猫時間通信

2003年1月

 

■2003/01/31■ うらうらと小春日和

1月の最後は、とても暖かかった。風邪引きさんも多いが、いくらか楽だったのではないだろうか。

それはいいのだが、電車で咳をしている方にはぜひマスクを着用していただきたい! 「マスクをつけるといいよ」と話すと、「いや、結構丈夫なほうだからへーきだよ」という人もいるが、むしろ人にうつして回らないために着けてほしい! 私は風邪をひくと、着用してます。今はひいてなくても、人込みで着用してます・・・この程度で防御になれば御の字、でしかないんだけど。


昨日、少々厳しい経験もする。私はあきらめせん。(ご指摘にはとても感謝・・・いや、このサイトの内容には関係ないです。)

と思っていると、今日は次の仕事も。動きがあること自体はいいことです、ここはもっと加速して、チャージをかけて、次のステップへ行こう。今日は深呼吸もして。(独り言です・・・)


 

■2003/01/28■ PowerBook、木蓮と猫

昨日は結構大量に雨が降り続いた。気温も上がらず、手がかじかんだところに、雨がさらに跳ねてくる・・・ビルの谷間は風が強い・・・といったこともあったりして、腹も立った(私は雨に濡れるのが大嫌い)。今日は一転して晴れ、しかもひどく暖かく、移動も楽。

用事のついでにPowerBook G4 12inchの先行展示を見てくる。うーん、悪くないけど、キーボードも銀色というのは思ったより見栄えがしない。プラスチックを銀で塗るのは、私はあまり好かない、照明を落とさないと眼にきつくないだろうか。かといって普通に作ると、他社と差別化できないのだろう。すごく難しいデザインなのかもしれない。かといって、iBookの性能で我慢できない場合は、これしかないのだ。

ちなみに、見ている10分だか15分の間に、女性が4名やって来て、チェック。みんな、まず蓋を閉じ加減にしてみてから、再び開き、続いてちょっとだけ持ち上げて重さを確認し、今度はトラックパッドでマウスポインタの動きをチェックすると、キーボードを試す。そして、店員に声をかける。一人は顔に「ほしいんです、いますぐ」と書いてあるくらい。予約方法と入荷時期を細かく聞いている。意外に女性に人気なのか? 単に夕方という時間帯のせいだと思うけど。


猫だまりの近くに、木蓮の木がある。最近、つぼみが大きくなり、膨らみつつある。春、満開の花の下で、猫が和む。考えただけで頬が緩む絵。

声かけ君(と勝手に呼んでいる野良猫)の小屋[1/16参照]、屋根があいて、毛布などを虫干ししていた(もちろん、小屋を置いた人間がやるのであって、猫が自らやるわけではない。ますむら氏のジョヴァンニじゃあるまいしね)。屋根がとれた小屋の中も日だまり。そこに猫が入り込んでいた。段ボール箱とか引き出しも、好きだよね。


この間、電車で聞いた会話。

「なんかさぁ、足が冷えてさぁ」

「じゃ、養命酒でしょ!」

女子高生である(憶測ではない、確認した)。そういうもんなのか?!


 

■2003/01/25■ 雅楽、西欧古楽を一日で

雅楽公演を聴く。古典曲として「蘇合香(そこう)」より、序一帖、および急。他に新作。

「蘇合香」は本来、3時間近くかかる大曲(組曲で大規模)なのだが、全部はホールなどの関係で無理で、一番特徴のある部分を取り上げたのだと、プログラムにある。序一帖は私もしばしば耳にしており、好きだ。渡来音楽の香りが残る名曲に感じられる。今回は管絃の大編成だったが、何より素晴らしかったのは、音量を抑制して序一帖が演奏されたこと。江戸時代の記録にそのような指示があり、静かな管絃の演奏となった。何しろ、普段は荘重で大きな音に慣れているだけに、ひどく新鮮。

少し気になったのは、音楽そのものではなく、照明。通常の音楽ホールの照明は結構明るい。西欧クラシック中心ならば、黒い服をまとう人々が居並ぶため、照明の反射はそう気にならない。が、雅楽の方々のお召し物はたいへんに色彩豊か、しかも光沢がある。少々まぶしくて、目を閉じていて、流れに変化がありそうなところで時々眼を開ける。それを繰り返す。

