■2010年12月16日(木)
 大沢真理さんの講演を聴く
  日本の再分配政策は女性と子どもの貧困を助長している

 久しぶりに、日誌を記します。この半月ほど、労働組合や市民団体の集まりへの出席、様々なチラシの作成、ほぼ連日のポスティングなどに明け暮れ、日誌を書く余裕がなく、ご無沙汰をしてしまいました。

 12月15日に、ジェンダー分析で著名な大沢真理さん(東京大学社会科学研究所 教授)のお話を聞きに行きました。テーマは、「逆機能する生活保障システム いかに機能を回復するか」。以下、印象に残った部分のみを、強引に簡略化してご紹介します。

 先ずは、私たちの国ニッポンが、いかに生きにくい国であるかを、いくつかの指標で提示。
 ・自殺死亡率は、統計がとれる諸国で最高レベル。
 ・出生率は、文字通り世界最低レベル。貧困率は、主要先進国で最高レベル。
 ・自殺者の大多数は男性だが、国際比較すると日本の自殺率の高さは、女性においてこそ深刻。
 ・国際比較すると、日本の貧困層の顕著な特徴は、有業者が二人以上の世帯が占める割合が高い(家族二人以上が働いていても、貧困から抜け出せない)。

 大沢さんは、こうした事実は、ジェンダー(性別分業や性別役割期待)と強く関連していること、そしてまた日本の雇用労働条件、労働をめぐる社会政策と深く関連している、と強調しました。

 また、日本では最近の景気拡張期、つまり企業収益が大いに伸びたこの時期にも、貧困率が上昇。実質賃金を見ると1997年以降マイナスを記録しているのは主要国では日本だけ。しかも低所得層ほど家計所得の低下が著しい事実があること。では、企業の生産性が低いから賃金が上がらないのかというと、決してそうではなく、生産性は上昇していること。この賃金低下の秘密のひとつは、日本ではパート労働者の比率が高いためであることなどが指摘されました。

 そして、日本では正規雇用労働者が保護されすぎているために、そのしわ寄せとして非正規の劣悪な雇用・労働条件が生み出されていると言われるが、それは事実ではなく、正規と非正規がともに保護されていないこと。特に日本では低賃金の水準が低く、それが全体の足を引っ張っている現実があることが明らかにされました。

 こうした指摘を通して浮き彫りになったのは、講演のタイトルにもある、日本における再分配政策の「逆機能」の問題でした。これは大沢さん(や国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩さん)などが指摘し、社会に衝撃を与えた事実なのですが、この講演でもあらためて、この問題が取り上げられました。

 再分配政策の逆機能というのは、簡単に言えば、普通ならば(例えばOECD諸国の例を見るならば)、国家の再分配政策は富裕者・企業から低所得者へと所得の移転を行って社会の公平性を保つためのものと見られていますが、日本では逆に再分配政策の結果低所得者、特に女性と子どもの貧困化が助長されているという問題です。にわかには信じがたい人もいるかもしれませんが、しかしこれは事実なのです。それほどに、日本の国家・政府の財政や社会保障の政策は、富者に有利で弱者に不利に仕組まれているということ、庶民から収奪した富が富裕者や企業に吸い上げられてしまっているということです。大沢さんは、この事実を、「国家による女性からの収奪」とも言います。また、子どもの貧困が教育機会の不平等、学力の格差をもたらしていることに、警鐘を鳴らしています。

 大沢さんによると、日本の再分配政策は、以下のような特徴を持っています。
 ・日本の税・社会保障負担(政府にとっての歳入)のGDP比は、国際的に見て軽い。税が特に軽く、社会保障負担はドイツやスウェーデンに次いで重い。
 ・租税負担率のピークは1989年で、2003年まで一貫して低下(OECD諸国では例外)。個人所得税収が特に低下。
 ・90年代前半は自然減収であったが、98年以降は「構造改革」路線の一環として、企業と高所得者・資産家の負担が軽減され、累進性が低下させられた。
 ・社会保険料負担は、労使折半で、その労働者負担は主要国で最も重くなってきた。
 ・そもそも社会保険料負担には「逆進性」がある。特に定額の部分がある国民年金の第1号と国民健康保険の負担が、低所得者には重くなっている。

 では、こうした「金持ち・企業への減税」(労働者・低所得者の負担増)がどういう理屈で合理化されてきたのか。経済が上げ潮になれば、その恩恵が低所得層にも滴り落ちるという、「トリックル・ダウン」論です。

 では、この理屈や政策の結果はどうだったのか。経済成長の停滞、失業の拡大、賃金の低下。最近の(2002年から07年までの)経済成長の過程を見ても、雇用者報酬は伸びず、低所得層ほど逆に所得が低下。財源調達力も低下し、財政が逼迫。再分配機能も低下し、格差・貧困が深刻化。景気の自動安定機能が低下し、もろい経済が生み出され、リーマンショックでも日本が最も大きなダメージを受ける。

