を超えたもう少し大きなエリアや組織が似合う。これらは市民自身の協同や自治体の力でも設置・運営が可能だが、巨大組織にとっても有望なビジネスチャンス、存在証明の場になり得る。

 巨大組織に任せず市民、勤労者自身による統制や管理をめざさなければならないとは言っても、その用意が私たちの側にあるか、が問われる。

 私の住む流山市でも、太陽光などによるエネルギーの自給を掲げる市民グループがある。流山市の太陽光発電への支援は貧弱で、市の施設への設置も小規模でアリバイづくりの域を出ていない。しかし飯田市の市民が始めた「南信州おひさまファンド」や「おひさま進歩エネルギー」の事業などを見れば、市民が自治体を動かす力を持つならば可能性は広がることが分かる。こうした市民の協同事業は、飯田市に先行して北海道、青森、秋田で実績があり、備前市や他の地域にも広がりを見せつつある。最近、埼玉県が打ち出した太陽光発電事業者向けに一般住宅の屋根をまとめて仲介する制度も、貸し主である市民の側に事業の決定権への関与が保障されれば、自給システムの土俵のひとつとなり得なくはない。

 巨大電力会社による電力独占、発送電一体の体制を突き崩すことも重要だ。そのためには、市民に今のシステムのいびつさを知ってもらうと同時に、様々なチャンスや条件を活用して、この体制に対する揺さぶり攻撃を仕掛ける試みも軽視できない。

 そうした試みの一環として、私は昨年の流山9月市議会で市の電気は東電からではなくPPS(特定規模電気事業者)から購入すべきだと提案した。東電は、度重なる事故隠し、無法な被曝労働の放置、悲惨な福島原発事故を発生させながらそれにまったく無反省である等々、最悪の反社会的企業であり、自治体の入札に参加する資格は無し。原発に依存した東電の電気は決してクリーンでなく、おまけに高すぎる等々を理由として述べた。「一円も無駄にしない」をタテマエとする流山市当局はこの提案を拒否する理由を見つけられず、本年の1月1日から市の電気はPPSが供給している。市民の納めた税金は、年間1900万円も節約できた。私は、これをホットスポット流山市の放射能汚染対策に用いるべきだと要求している。

 エネルギー自給をめざす市民の活動も、電力独占、発送電一体を壊す取り組みも、まだ緒に就いたばかりだ。デンマークやスウェーデンなどの自然エネルギーの受容レベルに追いつくだけでも、わたしたちの前途には多くの困難と紆余曲折があるに違いない。しかしここで注目しておくべきは、北欧諸国でも、飯田市他の例でも、協同組合や市民出資のNPOなどがこうした活動の先陣を切り、その推進力になってきたことだ。

 もちろん現状の協同組合やNPOには、そのミッションや仕組みや規模に限界はある。思い描くさらにその先の理想を言えば、労働者・市民自身による電力の生産と流通のシステムだ。私たちは、単なる消費者、単なる出資者、単なる貸し主ではなく、生活に必要なものを生み出すための手段の所有、管理、労働を一体として担う者としてはじめて社会の本当の主体になり得る。個々の構成員が対等平等で、それぞれが自己決定権を持ちつつ、社会全体の必要や福祉的要請に応えていくための協議と協働を自覚的に組織していく。電気も、他のあまたの財やサービスも、そのような社会関係の中で生産、消費されてこそ、「後は野となれ山となれ」を脱して、産業と自然環境との調和も実現していけるはずだ。

2012年5月3日(木)
■憲法記念日に当たり訴えます
 憲法の改悪反対! 暮らしと平和の防波堤=憲法守り、活かし、世界に広げよう!


●悪化する雇用と暮らしに原発震災が追い打ち

 東日本大震災、福島原発事故から1年以上が過ぎました。復興の歩みは進まず、原発がまき散らした大量の放射性物質が人々の苦悩に追い打ちをかけています。
 非正規雇用が働く人々の半数近くに達し、失業の長期化で求職を断念した人々を含めた失業率は10%をはるかに超えています。
 介護や医療や年金など高齢者が置かれた状況も厳しく、子育てや教育の環境も改善が見られません。
 原発震災、雇用破壊、高齢者と子どもを取り巻く環境の悪化など、庶民の暮らしは厳しさを増しています。
 
●軍隊保持、権利制限―市民の願いに逆行する改憲の動き

 政治の役割が問われているまさにこのときに、政権党は国民の願いとは正反対の、原発再稼働、消費税増税、社会保障改悪の動きを強めています。日米同盟の再構築を唱えて沖縄の基地の強化を図ろうとしています。こうした政治は、雇用や暮らしの改善や平和を求める市民の声と衝突せざるを得ません。
 そのことを見越してか、保守系の各党が憲法の改悪の動きを強めています。党是に改憲を掲げる自民党は、国防軍保持、緊急事態の規定による国民の権利制限、天皇元首化の明記を謳います。自民党から出た国民新党、たちあがれ日本、みんなの党も軍隊保持の明確化を主張し、自民党化した民主党内にも同様の声が台頭。この流れに「日本の政治で一番重要なのは独裁」「日本の一番情けないところは単独で戦争ができないこと」と公言する大阪の橋下市長が率いる維新の会が加わろうとしています。
 
●憲法を守り、活かし、世界に広げよう

 雇用や社会保障への攻撃、米国の戦争への協力、福島原発事故への無反省という政治のもとで、市民の生活のこれ以上の悪化を防ぐことが出来たのは、戦争放棄や生存権を明確に謳った憲法と、それを守ろうとする国民の努力が存在したからです。この憲法が変えられてしまったら、後は底なしです。
 悲惨な戦争と暗黒政治への反省から生まれた憲法を、暮らしの中にしっかりと活かし、それを世界に広めていくことこそが、いま私たちに求められています。今日は憲法記念日、改憲の動きは絶対に許さないとの意思を、皆さんとともに胸に刻みたいと思います。


1012年4月22日(日)記
■薬漬けにされる子どもたち
 「精神科早期介入」の名による病者づくりと人権侵害を許すな!