聴いているうちに、身体の仙骨のあたりから大地にどーんと太い管が伸びて、身体の悪しき成分がそこから抜けていき、何か澄んだ気が流れ込んでくるような、不思議な心地に陶然となる。あぁ、確かにこの音楽は、薬を練ることと関係があるんだなぁ。そう全身で実感しつつ、身体が開いていく。

新作は、おそらく出来上がって、音楽全体を練り上げる前の段階だったのかもしれない。再演を聴いてみたい。そして、その時に、もう一度曲の印象を感じ直してみたくなった。(始まりと終わりはとてもよかったが、正直に言えば、どうも少々中だるみがあったような・・・曲なのか、演奏なのか、よくわからなかった。)


終演後、すぐに移動。今度は知人と楽器を持ち寄って、スタジオで演奏、その後に食事と歓談。西欧古楽関係のメーリングリストおよびオフ会で知り合いで、現在海外に赴任している友人が一時帰国しており、忙しい合間を縫って会おうということに。

しかし、私は久々の楽器吹きと顔合わせ(うまい方々、しかも耳も肥えている)、しかも急いで来て息が上がり気味で、最初は目も当てられない状態。途中少し復調したが、皮肉なことに、合間に吹いたテレマンの無伴奏フルートのためのファンタジーが、一番まとも。その頃には、もうスタジオを出ることに。合奏の充実感をあまり出せず、残念。

移動後、別の練習に出ていた方も合流されて、パスタとワイン(私はジュース)で盛り上がる。仕事の話、音楽の話。彼はおそらく某社を背負って立つ人間になるだろう、間違いなく。ただ、彼は音楽をひどく愛しており、研究を続けながら音楽を奏で、おいしいものを作っては食べる生活のほうが、性に合っているのだとは思う。しかし、意に反することであれ、一度受け入れたらとことんまでやる彼は、もはや研究者でもエンジニアでもなく、マーケッターとしてもっとも強力な存在になりつつある。ロジックをきちんと組み立てて、情報を見通しながらもっとも正しい行動がとれる。30代で部長以上の視野を持ち、その視野で導かれる結論からそのまま行動できる人間など、滅多にいない。そんな人間に「仕事をしすぎないように」と言っても、あまり意味がない。

せめて身体に気をつけて、期間を集中してプロダクトと会社を救い、笑って帰国してほしい。それしか言えない。

深夜に帰宅。忙しく、充実した響きの一日だった。


 

■2003/01/23■ 林正子のCD

レコード芸術今月号、声楽曲の新譜評に、ソプラノの林正子のCDが取り上げられている。

2002年の紀尾井ホール公演をCD化したもの。実は紀尾井ホールの公演は再演で、私は2001年所沢ホールでの初演を聴いている。「祈り」と題された曲集は、古今の有名な祈りに関するソロ曲を6曲配置し、各曲への返歌として笠松氏の作曲したソロ曲が挿入される。一見、癒し系音楽のようでいて、むしろ癒しの対極に位置し、人間を見つめる視線が深い配列と作曲。新曲は、メロディックなものから現代音楽に至るまで、様式ではなく内容での一貫性がある。

そのバラエティに富み、部分的には器楽的・技巧的にさえ聞こえる各曲。リリカルなメロディなのに、一般にイメージされる声楽曲のなだらかさがあえて抑制され、必ずしも滑らかとは言い兼ねる手触りが、逆に詩を引き立てる。難しそうなそれを、林氏は明晰な発音と音程で、掘り下げるように歌いこんでいた。

演奏会を通じてCDを申し込んでいたが、そろそろ発送される頃。届くのは今週末くらいか。到着が楽しみ。


京都ページ街ネタ篇に追加。実用的な、道のお話。洛中概略を書いていて、昔のことを思い出したもので。


 

■2003/01/21■ 京都ページ、洛中の極私的概略

やっと、京都ページ観光篇洛中の極私的概略を追加。

京都駅近辺を起点にして、屋根くらいの高さからあちこちを眺める感じでどうぞ。(少々長いので、分割しようかと思ったのだが、むしろ鳥瞰するような視点もよろしいかと思った次第。)

