home>アンコール、ホーチミン>アンコールワット、アンコールトム
アンコールワット、アンコールトム
Angkor Wat, Angkor Tom
午後のアンコールワット
昨年読んだ本の中で面白かったのものに「文明崩壊」(ジャレド・ダイヤモンド著)がありました。滅びてしまった文明はいかにしてその道を辿ってしまったのか。彼は5つの要素を挙げます。環境被害(搾取しすぎ)、気候の変動、近隣の敵対集団の脅威、逆に友好集団との関係減少、そして環境問題への社会的対応能力の欠如・・・世界中の事例がいくつも紹介され、如何に環境を重視しなければならないかを痛感させるものでした。そしてこの本の中にアンコールワットも少しですが登場します。異民族との紛争の結果滅びてしまったという通説の奥に、治水設備の能力低下、不備による国力の低下が軍事力の低下を呼び、最終的にタイ王朝の侵攻を許したのではないかとしています。そしてアンコールは密林の彼方に姿を消してしまい、再び世に知らしめたのがフランス人で、その頃には一帯がフランスの植民地になってしまっていたという訳です。 |
![]() |
![]() |
||||||
さあ、ホーチミンからシュムリアップ、そしてアンコールに向かうぞ。 | ずーっと案内してくれたツアーガイドのパンナーさん。理知的な説明をあちこちでしてくれました。彼もクメールルージュの時代を本当に懸命に生きのびた青年でした。 | ||||||
![]() |
![]() |
||||||
バンテアイスレイの蓮の池。そういえば台湾でも蓮が綺麗だった。 | バンテアイスレイの帰りに寄った民家の庭先。砂糖を煮詰めて売っており、ツアーが寄るようになっていました。こんなのがこっちの人たちの家です。本当に高床式だ。 | ||||||
現地の地図です。地図上でもリンクしています。重要なのは東西のバライ。これが雨季と乾季の差を調整していた人工の湖で、これがアンコールの繁栄を支えていたと言って間違いありません。そしてこのシステムが巧くいかなくなった時から王朝の崩壊が始まっていったのでしょう。西バライは今でもしっかりとありますが、東バライは今は殆ど普通の田になってしまいました。でも、グーグルアースから見ると、東西ともよく判るのです。またその規模の大きさから、非常に目立つので、直ぐにアンコールの場所が分かります。 |