 いじめにあったり、学校になじめなかったり、不登校になる等々で、悩み、苦しんでいる子どもたちは少なくない。親として、地域社会として、何とか支えてあげたいとの思いが募る。

 この善意を取り込む形で、国は、「こころの健康政策」を打ち出し、特に子どもたちを対象にした「こころの健康相談」に国策として力を入れようとしている。心の病には「早期発見・早期介入」が効果的だとして、教師、養護教諭、スクールカウンセラー等を通じて、精神科へとつなげる政策だ。

 しかし、この政策は、極めて危うい。現在の精神医療の未熟さ、拙劣さ、早期介入の先行モデルケースとされた三重、長崎等々の地域で子どもたちに生じた現実を見れば、恐るべき結果を招くことは必至だ。
             ◆  ◆  ◆
 「うつ病は風邪と同じ」の言葉を信じて精神科を受診。双極性障害の疑いありとして医師が出す薬を服用。薬を飲んでも治らずますます状態が悪化。医師は病気の進行だと言い、薬の種類や量が増やされていく。次第に抑うつが激しくなり、自殺願望や暴力行為などが生じ、自分自身や家族を傷つけ、とうとう措置入院。

 学校での教師や友人との関係の悩みから不登校に。行政のカウンセラーに紹介された病院で統合失調症と診断。処方された薬を服用するが症状は改善されるどころか悪化する一方。不安になった保護者にも、「あなたも病気だ」と薬が出され、親子ともども患者生活を送ることになり、家庭は崩壊。

 子どもが不登校になり、多くの著書を持つ有名な精神科医の門を叩く。処方された薬を服用したが状態がどんどん悪くなる。薬物依存を疑い警察の麻薬覚せい剤相談センターに相談したら、すぐ精神保健福祉センターに行くよう言われ、そこで「その薬は医者が処方できる覚せい剤です」と告げられる。断薬に努めると、あとはとんとん拍子で回復。

 以上はほんの一例だが、このようなケースが、モデル地域のみならず全国で多発している。それどころか「心の病気」と診断された人々がたどる典型例とさえなっているのだ。
             ◆  ◆  ◆
 その理由を、この問題に当初から警鐘を鳴らし続けてきた精神科医の笠陽一郎氏(松山・味酒診療内科)は、自身が試みた1万例を超えるセカンドオピニオンの経験を通して、次のように語る。

 「誤診は、大きく分けて、統合失調症とうつ病の過剰拡大診断がある。どちらの疾患も、そうそうあるわけではなく、NHKの百人に一人キャンペーンなど、根底から間違った情報である」

 「セカンドオピニオン事例で、圧倒的に多いのは前者である。つまり、一過性の混乱や内分泌性、薬剤性(アルコールを含む)など、広い意味での非定型精神病とか、発達障害の二次、三次障害が、全国各地で統合失調症とされている」

 「一旦『統合失調症』の診断が付けば、あるいはそれを疑われただけでも、『劇薬』とされている薬が処方され、様々な副作用が少なからず出現する。…副作用の中には、認知力や知能の低下、抑うつ、高揚や衝動性の昂進、幻覚や妄想、興奮、不安、焦燥、不穏、多動、失禁、高熱、死亡など、深刻な心身の症状が含まれる。…医師の方ではそれらを新たな精神症状の悪化と判断し、さらに別の薬を足してしまうことが多い。そのために新たな薬の副作用も加わって、…いつのまにやら多剤大量投薬というアリ地獄から出られなくなってしまうアリサマが、今日のわが国の精神科医療の実際」

 笠医師ら、現在の精神医療の改革を目指している医師や医療関係者の証言によれば、精神科の診断のほぼ9割は誤診であり、まれに正しい診断が行われた場合も、薬の処方が間違っているため、その副作用によって様々な心身の異常に苦しんでいるのが実態だという。事実、笠医師らのセカンドオピニオンによる新たな診断と助言に従って減薬・断薬に努め、繊細な治療を受けた多くの「患者」は、劇的に症状が改善し、通常の生活を送れるようになっている。
             ◆  ◆  ◆
 このような、精神医療のおよそ医療とは言えない現状をそのままにして、それが学校等を通して組織的に、有無を言わさぬ雰囲気をつくり出しながら子どもたちの中に持ち込まれていけば、取り返しのつかない事態となることは火を見るより明らかだ。本当に病気が疑われる子にはそれをさらに悪化させる「治療」が施され、そもそも病気でなく治療の必要のない子にも多剤大量処方が奨められ、薬物中毒に見られる様々な心身の異常に苦しめられ、人生をその初期の段階で致命的に狂わされることになってしまう。

 この「こころの健康政策」「早期発見・早期介入」動きの背景には、国と結ぶことで新たな仕事と活躍の舞台を得んとする精神医学界、市場拡大をねらう医薬品業界、「国民の要求」を吸い上げた「実績」を欲しがる政治家、そしてTPPで日本市場を狙う米国の医薬品業界等々の思惑もある。特に、政治家の果たしている犯罪的役割は、看過しがたい。彼らの浅薄な善意、間違った知識、現実から学ぼうとせぬ姿勢、そして物欲しげな政治的野心が、子どもたちを地獄に追い込もうとしているのだ。
             ◆  ◆  ◆
 病気でない者を病者に仕立て上げ、その犠牲者の屍の上で肥え太り、地位や影響力の維持・拡大をはかろうとする勢力の「こころの健康相談」の本当の狙いを明らかにする必要がある。生きづらさが蔓延する社会の中で、心の病で苦しむ人々は確かにいる。彼らは、とげとげしい、敵対的な社会から防衛されながら、真に適切な医療を受ける権利を保障されなければならない。

 しかし最も治療を必要としているのは、死ぬも生きるも自己責任、弱肉強食の原理で人々を引き裂き、孤立させ、心身ともに限界まで疲労困憊させている社会のありよう自身だ。もともとは社会の連帯や支え合いの中で安心し、幸福感を感じる生き物である私たちヒトにとって、社会のきずなの崩壊、社会自身が人々を傷つける凶器と化した現実は、耐えがたい。

 私たちの社会が本来の人間らしいきずなを取り戻す闘いの一貫としても、病に苦しむ人々の権利をしっかりと防衛、擁護するとともに、医原病、薬原病のさらなる蔓延をもたらすこと必至の「早期発見・早期介入」の動きを何としても阻止しなければならない。
※詳しくは「精神科早期介入の問題を考える会」のサイトをご参照下さい。
 http://www.soukihantai.jp/。

2012年4月11日(水)記
■原発の再稼働を許すな!