ここに書いてあるようなコース取りを、一日で踏破するのは難しいと思う。バスとタクシーと徒歩の組み合わせで頑張れば不可能ではないだろうけど、ジェットコースターになって面白くないと思う。やはり無理のない時間を組み立てた上で、それぞれをある程度時間をかけて見てみるほうが興味が湧くだろう。


有名な寺院もいいけど、こうして街中をぷらぷらするのも、実は京都に行く楽しみの一つだったりする。たとえば喫茶店の数が東京より多いようで、休むと町ごとの空気が店にも反映されている。どんな人が暮らしていて、何が栄えているのか、どういう推移があるのか、といったことを想像しながら歩き、かつ休めるのが楽しい。

今最も大きな変化を迎えているのは、市役所の対面から少し西に進む、河原町御池から四条烏丸のブロック。中京の中心地であり、足袋や扇子の老舗、町屋を活用した飲食店、柊屋・俵屋・炭屋の御三家をはじめとする旅館が立ち並ぶ地域。この近辺の町屋がなくなると、まとめて高層マンションになっていく。

1997〜98年くらいから目立ち始めたが、特にこの1年、とても激しい(五条のあたりも同様)。とにかくマンションがたくさん建ち、風通しが悪くなるだけでなく、ビルの廃熱により明らかに周囲の温度と湿度が上昇する。夏に行くと、ヒートアイランド現象に見舞われる東京よりもまっとうな季節感を味わえたのだが、近いうちに東京と大差なくなるだろう。

街の発展を考えれば、面積は限られているのだから上に伸びるしかない。産業や行政の面からはこうするしかないのかもしれない。ただ、東京はこれでひどい状態に陥り、ビルを緑化する方法なども含めて検討され始めている。どうすればいいかなど一朝一夕に決められないことだろうが、肌で感じるあの澱んだ空気はどう考えても、いいとは思えない。住んでいる人にとって、だ。


 

■2003/01/17■ 萬来舎

慶応義塾大学の三田キャンパス(あの大きさでキャンパスと呼ぶかというのはさておき)に、萬来舎という建物がある。イサム・ノグチの彫刻がある前庭に、モダン建築。いい感じの建物です。

これを取り壊して法科大学院を作るという記事が新聞に載り、反対するOBや識者らが緊急講演会を行うそうだ。明日なので、ちょっと行けない。しかしなぁ、なんでそんなことするかな〜。よくわからん。大学で重要文化財の建物があるとかえって扱いがやっかいなので、そうなる前に壊すのか? しかし、あの学校は図書館や演説館など、いくつかあるだろうから、一個くらい増えてもいいじゃないか、と思ってしまふ。


よみもの」に、新しいおはなしを追加。


 

■2003/01/16■ 外様猫

1/10に明日は少し天候が変わりそうだ、などと書いていたら、翌日は暖かく晴れて、しばらくそんな日が続いた。こういう時は猫がよく日向にいる。

近所の「声かけ君」(とはいっても実はよく見ると雌猫だった(^^;)は、その名の通りすごく愛想のいい野良猫。とりあえず人が通ると「にゃ〜」と猫撫で声をあげる。あわよくば撫でてもらえたり、えさをもらえたりする。どちらかというと、餌そのものより撫でてもらうのがうれしそうだ。その愛想のよさゆえ、もう立派な地域猫。車が止まった後で暖をとりに乗っていても、追い払わない家も多い。

門で餌付けしている家があって、その近くによく出没する。この家が12月の寒さ(雪も降った)を見かねたのか、門柱脇に猫小屋を出した。毛布付き。一応外なので、あまりのぞかれないように、屋根からたらした布が入り口にちょっとかかるような工夫もしている。外猫、あるいは外様(とざま)猫というヤツでしょうか。

暖かかった数日、よく日当たりで目を細めて和んでいた。門の前のスロープに手足を投げ出し、顔を少し起こしている。しっぽがにょろり、にょろりとゆったり動く。「やぁ」と挨拶すると「にゃぁ」と一応返ってくる。「またね」とこちらも歩いていくと、何となく視線を追いつつも、今は日だまりに夢中らしい。こういう時だけはうらやましいな。(野良猫はストレスが大きく、長生きはしにくいと聞く。)

