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1997年8月20日(水)

今日も石川県。

夕方家へ電話する。朋生がでた。が、すぐに「琴ちゃんにかわるね。」
今日からいよいよ外泊になったみたいだ。「明日花火しようね」と琴の声。夕ご飯は「納豆を食べた」そう。生食もOKみたい。「お母さんにかわるね。」と琴。

夜もう一度電話をして詳しい様子を聞く。
WBCは2000位になっているようだが、グラン(G−CSF)によるもので、薬(グラン)をやめると1000位まで下がってしまうので明日も注射をしに病院へ行かなければならないそうである。右足の皮はまん中あたりに薄皮ができてきているが、今日も少し痛くなったそうである。明日注射に行ったついでに足の薬もO先生がつけてくれるそうである。

マルクの結果は良好だったとのこと。一応寛解に入ったということ。とりあえず一安心である。次の治療(注:それと移植に備えて)のために月曜日には中心静脈カテーテルを入れる手術を行うそうである。先生いわく「(寛解に入ると)確信してたから、もうレントゲンも心電図もとって手術の準備をしてある」そうである。手順の説明と承諾を金曜日には行いたいとのこと。外科の先生から説明があるそうである。夜でもよいとの事だが、早いほうがよいので午前中に琴を連れていく(金曜日はグランの注射と血液検査に行かなくてはならない)ついでに説明を受けてこようと思う。

さすがに1ヶ月もベッドの上の生活になると足も細くなり、今日はお母さんが来た時に歩こうとしても歩けなくて、泣き出してしまったそうである。母は、(明日筋肉痛になるので)「歩かなくて良い」と言ったそうである。それでも、5秒くらい歩いて休んでといった具合に少しづつ歩く練習をしたり、10秒間立つ練習をしたりと少しづつリハビリを行っているそう。

今日は母の3x回目の誕生日。良い日になった。朋生と瑞生は何かプレゼントしたのだろうか?

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