  原発再稼働の動きがピッチを上げている。野田首相は、4月3日に原発再稼働の基準の作成を指示、6日にはその基準ができあがり、9日に再稼働が必要との判断を示した。この間わずか6日間だ。

 基準の内容は、全電源喪失に備えての電源車の配備、東日本大震災規模の地震や津波でも核燃料が損傷しない、免震事務棟の設置の実施計画が存在する、というもの。しかし全電源喪失が起こり得ること自体が、そもそもあってはならないこと。地震や津波についても、最新の研究・調査に基づく想定を無視。免震事務棟は2015年までにつくれば良いといういい加減さだ。

 人間の適応力は優れており、工夫をすれば地球上のどこにでも住める。しかし原発事故は、人が絶対に住んではならない地帯を、広大な規模で出現させてしまった。福島原発事故がもたらした大地・海洋・大気の致命的汚染は、チェルノブイリをはるかに凌ぎ、地球上の多くの人々に世代をまたぐほどの長期にわたる脅威を強いている。

 こうした事態を発生させてなお、原発に固執する政・官・財・学・メディアなどの原子力ムラの愚かしさは、途方もない。しかし愚かしさだけが彼らを原発に駆り立てているのではない。彼らを突き動かしているのは、利潤や利権・権益、経済的政治的立場の維持と保守という利害欲得だ。そのためなら、何千何百万の市民の健康と命を脅威にさらすことや、社会や国家を崩壊させる可能性さえも、平然と無視することが出来るのだ。

 原子力ムラが持つ、政治・経済・社会・文化などへの強大な影響力は、マフィアの異名をはるかに凌ぐものだ。この力は、福島原発事故によってさえ大きくは衰えていない。むしろ彼らにとっての歴史上の最大の危機に直面して、これまで以上の精力を投入して、利害欲得の維持・追求に向けて突き進んでいる。

 原発の再稼働を阻止出来るかどうかが、原子力ムラを弱体化させ、解体できるか否かの当面の試金石となっている。市民の力を結集して、再稼働を許さぬ闘いを大きく広げていこう。

2012年3月29日(水)記
■福島行 いわき市・小名浜港から飯舘村へ

 3月26日(月)〜27日(火)にかけて、福島県内を回ってきました。国や自治体の発表する被害の状況や放射能汚染のレベルがどうも信用できず、自分自身の目と身体で、事実を確かめたかったからです。たどったルートは、いわき市の小名浜港、Jビレッジ゙を手始めに、福島の中通りを北上し、最後は飯舘村へ。

 小名浜港は、津波の直後は大変な光景をさらしていましたが、今はちょっと目には被害に遭ったことが分からないくらいに回復しています。しかし、津波で破壊されたり、流されたりした建物跡が、そこここに見られました。

 小名浜港を出て、楢葉町のJビレッジ側から、双葉町、浪江町、大熊町に出来るだけ近づこうと車を走らせましたが、はるか手前のJビレッジ前で「一般人は進入不可」と警備員さんに告げられ、別ルートへ(これは予想していた事態です)。

 ナショナルトレーニングセンターとして名高かったJビレッジは、すっかり原発業者と労働者の出撃拠点に変わっていました。業者のバスや車が多数駐車し、労働者たちが休憩したり歩いたりしている姿が見られました。Jビレッジの写真を撮ろうとすると、警備員さんが制止してきました。仕事とは言え、大変。

 中通りの一般道を走り、飯舘村に近づくにつれて、車中にもかかわらず線量計の値がどんどん上がっていきます。開けたアスファルト舗装道路にかかると線量が少し下がり、まわりが林や森になると上がり、そして低地になるとやはりぐっと上昇します。機械(MR.ガンマ)はやはり正直です。

 飯舘村の村役場前に到着し、役場前に設置している線量表示看板を見ると、0.76μSv毎時でした。しかしその横に立って私の線量計で測ると、1.78μSv(地表1m)。この差は、いったい何だ。表示板周辺は、表示線量を低くするために徹底的に除染したはずなのですが、事実は動かせません。飯舘村役場は、開いてはいるものの1階には人影はありません。誰とも話ができず、トイレを借りただけ。

 飯舘村の本当の線量はどれくらいなのか知りたくて、色々なところで測定しました。役場と目と鼻の先、300メートルも離れていない飯舘中学校の門前では、5μSv毎時(地表5p 以下同じ)を軽く超えてしまいます。他の地点でも、3〜4μSvが普通に測定されます。村には人影はなく、しかし洗濯物を干している家もあったり、みんなが避難をしているわけではないようです。村の発表によると、6650人がすでに避難し、村に残っているのは13人ということです。

 飯舘村の帰り道で、文科省の線量測定車両に出会い、その後ろをしばらく走りました。走行させながら、線量を計って回る車両です。屋根に小さいドームのようなモノが乗っかった、結構、いかつい車でした。

 今回の福島行では時間切れとなり行けませんでしたが、双葉町では飯舘村の4倍強、浪江町は6倍強、大熊町は7倍の線量だと聞いています。ロシア連邦であれば無人ゾーンや移住義務ゾーンに相当する地域の中で、福島では今も多くの人々が暮らし、働いています。もちろん流山市内でも、10μSv毎時を超えるようなマイクロホットスポットが多数形成されていることを、私たちは忘れるわけにはいきません。

 徹底的な除染が必要。然り! だが、あの広大な福島の山野をいったいどうやって。
 移住が必要。本当だ! 高線量地域では、やはり優先的にこのことが追求されるべきではないか。
 その他、色々なことを考えさせられた2日間でした。

2012年3月24日(土)記
■流山市2012年度予算案に対する反対討論(3月21日市議会最終日)

