猫時間通信

2004年1月

 

■2004/01/31■ 苦手だった犬が平気になっていた

午後、陽射しが意外に強く、気温は結構上がった。いつも歩く通りの中に、門の近くに犬を鎖でつないでいる家がある。穏やかな目をした柴犬、よく躾けられているのか全然吠えない。門から一歩踏み出すあたりまで鎖が伸びる。そこが日なたになっていると、よくとぐろを巻いて眠っている。

今日は起きていた。と、その家の子供(とはいえもう高校生か)が出てきた。異性の友人が一緒。犬に手を振ると、歩き出す。家から数歩離れたところでその手を、隣に歩く子につなぐ。二人が寄り添う。その様を犬は、小首を傾げてじっと見ている。二人の姿が見えなくなるまで、まったく同じ姿勢で。

あの二人の間に通う特別な空気に、犬はじっと目をやっていた。犬は獣だから言葉はわからないが、感情は見える。自分をかまっていてくれたその手が、違う誰かに差し伸べられ、かといって自分を忘れたわけではないこともわかったのだろう、犬はそれまで見せたことがない、不思議な表情でずーっと見ていた。


いままで犬の話題を扱ったことが一度もない。確かに猫時間通信と銘打ってきたが、猫だけが絶対的に好きというわけではない。単に猫の様子が面白いだけだ。

とはいえ、犬は好きなほうには入らなかった。いや、以前は完全に苦手だった。子供の頃など、犬がいるとわかる道は避けたり、道で犬に出会うとなんとかついてこないように違うほうへ行ったり。そういえば、東京でも昔は野良犬がうろついていたりした。飼い犬も今ほど「つないでおきなさい」とうるさく言われなかったためか、門から出て歩いているのまでいたな。それに、犬の躾けも今ほどよくなく、よく吠えるヤツが多かった。

犬への苦手意識は本当に長く続いた。周囲に犬がいても気にせず、すれ違っても平気になったのは、実は自律神経失調症を患って、そこから回復した後だ。気づいたら、犬への苦手意識はなくなっていた。こわいものがいつのまにか一つなくなった感じ。

犬の何が苦手か、子供の頃にはよくわからなかった。ただ、人を見ると、遊べ、構えとばかりに追いかけたり、迫ってきたりするのは、好ましく思ってなかった。もうちょっと間ってもんがあるだろうと、子供心なりに感じていたように記憶している。猫はその点、不意にこちらへ踏み込んでくることはない。ただ、祖父が昔記録した8ミリ動画を見ると、2歳頃は犬と戯れて平気な自分が映っていた。もともとはそう嫌いでもなかったらしい。

思春期くらいになれば、身体も大きくなっているし、こちらもそれなりにいなすことが出来る。心もそれなりに成長しているから、犬でも人間でも、そうやって自分に踏み込んで来る相手というのはいるものだと学習し、きちんと対処するようになってはいた。それでも、不意に出会う犬は苦手だった。

心療内科に通う際に、特に私の苦手意識を治療しようとしたわけではない。思いがけぬ副産物だろう。なぜ気にならなくなったのか。いま思うに、内面の偏りや癖を少し治した結果だ。言葉を獲得する過程で、自分に踏み込んでくる存在があるように感じて、なんとか傷を受けないような心持ちで対処していくうちに、犬をそのいやな存在の象徴として、避けるようになった。それがむしろ、無意識のうちに身に付いてしまった、心の癖だったことに気づいた時点で、苦手意識が消えていったのだと思う。

いまでも犬を積極的に好きかときかれれば、そこまで好きではない。ただ、もういやだとは思わない。こんな面白い経験をすると、自分への思い込みというのは、何かの拍子に外せるものなんだと思う。


さて、猫時間通信を、Blogに移行してみようと思う。よみものページの目次を整理していて、独立したページでなく、猫時間の中でいつのまにか少し長めに書いたりすることが多かった。これなら、日付別、テーマ別に自動的に整理してくれるBlogシステムのほうが、効率がよさそうに見える。

Blogはコンテンツ管理システムとしての側面と、コミュニティツールとしての側面がある。私が主に使おうと思っているのは、動機を読めばわかるように、コンテンツ管理システムとしてだ。iBlogというMac OS X上で動作する、コンテンツ管理システム的なBlogユーティリティがあって、しばらく試用していた。だが、動作がゆったりしているのはまだいいとして、生成するHTMLコードが気にくわない。それなら、MovableTypeやTypePadを直接使ったほうがいいだろう、ということで、既存のサービスを利用することにした。

***

というわけで、この形式での猫時間通信は今日までとして、明日からは「猫時間通信@Blog」を始めてみる予定です。もちろん、このStudio KenKenが本館ですし、ここから別館の猫時間通信へのリンクを貼ります。

というわけで、準備が出来たら、URLを公開します。これからも変わらぬご愛読をよろしくお願いいたします。


 

■2004/01/30■ コンビニ戦争その後

今週に入って、ちらほら梅がほころんでいる。今日も曇りがちな割には穏やかだった。


昨年11月27日に触れたコンビニ戦争。am.pm.が落ち着いて数年営業しているところに、セブンイレブンが乗り込んできたという話の、その後。あれから2ヶ月を経た。

どっちもどっちというところか。特にどちらが優勢ということもない。最初こそ値引き効果があったが、すぐに落ち着いた。もともとコンビニに行列が出来るほど繁盛する場所ではないのだ。ただ、セブンイレブンに客がたくさんいると、am.pm.は少なく、逆にam.pm.に客が多いと、セブンイレブンは少ないように見える。時間帯や曜日で特に傾向がありそうにも見えない(ずっと観察していないし、統計数字も持っていないので、あくまで印象だけ、各店舗はPOS端末の数字から対策をとっているんだろうけど)。

もともと、am.pm.のあった場所はガソリンスタンドを廃業し、地面が乾くのを待ってから建ったマンションの1階である。横のセブンイレブンは元地方銀行の支店。その前には日用品や食品の安売り店があるが、ここは昔コンビニのサンクスだった。am.pm.が出来た頃には、もうサンクスが廃業していたろうか。しばらくすると安売り店が入った。販売する品が違うので、コンビニと商圏を取り合わない。セブンイレブンはそこへ割り込んだ。am.pm.は客数が少し落ちたように見えるけど、著しいというほどでもなさそうだし、セブンイレブンもすごく人を集めているわけではない。

もっとも、3つの店が隣接することで、安売り店をとりあえず覗き、そこで手に入らないものがあれば、どちらかのコンビニで買う、という人もいそうだ。意外にそれぞれうまくやれている?