 最後に、大沢さんが描く、これからの日本の生活保障システムの課題を、ご紹介しておきます。
 ・改革の焦点は、最低賃金のアップ、正規と非正規などの均等待遇、労働年齢人口への現金給付(子ども手当、住宅給付、失業給付の拡充など)、多様な社会サービス、最低保障年金、税制に財源調達機能と再分配機能を取り戻させる。
 ・OECD事務総長の09年のコメントにもあるように、日本の成長戦略にとっては、女性の就業率アップが鍵。障害として、ワークライフバランスを実現することの困難、非正規化の進行、年功賃金制、税・社会保障制度が女性の就業を阻害する面を持っていることなどがあるが、これらを改革し、打ち破っていくこと。

 大沢さんは、たくさんの統計資料を用いてお話しをしてくれました。これらの資料を見れば見るほど、現在の日本のいびつな姿が浮き彫りになってくると同時に、現代日本の課題も、透けて見えてくるような気がします。大沢さんの議論をさらに詳しく知りたい方は、『今こそ考えたい 生活保障の仕組み』(岩波ブックレット)、『現代日本の生活保障システム 座標と行方』(岩波書店)をお読み下さい。

 最後に、大沢さんの議論への不満をひとつだけ述べます。

 大沢さんは、再分配政策のあり方について積極的な提言をされています。もとより、再分配(二次分配)政策が重要であることは言うまでもありません。しかしそれ以上に我々が関心を注がなければならないのは、一次分配の問題です。労働者と企業との間の第一次分配の部面で、労働分配率こそが引き上げられなければならないのです。

 第一次分配の部面で、働く者がその地位にふさわしい処遇を受けてこそ、第二次分配の分野の様々な矛盾や困難も解決の糸口が開けます。逆に言えば、第一次分配の引き上げをあきらめて、第二次分配にもっぱら関心を向けている限り、第二次分配の仕組み自体に大きな負荷がかかり、問題がこじれ、解決不可能な迷路に迷い込んでしまわざるを得ないのです。

 大沢さんたち学者・研究者も、市民運動家も、マスメディアも、一般市民も、働く者たちのこの部面での闘いを励ますことにもっと関心を払う必要があります。そして、他の誰よりも、労働者と労働組合自身が、自らの社会的な役割を自覚し、それにふさわしい活動を創り出していくべきなのです。もちろん、均等待遇、ジェンダー視点を重視することが、労働運動が生まれ変わるための前提のひとつであることは論を待ちません。


■2010年11月22日(月)
 共同社会研究会で柄谷行人、井村喜代子両氏の本を検討
  研究会の研究テーマと出版第2弾の計画も討議


 
11月19日に、私も参加している共同社会研究会で、柄谷行人氏の『世界史の構造』(岩波書店)、井村喜代子氏の『世界的金融危機の構図』(勁草書房)の検討会を行いました。

 柄谷氏の書については、大まかに言って、以下のような厳しい評価となりました(実際には、彼の理論に沿って、もっと突っ込んだ、詳細な評価を行ったのですが、ここでは紹介し切れません)。
 人間社会を交換と流通の側面に偏して見ており、生産の側面を軽視している。柄谷氏は、自覚的にそうしているのだが、その根拠には説得力がない。その結果、歴史の進展の内在的要因や必然性が見えなくなって、恣意的な解釈がまかり通っている。歴史や人間社会の実証研究の成果を無視した、「超越的」方法の欠陥が随所に現れている。それぞれの歴史的社会のタイプ化も、恣意的。それぞれのキー概念がきちんと規定されていない。文化人類学などの研究成果が、つまみ食い的に間違って利用されている。旧来型の歴史理論や社会変革の理論の破綻を前にして、それへの見切りを行っていることはわかるが、成功していない。変革の主体の析出も、消費者≠ニいう有様。めざすべき目標が、国連を手がかりにした世界共和国、というのではどうしようもないだろう。

 井村氏の書については、おおよそ以下のような評価となりました。
 過剰生産を基礎に、過剰貨幣資本の登場、ドル体制に基づく信用の膨張、マネー資本主義、カジノ経済の出現の必然性、その矛盾と危機の深さなどを、まっとうな理論と論理を積み上げつつ論じている。しかし、過剰生産恐慌、ドル体制の矛盾、危機の深化という側面と平行して、グローバル資本主義はアジアや中南米やアフリカなどの経済発展を呼び覚まし、そこに新しい経済展開、世界的な社会変革の条件と主体の形成を進めてきてもいる。この側面にもっと目を向ける必要があるだろう。

 両氏の本の検討の後、自分たち自身の研究計画のテーマを討議しました。共同社会研究会は、今年の2月に『アソシエーション革命宣言 ――共同社会の理論と展望』(社会評論社)を世に問いました。この書に対して、学者・研究者を中心に様々な論評・評価が寄せられています。これらの論評に応えるためにも、またこの書の内容が必然的に要求する次のテーマは何かという文脈でも、そろそろ新たな課題に取り組むことが求められています。色々な意見が交わされましたが、いわゆる「国家論」、その発生から現代的展開に至るまでの国家についての理論を掘り下げ、解明する必要があるのでは、という話しも出ています。これは、現代における社会変革の条件、その主体、その戦略を明らかにしていく上でも、欠かせない作業です。もしこのテーマで行こうということになれば、アソシエーション論の立場に立つ共同社会研究会が、いかなる国家論を世に問うか、乞うご期待。