 阿部治正です。議案第1号「平成24年度流山市一般会計予算」について、反対の立場で討論を行います。
 流山市民の暮らしと市の行財政を取り巻く状況は、近年ますます厳しさを増しています。長引く不況、少子高齢化の趨勢、それ加えて昨年3月の東日本大震災と福島原子力発電所の爆発事故、原発の事故がもたらした流山をはじめとする東葛地域の放射能汚染。これらが、いま、市民の暮らしと流山市の行財政に重くのしかかってきています。
 こうした中にあっても、地域の住民にとって最も身近な行政機関としての流山市には、何としても一定の水準を確保しつつ継続しなければならない行政課題が数多くあります。24年度の予算案が、様々な困難の中で、こうした課題に取り組もうとしていることを理解しないわけではありません。
 しかし、行政として当然に行わなければならない課題を、かろうじて遂行し得ているという部分の評価を行ってみても、あまり積極的な意味は持たないとも思います。従って私の討論は、執行機関に対するチェック機能を果たすべき議員の役割という立場から、この予算案の問題点、限界、欠陥などについて率直に意見を述べさせて頂きます。その際、本来は多岐にわたる分野について、様々な意見を持っているのですが、その中のいくつかの問題、象徴的で典型的な問題に絞って、問題提起をさせて頂きます。

 まず第1点。地域経済、地域の働く人々の境遇、流山市の行財政運営のあり方の問題に関わる象徴的事例として、クリーンセンターのリサイクル館の委託問題を指摘します。
 4月1日からリサイクル館の委託業者が替わろうとしていますが、その中で46名の従業員の雇用問題が発生しました。5年前のゴミ収集事業の委託業者変更の時にも数十名の労働者の雇用問題が起きましたが、同じ事が再び繰り返されました。しかも今回は、新しい業者は必要人員数を46名から30数名にまで減らし、おまけに前の業者の半分を少し超える程度の賃金しか提示していません。しかも、その条件で応募をした労働者が採用をされたのかと言えば、そうではなく、不採用となった労働者が多数出ています。まさに生活保護並みの賃金、しかもそれさえ得られずに、失業を余儀なくされる労働者が発生しようとしています。これで本当に、リサイクル館の仕事の安全性の確保、行政サービスの質の維持は可能なのか、そうした危惧の声があげられています。
 このことは何を物語っているか。流山市が、市の事業を外部の民間企業に委託する際の、入札制度の欠陥です。流山市は、事実上、価格のみを評価対象にした入札を行ってきましたが、その結果が5年前の、そして今回の事態です。まさに、「安かろう、悪かろう」の見本のような入札結果です。総合評価入札方式に、雇用の継続、労働条件の維持、こうした評価項目を加えること、このことが必要となっていることは明らかです。他の自治体で実行されているこうした入札方式を、流山が実行できない理由は存在しないはずです。雇用や地域経済への寄与と言った社会的価値や市の政策目的を反映させた入札制度に改めることを、強く求めたいと思います。

 次に第2点、福祉や子育てに関わる問題の一例として、長崎保育所の委託問題を指摘します。
 長崎保育所は、今年の4月から新しい保育園舎の下で民間の法人によって運営されるはずでした。しかし実際には、新しい園舎は建設されず、古い園舎において、本来は保育室ではないホール部分に敷物などをして、定員90名を超える110名近くの園児が詰め込まれようとしています。長崎保育所の園舎にもその園児にも不慣れな新しい民間法人の職員が、保育にあたろうとしています。果たしてこうした詰め込みが許されるのか、事故が起きた場合はどうするのか、保護者や地域の住民から、そうした声があがっています。
 こうした問題を生み出した大元は、長崎保育所の保育士や保護者などの意見を十分に聞かないままの、強引な保育所民営化の方針、しかも地震対策を口実にしたその前倒しの強行にあります。長崎保育所の耐震強度が弱いというなら、求められているのは耐震化の対策であって、民営化に直結させられる問題ではなかったはずです。当局の地震対策にこじつけた民営化の強行、その前倒しによって、逆に子どもたちに対する安心安全な保育の保障に不安が生じてしまっています。今からでも遅くはありません。せめて子どもたちへのきちんとした質の保育の保障、安全対策を強く求めたいと思います。

 第3に、市民の安全安心に関わる重大問題として、放射能対策の問題点を指摘します。
 流山市の放射能汚染対策は、そもそも昨年の原発事故の発生以来、後手に回り続けてきました。市民や議員の指摘や批判を受けて、それを3〜4ヶ月遅れで、しかも内容的には6割〜7割に薄めたやり方で、やっとこさ体裁を保っているというのが実情です。
 特に、流山市の放射能汚染対策で、まったく放置されているのが、内部被曝対策です。流山を含む東葛ホットスポットにおいて、放射能のリスクで最も心配しなければならないのは、内部被爆の問題です。特に子どもと女性の内部被曝に対しては、細心の注意が求められています。
 議会では、子どもと女性の健康調査を実施すべきとの要求が複数の議員から出されました。しかし市が実施したのは、月に数回の健康相談のみです。もちろん健康相談も必要ですが、それとどまらず、より広範な児童を対象にした、健康調査の事業が求められています。その手段として従来の「母子手帳」に放射能障害の兆候をチェックできる項目を加えるなどした「健康手帳」の発行の提案がなされ、大きい経費をかけなくても可能であることも述べられましたが、市はこれを実施しようとはしていません。
 その理由のひとつとして上げられたのが、「専門家が必要でないと言っている」というものでした。しかしその専門家と言われている人は、国や自治体が依拠してきたICRP(国際放射線防護委員会)などの見解、つまり放射線はどんなに低線量でもその線量に比例した健康リスクがあるという説とは真逆の、「一定の線量以下では健康リスクは存在しない」「低線量被爆はかえって身体に良い」という特殊な説を信じている人だという事が、予算委員会における質疑の中で明らかにされました。『広報ながれやま』などでは、それ以外の2名の専門家の見解も紹介されていますが、そのうちの1人は、その組織の委員長自身が安全のために十分な役割を果たしてこなかったと語っている原子力安全委員会という組織の元メンバー。他の1人は4月1日から実施される新しい食品の放射線規制値がパブリックコメントにかけられたとき、この新規制値に反対の意見を投稿するよう関係学会にメールを送ったとして国会やメディアで問題にされた人でした。
 流山市はこれまでも、国や県の取り組みを待つ、専門家のアドバイスに従う、という言葉を繰り返してきました。しかし放射能汚染問題に関しては、国や国の施策を推進してきた御用学者が当てにならないことは、すでに明白になっています。市当局は、既存の制度や仕組み、新しく作られた特措法などを最大限に活用するとともに、市民の安全と安心のためには、自分たちで勉強し、自分たちで考え、自分たちで対策を確立し、その財政的な裏付けを国や県や電力会社に対して強力に要求していくという立場に立たなければなりません。事実、この一年間、国の方針を多少とも改めさせるうえで力となってきたのは、全国の市民や自治体議員の発言と行動でした。この力の輪の中に自治体当局が加われば、もっともっと大きな仕事が、可能になるはずです。流山市の当局に対しても、このことを強く求めたいと思います。