まぁこちらとしては、便利には便利なので、いいんですけど。


 

■2004/01/29■ 音楽メディアと時間(2)

昨日の「音楽メディアと時間」について、補足。昨日のままでは、思いつきを提示しただけで、背景にほとんど触れていないので。

19世紀末〜20世紀前半のSP盤時代、19世紀の西欧のクラシック楽壇は、本当の意味での古典音楽(ベートーヴェンなどね)を演奏する一方で、当時作曲された音楽を皆で聴くのが当たり前だった。向こう受けするようなサロン音楽(パガニーニやリストのような超絶技巧と美しいメロディの同居、あるいはショパンの叙情)の延長上に、短い楽曲がたくさん作曲されてきた。クライスラーやラフマニノフらの小品、佳品などもそうだ。こうした佳品は、今のポピュラー音楽に通じる存在だ。そして、佳品やオペラのアリアなどを吹き込んで聞かせるのに、SP盤はぴったりだったし、そのような盤も多く残っている。小品集はLPレコード全盛になると、鑑賞の主流でなくなっていたものだ。逆にいえば、交響曲などの長い音楽を聴くにはあまり適していなかったのかもしれない(日本ではドイツ音楽の精神性を、交響曲で輸入していたフシがありますが)。音は独特の生々しさがあって、面白いのだけど。

ちょっと脇道へ。クラシックがあまり聴かれなくなるのは、大向こうをうならせつつも高い芸術性を両立させよう、といった19世紀のやり方に行き詰まりを感じる人が増えてきたからではないか。ドビュッシーやシェーンベルグらが開いた20世紀音楽は、作曲家・演奏家に新しい地平線と自由をもたらした。けれど、一般愛好家にはあまりに変化が早すぎると感じたのだろうか、19世紀の音楽を繰り返し演奏する傾向に拍車がかかっていたようだ−−−もっとも、21世紀になり、20世紀音楽を聴かせてたいして驚かない人も多いのだから、感覚は相対的なものだと思うけど。

閑話休題。ジャズの台頭とラジオの広がり、2度の世界大戦を経て、録音メディアを安定して鑑賞できる時代に、LPレコードが出てくる。それまで待望されてきた、一気に交響曲を聴けるディスクメディア。ポピュラー音楽でも、ビ・バップに端を発する長いアドリブ演奏を含んだモダンジャズが勃興してくる。世の中が安定し、大量の文物と人材の交流が起こったこともあったのだろう、20世紀前半にチャージしたエネルギーが爆発していた。この大発展した音楽界を、録音技術が支えて普及させた。コンサートに行けない人々でも、録音を買って楽しめる、これは画期的だったに違いない。

この力を最大限に利用したのが、カラヤンとビートルズかもしれない。どちらも録音の魔術をよく知っていた。カラヤンはエンジニアの協力もあって、多数のマイクをオケに張り巡らせ、ミキシングで理想の音響を作り出した(ベルリン・フィル音楽監督の前任者フルトヴェングラーとはまったく対照的)。ビートルズは莫大な予算をかけてスタジオに入り、多重録音を駆使して4人以上のサウンドを聴かせた。これ以降の様々なアーティストの録音では、実演不可能な緻密なアレンジも当たり前になった。録音が単なる演奏記録ではなく、積極的な録音作品に変わっていく。歌ものでさえ、1曲3分程度の楽曲がわかりやすくてよいと言われてきたのに、5分を超える曲も許容されるようになっていった。シングル盤の再生時間ぎりぎりまで収録しても、皆が聴いてくれることがわかってきたからだ。このころに、盤の演奏時間に応じて曲の組み合わせ方、区切り方を意識した「アルバム」という文化も確率したのではないか。

でも、ここまでは、実際の演奏会での経験より短い再生時間しかなかったのだから、より長く手軽に高品質で再生できる技術がほしい、という印象しかなかったのではないかと思われる。

CDの時代に入り、70分の演奏時間を確保できるようになると、クラシック音楽の大曲やコンサートの完全収録以外は1枚で済むようになった。小品集など、むしろ大量に曲を詰め込めるようになる。ポピュラー音楽のアルバムも長めになったり、ボーナストラックがついたりする。そして、昨日触れたA面・B面の区別もなく、50〜70分の通し時間に緩急をつけるようなアルバム構成になっていく。こうなれば、じっと集中して聴くばかりでなく、何かしながらはっと時々耳を澄ませる聞き方のほうが普通だろう。

一通りの普及が終わったこともあってか、値段も下っていく。音楽メディアが贅沢品ではなく、日用品に近づいていった。そこへ、パソコンに複数のCDや録音を取り込んで、自分なりの再生リストを作ったり、iPodのようなデジタルメディアで持ち出せるようになった。DVDが登場すると、1枚でコンサートを完全収録することも可能になった。

ただ、自宅でコンサートのホールのような緊張感を持って、聴き続けるだろうか。そうすることもあるけど、通常はもっとリラックスしている。人が来ることもあれば、電話だってかかってくる。そんなに音楽ばっかり聴いてるわけにもいかないのが生活というものだ。音楽を聴くのではなく、環境音として音楽にくるまれていることを選ぶ人々が大量に出てくる。いや、1970年代あたりからそうしたかったけど、メディアの演奏時間による制約、経済的な問題から出来なかっただけだ。技術がそれを可能にした。音質をいくらか犠牲にして。

同じバッハの無伴奏チェロ組曲でも、組曲を一つずつ愛でて聴くのと、流しっぱなしにするのでは、印象が異なるはずだ。ベートーヴェンの交響曲はたとえば5番と6番、7番と8番のように、2曲一組で初演されたものがある(それはそれで長いですけど)。他の交響曲も、その演奏会の時間で集中して聴くように作られている。9曲をぶっ通しで聴くなど、考えていなかったはずだ。それも可能になる(しかも、ところどころ電話などの応対で途切れたりしながら!)。濃厚な作曲家の意図を、あえて薄めきってしまうような再生も可能になった状況。DJのように、既存の録音を素材に、まったく新しい作品をパフォーマンスする方向もあり、それはそれでいい。だが、既存の曲をそのまま鳴らすにしては、音質も、時間経験も、まったく異なる分野へと突入しつつあるように思う。

ある印象があって、それを支える技術が生まれ、技術の発展が人の印象に変化を与える、この相互作用で20世紀は発展してきたように思う。音を記録して楽しむことを考え、その普及が始まると、再生音を生の音に近づけようとする一方で、再生装置から流れる音でなければ経験できない演奏も生まれ、といった具合に。そしてついに、デジタル技術で簡単に音を操作でき、この程度の品質なら十分楽しいよと、多くの人が言うようになった。音が飽和し、渇望することもない。その気になれば、ちょっと手を伸ばせば、手に入る。

こういう状況下で、今までと同じような音楽に大量にお金を落とす人は、むしろ減るんじゃないのか。それを音楽業界が「デジタル化により音楽泥棒が増えた」と称しているのだろうと思う。

古代においては自然界の音のほうが強く、畏怖すべき音を制御し、人の音で空間を整えようとしてきた。こうした儀式音楽・宗教音楽が、現在の様々な音楽のルーツにあったろう。そこから、人間界の音のほうが多い世の中にまでなり、各個人が好みの音にくるまれることが可能になってきた。

この先、自分の好みにあいそうな音・音楽を周囲にはべらせる傾向がより強まっていくのだろうか。そうなると、自分にとって気色悪い音に出会ったら、耳を(そして心を)塞ぐのだろうか。音楽のネット購入が普通になると、アマゾンがやっているように「あなた向けのお勧めはこれです」と差し出してくるのだろうか。ある好みを見抜いて提示され、思わぬものに出会う歓びが減っていく方向に技術が作用し、音楽もその傾向を前提に制作されていくのなら、それは悲しい。まぁ、店頭販売がいきなりなくなるとは思わないから、悲観はしていないけど、よくよく注意深くこれからの流れを見つめていたほうがいいのかもしれない。


 

■2004/01/28■ 青い空、音楽メディアと時間

今年の冬、東京の空は青い。いや毎年晴れれば青いのだが、なんだか妙に青く、雑巾で空を拭いたように明るい。ちょっと日がかげった際にも、空間が青く染まる。

知人と話をしていた際に聞いた話。薬屋に代表される、店を明るく開けて営業する店舗では、例年より掃除が楽になっているそうだ。その原因は、空気が以前よりきれいになっているからという。これ、先の空の青さと関係しているようだ。