今日は寒かった。声も聞こえず、姿も見かけない。こういう日はどこにいるのだろう。野良猫って、時々どこにいるのか不思議(愛想がいいから、誰かの家のこたつに入れてもらっているのかもしれないけどさ)。


そういえば、昨年の11月に触れた、新宿ベネトンの近くの宝くじ売り場がなくなった件だが、昨年末には復活していた。一時的なものだったのか? よくわからないけど、まぁとりあえず、復帰したということで。


 

■2003/01/10■ 少し暖かい

ここ数日、東京は日中、割合に穏やかだ。空も青い・・・と思っていたが、今日の半月はすりガラスを通したにじみになり、夕焼けもはっきりしない。明日は少々天候が変わりそうだ。

ところで、ここ数日、なぜに初老から老人のグループが大量に街に出ているのだろうか。松の内があけて、仲間内で新年の顔合わせ? なんだか安いカフェに8人以上の老人が入っていくのを、何度か目撃した。その一方で、ドリンクとケーキのセットが800円以上の店は、外から見てもガラガラである・・・

昨年、気になったのは時々街中で「もうけやがって」という声が聞こえたことだ。もちろん、憎々しげに。少々高く感じるとつい口から出るのかもしれないけど、お互いにそこそこの利益を上げるから生活が成り立つのは、いい大人ならわかった上なのだと思いたいが・・・。家電量販店の時計メンテナンスコーナーで電池を入れ替えてもらって出ようと言うとき、「工具よこせ、この場で俺が電池入れ替えるから。手数料なんかとられちゃたまらないからな、まったくもうけやがって」などと主張する人がいた時は仰天した。結局ねじこまれた店員は工具を渡していたけど、出来ないとわかると「ただでやれ」と言い出すのだろうか。作業やサービスには相応の対価は必要、serviceはfreeとは違う。そんなことが当たり前でなくなっていくのは、不健全だ。


その一方で、カラオケ勧誘員(?)達は、繁華街デビューの高校生達に目をつけている。繁華街を通り過ぎつつ、なぜにいまなのだろうと思うが、たぶん高校1年生で初詣でを一緒にやると、それまであまり一緒に行動しなかった人とも何となくグループになって「カラオケでも行こうか」という話になるんじゃないだろうかと思う、しかもあまり遊ばない者同士でちょっとつるんだりしている・・・実際はどうなのだろうか。

面白いのは、男子だけのグループはどうも交渉が下手。女子だと誰かリーダー格の子が金額交渉で「一人ここまで、それ以上は絶対に出せない、持ってないもん!」と強い主張で丸め込もうとする。だいたい女子はある程度かわいいと年上の男に声をかけられてちやほやされた経験があるし、ここまでなら強気で大丈夫だし言わなきゃ損、という線を知っとる。要するに人あしらいがうまくなってる。地味な男子が集まった場合、こういう人間はあまりいないわな。彼らも大学に入ったり社会に出たりすると、それなりに磨かれていく・・・はずだと思うけど(苦笑)。いかにも漫画喫茶にいそうな5人組を見ていて、そんなことを思いつつ通り過ぎた。


昨日触れた、Mac OS X 10.2対応の新しいWebブラウザ Safari だが、使っていると細かい問題が見つかりますね。私のページだと、京都ページのトップが最初に圧縮して表示され、リロードするとまともなレイアウトになる。そういうページは他にもいくつかあるし、部分的に文字コードが正しくなくなるケースも見つかる。まだβ版だし、バグリポートしなきゃいけないが、英語で書かなきゃならなくて、時間がないと後回しになっちゃうな。


 

■2003/01/09■ MacWorld Expo SF

昨日から学校も一斉に始まったようだ(除、大学生)。ところで、明治神宮は松の内を過ぎてから行っても初詣で体勢が終わらず、拝殿の中には入れない(拝殿の入り口に賽銭箱があり、そこで参拝する)。なんか微妙に複雑な気分、もうちょっと経ってから行ってもよかったかな。


MacWorld Expo SFは、電脳ページ記事に移しました。


 