 最後に、以上に指摘した問題のベースになっていると思われる、流山市のまちづくりのコンセプトについて述べたいと思います。
 流山はこれまで、マーケティング、シティーセールスに熱心に取り組んできました。DEWKSを呼び込もうという内容で、「母になるなら流山、父になるなら流山」「学ぶ子に応える流山」などのキャッチコピーにそれが象徴されています。
 しかし、原発事故と放射能汚染問題が生じた以上、この戦略は根本的な見直しが迫られていると思います。
 この一年間の市の言動を見ていますと、旧来のマーケティング・シティーセールスの手法に、放射能対策をプラスする、外在的に付け足すという対応に終始しているように見えます。そうではなく、今求められているのは、放射能汚染のシビアな現実を真正面から見据えた上で、それを前提にして、それを内部に組み込んで、それを内在化させたものとして、まちづくりの戦略やイメージを練り直す勇気だと思います。流山のような地域では、むしろ「放射能汚染に対し毅然と立ち向かう街」「放射能汚染から子どもと女性をとことん守り切る街」をつくるという姿勢が、この街に対する信頼を取り戻すためには、不可欠だと信じます。


2012年3月14日(木)記
政策研究集会「平和分科会」の報告(文責:阿部  2011年11月開催)
■原発事故が突きつけた様々な課題

 平和分科会では、3・11の震災直後に起き福島原発の事故が突きつけた課題を、四つの側面から報告し、討議しました。

 第1のテーマは、「脱原発と再生可能エネルギー」です。
 報告者から、太陽光は開発リードタイムが短く地域偏在が少ない、風力は導入ポテンシャルが大きく事業採算性の高い地点が多い、水力は東電・東北電管内でポテンシャルが高く小水力発電だと自治体でも設置可能、地熱は設備利用率が高くベース電源を担えるなど、それぞれの特質とその可能性が、また火力においてもガスコンバインドとコジェネレーション方式など新しい発電方法が登場していることが述べられました。
 討論では、火力は曇天だと効率が落ちる、風力発電は低周波を発生させる、水力発電におけるダム建設による自然破壊など、自然エネルギーが抱える課題についても議論がなされました。しかしこれらの問題は、第1に今後多くの産業・企業がこの分野への参入を開始するなかで急速な技術的発展が予想されること。そして第2に、福島原発の事故が我々に示した放射能被害の人と自然に与える影響の甚大さ、原発がもたらす社会、経済、政治の全面にわたる深刻な腐食作用を見れば、脱原発は絶対に避けられない要請であり、そこを出発点にて運動を発展させていくことが重要、との問題提起がなされました。
 討論の集約としては、脱原発を押し出すことの重要性とともに、@今直ちに原発が無くなっても現状の電源で必要な電力をまかなうことは可能 A電力を過剰に消費している社会と経済の体質を改める必要 B自然エネルギーの利用が進んでいる欧州の例から学ぶ必要、などが確認されました。

 第2のテーマは、東葛ホットスポットの市民(母親)たちの活動の意義についてでした。
 報告者から、放射能汚染に対していち早く反応して次々とグループ結成、行政への働きかけなどの行動に立ち上がっていった母親たちの取り組みが紹介されました。またこうした行動を受けて、東葛6市が当初の「年間20ミリシーベルトでも大丈夫」から次第に「1ミリシーベルトをめざす」へと方針転換し、今は各市とも学校・幼稚園・保育園・通学路などの測定と除染に取り組み始めている現状が報告されました。さらに今後の課題として、これまでの自治体の取り組みを充実させるとともに、給食など内部被曝の対策、測定機器を始め対策予算の確保などの課題を、母親たちとの連携を強めながら進めていく必要があることが述べられました。
 討論では、除染の重要性とともに、2〜3ヶ月すると元に戻ってしまう事実などその限界を指摘する意見も出されました。また自治体によっては単なるアリバイ証明のような測定・除染にとどまっている現状も指摘されました。またホットスポット以外の地域でも、早場米の汚染の発覚による農家へのダメージ、観光業への深刻な影響などが生じていることが報告され、さらに今は「原発がないと電力が…」と言っている人たちもこうした実情を知れば、理解してくれるのではないかとの意見も述べられました。
 討論の集約としては、除染の限界が示しているように、やはり「元を絶たなければダメ」という観点の大切さを確認する必要があること。同時に、放射能汚染への不安から多くのお母さんたちが立ち上がっている事実は極めて重要であり、近年に無いこの草の根の盛り上がりと結びつきながら、国の政策をひっくり返していく取り組みをどうつくり出すかが課題であることが確認されました。

 第3のテーマは、原発の存在と切っても切れない様々な差別の問題です。
 報告では、第1に原発が燃料に用いるウランの採掘と精錬は、その75%がオーストラリアをはじめとする先住民族の居住地周辺で行われ、多くの人々が被曝し、命と健康を脅かされてきたこと。第2に、原発やその関連施設の多くが、厳しい営農環境下にあったり、また雇用を吸収する産業も少ない過疎地に立地しており、その背景には原発建設コストの低減、反対運動の抑止、事故が発生したときの賠償の最小限化などの思惑から原子力委員会が作成した、原発立地の「めやす」があること。第3に原発が建設されて約半世紀の間に、日本の原発で被曝した労働者は50万人に上ると言われるが、その多くが過疎地の農民、炭鉱などの斜陽産業の離職者、そして二重構造社会のなかで底辺労働を担ってきた貧困層や不安定労働者であったことが述べられました。
 討論では、北海道の中頓別の出身の党員から、六ヶ所村の再処理工場の廃棄物の行き先として幌延が浮上している、幌延の近くの中頓別もかつて核廃棄物処理場として候補に挙がった、中頓別は人口が3千人ほど、酪農以外の産業はなく、国が原発関連施設立地のめやすとしている典型的な過疎地であることが語られました。また、京都大学の小出裕章さんは、自分が原発に反対してきたのは原発が危険だからというだけではなく、原発が差別の上に成り立っていることが許せなかったからだと言っているが、こういう問題把握は脱原発の運動を支える強力なバックボーンとなる、との意見も述べられました。
 討論の集約としては、都会が過疎地を、先進国の市民が途上諸国のマイノリテイーを、大企業の正社員が放射能まみれの現場で働く労働者の境遇を知り、政府や資本による分断を乗り越えて行くことによって、脱原発の世論は広がり、本当の意味での国民運動に発展し、芯の強い運動に高まることが出来るのではないか、という認識が共有されました。