すると、石原都政の結果、ということになるのだろうか。


音楽を聞く際に、メディア(LPとかCDとかテープとかのことね)から生じる印象の違いが出るだろうか。

たとえば1960〜1980年代前半まで続いたLPレコードの場合。両面に溝が刻まれていて、A面・B面と呼ばれていた。A面を上にしてレコード針を落とし、再生が始まる。聞き終えると一度針を戻し、レコードをひっくり返す、つまりB面を上にする。そして、B面を再生して、全部聞いたことになる。まぁカセットテープでも同じようなものか。

LPレコード時代、多くのミュージシャンはこのA面で一度区切りが来る特性を逆手にとって、A面の最後である程度盛り上げたり、次につながるような「ひき」のある作りにしておいて、B面でどう始めるかワクワクさせてくれたものが多い。ビートルズ後期や、時代的に少し遅れるプレグレッシヴ・ロックの名盤のほとんどはそうだし、日本でもアイドル歌謡曲から山下達郎あたりまで、みんなLPレコードというメディアの特性を活かしていた。

ただ、LPレコードは両面でだいたい40〜50分程度が収録時間の限界(頑張って60分収録した盤もあったけど)。交響曲の前半2楽章がA面、後半2楽章がB面などとなり、ポピュラーのアルバムとは違って1曲を連続して聞けない。また、クラシック音楽のように長い曲が多い場合、現在のCDで4枚組になるものが、LPだと6〜7枚組になってしまう。今より音楽メディアの価格がはるかに高かったこともあり、高嶺の花だったな。だから、名曲喫茶やジャズ喫茶などが繁盛したんだよね。

閑話休題。CDに移行してからの最大の変化は、面による区切りがなくなったことだろう。LPレコードを聞く際には、盤を痛めないように、また雑音を減らすように盤面を掃除するから結構手間がかかった。そんな手間もいらない。手軽に、連続して70分ちょっと聞ける。

現在のCDでは、ポピュラー系でもA面・B面の違いではなく、アルバム全体の流れだけで緩急をつけるようになっている。クラシック音楽でも、よほど極端に長い曲でなければ1枚の盤で連続して聞けるものが増えた(ベートーヴェンの第9交響曲を1枚に収めるために定められた収録時間だしね)。

逆に、SP盤時代はどうだったのか。私はもちろん現役世代ではないが、戦前の体験などを読む限り、こんな感じ。交響曲など、楽章の途中で切れてしまう。何枚も聞き継いで、やっと1楽章を聞き終える。電気式になる前なら、自分でねじをまく。下手をすると数枚に一度は針を交換したりすることもある。(音楽評論家の吉田秀和は中原中也と面識があり、実際にそうやってバッハなどを聞いていたことをうかがわせる記述に出会える。)

SPで聴く場合には、音楽の流れが途切れるわけだ。音楽の全貌をつかむこと自体、修業みたいな印象を与えかねない(楽譜が必須になるかも・・・)。LPレコード時代はもっと容易に鑑賞できる。さらに、45分程度という時間が、リラックスするのに適した時間だったのではないか。LPは片面22分程度で区切られるため、流しっぱなしにもしにくく、ちょっと手を止めて聴くことも多々あったように記憶している。

CDでは、クラシックやポピュラーなど多くのコンサートの前半程度を1枚でそのまま収録できる。盤の扱いも楽で、安価にもなった。70分以上の音楽垂れ流しが可能になってきたし、逆に言えば、手を止めて音楽を聴いてリラックスするよりも、流しっぱなしのほうが似合う状態になってきた。

音楽は時間芸術だ。時間の区切り感覚が、ある程度印象に影響する側面を持つ。SP時代に短い楽曲が多かったのは、ラジオ放送と盤販売の両方で扱いやすかったからではないか。ポピュラー音楽のLPアルバムのように、A面からB面へのチェンジの瞬間を利用するのも、必然だった(クラシック音楽でも軽い序曲集や名曲集では同様の手段をとっていた)。CD以降の直線的な時間では、むしろ1曲の印象が薄く、全体であるトーンや気分を放つアルバムのほうが聴きやすいのかもしれない。その一方で、クラシックの超大曲を聴く際には、CDでさえも盤の載せ変えにより、時間経過が途切れることもある。

iPodのようなデジタル・ジュークボックスになれば、CD数枚組で時間にして5時間以上などという大組曲を、まったく途切れずに聴ける(コンサートホールには存在する休憩さえも、なくすことができる!)。また、大量の小さな楽曲を常に手元に置いて、ランダムに再生したり、自分で区切った時間の中に再編成できる。つまり、時間とその経過に伴う印象を、自分なりにコンピレーションできる。集中して聴くことも、そうでないことも含めて、時間の区切りがリスナーに委ねられていく。

大量音楽ジュークボックスが歓迎される理由は、こういうことなのだろう。ただ、45分〜60分程度の、人間の集中力が持続しやすい時間をある程度意識して、音楽は作られてきた(LPレコードが馴染まれたのは、この感覚に即していたからかもしれない)。こうした時間内での印象の変化も、聴くという行為に含まれている。音楽垂れ流しツールが、音楽の聴かれ方、好まれ方から始まって、作り方も変えていくのかどうか。そのあたりが、最近気になるところ。


 

■2004/01/24■ 空を見上げる赤ん坊、銀座3丁目

よく晴れていた昨日(23日)午後のこと。用件に赴く途中、とあるデパートの脇に出たところで、立ち止まっている母親と乳母車を見かけた。母は手荷物を整理して、態勢を建て直している最中のようだ。ふいに乳母車にいる赤ん坊が視野に入った途端、目が離せなくなった。

1歳くらいだろうか。首をしっかり支え、顔を起こしている。目は空を映してきらきら光り、頬を健康な紅色に染め、口をうれしそうに開けて。何より顔の全てから歓びを放って。

思わず私も立ち止まって見上げた。青く青く、あくまで青く澄んだ空。他になにもない。もう一度赤ん坊を見ると、じっと幸せな顔を空に向けている。

私も再度見上げる。湿度も低く、しみ一つない節分前の東京の空は、ひたすら透き通った光が新鮮だ。確かに見ていると、すごく喜ばしい・・・母親が忙しく荷をまとめる中、人が押し寄せてくる。私も歩き始めた。

あまりに美しい笑顔。君はいったい何を見ていたんだろうね。天使か龍でも通っていったのかい? すてきな魂が歓びを振りまくところを見ていたのかい? それとも、空の青さそのもののが目に染みてうれしかったのかい?


今日は銀座へ赴いた。知人のイラストレーターが加わっているグループ展を見る。なかなか盛況、私もポストカードを購入。そのまま銀座通りへ出る。土曜日の午後は歩行者天国だ。寒いがその割に人は多く、どこも混雑している。

銀座3丁目は、昨年書いたようにApple Store, Ginzaがある。銀色とガラスで覆われた店から、アップルマークが放つ白い光。その隣にはOPAQUEという大型総合雑貨店(?)が、やはりガラス張り。さらに、改装中のデパート松屋の外装がとれると、こちらも乳白色のパネルで覆われていた。しかも、各階の区切りには、細いカラーのグラデーションをパネルに透過させている。

昨年、私はApple Store, Ginzaを見て

これまでの銀座の町並みと感じが違う光り方でもある。カラフルな銀座の街に、あえてモノトーンを持ち込んでいる。それ以上に、カルチェやシャネルとはまったく異なる無機質感も漂わせている。これは風景として定着していくのだろうか。

と書いた。以前からOPAQUEがあるのは知っていたが、隣のApple Storeとは異なる印象を抱いていたからだ。ところが、松屋も含めて揃ってくると、内部から透過する光で街を照らすという方向性が見えてくる。Mac OS XはAQUAという、水が光が透過していくようなイメージの描画を打ち出しているが、「銀座3丁目がAQUAっぽくなっていく」ようでもある。ただ、こういうのは昨年あたりからの建築・デザインなどのトレンドだけど。