■2010年11月19日(金)
 シンポジウム「政権交替と政策転換」に参加して
  ポリシー(政策)無きポリティックス(政治)の行き着く先は


 11月17日に、「社会保障と雇用をどう立て直すのか?−政権交代と政策転換」というシンポに参加しました。「北海道大学大学院法学研究科付属高等法政教育研究センター」といういささか長い名の機関が主催するシンポで、北大の宮本太郎氏が司会、同じく北大の山口二郎氏がコメンテーター、慶応大学の権丈善一氏と労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎氏が基調提起を行いました。

 中身は、結論的に言うと、民主党政権への失望と恨みの声に満ちた、あるいは民主党政権誕生をサポートした愚行の弁解に終始したシンポでした。

 また、「ポリシー(政策)無きポリティックス(政治)」という言葉が、今回の政権交替を性格づける言葉として何度も語られました。それは、民主党のマニュフェストの安直さ、一見西欧社民主義を取り入れようとしているように見えて、実際には一貫性のない、相互に矛盾する、バラマキ的空約束。小沢一郎が得意とする数の論理と政権交替自己目的化。そして、官僚への挑戦、公開制を装いつつ、次第に政治ショーへと堕しつつある事業仕分けなどを指して、おそらく言われた言葉でした。もちろんこの言葉は、民主党の政治ばかりでなく、自民党も同様であり、その重要要素であるポピュリズムという点は今をときめくみんなの党にもっとも良く現れています。

 民主党政権に対する批判は、もっと激しい言葉としても語られました。報告者の権丈氏は、民主党政権樹立に奔走した山口氏に対し、財源問題の深刻さを有権者の目から隠したまま、民主党政権が出来れば生活第一の政策が可能になるという明かな嘘をついた∞研究者として初歩的な資質に欠ける∞恥ずべきこと%凵Xとこっぴどく批判しました。山口氏は、苦しそうな表情で、批判はごもっとも∞リフォーム詐欺の片棒担ぎといわれても仕方がない≠ニ認めつつ、しかし政治学者としては民主主義の成熟をいかに実現していくかという試行錯誤にこだわらざるを得ない≠ニ苦しい弁解もしていました。

 山口氏は、かつては政権交替可能な二大政党制の確立主張して、小選挙区制の導入の旗振りを行うという誤りを犯しましたが、今回もまた、決定的な、大きな失敗を犯してしまったということでしょう。もっとも、山口氏を厳しく論難する権丈氏なども、現代日本の最大の問題は財政問題、解決策は消費税増税しかない、ということを単純に、声高に叫んでいるだけの、空っぽ学者に過ぎないのですが。

 濱口桂一郎氏は、次のような趣旨のことを述べました。民主党政権がやろうとした政策の原型は、既に自公政権の末期に用意されていた。民主党政権の良いところは、それを実際に実行しようとしたところ。悪いところは、自公政権と同じく結局はその実行に失敗しつつあるところ。また濱口氏は、この構図を明治維新にアナロジーしつつ、維新政府が実行したことはものの分かった一部の幕府の人間の頭の中に既にあった、民主党政権の意義は維新政府と同じく旧政権の中で芽生えていた路線を実際に進めようとした点にある、とも述べました。

 このアナロジーには、残りの3人の学者ともうなずいている風情でしたが、明治維新に対する何という矮小な理解であることか。確かに、維新政府が実行したことはすでに幕府の中の開明的な人士によって着想されていました。しかし維新政府の本当の意義は、むしろ幕府関係者の誰もなしえなかったラジカルな改革、幕府体制を支えた既得権益層に対する断固たる処断、経済的収奪、政治的な力の決定的な剥奪を断行したという点にこそあるのです。

 民主党政権を明治維新政府に例えることが一時期はやりましたが、アンシャンレジームの中で芽生えていたものに日の目を見させようとした、という側面に重点を置く評価にとどまる人たちは、もともと志が低いのだというしかありません。民主党政権が、本当に「生活が第一」の政治を実現する決意や能力を持った政権である実を示したいのならば、その実現を阻む既得権益層、現代日本で言えば、巨大な官僚群、その背後にある財界、そして米国という壁に、本気でぶつかっていくべきですし、そうしなければ「生活第一」の政治など実現されようがないのです。

 このシンポに参加して、民主党政権は、彼らのシンパ学者・研究者からも見放されつつあるなということが、よく分かりました。政・官・財・米の四頭だて既得権益勢力に本気でぶつかっていく勇気と能力と戦略、そして新しい社会ビジョンを持った政治勢力が力強く台頭していかなければ、この日本は本当に腐り、壊れてしまうでしょう。