■2003/01/07■ 文藝の春号、もうすぐMacWorld Expo SF

iCalって不思議なソフトだなー、カレンダー上のイベントを削除するという概念はないのか? 自動削除の設定はあるようだが・・・時間がなくてまだ調べていないが、直感的に出来そうな削除操作が出来ないことが、不思議。


河出書房新社の文芸誌「文藝」の春号は、鷺沢萌特集だが、もう一つ、菜摘ひかる追悼も特集されている。香山リカ、やまだないと、林あまりら、彼女を知っていたり、一緒に仕事をしたことがある方々が評論や作品を寄せている他、著作一覧あり。まだ全部読んでいないが、よくまとまっているし、面白いです。気になった人、そう高くないから、買うべし。


日本では今夜というか、1月8日午前2時から、MacWorld Expo SF (San Francisco)が始まる。下馬評では新しいハードウェアの発表がないような話が多かったが、とにかく噂にも情報に統一性がない。ただ、準備の様子の報道からすると、何かありそう・・・どっちにしても、せっかくいいもんを持ってるんだから、より活かす方向に動いてほしい。


 

■2003/01/06■ 街が始動、Mac売り場

今年は一斉に街が動き出したようだ。移動中に、なぜか街で目立つのは、女子中学生。いや、ロリコンの気があるんじゃなくてね、まだ学校が始まる前で、母親と一緒に、あるいは友人同士でお年玉を持って楽しそうに歩いているのは彼ら・彼女らだけで、他の人々は一斉に「あ〜ぁ、始まっちゃったよ」と顔に太ゴシック64ポイントで書いてあるからだ。お年玉を思いっきり使える世代だからなぁ。

中学生がたくさん街にいるのを眼にするのは久しぶりだが、行動パターンというより、話し言葉がまだ小学生から完全に離脱していなくて、わーっと話しては、お互いに「声がでかいよ!」と笑いながらいさめあい、その1分後には元の声量に戻っているもんだから、黙っていてもすぐにわかる。思わずちらりと見ると、まぁ肌がつやつやしてて、発散するオーラの瑞々しいこと。

いや、だからなんだというのではないですが・・・1980年代末〜1990年代、星里もちるが登場してきて、「危険がウォーキング」を楽しく読んでいた頃を思いだした。高校生もかつての大学生のように打算の中で生きるようになりつつあるから(実際、1990年代後半には援助交際が話題になった)、全身で喜んだり怒ったり泣いたりするラブコメは中学生かなぁ、などと考えていたが、昨今の街で喜びにあふれた顔が中学生だけとは・・・いや、単に不況でも意外にお年玉が多かっただけなのかもしれないけどさ。


通りかかったので、ちょっと資料探しついでに、ビックカメラの池袋店に寄ってみる。1階の書籍・雑誌売り場、マック関連書籍の売り場が目立たない場所に移動していた。置いてある書物の量がそう減ったわけではないのだが、目立たないというのは意外に大きい。昨年、液晶画面を搭載したiMac(大福とか鏡餅とか言われた)が注目を浴びたにも関わらず、セールスの面では決して好調とは言えなかったそうだ。Mac売り場自体は、意外に人がいたので少々意外だが、Mac OS X環境はもうちょっと注目を浴びてよいように思う。

というのは、たとえばアメリカでソフトウェアの研究開発・コンサルタントなどを行っている人の間では、Mac OS Xを使っている人も少なくないようなのだ。昨年XML Japanで来日した方でもいたし、他でもそういう例を見かける。今年あたり、もうちょっと活発になるといいなぁ・・・


 

■2003/01/05■ 有橋淑和など

渋谷のタワーレコード(以下、タワレコ)へ。本日は高校時代の友人と新年会なのだが、その前にタワレコでミニコンサート&サイン会があるから、ということでそれにあわせて集合。

有橋淑和(ありはし・すくな)は、昨年デビューCDをリリースした新進チェンバロ奏者(桐朋学園の古楽器専攻を卒業)。ただし、デビューCDの選曲はちょっと凝っていて、19世紀末から20世紀の音楽ばかり。古楽の楽器として一応記憶にとどめられていたチェンバロを、ラヴェルやリヒャルト・シュトラウスが起用したものなどを、あえて集めている。古楽器だが、現代に生きる楽器としても見てみよう、というところか。驚いたのは、ブゾーニなどが書いていたのは知らなかったし、ショスタコーヴィッチも書いていたとは・・・ちなみに、伊福部昭の曲(1曲は書き下ろし)も入っているが、ディズニーランドのエレクトリカルパレードのテーマ音楽が、元はチェンバロのための音楽だったことは意外に知られていず、このCDで一番大きな話題はこの曲かもしれない。