歩きながら、こうきたか、と思った。好きかと言われると複雑な気持ちだが、スピーカーを外へ向けてうるさくされるよりはずっといい。最初のボンダイブルーiMacから4年続いたトランスペアレントなデザインは、最後の1年ほどで急速にすたれていったようだけど、今回はどうなるのでしょうか。


 

■2004/01/23■ 旧暦の新年、天才とは

あけましておめでとうございます。

22日にそんな会話をかわしていた方々、今年は結構いるんじゃないかな。というのも、旧暦の元旦が、グレゴリオ暦の1月22日だから。実際、この時期に年賀状をいただく。

昨年は旧暦に関する書籍が急激に注目を集め、年末に旧暦カレンダーが売られていた。旧暦は太陽太陰暦。グレゴリオ暦は太陽暦で、12ヶ月は黄道(=太陽の軌道)を12分割したもの。太陽太陰暦の場合、節分・春分などに代表される二十四節気は黄道を24分割したもの。つまり、グレゴリオ暦と同様の太陽暦。一方で、○月×日といった日付のほうは、月の満ち欠けに対応している。つまり、太陰暦もある。

グレゴリオ暦1月22日は新月、ここが旧暦の新年。そして、旧暦2月1日も新月。太陽による季節の推移と、月の満ち欠けから潮汐などの動きの両方を意識できる。

空に浮かぶ月の満ち欠けと、暦の月の流れが一致するのは、意外に面白いです。昔の月を詠む言葉の豊富さを、実感しやすくなる。


天才って、どういうもんだろ、と聞かれたら、なんと答えるだろうか。

ものすごい能力(知力、体力、記憶力、忍耐力、持続力、瞬発力、演算能力などなど)の持ち主かどうか、といった事柄に関心が向かうのが通常だろう。子供にもそう答え、「まぁうちからそういうのが出るのはあんまりないだろうな」というか、「努力すれば天才でなくても、秀才くらいには」などというか。

しかし、その人間がどの程度の能力を、どのような分野で発揮できるかなど、生きてやってみなければわからないことだ。それに、親や先祖の資質が必ず出てくるものとも限らない。

私は別の尺度をよく考える。

「天才とは、自分に遠慮がない人」

単なるわがままな人間というわけではない。人は育つ過程で躾けられる。その際、その人間がどのようなものを生まれ持ってきているかは、親にもはっきりしない段階から躾けが始まる。たいていの場合、むやみに暴れたり、周囲のスムーズな流れを乱さないように、躾ける。ほとんどの子供は、抑制を第一に躾けられることが多い。また逆に、ランダムな行動を抑制していく躾けがなければ、確かに人間社会は機能しなくなる。

ただし、人が自分の能力を開発していく過程においては、全力でぶつかっていくことが重要だ。単に自分を抑制したり、親がなんでも用意してやるだけでは、トライアル&エラー(試行錯誤)もそうたくさん経験できず、きちんと自分の中にどのような資質がありそうかの判断さえつかない。

この「自分で自分を掘り下げて育てる過程」において、遠慮も抑制もなく徹底的にやれる人は、天才たりうるんじゃないだろうか。一方、親や教師や周囲の大人は、各自の目線の範囲で子供を見がちであり、親族や周囲や社会にあわせることをまず要求しがちだから、自分を育てる過程でさえも遠慮や抑制が働く人は多いんじゃなかろうか。その結果、自己を育てる過程を徹底できないまま成人に至る人間が多いのではないだろうか。

自分が何に徹底して生きていけるか、または生きていたいのか、それを真剣に考える機会を持てば、世間一般のいう「天才」を望まなくても、生き方には自負と誇りを持てるだろう。そして、自分が何かどうしても掘り下げたいことがあれば、やはりあきらめずにずっとやるしかないんだろうと思う。

まぁ「この人は××をやるために生まれてきた天才」としか思えない人は確かにいるけどね。でも、それは自分が思わずやっちゃうことが明確で、他のことが必ずしもうまくいくわけではない、限られたわかりやすい人だけだ。そうでない人でも、上記の考え方にそえば、自分という天才にはなれる。

みんなで天才になろうよと思う、旧暦の新年でした。


 

■2004/01/20■ スチュアート・ダイベック、文学賞

今月7日に発売された「新潮」2004年2月号に、スチュアート・ダイベックの短編「歌」が掲載されている。翻訳は柴田元幸。最後に軽い解説が付いている。

ジップと呼ばれる「僕」が主人公。レフティ叔父さんに連れられて、酒場へ。僕はカウンターにちょこんと乗せられ、歌い出す。たちまち喝采とチップの山。何軒か周って、叔父さんの部屋で上がりを数える。レフティ叔父さんは音楽が好きで最初にトランペット、次にサックスを吹いた(この楽器転向のあたりもなかなかすてきな筆致です)。ビバップ・ポルカバンドも組んだ。だけど、朝鮮捕虜収容所から戻ってからは、声がしわがれ、楽器も手にしなくなった。時代もロックンロールに移っていた。そしてある日、叔父さんは他所へ行く。サックスじゃ大きすぎる「僕」のために、クラリネットを残して。

「僕」は聖歌隊に入ったが、酒場で喝采をあびるようにはいかなかった。ブラスバンドのクラリネットでも同じ、しかも指導者はそうやる気があるわけじゃない。だけど、急にやる気を出した(その理由もまたおもしろいのだが、本編をどうぞ)彼のもと、街を行進している、楽器を吹きながら・・・

ラストがどうなるかよりも、スタートからラストへ至る流れがすてき。とにかく本編を読んでのお楽しみ。どうってことない思春期のワンカットなのだが、短い作品の中に込められた両親や叔父の話、その断片と僕の間に広がるイメージと情報量に圧倒される。そして、目前で音が鳴っているようなリズムに引き寄せられていく。

また、いつもながらすてきな翻訳だ。日本語の流れを楽しみつつ、原文のリズムを想像してしまうが、作品のすぐ後の解説に出てくる言葉。

「小説のなかで音楽への言及があれば文章から音楽が聞こえてくるというものではないし、逆に、音楽の話など出てこなくても音楽が聞こえてくる小説もある。・・・中略・・・とはいえ、音楽への言及があって、かつ文章のノリも音楽的なら、やはりそれが一番音楽的な小説ということになるだろう。スチュアート・ダイベック(一九四二〜)の新刊『僕はマゼランと旅した』(I Sailed with Magellan)はそういう意味でまさにとても音楽的な小説である。」

こういうものを月刊誌でひょいと拾うと、ほくほくとした気持ちになる。

ちなみに、この号は四方田犬彦+坪内祐三の対談「1968と1972」が載り、さらに小川洋子+李昂の競作と対話(司会は中国文学者の藤井省三)も掲載されている。四方田+坪内対談はまさに時代の話なのだが、小川+李の対話でも触れられている。両方を読んでみると面白いです。


芥川賞が決まり、今回は若い女性が2名でかなり報道のほうも盛り上がっている。ただ、朝日の朝刊にあった「芥川賞受賞作品はここ10年ほどはよく売れている。が、他の文学賞は影響力がない。ベテラン作家も含めて優れた作品に贈られる谷崎賞や野間文芸賞などはほとんど部数に影響がない」と書いてあるのを見て、少々驚いた。

1980年代は逆に芥川賞が注目を浴びにくく、野間文芸新人賞受賞者のほうが有名だったりしたものだから(島田雅彦、高橋源一郎などもみんなそう)、変わったものだと思う。