■2010年11月18日(木)
 自治会の文化祭が終わりました
  深まる秋の中、楽しく、にぎやかな一日を過ごす


 11月14日(日)、私が住む地域の自治会主催の文化祭が開催されました。会場となった、近くの東洋学園大学のキャンパスは、紅葉に染まった枯れ葉が地面を敷き詰めて、すっかり秋の気配でした。その中で開かれた文化祭は、模擬店、フリマ、子どもゲーム、写真や絵画や手作り工芸品の展示、歌、踊り等々で、楽しく盛り上がりました。

 特に、子どもたちがたくさん参加してくれることは、主催者側としてはもっとも嬉しいことなのです。元気よくゲームに興じ、模擬店で買った美味しい焼きそば、うどん、つきたてお餅、ポップコーンなどを喜んで食べてくれる子どもたちの姿を見ていると、こちらも楽しくなってきます。

 大人たちの、歌や踊りや様々な分野の作品展示も、本当に高水準なもので、いつも感心させられます。カラオケなどは、素人とは思えないレベルの人もたくさんいらっしゃいます。踊りも、様々な流派の人たちが、それぞれの達者な芸を披露してくれます。私などは、歌も踊りも、その他のアートの才もないので、本当にうらやましく思います。

 文化祭の開催にこぎ着くまでには、実は、自治会役員、婦人部、各サークルの皆さんによる大変な準備活動の苦労があります。文化祭自体は一日だけなのですが、その前段で、色々な計画を立てたり、車両や人や物品の手配をしたり、必要なものを買ったり、借りたり、様々な調整したり等々の仕事があるのです。また、終わった後には、後かたづけの作業もあります。

 そんな思いもあって、閉会の挨拶の中で、参加者の皆さんの歌や踊り、サークル展示のすばらしさへの賞賛の気持ち、準備活動に当たられた皆さんへの感謝の念が自然とわき上がり、そのことを率直に言葉にさせて頂きました。あらためて、もう一度、皆さん本当にありがとうございました。来年も、もっともっと楽しく、にぎやかな文化祭をみんなでつくりあげましょう。


■2010年11月16日(火)
 「全員参加型社会とパーソナル・サポート・サービス」テーマに学習会
  ――講師は反貧困ネット事務局長・内閣参与の湯浅誠さん

 
  この日誌は、出来事を何日か後に書くことが多いと思って下さい。当日のうちに書ければ良いのですが、夜家に帰るとぐったり、朝もたいてい5時起きです。というわけで、結局は何日か後の、時間の空いた時を見計らって書いているのです。

 11月12日(金)に、反貧困ネット事務局長・内閣参与の湯浅誠さんを講師に、参議院議員会館の講堂で学習会が催されました。湯浅さんの話の中で、特に印象に残った部分のみを、私なりに意訳しながら、以下にご紹介します。

 かつての日本社会では、国、企業、男性正社員という三つの傘が存在していた。ひとつめの傘である国が護送船団方式で企業を守り、二つめの傘である企業が男性正社員を守り、三つ目の傘である男性正社員が妻や子どもや高齢者など家族を守るという建前で、これまでの日本社会は成り立っていた。この社会では、この三つの傘の外にいる人々(母子家庭、非正規労働者等々)を守るものはなかった。そして、今ではこの三つの傘もすでに機能しなくなっている。日本社会は、もうあの時代に帰ることはできず、また帰ることが正しいことだとも言えない。

 めざすべきは、常用雇用のダブルインカム(共稼ぎ)社会だ。男性も、女性も、高齢者も、障がい者も、誰もが参加できる全員参加型の社会、家庭(ホーム・ライフ)、仕事(ワーク)、福祉(ウェルフェア)の三つが結びついた、ワーク・ライフ・ウェルフェア・バランスの社会こそ求められている。

 今の時代、貧困が見えなくなっている。社会の死角に入ってしまっている。それを可視化したのが、ワーキングプアの反乱、年越し派遣村であったのだが、やはり貧困はまだ闇の中におかれている。

 見えない貧困に、制度の側から、それぞれ光が放たれている。例えば、病院(医療ソーシャルワーカー)、年金(年金機構)、障がい(障がい者福祉)、ハローワーク(雇用保険)、社協(生活福祉資金貸付)、福祉事務所(生活保護)などの光が。しかしそれだけでは、どうしても補足できない人々が出てきている。

 この問題に対する対応策として、それぞれの光をもっと強くしようという考え方、福祉国家をめざそうという発想もある。しかしそれだけではやはり限界がある。いま求められているのは、制度の強化にとどまらず、制度が対象としている人の側に視点を置いて、人に伴走する福祉、パーソナル・サポート・サービスだ。前者をプレ福祉国家からの脱却路線とすれば、後者はポスト福祉国家路線と言っても良い。日本では、プレとポストの課題が同時に求められている。

 よく、「小さな政府ではダメだ」という意見を聞くが、私は「せめて小さな政府に」と訴えている。日本の現実は小さな政府にすら達しておらず、その意味で、あえてせめて「せめて小さな政府を」言っている。