登場した彼女は、ラモー(18世紀後半のフランスの音楽家)のチェンバロ曲を弾き、MCを挟みつつ、CDで取り上げたレパートリーを弾いていく。後で聴いたところによると、渋谷タワレコはリハーサルの場所がなく、到着するといきなり出て弾かなければいけないそうで、これはちょっと気の毒だったかもしれない。というのは、相当に上がっているようにお見受けした。多分実力の70%も出ていなかったのではないか。

プロならそんなことをものともせずやるもんだ、という人もいるかもしれないが、この日の観客層は、アキバのジャンク屋にたむろすような風貌の男どもばかりがぞろぞろ並び、しかもデジカメを構えて撮影していて、音楽を軽く楽しむという空気とは何か、違う(まぁ自分もそういう中の一員になっちまったわけだが)。最近の日本のクラシック演奏家は、ヴィジュアルも一緒に売り出すから仕方ないかもしれないが、タワレコが撮影は禁止させるべきだと思う。音楽を軽く楽しむというより「見に来た」人々中心、しかもリハがなく、指が温まらない上に、楽器の響き具合を確認する間もなかったとすれば、いくらなんでも演奏者に万全の状態は望めないだろう。

MCで「チェンバロはたとえば、キャンディキャンディのイントロなどにも使われていて、私はこれで初めて耳にしました」と言いつつちょっと弾いてみせるなど、サービス精神を発揮していたが、むしろ司会が立って彼女に質問してあげたほうがよかったのではないだろうか。

CDを買って帰ったが、こちらはきちんと音楽になっている(もちろんだが)。ただ、ブゾーニなどはどうもピアノの響きを思い浮かべてしまう・・・私の固定観念? 一緒に買ったのは、ブリュッヘンがテレフンケンレーベルで1960年代に録音したリコーダーのCD(おまけのカレンダーがかっこよくて、つい)。96KHz, 24bitサンプリングでリミックスされたもので、最初にCD化されたものより、明らかにリコーダーの音が甘くなり、チェンバロとチェロがクリアに聞こえる。そうそう、せめてこれくらいの音で聴きたい。


さて、渋谷で久々に旧交を暖めるが、それ以上に本日、異様に冷える。昨日やや穏やかだっただけに、余計に感じる。イタリアンをゆっくりとって、出てから終電までホテルのダイナーで酔いざまし。相当に飲む友人の酒量も落ち、もう20代の頃のように徹夜遊びもしない、まぁ明日が仕事始めだという以上に、お互いに体力のむだ遣いをしなくなったというところか。


 

■2003/01/03〜04■ 京都ページ、少し追加・加筆

3日、京都の観光篇で、洛北は高雄のお寺を2件追加。

4日、京都の観光篇で、洛北の大徳寺を追加。また、旅日記篇で、2002年に行ってきた概要だけを少し書いた。

旅日記は、少々ばたばたしていて、手元にメモや記録だけはあるのだが、入力が遅れているんです。ほんとうは鮮度の高いうちに書きたいんだが、2002年はぎりぎりの日程で行ってきたりしたので、そういう暇が・・・あんまりなので、概要だけは書いておいた次第。


京都ページ、観光篇の項目をぽちぽち入れつつ、そこから漏れた情報などを他で補っていきたいのだが、遅々とした歩み。ただ、これでやっと、1997年よりかつて所属していた会社で私的に公開していたページからここへ引き継いできた内容を、ほぼ刷新することが出来た。フォーマットも定まり、進めやすくなってきたので、今年は少しずつ手を付けていきます。

この観光篇を見ても、なんでこんな有名どころしかないのか、極私的ならもっとマイナーで知る人ぞ知るような場所はないのか、と思う方もいらっしゃるかもしれない(御所の近くなら廬山寺はないのか、とかもあるかもしれない)。ただ、一生懸命マイナーな場所を求めなくても、古典的な形を規定してきた事物を見ておくのはとても役立つし、そこからいろいろなことを考えたりもするので、繰り返し見てきたところを中心に取り上げている。