ただ、他の賞が影響力がないというのなら、野間文芸賞も谷崎賞も川端賞も三島賞も新聞のほうでがんがん扱ってみては?と思う。もちろん文化面だけでなく、社会面でも。さらにテレビのニュースなどでも。しつこく10年も続けると、少し見方が変わってくるように思うんだが。


 

■2004/01/16■ 讃岐うどん2店、イラク派遣に思う

渋谷駅と、渋谷公会堂・NHK・代々木公園をつなぐ公園通。だらだら長い坂道だ。駅から丸井に至って坂道を上り、PARCOや東武ホテルを通りすぎたあたりのマンション。その地下に、花まるうどんがある。もはや誰でも知ってる、セルフサービス讃岐スタイルうどんを東京で流行らせたチェーン店。安くて、値段を考えるとびっくりするおいしさなので(というか、東京の立ち食いはまずすぎ)、いつも行列している。

昨年、その斜め前に、新しい讃岐うどんの店が出来たと聞いた。讃岐将八うどんという。塩とたばこの博物館の脇をちょっと入った地下。

通りかかったので入ってみた。こちらもかけうどんの小が99円と安い。花まるうどんより少し麺が固め。出汁の香りはまずまず。汁は少し塩味が強め(うすくち醤油を使っている?)。花まるうどんとは少し傾向が違うけど、これはこれでおいしい。こちらのほうが好きな人もいるだろう。

でも、こっちは並んでいない。花まるうどんは、スターバックスコーヒーみたいなブランド。一方、讃岐将八うどんはTully's Coffeeのような位置づけになってしまうのか。

まぁでも「さぁ、うどん、食うぞ!」といってわざわざ出かけるんじゃなくて、つっかけでちょっと立ち寄って普通においしい店が増えるのはいいことだ。


いよいよ自衛隊がイラクに赴く。戦後、軍事的組織が海外に赴くのは初めてになる(カンボジアはPKO活動で、色合いが異なっていた)。

アメリカに約束した以上、出さないといけない。首相が早くも公約した。そして、そういう首相をいただく政権党をもう一度過半数に押し上げたのが、選挙結果だ。選挙でノーが出たとなれば話は別なのだが、ここ数日で小泉政権の支持率は若干上昇しているという。

「ここまで来たら、行くしかない」という気分なのか、みんな? 私はとてもそんな気になれない。戦争反対はもちろんだがそれだけでなく、今度のアメリカの戦争に、日本が参加する意味は見出せない。そもそも、アメリカ合衆国=世界、ではない。そして、小泉はそういう選択をしている、ということに、もう少し疑問が表明されてもいいんじゃないだろうか。


 

■2004/01/15■ 初詣、成人式に思う

東京は晴れて寒い。北海道は台風並の低気圧による記録的な猛吹雪。雪国の方々が戸惑うくらいの吹雪とは。


明治神宮にいってきた。例によって混雑を避けるための遅い初詣。よく晴れて、常緑樹がぴかぴか光っている。

しかし、混雑している。明治神宮は今日までが初詣客を迎える状態で、明日からは平常に戻るようだ。近くのオフィスなどからお飾りを駆け込みで持ち込む(お焚き上げしていただくため)方々、観光バスの案内などもあって、想像よりはるかに人が多い。とはいえ松の内に比べれば、拝殿の中はいつもの空気だし、普通にお参りできた。

近所の神社は、どうも場の空気が私に馴染まないのか、あまりいい感じを受けない。いいところが見つからないまま、ここ数年は明治神宮に行っているな。地の気を浴びに行くようなもんだ。人工の森ではあっても、やはり気持ちいい場所ではある。


そういえば、以前は1月15日が成人の日だった。11日に各自治体で行われた成人の日の行事では、また「荒れた」と報道されている。

この「荒れる」って、報道を見聞きする限り、中学生のいたずらを大人の体力でやってるような印象を受ける。そういえば、高校以降は学校や社会などでばらばらになる人たちが、成人式では顔を合わせることになり、ちょうど小〜中学校のメンツが揃う感じなのかな。そうなると、その頃のノリが出て、そのまま悪ガキモードに突入、となるのかな。

しかしなぁ・・・あんな行事、積極的に出たいか? 日本国民の権利と義務をはっきりさせるために自治体が一同に会させるだけの場に(だから説教されるわけ)、そんなに出たいか? 自治体側も、本気でやりたいのか? よくわからん催しだ。似たような問題なら、職場や学校で考えさせるほうが、まっとうにものを考えるだろうに。単なる同窓会なら、自主的にやることだけで十分だし。

やめようかというと、反対が起きるという話も聞く(そういう新聞報道も2年ほど前にあったはずだ)。で、やると荒れる。不思議な儀式だ。


 

■2004/01/12■ みなとみらいの舞楽、変わる元町・中華街

寒い、寒い! 昨日は晴れて風が冷たく、特に夜の冷えはすごかった。今日は曇って、風はいくぶんやわらいだけど、やっぱり寒い。例年並になったというのが本来だけど。


昨日の12日、日曜日。桜木町に降りると、雲一つない。空に屹立するランドマークタワーの方向に、無数の人が吸い込まれていく。黙って私もその一員になる。多くはランドマークタワーか、Queen's atあたりでぶらぶらするようだ。その先にある、みなとみらい大ホールへ急ぐ。

「みなとみらいの舞楽」と名付けられたこの日の公演。みなとみらい大ホール五周年を記念する公演とのこと。室町時代の説話を基にした舞楽「還城楽物語」の上演だ。演奏と舞は東京楽所。

宮中の音楽である雅楽は世界最古のオーケストラの現存と言われるが、器楽曲はオーケストラ演奏のみの管絃と、舞と器楽演奏による舞楽に分けられる(他に神事等にかかわる古代歌謡などもある)。この説話「還城楽物語」は、雅楽の有名な舞楽に伝わる背景の物語や伝説などをベースに、室町時代に流行した説話としてまとめられたもの。作者は不詳とのこと。説話の語りが入り、舞楽による舞と音楽、そしてまた語り、と進む。曲と、それに対応させられた配役は以下のごとし。

舞楽
配役
還城楽 「還城楽」還国の王
抜頭 「馬頭女」竜王の娘
納曽利 「納曽利」竜王の家来、武人
陵王 「竜王」竜国の王

還城楽は、竜王の娘である馬頭女と結婚する。竜国支配の野望を表に出した還城楽は、馬頭女に対して竜王殺害を命じる。馬頭女は愛する夫のためと帰国するが、手元が狂って殺害できない。気づいた竜王は、我が身の化身である蛇を殺し、北の高い所に土葬にせよと言い置いて、自らの命を差し出す。[註:還城楽は蛇を好んで食べる西域の民の舞などと伝えられ、蛇を見て喜ぶ様が表現される。]

竜国を得た以上、もう用はないと馬頭女は離縁を言い渡される。父を殺し、夫からも追放された彼女は、墓前で嘆く。[註:抜頭も西域由来。獣に殺されて、子が獣を探して復習する、あるいは唐の妃が嫉妬に狂った様などと伝えられ、激しい表情の面を被る。]

墓前で泣く馬頭女に虚空より声があり、言われた通りに土葬した亡き骸を掘り起こして骨をつなぐと、天から金色の肉体が降りて蘇生する。そして、納曽利大臣に先方を命じ、軍を集めて還城楽の攻撃に赴く。還城楽も気づいて迎え撃つ。[註:納曽利は曲の由来が不明だが、雌雄の龍による双龍の舞であり、勝負事で右方の勝利に奏された曲。]