 1960年代後半のいざなぎ景気の時は、景気の上昇とともに労働者の賃金も上向いた。しかし90年代の平成好況の中では、企業の行政は大いにあがったが、労働者の賃金は上昇しなかった。一番最近の景気上昇期は、企業の業績の回復にもかかわらず、労働者の所得は横ばいないし低下が続いている。こうした事情を背景に、いざなぎ景気を体験した世代と、平成景気などの中で現役生活を送っている若い世代との間で、お互いのことが理解し合えないコミュニケーション・ギャップが生じている。

 年配の世代は、自分たちの比較的恵まれた状況は、自分たちが必死で働いた賜物であると考える。そして若い者が、収入が少ない、仕事がないと嘆いているのは、彼らの甘え、本人のやる気の問題ではないか、と考える。若い世代は、年配者が職場に居座っているから自分たちの処遇が低く据え置かれている、仕事が奪われている、と考えてしまう。本当は、どちらも企業の利益第一主義の犠牲者なのだが、その社会の構造に目が向かないで、お互いに、年配者の重し、若い者の怠惰をあげつらうようにし向けられている。

 社会に格差が広がり、二極化が進めば進ほど、自己責任論が強まる。格差や貧困を生み出している構造は、二極化が進めば進むほど逆に見えなくなるからだ。二極化の構造の内部にいるものは、その構造全体が見えない。傘の中にいる者は、自分の生活の安定は自分の努力の結果だと考え、傘の外に追いやられた者は、自分がだらしがないからだと責めてしまう。社会の構造を見ることはしんどいし、自己責任だと考えれば思考停止で楽だ。しかしこの勘違いはただしていかなければならない。個人の責任も問題ではなく、社会の構造の問題なのだということを明らかにしていかなければならない。

 日本の貧困層は、就業率が極めて高い。貧困者・貧困家庭のうち80%を超える人々が、仕事をしているが、それでも貧しい暮らしを余儀なくされている。場合によっては二つ、三つの仕事を掛け持ちしているにもかかわらず、貧困から抜け出せない。まさしく働く貧困者、ワーキングプアそのものだ。貧困者は仕事をしないから、という誤解は、全くマトを射ていない。仕事に対する賃金や処遇こそが問題だ。

 以上の様な話し以外にも、もっともっと紹介したい言葉があるのですが、これくらいにしておきましょう。興味のわいた方は、湯浅さんの本を買って読んで下さい。最近『どんとこい 貧困!』という頼もしいタイトルの本も、出されたようです。

■2010年11月15日(月)
「官から民への実態は?!」院内集会が開催される
  官製ワーキングプアを発生させた政治家・官僚の罪は重い


 11月10日に、衆議院議員会館において、「官から民への実態は?!」をテーマとする院内集会が開かれ、私も参加しました。主催したのは、昨年まで私が所属していた埼玉公共サービスユニオンなど公共部門で働く民間労働者の組合です。

 集会では、「官から民へ」のかけ声の下進められた公共サービスの民間委託がいったい何をもたらしたか、その実状のすさまじさが報告されました。以下はその一端です。

 「中央省庁の警備の仕事に就く警備員は、勤務歴10年を超えるベテラン。日勤・夜勤の他、24時間拘束の当直を合わせて月20回以上こなしても、手取りは月20万円に届くかどうか」。「ボーナスはおろか、基本給もない。体調を崩して休んでも有給休暇はもらえず、出勤交通費は自腹。ベテランであろうと、入社1日目の新人と待遇は同じ」。「管理会社から警備会社に渡る金額を警備員一人あたりの時給に換算すると、わずかに700円。東京の最低賃金(791円)を下回る」。

 「業者の実入りが減れば、そのしわ寄せが現場で働く警備員の給料や待遇に来る仕組みになっている」。「業者は採算を考えずに、とにかく仕事をとって実績を積まないと、入札資格を得ることができない。入札に参加できなければ、倒産の危機が忍び寄ります」

 「落胆する瞬間は、省庁の官僚と話すときだ。官僚が『警備員さんはボーナスや給料を多くもらっているのでしょう』と軽く言うので、現状を話すと、一様にびっくりする」。役人は「自分たちが警備員のワーキングプアを作っている自覚が全然ない」

 もうひとつ、例を紹介しましょう。
 「大阪市の民間委託で地下鉄駅の清掃をしている男性(53)が『低賃金で生活できない』と同市に生活保護を申請し、受給を認められた」。「市の末端の仕事を担う人が、市から生活保護を受け」なければ生きていけないという現実が生まれている。「1日7時間、週6日間働いている」。「時給760円で、大阪府の最低賃金748円をわずかに上回るが、交通費などを引いた平均月収は約9万円という」

 自分たちがワーキングプアを作り出しているという自覚がないのは、政治家も同じです。この十数年の間、「官から民へ」が大流行となり、国も自治体も事業の民間委託を進めてきましたが、その音頭をとったのは自民や公明や民主などの政党でした。今はその急先鋒をみんなの党などが努めています。もっとも、彼らの場合は、自分たちの政策が大量の働く貧困層を生み出すことを十分に知っていながら、あえてそれを推す進めたという点で、罪は重いと言えます。ワーキングプア問題を生み出すことを十分に知りながらそうした政治を推進した、確信犯なのですから。