 第4のテーマは、脱原発に向けた様々な運動ということで、安房地区の反核平和リレーの取り組みが紹介されました。
 福島の特別支援学級が「鴨川青年の家」に避難をしてきて、館山の特別支援学校の職員が応援に入ったが、本来の仕事と二重の勤務になって厳しい状況だ。農業では千葉産の売れ行きが落ち、農業法人に就職が内定していた青年が内定取り消しに合った。観光業でも、宿泊料を引き下げてもお客が来ない状況で、ホテルや旅館で従業員が解雇され、残った従業員も大幅な賃金カット。広告業も、物流が滞っている関係で厳しい経営が続いている。このように多くの人々が生活の困難に直面している一方、我々の運動に期待を寄せる人々もいる。核と人類は共存できないことが、今回の原発震災を通して誰の目にも分かる形で明らかになりつつある。国や電力会社の巻き返しを許すか、脱原発を現実のものにするか、我々の取り組み次第と言える等々のことが述べられました。
 続く討論では次の様な意見が述べられました。原子力共同体はまだまだ強力である、その力の源泉は単なる企業と政治家との癒着というにとどまらず、巨大な官僚装置を取り込み味方に付けているところにある。これをどう突き崩していくかが課題だ。脱原発の運動は、最終的には立地自治体の住民がどちらを向くかで決まる。立地自治体に暮らす人々とどう結びついていくかも重要な課題だ等々。

 討論の集約としては、巨大な利権構造が相手の闘いなので簡単ではない、しかしこの大規模な放射能汚染を前に民衆の側も簡単に引き下がるはずがない、我々の命と生存が脅かされている問題である以上、妥協は出来ない。学習し、幅広い仲間とつながり、原発に一貫して反対してきた運動の存在、この運動の必要性を訴えながら、1千万人署名をはじめとする様々な活動に果敢に取り組んでいく必要があることが確認されました。

12年3月12日(日) 記
■被曝地フクシマで「変えよう日本」の訴え
 「原発いらない! 3・11福島県民大集会」の報告


 3月11日は、全国各地で反原発、脱原発の集会やデモが繰り広げられました。私は、郡山市で開かれた「原発いらない! 福島県民大集会」に、地域の仲間46名とともに、バスをチャーターして参加しました。
 3月とは言えまだ寒い会場の開成山球場に私たちが到着したときは、すでに歌手の加藤登紀子さんのライブが始まっていました。加藤さんが情熱のこもった数曲を熱唱した後、実行委員会の挨拶に移り「3・11の苦しい状況を共有しながら、今後への思いと決意を新たにしていく、福島と日本の新しい変革のスタートとなるよう願う」と、集会宣言が発せられました。
 続いて福島大学の清水修二副学長が登壇し、この一年間、福島県民が被ってきた様々な苦難について述べた後、「福島県民の痛恨の思いを込めた叫びを、全国の心ある人々のもとに届けることが義務であり責任である」と挨拶を行いました。
 集会にはノーベル賞作家の大江健三郎さんも参加し、政府や企業は政治的・経済的責任を云々するが、それよりも人間が生きていく上での倫理的責任がはるかに重要であると厳しく批判し、人間の営みと相容れない原発は廃絶されるべきだと強く訴えました。また大江さんは、ジョンレノンのイマジンに寄せながら、私はひとつ想像することがある、近いある日のある朝、この国のすべての小・中・高のグラウンドに生徒が集まる、先生があるいは生徒代表が「この国は、昨日、原発を全廃することを決めました」と宣言し、生徒たちの大きな歓声があがり、その歓声が全国の隅々にまで響き渡る日のことを、そうした日を実現するためにともにがんばろう、と訴えました。
        ◆ ◆ ◆
 さらに集会では、様々な立場の市民から,次のような発言がありました。その一部をご紹介します。
 子どもと一緒に引っ越しを余儀なくされた市民は「米沢に転校したが、事故がなければ離れることはなかった、子どもを守りたかったが、副島を好きだと言うことは変わらない」と語りました。
 有機農業を行ってきた農民は「自然の循環と生態系を守る、健康な作物と家畜をはぐくんできた、子どもたちの命の再生のために有機農業者の打撃は深刻、第一次産業を守ることが、原発のない社会を作るために大事なことだ」「私たちは『頑張ろう日本』ではなく、『変えよう日本』の声を上げなければならない」と訴えました。
 また漁業者からは「一日も早い漁業の復活を望んでいる、元通りになるためには時間がかかるが、あのおいしかった副島の魚を全国に送り届けたい」と。さらに高原野菜を作っていた農業者からは、「原発事故ですべてを失ってしまった、一体誰の責任ですか。悲惨な原発事故を二度と起こしてはならない、この実態を風化させてはならない」との訴えがありました。
 そして17歳の女子高校生からは、「原発がなければ、被害に遭った人を助けに行けた。原発のせいで、それさえも出来ない。人の命も守れないのに、電力のため、経済ためとか言っている場合ではないはずだ」との、原子力村に対する厳しい批判が行われました。
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 集会の途中で、集会参加者の数がおよそ1万6千人に達していることが明らかになりました。確かに会場の開成山球場は、一塁スタンドも、三塁スタンドも上から下までびっしりと埋まり、座りきれなかった人たちはバックスクリーン側の芝生の中にも入り込む状態でした。
 集会の後デモに移りましたが、年配者たちは年配者なりの落ち着いた、風格のあるコールを行いながら行進。そして若者たちは若者らしく、テンポの良い鳴り物の音に合わせて、身体を揺らしながら、元気の良いシュプレヒコールを繰り返しながらデモを行いました。私たちの隊列は、途中で冷たい雨が降り始める中、「きれいな大地を返せ」「きれいな空気を返せ」「子どもたちを守ろう」「被曝労働を今すぐ無くせ」「原発はいらない」「原発はなくても電気は足りてる」等々のコールを行いながら、最後の郡山市庁舎前まで行進を行いました。
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 集会の最中、あるいはデモ行進の途中で、放射線量の測定器で線量を計りましたが、球場を取り巻く植栽の付近は、地上1メートルで1・6〜1・8マイクロシーベルト毎時という高い値が計測されました。また郡山に向かう途中の鏡石インターチェンジでも、歩道と車道の間の砂に線量計を近づけると、1・5マイクロシーベルト毎時を示しました。私の住むホットスポット流山でも、こうした線量を示す地点は珍しくありませんが、やはり福島県内に近づくほど、線量が高くなることを実感しました。
 避難が必要な人には避難の権利を、そして住み続ける道を選択した人々のためには徹底的な除染を、農業や漁業に対する万全の補償を要求しつつ、何よりもこうした悲惨な出来事を繰り返さないためには「脱原発」が求められていることを、あらためて痛感させられた一日となりました