還城楽は強く、竜王は敗退。そこへ、陵王を舞えば、沈みかけた日が戻り、修羅や梵天、帝釈が軍となって負けることはない、というお告げが来る。[註:陵王は、よく伝えられるいわれとしては、北斎の蘭陵王は美男子で勇ましい軍の指揮時にも皆が顔に注目してしまうことから、仮面を付けて連戦連勝し、周を破ったというもの。もう一つ、中国の王が隣国との争いの最中に亡くなり、即位した子が争いを収められず嘆くのを、亡き父が魂魄を飛ばして日を戻し、勝利に導いたという伝えもあり、ここから上記の話が出るようだ。]

そして、最後に説話物語らしく、親と子の教訓をもって話を終えるというもの。

***

語りは現代語訳され、講談調で進む(舞台俳優の田中晶が担当)。上記の順に、舞楽が繰り広げられていく。

集中力の持続しやすい公演だったと思う。ロビーなどで耳にする会話は、雅楽が初めてと思われる人々、そうでない人々も含めて好意的なものが多かった。もちろん演奏、舞の双方ともにレベルが高かった。太鼓のタイミングというか、間にちょっとばらつきがあったが、羯鼓がすばらしく、演奏全体を絶妙に支えていた。笛や篳篥は全体的に、最初は上がっていたのだろうか、しり上がりに落ち着いていった感じ。舞もよく舞っていた。今一歩動きに洗練が加わるとすてきだと感じる瞬間もあったが、これは気にしすぎだったか。

むしろ気になったのは、現代語訳の説話の方。妙に教訓を引き出そうとして、語りかける調子が強すぎないだろうか。また、舞楽で整った空気が、カーテンコール時の司会のにぎにぎしいしゃべりで、消失していく。ちょっともったいなかったし、そんなことをしなくても皆が十分に感得できる空気が醸し出されていた。力を込めて盛り上げないほうが、舞楽と説話の両方の魅力を引き出せると思う。


せっかく横浜まで来たので、用事を作って元町に赴く。ついでにちょっと歩いてみる。

昨年の4月(13日14日17日)に、少し人が減っていた元町や中華街の様子を綴っている。元町メインストリートから山側に並行して走る通り、昨年は空き物件になった店などがあったが、さすがに新しいハンドメイドのアクセサリーギャラリーやヘアサロンになっていたり、動きが出ている。

景気の底に皆が慣れたのか、本当に底を打ったのかはともかく、中華街は春節を迎えるし、新しくオープンする地下鉄、それにあわせた街の再整備もあってか、昨年より人も戻っている模様。日曜とはいえあれほど寒い日に、家族連れやカップルが楽しそうに歩いているのを見ると、昨年とはやはり空気が少し変わってきたように思う。元町は、歩道を舗装し直して幅を広げ、所々にベンチを置いている。

中華街では、廃業した大規模料理店の建物を利用したテーマパーク、横浜大世界(DASKA)が昨年11月にオープン。また、山下公園寄りの朝陽門近くにあった大駐車場が大きなマンションに生まれ変わり、その1階にインフォメーションセンター Chinatown80 も昨年12月にオープン。中華街大通りも舗装し直され、明るい色になった。春節に向けたイルミネーションが、透き通った夜の空気にピカピカ光る。今年の春節(1月22日が旧暦元旦)はきっとにぎやかな行事になるのだろう。

夕食をとろうと思うが、最近注目株の店はみんな外にまで並んでいる。昨日はびっくりするくらい風が冷たく、震えながら! ここ数年お気に入りだった金福楼は昨年あたりからもはや予約無しでは並ぶようで、台湾小路なども外に人が溢れている。あきれてしまい、徳記で定番の広東麺をすすり、手慣れた店でそそくさとお土産を買うと、帰ることにする。

***

2月1日より開通する新しい地下鉄 MM線は、東急東横線と乗り入れる。現在の東横線は渋谷から桜木町まで。この桜木町駅が廃止され、みなとみらい駅になる。そして、MM線に連なり、馬車道通り駅などを通って元町・中華街駅に至る(JRのドル箱コースと並行して、海寄りに走る)。この駅の中華街寄りの出口は、先に触れた朝陽門近く。そして元町寄りの出口は、元町商店街の一番奥にある元町プラザやBrooks Brothersの先、港の見える丘公園の麓。

今でこそ「元町商店街の一番奥」だが、これはあくまでJR石川町駅で降りて、石川町商店街を経てから元町商店街に入るという発想があるから。渋谷から一本で来られるし、JRより安いとなると、MM線の元町出口が商店街の正面玄関としてイメージされるようになるのだろうか。

個人的には石川町から元町に至る道が、結構好きだったりする。小さいけど味自慢の洋食、アメリカンスタイルのハンバーガーバー、オーストラリア料理の店などもある。東京にはない香りというのかな。単にお金をかけて大規模にきれいにしただけじゃない味わいがあるんだな。そこから歩くと、東京資本ではないけどまっとうな商売で全国区になった元町商店街がある。こっちの空気もまた皆に愛され続けてほしい。


しかし、大規模なテーマパーク型都市みなとみらいで、1300年以上の伝統を持つ舞楽を観て、今度は元町と中華街を眼にする。一日で、ものすごく多くのものを見続けたような感じ。


 

■2004/01/07■ ケータイと猫、CHAI

今日は空が澄んで、満月がうるうるとすごく大きく見える。やっぱり1月の寒さだ。


近所の猫だまりを通ると時折、音がする。ピロローンのことも、カシャッということも。カメラ付携帯電話がシャッターを切る瞬間に出す音だ。ほとんどが女性、年齢は様々。

猫だまりにいる猫達は、割合人に慣れている。近寄って撮っても逃げない。撮る人は、最初こそ遠巻きにしているが、やがて目の前まで寄って撮る。あの距離だとアップの絵だろう。立ち上がると、ほくほくした顔で去ってゆく。数匹居るうち、一匹小さくて眼が丸い、小猫っぽい表情を残した子がいる。人気のもよう。

きっと、待ち受け画面になるのだろう。ケータイのカメラで撮った写真はあまりメールで送られないというが、まさにそうだ。


CHAIという雑誌がある。前から広告を見て知ってはいたのだが、近所の本屋にも入荷するようになった。数日前、何気なく手に取ってみて、ついレジに持っていった。

今出ている号は「陰陽の世界」、つまり陰陽五行や易、風水などについての特集。易は占い以外の側面を持っている(医学や哲学に関わり、最近では企業経営などにも)。この場合の易は、占いではなく、事象の間に見える論理構造を、卦を使って分類し、今度は卦の組み合わせから演繹出来るようにするのが主目的。筮竹じゃらじゃらとは異なる。その詳細に触れるわけではないが、そういう分野があり、占い(術)の世界とは違うということを紹介している。知らない人は意外に多いんじゃないか。

占いの話も出てくる。凄腕の術師達(中国人)が集まるフォーラムに、占いなど信じていない記者が取材。唖然とするほど当たる例が出てくる。こういう話、古典では聊斎志異などでよく読んだ。そうそう、金瓶梅にも占いの話が出てくる。文革後もひっそりと続き、開放政策で表に出てくる様子がよくわかる、やっぱり基本的に中国人は世界一の占い好きかも。

しかし、面白かったのはむしろ、北京在住OLの書いたエッセイ。「中国人夫婦は前後がなく、そのものが長いという話は本当か」を、現地の人に話を聞きながらまとめている。もちろんセックスの話。身も蓋もない話をさらりとまとめていて、当地の生活や文化に思わぬ形で触れた。その隣ページには「性愛ベッド」なるものが中国で販売されているという話題も。他にも変わった記事が散見されて、思ったよりはるかに楽しい買い物だった。