 この日の院内集会は、こうした現実を国会議員の面々に知らしめ、彼らを啓蒙するための集会でした。集会には多くの議員が参加し、「官から民への実態」のすさまじさに、皆驚きの声を上げていました。もちろん、中にはこの問題に早くから注目し、官製ワーキングプアを無くすための活動に熱心に取り組んできた政治家もいます。こうした政治家が、それぞれの政党の中で勇気を持って発言、行動をし、多くの議員を動かすとき、問題解決の扉が開かれるはずです。

 すでに、自治体のレベルでは、このサイトでも何度も紹介しているように、この問題への取り組みが開始されています。流山のお隣の野田市では、昨年「公契約条例」が制定され、野田市の発注工事、委託事業の現場で働く労働者の賃金を引き上げる試みに着手しました。多くの自治体がこの勇気ある取り組みに注目し、これに続こうとしています。私たち市民も、そして地域で働く人々も、この動きを見守り、応援していく必要があります。

■2010年11月7日(日)
 この一週間、いろいろありました


 にわかに政治問題の前面に躍り出た感のあるTPP(環太平洋パートナーシップ協定)、ロシアの大統領メドヴェージェフの国後島訪問、尖閣・釣魚島での漁船拿捕の際の録画のネットへの流出を始め、この一週間余りの間に様々なことがメディアをにぎわせています。それぞれに重要な問題であり、書きたいことはたくさんあるのですが、今日はやめておきます。

 かわりに、この数日間に身の回りで起きたことをつづります。

 何日か続けてチラシのポスティングを行っていたのですが、ほとんど毎日といって良いほど運動上のお知り合いと遭遇。お天気のよい日が続いたせいでしょうか、うまい具合に皆さん外に出ていらしたのでした。おかげで、色々と話しをすることが出来ました。

 8歳になるミウという名のネコが風邪を引き、苦しそうにしています。もともと呼吸器系の調子が良くないネコなので、今年の冬が心配です。今夏に長男ネコ(ケロという名)を亡くしましたが、享年20歳と4ヶ月でした。昨春に死んだ次男ネコ(チビという名)も、18歳という長寿でした。ミウも、もう一匹の末っ子ネコのフウ(3歳)も、頑張って長生きして欲しく思います。

 昨日(6日)は、地域でともに活動をしている小宮清子県議の後援会主催の柿狩りがありました。すがすがしい秋晴れの下、柿園にて美味しいバーベキューを堪能し、お酒もいただき、みなさん柿を持って帰られました。もっとも、私はスタッフの一員ですから、荷物の運搬、会場設営、参加者の送迎などもあり、お酒はダメ。道案内のために立っていた同じ場所に、道路工事現場の交通誘導の警備員さんがおり、その人と最近の世相、企業によるえげつない労務管理などなどについて色々と話しをすることが出来ました。皆さん、大変な苦労をしながら、食べるため、生きるために頑張っています。

 本日(7日)は朝から自治会によるクリーン作戦。雑草取り、U字溝や浸透マスの泥さらい等々で、町内がすっきり、さっぱり、きれいになりました。

 クリーン作戦の後、地域の建設ユニオンさんが主催する「住宅デー」の催しに参加。端材でつくったプランターや小物、まな板などの販売、包丁やハサミの研ぎ作業、そして住宅の修繕や建設に関する相談などを行っています。それぞれになかなかの技量を持った職人さんたちとお話しをすることが出来ました。日本の住宅は、こうした優秀で誠実な職人さんたちの手に任せれば、もっともっと質が良くなるのだろうなと思います。私は、木製のプランターを二つ買って帰りました。

 「住宅デー」の後は、「柏マブイ祭り」にスタッフとして参加(今年は、上二つの行事があったために、少し遅れてしまいましたが)。私が住む地域のマブイ祭りは、流山、松戸、柏の三箇所で、それぞれ5月、9月、11月に開催しています。お天気も良く、おおぜいの市民が参加して下さり、歌やダンス、その間に挟まれるアピールタイムの場での様々な人たちの発言、そして圧巻は何と言っても、とんとんみーと炎舞太鼓の両グループによるエイサーの披露でした。最後のカチャーシーに参加する市民の人たちが、最近は増えてきたことが嬉しいです。沖縄そばも、タコ焼きも美味しかったです。ここでも、車の運転があるために、オリオンビールも泡盛も、我慢。

2010年11月1日(月)
 NHK「どうする無縁社会」を観て
  「第4の縁」をつくるためには新たな思想と運動が芽吹かねばならない

 10月30日の夜に放送されたNHK番組「日本の、これから どうする無縁社会」の録画を、半分だけ観ました。

 所在不明のお年寄りの大量発覚、孤独死、中高年の自殺、若者の孤立と貧困の背景には、これまでの日本社会を支えてきた「地縁」「血縁」「社縁」の三つの縁が瓦解し、機能しなくなったこと、それに拍車をかけたのは不安定で低処遇の派遣労働の拡大、格差と貧困の蔓延である、と指摘されていました。分析としては、それほど間違ってはいないでしょう。