012年2月12日(日) 記
■ホットスポットから東電・政府を撃つ
 東京電力東葛支社に市民が怒りの抗議デモ

 2月11日、東葛地域(千葉県北西部)の市民が集まって、東電と政府に対する抗議の集会とデモを行いました。抗議行動は、昨年の10月11日にも行われましたが、これが第2弾目です。当日は、東京の代々木公園でも大規模な集会とデモが行われ、東葛の市民も二手に分かれての行動となりました。
 集会は午後1時半から、東電東葛支社近くの柏市名戸ヶ谷第2公園で開催され、東葛各地から参加した市民が、脱原発、そして日々の生活の中で切実な問題となっている放射能汚染との闘いについての各地の取り組みを、代わる代わるマイクを握って訴えました。
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 福島原発の爆発事故を受けて、黙っていることは原発を認めてしまうことと同じと自覚し、何か行動をしなければならないと思い立ち、映画『カリーナのリンゴ〜チェルノブイリの森』の上映に取り組んでいるという若い女性。
 東海第2原発の廃炉を求めて、12万人の署名を達成した市民グループからの報告。
 自宅の庭に、昨年までたくさんやってきた鳥や虫がこなくなった。東電は電気料金を値上げしようとしているが泥棒に追い銭、再び原発推進に使われる。東電がマスコミや政治家にばらまいているカネ、高額な役員報酬にこそメスを入れるべきと訴える男性。
 原発事故は原発犯罪との認識に立たなければならない。国も自治体も除染除染と言っているが、汚染物質をある場所から別の場所に移動させているに過ぎない。国も自治体も原発犯罪の幕引きを測ろうとしている。これを許さず地域から反撃を組織していきたいという柏市議の発言。
 松戸の市民は、日本のマスメディアの犯罪的役割は目に余る、メディアへの批判と働きかけをやっていかなければならない。チェルノブイリの例を見ても子どもの健康リスクは無視できない、これから十数年後を視野に入れて、しっかりとチェックの体制をつくらせていかなければならない、と訴えました。
 柏の市民からは、焼却施設の建屋内の空気が流れてくるエリアのお宅で体調を崩す人が出てきている。自宅から出た汚染土は自宅庭に置いたままの状態を強いられている。東葛ホットスポットではマスクの着用は避けられない。内部被曝は食物経由もあるが呼吸から入る放射性物質も軽視できない、との訴えが行われました。
         ◆  ◆  ◆ 
 私からは、流山市の状況について、以下の様な報告を行いました。
 流山市では、測定も除染も遅々として進まず、汚染土や焼却灰の処理の目途もまったく立っていない。市の取り組みは、市民や議員の厳しい批判や追求に対し、それを6割くらいに薄めた内容を、数ヶ月遅れでのろのろ追随実施している現状。
 とりわけ市長が、問題の深刻さと重要性をまったく理解していない。市長は事故から9ヶ月も経った昨年12月に、トンデモ発言を行って、多くの市民のひんしゅくを買った。事故直後に国が主張し、しかし今では国でさえ大っぴらには言えなくなった、「年間20ミリ、毎時3.8マイクロでも大丈夫、年間100ミリ以下では健康障害は生じない」とのでたらめな主張を未だに声高に主張している原発擁護派の人物の見解を賞賛・賛美したのである。怒った市民の中には、この市長の発言をきっかけに、流山から引っ越してしまった人たちもいる。
 「さようなら原発1000万人署名」については、東葛の市民は、1950年代の杉並区民の役割を引き受けていく意気込みで取り組んでいる。第五福竜丸事件が起きたとき、静岡や焼津の市民は地域社会の圧迫感の中でなかなか声を上げられなかった、いま福島の市民も同じ状況の中に置かれている、東葛市民は、僭越な意味ではなく、福島の人々の悔しさも引き受けつつ声を上げ、1000万署名を成功させる起爆剤になろうと決意している。
 反原発の闘いは、色々なやり方がある、流山では9月議会において「反社会的企業である東電を市の入札に参加させるのはおかしい」と提起し、今年の1月1日から、原発の電気よりクリーンなPPSの電気を買うことになった。年間で1900万円の経費節減になったが、子どもと女性の健康調査・健康診断に用いるべきだと要求している。創意工夫を発揮し、力を合わせながら幅広く、奥深い活動を、この東葛地域でつくりだしていこう。
         ◆  ◆  ◆ 
 参加者からのこうした発言の後、東電東葛支社を取り巻く形で、市街地のデモ行進に移りました。「きれいな大地」「きれいな海」「きれいな空気を返せ」「子どもを守れ」「すべての原発を止めろ」「再稼働を許すな」「農業、漁業の被害者への責任をとれ」等々のコールを元気よく行いながら、そして東電東葛支社の前では一段と高らかなシュプレヒコールを発しながら、デモを敢行しました。
 約30分ほどのデモを終え、出発地の公園で再び総括集会を行い、長期戦になる放射能汚染との闘いを視野に入れつつ、何度でも東葛支社を取り巻くデモに取り組むことを確認して、この日の行動を終えました。