 

■2004/01/06■ CDとステージ(2)、自然と芸術

昨日の記述で誤解を招きそうなところの補足。最後、フルトヴェングラーの第九に触れた後で「感動的だが、背景(戦敗国かつ加害者であるドイツ人の自問自答に呼応するように聞こえてしまう)を考えるに、こんな音はいらない」と書いた。もちろんフルトヴェングラーの演奏を否定しているのではない。時代背景から離れても、あの演奏はじゅうぶん感動的だ。ただし、あの演奏会のもつ空気の重み、それが強いた政治的背景が音ににじみ出てしまうように聞こえるし、そんな背景はうれしくない、と書きたかった。蛇足ながら、舌足らずだったので。

CDとステージの違いについて書いたら、本日の朝日新聞朝刊で女子十二楽坊の日本武道館公演レビューが掲載されていた(レビュアーは小倉エージ、まだasahi.comには掲載されていない)。当日の演奏は進むにつれて味気なく感じられ、家で聴くCDは魅力的。おそらくステージではCDの忠実な再現を目指しており、まだ客席の反応を引き出すところまで熟成していないのでは−−−といったことも触れられていた。

昨日の今日なので、私の方が驚いた。


クラシックでは理想の楽曲の響きを想定して、録音する。必要に応じて音を作り込む(マイクを複数立ててバランスを補足したり、機械処理にかけたりする)。フォークソング、カントリー、ジャズ、民族音楽なども同様に、良い響きに録るための工夫が必要になる。

一方、ロックやポップスは、はるかに積極的に作り込む。実演では機械(コンピュータやサンプラー、テープレコーダー)の手を借りないと不可能な多重録音も行われる。1960年代のビートルズやプログレッシヴ・ロックに始まって、多重録音マシンを前提にした制作は、いまや不可欠なものだ。これがあるからこそ、高品質のシングル盤を大量に制作できるくらい。

多重録音や人工の極地が悪いわけではない。人知の限りを尽くして感性を満足させる音を積み上げていく。そうして得られる極上のサウンドはしかし、ステージでは再現できない。やるなら、山下達郎のコーラスのようにテープなどに録ったものを流して、共演のミュージシャンとともにきちんとタイミングがあった演奏を繰り広げることになる(もしくはカラオケを流して歌うとか)。バンドが入る場合はCDの再現に重点を置かず、アレンジの中で目立つ音を強調し、メリハリをきかせてノリを引き出す演奏(つまりはステージ映えする演奏)を繰り広げることが多い。

女子十二楽坊の場合、プロデューサーが仕掛けたバンドだ。まだアンサンブルとして、バンドとして、そこまで練り上がっていないのでは、という推測にもうなずいてしまう。もっとも、武道館は(単に人が大量に入るから使われるだけで)音楽演奏に向いていないから戸惑っただけなのかもしれない。このあたり、私は武道館で聴いていないのでなんともいえないのだが。


音楽と少しズレる話題だが、漫画やアニメを実写化することが増えてきた。映画はとりあえずおいといて、やはり今朝の朝日新聞に出ていた記事。「アルプスの少女ハイジ」のアニメを念頭においたCMについて、読者からの質問と、それに答える制作者の声を収録したもの。

ところで、「アルプスの少女ハイジ」は、アニメ制作にあたってわざわざ現地ロケを行い、迫真の舞台を(架空の画面上で)作り上げた。それが人々に溶け込み、今度はアニメから現実におろそうとする。

人は自然を真似て至芸を編み出すものだが、その至芸が新たな自然(を見る眼)を生み出す。CM一つで考え過ぎか、でも、おもしろいもんだ。


 

■2004/01/05■ CDとステージ

穏やかな三が日だった。仕事始めの今日、温度が下って1月らしくなったと思いきや、空は青くとも白く煙って、節分を過ぎたような色。いまはいつなのだろう、と不思議な気分になる。


昨年12月5日「iPodと音楽」で少々iPodに否定的なことを書いた。ただ、iPodがよく出来た製品であることは変わりない。大量の音楽データを、あれほど楽にハンドリングできる商品は他にないし、3泊以上の出張や旅ならば持ってゆきたいと私でさえ思うことがある。そういうよさは重々承知の上で、私とはあまり合いそうもないところがある、と書いた。この件に関して、いつも思うことがある。それは、iPodの善し悪しなどとはまったく関係ない、音楽との付き合い方だ。

CDは買うが、コンサートにはほとんど行かない。今はおそらく、そうやって音楽と付き合う方も多いように思う。単に快適に聴くだけなら、CD(やMD、場合によってはLPレコードなど)で聴くほうがいいのかもしれない。望む時に、好みの音楽を選べる。ポータブルプレイヤーも普及している。それは素晴らしいことだ。私も恩恵にあずかっている。

私が逆に思うのは、CDのように毎回必ず同じ音が鳴ることが保証された楽曲を耳にしていると、コンサートやライヴとの落差が大きく感じられるのではないか、ということ。

これを考える際に、すべてのジャンルの音楽を例にとることは出来ない。ジャンルによってコンサートの形態や頻度が大幅に異なるし、レコーディングや音作りも違う。先月の話と重ねて、クラシック音楽を例にとってみる。

CDで聞く場合。ステレオのスイッチを入れる。CDをセットする。耳を澄ませる中、曲が始まる。集中して聞く場合もあれば、他のことをやりながらのこともある。集中が途中で途切れていく場合もあれば、他のことをしていたはずが、いつの間にか耳を傾けていることもある。曲が終わる。感動していることもあれば、こんなもんかと思っていること、損したと思っていることもある。いずれにせよ、CDを取り出す。

コンサートを聞きに行く場合。チケットを見せて、ホールに入る。他にも様々な観客がいる、席を確認し、音の響き具合などを気にしつつ、トイレなどを済ませ、開演を待つ。開演の合図を耳にして、席に着く。指揮者や演奏家がステージに上がる(オーケストラの場合は指揮者に先立って、メンバーが登場してチューニングを行う)。そして、皆が拍手をして迎え、やがて静まる。聴衆の五感はステージに注ぎ込まれ、ステージの上からは音楽への気合いが発されている。そして、音楽が始まる。聞いている間は、いつの間にか演奏から耳がそれて空想に入ることもあるし、ますます耳が引き込まれていくこともある。演奏家の発する音を通じて客席が反応し、それをすくいながらさらに、演奏家が新たに音を発していく。曲が終わる。拍手が起きる。すてきな演奏だった場合は、手を高く掲げて拍手をしたり、スタンディング・オーベイションが起きることもある。ブーイングが起きることもある、日本ではほとんどないけど。好評に応えたアンコールが付く場合もある。そして、観客はそれぞれの思いを胸に、ホールをあとにする。

CDの演奏は何度もリファレンスされるに耐えるよう磨き込まれている。だが、一方的に流れる。ステージの演奏は、その場限りであり、そこにいる聴衆の反応も含めて、すべて音楽という経験だ。どちらかに優劣があるのではない、どちらもそれぞれにユニークで楽しい体験である。

ただ、聴衆の反応がフィードバックになって、さらに演奏が強まったり弱まったりすること、これは実際のステージならではの醍醐味だろう。そこには、曲をあるべき姿で演奏しようという「架空の理想空間に向けての演奏」はない。その場にいる人々と、演奏家と、ホールとで共同で作り上げる。楽譜という記号のもっとも理想的な音響再現などない、場を共有する人々の思いが積み重なる。だから、同じ演奏家がやっても、毎回テンポも響きも異なる音楽になる。そして、それでいいのだ、正解などないのだから。逆に言えば、ジャズのように毎度毎度アドリブで異なる演奏をするのと、精神的にはそう違わない体験さえ可能なのだ。