 では、この悲惨な現状をどのように変えていくか。番組では、反貧困ネットの湯浅さん、淑徳大准教授の結城さん、明治学院大学教授の河合さんが、それぞれ「パーソナル・サポート・サービスによる第4の縁」の創出、「おせっかい」の復権、「公的ヘルパー」の導入を、解決策として提案していました。これも、それぞれに、根拠を持った提案ではあるでしょう。

 とりわけ、湯浅さんの提案は、数年来吹き荒れ続けている「派遣切り」とそれ対する市民運動や労働運動の側の対応として生み出された「年越し派遣村」の体験の中から発想された提案として、うなづけるものを持っています。

 しかし、消えたお年寄り、若者の貧困と孤立は、番組の中でも幾人かの人が語っていましたが、戦後の日本人が「個の自由」や「自立」と引き換えに「地縁」「血縁」を自ら投げ捨て、良い「社縁」(大企業が保障するはずだった高賃金・福利厚生)に与することを理想と仰いで生きてきたことの結果でもあります。個の自由と自立を武器に、良き「社縁」の中に潜り込むための激しい競争に明け暮れ、「自己責任」「市場競争こそ大事」のスローガンで突き進んできたあげくの果てが、かんじんの「社縁」の崩壊とともに出現した格差と貧困、無縁社会なのでした。

 西欧諸国のように宗教的精神が個の中に根づいているわけでもなく、労働組合や様々な市民的アソシエーションを通した社会連帯を構築してくることにも失敗し、ひたすらその場しのぎのプラグマチズム、快楽主義、拝金主義で生きてきた日本人。つまり私たちは、実生活の上でも、そして精神の世界でも、薄板の下は奈落の底という、処刑台にも似た恐ろしい宙ぶらりん状態に陥っているのです。

 そもそも、三つの縁の崩壊におののいているのは、実は日本社会のいわゆる「中流」「中間層」の人たちと、この中間層の暮らしの保障を「社会の安定帯」と見なしてきたエスタブリッシュメントたち。日本社会のかなりの部分は、もともと三つの縁とは無縁のところに置かれてきました。その意味では、もともと三つの縁と無縁であった人々が上から落ちてくる「中間層」の下敷きになってさらに犠牲を大きくすることを恐れ、「中間層」は「下層」に転落することに恐怖し、そしてエスタブリッシュメントたちは社会の安定帯が崩壊してその火の粉が自らに降りかかる恐怖におびえているというのが、いまの日本社会の姿なのです。

 この状況から逃れるためには、「おせっかいの復権」、「公的ヘルパー」、「パーソナル・サポート・サービス」のどれにでもすがりたいという気持ちは分かりますが、しかし事態はもっと深刻です。いま求められているのは、もともと三つの縁とは無縁な状況に置かれてきた人々の立場にしっかりと立ちつつ、経済と社会の根本を見直していくことです。

 具体的には、底辺の人々への生活保護制度の拡充、所得や住居や仕事や医療などの保障が何よりも求められており(ベーシックインカムというより普遍的な方策も検討対象になり得るでしょう)、それと並行して雇用の場の拡大、雇用の場での性別や年齢や雇用形態等々を理由とした様々な差別の撤廃が求められています(アクティべーションの観点は重要です)。
 しかしこの課題に取り組むことは、企業献金を復活させようとするほどに財界べったりに傾き、小指(沖縄)の痛みを自らの痛みと感じられないいまの政府では無理です。いまの政府にそうした施策を実施することを強いる取り組みと同時に、労働と暮らしの現場での勤労市民の発言力と行動力とイニシアチブの強化、それを土台にしたより根本的な政治の変革の見通しを持つことが切実に求められています。

■2010年10月29日(金)
 森田童子の世界
  ピュアで、痛々しくて、残酷でもあるのに、なぜか癒されて…


 
最近、夜寝る時に、森田童子を聴いています。ボリュウムを低くし、かけっぱなしにして眠るのです。

 何年か前、TVドラマ『高校教師』などでプチ再ブレイクした森田童子ですが、今はまたすっかり忘れられています。私は、若いときに、東京の中央線沿線に住んでいたことがあり、そのころにリアルタイムで森田の歌を聴きました。西荻窪の街などで、カーリーヘアにサングラスの森田を見かけたような気もします。

 森田の歌のどこが良いかって? 何よりも、ピュアで、やさしくて、痛々しくて、そして残酷なところ。また、誰にも真似のできないオリジナリティの結晶であるところ。

 かつて若者たちが怒濤のような勢いで政治的闘いに参加し、そしてその潮が引き始めた頃、最も傷つき、ズタズタの心身を引きずることになったのは、当時15歳から17歳位だった者たち。大学生などは、結構立ち直りが早く、その後の自分の生き方を選択できたようですが、私を含め15〜17歳の少年・少女たちには厳しい運命が待ちかまえていました。とりわけ、すべてを投げ打って活動に身を投じた者たちにとって。

