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前半のハノイ
Hanoi City vol.1

 文廟にて。降ってきた雨がなかなか強く、皆軒先に避難しています。

 ハノイで感じたのは、かなり公務員の権利が強いのではないかということです。行く所を3人で相談して、ではタンロン遺跡や軍事歴史博物館に行こうとガイドブックを見ると、おやおや全部月、金が休みとあるではないですか。きっと週末働くのだから、代わりにその前後日を休ませろ、分かったそうする。そんなやり取りで決めたのではないでしょうか。おまけに我々は木の夜に着き、金が市内、土日でハロン湾に行き、月がまた市内でその日に帰国の途ということは、見られないということか。別にいいんですが。

 でも北正門には上れたし、午後は旧家保存館や文廟も行けたし、雨が降ったりやんだりの天気でしたが、ハノイの町を感じることが出来ました。

軍事博物館 21 01 55.88,105 50 24.90 
 軍事博物館はゲートが開いており、中庭までは入れました。戦車やミグ戦闘機の周りを一周することも出来ます。内部展示は見られませんでしたが、後でネットで見ると、中はたいしたことなさそう、というのは別に負け惜しみではありません。

先ずは軍事博物館から。ソ連製のB54タンクです。これでサイゴン陥落へと突き進んで行ったのでした。 こちらはT34。第二次大戦中の製造のものをその後ソ連から譲り受けたとか。そんな時代があったのですね。 今度は戦利品のボーイング社製CH47。タンソンニョット空港で確保したそうです。最後のドサクサで置いていったのでしょう。

タンロン遺跡 21 02 05.69,105 50 25.22  
 タンロン遺跡は内部に入りたかった所ですが、柵越しにかなり見ることが出来ました。それはそれとして、遺跡の東側の道を歩いていると反対側は政府関係の厳つい建物が並んでおり、そこの警備兵がこっちの写真撮るな、ついでに遺跡側もダメ、こっちに来るな、向こう側を歩けと指示してくるのです。そうか、そういう風に来たか。これが中国ならばカメラ没収(SDカードか)されそうだなと思った次第です。やはり旧共産圏の国か。
タンロン遺跡の正面には行けませんでしたが、この位置で端門を見ることが出来ました。端正ないい建物です。 遺跡の門に警備がついています。入ってくるんじゃないぞ、と思っているのでしょうか。
北正門。かなり重厚な造りです。ここではちゃんと上部回廊に上ることが出来ました。ちゃんと働いているね。 フランス軍からの砲弾の跡が生々しく残っています。
北正門上から見えた緑越しの近くの教会。何故か色彩がこの門とシンクロしていて気に入りました。ついでに歩いていってしまった。
旧市街への道すがら目にした祖国決死隊像。しっかり社会主義してますね。でもアメリカに勝利したのです。

旧家保存館 21 02 03.24,105 51 12.45  
 昼食を取ったお店から近くだったものだから、この町家保存館に寄ってみました。グーグルアースではMa May Houseとして360度室内が見られるようになっています。昔ながらの町家を保存して、土産物屋にしているというもので、まあありがちな施設なのですが、なかなか面白かった。密集した町中にあっては、間口がさほど取れず、奥行はある。そこに採光をとり、風を入れるためには中庭を取ればよい。そして通りよりは中庭に面した方により開口部を確保しよう。通りに対しては「守り」を重視すべきだ。

 そうした発想は、京都の町家などに共通するものであり、世界共通かもしれません。そしてアジアは高層化せず、2階止まりなものだからますます似通ってくるのです。丁度大雨になって来たこともあり、いい雨宿りをしながらゆったりとした時を過ごすことが出来ました。

周りが高層化する中で、2階建ての当初の姿を守っています。2階の窓も最小限。
1階の入った所から中庭越しに奥を見ています。中庭と一体化した部屋でした。奥ではおじさんが絵画のデモンストレーションをしていました。
2階に上がりました。屋根がスレートっぽいのがこっち風です。いつの間にか大雨になっていました。
その中庭に来ました。こんなに木に細工が施してあるのです。

文廟 21 01 45.84,105 50 10.19  
 
旧家保存館からタクシーつかまえて文廟に向かいます。交通事情はさほど悪くなく、あっという間に着きましたし、ドライバーも良心的でした。全くホテルからでなく、道端で流しをつかまえる時は用心しなければいけません。

 文廟は別名孔子廟とも呼ばれます。孔子を祀るとともに、文学を学ぶ場でもあった訳で、グーグルアースではTemple of Literature となっています。正に文廟の直訳ですね。そしてまたベトナム最古の大学と「歩き方」にはあります。それも1076年と。おや、世界最古の大学とよく言われるのはボローニャですが、それがウィキペディアでは1088年とあります。まあ、高等教育の定義が色々なのでしょうが、どうでもいい問題かもしれません。

 ここに来ようと思ったのは、市の中心部にありながら大きな緑を抱えている点で、そこは日本のお寺に近いものがあります。お寺では講堂で仏教の経典を学習していたのですから。ここは仏教ではなく儒学という所が相違点です。そう、孔子廟なら台湾でお馴染みでしたっけ。

 ここのいい所はアプローチの良さです。南北ではなく、ちょっと西に寄っていますが、殆ど直線の動線によって中へ中へと導かれます。その途中に池があったり、周囲に緑があったり変化を楽しみながら奥へと進みます。

 今となっては観光地ですが、むかしはここで多くの人が学んだ,そんな雰囲気が伝わってきました。

最初のアプローチ。提灯がいかにも東南アジア、いや東洋していますね。緑はとても奇麗です。 抜けると池が現れます。こういうゲートを節々に作って、光景の変化を演出しています。
振り返るとこの門が現れました。結構四角に丸というデザインが好きな民族だとお見かけしました。お兄さん三脚建ててしっかり撮れましたか? 本堂の屋根の上に竜が乗っています。このページの最初の写真のアップです。このデザインは中国に近い感じが濃厚。ところでこれってセメントなのでしょうか。