時々、この「理想の演奏」への猛烈なあこがれを感じさせる言葉を耳にすることがある。CDのほうがよかったとか、毎回違うのは解釈のブレだとか。だが、あれほどCDでリファレンスに耐える演奏にこだわったカラヤンが、実演では驚くほど変化に満ちた演奏を聴かせていたことも事実。そして、完璧を誇るベルリン・フィルがその変化にピタリと対応していたから、CDやLPレコードと極端な印象の違いを生まなかっただけである。室内楽でもソロでも事情は同じだ(演奏会を開かなくなったグレン・グールドのような偉才/異才はいるにしても)。

演奏会は、CDを聞くこととは微妙に、しかし最終的には非常に大きな違いを刻印する経験だ。その違いも含めて、どちらで聴くことも、音楽を聴くことの楽しみなのだと、私は思っている。


1990年代以降、多少演奏に傷があっても、ライヴ録音をほとんどそのままCDとして発売するケースが増えてきた。あまりに録音にこだわりすぎて、つまらない演奏が増えたことへの反省なども含まれてるのだろう。そして、映像がなくても、驚くほど当日の空気が音として詰め込まれていたりする。

ただし。弦楽器や金管楽器の複雑な波形が、完全に円盤に閉じこめられるわけではない。そして、聴衆の固唾を呑む反応に先立つように(実際ものすごい演奏に触れる時は、聴衆の期待よりほんの少し早く音が反応して立ち上がっていく)、肌が粟立つ音響を繰り広げるインタラクションそのものを経験するわけでもない。

そういったインタラクションの最たるものはおそらく、フルトヴェングラーが第2次大戦後、初のバイロイト音楽祭初日に振ったベートーヴェンの第9交響曲なのだろうと、私は推測している。第2次大戦で戦敗国となり、国土も荒廃し、ユダヤ人弾圧の象徴となったワーグナーの音楽は禁止された。戦後初めてその禁が解け、ワーグナーが創始して20世紀まで継続された音楽祭が復活する際、人類愛を歌うベートーヴェンのこの曲を取り上げた。

ナチスによるユダヤ人大虐殺と欧州の大破壊、何よりナチスを指示したのはドイツだった、ドイツの精神はなにもかもがだめなのか?という問いに対する、答えのような音だったのではないか。第4楽章は歌が始まるまで、オーケストラで第1楽章から第3楽章までを回想をする。そして、そのすべてのテーマを否定して、低音弦から静かに歓喜の歌が始まる、楽譜はそのようになっている。この演奏ではしかし、歓喜の歌を弾く前に、長大な沈黙がやってくる。この大きな愛の詩を書いたのはシラー、音楽を作ったのはベートーヴェン、どちらも、紛れもないドイツ人。そのことを思い起こすに胸が極まってすぐには音に出せない・・・そんな想像をしたくなるような沈黙。やがて、聞こえるか聞こえないかのピアニッシモで、メロディはゆっくりと始まる。続いて、ヴィオラとファゴットが加わる際の人懐こい表情。そこへヴァイオリンが加わって、管楽器を導き出すようにクレッシェンドしていく時、テンポもまた唱和を促すように巻き上がっていく、そして胸に熱いものが沸き上がるのを禁じえない。この胸いっぱいに広がる音はしかし、くすんだモノラル録音ではとらえきれないものが、響いていたはずだ、聴衆のすすり泣きとともに。


感動的な演奏だ。しかし、その背後を考えるに、こんな音は、日常にはほしくない。

ムーティの言葉は、その意味でもかみしめられていいのだと思う。


 

■2004/01/01■ ウィーン・フィル新春の小異変

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

皆さまのご多幸を心より祈念して。


正月準備が遅れまくって、元旦の夜にお煮しめを作っていたら、ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートが始まってしまった。

今年はリッカルド・ムーティが振る。一昨年は純ウィーン風とはまるで異なるが爽やかで色彩豊かな小澤、ついで屈指の理論家アーノンクールときて(その比較はこちら)、今年はオペラ指揮者のムーティ。この指揮者は、現代の先進国で暮らす多くの人が、クラシック音楽に感じる情緒・テンポ感などのイメージに対して、割合素直な音楽を奏でる人。健康的、メリハリ豊か。単なる陽気さとは異なる。オペラはいろんな感情の巣窟だが、そうした音楽の中に盛り込まれる人間という存在の情緒の振幅、功罪などをすべて見たうえで、オケ、歌手、演出も含めてまとめあげるものだ。それを成功に導く人が、単なる陽気な音楽家であるわけはない。この指揮者の音楽の奥底には、どんな側面を見せられてもなお、人間存在を肯定しようという意志が感じられる。

今年はすべての曲がとてもストレートに鳴る。速めのテンポ、ここぞと楽器を鳴らす力、しかし無理な力こぶは見せない。アーノンクールの芸術もいいけど、正月はやっぱり華やかに楽しみたいよ、という方々にはまことに結構な演奏だったのではないかな。

ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ「天体の音楽」は、その美点がもっとも生きていた(実際、コンサートのクライマックスもここに来ていた)。面白かったのは、この快心の出来に対して、会場の反応が意外なくらい冷めていたこと。やっぱり速い曲のほうがウケるんでしょうかね。

ただし、今年はちょっとした異変があった。恒例のワルツ「美しく青きドナウ」を振り始めたところで行われる、新春の挨拶。ここで、ムーティは珍しく演説を入れた。紛争が多い年であったことに触れ、シュトラウス親子の音楽のもつ喜び、そしてそれは人種や肌の色を越えて感じられるものであり、この音楽の持つ平和を望むという趣旨(急だったのか、予定外だったのか、字幕も用意されていなかったし、少々訛りもあって聞き落としがあるかもしれないが、要旨は間違っていないと思う)。

この演説の後の「ドナウ」は、これまでのムーティの新春演奏会(既に1993年、1997年、2000年と振っている)よりも力が入ったものだった。いや、力こぶが入ったわけではなく、速めのテンポで進めつつ、タメや間の振幅が大きい。それが、これまで以上に強い意志を感じさせる演奏となった。人によっては「ヒューマンな演奏」と形容するかもしれないくらいに。彼はきっと、本気で怒っているのだ、今の世に。

一見、陽気でまことに福々しいシュトラウスの音楽に、こういうことを盛り込んでしまう、また、オーケストラがうまいので、指揮者にどんどん反応して音になってしまう。これもまた、ニュー・イヤー・コンサートの別の楽しみ方になるかもしれない。


あの新春演奏会は、外交の場である。時々ゲストがカメラに入ることでもわかるように、VIPがたくさん招かれている。各国の元首や外相、大使館から人を呼び、舞踏会も行われる。つまり、オーストリアの社交場になっている。だから、その元首級の方々に、ムーティは呼びかけているようなものなのだ、あれは。

音楽家にこういうことを言わせてしまう。それは、20世紀を覆ったきな臭い空気をやはり連想させずにおかない。

音楽は、社会の付帯物、余計なものなどではない。人は言葉を持つことで行動を保存し、音楽を奏でることで異常な緊張を緩和できる。情動ある生き物である以上、音楽のような情動に関わる文化は、必要不可欠なものだ。しかしまた、音楽を使って人を駆り立てようという方向にも使われる可能性がある。

それだけに、オノ・ヨーコの「想像してみよう、平和を」という言葉の強靱さを、再び思う。


なんという年明けだろう。再び、よい年になりますように。


 


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