 そうした若者たちが、自らの身の置き場所の定まらない数年間を過ごした後、どこからともなく森田童子が現れ、彼・彼女らのことを語り始めました。森田は、まさに、この奇妙で不幸な世代の、ピュアで残酷な心象風景を、あの独特の、か細く、美しい声で、歌ったのです。だから、森田の歌に惹きつけられるのは、あの時代の、あの空気を吸った者たちだけ。だから、いま再び忘れられてしまったのは、理由のあること。

 森田童子は、ほとんどの歌を、「ぼく」と「きみ」など一人称と二人称の関係として歌います。この「ぼく」と「きみ」は、あの時代の、あの世代に特有の心のあり様を表現する純粋な抽象です。あの時代に、人間らしく生きようとした時、一番大切だったものを表現するために、あらゆる夾雑物を取り去った静謐な抽象です。ある意味では、『資本論』の「価値論」の世界にも似た、抽象の世界でありながらも、内部に、背後に、生々しいリアリティをはらんだ言葉です。この「ぼく」と「きみ」の抽象の関係から、あの時代の少年・少女群像が、生々しくよみがえり、立ち現れてきます。

 森田童子の「きみ」と「ぼく」は、静謐で、透明で、純粋な抽象なのですが、しかし何故かしっかりとあの時代の、あの空気を、触れると火傷しそうな現実感を持って心に中に呼び覚まし、気持ちを揺さぶり、残酷に痛めつけます。そしてその後、静かな癒しを心の中に残していくのです。

 今夜も、森田童子を聴きながら、眠りにつくのかな。


■2010年10月25日(月)
 公契約条例の学習会に参加して
  建設業界で働く人々の取り組みから大いに学ぶ

 25日(月)に、参議院議員の福島みずほさんの事務所で、公契約条例の学習会が行われ、私も参加しました。全建総連の中執で賃金部長をされている高橋さんが、これまでの全国的な取り組みを踏まえた詳しい報告をされ、それに基づいて意見交換が行われました。

 私自身は、自治労の公共民間に身を置いていたこともあり、全建総連や建設ユニオンの皆さんの取り組みの細かい部分は良く把握していませんでした。しかしこの学習会に参加してそれが良く理解できたと同時に、公共民間が熱心に取り組んできた業務委託の分野での労働条件や雇用問題への取り組みと、建設工事関係が中心の全建総連の活動がより緊密なタッグを組めば、公契約条例制定に向けた取り組みはもっと強力になっていくのではないかとも思いました。そのためには、まず自治労の側の活動が、もっと組織をあげての取り組みとなる必要があり、その点では全建総連はまさに全組織をあげて、この公契約条例制定に向けての運動に邁進しており、学ぶべき点が多いなと感じました。

 報告をめぐる意見交換は、かなり突っ込んだ、深い部分にまで議論が及びました。私も何点か質問をし、意見も述べさせて頂きました。福島みずほさんも、「この問題は、なかなか奥が深いですね」と感想を述べられていました。それらの議論の紹介はここでは端折りますが、これからの地域での運動に大いに活かしていきたいと思います


■2010年10月16日(土)
 まちづくり協議会シンポジウムの議論を聞いて
  あまりにナイーブ!


 流山市が主催した、まちづくり協議会シンポに参加しました。まず千葉大学の関谷准教授の講演があり、続いてまちづくり協議会推進委員2名、社会福祉協議会会長、井崎市長の4名によるシンポジウムが行われました。

 このシンポが推進しようとしている「まちづくり協議会」とは、流山市内の小学校区を単位にして、地区社協、自治会、各種NPOなどが参加する組織であり、そこへ行政の末端機能に相当するいくつかの仕事をまかせよう、というものです。「市民参加」「行政と市民との協働」がそのスローガンです。

 シンポを聞いていて感じたのは、「あまりにもナイーブ(無邪気)!」という印象です。この場合のナイーブは良い意味でではなく、ある種の危うさを含んでいるという意味合いです。つまり、「市民参加」や「行政と市民との協働」の無邪気なかけ声は響いているのですが、それが本気の「住民主権」「人民主権」の立場から発したものか、国の側、自治体行政の側の都合から語られる「地方行革」「社会保障削減」などのねらいを背後に秘めたものなのか、不分明なのです。

 もちろん、どちらの立場に発する「まちづくり協議会」なのかを推測する手がかりはいくつもありました。関谷准教授の話の中で「必要最小限のことはこれまで通り行政にやってもらう」という発言がたびたび登場したこともそのひとつです。行政のやることは、「必要最小限」で良いという意味だと受け取るのが自然でしょう。まちづくり協議会の委員の選任の仕方について問うたと思われる女性の質問にも、他の問題に絡ませながら「各地域の協議会で様々、いろいろあって良い」という返答でした。はっきりと、「公募」「選挙」となぜ言えないのでしょうか。まちづくりに関しての一定の権限もあり、予算も付く組織の委員の選任なのですから、選挙が原則となるべきでしょう。

 このまちづくり協議会を本当の意味での住民主権の行使の手がかりにしていくためには、自治体執行部とのなれ合いに陥らない、市民の高い問題意識と行動力が求められていることは確かです。そうした市民の力を強めていきましょう。