というわけで、スポットを少し増やしては、街ネタ篇で補足、などとゆっくり進めたいと思っている。


 

■2003/01/01■ ニューイヤー・コンサート

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。


先月はもうちょっと更新したかったが、妙に忙しく間が空いてしまった。ぎりぎりまで仕事をしていて、気が緩んだら、風邪。ひどくはなっていないが、まぁ寒いようなので、皆さまもご自愛を。


元旦といえばウィーン・フィルハーモニカーのニューイヤー・コンサート。偉大なるマンネリ、これでいいのだ(何いってるんだか)。

今年は、ニコラウス・アーノンクールがタクトをとった。一昨年、世紀の分け目にウィーン出身の過激な巨匠が出るということで、ずいぶんと世間の期待が高まった(実際、2000年にベルリン・フィルとやったウィンナ・ワルツは面白かった)。しかし、なんというか、あの才人をもってしても、ただきれいなだけというか、今一つ締まりのない演奏に終始した。

昨年、ウィーン国立歌劇場(念の為に:ウィーン・フィルとは、ウィーン国立歌劇場のオケが自主的な音楽公演をするときの呼び名)の音楽監督に就任することが決まっていた、小澤征爾が振った。私個人は、まぁきれいだけど、悪くない程度、すごくおもしろかったわけじゃないし、豪華な響きを満喫できたわけでもなかった。何と言っても、小澤が振ると、ウィーン・フィルの音でなく、小澤の音になってしまう−−−爽やかで、軽くて、しかし要所ではがっちりフォルテッシモが鳴る、その際も常に見通しがよく、混乱のない音がする−−−これはこれでものすごいことなのだが、私はウィーン・フィルでなければ聴けない音がほしい・・・が、世間の評判はよかったらしく、CDやDVDは記録的な売り上げだったそうな。これじゃ、ウィーンっ子の立つ瀬なし?・・・

今回のアーノンクールは、一昨年の雪辱を補ってあまりあるものだった。小澤の就任などもあり、ウィーン・フィル自体も国際化が進みつつあるが、まだ独特の音色が残っている。ウィンナ・ホルンやウィンナ・オーボエもさることながら、あの絹のような滑らかさを感じさせつつも、フォルテになると素晴らしく弾力のある、切れ味のよい弦楽器。ウィーンっ子であるアーノンクールは今年、まさにそれを全面に押し出して満喫させてくれた。

さらに、皇帝円舞曲の、あの優雅さと折り目正しさと豪華さに混じって、ふと見える転調に織り込まれるさみしさとはかなさ。それがあって、ハ長調のフォルテの音が生き生きと踊る、それが本当に音になるすばらしさ! ブラームスも、通常のオーケストレーションではなく、ブラームス自身が生前に好んだ編曲をあえて持ってくる。そう、ブラームスは決して裕福な階級出身ではなく、酒場のジプシー音楽の世界から上ってきた人。それが如実に現れた編曲を、遅めのテンポで練り上げる。あくどさを廃し、ジプシー臭さと芸の豊かさが同時に響くその表現に、楽員達の楽しそうな表情。そして、恒例のアンコール。もう言うことなし。

アーノンクールは今回、万全の選曲と緩急で、正月の華やかさと、芸術的な空気を同時に体現していた。

私は、10代から20代前半は、シュトラウス親子の曲を好まなかったが、30代に入ってからは「あぁ、こういうのもいいなぁ」と自然に思えるようになった。その気持ちを、もっとも満足させてくれる演奏。ベルリン・フィルとの録音より、よかった。

なお、実はウィンナ・ワルツにもオリジナル楽器を使用したものがある。昨年出たもので、アニマ・エテルナを率いるインマゼールが演奏したもの。モーツァルトのピアノ協奏曲で色彩豊かな演奏を聴かせた彼らが、極上のシャンパンのような軽やかさと優雅さを現出しようとしたもの。これは私、まだ盤自体を所有していないのだが、聞かせてもらった限りでは面白かった。聴き比べてみたくなるなぁ。


 


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