2012年2月10日(金) 記
■「流山市除染計画実施(案)」についての意見
 流山市が、「除染実施計画(案)」を公表し、2月1日(水)〜2月14日(火)の2週間にわたってパブリックコメントの募集を行っています。
 この「除染実施計画(案)」を受けて、2月8日に市議会の「放射能問題及び災害対策特別委員会」も開催されました。特別委員会における阿部の発言をもとに、この「除染実施計画(案)」の問題点についての私自身の意見を、数点述べさせて頂きます。
 市民の皆さんも是非、それぞれのご意見を、パブリックコメントとして提出して頂ければと思います。

@公園などの土壌汚染について、表土の「上下層の入れ替え」「天地返し」が計画されているが、その効果に疑問はないのか。これまでの公害などで多く見られた化学物質等による土壌汚染においても、天地返し、土壌の上下層の入れ替えの方法がとられたが、失敗している。例えば六価クロムによる土壌汚染に際しては、この方法は役に立たなかった。セシウムは粘土質に吸着するから天地返しで大丈夫、土壌一体化や流出は起きないという見方は、本当に実証済みのものか。
 仮にセシウムは粘土質の土壌に固着するとしても、ではストロンチウムやプルトニウムはどうなのか。ストロンチウムやプルトニウムも東葛の地域一帯に降り注いでいるのであり、単なる天地返しでは除染効果は限られるはずだ。放射能汚染も、他の化学物質と同様に、地質汚染・地盤汚染・地下環境汚染の全体を視野に入れて考えていく必要がある。

A子どもが多く利用する施設や公共施設の「屋上」は除染対象となっているが、民有地の屋根が除染対象から外されているのはなぜか。公共施設などで「屋上」を除染対象にしているのは、それを行わず、側溝や地面などを除染しただけでは、何ヶ月かすると放射線量が元に戻ってしまうという教訓を踏まえたものであるはず。だとすれば、民有地における工場や倉庫など大きな屋根を持った構造物、そして民家についても、その屋根を除染することが必要ではないか。

B道路の除染については、市が行うのは通学路の側溝みとなっている。一般の道路の除染がなぜ外されているのか。 一般の道路、特にその側溝部分や吹きだまりなどは極めて線量が高いし、通学路以上に子どもたちがよく利用しているとも言える。一挙には無理にしても、通学路以外の一般の道路の除染も、計画の中に位置づけるべきではないか。

C汚染物質の仮置き場についての見通しが書かれていない。仮置き場をどこにするかは別にしても、それを確保する必要を、課題としてきちんと提起しておかなければならない。
 中間貯蔵施設の問題も深刻であるが、これは県の管轄であり、市の除染計画の中に直接書き込む問題ではないにしても、市としてもその重要性を認識しておく必要がある。

D除染計画の実施に必要な機器や資材について、東京電力に貸し出しを積極的に要請すべきである。「放射能環境汚染に関する特別措置法」では、電力事業者は自治体に対して機器や資材の貸し出しを行うべしとの規定がある。自治体や国の税金の不必要な持ち出しを少しでも少なくするために、東電に対して機器や資材の貸し出しを強く求め、除染計画の実施の一助とすべきである。

E除染目標に関する国のガイドラインは、高さ1メートル(幼児・低学年児童等の生活空間を配慮し、小学校以下では高さ50センチメートル)で毎時0.23マイクロ未満となっているが、流山市独自の取組みとして、子どもが多く利用する施設では高さ5センチメートルで毎時0.23マイクロシーベルト未満となるよう対応を図る、としている点は一応評価できる。そもそも国の基準は甘すぎるのであり、これを少しでも上回る目標を定めることは良いことだ。
 しかしこの市独自の取り組みは「子どもが多く利用する施設」だけに限定せず、さらに全市域へと拡大するべきではないか。そうすると国の財政支援の枠をはみ出してしまう、市の持ち出しになってしまう、との批判に対しては、市は毅然として市民の健康を守るために必要なことだ、と答えるべきである。

Fこの除染計画の立案は、本来なら市の執行部、議会、市民などの共同の作業として取り組むべきであったし、市はその呼びかけを行い、議論と共同作業を組織していくべきであった。計画案 ができあがった後でのパブリックコメント、タウンミーティングで、市民参加を保障したというのは、市民参加の矮小な理解としか言いようがない。


2012年1月11日(水) 記
■「脱原発」の戸別署名活動 1時間で60筆
 
1月9日に、「さようなら原発1000万人署名」活動の一環として、流山市の北部地域の住宅街で、戸別署名活動を行いました。
 1時間と少しの活動でしたが、60筆の署名を頂けました。事前にチラシと署名用紙をポスティングしていたこともあり、すでに署名をして待っていてくれた人も何名かいらっしゃいました。
 署名活動の後、この日は回りきれなかったエリアのお宅から、「署名したから用紙を取りに来て」「郵送で送ります」等々の電話も頂きました。
 駅頭や街頭での署名活動に加え、今後も引き続き、住宅街を一軒一軒訪ねての、署名活動も行っていきます。
 次回は、14日(土)に、鰭ヶ崎団地内にて署名活動を行います。午後2時に宮園のマルエツ前集合、その後戸別署名に回ります。飛び入り参加大歓迎です。脱原発を実現するため、頑張りましょう。

2012年1月10日(火) 記
■成人式に思う
 
流山市の成人式は、1月8日(日)に行われました。「九条の会・流山」の会員とともに、毎年恒例となっている、新成人の若者たちに対するチラシ配布を行いました。
 最近の成人式では、排気量の大きな車に乗ってくる若者が減り、自転車でやってくる者も目立つようになりました。若者のクルマ離れ、エコのための自転車利用と見ることも出来ますが、背景に若者たちのフトコロ事情が厳しくなっていることもあるようです。知り合いの若者たちの中には、「クルマなんて夢の夢」「持ちたいとも思わない」と言う者もいます。
 今年の成人式に参加した若者たちは、日本の経済が高調子の姿を見たことがない、「失われた20年」の間に育った者たちです。こうした若者の間から、「成長至上主義」とは異なった世界観が育ち、「ともに生きる」「分かち合い」の社会を求めるうねりが立ち上がってくることを、期待したいと思います。
●「九条の会・流山」が成人式に配布したチラシ